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<title>G　(ジイ）のブログ</title>
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<description>闇を抜けて　新たな心の旅日記</description>
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<title>ゆっくりゆっくり</title>
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<![CDATA[ 確実に歩み、確実に変化を感じております。<br><br>この数年間にあったこと、<br>～特に派手に何かがあったわけではないのですが、驚きや畏怖の念をもって確信に至った数々の事柄、出会い。読んだ本の内容、それらが自分の想いや体験とリンクしていること～<br>なんかをゆっくり書き記す時間をつくらなければと思ってます。<br><br><br>しかし、<br>いよいよ実質的な変化が起こっている気がしますね。<br>
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-12258311858.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Mar 2017 09:52:56 +0900</pubDate>
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<title>無題</title>
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<![CDATA[ シンクロについては、特に驚くようなことではないという結論です。<br><br>あまりに普通で、日常茶飯事になっており、時としてツールのようにしてしまったり。。<br><br>でもこれは、全ての人にとってそうなはずで。<br><br>ただ、あまりに日々目の前の事柄に意識の殆どが向いてるから気づくきっかけを逃してるんだと思う。<br><br>いくら忙しくても、気付けると思う。<br><br>意識のスイッチを変えることさえ出来れば。<br><br>人生はほぼシンクロで形づくられてる一面もあるといっていいくらいで、<br>それありき。として信頼していると、<br>より、物事が早くスムーズに進み、心地よい高揚感のなかで、天に任せる心構えも気付きの容量も高まるようです。<br><br><br>シンクロがあるということに、驚きはなくなりますが、毎度その時の内容には驚かされることは多いです。<br>
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-12238084142.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Jan 2017 19:40:48 +0900</pubDate>
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<title>知らないうちに。。</title>
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<![CDATA[ 携帯・スマホからはアプリをインストールしないと満足にできないんですか。。<br><br>あまりアプリをインストールしたくないタイプなんですけどもね。σ(^_^;
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-12228561179.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Dec 2016 14:10:24 +0900</pubDate>
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<title>やっと！！！！</title>
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<![CDATA[ パスワードを忘れ、そうなった場合に問い合わせるメールアドレスも忘れてしまって、途方に暮れつつ、またまた放置状態でしたが。。<br><br>正直、再開をあきらめていたのですが、ほんとに微かな手がかりを元にあらゆる手を尽くし、戻ってこれた！！<br>(つд｀)<br><br>もう忘れないようにしました。<br><br>ていうか、一度自分で変更したのを忘れてたという。。。
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-12228558832.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Dec 2016 13:57:02 +0900</pubDate>
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<title>本</title>
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<![CDATA[ <p>その後も、霊的な本を読んでおります。</p><br><p>今は、ラーマクリシュナに関する本にハマっています。</p><br><p>どの本にも出会えた必然を感じます。</p><br><p>世の中には、ただの不思議好きを満足させるか、やたら哲学的解釈に向かうか、はっきりしたゴールもないような内容にとどまる本が多い中で（言い方悪くてすいません。。）、</p><br><p>個人的な感想になりますが、手に取る本は、ありがたいことに、縁が縁をつなぎ、意義深く、深遠な言葉や教えが詰まっている本ばかりです。</p><p>理解の段階に応じて、縁を繋いでくれる霊界の奉仕者への驚きと感謝の気持ちが絶えません。</p><br><br><p>また、本はただ知識を与えてくれるだけなのは、十分承知の上で読んでおります。</p><br><p>霊的生長は（にかかわらずすべての成長は）、経験や体験をもってしなければ、自分の身にならず、ほぼ意味がないことは、僕自身よく理解しています。</p><p>それらは智慧を持った、理解したということにはなりません。</p><br><p>しかし、若年のころより、不思議な体験をして、様々な（善悪さまざまな）霊界とのコンタクトの印があったにもかかわらず、</p><p>自分自身の「無知」からくる「恐怖」のために、ほとんどの場合拒否して、力ずくで退けてきました。</p><p>（マサトさんのブログに出会うまでは）</p><br><p>それが、いかにバカバカしいか、ある意味チャンスを逃してしまったかを（もったいないとも言えます）、知りました。</p><p>僕も現代の多くの人たちと同じく、霊的知識が極端に欠如しているのです。</p><br><br><p>これらの本を読むことは、そんな基本的な霊的無知を正してくれることにもなっています。</p><p>乾いたスポンジが水を勢いよく吸収するように、知識を吸収してる自分を感じます。</p><br><p>ほとんどの場合、合点がいくことばしかりで、「へぇ、そうなんだ！」と鵜呑みにするような感覚ではないことが多く、（また、そう心がけていますし、自分の意識をよく観察・監視しながら読んでいます。）</p><p>聖賢たちの言葉や、体験には、本当に本当に、励まされるのです。</p><p>と同時に、自分の幼さ・未熟さ・弱さも痛感するのですが。。。</p><br><p>しかし、一方で、世の中との隔たりも感じていってる事も否めません。。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-11504536103.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Apr 2013 09:03:39 +0900</pubDate>
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<title>本筋から、ちょっとより道して。。</title>
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<![CDATA[ <p>何がそんなに忙しいのか</p><br><p>これまた自身の整理のため書いてみましょう。(^^ゞ</p><br><br><br><p>僕は普段、建築測量の仕事をしています。</p><br><p>いわゆるガテン系なので、仕事は月～土まで。</p><p>（時には日・祝もですが、僕はあまりしません）</p><br><p>時間はだいたい　出勤は朝５～６時。　帰宅は18時～19時といったところが平均的でしょうか。</p><br><br><p>音楽活動もしています。</p><br><p>そっちは、だいたいは夜の時間帯が多いのですが、大事なリハや本番、他のミュージシャンとの調整によっては、昼の時間帯に活動することもよくあるので、そんな時は、測量の仕事は休みます。</p><br><p>測量仕事は幸い、長く勤めてることもあって、なんとなく融通が効いてる（効かせてもらってる？）ところがあるのです。</p><br><p>あと、職長という立場なので、いろいろと自分で仕事のさじ加減ができることも助かってます。</p><br><p>でも仕事は仕事です、工期を守るためのその日その日のノルマ的なものがあるのと、ミスや精度ということに関して、とても責任のある職種なので、やらかした時のリスクは大きいので、気が抜けません。</p><br><p>他にも、自分の部下が労災になるような怪我をした場合、相当な責任追求をされるので、そういったことにも気を回しておかないといけません。</p><br><br><br><br><p>さて、</p><br><p>音楽のほうはといいますと、</p><br><p>いくつかの仕事（サポート）や、ユニットやバンド（仕事のバンドもあれば、趣味趣向のあった仲間とのバンドと二種類あります）、の他に、ギターの講師業もしているので、</p><br><p>昼の仕事をしながら、それらの下準備や教材作成、もろもろのリハーサル、本番。。。となると、</p><br><p>帰宅後、シャワー浴びてすぐに出かけたり、準備に取り掛かったりしなければなりません。</p><br><p>昼にリハーサルがあるような時は、他の用事（レッスンなど）もなるべくそこに合わせるようにして平日の負担を減らすように心がけてはいますが、なかなか。。(^^ゞ</p><br><p>夜の時間帯の音楽仕事は、遅くても１時には帰宅できます。（現時点での流れでは）</p><br><p>寝ないとダメな体質なので、どんなに遅くても２時には寝ます。</p><br><p>翌日は５時起きだったりします。</p><br><p>なので、平日、一般的に音楽活動に当てられる時間は、平均約３時間。多くても４～５時間程度。</p><br><p>この時間をいかに無駄なく利用するかにかかってるわけです。</p><br><br><p>独身生活なので、これらの合間に、当然、もろもろの家事などがあります。（これが一番大変かも。。）</p><br><br><p>音楽仕事は毎日ではありませんが、下準備等や、自分の練習などを考えると、ほぼ毎日だし、</p><br><p>実際、音楽関係が、夜の時間帯に一週間全部に入るようなときもあります。</p><br><p>そんなときは、七日間、昼夜ずっと活動してることになります。</p><br><br><p>音楽方面では、仕事してる人だからそのレベルだよね。。なんて一番思われたくないので、出来る範囲で努力はしてるつもりです。</p><br><br><br><p>こんな詳細なことを、どの方面の知人・友人にも言ったことはありませんが、</p><br><p>同じように、仕事しながら音楽、その他を趣味でやってるような友人は、すべてを言わなくても大変だという認識をもってくれます。</p><br><p>ほんとうに、よくできるね。。。</p><br><p>と言われたりもしますし、</p><br><p>ここまで書くと、心身共にどれだけ酷使してるの！？呆れるでしょうが、（それが嫌だから言わなかったりしてるのですが・・(^^ゞ　）</p><br><br><br><p>これ、</p><br><p>あるとき、気持ちを切り替えてから、精神的にも、肉体的にもつらくないんです。</p><br><p>人並みにお疲れモードの時はありますが、身体よりも、掃除や、役所的な家の些末事などをできないことのほうが気がかりだったりしますし、つらい感じです。</p><br><br><p>数年前、「辛い辛い」と自分で思ってたときは、ぐったりと疲れを感じていました。</p><br><p>でも今は、ほとんどそれはありません。</p><br><p>知人には会うと、見た感じで、よく「疲れてるね～！｝なんて言われたりもするんですけど。（笑）</p><br><br><p>ぐったり疲れを感じてた頃より、今の方がずっと詰まってるのに、その頃より疲れは感じていません。</p><br><p>心の置き方なんだということがよくわかります。</p><br><p>このことはまたいつかの機会に書きましょうかね。。</p><br><br><br><br><p>こんなんなので、時間がないんです。(；´∀｀)</p><br><p>ただ最近、ブログをお休みするきっかけになった、とある音楽の仕事を離れることになり、その分、少しだけ時間ができたので、こうして書いているのです。</p><br><p>なので、現時点では、↑上記ほどの詰まったスケジュールはないです。(^^ゞ</p><br><p>が、</p><br><p>新しいことがいろいろと持ち上がってきてまして、そんなに時間ができるわけでもなさそうです。</p><br><br><br><p>実は正直なところ、心の旅のことを思うと、自分自身、疑問になることはあるのですが、しばらくはこのまま進みます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-11500663029.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Mar 2013 18:48:43 +0900</pubDate>
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<title>心の旅日記　第二章②</title>
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<![CDATA[ <p>二年ほど前、ここで紹介してもらった、「黎明」という本との出会いは、とても言葉や文字で表せないほどのものです。</p><br><p>一気に目の前が広がった感じというか、喉詰まりがとれたというか、</p><br><p>ワクワクすると同時に視野が明るく拓ける感じを受けました。</p><br><p>内容は真新しいものも多いし、驚くべきものも多くありました。</p><br><br><br><p>その時、僕が心から共感できるものは半分くらいでしょうか。。。（後から思うとです。）</p><br><p>読み飽きることのない文章と内容で、教訓や戒めといった教化してくれるものが多く（決して上から目線ではなく）、ためになるし、目からウロコ落ちまくりだし、一生読み返せる本だと思いました。</p><p>（実際そうしています。）</p><br><br><br><p>このような血湧き肉踊るような新たな価値観に遭遇すると、何かと口外したくなるものですが、</p><br><p>そこだけは細心の注意を払っていました。</p><br><p>自分の中に根付いてもいないのに、聞き知った素晴らしい要素を、さもそれらしく喋ったり、振舞ったりすることだけはないように注意しました。</p><br><p>気持ちの高揚を抑えつつ、月日が経って落ち着いて、何が自分の経験や現段階での価値観と合致して、自分の言葉として喋れるものかを見極められるようになるまで、自分自身を観察していました。</p><br><br><p><br></p><p>それができたら、この本のことをブログに書こうと思ってましたが、公私ともに忙しくなってきたときで、そのような機会は長く巡ってはきませんでしたね。。(~_~;)</p><p><br><br></p><p><br><br><br></p><p>その「黎明」の中では、様々な聖賢たちの言葉が引用されているのですが、</p><br><p>なかでも、言葉（文章）に愛情と温かみを実際に感じたのは、イエスの言葉でした。</p><br><p>毎回、数ある聖賢の引用の中でもそういった愛情と温かみを受けるのは、イエスの言葉が一番多いことに気づきました。</p><br><br><p>そしてそれは「心身の神癒」という本からの引用だったので、</p><br><p>次第にその本に興味がわいてきて、高かったですが（絶版になってるようで、定価より高価になってるのです）買ってみました。</p><br><p><br></p><p>その頃、祈ることへの手応えと、「本当は祈りこそが真実（につながること）なんじゃないだろうか」と感じ始めてた時でした。</p><p>祈ることで、不思議なシンクロや、十分気づきになるような慈悲を示してくれるようなことがあったり、</p><p>辛く暗い時期を乗り越えるきっかけになったのも「祈り」だったことを思い返したりして、</p><p>不思議だなと思いながらも、誰かがはっきり教えてくれるものでもなかったので、どこか確固たるものを持てずにいたことも事実でした。</p><p><br></p><br><br><p><br></p><p>「黎明」での学習（？）のおかげで、「心身の神癒」は驚きと感動をもって読んでいくことができました。</p><br><p>そして、</p><br><br><p>「いまだかつて、熱心な祈りが無視されたことはない。神はあなたたちが求める前にあなたたちの必要とするものを知り給う。」（第二話　３２）</p><br><p>という言葉に、電気が走りました。</p><br><br><br><p>僕は、たくさんの思い当たるところがあるにもかかわらず、ずっと心の片隅に確信を持てずにいた心の弱さを悔やむと同時に、迷いを捨てて信念にする決意をしました。</p><p><br></p><p><br></p><p>以前も書いたかもしれませんが、</p><br><p>「祈り」は現代では、完全な口からでまかせの気休めか、ともすると、お笑いのオチにさえされてしまうような認識ですが、それは、祈る側の心持ちと、真剣な想いの欠如（私利私欲に絡むものも欠如のうちだと思う。）から出てきた認識だと思います。</p><br><p>祈りを正しい心持ちで、熱心にしたら必ず答えてくれるのです。</p><br><p>そのかなえられる形というのは、必ずしも願ったものダイレクトに・・とは限らず、もっと、広い視野で様々なものとの関連を考慮したような形。つまり、自分が思うより全体への繋がりがより完全な形で返ってくるように思います。</p><p>（僕の場合、ダイレクトということはなく、比喩的な、間接的なイメージが浮かび、結果として、それをすることで気づけばそうなってたというもの。）</p><br><p>個々の存在の願いより、全体の関わりを重視するということかもしれませんし、それはわかりません。</p><br><p>神の視点で個人の願いが、全体への関わりに直接関わっているようなときは、個人の願いが叶えられたようにみえる形で返ってくることもあるかもしれません。（個人的な考え）</p><br><br><br><p>祈りは、真理へつながる物質界での数少ない実のある行為の一つだと思います。</p><br><p>また、それは、人々が思ってるより、ずっとずっとパワフルで、人間のもつ最強のツールであるかもしれないのです。</p><br><p>多くの人が気づいてない、気づけないでいるだけだと思います。</p><br><p>その最強ツールを大勢で同じことに向けたらすごいことになるんじゃないかと思います。</p><br><p>地上界は本当に世の末の末みたいな様相ですが、</p><br><p>目覚めることができる、多くの人が目覚めて、みんなの願いの最大公約数を祈ることができたら・・、</p><br><p>今からでも、地上の楽園をもたらすことができるんじゃないかと思います。</p><br><br><br><p>僕自身の心の生長は、世界中の多くの見知らぬ人たちの善意の祈りと、霊界の奉仕者によるものだと完全に思っています。</p><br><p>このことの感謝は何をしてもし尽くせません。</p><br><p>ただ唯一、少しでも感謝のお返しをできるように感じるのは、僕も同じことをすることです。</p><br><p>師もいない、神の面影も（残念ながら）薄い、時代の地上界で、目覚める可能性をもった人をバックアップできるのは、少しでも先に気づいた者の祈りであると思うのです。</p><br><p>そのネットワークをどんどん広げることです。</p><br><p>祈りは真実です。</p><br><br><br><br><p>なんだか、少し、　　話がそれてしまいましたが。。</p><p><br></p><p><br></p><p>「心身の神癒」は驚くべき内容が書かれています。</p><br><p>イエス本人なのですから。</p><br><p>僕が、キリスト教はじめ、様々な宗教を考えたとき、どうしても引っかかる問題、（とりわけキリスト教に強く感じていたこと）を、自ら「私の教えではなくあなたたちが作り上げてしまた観念です」というようなことを戒めておられたことは、本当に胸のすく思いがしました。</p><br><br><p>そして僕には「祈り」への新たな意識というこで、とてもタイムリーに現れた結果にもなっています。</p><br><br><p>また、神のすさまじい意識、ここでの目的などのほんの片鱗（片鱗でありながら大いなるもの）に触れることができ、その後の多様な理解へ繋がっていく下地を作ってくれたことにもなっていたことを、あとあと知ることにもなりました。</p><p><br></p><br><br><p>続く</p>
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-11500190289.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Mar 2013 22:27:59 +0900</pubDate>
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<title>心の旅日記　第二章</title>
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<![CDATA[ <p>驚きました。</p><br><p>二年以上ですか・・？</p><br><p>ここで知り合ったみなさんのことは忘れたことなどありませんよ。</p><br><p>思い出しては、感謝の気持ちと心の中でハグする気持ちはいつも持っていました。</p><p><br><br></p><p>皆さんへの想いを書き綴りたい気持ちも山々ですが、</p><br><p>失礼ながら、それはまたの機会にしまして、</p><br><p>思ってること書かないと忘れそうなので、ブランク明けにもかかわらずいきなり、書いてゆきます。</p><br><br><br><br><p><br></p><p>あれから、突然忙しくなり、ここでの更新は時間はあきましたが、</p><br><p>生活していく中での折々に、書きたいことは山ほどでした。</p><br><br><br><p>やっと今こうして、気持ちを整理して、ブログを書こうとすると、</p><br><p>この二年ほどの時間は、自分の心の変化と生長をさほど実感することもなく、</p><br><p>あっという間の年月のように思っていましたが、実は、大きく変わっているんだということに気づかされ、</p><br><p>今、自分でも驚いているところです。</p><br><p><br></p><br><p>何が変化したのか、細かいことは追って文章にしていくとしまして、</p><br><p>大まかに、僕自身を振り返る気持ちで、心（意識）の変化を紐解いてみますと、</p><br><br><p>一つは、「祈り」に対する一層の確信が生まれ、信念となったこと。</p><br><p>もう一つは、神々と、さらにその創造主である大いなる至上者（正直、なんて表現したらいいのかわかりません・・）を想う心（意識）、なんだと思います。</p><br><br><p>そして、日常の中で襲ってくる疑いや弱心といった、負のベクトルに負けることなく、それらの想いを深めていくことができるか。</p><br><p>ということに今は尽きている感じです。</p><br><br><p>何があって、どのようにして、そんな心境になっていったのか、ということですが・・</p><br><br><br><br><br><p>あぁ、もっとちゃんと心の変化の過程を自分の備忘録の場でもあるここに、文章で残しておくべきでした。。。</p><br><p>仕方ないとはいえ、後悔しています。</p><br><p>もはや、自分の中では過去のもの、古いものとなってしまった意識や認識がうまく掘り起こせません。。</p><br><p>どうやって理路整然と文章にしたらいいのかわからず、少しパニクっています。。</p><br><p>同時に、少なからず変化して、生長していたんだなと、自分で気づくことができています。</p><br><br><br><br><br><br><p>始まりは、もちろん、マサトさんをはじめとする、ここで知り合った皆さんとのコミュニケーションでした。</p><br><p>そして、今回のテーマである、有意義な本たちとの出会いです。</p><br><p>これは、第二の意識革命を力強く、鮮明に引き起こしました。</p><br><p>（第一は１８～２２歳くらいまでの意識も環境も変わった頃。不思議体験もたくさんしてた頃ですね。）</p><p><br></p><p><br></p><p>どのような本に出会ったかといいますと、</p><br><p>まずは、スピ温泉番長さんに紹介してもらった、完璧な指南書、葦原瑞穂著の　「黎明」。</p><br><p>その本がきっかけで、イエス様の生の教えである　「心身の神癒」　という本を手に取り、</p><br><p>五井昌久著の　「世界人類が平和でありますように」　（この本も「黎明」がきっかけになっています）</p><br><p>また、「黎明」をきっかけに、パラマハンサ・ヨガナンダ著の　「あるヨギの自叙伝」</p><br><p>「あるヨギの自叙伝」をきっかけに、スワミ・スリ・ユクテスワ著の　「聖なる科学」</p><br><p>そして、　「バガヴァッド・ギーター」　（古代インドの聖典）にたどり着きました。</p><br><br><p>【一冊一冊、ある程度時間を置いて出会いました。</p><p>内容にまったく無駄がなく、神聖に輝くこれらの本に書かれてることは、驚きと感動の連続でした。</p><br><p>このような珠玉の教えが書かれている本が、市販され、誰でも読めるという事も、無知な僕には驚くべき事実でしたし、市販され誰でも手に入れることができるにもかかわらず、知らない人、興味ない人、感知できない人には、あたかもこの世には存在してないのと同じだということが、こういった種類の本との出会いというのは、不思議な必然性が秘められているのだな。と感じました。】</p><br><br><p>まだ、読んでみたい興味深い本は他にもあるのですが、</p><br><p>この、</p><br><p>「黎明」</p><p>「心身の神癒」</p><p>「世界人類が平和でありますように」</p><p>「あるヨギの自叙伝」</p><p>「聖なる科学」</p><p>「バガヴァッド・ギーター」</p><br><p>という順番で出会い、読み進められたことは、僕にとってものすごく意味があったのではないかと思っていて、</p><p>この順番で読んだことは、僕にとって、霊的な理解をとてもとても深めることに効率よく繋がっていたことが後からよくわかりました。</p><br><p>指導霊の配慮に心から感謝です。</p><br><br><p>たとえば、今思うと、「バガヴァッド・ギーター」は最上の霊的智慧の書であると思っていますが、最初に読んでいたら絶対に深い理解には及ばなかったと断言できます。</p><br><p>内容そのものが理解できなかったであろうことはもちろんのこと、訳された時代の背景や、その時代（訳された時代）までの霊的な理解度、カーストに対する社会通念などが正しい理解への障壁になってたりするからです。</p><p>【カーストとは、至上者（神）自ら設けた、本来霊的なものであって、物質社会における上下関係などでは決してなく、魂の成長過程に則した必然的な位置、その段階での必然的な（生長を促すことになる）義務のことを言っているのであって、物質次元の者達が勝手につけた単なる肩書きによる身分やステータスではないのです】</p><br><p><br></p><p>一にも二にも「黎明」に最初に出会ったことが、最善の第一歩であったことが今ではわかります。（個人の意見です（笑））</p><br><p>スピ温泉番長さんに心より感謝です。</p><br><br><p>次は、これらの本との関わるなかでの、意識の変化や、あったこと、自分自身で常に注意していることなどを書いていきたいと思います。　</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/john0321/entry-11500086475.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Mar 2013 20:14:46 +0900</pubDate>
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<title>あまりの余裕のなさに、放置ですいません。</title>
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<![CDATA[ <p>書きたいことがあるのに、ろくに日記等の更新もできずに日々は過ぎていきます。。。</p><br><br><p>これだけは　告知せねば。。。<br>面白いことは言えません。。。（いつもだけど・・）</p><br><p>コンサートの告知です～。</p><p><br>たまに更新したかと思えば、宣伝かよ。といわれそうですが。。。。</p><br><br><p>VOJA　Festival 2011  「共に生きる」</p><p>７月１６日（土）</p><p>ティアラこうとう　大ホール</p><p><br>開場　16:30<br>開演　17:00</p><p>全席指定　4000円　　<br>（ですが、事前に僕に言ってもらえれば3600円になります☆）</p><p>＜お問い合わせ＞<br>東京労音；03-3204-9933<br>ティアラこうとう；03-5624-3333</p><p>＜チケット　プレイガイド＞<br>チケットぴあ；0570-02-9999  Pｺｰﾄﾞ134-001<br>ローソンチケット；0570-000-777  Lｺｰﾄﾞ77190<br>イープラス；<a href="http://eplus.jp">http://eplus.jp</a>（ﾊﾟｿｺﾝ・携帯）<br>CNプレイガイド；0570-08-9999</p><br><p>ミュージシャン</p><p>斎藤”クジラ”誠　（B）<br>竹腰かずゆき（Pf）<br>井上美緒子（Key）<br>遠藤徳光（Dr）<br>齊藤純示（Gt）←僕です。</p><br><p>ミュージシャン各人の細かい紹介は、またの機会にするつもりですが、こんなすばらしいミュージシャン達と演奏できて、とても光栄だし、楽しいです。</p><p><br>VOJAはゴスペルコーラスグループですが、たいていの人が思い描いてるようなゴスペルとは違うんじゃないかと思います。<br>さまざまな曲調のものがありますし、今回はVOJAが関わってきた日本のシンガー達の曲をメドレーにしたりしますし、毎回、僕自身が思うことですが、やってみたら、予想以上にいいコンサート、楽しめるコンサートになります。<br>ので、興味のある方、ぜひ誘い合わせの上、ご来場ください～(^_^)</p><p><br></p>
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<pubDate>Thu, 14 Jul 2011 19:45:06 +0900</pubDate>
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<title>日本人の心とは。</title>
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<![CDATA[ 日本人は、体格に劣るスポーツや格闘技などの肉体面では、世界の中ではハンデが多く、自己主張が必要な討論の場でもうまく立ち回れない。<br><br>それら物質世界(観念が作り出した世界)では、とても不利で立場も弱く、世界からもそのように、少し蔑んで見られている。。(大衆レベルでは変わってきてますが。)<br><br><br>しかし、精神的覚醒という視点では、日本人は圧倒的に、他の人種より有利で勝る部分を内包している人種だと感じます。<br>そして、それらの日本人が当たり前と思ってきた、精神性や道徳は、他に向けて、直接的にも間接的にも教化できる民族なのだと。。<br>そう、思います。<br><br><br>ところが、日本人は日本人たるそういった部分をどんどん忘れていってるのですね。。<br><br>西洋の考えや物の見方をスタイリッシュで格好いいものとして取り入れていってるのと反比例して。。<br><br><br>これに、なにか意味はあるのだろうか。<br><br><br>政治がうまく機能しないこと(西洋スタイルですね)や、自殺者の相変わらずの増加などのニュースを目にして、感じました。。<br><br><br><br><br>大衆レベルで浸透してること(アニメなどの日本文化)が、形を変えた、教化の現れとも感じられます。<br><br>それは国と性別を越え、とくに若い世代に広まっており、そこには「和」の繋がりが見てとれ、その中に色濃く日本の精神性もあるからです。<br><br><br>僕はいわゆるオタクではありませんし、全然わかってませんが(笑)、以前からオタク文化になにか意味深いものを感じていました。<br><br>オタク文化が日本を救うかもと、ずいぶん前から言ってました。(物質世界レベルでですよ)<br>その頃はそう言っても、誰一人食い付く人はいませんでしたが。(笑)  最近は少し。
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<pubDate>Sun, 12 Jun 2011 09:31:33 +0900</pubDate>
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