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<title>joice358のブログ</title>
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<title>表面だけを見て、人を決めつけないで</title>
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<![CDATA[ <p>何気なく言われたひと言が、いつまでも心に残っていることはありませんか？<br><br>言った人は、きっともう忘れている。<br>もしかしたら、そんなことを言ったことさえ覚えていないかもしれません。<br><br>でも、言われたほうは、ふとした瞬間に何度も思い出してしまう。<br><br>私にも、そんな言葉があります。<br><br>夫のことで、息子から言われたひと言。<br>「父さん、どこにも行けてなくてかわいそう」<br><br>息子は、父親を思って言ったのでしょう。<br>悪気があったわけではないと思います。<br><br>でも、言われたほうの私は責められたように受け取りました。<br><br><br>夫は今、介護施設でお世話になっています。<br>入院していたときは、私の顔を見ると「家に帰りたい。連れて帰ってくれ」と繰り返し訴えていました。<br><br>夫の気持ちを思うと、私だってつらいのです。<br>できることなら、家に連れて帰ってあげたい。<br>好きなことを存分にさせてあげたい。<br><br>でも、現実には、思うようにできないのです。<br><br>夫は、室内で転倒を繰り返していました。<br>私が食事の支度をしているときや、夜、私が寝ている間に外へ出て行き、転んでしまうことが何回もありました。<br><br>そして、頭を強く打って入院することに。<br>思い悩んだ末に、私は夫を施設にお願いすることを決めました。<br>（その経緯は、プロフィールに掲載しているAmazon Kindleの本に書いています）<br><br>私が会いに行けば、今は落ち着いている夫の帰宅願望が再び強くなり、帰れないことで本人も苦しくなる。<br>私も、その願いをかなえてあげられず、つらい思いをすることになります。<br><br>ようやく今の施設で落ち着いてきた夫の平穏を、乱してしまうかもしれない。<br>施設の職員さんたちが夫を大切にお世話してくださっていることも分かっています。<br><br>だからこそ、また対応のお手間をかけてしまうことも考え、今は会いに行かないという選択をしています。<br><br>会いに行かない。<br><br>その行動だけを見れば、冷たいと思われるかもしれません。<br>でも、会いに行かないことと、夫を思っていないことは同じではありません。<br><br>夫のことを考えているからこそ、今は会わない。<br>それも、私なりの思いから選んでいることなのです。<br><br>そんな事情がある中で、息子から言われた「父さん、どこにも行けてなくてかわいそう」という言葉。<br>夫がかわいそうなのは、私だって分かっています。<br><br>だからこそ、これまでの事情も、私の気持ちも、少しは分かってほしかった。<br>「母さんも大変だったんだね」<br>そんなひと言があったら、きっと違っていたのだと思います。<br><br><br>以前、姑さんを介護していた友人からも、似たような話を聞きました。<br>たまに訪ねてくる小姑さんが、汚れた枕カバーを見て、<br>「あら、枕カバーが汚れてるわね」と言ったそうです。<br><br>友人は思ったといいます。<br>気づいたのなら、換えてくれてもいいじゃない？<br><br>毎日介護をしている人には、やることがたくさんあります。<br>どれだけ気を配っていても、すべてに手が回るとは限りません。<br><br>できていないことがあったとしても、何も考えていないわけではない。<br>気づいていないとは限らない。<br>やろうと思っていても、ほかのことに追われてできないことだってあります。<br><br>それなのに、たまに来た人から、目についたことだけを指摘される。<br>言うほうは、ほんのひと言かもしれません。<br>でも、毎日その場で頑張っている人にとっては、心に刺さる言葉になることがあります。<br><br><br><br>これは、介護に限った話ではないと思います。<br><br>家事でも、子育てでも、仕事でも。<br>人にはそれぞれ事情があります。<br><br>表面からは見えない苦労があることでしょう。<br>言葉にしていない（できていない）思いも積もっているのではと思います。<br><br>でも、できていないからといって、思いがないわけではない。<br>行動に表れていないからといって、何も考えていないわけでもない。<br><br>私たちは、つい目に見えるものだけで判断してしまいがちです。<br><br>けれど、その人がどんな思いでそこにいるのか、どんな事情を抱えているのかは、外から見ただけでは分からないことも多いのです。<br><br>もし、何か気づいたことがあったら、口に出す前に、少しだけ想像してみる。<br>もし手を貸せるのなら、言葉で指摘するだけでなく、できることをしてみる。<br>そして、何もできないときでも、頑張っている人の気持ちを思いやることはできるはずです。<br><br>言った人は忘れても、言われた人は覚えている。<br>だからこそ、私も誰かに言葉をかけるときには、表面だけを見て人を判断していないだろうか、と立ち止まってみたいと思います。<br><br>目に見える行動だけでは分からない、その人の思い。<br>言葉にしなくても、行動にできなくても、そこに思いがあることを、忘れずにいたいと思うのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/joice358/entry-12982011529.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Oct 2026 10:58:24 +0900</pubDate>
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<title>物事が思うように進まない日は・・・</title>
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<![CDATA[ <h1 data-pm-slice="1 1 []">物事が滞って、思うように進んでいかない日</h1><p>始めた事が、なかなか思うように進まない。</p><p>一生懸命やっているつもりなのに、目に見える変化がない。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな日が続くと、「このままでいいのかな」「私のやっていることには意味があるのかな」と、不安になることがあります。</p><p><br>けれど、竹の成長について、こんな話を聞いたことがあります。</p><p>竹は、地上に芽を出すまで、土の中で長い時間をかけて根を張るのだそうです。</p><p><br>地面の上から見れば、何も起きていないように見える。</p><p>それでも、土の中では、見えない根が少しずつ広がっている。</p><p>そして、いよいよ芽を出すと、ぐんぐんと勢いよく伸びていく。</p><p><br>もちろん、私たちの人生が、竹のようにある日突然、ピューン！と伸びるとは限りません（笑）</p><p><br>それでも、今、目に見える変化がないからといって、何も育っていないとは限らないのではないでしょうか。</p><p><br>これまでに経験したこと。<br>誰かと交わした言葉。<br>うまくいかずに悩んだ時間。<br>何気なく続けてきた小さな努力。</p><p><br>･･･それらが、知らないうちに自分の中に蓄えられて、いつか何かにつながることもあるのかもしれません。</p><p>今はまだ、その兆しが見えないだけ。</p><p>&nbsp;</p><p>そう考えたら、思うように進まない時間も、少し違って見えてきます。</p><p><br>以前、施設でケアマネジャーをしていた頃、100歳近い女性の入居者様がいらっしゃいました。</p><p>認知症が進んでいて、食事を済ませたばかりでも、職員が「ご飯、食べましたか？」と尋ねると、いつも笑顔で「まだ」とおっしゃるのです。</p><p>そして、穏やかに、こう続けられました。</p><p>「まだまだ、これから」<br>&nbsp;</p><p>その方は、食べさせてくれないと責める様子はありませんでした。</p><p>ただ、いつも品良くゆったりとした笑顔で過ごしていらっしゃいました。</p><p><br>その笑顔とお可愛らしいお声が、今も私の心に残っています。</p><p><br>物事が思うように進まない日。<br>先が見えなくて、不安になる日。</p><p><br>そんなときは、私も小さく呟いてみようと思います。</p><p>「まだまだ、これから✨」</p><p><br>すぐに何かが変わるわけではないと思います。</p><p>それでも、心の中に、ぽっと小さな灯がともるのです。</p><p><br>今はまだ、暗い土の中で根を張っている途中なのかもしれない。</p><p><br>いつか振り返ったときに、「あの頃は、何もかもうまくいかないと思っていたな」と、懐かしく思い出せる日が来るかもしれません。</p><p>だから今日は、焦らずに。</p><p><br>自分の歩みを信じて、もう少しだけ進んでみようと思います。</p><p><br><strong>私の人生、まだまだこれから✨🍀！</strong></p>
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<link>https://ameblo.jp/joice358/entry-12981974521.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 22:58:58 +0900</pubDate>
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<title>日々の暮らしから拾ってきたこと①</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは。本日はブログ2回目になります。<br><br>今後は、「日々の暮らしから拾ってきたこと」として書いていこうと思います。<br><br>私は今、介護の現場でもパート勤務をしていますが、今日はちょっと趣向を変えて、もうひとつの仕事、保育園でのお話をしたいと思います。<br><br><br>今日は、その中で私が感じた「子どもたちと大人との信頼関係」について書いてみようと思います。<br><br>春から、保育士資格を生かして、週に2回、保育園でパート勤務をしています。<br><br>子どもたちの姿から、日々いろいろな発見や学びをもらっています。<br><br>私の担当は、お昼寝のあとから夕方までの保育補助。<br>掃除などをしながら子ども達と関わっています。<br><br>0歳児から5歳児まで、どのクラスに配属されているかは、出勤してみないと分かりません。<br><br>0歳児クラスでは、まだ這い這いをしている子もいれば、しっかり歩いている子もいます。<br><br>絶賛人見知り中で、目が合っただけで泣かれてしまう子もいれば、誰に抱っこされてもニコニコしている子も。<br><br>少し間を空けて同じクラスに入ったら、以前は這い這いをしていた子が、もう直立不動でしっかり歩いていたこともありました。<br><br>1歳児クラスになると、今度は言葉の発達もさまざまです。<br><br>二語文、三語文でお話しできる子もいれば、まだ何を言っているのか分からない子もいます。<br><br>そんな私にも、なんとか聞き取れる言葉があります。<br><br>それは「アンパンマン」！（笑）<br><br>たった1歳違うだけでも、できることも、身体の大きさも違う。<br>毎回、何かしら楽しい発見があります♬<br><br>でも、そんな子どもたちに共通していることがあります。<br><br>それは、大人たちへの揺るぎない信頼です。<br><br>入職したばかりの私の膝に、どのクラスに行っても座ってくる子がいることに、新鮮な驚きと感動を覚えました。<br><br>どさっと座る子もいれば、おずおずと近づいてくる子もいます。<br><br>ほかの子を押しのけて座る子。少し離れたところで様子をうかがい、膝が空くのを待っている子。<br><br>大きいクラスになると、「ぼくはもう○組さんだから」というプライドと、甘えたい気持ちの間で揺れているように見える子もいます。<br><br>そんな姿を見ながら、思うのです。<br><br>この子たちは、おうちでご家族に可愛がられていて、保育園でも「この大人たちなら大丈夫」と感じているからこそ、こんなふうに自分から甘えることができるのではないか、と。<br><br>もちろん、子どもたちの思いがいつも穏やかに表現されるわけではありません。<br><br>おもちゃの取り合いなどで、ケンカが始まることもあります。<br><br>そんなとき、子どもたちは真剣です。<br><br>大きな声を出し、顔を紅潮させて、知っている言葉を総動員して、自分の思いを必死に伝えようとします。<br><br>うまく伝えられず、言葉より手が先に出てしまう子もいます。<br><br>大人になると、場の空気を読み、遠慮して言いたいことをぐっと飲み込んでしまうことがありますよね・・・。<br>でも、子どもたちには、そんな遠慮はありません。<br><br>ここは、自分の思いを出してもいい場所。<br>そう感じられている安心感があるからこそ、大きな声で怒ったり、泣いたり、甘えたりできるのかもしれません。<br><br>もちろん、集団生活の中では、自分の思いがいつも通るわけではありません。<br><br>「ママに会いたい」<br>「おうちに帰りたい」<br>そう言って泣く子もいます。<br><br>でも、だからといって「じゃあ、ママに迎えに来てもらおうね」とは言えません。<br><br>「大丈夫よ。ママは夕方になったらお迎えに来てくれるからね」<br>そう声をかけ、背中をなでながら、気持ちが落ち着くのを待ちます。<br><br>そして、夕方。<br>パパやママがお迎えに来ると、子どもたちは顔を輝かせ、一目散に親御さんの腕の中に飛び込んでいきます。<br><br>その笑顔を見るたびに、今日も無事に親御さんのもとへ手渡すことができてよかったと感じます。<br><br>子どもたちが安心して過ごせるように見守り、泣いたり、怒ったり、甘えたりする気持ちを受け止める。<br>そして、一日の終わりには、いちばん大好きな人のもとへ送り届ける。<br><br>そんな日々の中に、保育の醍醐味があるのだと思います。<br><br>子どもたちの小さな身体から、私は今日も、たくさんのエネルギーをいただき、大人を信頼しきっている彼らから信頼されるってこんなにも温かいことなんだなと実感しています。「</p>
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<link>https://ameblo.jp/joice358/entry-12981382770.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Oct 2026 17:37:48 +0900</pubDate>
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<title>はじめまして♬</title>
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<![CDATA[ <h2 data-pm-slice="1 1 []"><span style="font-size:0.7em;">はじめまして<br>今日からブログを始めることにしました。</span></h2><p>日々の暮らしの中で感じたこと、掬いあげたことをおしゃべりしていきたいと思います。<br>どうぞよろしくお願いいたします。</p><h3>今日、思い出した言葉</h3><p>「今日も、昨日と同じように終わって、明日も今日と同じように始まる。<br>平凡でささやかだけど、今の私にはそれで充分幸せなの」<br>&nbsp;</p><p>私が新人ケアマネージャーだった頃、担当させていただいた女性の利用者様がおっしゃった言葉です。</p><p>そうおっしゃると、その方は静かに微笑み、遠くを眺めるような目をされました。</p><p><br>在職時は人を導くお仕事をされていて、退職後、脳のご病気で半身不随となり、車椅子で生活されていました。<br>けれど、ご自分のお身体を嘆くこともなく、いつも穏やかなお方でした。</p><p><br>ある日、ご利用中の通所サービスについてご希望を伺うと、</p><p>「よくしてもらってるわ。ただ･･･」とそこで言葉を切られ、<br>「お風呂にもう少しゆっくり浸かっていたいかな」そうおっしゃいました。<br>「お風呂の係の人が、『長い時間入ってたら疲れますよ』って言うから早めに上がってるんだけどね」と苦笑されました。</p><p><br>好きなお風呂に、もう少しゆっくり浸かりたい。<br>ただそれだけのことがその方には「幸せ」だった。<br>&nbsp;</p><p>あれから20年近くが経ち、私も少しずつ、あの方のお年に近づいてきました。</p><p>あの頃は、あの言葉の意味を本当には分かっていなかったのかもしれません。<br>&nbsp;</p><p>けれど今は、いつものように一日が始まり、いつものように終わることが、なんだかありがたく思えます。</p><p>ふとした瞬間に思い出す、あの方の穏やかな微笑み。</p><p><br>最近になって、あの方の言葉の持つ深さが少し分かるようになってきた気がします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/joice358/entry-12981353661.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Oct 2026 11:48:43 +0900</pubDate>
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