<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>junk797のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/junk797/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/junk797/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>誰のせいか</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　ワーホリを通して感じたことがあります。僕のワーホリ生活は、はっきり言って楽しいものではありませんでした。言葉の通じないことへのストレス、奴隷のような仕事、ルームシェアでのストレスなど総合的に居心地の悪い日々を過ごしていました。これは何の、もしくは誰のせいか。紛れもなく自分です。その居心地の悪い日々を選択した自分が悪いんです。これはネガティブだとかいうことではなく、前向きな反省です。</p><p><br></p><p>　初めのうちは金銭的な面で我慢が多いのは仕方ありません。シェアルームで汚いけど安い部屋も英語が話せないがための奴隷のような仕事も仕方がないことでした。ただ、少し金銭的な面に余裕が出てくると環境を変えることもできました。少し高いけど家賃を払える程の1人部屋も、英語力上達のための仕事も選ぶことはできたはずです。でも僕はそれを選択しなかった。居心地の悪さを僕自身が選択したんです。ただ、この選択が間違っているとは思いません。間違ったことがあるとすれば、そんな居心地の悪さを文句垂れたことです。日々のストレスから心の余裕もなくなり、その居心地の悪さを環境や人のせいにしました。その生活を選んだのは自分なのに、海外は性格的に合っていないとか、ルームメイトに腹が立つとか、散々文句を言っていました。文句を言うぐらいなら、できることはいくらでもあるだろうに。</p><p>　居心地の悪い日々を送るのは精神的に良くないことではありますが、成長するという意味では必要なことだと思います。ただし、その日々をより良いものにしようとしたときに意味が生まれます。僕はそれすらできませんでしたが、良く言えば忍耐力がつき、自分と向き合うことができたと思っています。だから、環境や人のせいにせず、そんな生活を選択した自分をより正しい道に進めるべきでした。</p><p><br></p><p>　これは今後生きていく上でも必要なことだと思います。居心地の良い場所に留まり続けることは成長を止めると言われています。成長に必要なのは不確かさ、挑戦、少しのストレスと混乱だと。ただ、そんな困難な道を選んだのなら、選んだことに気づいていなかったとしても自分の選択に責任を持ってやり遂げるべきです。そして、成長を感じればまた居心地の良い選択をしてみればいいんじゃないでしょうか。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12904202907.html</link>
<pubDate>Sun, 18 May 2025 23:16:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ワーホリをするなら</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　ワーホリに行く前に、ワーホリについて調べているとほとんどのワーホリ経験者が言っていたことがあります。それは自分がワーホリで何がしたいのか、つまり行く目的をはっきりはせておくべきだということです。僕自身の目的は厳しい環境を生き抜くことで強くなれるんじゃないかという漠然とした目的でした。それで十分じゃないかと思っていました。でも、実際にワーホリをしてもうすぐで半年が経ちますが、目的をはっきりさせておくべきという意味が今では痛い程身に染みて感じています。</p><p>　海外でなければいけない理由は何なのか、それがそこに行かなければできないことなのか。これらを明確にしておかなければ、モチベーションと目的が有耶無耶になって、何のためにこんなことをしているのかという漠然とした悩みでじわじわと苦しむことになると思います。僕の目的自体、海外でこういうことをしてみたい！という明確な目的ではなく、言語も通じない厳しい環境で自分の力で生き抜く、楽しむためでもないという、苦しむ前提の目的であったため余計にただ苦しいモチベーションのない日々を送っているのだと思います。もちろん、友達を作ったり、様々なことに挑戦する中で目標を見つけたり、楽しみを見つけたりと模索するべきなのですが、それができていないというところを考えると、そこが僕の弱さというかダメな部分です。</p><p><br></p><p>　これはワーホリに限った話ではないと思います。人生において明確な目標目的がなければ、楽しく豊かな日々は送れないでしょう。</p><p>　まあ、人によりけりですが、僕にとっては大切なことだと気づきました。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12890954812.html</link>
<pubDate>Sat, 22 Mar 2025 20:11:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>人間</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　嫌でも日々は過ぎて行くわけで、食べたくなくてもお腹は空くわけで、泣きたくなくても涙は出るわけで、寝たくなくても眠くなるわけで、死にたくても生きるわけで。まるで何かに、生き続けなければならないと言われているような。</p><p>　自分が悲しくて苦しい時でも、お構いなしに世界は回っていて、誰からも必要とされていないように感じて、自分という存在の無力さにまた寂しくなる。</p><p><br></p><p>　今の環境においては僕はことごとく無力だろう。実際に本当の意味で誰かに必要とされていない。会話もろくにできなければ誰かの力になることもできない。僕にとって、誰からも必要とされないのは1番の苦痛だ。ただ、僕自身誰かを必要としていない助けを求めようと動いていない。人に愛されたければ人を愛せ、人に信頼されたければ人を信頼しろ。他人は自分だ。分かっていても行動できない。まだまだ甘い。弱い。</p><p>言い訳ばかり考えて動こうとしない。自分を諦めている。</p><p><br></p><p>　ああ、なんと人間らしいことか。非力で愚かでみっともない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12890358239.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Mar 2025 04:27:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>心の中の怪物</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　人間の人格は3歳ぐらいから形成し始めて10歳ぐらいで確立すると言われているそうです。この約7年の間は、まだ周りの環境を自ら変えるということが難しい幼い子どもです。このどうすることもできない周りの環境によって自分の価値観や特性が決まってしまうのもなんだか厳しいですね。そしてこの約7年の間に心の中に怪物を産んでしまった場合、この怪物は消すことはできず生涯心の中で飼い続けなければなりません。</p><p><br></p><p>　僕の心の中の怪物は、自分が大した人間ではないことを分かっていても心のどこかで他人を見下してしまうという特性を持っています。他人事のように言っていますが、自分ごとのように言うと僕の欠点です。何度この欠点を嫌に思ったことか、無くしたい欠点の１つです。しかしこれを消すことはおそらくできないのだと思っています。何度も消そうと試みてはみましたが、どうにも消えてくれません。おそらく、人格形成時に生み出したものなのでしょう。というのも、心当たりがあるのです。僕は幼い頃から、人一倍周りの目を気にしていたと思います。どう立ち振る舞えば大人に褒められるのか、そんな事ばかり気にしながら過ごしていた子どもらしくない、可愛げのないガキだったのです。そのせいもあって、周りからは「あの子は気が遣える子だ。」とか「周りをよく見れている。」とかいろいろ褒められました。それに「自分は他の人よりも優れているんだ。」と優越感のようなものを感じた時、僕の中に怪物が生まれたのだと思っています。これが5歳の頃あたりです。しかし、10歳を過ぎた頃に気づくのです。「ああ、自分は別に特別ではない、大した人間ではないな。」ということに。しかし、5歳ごろから10歳を過ぎるまでに染みついた自尊心は、今もなお消すことができないのです。どんなに周りの厳しい現実を突きつけられようとも、心の中に潜む怪物の自尊心が消えてくれることはないのです。正直、嫌です。消えて欲しいです。でも消すことはできないのです。では、どうすればいいのでしょうか。</p><p><br></p><p>　3歳頃から10歳頃までに確立された人格は変えることは困難だと言われています。つまり、おそらくこの間に生まれた怪物を消すことも困難だということです。しかし、変えられることもあるようです。それは人間性、つまり人格形成時に確立された特性をネガティブに発揮しないよう理性的にコントロールをすることができるということだそうです。要するに、怪物を飼い慣らすことができるというわけです。僕の怪物の場合は、どうしても人を見下してしまうことをやめられないのなら、見下してもいいがそれは心の中だけにして表には出さないようにする。全く解決にはなっていませんが今できる飼い慣らしの方法はこれかなと思います。生涯ついてくる怪物なら時間をかけて飼い慣らしてやろうではないか。</p><p><br></p><p>　みなさんにも心の中の怪物はいますでしょうか。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12888438025.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Mar 2025 21:53:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>嘆き</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　結局人は自分のことで精一杯。他人のことを気にしている人なんていない。誰かの悩みや不安なんて分かるわけがないし、知ったこっちゃない。反対に、自分の悩みや不安も他人には分かるわけがないし、知ったこっちゃない。だから、誰かに不安を打ち明けたところで望んだ答えは返ってこない。アドバイスが欲しいわけじゃない。黙ってくれ。そんなアドバイス分かった上で悩んでるんだ。</p><p><br></p><p>　悩みや不安を抱えている今だからよく分かります。「女の人の悩み相談にアドバイスは不要」と聞いて、よく分からないなあと思ったことがあります。でも今なんとなくその意味がわかった気がします。今は誰のアドバイスもいらない。ただ共感して欲しい。なんと都合のいい考えでしょうか。なぜ人は誰かに自分の辛さを知ってもらいたいのでしょうか。誰も分かるわけがないのに。特に、説明するのが難しい漠然とした不安は、他人が理解することは難しいのです。だから自分でなんとかするしかないんです。勇気を出して誰かに弱音を吐いても、返ってくるのは、分かりきったアドバイスや理解の足りない返事です。当然です。自分の悩みは自分にしか分からないのだから。他人は悪くありません。自分が悪いわけでもない。仕方がないことなのです。だからもう自分で解決するのが1番です。そうやって人は強くなるんだと思っています。</p><p><br></p><p>　でも、そうやって1人で悩んだからこそ、誰かの力になれることがあると思います。漠然とした悩みや不安に苦しんでいる人に寄り添える人になれるんだと思います。きっと自然に触れ合うのがいい。自然は何も答えずただそこにいてくれる。でもそれが今の自分には優しさになる。</p><p><br></p><p>　何もかも忘れて、自然と触れ合いに行こう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12888326553.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Mar 2025 23:58:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私の世界</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　僕たちが当たり前に思っていることは改めて考えてみると大抵大切なことであって、その当たり前に目を向けることでより一層人としての深みを生むことができると思います。今回はそんな当たり前の１つについて書いていこうと思います。</p><p><br></p><p>　僕は今ワーキングホリデーでオーストラリアに来て５ヶ月が経とうとしています。正直言って辛いです。ただ具体的に何が辛いのか未だに答えが出せていません。僕は日本にいる頃から1人でいるのは苦じゃなかったし、ワーホリが辛いものだと覚悟もしていました。だから今回書くことはまだ僕自身整理できていないことなので、少しでも整理できるように書いていきます。ワーホリをしているとよく分かるのは、同じ日本人でワーホリや語学留学で来ている人がいるのですが、この生活を「すごく楽しんでいる人」と「疲れた。日本に帰りたい」と思っている人がいることです。仕事や周りの環境は違いますが、長く住んだ日本を離れて海外で生活をするという同じ状況でどうして人によってこんなにも思うことが違うのか。当たり前のことですが、大切なことだと思うんです。</p><p>　僕は早く帰りたいと思っている人なので、どうして自分は他の楽しんでいる人のようにできないのかを考えました。そもそも人が違うんですよね。同じ状況であっても何に喜びを感じ、何に悩み苦しむのかは人それぞれです。きっと僕が辛いと思うことも他の人にとっては何とも思わないことだったり、なんなら楽しいとまで思う人もいるでしょう。これはワーホリに限った話ではありません。僕たちの周りの環境、たとえば学校や職場でも同じです。同じ環境に置かれた人であっても人によって物の捉え方は人それぞれです。自分より悩みがなさそうに見える他人であっても、その人の中では何かしらの悩みを抱えていて、そしてその悩みは自分にとっては大したことない悩みだったりもします。そして、何に喜び何に悩むのかをコントロールすることはほとんど不可能だと思います。だから僕は今、自分の生きることの下手さに軽く絶望しています。</p><p>　とにかく、どれだけ同じ環境に置かれた人であっても人にはそれぞれ自分の中の世界があり、その中で生きていきます。何に幸せを感じ、何に不幸せを感じるかは人によって似ているようで違います。だから完全に人と分かり合うことはできません。自分の苦しみは自分にしか分からない。本当に分かるのは実際に体験してそれを感じた自分しか分かりません。だから、あなたはあなたの世界の中を僕は僕の世界の中だけでしか生きられないと思います。しかし、この人によって違う世界が完璧に同じ人はいませんが、似た経験をして似たことを感じた人の世界は自分の世界と似ています。同じ地球で住む以上こういう人は必ずいます。そういう人とは完璧にではなくとも分かり合うことができると思います。分からない人であっても理解しようとしてくれる人もいます。僕たちが持っているこの苦しみをわざわざ人に聞いてもらう必要はないと思っていますが、やっぱり人は誰かに聞いて欲しいんです。そんな僕たちの、僕の心の叫びを聞いてくれる人に出会えるまで頑張ります。</p><p><br></p><p>　なんか上手くまとまりませんでしたが、僕が言いたいことは、彼女募集中です！！</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12887945319.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Feb 2025 22:11:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生きてることが辛いなら</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　森山直太朗さんの歌に『生きてることが辛いなら』という曲があります。歌詞は「生きてることが辛いならいっそ小さく死ねばいい」という詞で始まります。みなさんは小さく死んでみたことがありますか？そもそも小さく死ねばいいとはどういうことなのか。</p><p><br></p><p>　生きてるのが辛い、死にたいと思った時、高層ビルの屋上や高い崖の際に立ってみてください。実際に、本当に死のうとしてみるのです。死は絶対の恐怖です。少しでも躊躇するようであれば、考え直すべきです。死ぬことへの恐怖は、まだ死ねない証拠です。歌の歌詞の最後はこうあります。「生きてることが辛いなら、くたばる喜びとっておけ」死を望む人にとって、死は救いになるでしょう。でもその救いをより良いものにするために、もう少し我慢してみてはどうでしょうか。本気で生きているのが辛い人のその辛さは、その人にしか分かりません。だから死ぬなということも言えません。ただ、もしあなたが実際に死の間際に直面して少しでも躊躇したり、大切な人やものが頭によぎったなら、もう少しだけ生きてみませんか？生き方は僕たちが知らないだけで無数にあります。くたばる喜びはとっておきましょう。たとえ、学校や仕事を辞めてもどこへ逃げても生きることを諦めなければきっとなんとかなると思うんです。無責任な言葉かもしれませんが、いつかきっとあの時死ななくてもよかったなと思う日が来るかもしれません。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12887839833.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Feb 2025 01:27:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>サボり方</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　もう少し先の話ですが、新年度が近づいてきているということで今回は少し話したいことがあります。新年度、特に若い人は新しい環境に身を置く人が多いのではないかと思います。新しい学校、新しい職場、新しいクラスに新しい家など様々です。新年度とは関係なく今何かに一生懸命取り組んでいる人。そんな人たちにも向けて書いていきたいと思います。</p><p><br></p><p>　僕は、今オーストラリアで生活しています。性格上やスキルの無さなどが原因で非常に精神的に辛い日々を送っています。逃げたいけど、生活するためにはやるしかないんです。やりたくない仕事も我慢しなければならないことがいっぱいです。こんな事って誰にでもあると思います。やりたくないけどやらなければならないこと。精神的に辛くなるでしょう。だから僕は考えました。「サボってしまえ」と。ずっと一生懸命にやってたらそりゃあ疲れますよね。だったら誰にも気づかれない程度に、上手い具合にサボればいいんです。自分が楽な様にしてやればいいんです。ただ、人は誰しも無意識にこれをやっているんだと思います。初めは全力でやっていたこともだんだん慣れてくると少し手を抜いてみたり怠ってみたり、それは無意識のうちに自分を守っているのではないでしょうか。でもそれでいいと思います。辛くてどうしようもなる前に上手くサボって、やる気になったらまた一生懸命やればいいじゃないですか。でも、サボり方を覚える前は一生懸命に基礎をつけておかなければいけません。</p><p><br></p><p>　自分の楽な様に。自分を大切に。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12887079951.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Feb 2025 21:26:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>決断</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　ある動画をYouTubeで見ました。そこである人がこうおっしゃっていました。「今の日本人は仕事はできているが、生きることができていないんじゃないかと疑っている。」と。生きるために仕事をしているが、生きることができていないとはどういうことか。これは話の前後を聞けば分かるのですが、こういった時代を続けたから我々は本当に何がしたいのかが分からなくなってしまった、幸せが何なのか分からなくなってしまったということでした。</p><p><br></p><p>　今、僕はワーホリでオーストラリアに来ています。皿洗いの仕事を２つ掛け持ちして月曜日から日曜日まで毎日働いています。この２つの仕事に就くまで苦労しました。家賃も払えず、ご飯もろくに食べられない。ここでは英語力や特別なスキルがないと仕事を見つけるのが非常に困難です。だからスキルのない僕には仕事を選ぶことすらできません。とにかく何かしらの仕事に就いてお金を稼がないと生きていけません。なので今ようやく２つの仕事に就けたことで、なんとか生活することができています。相変わらずお腹いっぱい美味しいものを食べることはできませんし、ルームシェアで人に気を遣いながら生活しなければなりませんが、ようやく安定してきた様な気がします。しかし、お金の不安が減ってくると同時に、楽しみも減りストレスだけが増えてきました。最近はそのせいで少し気持ちも沈み気味でおかしくなってしまうんじゃないかと自分でも気づき始めていました。ただこの辛さを乗り越えて僕は強くならなければならない。そう思ってなにくそとやってきました。そして、ある時前述した1本の動画をYouTubeで見たわけです。それを見て僕は思いました。「ああ、自分は生きることができていないんだ。」と。だから今日、２つの内１つの仕事を辞めました。辛いことに耐えて強さを求めることは、何も間違っているとは思えないし、未だに必要なことだと思っています。ただ、生きることができていないことは良くないんじゃないかとも思いました。ワーホリに来たのは経験のためで、そして強くなるためでもあります。月曜日から日曜日まで働くこの生活は辛い、でもそれを乗り越えて強くなるんだと思い、続けてきました。ただ1本の動画を見て、「そうだ、自分は生活はしているけど本当の意味で生きることはできていない。」「ここで仕事を辞めたとしてもどうせこれからまた辛くなるんだからそこをまた乗り越えればいいじゃないか。」と自分に言い聞かせて仕事を辞めました。</p><p>　僕は辛さから逃げたことになるんでしょうか。弱い人間なのでしょうか。ただ、心は少し軽くなりました。そして、空いた時間でやろうと思ったこともあります。お金に関してはまた苦労するでしょうが、少しの幸福は得られるのではないかと考えています。この選択をして良かったと思えるよう生活していきたいと思います。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12886726601.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Feb 2025 03:15:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>逃げる</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　僕は過去に何か辛いことや苦しいことがあった時、それから逃げたことがあります。みなさんにも何かから逃げた経験はありますか？そして、逃げることに対してどう思いますか？</p><p>　</p><p>　僕は逃げました。ただこの逃げは、誰もが当たり前のようにやっていることからの逃げでした。だから、逃げるのことに対して、周りからも自分の中でも抵抗がありました。みんながしているのに自分だけ逃げるのかと。みんな辛い中頑張っているんだから、自分だけ逃げちゃだめだろう、と。でも、当時の僕はそのまま逃げずに続けていたら生きることから逃げていたかもしれません。この世で逃げてはいけないことがあるとするなら、生きることから逃げることただひとつでしょう。だから、逃げてもいいんだと。仮にみんなが辛い中頑張っていることだとしても関係ない。人はそれぞれ辛いと思うことも幸せだと思うことも違うんだから。逃げてもいい。</p><p><br></p><p>　僕は生きることから逃げた人を知っています。その人はおそらく辛いこと苦しいことから逃げる方法を見つけられなかったんだと思います。もうなにもかも嫌になって、生きることから逃げてしまった。その人は楽になれたのかもしれません。ただもう幸せだと感じることすらできなくなってしまいました。</p><p>　逃げ場所なんてどこにでもあります。見つけることを諦めなければきっと見つかると思います。だから、生きることから逃げることだけはしないでほしい。生きたまま逃げてほしい。恥ずかしいとか情けないことだと思うかもしれない。ただ、その逃げた経験を次に活かせばいい。一度逃げたことがある人、それを情けない、恥だと感じた人は次の困難に打ち勝つ準備だったんだとそう思えればいいと僕は考えます。</p><p><br></p><p>　逃げることも大切です。そして逃げた後どう行動するのかも大切です。もし、なにか辛いことや苦しいことがあってもうこれ以上は耐えられない、死ぬしかないと考えてしまいそうなら、逃げてやりましょう。生き方なんて探せばいくらでもあります。逃げた先にも困難はあるかもしれません。その時はまた逃げましょう。そして心に余裕ができたら、その逃げた経験を活かして誰よりも向上すればいいじゃないか、と僕は自分に言い聞かせながらワーホリをやり切ろうと思います。今回は逃げない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/junk797/entry-12886077599.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Feb 2025 00:01:56 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
