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<title>岐阜の親父の日々好日</title>
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<description>私の日々の雑感を書いていきます</description>
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<title>日本を知れば知るほどため息が出る…中国のブログより</title>
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<![CDATA[ <br><p>■【中国のブログ】…日本を知れば知るほどため息が出る■</p><br><p>日本に対する「印象の良さ」は2007年より3年連続で第1位となり、中国に比べて15％も高い<br>支持を集めたのだった。</p><br><p>◆戦後における日本の対外経済援助額</p><p>1979年以来、日本は中国にとって最大の援助国であり、これは誰も否定することの出来ない事実である。<br>中国が受けとった援助額の66．9％は日本からのものであり、日本政府はこれまでに2兆7000億円もの<br>政府開発援助を中国に提供している。</p><p>北京市の地下鉄や首都空港などはこれらを使用して建設されたものである。日本の対外経済援助額は<br>米国のそれよりも多く、世界第1位であることが評価につながっている。</p><br><p>◆国家のイメージは国民によって決まる<br>我々一人ひとりの言動が中華民族全体の道徳や素養として見られるのだ。その言動の良し悪しにかかわらずである。</p><p>日本人の礼儀正しさや素養の高さは世界中から認められている。彼らは痰を吐いたりゴミをポイ捨てしたりしない。<br>中国人の場合はというと、多くの国において中国人に対して中国語で書かれた「痰を吐くな」「物を盗むな」<br>「店を出る際には荷物を検査します」などといった標識が存在する。多くの国において、日本人を排斥しようと<br>する動きは存在せず、排斥される対象の多くは中国人である。</p><br><p>◆日本を知れば知るほどため息が出る思いである。国家のイメージはその国家に住む人々の素養や礼儀によって<br>決定されるのだ。中国人は驕らずに謙虚であり続ける必要がある。愛国とは自分自身の行為から始まるものなのである。</p><br><br>
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<pubDate>Sat, 30 Mar 2013 10:52:58 +0900</pubDate>
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<title>世界の学者『日韓併合不法論』支持せず。韓国の主張崩れる。</title>
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<![CDATA[ <br><p><strong>世界の学者『日韓併合不法論』支持せず。<br>韓国の主張崩れる。</strong></p><p><br></p><br><p>日韓の歴史認識問題で大きな争点になっている<br>日韓併合条約(1910年)について合法だったか、<br>不法だったかの問題をめぐり、ハーバード大学で<br>国際学術会議が開かれた。</p><br><br><p>第三者の英国の学者などから合法論が強く出され、<br>国際舞台で不法論を確定させようとした、<br>韓国側のもくろみは失敗に終わった。</p><br><p>会議参加者によると、合法論は国際法専門の<br>ケンブリッジ大学Ｊ・クロフォード教授らから出された。</p><br><p>『自分で生きていけない国について周辺の<br>国が総ﾛ的秩序の観点からその国を取り込むと<br>いうことは当時よくあったことで、日韓併合条約は<br>国際法上は不法なものではなかった』と述べた。</p><br><p>また韓国側が不法論の根拠の一つにしている<br>強制性の問題についても『強制されたから不法と<br>いう議論は第一次世界大戦(1914－18年)以降の<br>もので、当時としては問題になるものではない』<br>と主張した。</p><br><p>この学術会議は米ハーバード大学<br>アジア・センター主催で16-17日開かれたが、<br>韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に<br>支援し韓国の学者の主導で準備された。</p><br><p>これまでハワイと東京で二回の討論会を開き、<br>今回は韓日米のほか英独の学者も加え、<br>いわば結論を出す総合学術会議だった。</p><br><p>日韓併合条約については、韓国や北朝鮮からは<br>いまなお執ように不法論が出され、謝罪や<br>補償要求の根拠になってきた。</p><br><p>日韓国交正常化の際も激しく対立したが、<br>合法・不法の結論は出さず『今や無効』<br>との表現で国交正常化(1965年)にこぎつけた経緯がある。 <br></p>
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<link>https://ameblo.jp/jikoafuri/entry-11496277469.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Mar 2013 11:21:39 +0900</pubDate>
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<title>独立めざし　遠い日本で軍事訓練を受けたミヤンマー建国の父…アウンサン将軍</title>
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<![CDATA[ <p>■独立めざし　遠い日本で軍事訓練を受けたミヤンマー建国の父…アウンサン将軍■ </p><br><p>アウンサン・スー・チー女史が民主化運動の指導者となっているのは、本人の一徹ぶりとともに、「ビルマ建国の父」こと <br>アウンサン将軍の娘であることも大きい。（ビルマは1989年に「ミャンマー」に国名変更した） <br>アウンサンは、英国からの独立を目指していた1947年７月１９日、テロリストによって暗殺されたのだが、毎年この <br>「殉難者の日」が近づくと、ビルマ国営放送から次のような歌が流されてきた。 <br>＿＿＿＿＿＿＿＿＿ </p><p>独立めざし　遠い日本で　祖国の軍をつくるため <br>命を的に苦難に耐えて　はかりごとをめぐらした <br>勇気あふれるアウンサンよ　英雄たちよ </p><p>・・・ <br>￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣ <br>「遠い日本で」とは、アウンサンが英国からの独立のために日本軍から教育と軍事訓練を受けた事を指す。 </p><br><br><br><br><br><p>■ミャンマーの急速な中国離れ、米国へ接近■ </p><br><p>ミャンマーでは昨年３月の軍政終了と民主政府の誕生に伴い、中国離れと米国への接近が <br>顕著になってきている。 <br>９月には北部カチン州で中国と共同建設していた水力発電用大型ダムの開発中止を表明した。 <br>ミャンマーの軍事政権時代に中国政府と契約を結んだもので、中国国有企業の投資総額は <br>３６億ドル（約２７６０億円）に上る。中国政府からミャンマー軍政幹部への賄賂が噂されていた。 </p><p><a href="http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-408.html">http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-408.html</a> <br></p>
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<link>https://ameblo.jp/jikoafuri/entry-11496276400.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Mar 2013 11:20:24 +0900</pubDate>
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<title>米国の中の日本</title>
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<![CDATA[ <p>[特派員コラム]米国の中の日本 </p><p><br><a href="http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&amp;mid=etc&amp;oid=003&amp;aid=0000640848">http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&amp;mid=etc&amp;oid=003&amp;aid=0000640848</a> </p><br><br><br><br><p>▲（ニューヨーク=ニューシース）米国に住んで日本人の恩恵を受ける時がある。米国社会の日本に対す <br>るイメージがよいからだ。教育環境など韓国人にとって良い町として知られた場所は、たいてい日本 <br>の人々が先に住んでいた所だ。ニュージャージーのバーゲン郡やニューヨークのウェストチェスター <br>郡がそうだ。企業の駐在員が特にたくさん住んでいたバーゲン郡のフォートリー (Fort Lee) は、本 <br>来日本人がたくさん暮らしていたが、今や韓人が主流をなし、すでに中国人が入って来ている。新し <br>い異民族が進入する度に先住異民族が別の良い環境を探して少しずつ移動する傾向は、歴史の中の白 <br>人と黒人の居住地の流れともそっくりな傾向を見せる。 </p><br><br><br><p>▲私が住むウェストチェスター郡もやはり韓国人が増えて、日本人たちは北に移る成り行きだが日本の <br>香りを強く感じる。ニューヨーク一円の日本人は韓国人の5分の1位だが、肌で感じる日本の文化は私 <br>たちの5倍にはなるようだ。米国へ来た初日、子供が通う小学校で一ヶ月間を‘日本の月’と指定して <br>子供達が日本文化を集中的に学ぶのを見て羨ましく複雑だった覚えがある。 </p><br><br><br><br><p>▲その学年には日本の子供は一人もいなかったが、どれだけ日本の影が濃く垂れたらこのような教育を <br>するようになるのか知りたいと思った。日本人の父兄はたとえ数が少なくとも、PTAの様な父兄会の集 <br>まりに熱心に参加して日本文化を紹介するにも積極的だ。政府と公共企業の後援をもらって米国人教 <br>師たちが日本に短期研修するプログラムもたくさんある。日本の支援の中でその文化を直接・間接に <br>体験した米国教師が‘日本ファン’にならないわけがない。 </p><br><br><br><p>▲問題は相当部分、韓国から渡った日本文化を固有で独創的な文化だと考えることだ。甚だしくは韓国 <br>文化を日本の亜流と考えたりする。韓人が多い街を除けば、米国人たちの脳裏にある東北アジアには、<br>日本と中国しかない。妻がある日、学校で韓国と日本の歴史と文化の話をしたら、教師らが目を回し <br>たと言う。それほど大多数の米国人には韓国と韓国文化はまだあまりにも不慣れな存在だ。 </p><br><br><br><p>▲韓国人があまりいない町内に住むことで感じるさびしさよりは、うちの家族を通じて韓国のイメージ <br>が作られる、と考えれば時々、生活自体が愛国ではないかという気がする。学校で集まりがあれば必 <br>ず参加して、各種行事では韓国文化を紹介し、韓国食品を持って行くことも忘れなかった。焼肉とキ <br>ムチはいつもあっという間に品切れになって、公園でカルビバーベキューでもすれば米国人たちはに <br>おいだけでも半分は魂を奪われる。 </p><p>そんな姿を見る度に、私たちの文化がもうちょっと効率的に米国社会に紹介されて根付くためにはひ <br>とりひとりの努力は勿論、政府次元の長期的な投資と接近が必要だという気がする。</p><br><br><br><br><p>▲このごろブロンクスのニューヨーク植物園(NY Botanical Garden)で米国人たちの賛辞の中に開かれて <br>いる‘菊(Kiku)’展は、日本が彼らの文化を紹介するためにどれほど綿密に長期的な戦略を立ててい <br>るのか、よく示している。‘キク’は国花、菊の日本語だ。今回の展示会で満開の様々なスタイルの <br>キクはおよそ5年の間、丹精を込めたものなどだ。 </p><p>「菊はこんなふうにも育てられるのか」と驚く米国人は、菊の美しさだけではなく日本人の魂と情熱 <br>を感じて1500年の歴史を誇るという日本の園芸史を学ぶ。展示場には菊だけでなく各種の盆栽と日本 <br>の紅葉‘楓’が色づき始めたし、おびただしい‘竹切れ(Bamboo Sculpture)’が人々を圧倒する。 </p><br><br><br><p>▲植物園入り口から「Kiku」と漢字「菊」が壁に貼られ日本式の燈が掲げられており、ここは日本の古 <br>宮と言ってもそのまま信じてしまいそうだ。しかし、米国人たちの感動が大きいほど切なさは大き <br>くなる。これまでロサンゼルスの韓人団体が郡内植物園に韓国式庭園を造成する事にして2万6500ドル <br>の基金を渡したと言う。日本と中国の伝統庭園はあるのに、韓国庭園だけないという現実に刺激を受 <br>けた韓人たちが集めた真心だが、伝統樓閣や大型池などを設置するためには1500万ドルがかかるとい <br>い、どれくらいの歳月でそのお金を用意できるか前途は遠く見える。 </p><p>やや苦い感じで植物園を出てくる途中、唯一の「コリア」を見つけることができた。いつどのように <br>植えられたかは分からないが、二本の韓国松(Korea Pine)が植物園の建物の左側の方に凛々しく生え <br>た姿がどんなに嬉しかったか……落落長松の壮観な姿に息苦しかった胸が少しはひろがるようだった。 </p><p>関連サイト：ニューヨーク植物園 <a href="http://www.nybg.org/kiku/">http://www.nybg.org/kiku/</a> <br></p><br><br><br><p><a href="http://www.nybg.org/images/kiku/kiku_image_lg_08.jpg">http://www.nybg.org/images/kiku/kiku_image_lg_08.jpg</a> <br><a href="http://www.nybg.org/images/kiku/kiku_bamboo_01_lg.jpg">http://www.nybg.org/images/kiku/kiku_bamboo_01_lg.jpg</a> </p><p>ソース：naver/ニューシース(韓国語)[特派員コラム]米国の中の日本 <br><a href="http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&amp;mid=etc&amp;oid=003&amp;aid=0000640848">http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&amp;mid=etc&amp;oid=003&amp;aid=0000640848</a> </p><p><br></p>
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<pubDate>Fri, 17 Aug 2012 05:41:34 +0900</pubDate>
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<title>ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える</title>
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<![CDATA[ <p>■朴　鉄柱（韓国　平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所　昭和四十二年十月）■</p><br><br><p>「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、<br>心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対<br>して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」</p><br><p>▲「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたも<br>のではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本は<br>アジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むこ<br>とは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、<br>開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に<br>捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜<br>戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいく<br>ら強調しても強調しすぎることはない。」</p><br><br><p>▲「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米<br>諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、<br>戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。<br>日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”<br>であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できた<br>ではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や<br>護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」 </p><br>
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<pubDate>Sat, 21 Jul 2012 15:07:01 +0900</pubDate>
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<title>英国の「多文化主義」は失敗した</title>
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<![CDATA[ <p>イギリスのキャメロン首相は、国内の若いイスラム教徒が過激思想に走るケースが相次いでいる <br>ことを念頭に、「イギリスでの多文化主義は失敗した」と述べました。 </p><br><p>　「多文化主義国家のドクトリンは、様々な文化がお互いに干渉せず、主流文化からも距離をおいて <br>存在することを推奨してきました。そうした、いわば隔離されたコミュニティが我々の価値観と <br>正反対の行動をとることすら許容してきました」（イギリス　キャメロン首相） </p><br><br><br><p>　これはキャメロン首相が訪問先のドイツで行った講演の中で発言したものです。</p><br><br><p>キャメロン首相は </p><p><br>「イギリスでのこうした多文化主義は失敗した」とした上で、異なる価値観を無批判に受け入れる <br>「受動的な寛容社会」ではなく、民主主義や平等、言論の自由、信教の自由といった自由主義的価値観 <br>を積極的に推進する「真のリベラル社会」を目指すべきだとの考え方を示しました。 </p><br><br><p>　イギリスでは、イスラム過激思想に感化されたイギリス育ちの若いイスラム教徒によるテロや <br>テロ未遂が相次いでいて、大きな問題となっています。 </p><br><br><p>　こうした問題の背景には若いイスラム教徒の一部が、イギリス社会に同化しきれていないことがある <br>との指摘がなされていますが、キャメロン首相の今回の演説は「多文化主義」が同化を妨げてきたとの <br>認識に立ったものです。 </p><br><br><p>▽TBSニュース <br><a href="http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4643357.html">http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4643357.html</a> <br></p>
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<link>https://ameblo.jp/jikoafuri/entry-11303132088.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jul 2012 15:53:55 +0900</pubDate>
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<title>貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである</title>
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<![CDATA[ <p>　駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作</p><p>～ 敵兵４２２人を救助した武士道</p><p>「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」</p><br><p>「旧敵との和解」</p><p><br>　1998（平成１０)年４月、英国では翌月に予定されている天<br>皇の英国訪問への反対運動が起きていた。その中心となってい<br>たのは、かつて日本軍の捕虜となった退役軍人たちで、捕虜と<br>して受けた処遇への恨みが原因であった。</p><p><br>　その最中、元海軍中尉サムエル・フォール卿がタイムズ紙に<br>一文を投稿した。「元日本軍の捕虜として、私は旧敵となぜ和<br>解することに関心を抱いているのか、説明申し上げたい」と前<br>置きして、自身の体験を語った。</p><p><br>　大東亜戦争が始まってまもなくの1942(昭和１７)年２月２７<br>日、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合部隊<br>の海戦が始まった。連合部隊の１５隻中１１隻は撃沈され、４<br>隻は逃走した。３月１日にスラバヤ沖で撃沈された英海軍の巡<br>洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員４百<br>数十名は漂流を続けていたが、翌２日、生存の限界に達した所<br>を日本海軍の駆逐艦「雷（いかづち）」に発見された。</p><p><br>「エンカウンター」の砲術士官だったフォール卿は、「日本人<br>は非情」という先入観を持っていたため、機銃掃射を受けて最<br>期を迎えるものと覚悟した。</p><p><br>　ところが、駆逐艦「雷」は即座に「救助活動中」の国際信号<br>旗を掲げ、漂流者全員４２２名を救助したのである。艦長・工<br>藤俊作中佐は、英国海軍士官全員を前甲板に集め、英語で健闘<br>を称え、「本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストであ<br>る」とスピーチしたのだった。そして兵員も含め、全員に友軍<br>以上の丁重な処遇を施した。</p><p><br>　このフォール卿の投稿によって、以後の日本批判の投書はこ<br>とごとく精彩を欠くことになった。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/jikoafuri/entry-11303126833.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jul 2012 15:44:35 +0900</pubDate>
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<title>米消費者の自動車信頼度、日系が９位まで制覇</title>
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<![CDATA[ <p>米消費者の自動車信頼度、日系が９位まで制覇 <br></p><p>米有力誌のコンシューマー・リポーツ（ＣＲ）が現地時間の25日発表したアニュアル・オート・ <br>サーベイによると、米消費者による自動車の信頼度で１位から９位までを日本車メーカーの <br>ブランドが占めたことが分かった。首位はトヨタ系のサイオン、２位もトヨタ系のレクサス、 <br>３位はホンダ系のアキュラだった。米国メーカーではクライスラー系のジープが最高の13位と <br>低迷。フォードは前年の10位から20位へと急激に順位を落とした。 </p><p>同調査は2002年モデルから2011年モデルの車両を保有する消費者130万人に実施したアンケート <br>調査をもとにＣＲの専門家が順位を判定するもので、評価対象となったのは28ブランド。ＣＲが <br>米コネチカット州に保有するサーキットで行う独自調査の結果と合わせてＣＲ誌の推薦モデルに <br>選ばれるかどうかの基準になる。今回の調査で平均以下とされたモデルはＣＲの独自調査の <br>結果が良好でも推薦対象から外されることになっている。 </p><br><br><br><p>■日本車は96％が平均以上の高評価 </p><br><p>日本車は91モデルのうち87モデル（96％）で平均を上回ったが、米国車は97モデル中の62モデル <br>（64％）、欧州車は58モデル中の37モデル（64％）が平均以上とされた。日本車では、91モデルの <br>うち24モデルが部門別で最高評価を獲得している。韓国車は現代自の「サンタフェ（６気筒 <br>エンジン車）」と起亜自の「ソレント」以外は平均を上回り、日本車に次ぐ水準となっているもようだ。 </p><p>フォードが順位を落とした背景には、「エクスプローラー」や「フィエスタ」、「フォーカス」 <br>といった新型車の評価が悪かったことがある。既存モデルである「フュージョン」などは高い <br>評価を保っているという。 </p><br><p>その一方で、マツダは全モデルが平均以上と判定され、昨年から８ランク上昇。レクサスも前年から <br>７ランク上昇した。ポルシェは前年の２位から27位に転落したが、これは販売台数が少なかったことに <br>加え、新型スポーツタイプ多目的車（ＳＵＶ）「カイエン」の評価が低かったためと説明している。 </p><p>同誌は広告を掲載しないことで知られ、電子版を含む発行部数は公称800万部。新車販売に最も影響する 媒体の一つとされている。モデル別評価などの詳細な調査結果は11月15日に発行される12月号で <br>掲載される。 </p><br><br>
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<pubDate>Sun, 15 Jul 2012 15:41:09 +0900</pubDate>
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<title>日本は、中国や韓国と違ってヨーロッパのよう</title>
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<![CDATA[ <p>【仏国ブログ】日本は、中国や韓国と違ってヨーロッパのよう <br></p><p><br>フランスでは、島国で歴史的にも外交をしていなかった時期がある日本は、<br>アジア圏の中でも独特の文化があると考えられているようだ。 </p><br><p>現在、韓国に滞在中だというフランス人女性のブログ「8ｍｏｎｔｈｓ　12ｈｏｕｒｓ」では<br>韓国から日本を訪れて見た、日本人と日本の印象について記している。 </p><br><p>まず日本を訪れて、日本が大好きになったとつづる。筆者が出会った日本人はにこやかで、<br>礼儀正しく、他人に対する敬意や環境を守る意識が高く、街のいたるところが清潔であり、 <br>日本文化が日本人の美意識に結びついている様子だったと記している。 </p><br><p>筆者は、日本は韓国や中国とは異なり、ヨーロッパのようだったとつづり、 <br>フランス人の筆者に無遠慮な視線が集まらなかったことを筆頭に、スーパーマーケットでも、 <br>日本国外の製品が多くあったと説明している。 </p><br><p>日本は、筆者がこれまでに訪れた国の中では「ノルウェー」に似ていると感じたようだ。<br>例として、 基本的に屋外でも喫煙が禁止、ゴミの分別が徹底されている、交通機関では<br>携帯電話の通話が禁止などさまざまな規則があり、日本人もノルウェー人もそれを守って<br>いるという。</p><br><p>フランス人である筆者にとっても「暮らしやすそう」と感じた日本だが、同時に大阪や京都で<br>見た日本式の建築物の美しさや、穏やかな雰囲気に大変魅力を感じており、日本に対して<br>「恋に落ちたよう」だとつづり、ブログを結んでいる。 </p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/jikoafuri/entry-11303120430.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jul 2012 15:17:17 +0900</pubDate>
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<title>漢字が表す二つの世界</title>
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<![CDATA[ <br><p><br>漢字が表す二つの世界</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　文　中国社会科学院文学院　李兆忠 <br> <br><a href="http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200303/fangtan.htm">http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200303/fangtan.htm</a><br> <br> <br>　 <br>　四角い小さな漢字の中に、二つの異なる世界が存在している。</p><p>　一つはもともと中国で造られた中国製、もう一つは日本で改造された日本製である。<br>この二つの世界は、「あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる」ようなもので、<br>コミュニケーションにはとても便利だ。しかし多くの場合、この両者は、うわべは<br>親しそうに見えて実は心が通わず、似て非なるものなのである。</p><p> </p><p>　日本語の中の多くの語彙は、見た目では中国語とまったく同じだが、実は意味が非常<br>に違う。中国から来たある代表団が日本の工場を見学したとき、工場内に掲げられている<br>「油断一秒、怪我一生」というスローガンを見て、その文字面だけから<br>「これは油が大切だと言っているのだな」と憶測した。<br>中国語では「一秒でも油が切れれば、生涯自分が悪いと思う」という意味になるからである。</p><p> </p><p>　しかし実は日本語では、これは安全生産のスローガンなのだ。「油断」は「不注意」、<br>「怪我」は「傷を負う」という意味だとわかって大笑いになった、という。</p><p> </p><p>　中国人と日本人がつきあうとき、この種の誤解は避けることができない。私の友人に<br>「猪木さん」という人がいるが、彼はよく私に文句を言う。それは、彼の中国の友人た<br>ちがいつも「猪」と「豚」を混同し、日本人はどうして「豚」という姓を好むのかと<br>不思議がるからだ。おかげで彼は、泣くにも泣けず、笑うに笑えない心境に陥るのだという。</p><p> </p><p>　中国語では、「猪」と「豚」の二つの漢字が同じ意味で使われていることを彼は知らない。<br>もっとも、古代漢語では少し違いがあり、「豚」は子ブタを意味していたのだが……。</p><p>　日本語の中で使われる漢字の語彙には、中国人の想像を超えるものがほかにもたくさんある。<br>たとえば、中国語での「無理やり」を意味する「勉強」は、日本語では「学習」の意味で<br>使われる。中国語で「夫」を意味する「丈夫」は、日本語では「頑丈」の意味だ。<br>このように、表面の「毛皮」を傷つけることなく、中身の「肉」をすっかり「すり替え」<br>てしまう日本人の知恵と想像力に、感心せざるを得ない。</p><p> </p><p>　しかし、われわれ中国人は、これに驚く必要はない。率直に言えば、現在の中国で<br>使われている中国語の語彙の多くは、20世紀初めに日本から導入されたものだからだ。<br>たとえば、「金融」「投資」「抽象」など、現代中国語の中の社会科学に関する<br>語彙の60～70％は、日本語から来たものだという統計がある。</p><p> </p><p>　 <br>　漢字文化圏に属する多くの国家や民族を見回して見ると、漢字をこのように創造的に<br>「すり替え」、もう一つの漢字王国を樹立し、かつまた中国語へ「恩返し」しているのは、<br>日本だけだ。</p><p> </p><p>　日本のすごいところは、中国の漢字に対して、受動的にそのまま受け入れるのでもなく、<br>愚かにも高慢にそれを拒否するのでもない、自発的にそれを手に入れ、徹底的にそれを<br>消化した後、自分の必要に応じて大胆な改造を行い、自分の言語にしてしまうところだ。<br>だからこそ漢字は、日本にしっかりと根を下ろし、西洋文化の猛烈な襲来に耐えること<br>ができたのである。</p><p> </p><p> </p><p>　客観的に見れば、この奇跡は、かなりの程度、日本が島国であるという特殊な<br>地理的環境によっている。広大な太平洋が天然の要害となり、異民族の鉄騎兵の侵入<br>を阻止したばかりでなく、文化的に異民族に同化される運命から逃れることができた。<br>大陸とも適当に離れているため、日本は必要に応じて、自分より先進的な中国の文化を摂取し、<br>ゆっくりとそれを咀嚼し、消化して改造することができた。異文化をどう受け入れるか、<br>その主動権は完全に自らの手中にあったのである。</p><p> </p><p> </p><p>　これと同時に、1200百年前、日本は漢字を大規模に導入するとともに、「ひらがな」<br>を発明した。ここで日本は自分の文字言語を持った。<br>「ひらがな」は完全に漢字の草書体に啓発されて造られたものではあるが、大和民族の<br>魂の深いところにある必要性から発したものでもある。</p><p> </p><p>　日本人から見るとおそらく、基本的に一つの漢字に一つの音がちゃんと対応している<br>四角い漢字は、柔らかくて滑らかな日本語の感覚や、長さにこだわらない語彙とは多少隔<br>たりがあり、曲線が美しく、簡潔な「ひらがな」こそが、日本人の発想や言語感覚により<br>合致すると映るのだろう。</p><p> </p><p>　「ひらがな」は日本語の形を完成させた。それを用いて発音を表記することができ、<br>漢字の発音を日本化させた。また、直接、日本固有の語彙を書き表すこともでき、<br>助詞として用いてセンテンスを構造することもできる。まさに一石三鳥とも言うことができる。</p><p> </p><p>　「ひらがな」の創造は、日本語が自分の「形」と「心」を探し当てたことを意味する。<br>これによって漢字は第一線から退き、一つの重要な材料として日本語の構造の中に組み入れられた。<br>この時、漢字の固有の意味は、時間の流れとともにひっくり返されたり、「すり替え」<br>られたりすることが必然的に発生した。全体からいえば、漢字の語彙の意味が厳格で重厚な<br>歴史の含蓄を持っているのに比べ、日本語の漢字の語彙は明らかに軽く、生き生きとしている。<br>使い方もそれほど厳格ではなく、通常、いくつかの異なる漢字を使って一つの日本固有の語彙<br>に表している。それによって人々はさらに、一種の遊びの味を感じるのである。</p><p> </p><p>　漢字に対する違った考え方が、二つの異なる漢字の世界をもたらした。その優劣は、<br>一概に論じられない。しかし、西洋文明が東側に浸透してきた「近代化」の歴史背景の<br>中で見れば、その優劣ははっきりと示されている。<br>当時、激しく湧き起ってきた近代化の流れと西洋の科学文化に直面した中日両国の学者<br>たちは、まったく異なる姿勢と反応を示したのである。</p><p> </p><p>　たとえば、西洋の科学に関する著作を翻訳する際、清朝末期の中国の学者は<br>「中学為体、西学為用」（中国の学問を「体」とし、西洋の学問を「用」とする）<br>という文化的な信念を堅持し、中国の古典を引用して西洋科学の概念を既存の語彙に<br>置き換えようとした。<br>例えば現在の「経済学」を、「計学」あるいは「資生学」と翻訳したり、<br>「社会学」を「群学」と訳したりしたのである。しかし結局は、どうにもならなく<br>なってしまった。</p><p> </p><p>　しかし日本の学者は、実用的で柔軟なやり方で、「文字本位制」の制限を受けずに、<br>意訳の方法によって、数多くの多音節の語彙を作り出し、みごとに西洋の概念を<br>置き換えることに成功した。これによって、日本が西洋に学び、「近代化」の道<br>を歩んでいくうえで、言語の面で道路が舗装されたのだった。</p><p> </p><p>　もし日本が、漢字を借用して西洋の概念を置き換えることをしなかったら、<br>現代の中国語はいったいどのようになっていただろうか。おそらく今よりも寂<br>しいものになっていたのではないだろうか。多分、強い刺激や栄養に欠けて<br>いるため、すばやく「近代化」することが難しくなったに違いない。</p><p> </p><p>　こうした角度から見れば、日本語の中国語への「恩返し」の功績を、<br>われわれは決して忘れてはならないのである。<br> </p><p><a href="http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200303/fangtan.htm">http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200303/fangtan.htm</a><br> </p><br>
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<link>https://ameblo.jp/jikoafuri/entry-11303107765.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jul 2012 15:13:04 +0900</pubDate>
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