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<title>じゅんの仏教ブログ</title>
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<description>仏教（上座部仏教・初期仏教）についての書き込みをするブログです</description>
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<title>023　「慈悲の瞑想」と「四無量心」　３　回向〔えこう〕</title>
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<![CDATA[ 　今回は、<strong><font size="3">「回向」</font>〔エコウ〕<font color="#FF0000">（アヌモーダナ）</font></strong>についてご紹介致します。<br><br>　<strong>回向</strong>とは、自分の持っている功徳〔クドク〕を、他の生命に向けて与えてあげることをいいます。<br>　<u><strong>功徳</strong>とは、体・言葉・心の行いで善いことを行った時に蓄えられる、貯金のようなもの</u>と考えてください。前項でご紹介した慈悲の瞑想なども、非常に功徳の高い行いとされています。慈悲の瞑想などの後に、この回向を行うのが習慣です。<br><br>　<strong>慈悲の瞑想</strong>は、自らの慈悲喜捨の心を育てる”修行”であり、<strong>自分のため</strong>の行いです。しかし、<strong>回向</strong>は、<strong>他者のため</strong>に行う”供養”〔クヨウ〕なのです。<br>　慈悲の瞑想は、死者にはしないようにということでしたが、回向は、生きてる生命でも、亡くなった人にでも、誰にでも無限に行います。神々にも回向します。<br>　仏教では、すべての生命は平等だと説いていて、<u>回向の対象も、「すべての生命」</u>です。動物も、魚も、鳥も、虫も、微生物も、幽霊も、悪霊も、神々も、善人も悪人も、嫌いな人でも、すべての生命に回向を行います。<br><br>　やり方は、簡単です。セリフを決めておくとやりやすいですが、要領は、「私の持っている功徳を○○さんに回向します。差し向けます。」という気持ちになることです。個人に行ってもいいし、「すべての生命に」と行ってもいいですし、善いことを行ったら、その度に回向をして他者にも幸せになってもらおう、というのが仏教の考え方です。善行為の結果も、独り占めせず、他と分かち合うのです。<br>　ですので、慈悲の瞑想を行った後、「この慈悲の瞑想によって得られた功徳を、○○さんに回向します。」などと念じます。<br>　それにより、「私は善行為を行ったんだ。偉いことをした」というエゴも消えるということです。<br><br>　回向の言葉として念じる一例を以下にご紹介します。<br><br>「無限の過去から、体と言葉と心の行いによって得ることができました善なる功徳を、神々・先祖・祖父母・両親・親族・恩師・恩人・友人・知人をはじめとして、すべての生きとし生けるものに、回向いたします。この功徳によって、すべての生命が平安で安楽に幸福に暮らせますように。そして、解脱〔ゲダツ〕が得られますように。」<br><br>　上記は一例です。ご自分の好きなように、気持ちが込められやすいように変えて行っても大丈夫です。<br><br>　今回は、「回向」〔エコウ〕についてご紹介しました。<br><br>　ありがとうございます。<br><br>　<br><strong>追伸</strong>：余談ですが、先日、ネット上で知り合った方（以下Ｍさん）が、霊感が鋭いということで、急に霊の影響で具合が悪くなったと言いました。そこで、私は、Ｍさんに言わずに、心のなかで、Ｍさんと、Ｍさんに作用をしている霊に回向を行いました。するとＭさんは、「急に楽になった」と言いました。<br>　仏教では、幽霊などの存在を「餓鬼」〔ガキ〕と呼びます。不安定な生まれなので、回向などで功徳を得ると、すぐに他の生命に生まれ変わると、以前に聞いていました。<br>　本当に回向の作用で霊が成仏したのかはわかりませんが、このようなことがありました。<br><br>　
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11916823916.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2014 10:33:45 +0900</pubDate>
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<title>022　「慈悲の瞑想」と「四無量心」　２　慈悲の瞑想</title>
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<![CDATA[ 　今回からは、<b>慈悲の瞑想<span style="color: rgb(255, 0, 0);">（メッタバーワナー）</span></b>の具体的方法をご紹介していきたいと思います。<br><br>　言葉を使い、<b>四無量心〔シムリョウシン〕</b>を育てていきます。具体的には、次の言葉を、念じます。<br>　<br><div style="text-align: center;"><span style="line-height: 1.5;">私は幸せでありますように</span></div><div style="text-align: center;">私の悩み苦しみがなくなりますように</div><div style="text-align: center;">私の願い事が叶えられますように</div><div style="text-align: center;">私に悟りの光が現れますように<br><u>私は幸せでありますように（３回）</u><br><br></div><div style="text-align: center;"><span style="line-height: 1.5;">私の親しい人々が幸せでありますように</span><br></div><div style="text-align: center;">私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように</div><div style="text-align: center;">私の親しい人々の願い事が叶えられますように</div><div style="text-align: center;">私の親しい人々に悟りの光が現れますように<br></div><div style="text-align: center;"><u>私の親しい人々が幸せでありますように（３回）</u><br><br></div><div style="text-align: center;">生きとし生けるものが幸せでありますように</div><div style="text-align: center;">生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように</div><div style="text-align: center;">生きとし生けるものの願い事が叶えられますように</div><div style="text-align: center;">生きとし生けるものに悟りの光が現れますように</div><div style="text-align: center;"><u>生きとし生けるものが幸せでありますように（３回）</u><br><br></div><div style="text-align: center;">私の嫌いな人々も幸せでありますように</div><div style="text-align: center;">私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように</div><div style="text-align: center;">私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように</div><div style="text-align: center;">私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように</div><div style="text-align: center;"><br></div><div style="text-align: center;">私を嫌っている人々も幸せでありますように</div><div style="text-align: center;">私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように</div><div style="text-align: center;">私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように</div><div style="text-align: center;">私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように</div><div style="text-align: center;"><br></div><div style="text-align: center;">生きとし生けるものが幸せでありますように<span style="line-height: 1.5;">（３回）</span><br><br><div style="text-align: left;"><span tag="span"></span>　上記の通り、順に念じます。<br><br>　声を出して行っても、無言で行っても大丈夫です。<br><br>　そして、できれば、下線部３回を唱えた後に、下線部の言葉を、声を出さずに数分念じます。<br><br>　大事なことは、真剣に、真面目に、正直に念じることです。<br><br>　そして、注意点は、”亡くなった人に対しては慈悲の瞑想はしない”ということです。なぜかといえば、やるほどに悲しみの気持ちが出てきて、マイナスの影響が出てしまうからです。<br>　亡くなった方に対しての供養には、「回向〔エコウ〕」（他者に功徳を差し向ける）という方法があるので、それは後日ご紹介いたします。<br><br>　「私の嫌いな人々～～～」と「私を嫌っている人々～～～」の２つは、気分が悪くなったらやらないようにしてください。怒りの気持ちがふくらんでしまって、逆効果です。逆に、ここが気分良くできるようになったら、慈悲の気持ちが育ってきたと確認することができます。<br><br>　そして、床か椅子にすわります。正座よりも、楽な姿勢で座るようにします。結果趺坐〔ケッカフザ〕か、できないならアグラでもOKです。いずれにしても、背筋をまっすぐ伸ばし、顎を少し引いて、楽な姿勢で行います。無理に背中を伸ばして苦しみながらやるようなことは避けます。<br>　手は、座禅などをなさる方は、そのようにくまれてもいいですし、ヒザやモモの上においたり、楽にします。<br><br>　このようにできないときは、電車の中、トイレの中、布団の中などで念じても大丈夫です。<br><br>　やればやるほど、心が清まり、四無量心が育って、自分も他者も幸福になると説かれています。<br><br>　以上、簡単にですが、「慈悲の瞑想」のやり方でした。<br><br>　ありがとうございました。<br></div><span tag="span"></span><span tag="span"></span><span tag="span"></span><span tag="span"></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11906120607.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Aug 2014 09:49:53 +0900</pubDate>
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<title>021　「慈悲の瞑想」と「四無量心」　１　概説</title>
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<![CDATA[ 　<strong></strong>　今回からは、<strong><font size="3">「慈悲の瞑想」</font></strong>と<strong><font size="3">「四無量心」</font></strong>について、書いていきたいと思います。<br><br>　<strong><font size="3">「四無量心〔シムリョウシン〕」</font><font color="#FF0000">（チャトゥ・アッパマンニャー・チッタ）</font></strong>とは、仏教で説く、<strong>”愛”</strong>、<strong>”優しさ”</strong>のことです。優しい心を４つに分けて説明していて、それらをまとめて四無量心と呼んでいます。<br>　<strong><font size="3">慈〔ジ〕</font><font color="#FF0000">（メッター）</font>、<font size="3">悲〔ヒ〕</font><font color="#FF0000">（カルナー）</font>、<font size="3">喜〔キ〕</font><font color="#FF0000">（ムディター）</font>、<font size="3">捨〔シャ〕</font><font color="#FF0000">（ウペッカー）</font></strong>の４つです。それぞれについての説明は、後述します。<br><br><br>　<strong><font size="3">「慈悲の瞑想〔ジヒノメイソウ〕」</font><font color="#FF0000">（メッタ・バーワナー）</font></strong>とは、四無量心を育てるための、心のトレーニング方法、瞑想〔メイソウ〕のことです。<br><br>　<strong>慈悲の瞑想</strong>は、以前に八正道のところで紹介した<u><strong>サマタ瞑想</strong>の一つ</u>でもあります。<br>　<strong>サマタ瞑想</strong>とは、精神を統一させるための瞑想です。<strong>サマーディ</strong>（禅定）という精神統一状態をつくるための実践です。<br>　この実践をすると、いろいろな雑念から離れ、集中力がつき、心が鎮まり、高度な観察力を得て智慧を発揮し、真理を見極めて悟り、涅槃〔ネハン〕・解脱〔ゲダツ〕に至る、というとても重要なものです。<br>　<br><br>　<strong>慈悲喜捨〔ジヒキシャ〕</strong>を１つずつ、ごく簡単に説明しましょう。<br><strong><font size="3">「慈」</font><font color="#FF0000">（メッター）</font>：</strong>友情のような優しさ、と説かれています。友人に対して抱くような、「幸福であれ」という気持ちです。<br><br><font size="3"><strong>「悲」</strong></font><strong><font color="#FF0000">（カルナー）</font></strong>：苦しみを取り除こうという優しさ。苦しんでいる他者の苦しみがなくなることを願う気持ちです。<br><br><font size="3"><strong>「喜」</strong></font><strong><font color="#FF0000">（ムディター）</font></strong>：他者の幸福を共に喜ぶ優しさ。人が何か成功したり上手くいったりした時、嫉妬するのでなく、自分のことのように喜ぶ気持ちです。<br><br><font size="3"><strong>「捨」</strong></font><strong><font color="#FF0000">（ウペッカー）</font></strong>：冷静な心に基づく平等な心の優しさ。平等に冷静に、客観的に状況をよく理解して、全員に対して公平に平等に抱く優しい気持ちです。他者同士が争っていたら、どちらの見方もすることなく、冷静に優しく見守る気持ちです。<br>　<br>　次回は、慈悲の瞑想の具体的な方法をご紹介したいと思います。<br><br>　ありがとうございました。<br>　
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11905745637.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Aug 2014 18:32:34 +0900</pubDate>
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<title>020　「無我」について　まとめ　２（完）</title>
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<![CDATA[ 　今回も、無我〔ムガ〕や無常〔ムジョウ〕について考えていきます。<br><br>　（今回は少し長くなりますが、あまりよくわからなくても読みすすめていただきたいです。）<br><br>　また、具体的な例を出します。<br>　物理の話を通して、<strong>無我</strong>と<strong>無常</strong>について理解を深めたいと思います。<br><br>　すべての物や現象は<strong>無我</strong>で<strong>無常</strong>ということです。<br>　物理学で発見されているように、すべての物質は、原子〔ゲンシ〕から成っていて、その中にも、電子〔デンシ〕や核、核の中には陽子・中性子などがあります。これらの構成要素は、常に動いているということは、物理学で説明されている通りです。<br>　つまり、どんな物質も、物理学でみると、常に動いて変化していて、止まっているということは一時もないのです。仏教の<strong>無常</strong>も、これと同じです。<br><br>　そして、すべてが常に変化しているならば、そこに、何か常にかわらない実体や本体などはないということになります。どんな物質も、ばらしてみれば、すべて原子からなっているので、鉄なら鉄の実体というものがあるかというと、ないですし、水なら水の実体があるかというと、ばらしたら、水素原子と酸素原子からできていて、それらはまた原子や陽子などから成っているということになり、「水を水たらしめている実体」などはない、ということになりますね。つまり、<strong>無我</strong>ということになります。<br>　<br>　ここでは、物質だけの話になってしまいましたが、人間の精神・心といった現象、つまり、私たちの意識や感覚、つまり心も、すべて<strong>無我</strong>で<strong>無常</strong>であると、仏教では説いています。<br>　<br>　例えば、感覚です。感覚は<strong><font size="3">眼・耳・鼻・舌・身・意</font>〔ゲン・ニ・ビ・ゼツ・シン・イ〕</strong>の６つと説かれており、順に、目の感覚（色と形を感じる）、耳の感覚（音を感じる）、鼻の感覚（香りを感じる）、舌の感覚（味を感じる）、身体の感覚（触感と温度を感じる）、思考や気持ちなどの感覚（精神・心に触れるものを感じる）、ということになります。一般の科学では<strong>五官〔ゴカン〕</strong>といわれ、前記の最後の”意”が抜けていますが、仏教では、６つ上げています。この６つを、<strong><font size="3">「六処〔ロクショ〕」</font><font color="#FF0000">（サラーヤタナ）</font></strong>といいます。<br><br>　この六処にふれる刺激と感じる感覚も、常に同じではありません。ずっと同じ物が見えているわけではありませんし、ずっと同じ概念が頭にあるわけでもありません。常に移り変わっていますので、これらも<strong>無常</strong>ということになります。<br>　そして、<strong>無常</strong>であるのですから、実体はなく、<strong>無我</strong>ということにもなります。<br>　そうすると、絶対的な、とらえどころのあるものはなく、不完全な不満足なものであるので<strong>「苦〔ク〕」<font color="#FF0000">（ドゥッカ）</font></strong>であり、また、「あるわけでも、ないわけでもない」という<strong>「空〔クウ〕」<font color="#FF0000">（スンニャ）</font></strong>ということにもなります。<br><br>　仏教では、万象を、心と物質の２つに分け、<strong><font size="3">「名色〔ミョウシキ〕」</font><font color="#FF0000">（ナーマ・ルーパ）</font></strong>といいますが、<u>この両方ともが、<strong>無常・苦・無我・空</strong>ということ</u>になります。<br><br>　このように、<u>すべての<strong>心的な現象（名：<font color="#FF0000">ナーマ</font>）</strong>も<strong>物質的現象（色：<font color="#FF0000">ルーパ</font>）</strong>も、無常・苦・無我・空と理解したり、瞑想で体験すると、それが悟りということになり、<strong>涅槃〔ネハン〕<font color="#FF0000">（ニッバーナ）</font></strong>に至ります</u>。<br><br>　<u><strong>心的な現象（名：<font color="#FF0000">ナーマ</font>）</strong>も<strong>物質的現象（色：<font color="#FF0000">ルーパ</font>）</strong>も<strong>無我</strong>ならば、<strong>”自分”</strong>、<strong>”自己”</strong>、<strong>”自我〔ジガ〕”</strong>などという<strong>「自分がいる」</strong>という意識や気持ちは錯覚であり、実は、<strong>「自分はいない」</strong><strong>「自分とは現象の連続で固定的な自分や魂のようなものがあるわけではない」</strong>とわかります。これを理解・体験すると、悟りということになります</u>。<br><br>　以上、無我という視点から、仏教の根本的な思想について確認しました。このシリーズは今回で完了と致します。<br><br>　ありがとうございました。
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11905657210.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Aug 2014 12:49:51 +0900</pubDate>
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<title>019　「無我」について　まとめ　１</title>
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<![CDATA[ 　前回まで、無我・無常について考えてきました。今日は、総括したいと思います。<br><br>　<u><strong><font size="3">無我</font>〔ムガ〕</strong>：すべての現象には実体がないこと。</u><br><br>　<u><strong><font size="3">無常</font>〔ムジョウ〕</strong>：すべての現象は、一時も止まらず、変化し続けていること。</u><br><br>　<u><strong><font size="3">空</font>〔クウ〕</strong>：すべての現象は、実体はないが、完全な無でもないということ。</u><br><br>　簡単にいうと、こういうことになります。<br><br>　そして、以前に出てきた用語で、<strong>苦〔ク〕<font color="#FF0000">（ドゥッカ）</font></strong>というものがありました。<br><br>　<u><strong><font size="3">苦</font>〔ク〕</strong>：すべての現象は、不安定で不完全で苦しみであるということ。</u><br><br><br>　これらは、実は、この世界、すべての現象の有り様を説明した言葉であり、同じことを表しています。<br><br><br>　一つの例をだします。<strong><font size="3">音</font></strong>についてです。<br><br>　音は、空気の振動を鼓膜〔コマク〕が感知して、それを「音」として認識していますね。<br><br>　では、音に<strong>実体</strong>があるかどうかと問うとしたら、もちろんありません。<strong>無常</strong>であるから時間の経過を伴って、空気の振動が成り立っています。<u>音は<strong>無常</strong>だからこそある</u>のです。<br><br>　そして<u><strong>無常</strong>ということは、そこに実体は存在できない</u>のです。つまり<strong>無我</strong>ということになります。<br>　時間の経過を伴っても変化しないものでなければ実体ではありません。なぜならば、時間が経ったら変わってしまうものならば、そのもの自体が変化してしまうことになります。<br>　つまり、音に実体があったとすると、その実体は変化しないはずなので、時間の経過に伴って起こる空気の振動という現象が成り立ち得なくなります。そうすると、音ではなくなってしまう、音という現象は成り立ち得ないということになります。<br><br><br>　つまり、<u><strong>無常</strong>であるから、すべてが変化していて、実体は成り立ち得ないから、<strong>無我</strong>であり、<strong>無我</strong>であるから、すべては不安定であり、かつ、<strong>無常</strong>で変化し続けているから不完全で、すなわち、<strong>苦</strong>である</u>、ということになります。<br><br><br>　難しくなってきています。<br>　続けて次回にもう少し説明を加えたいと思います。<br><br>　ありがとうございました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11905415134.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Aug 2014 23:43:35 +0900</pubDate>
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<title>018　「無我」について　３</title>
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<![CDATA[ 　続けて今回も、無我について考えていきます。<br><br>　前回の最後に紹介した、<strong><font size="3">「無常〔ムジョウ〕」</font><font color="#FF0000">（アニッチャ）</font></strong>という言葉は、すべての物・現象は、一時も止まることなく変化し続けるという意味です。<br>　注意すべき点がありますが、<u>「何か」が変化し続けているのではない</u>のです。何か実体的なものが変化しているのでなく、あらゆるすべてのものが変化していて、一瞬、一瞬、刻々と出来上がった現象が連続しているだけなのです。<br>　Ａという、ひとつにくくった物や現象が刻々と変化しているというのではなく、Ａを成り立たせているすべての要素や周囲のすべても変化し続けているので、Ａという全体でみても当然、変化し続けているということになるのです。つまり、無常であり無我ということです。<br><br>　ここで、改めて<strong>無我</strong>について考えてみましょう。<br>　もしも、「この世界は、無我でなく「我」（実体が存在する）」というのならば、すべての物や現象は変化しないもののはずなのです。<br>　実体があるならば、それは確固としてそのものをそのものたらしめているわけなので、変化などしてしまっては、実体ではないのです。<br>　変化しない、確固とした、核となる、そういう形容をされる<u><strong>実体とは、無常の真実と相反する</strong>もの</u>なのです。だから、すべては<strong>無我</strong>なのだということができるのです。<br><br>　かなり難しくなってきたと思います。ちょっと視点を変えてみたいと思います。<br>　今まで、無我・無常を、論理的に考えてきましたが、これらは仏教の実践の観点からすると、理解は当然するべきものなのですが、<strong>体験するもの</strong>なのです。<br>　悟りとは、理解でもありますが、それよりも、<strong>悟りとは体験</strong>なのです。<strong><u>「すべては無常で無我だ。自分という気持ちも錯覚だ。」</u></strong>と”<strong>体験</strong>”すると、それが悟りなのです。<strong><u>「悟りとは体験」</u></strong>と、覚えておかれるとよろしいかと思います。<br><br>　今回はこのへんで。<br><br>　ありがとうございました。
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11905153961.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Aug 2014 13:13:48 +0900</pubDate>
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<title>017　「無我」について　２</title>
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<![CDATA[ 　今回も無我について考えていきたいと思います。<br><br>　前回の話は、<strong><u>「すべての物・現象に、実体はない」</u></strong>ということでした。<br><br>　何かをそのものたらしめている、”<strong>変化しない</strong>”、”<strong>絶対的な</strong>”、”<strong>永遠の</strong>”というような実体、そういうものは、存在しない、ということです。<br><br>　しかし、私たちは、何かを見ると、そこに<u>それが「ある」</u>と思ってしまいます。実際、「ない」わけではないのです。というのは、”<strong>刻々の瞬間</strong>”に”<strong>成り立っている</strong>”ので、「ある」というわけではないが、「ない」わけでもない、というふうになります。”<strong>実体はない</strong>”のです。こういった無我の様子、「実体的な我はないが、なにも無いわけではない」様態を、<strong><font size="3">「空〔クウ〕」</font><font color="#FF0000">（スンニャ　または　スンニャター）</font></strong>といったりもします。<br><br>　そして、ここで説明するべきもう一つの、大切な仏教の言葉があります。それは<strong><font size="3">「無常〔ムジョウ〕」</font><font color="#FF0000">（アニッチャ）</font></strong>です。<br>　無常とは、<u>「すべての物・現象は、止まることなく<strong>変化し続けている</strong>」</u>という意味です。すべての物・現象は、流れる川のようなものだといえます。<br>　これは、証明が必要ないと思います。この世界に、何か、ずっと止まっているもの、ずっと変化しないもの、絶対的なものはあるでしょうか？ないのです。<br>　「すべてのものは、常に変化し続けている」というこの無常の真実は、お釈迦様が発見されました。<br><br>　次回からは、この無常というキーワードも使って、無我について考えてみたいと思います。<br><br>　ありがとうございました。<br>　
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11904811346.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Aug 2014 12:17:30 +0900</pubDate>
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<title>016　「無我」について　１</title>
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<![CDATA[ 　今回からは、仏教の<strong>「無我」</strong>について、考えてみたいと思います。<br><br>　<font size="3"><strong>「無我〔ムガ〕」</strong></font><strong><font color="#FF0000">（アナッター）</font></strong>とは、<u>”すべての現象には実体がない”</u>という意味です。<br><br>　人間の心身のことでたとえていえば、”<strong>魂</strong>〔タマシイ〕はない”、というようなニュアンスになります。ここでいった”魂”とは、実体のことです。つまり、<u>”人間に魂などというような実体はない”</u>、ということです。そして、人間に魂のような、実体的なものは存在しないということは、実は仏教の見解でもあります。<br><br>　実体とは、何か、その物や現象を、そのものたらしめているもの、<strong>核</strong>〔カク〕となるもの、<strong>本質</strong>〔ホンシツ〕となるもの、それがなかったら成り立たない欠くことのできないもの、というような意味になります。<br><br>　たとえば、スマホ、スマートホンに実体はあるでしょうか？ないのです。<br>　液晶画面がスマートホンの実体でしょうか？そう仮定すると、声を拾うマイクや、データを処理する電子部品、電波を発生させる発振器などは無くてもいいということになります。そうではないですよね？<br>　全部の部品、パーツがそろわないと、スマートホンは成り立ちません。すべてそろって、はじめてスマートホンという働き・現象があるわけです。”これこそがスマートホンの核となる、実体だ”といえるものはないのです。<br><br>　そのように、いろいろな物や現象を想像してみて下さい。<u>この全宇宙・森羅万象に、”実体”といえるものは、何もない</u>のです。<br>　人間の心にも実体がない、自我もない、魂もない・・・・・。<br><br>　すべての物や現象は、実体がなく、ただ総合的に<strong><u>”瞬間的に”成り立っているだけ</u>だ</strong>と、仏教では考えます。すべての現象は、刻々の<u>瞬間に一時的に成り立った現象の連続</u>であると、仏教では説いています。<br><br>　無我は難しいので、何回かに分けて、書いていこうと思います。私も本当にわかっているのでしょうか？(笑) <br>（無我を完全に理解すれば、悟りに至るといわれています。）<br><br>　ありがとうございました。
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11904698407.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Aug 2014 14:29:55 +0900</pubDate>
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<title>015　八正道　まとめ</title>
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<![CDATA[ 　八正道を一つずつみてきました。<br><br>　正見〔ショウケン〕：正しい見解<br>　正思惟〔ショウシユイ〕：正しい思考<br>　正語〔ショウゴ〕：正しい言葉<br>　正業〔ショウゴウ〕：正しい行動（体の行動）<br>　正命〔ショウミョウ〕：正しい仕事<br>　正精進〔ショウショウジン〕：正しい努力<br>　正念〔ショウネン〕：正しい気づき<br>　正定〔ショウジョウ〕：正しい精神統一・禅定〔ゼンジョウ〕<br><br>　八正道とは、まとめてみると、結局、全体的にどういう生き方を説いているのか、今回は考えてみたいと思います。<br><br>　<strong>①三業を正しくする</strong><br>　正思惟・正語・正業は、心と言葉と身体の行いについて、「正しく」しましょう、という教えです。<br>　仏教では、人間の行為を、３つに分けています。<strong><font size="3">「身口意〔シンクイ〕」</font>（体の行い・言葉の行い・思考や心の行い）</strong>といい、これを<strong><font size="3">「三業〔サンゴウ〕」</font></strong>と呼んでいます。<br>　正思惟～正業の３つは、三業を改めましょう、正しくしましょう、ということになります。<br><br>　<strong>②仕事と生活を正しくする</strong><br>　そして、その次の正命。これは、生きるためにする仕事、それを正しくしましょう、ということです。仕事のため、生活のためだからといって、不善行為をしないようにしましょう、ということです。<br><br>　<strong>③正しい努力をする</strong><br>　正精進。これは、人間が生きていく上で、どういう努力をしたらよいかという教えです。人格を磨くということに重きをおいて、４つの努力をしましょうと説かれました。<br><br>　<strong>④正しい修行をする</strong><br>　正念と正定は、悟りに達するための、涅槃・解脱へ至るための本格的な修行について言及した部分です。<br>　仏教の修行は、<strong><font size="3"><font color="#FF0000">サマタ</font></font>（禅定・サマーディを目指す瞑想）</strong>と<strong><font size="3"><font color="#FF0000">ヴィパッサナー</font></font>（智慧を育てる瞑想）</strong>の２つがあります。<br>　サマタは<strong><font size="3">「止〔シ〕」</font>（精神統一をすること）</strong>、ヴィパッサナーは<strong><font size="3">「観〔カン〕」</font>（心身の現象を観察して智慧を育てること）</strong>で、合わせて<strong><font size="3">「止観〔シカン〕」</font>（または止観瞑想）</strong>といいます。<br>　正しい止観をしましょう、という教えです。<br><br>　ざっくり言えば、<u>「正しい生き方をして、正しい修行をしましょう」</u>というシンプルないい方ができます。<br><br>　八正道をふりかえりました。<br><br>　ありがとうございました。
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11904679270.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Aug 2014 13:48:29 +0900</pubDate>
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<title>014　八正道　（８）　正定〔ショウジョウ〕</title>
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<![CDATA[ 　八正道の８番目は、<strong><font size="3">「正定〔ショウジョウ〕」</font><font color="#FF0000">（サンマー・サマーディ）</font></strong>です。<br><br>　「定」とは、パーリ語で<font color="#FF0000">「サマーディ」</font>といいますが、これは「禅定〔ゼンジョウ〕」（精神の統一した状態）を意味します。<br><br>　正定＝正しい禅定を修行すること。<br><br>　前回の「正念」と今回の「正定」は、修行の道について説いているものです。<br><br>　八正道２番目～６番目までを真面目に実践すれば、人生の苦しみは大体なくなり、人間として成功すると考えられますが、「それでは足りない、涅槃・解脱を目指そう」という場合、この「正念」「正定」とそして、１番目の「正見〔ショウケン〕」が必要になります。<br><br>　<strong>禅定<font color="#FF0000">（サマーディ）</font></strong>は、普通の五官の刺激を超越した認識体験です。五官（目・耳・鼻・舌・触覚）の刺激から離れるためには、俗世間のいろいろな刺激への欲から離れなければなりません。そのための実践としてあるのが、何か決めた一つの対象へ心を徹底的に集中させていくという訓練で、「サマーディ瞑想」というものです。<br><br>　<strong>サマーディ瞑想</strong>を行う集中力によって得られる幸福感・喜悦感は、俗世間のことで味わう幸福感より強いので、サマーディ瞑想をすると、俗世間的なことへの執着や欲から気持ちが離れていきます。<br>　俗世間のことへの欲があるうちは、サマーディに達しません。<br><br>　「正定」は「正しい禅定」と訳されます。つまり、間違った禅定、”邪定”もあるわけです。<br>　禅定に至るためには、何か一つの対象に集中して心を統一させていきますが、現代では、瞑想の対象として、音楽・踊り・性行為・薬物などを使う場合がありますが、それらは”邪定”と呼べるでしょう。正しいサマーディ瞑想の場合は、依存症がなく、欲・怒りなどの感情が消えること、束縛がなくなり心が自由になることが必須条件です。<br><br>　サマーディ瞑想は、仏教では４０種類くらい紹介されていて、よく知られているのが<strong>「呼吸瞑想」<font color="#FF0000">（アーナーパーナ・サティ）</font></strong>があります。また４０種の中でも<strong>「慈悲の瞑想〔ジヒノメイソウ〕」<font color="#FF0000">（メッタ・バーワナー）</font></strong>というものは、簡単に行えて、効果もあり、<u>悟りに必要な、自我意識の消滅にも効果</u>があるものなので、後日ご紹介できればと思っています。<br><br>　正定は、八正道で非常に大事なものですが、説明はこれくらいにさせていただきます。<br><br>　ありがとうございました。
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<link>https://ameblo.jp/jun--k26/entry-11903004772.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Aug 2014 07:42:48 +0900</pubDate>
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