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<title>米とうもろこし畑に留学した俺たちは。</title>
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<description>アメリカ、イリノイ州にあるKnox Collegeで勉強しています。トウモロコシと大豆の畑に囲まれたGalesburgという街に僕たちは住んでいます。</description>
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<title>Knoxでの一年を振り返って 3</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">こんにちは、hです。</font></p><p><font size="3">今回は前回予告どおり勉強面について書きます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">僕は日本の大学を本籍とし、一年だけアメリカに留学した者です。なので、4年間アメリカまたはその他海外大学に進学している、したい方とはちょっと考えかたが違うかもしれません。ご了承ください。。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">Knoxは3ターム制です。つまり3回授業を選ぶことができます。（日本は基本2回）　そのため、学べることも幅がきくのではないでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">僕は、日本ではリベアルアーツという、いわゆる教養を学んでいました。特に専攻はもたず社会問題に幅広くアプローチするための知識を身につけることが主題です。つまり何でも学べるのです笑　その中で僕はメディアに興味がありました。（恥ずかしいけど強いて言うならというレベルかな）　なので留学先でもそれ関連の授業をとりたいと思って渡米。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">僕は3タームすべてでメディア関連の授業を取りました。実際に記事を作る、メディアを囲む法律、産業（企業）としてのメディア。メディアといっても記事を書いて読者に届けるだけではなく、それを取り囲む法令、社会構造も考える必要があります。そのイメージを掴むことができたという点で、これらの授業は意義深いものになりました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font><font size="3">（続き）</font></p><p><font size="3">他にもミクロ経済、宗教学、怪我の予防法、東アジアの哲学の授業をとりました。これらの授業も、予習、宿題、テストと、やらなくてはならないことが多かったです。今思うと、それらを乗り越えたことは本当に自信になっています。</font></p><p><font size="3">現実でいやなことがあって、ふと過去を振り返ったときや現実で厳しい状況に立ち向かっているとき、これらの授業を通して得た自信が自分を後押ししてくれると思います。</font></p><p><font size="3">私見ですが、学校の授業で学んだことは仕事内容に直接生かされることはあまりないと思います。（仕事内容によりますが）　ですが、授業を通して得た自信やそこで触れ合った考え方が、いつか役立つことがあると僕は信じています。長い目で、教育は人を創ると思う。だから、残りの学生生活、それを念頭に授業に臨みたいです。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/jknox/entry-11922058531.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Sep 2014 22:18:27 +0900</pubDate>
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<title>ＫＮＯＸでの一年を振り返って　２回目</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">更新が滞ってました。。hです。</font></p><p><font size="3">Knox Collegeは長かった夏休みももうまもなく終わり秋学期が始まります。</font></p><p><font size="3">私は、一年間の交換留学生なのでこれからの秋学期にはいないのですが、</font></p><p><font size="3">日本の大学を卒業して働く前にもう一回行きたいなーと考えています。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">それはさておき、もう少しＫnoxでの一年を振り返っておきたいです。（実はご要望を受けたのが理由の一部です笑）</font></p><p><font size="3">今思うと、冬学期から加入したTrack &amp; Field での練習や、それに所属する人</font></p><p><font size="3">とのかかわりは大きかったです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">そもそも、ほかの学生は皆アメリカ国籍の人で、僕のような留学生は自分だけでした。まあ、英語が普通に使いこなせれば基本的には問題ないのでしょうが、僕はそういう訳にもいかず、入った当初は会話の内容はもちろん練習メニューも何をすればいいのかわかりませんでした。なので、きつい練習の時はあと何キロ走ればいいのか検討もつか恐怖でした笑</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">これは困ったと思いました。勉強も大変なのにかかわらず、クラブましては練習内容より会話の部分で途方にくれるとは。。最後まで何を言っているのかわからない会話も多々ありました。でも、入った当初よりも格段とクラブになじむことができたのは事実です。私が心がけたのは、純粋に楽しむこと。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">英語ができないからといって自分に壁を作らず、むしろそれを利用するくらいの勢い（身振り手振り交えるなど）で、そして同じ人間という意味ではお互い対等だと思い、話せる会話には入るようにしました。（勿論、１００％できたわけもなく、前日はできたのに次の日はできないということもありましたが）</font></p><p><font size="3">結果、全員とではないですが、お互いのことを知り合えた友もできました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">結論、何がいいたいかというと、言葉が母国語並に話せなくても、それを言い訳とせず、相手としっかり向き合って関われば、友情関係を作れるということです。僕は、言語に変なコンプレックスが多少なりともあったので、それをみつめる良い機会になりました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">次は勉強面を書きます。（９月初旬くらいまでにｗ）</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/jknox/entry-11916891014.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2014 13:14:20 +0900</pubDate>
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<title>甘えの構造　入門</title>
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<![CDATA[ 今回は日本人の「甘え」の感情についてです。　<br>　<br>筆者は土居健郎といい、「甘えの構造」を書いた人です。彼は精神科医であり、日本とアメリカの両方で働いたことのある経験から日本人とアメリカ人の患者の違いに興味を持ち始めたことが動機でこの本を書きました。　<br><br>まず、筆者が日本人の患者を分析するとそこには「甘えたい」という根本的な感情があることに気づきました。神経質になる患者はだいたい小さなものに”とらわれ“の感情を抱いています。そして、”とらわれ”の感情は次に”こだわり”の感情へと変わり、患者は人間関係に対してとても神経質になります。これは、患者が「周りから受け入れられていない」「治療師に甘えたい」という感情を抱くからです。　<br><br>もう一つ筆者が観察したことは、患者が治療士に対して”すまない”と言うことでした。患者は自分が甘えたいと思わざるを得ないことに対してフラストレーションを感じており、治療士にその感情を満たすよう強制しなければいけないことをすまないと言っていると分析します。　<br><br>次に、甘えに関連する言葉をいくつか紹介します。　<br><br>まずは「甘い」。常に誰かを頼りにするような人を甘い人間と言います。２つ目に「甘んずる」。偶然おとずれる状況を黙って受けいれることです。３つ目に「取り入る」。目上の人に気に入られて甘えようとすることです。４つ目に「すねる」。誰かに甘えることができないことにすねることです。５つ目に「ひがむ」。他の人が誰かに気に入られていることに対して羨ましい感情を抱き不公平だと思うことです。５つ目に「照れる」。自分の甘えたい感情を出した時に恥ずかしいと思うことです。最後に「ひねくれる」。自分の甘えたい感情を否定するために曲がりくねった行動をすることです。　<br>　<br>これらの言動は欧米人にとって全く面識のないものではありません。しかし、なぜ欧米の言語に「甘え」という言葉がないのかというのが疑問として残ります。　<br><br>イギリスの精神学者Michael Balint は、患者が治療の最終段階になると周りから良い待遇をうけたいと願望することを観察しました。この受け身の受け入れられたい感情はまさに「甘え」の感情と一致するのですが、これが土台となり様々な愛情の形を学んでいく基本となります。この「愛されたい」という感情は、周りから愛されなければ自分で自分を愛さなければいけないというナルシシズムへと変わり自立の精神を育んでいきます。　<br><br>では、この精神患者の分析から、常に甘えの感情を抱いている日本人にはどのようなことが言えるのでしょうか。　　<br><br>筆者はここで、戦後起こった日本人の考え方の大きな転換について触れます。これは、それまで日本人の間にあった奥義の習慣、具体的には、天皇に対する忠義と親に対する孝の義務がなくなったことです。筆者は、国民の甘えたい感情を抑制していた恩義の習慣がなくなることで、ナルシシズムや社会的拘束が増えたという説を唱えます。　<br><br>戦後、解き放たれた甘えの感情は現代若者の間で、「すねる」や「ひがむ」などの感情によって代弁されました。そして、現在も日本人は独立した人間になるための柱となるものを探しているというのです。 <br><br>幼児は生後一歳頃から両親に対して甘えたい感情を見せ始めるといいます。それと同時に甘えたいがそれは常に受け入れられないという恐怖心も持ち始めます。それを様々な関連した感情で表すようになったのが日本人、そしてそれをナルシシズムとして自分を自分で愛するという自立へと持っていったのが欧米人。僕は、筆者の要点を簡単にまとめるとはこういうことになると思います。　<br><br>海外に出て行く日本人もこの傾向が見られると思います。甘えたい感情はあるがそれは海外で受け入れられないため、ある意味において自分を中心にものを考えるようになっていきそれが自立へとつながる。そして、戦前までは恩義の精神によって抑制されていた甘えの感情が、戦後になって上辺の欧米的なナルシシズムが入ってきて、「すねる」や「ひがむ」などの感情へ変わり、人々は自立ではなく孤立のようになっている。　<br><br>もう一つ、面白かった要点は、欧米にも宗教生活においてはこの甘えの感情はあるのではないかという指摘。例えば、カトリック教徒のホーリーマザーに対する感情です。甘えの感情は人類共通の感情であり、それを宗教生活において発散していきたというのです。その中で、日本人は天皇崇拝を宗教として持っていたが、戦後において、それに代わるものが見つからないがために人々は独立することができなくなったという、宗教と国民の自立性を関連する主張です。　<br><br>ナルシシズムと宗教の力によって人々の自立を保持してきた欧米に対して、今アイデンティティが揺らぎ迷走を続ける日本の対比を見てきました。戦後、天皇崇拝がなくなったことがその一番の原因であると筆者は指摘しました。僕が思うのは、日本人の甘えの感情は元々、”Dependency”ではなく、”Interdependency”だったのではないかということです。天皇に国を守っていることに対して忠誠と恩義を見せるというのは、天皇と国民の”Interdependency”の関係であった。しかし、現在は忠誠と恩義を見せる対象となる強いリーダーがいるわけでもなく、解き放たれた甘えの感情は国民の受け身の生き方を促しているような気がします。　<br><br>だからといって欧米のナルシシズムに翻るということではなく、３月１１日の震災の時に見受けられた様な日本人の利他的な行動、”Interdependency”、他のために行動をする中でお互いに利益を生み出し、利益を二倍にするということ、こういったことを見つめ直すことが迷走するアイデンティティを組み立て直す一歩なのではないかと思いました。　<br><br>しかし、この問題を解決するには、もしかしたら日本の宗教観を見つめ直す必要もあるかもしれないし、答えは一つではないようだし、何が一番現実的な解決策なのかを知るには、もっともっと勉強が必要だと思いました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/jknox/entry-11901942567.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Jul 2014 01:09:53 +0900</pubDate>
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<title>J感覚　第二弾</title>
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<![CDATA[ 内と外の概念は日本文化を読み解く上で本質的な要素です。　<br><br>内と外の区別を簡単に定義すると、日本人は内のものに対して親しみや同情の感情をいだき、外のものに対しては隔てる、という日本人の特徴です。日本人ほどものや人に対して感情的な距離を細かく区別する文化は他の国には見られません。　<br><br>この考えは言語的な面と文化的な面どちらでも見受けられます。　<br><br>まず、言語的な面で象徴される内と外の文化です。　<br><br>１つ目は「くれる・あげる」の区別です。これはどちらに対して心理的に近く同情を寄せているかの違いを表します。例えば、花子は太郎にチョコレートをあげた/くれたと言う場合、花子に対して近い感情があれば”あげた”を使い、太郎であれば”くれた”と言います。　<br><br>２つ目は「に・から」の区別です。花子に/からチョコレートをもらったと言う場合、花子に対して近い感情があれば"に"を使い、そうでなければ"から"を使います。 <br><br>３つ目は敬語です。内の人間を外の人間に対して話す時はへりくだった謙譲語を使い、直接外の人間に話す時は相手を上にあげる尊敬語を使います。 <br> <br>最後はこの・その・あの、の区別です。自分が心理的・物理的に近いものを指す時はこれを使い、相手にとって近ければそれを使い、どちらからも遠ければあれを使います。　<br>　<br>次に、文化的な面では、「本音・建前」、「義理・人情」、「甘え」、「恥」、「未練」がそれを象徴しています。　<br>　<br>１つ目は「本音と建前」です。日本人は距離の近い友人や家族の人に対しては本当の感情を言うものですが、社交的な場面においては公共の場での暗黙のルールに従い自分の本当の感情を主張すること避けます。　<br><br>２つ目が「義理と人情」です。例えば、上司に対する日々の感謝の気持ちを祝日にギフトを送ることで示そうと思うのは人情ですが、社交辞令としてギフトを送るのが義理の感情です。　<br><br>３つ目は甘えの感情です。甘えの感情は小さい子がお母さんに対して抱く「甘えたい」という感情ですが、英語においては同じような定義の言葉は存在しません。これは、日本人の母親がアメリカ人の母親と比べて長い時間を共に過ごす、固形食を与える時期が遅く母乳を与える期間が長い、などといったことが要因で強く育ちます。そのため、この甘えの感情は年上の内の人に対して芽生えることが多いです。　<br><br>４つ目は恥の文化です。欧米人はキリスト教に象徴される"罪の文化"持つのに対して、日本人は"恥の文化"を持ちます。これは”世間"という"外"の人間から期待される世間体に沿わない行動をした時に起こる感情です。　<br><br>最後は未練の感情です。これは誰かが過去の出来事や人から離れられない時の感情です。例えば、日本人は誰かを見送る時に、アメリカ人よりも長く見送ります。これは誰かが"外"へ行く時にまた"内"へ戻ってくることを願っての振る舞いです。これは必ずしも未練の感情ではなく礼儀としての振る舞いかもしれませんが、通常、日本の伝統的な家では門があり玄関がありそして生活空間が段階的にあるため"外"から"内"へと客が入ってくる段階があるように、客が去る時もこの段階を遡っているのです。また、日本人は礼を二度相手に対して言うように、"外"（＝過去）を"内"（＝現在）へと引き戻しています。これらが未練の感情の例になります。　<br><br>このように、日本語は微妙な距離感を的確に表現するのに便利な特徴があり、日本の文化にもその微妙な"内と外"の距離感を象徴する特徴が見られます。　これらの"内と外"の関係性は日本の察知の文化に象徴されます。日本人の人付き合いでは、直接的でない人の感情を察知し、それらを上に書いたような微妙な言葉の使い方などで人に示しているのです。そして、これらは日本人の同情的な性格に由来する文化でもあります。　<br><br>一つ一つの特徴を掘り下げて調べるともっと深い文化的な特徴がわかると思いますが、簡単に"内と外"の考え方に由来する言語と文化の特徴をまとめました。これらを勉強してみると、日本人は曖昧だと外国人から言われることがよくあるようですが、そうではないということがよくわかりました。微妙なものの距離感を的確に捉えることができる日本語と、他人との人間関係に非常に繊細である日本人が相手の感情や立場を敏感に察知してコミュニケーションをとるようにしてきたことは、むしろ欧米人よりも的確に物事を捉える事が自然とできる日本人の強みだと思います。なぜ日本人が曖昧だと思われてしまうかというと、日本人のコミュニケーションにはこのように察知を重視した間接的なやり取りが多く、思っていることは言わなければ思っていないと同様とみなす欧米のような直接的なコミュニケーションの中では理解されにくいからなのだと思います。　<br><br>前に、サッカーの本田圭介選手のドキュメンタリーを見た時に、本田選手がオランダについて間もない頃は自己主張をすることに悩みを抱えていたようです。しかし、思ったことを言葉でしっかりと主張するということを心掛けた本田選手はチームのキャプテンを務めるまで成長しました。彼が、キャプテンとして特に評価されていたのは、選手ごとに違った口調で気を使ったコミュニケーションが測れるという所でした。まさに、日本人の察知力を保ちつつ、自分の意見をしっかり言うということを磨いた良い手本だと思いました。　<br>　<br>毎回、日本人の特徴を学ぶに度に、日本人のよさを保ちつつ、アメリカ人の考え方を取り入れていくというのが鬼に金棒なのかと考えます。今回は、内と外の文化に由来する日本人の敏感な察知力についてでした。<br>　　<br>
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<link>https://ameblo.jp/jknox/entry-11897384949.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jul 2014 06:23:27 +0900</pubDate>
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<title>KNOXでの１年</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">こんにちは、本当にお久しぶりです。HGです。</font></p><p><font size="3">ノックスカレッジは約２週間前に長い夏休みに入りました。ということで今回から何回かに分けてノックスカレッジでの１年間を振り返りたいと思います。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">まず今回は、日本での生活と比較して書いていきます。</font><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">私が日本に帰って２週間が経とうしています。この２週間の間、私は、本籍の日本の大学に行く機会が多々ありました。（私は交換留学生としてKnoxに行きましたので本籍の大学は日本です。）　Knoxに９ヶ月ほどいたので、大学は久しぶりで新鮮味がありました。しかし、何かKnoxに懐かしみを覚えたのも事実です。私の大学は、Universityということで学生が本当に多いです。そのため、普通にキャンパスを歩いていても大概は知らない人、人、人で溢れています。学べる環境は整っているのでありがたいのですが、これまでの９ヶ月、いわば一つのコミュニティで生活してきた自分としては物足りなさを感じました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">人と触れ合う大事さ、そしてそこから生まれる温かさ、これを身を持って痛感しました。大半の会話が英語で、何を言っているのかよく分からないときもありましたが、食堂などで毎日のようにご飯を食べ会話を楽しむというのは、今思えばそれだけでもありがたいことです笑</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">これはKnoxの魅力の一つとして確実にいえます。色々な人と関わる機会が沢山あると思います。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ということで、日本でもより多くの人と、そして今まで知ってきた人とも、もっと関わりたいと思いました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">以上、おやすみなさい！</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/jknox/entry-11880969764.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Jun 2014 00:04:29 +0900</pubDate>
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<title>J感覚　第一弾</title>
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<![CDATA[ 雄太です。<br><br>今回は「日本語と日本人のものの考え方の関係」について書いてみたいと思います。 <br><br>Mikiso Hane 著の " The Japanese Language and the Japanese mode of thought" が面白かったので、ここに簡単にまとめたいと思います。（本書は英語で書かれているので日本語としても出版されているかはわかりません。）Mikiso Hane さんは Knox College で1961-1992 の間 Japanese History を教えていた教授です。　<br><br>内容は３つの日本語の特徴に分けて書かれています。　<br>　<br>１つ目の特徴は「日本人の言葉に対する態度」についてです。これは３つの信仰による影響を受けていると説明されています。　<br><br>最初に、道教の影響です。道教の創案者である老子がかつて言った " Those who speak do not speak, those who speak do not know" という有名な言葉があるように、賢い人はペラペラと話さないといった観念が日本人にはあるということが書かれています。これは「能ある鷹は爪を隠す」といったことわざにも象徴されています。　<br>　<br>次に、儒教の影響です。儒教の教えでは、知識は話し言葉ではなく「行動」によって表されるべきだという考えが伝えられています。例えば、儒学者の王陽明が開いた学校で学んでいた青年将校たちが、1932年の犬養毅暗殺で、犬養が話し合いで解決しようと提案したものの、暗殺という「行動」という形で倒幕運動を促進しています。<br><br>最後に、鎌倉時代に武士の間で広まった禅の影響です。禅は後の侍の時代にも象徴されるように “自制” や “規律” を大事にする修行であり、西洋のような抽象的思考や論理的思考ではなく、感覚を研ぎすまし、心を無にした状態での “直感的な決断” を大事にしていました。そのため、新渡戸稲造の「武士道」にも書かれているように、言葉ではなく行動を起こすことを侍の道としました。　　<br><br>２つ目の特徴は、日本の漢字の影響についてです。日本人は中国から漢字を取り入れた後、物事を具体的な視覚イメージによって考えるようになったといわれます。例えば、アメリカを米国と書くのは、アメリカを食べるという意図があり、ロシアを露西亜と書くのはロシアが太陽の国である日本の対照である露の国という意図があり、中国と書くのは半分死んだ国という意図があるようです。このように漢字が象徴する意味は日本人の考え方に固定概念として影響を及ぼしているという考えです。　　<br><br>また、日本語は曖昧なことや部分的なことを述べることによってその奥にある美を伝えようと試みる傾向があるようです。例えば、松尾芭蕉の有名な俳句「古池や　蛙飛び込む　水の音」では、古池の恒久的な状態から蛙が飛び込むことによって水の変化すなわち瞬間的な変化を「美」として訴えています。このように、日本人は全ての事柄を説明するのではなく部分的なことや曖昧なことによってその奥にある美しさを伝えることを好むようです。そのため、俳句などを英語に翻訳した時にはその美しさが伝わりにくいわけです。他にも、谷崎潤一郎も同じような方法でメッセージを伝えているようです。<br><br>３つ目の特徴は、話し言葉の影響についてです。日本語は、人間関係や感情を表現するのに優れている特徴があります。例えば、日本人は主語を使わないことが多々あります。英語では " I am sad." と言う所を日本人は「悲しい」 とだけ言います。日本語では悲しいという感情が個人のみによって感じられたのではなく、あたかも全体的な状況が悲しいということを伝えています。また、相手との関係によってあらゆる言い方を変える敬語も他の言語には見られない特徴です。これらは日本人が繊細な人の感情を大事にするという日本語の特徴です。<br>　<br>これらの主な３つの日本人•日本語の特徴が日本人の考え方へ影響を及ぼしているようですが、日本人が海外へ出ると、日本の文化を知らない外国人にとっては、日本人は意見を持たなく曖昧な人間という印象を受けてしまうようです。　<br><br>　<br><br>僕がアメリカにいて思うことは、アメリカ人の積極的に発言し議論を進める迫力を学んでいこうと思う一方で、日本人が相手の話をよく聞き学ぼうとする姿勢も忘れてはいけないということです。僕が感じるに、昔の日本人には美徳を持った沈黙や謙虚があったのだろうけれども、自分も含め最近は、だんだんとそれがただ目上の人から言われたことを黙って受け入れるといった、自分の考えを持たずに曖昧さを求める様に変わってきているような気がします。　<br><br>僕自身も、アメリカに来てから自分のこのような傾向に気づき、自分の芯を持つというのは本当に難しいと思っています。自分の意見を持つというのは一体どういうことなのか、それは、結局は、本で読んだこと、誰かから聞いたことを話しているだけではないか。自分の意見を持つには、まずは自分自身をよく知ることが一番大事なのかもしれません。小説を読むにしても、物語をただ辿るのではなく主人公に自分と似ている部分はないかと探りながら読む、啓発本では内容を鵜呑みするのではなく自分に訴えるメッセージは何かを考えながら読む。そして、学んだことを実際の「行動」の中で試していく。そういうことを繰り返していく内に本当の意味での自分の意見というものを持ち、自信を持って議論や発言もできるのではないかと思います。　<br><br>日本人が議論を好まない傾向は日本が昔から大事にしてきた文化の影響があり、自分もその影響を受けているということはわかりました。しかし、いろんな人種がいるアメリカで自分を確立していくには、文化的な枠を超えて、もう一人の自分を作っていくことが大切なのかもしれません。<br><br>自分のスタイルを見つけるにはまだ時間が掛かりそうですが、そのために、まずは、夏休みの間は本をしっかり読み、自分の意見を書いてまとめておくような練習をしていきたいと思います。<br><br>それでは、ワールドカップ、日本を応援しましょう。　<br><br>6/16/2014
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<pubDate>Tue, 17 Jun 2014 06:02:12 +0900</pubDate>
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<title>A感覚　第３弾</title>
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<![CDATA[ 試験が続いていたので久しぶりのブログです。　<br><br>今回はハグ欠乏症の僕がアメリカ人のハグ文化について書いてみたいと思います。笑　<br><br>文化によって人との距離感が違うと思いますが、アメリカ人の距離感はとても近いです。言葉では伝わらりきれない感情をハグによって通い合わせるということだろうと思いますが、特に親しくない人同士でもハグをするというのが不思議な所です。僕が考えるに、違った人種が混ざり合ったアメリカの文化下では特に、言葉を超えた交流が大事なんだろうと思います。 <br><br>一方日本では元々同調性のある国民であるため軽い会釈などでわかりあえるのだと思います。僕がカンボジアへ行った時は、皆ありがとうと言う時に手を合わせていました。手の温もりを大事にしてるのかもしれません。松岡正剛著の「１７歳のための世界と日本の見方」を読んだところ、松岡正剛さんはこれを「文化感覚距離」と呼んでいます。ノックの回数やリズム、手招きの意味、そして指での数の数え方、我々は誰から教えられたわけでもなくこういった文化感覚を持っているという考えです。 <br><br>なぜこういう違いが生まれたかを考えるためには「なぜ文化というものが生まれたか」あるいは「人類誕生」まで遡る必要があるようです。生物とはそもそも、原始の生命体が周りの環境からの情報を管理する器官すなわち脳を持ち始めたことが大元のようです。つまり、生物は情報をオーガニックに編集するもの。そして、この情報編集が違う地域や環境による影響を受け「文化の違い」を生み出した、というのが松岡正剛さんの考えです。深いですね。　<br><br>一見すると、ハグと会釈の違いだけのことのように見えますが、目には見えないもっと深いものがありそうです。　<br><br>誰が言ったのか覚えてないのですが、日本の「お辞儀」は侍が頭を下げることによって、自分が頭を切られてもいい状況に身を置くことで、相手に信頼を見せる意味があるようです。　<br><br>文化によって違う人間交流は、その文化の違った信頼感の表し方なのだろうと考えます。そして、信頼感の重要性というのは文化に関係なく人類共通のもののようです。　<br><br>僕は頻繁にハグをするというのは少なくなりましたが、本当に深い関係を築けている人とはハグをします。ハグによる信頼の確認や安心感は非常に大きいと思います。もしかしたら、子供の頃、親に抱かれていた感覚を取り戻しているのかもしれませんね。　<br><br>自分なりのハグ感覚を育むのもいいかもしれないと思います。　<br><br>以上　<br><br>A感覚　第３弾　でした。
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<pubDate>Sat, 17 May 2014 16:00:01 +0900</pubDate>
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<title>A感覚　第２弾</title>
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<![CDATA[ "S" です。<br>　<br>今回は僕が授業の中で、これが難しいな、と思っていることを書かせてもらいます。　<br><br>授業は基本的にはディスカッション形式で進みます。何より、進むスピードが早いので難しいです。なぜ難しいかというと、話の内容は抽象的であり、言葉の概念の細かい説明がないまま進んでしまうからです。ですから、予習で基本的で大事な専門用語の勉強をしてから授業に臨みます。速い話の中で理解するだけでなくて、自分の考えも構成しなければいけないので、それが難しいです。なぜ、アメリカ人がこの速いスピードでディスカッションがでしょうか。。実は、ディスカッションの内容をよく吟味してみると、彼らの中にはコンセプトを使う時に、その概念の緻密な理解をしないまま話を進めていることが多いのです。改めて言う必要のない当たり前のことまで、まるで大発見をしたかのように熱っぽく語るのです。それでも、内容より積極性に圧倒されてしまうのです。日本人の緻密な勉強法とアメリカ人の積極性をバランスよく身につけられることが要のようです。 <br><br>わかりやすくサッカーに例えてみたいと思います。よく日本人プレーヤーがヨーロッパリーグへ移籍してぶつかる壁がフィジカルの差。日本人は基本的に細かいボールタッチなどの技術には優れているけれど、欧米人の積極的で強いタックルの前では簡単に潰されてしまう。そして、日本人はゴール前でもパスで綺麗につないでシュートを撃つことにこだわりすぎて結局、決定力不足と言われてしまう。一方、ヨーロッパの選手はゴールが一番最初に頭の中にあり、パスはあくまでも過程でしかないことをよく知っているから、強引で不意をついたミドルシュートなので試合を決めてしまう。勉強でも、この考え方の特徴の違いが表れ、アメリカ人は日本人の細かい説明を飛ばし、「要は何を言いたいの」という論理に重点を置くのだと思います。<br><br>また、日本人の僕たちは基本的には「相手の話を聞く」ということには長けていると思います。それは日本社会、教育制度の中で学んで来たことです。でも、アメリカ人の良いところは、他の人がなんと言おうが、自分の意見はこれだ、というような「強い自己主張」を持っていることです。これは文化の違いだと思います。この、「聞く耳」を、受け身ではなくて、「積極的な聞く耳」にする。つまり、話を鵜呑みにするのではなく、それを尊重しながら批判的に聞く姿勢を持つ。相手が何か素晴らしいことを言ったら、それを積極的に取り入れて自分の考えを「修正」し、ディベートに参加する。このような真の「批判的思考」の訓練を積めば、鬼に金棒ではないかと考えます。　 　　　<br><br>以上。<br><br>A感覚シリーズ　第２弾　でした。<br>
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<pubDate>Thu, 08 May 2014 10:03:59 +0900</pubDate>
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<title>L感覚</title>
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<![CDATA[ Knox College は1858年に有名なリンカーン•ダグラス奴隷論争が行われた場所であり、キャンパス内にはリンカーンの肖像画や実際に彼が座ったと言われる椅子などが展示されているようなリンカーンゆかりの大学です。　<br>　<br>またリンカーンが大統領になる前にイリノイ州議員をやっていたこともあるということから、キャンパスから２時間程離れた場所にも”Lincoln”という名前の町があり、その先の州都スプリングフィールドには”Lincoln Museum”や”Lincoln Library”があり、地元の小学生が見学に来るスポットがあります。　<br><br>昨日、週末ということで、この大学にいる日本人教授に、アカデミックアドバイザーとして受けもっている他の2人の日本人学生と一緒に、そのスポットまで連れていっていただきました。リンカーン美術館、リンカーン図書館を含め、実際にリンカーンが働いていた法律事務所や、彼の住んでいた家も回りました。　<br><br>僕が、その中で、不思議と印象に残ったのが、リンカーンは何かを読む時は音読をしていた、というエピソードです。確かに、音読をすると集中力が続く、目だけではなくて自分の発する声を聞く耳からも情報を受け取ることができるという効果はあるのかもしれません。でも、なぜ驚いたかというと、大統領にもなるような頭の良いリンカーンですら集中力にかけることがあり、英語がネイティブである人でも、そのようにきちっとしたストラテジーを持って勉学に励んでいるのか、という新しい発見をしました。リンカーンがとても身近な人に思えました。<br><br>自分もLincoln感覚を取り入れて勉強してみようかな。　<br><br>もし、Knox College を訪れる時は、ぜひリンカーンの史跡を見学してみてください。　　<br>　<br>イリノイ州はやっと春が来て桜も咲き始め、長い冬が明けたような感じがします。　 <br>　<br>束の間の休日からのエピソードでした。勉強に戻り、新しい週を迎えます。　<br><br>それでは。　<br><br>雄太　5/4/2014<br>
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<link>https://ameblo.jp/jknox/entry-11841692640.html</link>
<pubDate>Mon, 05 May 2014 07:45:04 +0900</pubDate>
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<title>僕の所属する秘密結社の話　その１</title>
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<![CDATA[ Aです。<br><br>アメリカの大学には、<font size="3"><font color="#009999">FraternityそしてSorority</font></font>と呼ばれる組織が存在します。<br>共にラテン語の「兄弟」を表すFraterと「姉妹」を表すsororが派生して出来た言葉ですが、<br><br>まあ要するに、<font color="#FF0000"><font size="3">異なる考え、文化、宗教、主義思想を持った個々人が同じ目標のもとに集まり、お互いを（人生を通して）高め合っていく</font></font><br><br>ことを目的とした団体のことですね。<br><br>どうも分かりにくそうなので、僕の所属するTau Kappa Epsilon（タウ・カッパ・エプシロン）について書きます。<br>TKEは、全国に存在する支部の数で言えばアメリカで最も大きなフラタニティです。<br>Knox Collegeの Δ Chapter（デルタ支部）はその190何個かあるうちの４番目に設立された、非常に歴史ある支部です。1912年11月22日が設立の年月日なので、もう１００年を超える長きにわたって、続いているということになります。<br><br>TKEには、６つのPrinciple（基本的な目標・原則）があって<br><br>Scholarship　学問に励め<br>Character　清く正しくあれ<br>Leadership　リーダーシップを鍛え、発揮せよ<br>Teamwork　お互いを気遣い助け合え<br>Service　他者を助け、他者の為に働け<br>Brotherhood　兄弟を信じ、何があっても見捨てるな<br><br>　　　<font size="1"><font color="#666666">日本語は僕の個人的な翻訳ですが…</font></font><br>僕らはこの原則に従って行動することを求められます。これを守れないと判断された人間は追い出されることもあります。そもそも入れないかもしれませんが。<br>というのも、入会手続きのような期間があり、その間に様々な試験でこういった素質を試されるからです。<br><br>さて、それぞれのフラタニティには伝統的に引き継がれる秘密の言葉、挨拶の仕方、それぞれの儀式があって、それらは厳守されなければいけません。なので、僕もここでは（というかどこでも）ある程度から先は話すことができませんが、次回はそんな<font color="#CC6699">フラタニティの日常</font>をもう少し詳しく書いてみようと思います。<br><br><font color="#0000FF">待てないよ！とか、お前なに言ってんのか分かんないよ！</font>って人は、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%A8%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3" target="_blank">こちら</a>で確認してみてください。<br><br>ハリーポッターとかに出てきそう、って考えると少し分かりやすいかな？<br>礼儀と伝統と歴史を重んじ、それぞれのキャラがあり（グリフィンドールとスリザリンみたいな）、<br>それぞれのメンバーは一生を通じてお互いを支える構成員である。みたいな。<br><br>次の水曜日に２度目の中間試験があるので、今日はこれくらいで。<br>日曜日の時間の使い方はとても大切です。それでは。
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<link>https://ameblo.jp/jknox/entry-11841548620.html</link>
<pubDate>Sun, 04 May 2014 23:53:45 +0900</pubDate>
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