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<title>事実は小説よりも奇なり</title>
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<description>人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり　来年僕は30歳。人生を50年で計るともう半分生きたんだ。この半生どう生きてきたか振り返ってみよう。</description>
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<title>再び実家へ</title>
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<![CDATA[ <p>父が迎えに来た。</p><br><p>この背景にどういったやりとりがあったのかはわからない。</p><br><p>ただ、4歳の12月に母の故郷へ脱出をし、</p><p>5歳の12月に父が迎えに来たという事実が記憶にある全てだ。</p><br><p>玄関にて父と祖父と母のやりとりがあり、</p><p>僕は父から当時アニメではやっていた「オーガス」という変形ロボのおもちゃを</p><p>もらい、えらく喜んでいた。</p><br><p>この後の展開は急だった。</p><p>事情のわからないまま母の故郷を去り、</p><p>途中、東京に住んでいる母方の叔父夫婦宅に立ち寄る。</p><br><p>この時の記憶は曖昧だ。</p><p>僕達家族4人で行動していたのか、</p><p>父だけが先に車で帰ったのか覚えていない。</p><br><p>断片的な記憶を辿ると、東京から母と新幹線に乗って帰ったのは</p><p>覚えている。</p><br><p>ということは東京まで父と行動を共にしていたのだろうか？</p><br><p>なんにせよ僕達はまた、あの家に帰るのだ。</p><br><br><p>1月、えべっさん。</p><br><p>保育園に復帰をする。</p><p>友達はみんな歓迎をしてくれて、一年前、疑問だった「えべっさん」について知る。</p><br><p>とても賑やかなお祭りだった。</p><br><p>ちょうど一年経っていたんだなーと実感してしまう。</p><p>友達とえべっさんのお祭りに行き、そこから暫くはまともな生活が続いていた。</p><br><p>2月、以前書いた女の子からバレンタインチョコをもらう。</p><p>ハート型の大きなやつ。</p><br><p>僕は母親が迎えにくるのを待っていた。</p><p>すると、あきちゃんとその母親が僕の元へやってきて</p><p>恥ずかしそうにあきちゃんが僕にチョコを渡してくれた。</p><br><p>ありがとう。そう言いながら言葉を交わし、</p><p>あきちゃんとあきちゃんの母親を見送った。</p><br><p>後になって僕の母が迎えにきたとき、ことの経緯を話すと</p><p>母はなんだか嬉しそうだった。僕は事情が飲み込めていなかった。</p><br><p>3月、僕は6歳になり、そしてホワイトデーのお返しをする。</p><p>母が買ってきたハート型の緑の容器にマシュマロが入ったものをあきちゃんに</p><p>手渡す。お互い照れていた。</p><br><p>そして僕達は卒園した。</p><p>園の広間で後輩の園児達の手で結んだトンネルを抜け、卒園する</p><p>園児一人一人に花が配られた。</p><br><p>僕とあきちゃんは別々の小学校に通うことになり、</p><p>お互い住所交換をした。</p><br><br><p>4月、僕は小学生になった。</p><p><br>僕にとっては祖父母の家にずっと居た方が</p><p>幸せだったと思う。これから起こる出来事の数々は当時の僕にとって</p><p>ごく自然の日常であった。疑問もなく受け入れていた。</p><br><p>しかし、当たり前だと思っていた日常は自分の生育環境だけに限られた話で、</p><p>社会的に見て、これは異常なことだったのだろう。</p><br><p>ねじれていた家が、再び、どうしようもないまでにねじれ、</p><p>内患だけに思われていた問題が外患にまで及ぶ。</p><br><br><p>お爺ちゃんの家にいたときが一番恵まれていました。</p><p>なんでせっかく脱出に成功したのに、帰っちゃったの？ママン・・・（Ｔ＿Ｔ）</p><br><br><br><p>あー今思い出した。</p><p>姉の学校の問題だって昔、言ってたな。</p><br><p>だったらじいちゃんとこで手続きしたらよかったのに。</p><br><p>アメリカでバタラーの更生プログラムをやったら、ほとんど改善されなかったという</p><p>結果があるそうな。昔聞いた話なので、詳細はわからないけど。</p><br><p>母が自宅に戻るきっかけに恐らく僕や姉の学校の問題があった。</p><p>後は父が更生する・・・とかで折れた。</p><br><p>でもね、暴力振るう人間は変わらない。更生プログラムなんて意味ないじゃん。</p><p>プログラムに参加してますよ。更生しようと努力してますよ。</p><br><p>だいたいのバタラーはそうやって「フリ」だけをしているのではないだろうか。</p><br><p>なんにせよ母は自宅に戻るという選択をえらんだ。</p><br><p>この選択が今後どういう展開になったのか当時の母としても知る術はないだろう。</p><br><p>何にしても当時の母は、母なりに精一杯頑張ったのだろう。</p><p>だからどんな選択をしても、仕方なかったんだろう。</p><br><br><p>ケ・セラセラ</p><br>
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<pubDate>Sat, 03 Jan 2009 01:00:12 +0900</pubDate>
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<title>平穏な日々</title>
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<![CDATA[ <p>祖父母の家に脱出していた期間は一年になる。</p><br><p>4歳の冬から5歳の冬にかけてだ。</p><br><p>祖父母の家ではみんな親切だったし、僕も姉も楽しく暮らしていた。</p><br><p>二階の窓から除雪車の作業光景を眺めていたり、祖父と近隣へ散歩にでかけたり、</p><p>家の軒下にできたツララを折って姉と遊んだり。</p><br><p>ずっとこの生活が続くんだと僕も姉も信じて疑わなかった。</p><p>それくらい僕達家族にとっては穏やかで、平穏な日々だったのだろう。</p><br><p>冬が終わり、春を迎え、僕は一つ歳をとる。</p><br><br><p>そして短い春は終わり、夏がやってきた。</p><br><br><p>祖父に手をひかれて近くの川に遊びにいく。</p><br><p>とても大きな川なのに水深も浅く、流れも緩やかだった。</p><p>水遊びをしている間祖父は煙草を燻らせながらいつも陽気に話しかけてくれた。</p><br><p>秋になり、寒さが増した。</p><br><p>冬になり、地面が凍りつく頃、母が帰宅しなかった。</p><br><p>心配になった僕達は祖父に聞いた。</p><br><p>どうやら母は凍結した地面で足を滑らせ頭を怪我したようだ。</p><br><p>帰宅しない間というのは恐ろしく長く感じられ、1ヶ月は帰ってこなかったという</p><p>印象がある。実際は2週間とかだったのかな。</p><br><p>頭にネットを巻いた母が帰ってきた。ごめんね、ごめんね。と僕達に繰り返す。</p><br><p>雪がまた僕の背丈を越えたころ、左の奥の歯が抜けた。</p><p>家族みんなで表に出て、僕は屋根に向かって抜けた歯を投げた。</p><br><br><p>自宅の軒下にツララができた頃、母の頭の傷も癒え、ネットはもうつけていなかった。</p><br><p>夕方、姉と二人近所の材木屋さんの敷地で遊んだあと自宅に戻ると、</p><br><p>自宅前に一台の茶色の車が止まっていた。</p><br><br><p>それは見覚えのある父の車だった。</p><br>
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<pubDate>Tue, 30 Dec 2008 06:48:32 +0900</pubDate>
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<title>20時30分</title>
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<![CDATA[ <br><p>母の生家に移ったのは4歳の冬で、まだ新年は迎えていなかった。</p><br><p>最初の一週間は毎日夜20時40分になるくらいに、祖父母宅の黒電話が</p><p>けたたましく鳴っていた。</p><br><p>父は仕事が終わると寄り道などはせず、毎日正確な時間に自宅に帰る。</p><br><br><p>20時30分。</p><br><br><p>実家に居た頃、僕達家族には魔の時刻ともいえた。</p><br><p>この時刻を迎えると決まって窓に車のライトの光が映りこみ</p><p>続いて鈍い車のエンジン音が聞こえてくる。</p><br><p>父の気に障ることのないよう、「20時30分」までに完璧に迎え入れるようにしなければ</p><p>ならなかった。へまをすることは許されない。まさに父の時間だった。</p><br><p>つまり、20時40分前後というのは父の時間がはじまっているというわけで、</p><p>何かしら、母に難癖をつけようと電話をしているに違いなかった。</p><br><p><br></p><p>僕の記憶は証明する。</p><br><br><p>この日も父の時刻になると電話があり、母が電話に出るのをためらった為、</p><p>かわりに僕が出た。</p><br><p>用件を簡単に説明するとこうだ。</p><br><p>「あのぼけぇ、真珠のネックレスどこやってん？すぐ返せって言うとけ！」</p><br><br><p>この手の人達は、常に誰かを責め続けないと生きていけないのだろうか？</p><p>常に誰かを傷つけ、搾取し、罵り、人間の尊厳まで奪おうとする。</p><br><p>普通の夫婦関係や恋人関係にしてみれば「プレゼント」をあげるなんて</p><p>ごくありふれた行為だと思う。</p><br><p>だが、この人達には責める材料にしかならないのだ。</p><p>受け取っても責められ、きっと受け取らなくても責められる。</p><br><br><p>理由なんてないのだろう。</p><br><br><p>こういった人種に常識を求めるのはきっとナンセンスなのかもしれない。</p><br><br><p>当時4歳の僕にはそんな考察などできるはずもなく、</p><p>ただただ、父の機嫌を損ねまいと受話器の先、遥か遠くの父に</p><p>愛想笑いをしながら精一杯時間稼ぎをするしかなかった。</p><br><p>母に代わるとまた怒られるだろう。</p><p>いないということにすればいい。</p><p>言伝は僕から伝えるから・・・と。</p><br><p>どれぐらい話をしたかわからない。</p><p>ただ、父からの伝言を伝えた時、祖父も母も怒っていたのが印象的だ。</p><br><br><p>僕は小さくて、事情がわかんなかったけど、</p><br><br><p>やっぱり父は怖い人なのだと思った。</p><br><br><p>祖父母の家での生活が一週間も経つと父からの電話もピタリと止んだ。</p><br><br><p>ちょうど年も明けて新年を迎えたあとのことだった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/junk-ameblo/entry-10182752814.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Dec 2008 01:40:56 +0900</pubDate>
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<title>最初の脱出</title>
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<![CDATA[ <p>駅のホームにおりると母方の祖父と祖母が迎えに来てくれていた。</p><p>駅舎の外に出ると自分の背丈よりも遥かに高く雪が積もっている。</p><p>車窓から外の景色を見た時は雪が強く降っていたのに、</p><p>この街につく頃には止んでいて、あたりはシーンと静まり返っていた。</p><br><p>祖父は「良く来たね。」と東北訛りの強いアクセントで</p><p>暖かく声をかけてくれる。そうだ。今回の旅の目的は、</p><p>母からお爺ちゃんに会いに行く。と、聞かされていた。</p><br><br><p>東北のとある地方都市。もともと観光地だったのだが、</p><p>最盛期は僕の生まれる10年も前に過ぎて、シャッターの下りた店も目につくようになっていた。</p><p>そんな背景など当時の僕は知りもせず考えることもなかったが、</p><p>静かな街にときおり響く「ドスン、ドスン、」と大きな音に僕はびっくりしていた。</p><p>「屋根から雪が落ちてるのよ」母は優しげに教えてくれる。</p><p>そんな母の顔に長旅の疲れはなく、どこか安堵の表情が浮かんでいた。</p><br><p>クリスマスも終わっていた頃ということもあり、、</p><p>周囲には人気はあまりなく、月に雪が照らされてきらきら光っていた。</p><p>不思議な光景だなー。と素直な感想を頭に浮かべた。</p><p>風が吹くと耳が切れそうになるほど冷たい。</p><br><p>母の生まれ育った自宅は、駅から歩いて10分ほどで、</p><p>凍ったアスファルトに悪戦苦闘しながら僕達は歩いていた。</p><br><p>小さな木造の家の前で一向は足を止めた。</p><p>「ここがお爺ちゃんのお家だよ」母に教えてもらい、</p><p>先に玄関の中に入ったお爺ちゃんが「さぁおいで、おいで」と手招いてくれる。</p><p>姉とはしゃぎながら中へ入った。</p><br><p>僕はおなかがペコペコだなーと思った。</p><br><p>夕飯の準備ができたのは8時半を過ぎた頃だろうか。</p><p>お婆ちゃんがあらかじめ作っていてくれた料理が食膳に並ぶ。</p><p>僕と姉と母は廊下側を背にして座り、祖父母はキッチン側に座っていた。</p><br><p>「ｼﾞｭﾝ君、これね、菊のおひたしだよ」祖母はそう言って僕に勧める。</p><p>小さな黄色い菊の花とゴマと青野菜の葉が丁寧に小鉢の中に添えられていた。</p><p>この時初めて菊の花って食用もあるということを僕は知り、そして驚いたことを</p><p>今でも覚えている。</p><br><p>団欒もたけなわな午後の21時を過ぎた頃、僕の背中の後ろで</p><p>けたたましく黒電話のベル音が食卓に響いた。</p><br><p>祖父母と母の表情に険しさが見え、僕はその表情から不安と緊張を覚えた。</p><br><p>恐らく父からの電話だったのだろう。</p><br><p>祖父が対応し、しばらく大人の会話をする。内容はわからないが今なら</p><p>察するのも容易だろう。母が渋々電話に出て、また祖父に代わる。</p><br><p>僕と姉を気遣い祖母がジュースやお菓子を勧めてくれるが、</p><p>僕は母のことが気になってしかたなかった。</p><br><br><p>ここは安全なのかな。僕の頭は不安に包まれていった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/junk-ameblo/entry-10181802028.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Dec 2008 01:26:50 +0900</pubDate>
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<title>父親のDV</title>
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<![CDATA[ <p>おいぼけぇ。</p><br><p>おいぼけぇ。</p><br><p>これはいつも家で父が母を呼ぶときの台詞だ。</p><p>外だと「おい」。</p><br><p>姉や僕には名前で呼ぶ。</p><br><p>母はいつから「ぼけ」になってしまったんだろう。</p><br><p>おいぼけぇ。</p><br><p>おいぼけぇ。</p><br><p>繰り返されるたびに嫌な気分になる。</p><br><p>自宅は二階建てなんだけど、二階は子供部屋で一階は両親の部屋があることは</p><p>前述した。</p><br><p>僕と姉で、自宅の部屋のことを上と下と呼んでいたんだけど、</p><br><p>下から父親の怒鳴り声が毎日聞こえるようになった。</p><br><p>おいぼけぇ！おいぼけぇ！お前なんべんゆうたらわかんねん！</p><br><p>おいぼけぇ！おいぼけぇ！おいぼけぇ！このどあほ！</p><br><p>怒鳴りちらしたあと決まって最後に「ふんだらぁ」と一言こぼす。</p><p>子供のころ意味がわからなかった。きっと「あほんだらぁ」と愚痴を言っていたのだろう。</p><br><p>日曜日、すき焼きを家で食べる。僕は肉の脂身が食べれなくて、食べるといつも</p><p>吐いてしまう。この時もどうしても肉が食べれない。</p><p>食べないと父が機嫌を悪くし怒り出した。</p><br><p>母が止めに入ると父が逆上し母の髪を引っ張る。</p><p>抵抗する母、おかまいなしにたたく父。泣き喚く僕と姉。</p><br><p>最悪の状況。例によって父は酔っ払っているからもう手がつけられない。</p><br><p>夫婦喧嘩はお互いの主張をぶつけるのだろうけど</p><p>これは父の一方的な暴力でしかない。</p><br><p>こういったことが4歳の夏以降頻繁にあった。</p><br><p>母が僕達を連れて夜、知らないおじさんの家に行ってたのも</p><p>ちょうどこの頃だろう。</p><br><p>暴力は頻繁に繰り返され、母に対するモラスハラスメントは</p><p>日常化していった。</p><br><p>そのうち母は一人で家を空けることが数回あった。</p><br><p>こんな家じゃきっとお母さんはどこかへいなくなってしまうだろう。</p><br><p>僕のなかで不安は増大していき、夜になると暗闇に怯えるようになった。</p><br><p>だけど小さな僕達には何もできない。母が父に虐められるのは見たくない。</p><p>母一人逃げた方が幸せなのかもしれない。僕達には母を守る力はないからだ。</p><br><p>父の機嫌をそこねまいと、僕と姉は必死だった。</p><p>うっかり機嫌をそこねると拳骨が飛んでくるのは当たり前で</p><p>それ以上に嫌なのが延々と正座をさせられ同じ説教を何時間も繰り返す。</p><br><p>父が説教に飽きてＴＶを見ながら横になったとしても傍らで正座をしなきゃならない。</p><br><p>足がしびれてどうにもならなくなると、僕は泣きじゃくる。</p><p>寝ている父の癇にさわり、また叩かれる。</p><br><p>姉はまだ僕より器用だったんだろう。いつもうまくやっていたので父の機嫌を</p><p>そこねて説教されることほとんどなかった。</p><br><p>姉のようになりたかったけど、できの悪かった僕は不器用だから</p><p>なんらかの失敗をする。失敗しないように気を配るのだけれど</p><p>怖いから常に緊張しなければいけない。</p><br><p>緊張してしまうとかえってミスをするものだ。</p><br><p>食べ方が悪いと怒鳴られ、少しでも音を出すと怒鳴られ、話し方が悪いとまた怒鳴られる。</p><p>怒鳴られるならまだいいけど、殴られるのはいつまでたっても慣れることはない。</p><br><p>反省が足りないと、追加でお説教、おまけに正座。</p><br><p>「お前はアホか？犬の方がまだマシじゃ」</p><br><p>そんな台詞を吐き捨てては、最後に「ふんだらぁ」。</p><br><p>母が家に帰らない日があると僕が攻撃の対象だったんだろう。</p><p>怒られるのは嫌だけれど母の身代わりなら仕方ない。</p><br><p>次の人生犬に生まれ変われたらいいな。</p><p>こんなにおかしな家に生まれるよりまだ犬の方がマシだろう</p><p>怒られながら僕はぼんやりそう思った。</p><br><p>勝手に家を空けた母が帰ってくると待っているのはモラから始まり暴力で終わる。</p><br><p>皿の割れる高い音、何かを叩く鈍い音、廊下に響く怒鳴り声。</p><p>こういった強い音を聞いてしまうと今でもパニックになってしまう。</p><p>ほんとうに強いストレスを感じてしまうからだ。</p><br><p>騒動の音を布団の中で耳を塞ぎ泣きながら</p><p>「あああああああああああーーーーー」</p><p>と、言っても怒鳴り声やその他の音が聞こえなくなることはない。<br></p><p><br>騒ぎが下から聞こえ、僕はそのうち上で「おぇー、おぇー、」を繰り返す。</p><p>騒ぎが静まるとこっそり下におりてトイレで胃の中のものを全部吐いた。</p><br><p>こういったことが頻繁にあったからか、今では顔を下に向けると簡単に吐いてしまうのだ。</p><br><p>姉は強い。タフだと思う。姉に比べたら僕はきっと弱いんだと思う。</p><p>一度も姉は「おぇー」をしたことがないからだ。</p><br><br><br><p>それはさておき、</p><br><br><p>4歳の冬。</p><br><br><p>通っている保育園で先生が「えべっさん」というお祭りの話をしていた。</p><p>園の友達も「ジュン君いっしょにえべっさん行こーなー」と誘ってくれる。</p><p>「えべっさん」て何？ふと疑問に思った。知らないイメージがぐるぐる回る。</p><br><br><br><p>次につながる記憶。</p><br><br><p>僕は列車に揺られていた。</p><br><p>とても長い時間、列車に揺られていたのだろう。</p><br><p>車内にいるのに飽きてきた頃、雪が少しづつ降りはじめているのが見える。</p><br><p>雪はどんどんと強く降り、ある一定の距離を列車が走ったころ</p><br><p>車窓から見えた景色には、山林に雪が高く積もっていた。</p><p>姉と僕の二人は、その光景にとてもはしゃいでいる。</p><p>母は隣で優しく微笑みかけてくれていた。</p><br><p>生まれてはじめてこんなに深くつもった雪を見たのだから。</p><br><p>その光景は今でもはっきりと何十年経っても鮮明に思い出すことができる。</p><p>いわゆる感動の瞬間ってやつだったのだろう。</p><br><p>東北に向かう下りの列車のＢＯＸ席、進行方向右側の窓際に僕は座り、</p><p>向かいに姉が座る。そして僕の左に母がいた。</p><br><p>この時父はいない。</p><br><p>父がいないことで、とても安心し、僕達にとっては</p><p>とても幸せな時間だったのだろう。</p><br><p>列車に揺られ続け日は傾き、雪は深々と降り続けた。</p><br><br><p>そしてようやく母の実家に着いたのは日が完全に傾ききった夜の8時頃だった。</p>
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<pubDate>Sun, 21 Dec 2008 03:19:41 +0900</pubDate>
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<title>父親のお迎え</title>
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<![CDATA[ <p>平和な園での生活だけど不安もあった。</p><p>帰りのお迎えが遅いときだ。</p><br><p>いつもは夕方6時になれば母が必ず迎えに来る。</p><p>父がお迎えに来ることはまずなかったのだが、</p><p>ある日、母が迎えに来なかった。</p><p>6時を過ぎても母は来ない。</p><p>7時になってもまだ来ない。</p><p>徐々に僕の中で不安は増していく</p><p>そんな僕の気持ちとは裏腹に他の園児の数はどんどん減っていった。</p><br><p>優しそうなお父さん。</p><br><p>幸せそうな園児。</p><br><p>そういう光景を見ると目を背けたくなる。</p><br><p>お母さんはどうしたんだろう。不安で不安でたまらなくなっていった。</p><br><p>8時半を過ぎて父親がお迎えにきた。</p><br><br><br><p>母はどうしたのだろう。</p><br><br><p>この日、一晩経っても母は家に帰ることはなかった。</p><br><p>この後、母が迎えに来なくて、父が迎えにくることがたまにあるようになる。</p><p>そういう時は母がいなくなる日だからだ。</p><br><p>けれども、園や父に母から連絡していたのだろう。</p><p>だから母が迎えに来なくてもちゃんと父が迎えにきたのだ。</p><p>この時の母はきっとこの家が、父と生活することが辛かったのだと思う。</p><br><p>母がいない不安は怖い。</p><br><p>でも父親が母に対する暴力はもっと怖い。</p><br><p>だから僕は、母に逃げてほしかったのだと思う。</p><br><p>まだ僕はちっちゃかったから論理的に事態が飲み込めてなくても</p><p>父に虐められる母は見たくなかったから。</p><br><br><p>僕の主観ですが、ＤＶ被害者の方で子供を連れて脱出することが難しいから</p><p>脱出できないと考える方は多いかと思います。</p><br><p>ですが、ご自分の安全を確保された方が良いと僕は思います。</p><br><p>なぜなら子供はきっと虐められる母親を見たくないと思うからです。</p><p>母が殴られるたび、怒鳴られて罵られるたびに、</p><p>子供の心も同時にキズつけられてしまっていると思うからです。</p><br><p>だから子供を置いて脱出するのに抵抗があると感じるならば</p><p>子供の胸の痛みを同時に考えてください。</p><br><p>無事脱出できたなら子供も安心すると思います。</p><br><p>ご自分だけ脱出したということで、子供は別に母を恨んだりしないと思います。</p><br><p>なぜなら、僕や姉は、母を恨んだことはありませんでした。</p><p>母が、父のＤＶ被害にあわないと思うだけで安心することができました。</p><br><p>だから一人でも脱出する勇気は必要なのだと思いました。</p><p>自分の安全を確保する。生活環境を整える。</p><p>そうしたあとで子供を迎えたとしても遅くはないのだと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/junk-ameblo/entry-10180916327.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Dec 2008 09:04:30 +0900</pubDate>
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<title>初恋と告白</title>
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<![CDATA[ <p>新しい保育園に通うようになって半年。</p><p>初めての夏を迎えた。</p><br><p>園にも慣れ、友達もできた。</p><br><p>ここなら怒られることもないしとても平和で居心地がいいから</p><p>毎日通うのが楽しみだった。</p><br><p>担任の宮木先生はとても優しくて園児のアイドルのような素敵な女性だった。</p><br><p>いつからか僕は宮木先生のことが好きになっていた。</p><p>人気者の先生だからなかなか独占することは難しい。</p><br><p>そこで気を引く為に僕はある行動にでたのだ。</p><br><p>お昼ごはんを食べた後、僕はこっそり園から抜け出して家に帰ろうとした。</p><p>きっと先生なら追ってきてくれると期待をしながら。</p><br><p>園を抜けるには難問があった。園の通用門には</p><p>園児から恐れられていた怖い用務員のおばさんが何かしら作業しているからだ。</p><br><p>青い制服に短い茶色の髪、左の頬に痣があって、一度も笑った顔を見たことがない。</p><p>歳はきっと五十を過ぎていたと思う。</p><br><p>僕は園を出ようと通用門に向かって行く。</p><br><p>「どこに行くの？」</p><br><p>傍らで花壇の世話をしていた用務員のおばさんが案の定声をかけてきた。</p><p>予想していたことなので僕はあっさりと</p><p>「お母さんが迎えにきてるの」と嘘をつく。</p><p>「あっそうなの。」とそのまま花壇の世話に戻る。</p><br><p>にんまりしながら、僕は堂々と園から外に出た。</p><br><p>園から100ｍほどまっすぐ歩くと二股に道があり僕は自宅のある方向に右折する。</p><p>そこから50mも歩いたところで</p><br><p>「ジュンくん！」</p><br><p>と大きな声が背中から聞こえた。</p><br><p>全力で僕に向かって走りよる宮木先生。</p><p>僕は歩くのを止めず前へと進む。</p><br><p>先生に腕をつかまれて抱きしめられた。</p><p>とてもいい香りがしたし先生を独占できたと思って嬉しくなった。</p><p>だけど僕はそんな淡い感情を先生に気取られるのが嫌で、</p><p>気持ちとは裏腹な態度にでた。</p><br><p>先生は怒らずに優しく「どうしたの？何か嫌なことあったの？」と聞いてくれる。</p><p>僕は先生にかまってもらいたいから、家に帰ろうとした　なんてとてもじゃないけど</p><p>言えなくて、また嘘をつく。</p><br><p>「牛乳が飲みたいから、家に帰る。」と。</p><br><p>4歳の子供の言うことだから先生はあっさりと信じてくれて</p><p>じゃあ一緒に園で飲もうよと言ってくれた。</p><br><p>結局二人で園に戻り、みんながお昼寝の時間に僕達二人は牛乳でお茶をしたのだ。</p><br><p>この時宮木先生には怒られなかったが、後でこっそり用務員のおばさんに</p><p>怒られたのは言うまでもない。</p><br><p>その後、僕は満足したのかとくに問題行動を起こさなかったのだが、</p><p>同じ組の園児からはヒーロー扱いにされ嬉しかったのを覚えている。</p><br><br><br><p>先生、あのときはごめんね。</p><br><br><p>僕の問題行動から暫く経ったある日のこと。</p><p>教室の掃除をみんなでしていた時だったと思う。</p><br><p>同じ組の夏ちゃんが僕に「あきちゃんがジュン君に用があるねんけど、いいかな？」</p><p>と声をかけてきた。教室の出入り口の側であきちゃんが照れた表情をしながら</p><p>こちらの様子をちらちらと見ている。</p><br><p>気恥ずかしかったのか、男の性なのかそれとも警戒したのか僕は</p><br><p>「何のよう？」</p><br><p>と、自分からひょこひょこ行くのを嫌がり先に用件の内容を聞くことにした。</p><br><p>すると夏ちゃんは少し考えてから</p><br><p>「あきちゃん、ジュン君のこと好きやねん。チューしてあげようか？って言うてるねん」</p><br><p>僕はあきちゃんの方を思わず見てしまう。</p><br><p>あきちゃんのそばでニヤニヤしている他の男の子達。</p><p>当のあきちゃんはなんだか恥ずかしそうだった。</p><br><p>僕はというと、ねじれた家で育っているせいか警戒してしまい</p><p>素直に応じることはできず、周囲の目が気になることもあり、</p><p>「恥ずかしいから、別にいいよ。」と夏に言い、さっさと立ち去ってしまった。</p><p>この後どうなったかわからない。でも友達として変わらずに一緒に遊んでたと思う。</p><br><p>ただ、この話には後日談があるので、その歳になったとき、書くことにしよう。</p><br><br><p>園での生活は本当に楽しかった。</p><p>思い出もいっぱいある。</p><br><p>崩壊していく自宅に比べ、安住の地はここにしかなかった。とも言えるだろう。</p>
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<pubDate>Sat, 20 Dec 2008 07:40:30 +0900</pubDate>
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<title>母への疑問</title>
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<![CDATA[ <p>母と姉と僕の三人。</p><br><p>夜に電車に乗りわりと遠くまできたと思う。</p><p>時期は冬になる頃。</p><br><p>とても大きなマンションがあって、コの字型に三棟建っていた。</p><p>小学校高学年くらいまではどこにあるか覚えていたんだけど、</p><p>今は忘却の彼方へと消えていってしまった。</p><br><p>4歳の自分にとってその建物は威圧的というか圧迫感があってとても嫌だったし、</p><p>なぜここへ来たのか目的もわからなかった。</p><br><p>母はある部屋へ行くと呼び鈴を鳴らす。出迎たのは眼鏡をかけた中年のおじさん。</p><p>優しい印象。このとき体格は大きく見えたけど、実際は小太りの男性だろう。</p><br><p>にこやかに話かけてくれたし、セスナのラジコン飛行機を見せてくれた。</p><p>飴をもらう。姉と僕、先に寝かされた。母は僕達と一緒には寝ず、</p><p>そのおじさんの部屋に行く。</p><p>とても眠かったからきっと夜が遅かったんだろう。</p><br><p>夜が明るくなる前には電車のホームに居た。</p><p>これから家に帰るんだろう。</p><br><p>そういったことが何度かあった。</p><p>母と二人の時もあった。</p><br><p>会う人もそのおじさんだけじゃない。</p><br><br><p>物心つくまでは母の友達だと思っていたのだけれど、まぁそういうコトだったんだろう。</p><br><p>（暴力の原因は父親の性格、アルコールに起因するものだと思っていたが中学生になり</p><p>性への理解が深まるにつれ母の不倫もきっと原因の一つだったと考えるようになる。）</p><br><p>母のパートの仕事。</p><p>前のアパート（3歳の頃）に住んでいた時はいつも原チャリで仕事に行く。</p><p>3時なると帰ってきていた。職種不明。</p><p>新居に引っ越した頃（4歳～）電車で一駅のところにあるデパートの宝石店で働いていた。</p><br><p>曖昧な記憶。隣町の駅前のとある会社の事務所に母と二人で遊びに行く。</p><p>母が挨拶をするとみんな立ち上がり、母に頭をさげながら声をかける。</p><p>母も頭をさげながら言葉を交わす。で、僕の紹介。スーツ姿の人、ＯＬのお姉さん、事務員さん、</p><p>みんなが「ジュン君かわいいね、女の子みたいだね」と声をかけるのだが、人見知りのせいか</p><p>母の後ろにかくれた。</p><br><p>推測。4歳の頃母は宝石店の仕事をしていた（いつも黒い上下の服、</p><p>19時から20時に帰宅）のは確実。ただ、3歳の時の仕事はわからない。</p><p>でも、この曖昧な記憶を当てはめてみた。</p><p>事務所に行ったのは3歳の頃就いていた仕事を辞めたので、</p><p>退職の挨拶をしに行ったからではないだろうか。</p><p>そう考えると納得もできる。ということはこのオフィスで事務か何かをしていたのだろう。</p><p>母の不倫の相手も恐らくこの会社の人間という風にも考えられる。</p><p>なぜならば、住んでいる部屋がみんなアパートとか団地ではなく</p><p>分譲マンション（当時の記憶では皆、綺麗で大きな部屋に住んでいた）だったし、</p><p>スーツ姿の人が多かった（多いといっても記憶する限り4人だが。）からだ。</p><br><p>まぁ母の相手が誰であれ、子供は大人の事情なぞ知る由もない。</p><p>知ったところで理解するのも難しいだろう。</p><br><p>ただ喧嘩に巻き込まれるのはいつも子供だし、別室にいるから安心して喧嘩をしているのか</p><p>知りませんが、子供に聞こえてるよ。マジで。</p><p>夫婦喧嘩でお互い嫌な気分になるだろう。でも当事者よりも、</p><p>もっと酷いストレス、緊張、嫌な思い、嫌な気分、苦痛、　を受けているのは僕達子供だ。</p><br><p>こんなねじれた家に生まれたんだけど、不思議と姉と両親のことについて相談しあったことが</p><p>一度もない。理由もとくにないんだろうけどきっとこれは僕ら姉弟にとってタブーだったんじゃないかな。</p><br><br><p>両親の喧嘩の原因は今でも知らない。</p><p>父親の暴力のきっかけもわからない。</p><p>新居に引っ越してからおかしくなったのだ。</p><br><br><p>だけど、</p><br><br><p>だけど、もしも母の浮気がきっかけで家が崩壊したとしたら・・・？</p><br><br><p>母への疑問。</p><br><br><p>僕は事実は知らない。</p><br><p>あるのは古い記憶の羅列だけだ。</p><br><br><p>だから自分の記憶だけを信じたい。</p><p><br></p><br><p>父が悪い。<br></p><br><br><p>ＤＶは許せない。</p><br><br><p>不倫は・・・相手が許せない。</p><p>せめて僕ら子供達を引き取って母と僕らを幸せにしてよ。</p><p>できないなら不倫なんてしないでほしいと思う。</p><p>不倫した母は・・・せめて子連れはやめてほしかった。</p><br><p>上に書いた内容は自分の記憶をなるべくできる範囲で忠実に書いています。</p><p>所々今の自分の主観で感想を書いていますが、それは大人になってから</p><p>記憶の内容を理解したからであり、当時子供ながらに思っていたことは</p><br><p>一貫して恐怖の大王である父と、かよわき母ということ。</p><br><p>母がどこで何をしようが、僕ら姉弟にとってはいつも優しくて綺麗な母であり、</p><p>大好きな母であるという想いは変わらないわけなのです。</p><br><p>つまり、悪いのはいつも怒鳴りちらし、暴力をふるい、気分屋で、酒飲みで、アル中で、</p><p>下品で、嘘吐きで、それでいて外面はよい　という父親というわけなのです。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>今回は母の不倫の疑惑について書いていますが子供の記憶って侮れないと思います。</p><p>意外と子連れで不倫・・・あるみたいですね。だけど「ちっちゃい」からといって油断していると</p><p>必ず後悔するときがやってきますよ。</p><br><br><p>子供はみんな覚えていますから・・・。</p>
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<link>https://ameblo.jp/junk-ameblo/entry-10180003367.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Dec 2008 02:29:57 +0900</pubDate>
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<title>2歳から5歳までの記憶メモ</title>
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<![CDATA[ <p>-　2歳の頃　-</p><p>・白熊のぬいぐるみがお気に入り（生まれたときお爺ちゃんが買ってくれたらしい）</p><p>・親子川の字でいつも寝る。車が通るたび窓からあかりがもれて怖い。</p><p>・父親のいびきがうるさい。</p><p>・魚の鍋をする。魚の内臓が気持ち悪くｲﾔｲﾔすると父にすごい剣幕で怒られて</p><p>　わんわん泣いた。たしかさらに怒ったよなー。</p><br><p>-　3歳の頃　-</p><p>・タコ公園でお漏らし。母が着替えを買いに行くが1時間以上は帰ってこない。</p><p>　自分そのとき公園の斜面にあった窪地にお尻から突っ込んで座り、</p><p>　周囲の大人や子供からバレないように体育座りをしていた。不安でずっと泣いてた。</p><p>　大人が気遣ってくれたのだけど、恥ずかしくて言えない自分。</p><p>・お爺ちゃんのお仕事を見に大きな湖があるバスの停留所に母と行く。</p><p>　お爺ちゃんはバスの誘導をしていた。カッコよく見えた。</p><p>　この時、お爺ちゃんに道具などを使わず鳩の捕まえ方を教わる。お爺ちゃんさらにかっこいい。</p><p>　以来子供の頃はよく鳩を捕まえては逃がして遊んだ。</p><p>・お爺ちゃんと姉と三人で動物園に行く。途中電車の中で姉弟で喧嘩。</p><p>　お爺ちゃん切れて一人電車から降りる。姿が見えなくなり車内に残された姉と</p><p>　二人で泣きそうになったとき閉まりかけた扉の間を駆け込み乗車するお爺ちゃん。</p><p>・イースター島のモアイ展に行く。　薄暗くて不気味。怖い。人がいっぱい。</p><p>　モアイの文鎮をお土産に買う。</p><p>　この時の一緒に行ったのは母と、その友達、姉、僕。友達の人が誰なのか妙に気になる。</p><p>・</p><br><p>-　4歳の頃　-</p><p>・オズの魔法使いのミュージカルに母と姉、僕、ハル（保育園の友達）とその母親で観劇。</p><p>　前から二列目で左端にいた。ブリキの男が演技中、客席に向かって</p><p>　目から水を勢いよく飛ばす（演出）僕に、水がかかったんだけどすごく嬉しかった。</p><p>・夏、同じ保育園の女の子に告白される。子供すぎて理解できなかった。</p><p>・クリスマス。目が覚めると枕元に車のラジコンが置いてあった。</p><p>　無線式ではなくコード付きのもの。姉のもらったコアラのぬいぐるみがよかった。</p><p>　前日いつもより頑張って布団のなかで起きていた。サンタさんに会いたかったからだろう。</p><p>　念願叶わず就寝。</p><p>・夜、豆電球をつけて明るくしないと眠れなくなる。暗闇が怖い。</p><p>・</p><br><p>-　5歳の頃　-</p><p>・</p><p>　</p><br><br><p>不定期で書いていきます。</p><br><p>記憶の整理。</p><p>　</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/junk-ameblo/entry-10180019426.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Dec 2008 02:25:00 +0900</pubDate>
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<title>新居への引越し</title>
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<![CDATA[ <p>新居に引っ越す。</p><br><p>このことについての記憶は断片的だが、いくつか記憶に残っていることがある。</p><p>新居を建てているときに両親と見に行ったこと。</p><p>まだフローリングが貼られていなくて、玄関から廊下にかけてコンクリートが打ちっぱなしで</p><p>こわいなー・・・と幼少ながらに思った。</p><br><p>新居が完成して荷物を運ぶときの記憶も僅かながら覚えている。</p><p>父親がかりてきた軽トラックに荷物を積んで荷物と一緒に荷台に乗って運ばれた記憶だ。</p><p>きゃっきゃっと、はしゃいでいた記憶なんだけど今思えば危ないことしてたんだなーと。</p><br><p>前のアパートに住んでいた記憶は文章にするとほんの僅かなんだけれど</p><p>もう少し書くことはあるだろう。けれどそれはあくまで自分の思い出として胸にしまっておこう。</p><br><p>けれども自分の人生の中できっと生まれてから新居に引っ越すまでの間が、</p><p>大人になり自立して家庭を持つまでもっとも幸せだったと確信をもって言える。</p><br><p>新居に引っ越してからの記憶を辿ると、書きたくないと思うことがたくさんでてくる。</p><br><p>きっと、この時というのは自分にとって不遇の時代であり、</p><p>短い人生の中で幾度となく絶望を感じたともいえる。</p><br><p>親にとって子供を作るということは、その過程でいくつか選択肢がしょうじるが、</p><p>子供にとってみれば親は選べず、その家庭に生まれることは避けようがない。</p><p>成長するまでの間、子供はじっと耐えて我慢するしかないのだ。</p><br><p>新居の記憶のなかで真っ先に思い出すことは両親の喧嘩の声だ。</p><p>一階に両親の寝室があり、二階に僕と姉の部屋があるのだが、両親の喧嘩の声が</p><p>二階にまで響き、よく耳を塞いでいた。極度のストレスがあったのか僕は両親が喧嘩をするたびに</p><p><font size="2">嘔吐していた。吐くことに罪悪感があったのか、いつも親にばれないように処理をしていたので</font></p><p><font size="2">きっと親は気がついていなかったと思う。両親の喧嘩の声が本当に怖かった。</font></p><p><font size="2">そしてなんだかわからないけど不安で不安でしょうがなかった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">この頃、子供ながらに悪いのは父親でかわいそうなのは優しい母親という図式ができていた。</font></p><p><font size="2">なぜ父親が悪いのか？きっと普段から父親は怖い人で子供にも厳しい人だったからだろう。</font></p><p><font size="2">それに比べ母親は優しく、とても綺麗な人だった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">新居に引っ越して暫くすると自宅近くの小さな保育園に半年ほど通う。</font></p><p><font size="2">とても小さな保育園だったので運動会などは自宅から800mほどはなれた大きな保育園で</font></p><p><font size="2">共同で開催させてもらっていた。園児の数も20人はいなかったと思う。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">その保育園の記憶は当時3歳ということもあり、身体も身長も一番大きくてなんだか恥ずかしかった。</font></p><p><font size="2">いきなりお兄ちゃんになってしまったのだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">前述した運動会の時など、徒競走に出たのだけれど園の事情かなにかで、</font></p><p><font size="2">父母が見守る中一人で走った。気恥ずかしさが勝るなか全力で走ったとき</font></p><p><font size="2">ゴールのテープが僕一人の為に用意されていた。なんか嬉しかったな。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">4歳のころになるとこの大きな保育園にうつる。</font></p><p><font size="2">相変わらず両親は不仲だ。姉の記憶は薄く両親の喧嘩の印象しかなかった。</font></p><p><font size="2">年齢で組分けをする。たしか、みどり組だったと思う。この頃は保育園に通うのが楽しかった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">おまるとかの消毒液のにおいが独特で今でも似たようなにおいを嗅ぐとついこの頃を思い出してしまう。</font></p><p><font size="2">園児の使用するトイレにいつも洗ったおまるが置いてあったから印象的なんだろうな。</font></p><p><font size="2">お遊戯会などで使った、絵の具や粘土も独特のにおいだった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">印象的なこと。夏に保育園に園児達が泊り込み、キャンプファイヤーをやった。</font></p><p><font size="2">夜、</font><font size="2">天井のボードを見ていると模様がお化けに見えて怖い。</font></p><p><font size="2">非常灯の明かりがさらに不気味に思えた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">入園して初めて友達ができる。二人親友ができていつも遊んでいたんだけど、</font></p><p><font size="2">その内の一人となぜか運動場でとっくみあいの喧嘩をする。</font></p><p><font size="2">記憶の中できっとこれが生まれて初めての喧嘩だった。鮮明なのはラストシーン。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">左の頬に平手打ちをもらったんだけど、この時相手の爪が僕の頬を切った。</font></p><p><font size="2">勢いで目を閉じたんだけどまぶたのなかで真一文字に閃光が走った。</font></p><p><font size="2">結果は僕の負けで、頬を切ったあとわんわん泣いたなー。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">この頃父親の車は茶色のスカイラインみたいな奴。テールランプに丸が並んでいた。</font></p><p><font size="2">夏は毎年鮎釣りにつれていってもらう。途中姉がいつも車酔いで吐いていた。</font></p><p><font size="2">夜、ドライブ。いつもの車じゃない。とても小さな車だった。ビートル？なんか変わった車。</font></p><p><font size="2">父親は友達に借りたって言っていた。夜遅い時間なのに港みたいなとこに行く。</font></p><p><font size="2">お土産屋さんでヘリコプターのおもちゃを買ってもらう。白がベースで黒のツートンカラー。</font></p><p><font size="2">側面に「NYPD」と書いてあった。丸いフォルムだったからデフォルメしたものだったんだろう。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">今思えば不思議。いつもは寝る時間なのに遅いドライブ。この時は母親はいなかったと思う。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">両親の喧嘩もちょうど悪化の一途。相変わらず耳を塞いで吐いていた。最悪だったな。</font></p><p><font size="2">本当に子供の目線で考えると、喧嘩の理由なんて子供にはわからない。</font></p><p><font size="2">ただ、恐怖感と「僕が悪いんじゃないか？」という罪の意識、極度のプレッシャーとストレスを与えます。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">この頃父親は酒をのんでは母親に悪態をつく、手を上げる。母親も子供達には見せない一面を</font></p><p><font size="2">父親にみせるのだろうか、ヒステリックな声で応戦する。最悪の極み。死にたいと人生で初めて思った。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">たちの悪い冗談に聞こえるかもしれないが、友達に「俺、保育園ときに人生に絶望した男やで（笑）」と</font></p><p><font size="2">言うことがある。まぁ友達はみんな笑ってくれるんだけど背景はこんなんでした。</font></p><br><p>冷静にこの頃を考えてみる。</p><p><br></p><br><p>父親はDV（バタラー）だ。完全なまでの悪。母親はDV被害者。</p><p>（具体的なＤＶ等は後述で）</p><p><br>ＤＶやモラスハラスメントは許せない。</p><br><p>バタラーやモラ夫になる原因てあるのだろうか？</p><br><p>アパートに住んでいた頃、父が暴れた記憶が一切なく、</p><br><p>母に何かしたというそういった印象は皆無なのだ。</p><br><p>じゃあなぜ？きっかけはあるのだろうか？<br></p><p>次はそのきっかけになったかもしれない出来事の記憶を辿ろう。</p><br><br><br><p>記憶は曖昧だと言うけども、子供の記憶は馬鹿にできないと思う。</p><br><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/6a/cf/10120570340.jpg"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/c6/0e/10121428174.jpg"><img height="110" alt="事実は小説よりも奇なり-4歳の自分" src="https://stat.ameba.jp/user_images/c6/0e/10121428174_s.jpg" width="220" border="0"></a> <br><br><br></p>
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<pubDate>Wed, 17 Dec 2008 00:28:20 +0900</pubDate>
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