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<title>Juris_Dのブログ</title>
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<title>被爆者認定訴訟（⑧）</title>
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<![CDATA[ ４　ところで、前記の「原子爆弾後障害症治療指針について」によれば、治療上の一般的注意として、「原子爆弾被爆者に関しては、いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え、その経過及び予防について特別の考慮が払われなければならず、原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上、被爆者の受けた放射能特にγ線及び中性子線の量によってその影響の異なることは当然想像されるが、被爆者の受けた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり、また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが、治療を行うに当っては、特に次の諸点について考慮する必要がある。イ　被爆距離　この場合、被爆地が爆心地からおおむね二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。ロ　被爆後における急性症状の有無及びその症状、被爆後における脱毛、発熱、粘膜出血、その他の症状を把握することにより、その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある。」とされている。また、昭和三三年八月一三日付厚生省公衆衛生局長の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」（〈書証番号略〉）によれば、「被爆者の健康診断を行うに当って特に考慮すべき点は、次のとおりである。（一）被爆者の受けたと思われる放射能の量　原子爆弾の放射能に基づく疾病である限り、被爆者の個々の発症素因、生活条件等は別として、被爆者の受けた放射能の量が問題になることはいうまでもない。しかし、現在において被爆当時に受けた放射能の量を把握することはもとより困難であるが、おおむね次の事項は当時受けた放射能の量の多寡を推定するうえにきわめて参考となりうる。１　被爆距離　被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えてさしつかえない。２　被爆場所の状況　原子爆弾後障害症に関し、問題となる放射能は、主としてγ線及び中性子線であるので、被爆当時におけるしゃへい物の関係はかなり重大な問題である。このうち特に問題となるのは、開放被爆としゃへい被爆の別、後者の場合には、しゃへい物等の構造並びにしゃへい状況等に関し、十分詳細に調査する必要がある。３　被爆後の行動　原子爆弾後障害症に影響したと思われる放射能の作用は、主として体外照射であるが、これ以外に、じんあい、食品、飲料水等を通じて放射能物質が体内に入った場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。従って、直ちに他に移動したか等、被爆後の行動及びその期間が照射量を推定するうえに参考となる場合が多い。（二）　被爆後における健康状況　前述の被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて、被爆後数日ないし、数週に現れた被爆者の健康状態の異常が、被爆者の身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。すなわち、この期間における健康状態の異常のうちで脱毛、発熱、口内出血、下痢等の諸症状は原子爆弾による障害の急性症状を意味する場合が多く、特にこのような症状の顕著であった例では、当時受けた放射能の量が比較的多く、従って原子爆弾後障害症が割合容易に発現しうると考えることができる。」とされている。<br>　被告は、これらの通知は、未だＴ六五Ｄも発表されておらず、正確な<font color="#ff0000">被曝</font>線量の評価方法がなく、閾値の存在も明らかになっていない時代に発せられたものであり、また、あくまで原子爆弾後障害症の治療あるいは原爆被爆者の健康診断の実施に当たって留意すべき点を述べたものに過ぎない旨主張する。しかし、現在においても右通知は効力を失っていないことはもとより、前記のように、現在においても、現実に投下された原子爆弾の被爆者についてＤＳ八六による推定<font color="#ff0000">被曝</font>線量及び閾値のみによって放射線の影響の有無を一律かつ終局的に判断することは必ずしも相当ではないし、原子爆弾被爆者の<font color="#ff0000">被曝</font>線量の正確な算出には困難があるため、被爆者の諸病歴、諸現症状については、被爆との関係を考え、被爆者の諸素因、被爆時の諸状況、特に、被爆距離、被爆場所、被爆後の行動等あるいは被爆直後の急性症状等の健康異常から、その<font color="#ff0000">被曝</font>線量及びこれによる原爆障害症の発現等を推定するなどして放射線の影響の有無を総合的、体質的視点から判断する必要性がある、という点では、原爆医療法八条一項に基づく認定も原子爆弾後障害症の治療あるいは原爆被爆者の健康診断の実施と共通しているのであるから、原告の現在の症状に対する放射線の影響の有無を判断するうえで、右各通知の考え方は相当なものとしてなお十分に参酌しなければならないものと考える。<br>５　このように見てくると、現実に長崎に投下された原子爆弾により爆心地から二ないし三キロメートルの地点でかつ爆心地方向にこれといった遮蔽物のない箇所において被爆するなどし、その傷害作用により負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者が、たとえＤＳ八六による推定線量及び閾値によれば、<font color="#ff0000">被曝</font>線量が閾値に及ばないため、被爆者の症状に対して放射線の影響を疑われる場合であっても、被爆当時幼若であったなど放射線感受性が強かったほか、原子爆弾の爆風等により瀕死ともいうべき重篤な外傷を負うのと同時的、共時的に放射線に<font color="#ff0000">被曝</font>し、しかも被爆後に放射線<font color="#ff0000">被曝</font>以外の原因では説明できない急性症状を示し、かつ、被爆直後から通常の治療を受けておりながらなおその傷害部位の治癒が免疫能の低下を疑わざるを得ないように異例に遷延し長期間を要した結果、損傷が著しくなり現在の諸障害症状に至った等という事実関係のもとでは、その症状の原因として治癒能力に放射線が影響した可能性を否定することができないものとするのが相当である。<br>　これを原告についてみると、原告は約二・四五キロメートルの被爆距離で被爆し、このことそれ自体ではＤＳ八六による<font color="#ff0000">被曝</font>線量が前記閾値に及ばない帰結となるものであるが、前記認定の原告の被爆状況及び被爆後の状況等、特に、原告には、三歳五か月時に屋根瓦の直撃による意識不明を伴う頭蓋骨陥没骨折の致命的重傷を負うと共に放射線に<font color="#ff0000">被曝</font>したうえ、そのまま被爆箇所に留まってその余燼の中で生活し、避難のため被爆約一週間後に爆心地近くを通過したりもしていて、被爆後下痢及び脱毛があり、これらは放射線による急性症状と説明するほかはないものであり、かつ、右の外傷は医師の通常の経験例に比較して治療が困難であったもので、しかも、少なくとも富江町に疎開した後は栄養状態も悪くなく、医師の治療も受けていたにもかかわらず、結局、その治癒に被爆後二年ないし二年半という免疫能の低下を考えなければ説明が付かない程に異例の長期間を必要としたなどという諸事情があること、そして前記認定の頭部外傷から現在の疾病に至る諸経過等を総合考究すると、原告の頭部外傷は、通常の外傷に比較して治癒が遷延し、その結果脳の損傷が著しくなり、右片麻痺に至ったものと推認され、また、その原因として治癒能力に放射線が影響した可能性は否定できないものというべきこととなる。<br>第三　結論<br>　以上によれば、原告の現在の疾病は、原子爆弾の爆風の傷害作用によるものであり、かつ、原告の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているために現に医療を要する状態にあることを認めることができるから、原告の本件請求は理由がある。<br>（裁判長裁判官　江口寛志　裁判官　井上秀雄、同森純子は各転補のため、署名、押印することができない。裁判長裁判官　江口寛志）<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326569529.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:56:32 +0900</pubDate>
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<title>被爆者認定訴訟（⑦）</title>
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<![CDATA[ まず、科学に関する一般通念では、専門的科学者間に最も権威があり最良のものとされる、ある一定の、ことに先端的な科学的理論であっても、それはその科学者らの一時的・暫定的な合意であり、これに対する同意の契機は、本質的に諸々の期待による選択の問題であって、観測装置や基礎的データの客観的確実性への信頼、自己の研究実践の基本的準拠枠、科学的教育の影響、政策的な立脚点等がそれとして指摘されているが、いずれにしてもその定式化された化学理論が対象としている事象に対する認識力、理論的帰結に関して完全な規定性を有することはなく、本来解明可能とされるいわゆる科学的事象はなお将来における研究目標として維持されていても、必ず未解明の分野や反証の余地は残しているものであるとされているし、その一方で、解明された部分については、これを精確かつ簡潔にそして整合的に予測を導き応用の説明をするために、通常、数値的・数理的表現が行われるが、この数量化は具体的事象を言語等による説明以上に抽象化するものではなく、所詮は目的事象の一つの描写に過ぎないとはいえ、むしろ言語等によっては表現が困難な事柄を質的にも量的にも細密に、より具体的・多面的に説明するものとされているのであって、以上のような点に係わる原告主張は、そのうち、現実に投下された原子爆弾による被害の実態や障害事例の個性的細部に対しては未解明の側面があるのに、これらを定式化された特定の科学理論の概念的基礎を用いることのみによって一律かつ線形的に規定し尽くすことが容認されるとするかのような態度がかえって科学的合理性の見地からは適切ではない、というものである限りにおいて理由があるものといえる。<br>　ところで、<font color="#ff0000">被曝</font>線量推定方式であるＴ六五Ｄ及びＤＳ八六については、前記のとおり、被告は、これを最良の理論であることを前提にその適用関係について詳細に主張するが、その最良とする根拠については、被爆直後から行われた線量測定の結果、アメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれその時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合したからというのである。しかし、その最良性の議論は、本件においては、その理論自体が具体的な障害事例の個性的細部に対する適用に係わって問題視され、その正当性が問われている事案であるから、その主張の次元では十分ではなく、さらに具体化された臨床レベルで行わなければならない。ところが、その基礎資料のうち、まず、その核心的前提となるべき投下された原子爆弾の構造、能力等自体が明らかにされておらず、また、広島及び長崎における被爆者のデータが使用されているといいながらその具体的個別的な内容あるいは使用状況等が必ずしも明確でないのみならず、少なくとも被爆者の放射線による急性症状に関する調査については十分なものとはいえないし、結局のところ、現実に投下された原子爆弾による放射線による人体及び物体に対する影響から放射線量が推定されたものというよりは、他の立証がない限り、主としてアメリカ合衆国ネバダ砂漠における実験の観測結果を中心的資料として放射線量を推定したものと推認せざるを得ず、そうだとすれば次に科学的実験のもつ後記のような一般的限界が問われなければならないことにもなる。しかも、Ｔ六五ＤとＤＳ八六のそれぞれの誤差とか、現在かなり精確なものと評価されているＤＳ八六についても実測値と異なるとかの前記指摘があることからすると、たとえ現在の専門的知見において精確なものと評価されているにしても、現実に投下された原子爆弾の被爆放射線による<font color="#ff0000">被曝</font>線量との比較においてどれほど精確かという観点からは、その精確性の限界に疑問を入れる余地がまったくないわけではない。<br>　また、Ｔ六五ＤあるいはＤＳ八六による推定線量と前記１の（四）で認定した放射線の人体に対する影響についての閾値については、被告は、その積極的な根拠として、前記のとおり、放射線<font color="#ff0000">被曝</font>の人体に及ぼす影響については、一八九〇年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されている等の主張をしているが、本来的な性格からいって純粋科学上の説明概念である「閾値」自体もその基礎的観察データの吟味が厳密になるに連れてその有効性の度合いが限定されるという関係にあるもので（証人肥田舜太郎）、これは理論的説明を細密化するだけでは到底支えきれる事柄ではないといえるほか、本件においては現実の原爆被爆の障害事例の個性的細部についての議論が提起されているにもかかわらず、この閾値の考え方の成り立ちを一般的に基礎付けるべき観察データの実例、範囲等について右の議論の個性的な細分化レベルにまで下降した客観的確実性の立証や、またその適用の帰結を原爆被爆における現実に観察可能な諸障害事例と比較して、これらが一致することを示す枚挙的な立証もなく、前記のとおり、現実に投下された原子爆弾の被爆者中には、閾値以下の<font color="#ff0000">被曝</font>線量しか<font color="#ff0000">被曝</font>しておらず、閾値の形式的適用の帰結としては、脱毛、吐き気、出血等の急性症状が発生しないはずの者にも、右のような急性症状が発生していることが、統計的にも、個別の事例としても認められ、これにいわゆる反証の非対称性の原則をも考慮に入れると、<font color="#ff0000">被曝</font>線量が閾値に達していないからといって、放射線の影響を直ちに否定してしまうことには問題が残らないとはいえない。これを逆に見てみると、脱毛のみならず、閾値と現実の急性症状が矛盾している右のような症状については、閾値の基礎資料として、広島及び長崎における前記（五）（六）の調査結果は中立かつ所与の観察データとしてそのままには使用されず、閾値は、主として実験結果あるいは医療の現場におけるデータを基礎資料としているのではないかという推測も妥当しかねないし、もしそうであれば、実験系においては、およそ、これに係わる先行理論に依存する定量的規則性獲得目的のための手続、解法、規則その他の実験装置の設計に従い、放射線以外の他の要素は無視できるように動物など被験対象等の初期条件を設定して行われるのが通常であるし、医療の現場におけるデータも、放射線を使用すること自体はあらかじめ計画され、治療等のために他の条件を限定的に整えるなどした上で医師等の監視の下に行われ、あるいは事故の場合であっても<font color="#ff0000">被曝</font>者の症状に他の要素が意味をもって関係することは通常考えられない。これに比較して、現実に投下された原子爆弾による被爆の場合には、そもそもこれが決定的な放射線大量殺戮兵器として実戦に使用され、放射線と共に有する爆風、熱線等の強大な被壊力による全体的な傷害作用を同時的、共時的に加えられ、被爆者によっては爆風による瀕死の重傷とともにあるいは熱線による大火傷とともに毒性のある放射線を浴びせ掛けられたもので、しかも被爆者は条件設定はおろかそれぞれなんの防備もなくその場で不意を打たれたという個々独自かつ複雑微妙なあるがままの状態で被爆し、受けた精神的衝撃は大きく、また、戦時中であってみな食料不足による栄養状態も悪い上、空襲等により精神的・肉体的に疲弊しているなど、実験や医療の現場とは大きく異なる条件下において<font color="#ff0000">被曝</font>したのであるから、これら被爆者の置かれた諸状況を捨象して、一般化された閾値（誤差の範囲を含めて）を一律に当てはめることで果たしておおかたの納得が得られるであろうかどうか疑問である。<br>　なお、被告は、閾値以上の<font color="#ff0000">被曝</font>線量がなければ脱毛が起こらないことは組織学的にも明らかであり、また、小児の中枢神経系白血病の予防治療における放射線治療で五〇ないし一五〇ラドを反復して頭部に合計一五〇〇ないし二四〇〇ラドを照射した場合においても、その副作用として神経症状である嗜眠傾向が一部に見られても、特別な治療をすることなく回復するとされていることなどをあげて、ＤＳ八六による放射線量に推定及び閾値を正当なものと主張し、これに矛盾する右のような急性症状については、栄養障害、肉体的衰弱、精神的ストレス等放射線以外の理由による説明が可能であるという。証拠（〈書証番号略〉）によれば、これに沿うかのような研究結果として藤本孟男ほかの「小児の中枢神経系白血病の予防治療に関する研究」（〈書証番号略〉）、白井寛の「広島市に於ける原子爆弾放射線病患者の毛髪変形象に就いて」（〈書証番号略〉）があることが認められるが、前者の研究における脱毛は、直接には、中枢神経系白血病予防治療事例について治療として患者の状態等に配慮した上で行われた頭蓋放射線照射による副作用の結果として捉えられたものであり、また、後者の研究は，原爆放射線患者の病勢標準による軽重と毛髪の形象変化との関連を狙いとしたものであって、必ずしも閾値との関係は明確でなく、前記のような状況下での原子爆弾による被爆と同一には考えられないから、これらにより前記判断が左右されるものではない。さらに、栄養障害等による説明は、その根拠自体が臆断の域を出ず、曖昧である上、閾値に及ばない<font color="#ff0000">被曝</font>線量とされる地点においても各症状を呈した被爆者の割合は、爆心地からの距離が遠くなるに従って減少するという一定の傾向を示しているのに、距離との関係が明確な放射線による影響を排除して、距離とは無関係な栄養障害等で説明しようとするのは無理があるといわなければならない。<br>　以上のとおりであって、ＤＳ八六による推定線量及び閾値により、<font color="#ff0000">被曝</font>線量が閾値に及ばないことを唯一の理由として、あらゆる被爆者の諸症状に対して放射線の影響を直ちに否定することはどうしても相当とは考えられない。　<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326568934.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:53:16 +0900</pubDate>
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<title>被爆者認定訴訟（⑥）</title>
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<![CDATA[ （七）　昭和六〇年に厚生省が行った原子爆弾被爆者実態調査報告によれば、長崎において爆心地から二ないし三キロメートルの地点で被爆した死亡者のうち急性障害によるものが三・二パーセント、広島においては五・四パーセント認められた。<br>（八）　昭和六〇年に日本原水爆被害者団体協議会が行った原爆被害者調査によれば、急性症状が現れた者は、爆心地から二キロメートルを超え三キロメートル以内の地点で被爆した者のうち五一・一パーセント、三キロメートルを超えた地点で被爆した者のうち三七・一パーセント認められた。<br>（九）　広島の太田川の上流の爆心地から約二・五キロメートルと思われる地点で被爆した少年ふたりは、いずれも熱線による火傷を負い、脱毛、下痢等の各症状を呈したが、兄は約六か月後に吐血して死亡し、弟はその約三ないし四か月後に下血して死亡し、両名とも放射線傷害による死亡と考えられる。<br>（一〇）　Ｗは、長崎市内の爆心地から約二・九キロメートルで、かつ、原告の被爆場所とほぼ同一方向の地点で被爆したが、被爆直後から発熱が続き、しばらくして脱毛が起こり、被爆後約一年間無月経であった。なお、同人は、昭和三四年六月二九日付で低色素性貧血及び下半身不随症により、原爆医療法八条一項の認定を受けている。<br>（一一）　Ｋは、長崎市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したが、被爆約一か月後に若干の脱毛があり、一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。また、原告の自宅近くの提灯屋の娘も全部脱毛した。<br>（一二）　広島市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したＴは、被爆当日の夜から発熱し、約一〇日後には脱毛及び血便があった。<br>（一三）　長崎市内の爆心地から約二・五キロメートルの地点で被爆したＢは、被爆時から発熱し、約一か月後に脱毛がみられ、約二か月後に鼻血、嘔吐、下痢があった。<br>（一四）　放射線による各症状の閾値については、広島及び長崎における被爆者のデータを基礎資料とするものもあるが、脱毛に関しては、被爆者のデータは基礎資料とされていない。<br>　以上のとおりであって、右の認定を前提に以下検討する。<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326567087.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:52:49 +0900</pubDate>
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<title>被爆者認定訴訟（⑤）</title>
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<![CDATA[ 五　原告の治癒能力に対する原子爆弾の放射線の影響について<br>１　証拠（〈書証番号略〉、証人安齋育郎、藤田正一郎、古賀佑彦）によれば、原子爆弾による放射線、その<font color="#ff0000">被曝</font>、その人体に及ぼす影響等について次のとおりの理解があることが認められる。<br>（一）　長崎に投下された原子爆弾はプルトニウム二三九を用いたもので、原子核に中性子を衝突させて爆発的な核分裂を起こし、それによって巨大なエネルギーを放出させるものであり、右エネルギーは、熱線、衝撃波とそれに伴う爆風、放射線という形で放出される。原子爆弾の爆発により生じる放射線は、爆発後直ちに放出される初期放射線と、それ以後の一定期間被爆地域に認められる残留放射線とに大別される。<br>（二）　初期放射線のうちα線とβ線は、空気中での透過力が弱いために地上まで到達することができないから、人体影響の点で検討すべきはγ線及び中性子線である。そして、Ｔ六五Ｄによれば、爆心地から二・四キロメートルの地点ではγ線四・一ラド、中性子線〇・〇ラド、総線量四・一ラドであり、爆心地から二・五キロメートルの地点ではγ線二・<br>九ラド、中性子線〇・〇ラド、総線量二・九ラドである。また、ＤＳ八六によれば、爆心地から二・四キロメートルの地点ではγ線二・九六ラド、中性子線〇・〇〇三五五ラド、であり、爆心地から二・五キロメートルの地点ではγ線二・〇九ラド、中性子線〇・〇〇二〇四ラドである。<br>（三）　残留放射線の<font color="#ff0000">被曝</font>には、身体の外から主としてγ線をあびる外部照射と、放射性物質が体内にとり込まれてβ線やγ線を受ける内部照射とを考慮する必要がある。残留放射線のうち外部照射としては、まず、原子爆弾から放出された中性子を吸収した物質の多くは放射性アイソトープに変わり、β線やγ線をかなり長時間にわたって放射し続ける誘導放射能があるが、β線は前記のように空気中での透過性が弱いために人体に対する影響を考える上ではγ線の線量が問題となる。次に、プルトニウムの核分裂生成物、プルトニウムの未分裂のもの、原爆器材が中性子を受けて誘導放射能を帯びたもの等が微粒子の塵埃の形で空中高く吹き上げられて大気中に広くひろがって降下する放射性降下物がある。また、内部照射としては、呼吸による吸入、食物や飲料水とともにあるいは皮膚を通して体内に侵入した放射性物質がある。そして、土壌放射化による無限大時間までの放射線量は、ＤＳ八六によれば、爆心地からの地上距離二・四五キロメートルの地点においては、〇・〇〇〇〇一ラド以下である。また、前記のような被爆後の原告の行動を考慮しても残留放射線による<font color="#ff0000">被曝</font>により、初期放射線と合わせた<font color="#ff0000">被曝</font>線量が前記初期放射線量の二倍にまで達することはない。<br>（四）　放射線<font color="#ff0000">被曝</font>の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響（確定的影響）とがあり、確定的影響の範ちゅうでは、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値があるが、癌の誘発と遺伝的影響が確率的影響の範ちゅうに属し、それら以外はすべて確定的影響に属するものとされている。そして、エックス線の発明等により放射線の人体に対する傷害作用が明らかになった以降の医療の分野や動物実験におけるデータ、更には広島及び長崎における原子爆弾の被爆によるデータ等により、確定的影響に属する各症状についてその閾値が求められ、現在においては、白血球減少は五〇ラド、吐気は一〇〇ラド、脱毛は三〇〇～五〇〇ラド、脳神経の障害は一〇〇〇ラドとされている。また、リンパ球の障害による免疫能の低下については、免疫能を持つ細胞を九〇パーセント殺す線量は約三五〇ラド、平均致死線量は八〇ないし一〇〇ラド、影響が検出されないという意味での閾値は一〇ラドより少し上程度とされている。<br>２　以上の見解を包括するＴ六五ＤあるいはＤＳ八六によって推定される原告の<font color="#ff0000">被曝</font>線量に基づく限りでは、脱毛、脳神経の障害、リンパ球の障害による免疫能の低下等についての一般的な閾値を下回ることになり、原告の現在の疾病は放射線の影響がないものと説明されることになる。<br>３　しかし、原告は、（これに関わる一般論的主張は前記のとおりであるが）Ｔ六五Ｄ、ＤＳ八六による<font color="#ff0000">被曝</font>線量の推定には限界があるうえ、前記の閾値のような従来の放射線防護学における<font color="#ff0000">被曝</font>線量と放射線障害との関係についての見解を原子爆弾の被爆者にそのまま適用することはできない旨主張するので、この点について検討する。<br>　証拠（〈書証番号略〉、証人安齋育郎、藤田正一郎、肥田舜太郎、古賀佑彦、Ｗ、Ｋ）によれば、次のとおり認められる。<br>（一）　Ｔ六五Ｄは、アメリカ合衆国のオークリッジ国立研究所の科学者によって発表された線量評価システムであるが、ネバダ核実験場で行われた各種の実験等から得られたデータ、一九五〇年代の前半から一九六〇年代の初めにかけて行われた広島及び長崎の被爆者との面接調査により集められた遮蔽等の被爆状況についてのデータ、日本の研究者により行われた、広島及び長崎における中性子により放射性物質となった鉄筋に含まれるコバルト六〇の残留放射能の計測結果等に基づいて、無遮蔽状態における原子爆弾の炸裂点からの距離の関数としての空気中線量及び被爆者の周囲の建造物等による放射線の遮蔽効果について記述したものとされ、ＤＳ八六が発表されるまでは最良のものとして使用された。<br>（二）　その後、アメリカ合衆国のローレンス・リバモア国立研究所とオークリッジ国立研究所において推定線量の見直しが行われ、一九八六年アメリカ合衆国及び日本の共同グループにより、Ｔ六五Ｄ作成時の実験結果、被爆者から得られた情報、その後の実験等の結果等を入力してコンピューターでシミュレーションするという方法でＤＳ八六が発表され、現在においては最良の線量評価方法とされている。<br>（三）　Ｔ六五Ｄによれば、長崎に投下された原子爆弾による<font color="#ff0000">被曝</font>総線量は、爆心地から一一五〇メートルの地点で四九四・五ラド、一三〇〇メートルの地点で二六七・九ラド、一五五〇メートルの地点で九九・二ラド、一七五〇メートルの地点で四五・八ラド、二二〇〇メートルの地点で八・六ラドであり、その誤差はプラス・マイナス一〇パーセント程度のものとされていた。また、ＤＳ八六によれば、長崎におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一二五〇メートルの地点で二五九・九四ラド、一五〇〇メートルの地点で八九・九三一ラド、一六五〇メートルの地点で四九・二五六ラド、二一〇〇メートルの地点で八・七七九ラドとされる。なお、広島におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一一〇〇メートルの地点で二六六・五ラド、一三五〇メートルの地点で九二ラド、一五〇〇メートルの地点で四九・五三八ラド、一九五〇メートルの地点で八・五七三ラドとされる。そして、このＤＳ八六においては、原子爆弾の構造等が軍事秘密として公開されていないし、原子爆弾から出た放射線の線源、空中伝播の方式、被爆者からの情報等すべて誤差を含んでいる等から、プラスマイナス二〇ないし三〇パーセントの誤差を含んでいるとされる。<br>　また、広島においては現実の被爆建物から推定される線量とＤＳ八六による推定線量とにかなりの差があることも指摘されており、現在もなお改訂作業が行われている。<br>　ＤＳ八六推定線量は、広島においては、Ｔ六五Ｄに比較してγ線は約一・五ないし二倍、中性子線は約一〇分の一であり、長崎においては、γ線はやや減少しており、中性子線は約二分の一ないし三分の一であって、Ｔ六五Ｄについて予想されていた誤差を大きく上回っている。<br>（四）　Ｔ六五Ｄでは、その基礎データ収集のための被爆者との前記面接調査においては、被爆した場所、遮蔽物の有無、遮蔽物の構造、見取図等被爆状況及び後障害が主として調査され、急性症状については包括的な調査はされていない。<br>（五）　その一方で、昭和二〇年九月から一二月にかけて行われた日米合同調査団による長崎における被爆者の調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約一八パーセント、二・〇キロメートルの地点で約一〇パーセント、皮膚出血斑は二・〇キロメートルの地点で約七・五パーセント、二・五キロメートルの地点で約二・五パーセント、口腔咽頭病巣は二・〇キロメートルの地点で約一七パーセント、二・五キロメートルの地点で約一四パーセント認められた。また、広島における調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約一九パーセント、二・〇キロメートルの地点で約七・五パーセント、皮膚出血斑は二・〇キロメートルの地点で約四パーセント、二・五キロメートルの地点で約二パーセント、口腔咽頭病巣は二・〇キロメートルの地点で約一六パーセント、二・五キロメートルの地点で約一六パーセント認められた。なお、嘔吐は広島及び長崎を合わせると、一・五キロメートルの地点で約一八パーセント、二・〇キロメートルの地点で約九パーセント、二・五キロメートルの地点で約七パーセント認められた。なお、これらの症状は、いずれも爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。<br>（六）　昭和二〇年一〇月から一一月にかけて行われた東京帝国大学の広島における被爆者の調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・六キロメートルから二・〇キロメートルの地点で九・〇パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で六・四パーセント、皮膚出血斑は二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で二・二パーセント、悪心嘔吐は一・六キロメートルから二・〇キロメートルの地点で四・二パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で二・六パーセント認められた。なお、この調査においても、各症状は、爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326566468.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:49:33 +0900</pubDate>
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<title>原爆症認定訴訟（④）</title>
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<![CDATA[ 三　原爆症の認定について<br>１　原爆医療法七条一項の「厚生大臣は原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者に対し必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときはその者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」、同法八条一項の「右医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」という各規定の趣旨からして、原爆症の認定の要件は、（一）　被爆者の負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること（起因性）、及び、（二）　現に医療を要する状態にあること、ただし、その負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものでないときは治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため現に医療を要する状態にあること（要医療性）であると解される。<br>２　国は、本件処分当時、原爆医療法に基づき、一般被爆者に対しては健康診断及び医療保険等の自己負担分の公費負担を行い、前記原爆症認定被爆者に対しては全額公費負担による医療の給付を行っており、その一方で、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律（以下「特別措置法」という。）に基づき、同認定被爆者に対しては、医療特別手当あるいは特別手当の支給、所定の障害により介護を要する場合には介護手当の支給、葬祭料の支給等の措置を行っていた。<br>　以上のとおり、およそ被爆者とはいっても、一般の被爆者と前記原爆症認定被爆者とでは、現行法制度上は、被爆の状況、負傷又は疾病の内容等に応じて健康及び福祉に対する処置に差異を設けていて、原爆医療法八条一項に基づく原爆症認定処分は、同法七条による医療の給付及び特別措置法による特別手当の支給等の手厚い救済を受ける前提となっており、この認定処分によって一般被爆者は自己の権利、利益が拡張される効果があること及び原爆医療法八条一項の前記規定自体の形式を考慮すれば、前記各認定要件の該当事由の証明があった場合に、それによって原爆症の認定がされなければならないのである。<br>３　原告は、原爆医療法の目的、性格、放射線の人体に対する影響の未解明性等に照らし、右認定要件の証明について立証責任を転換するか、あるいは相当程度の蓋然性の立証で足りるとして、起因性の立証の負担を軽減すべきであって、原告の疾病が原子爆弾の放射線に起因する可能性を否定できないことが証明されれば、原爆医療法八条一項の認定がなされるべきである旨主張するので、この起因性の証明の点について検討する。<br>　原爆症の認定に係わる原爆医療法七条一項、八条一項の規定内容及びその認定要件の理解、その認定のため要件具備の証明を必要とする根拠等については、前記１、２のとおりであり、以下はもとよりこれを前提とする。<br>　証拠（〈書証番号略〉、証人安齋育郎、古賀佑彦）によれば、爆風、熱線等の破壊力をも有する放射線大量殺戮兵器としての原子爆弾は、現実に投下されて爆風、熱線、放射線等により人体、物体に広域にわたり多大かつ凄惨な被害を及ぼしたが、特に最も広くかつ深刻な影響を与えたのはその放射線による障害である。この放射線は、人体の細胞を破壊ないし損壊したために、悪心、嘔吐、食思不振、下痢、出血斑ないし点状出血、脱毛、口腔咽頭病巣、出血、発熱、白血球数の減少、貧血、精子減少、月経異常等の急性症状、白血病、多発性骨髄腫、再生不良性貧血等の血液の障害、白内障等の後障害、胎内<font color="#ff0000">被曝</font>児における小頭症等の多種多様な症状を発生させたが、これらの人体傷害には放射線によることを明確に示すような特異性はなく、また、現代科学において、そのメカニズムに関する理論的ネットワークは必ずしも十全に確立されているものではないことが認められる。すなわち、今日に至るまで放射線の人体に対する影響については、科学的医学的研究が続けられ、原子爆弾の放射線による後障害の範囲、内容、これに対する治療方法等について本来解析が可能な分野につき合意的な結論に到達した部分もあるが、なお現在においても未解明の点が少なくなく、治療に関しても多分に体質面からの自然治癒に頼らざるを得ない状況にあることが認められる。そして、このことは、後に詳記する昭和三三年八月一三日付厚生省公衆衛生局長（〈書証番号略〉）の「原子爆弾後障害症治療指針」に「これらの後障害に関しては従来幾多の臨床的及び病理学的その他の研究が重ねられた結果、その成因についても次第に明瞭となり、治療面でも改善を加えられつつあるが、今日いまだ決して十分とはいい難い。従って、原子爆弾後障害症の範囲及びその適正な医療については、今後の研究を待つべきものが少なくないと考えられる。」と記述されている認識が依然として妥当することを意味している。<br>　以上に関して、ここで、とくに留意して置きたいのは、投下された原子爆弾による人体に対する傷害作用や後障害についての科学的分析的な解明に当たって、この後障害等による苦しみを感じている一個の全体的な障害者という統合的視点は不可欠なものとしてきっとこれを確保し、その解析結果の規定性の射程領域については謙虚な態度で臨まなければならないということである。<br>　そして、原爆医療法一条に「被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的」とすると規定されて、被爆者のみを対象として特に右立法がなされた背景には、原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみないほど特異かつ深刻なものであることと並んで、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者より不安定な状態に置かれているということがある。また、原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって、その点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格をもつものであるということができるが、他方、原子爆弾被爆という特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任においてその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができない（最高裁昭和五〇年行ツ第九八号、同五三年三月三〇日第一小法廷判決・民集第三二巻第二号四三五頁参照）。<br>　さらに、行政の運用としても、前記争いのない事実のように、厚生大臣は、本件却下処分を「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」という文言を用いて行っており、また、証拠（〈書証番号略〉、証人Ｗ）によれば、後記のようなＴ六五ＤあるいはＤＳ八六によっては放射線量が人体に確定的影響を及ぼさない程度のものであるとの説明が行われる帰結となるであろう地点における被爆者に対してもこれまで原爆医療法八条一項による認定処分をなす運用がなされた先例があったことが認められる。（なお、被告は、「可能性は否定できる。」との文言は、「認められない。」という意味以上のものを持たない旨反論し、確かに純粋科学上も医学上もこの文言による命題の妥当する余地は考えられない（証人肥田舜太郎、山下兼彦）が、行政庁が、法律を適用しておよそ重要な影響を及ぼすべき処分を行うに当たり、これに係わる言明の持つ意味を的確に規定し、区別しないまま用いることは到底考えられず、被告の右反論の趣旨は付会的な印象を受ける。）<br>４　以上のような投下された原子爆弾による傷害作用、その科学的解明度、後障害症の特殊性、原爆医療法の目的、性格、行政の運用等を総合考慮すると、原爆医療法八条一項にいういわゆる起因性とは、必ずしも原子爆弾の放射線等による傷害作用と現傷病との一対一の特定的因果関係につき医学的な一定の科学的理論の見地に立った一意的かつ厳密に確定された特殊な起因性に限定されるものではなく、そのほかに、現実に長崎の爆心地に投下された決定的な放射線大量殺戮兵器としての原子爆弾が放射線と共に爆風、熱線等の破壊力により広域にわたり同時的、共時的に傷害作用を及ぼしたこと、これによる被爆者側の被爆時の諸状況、その被爆者の諸素因、その後の諸病歴，諸現症状等をもその総合的、体質的視点から十分に参酌し、これらを現代の病理学的・臨床医学的知見の一般的水準に照らし、相互補完的に、現傷病が原子爆弾の放射線による傷害作用に起因する可能性が否定できない、という本来の様態に適合する意味に理解されなければならないものと考える。<br>　以上の見地に立って、争点について検討することにする。　<br>四　原告の現在の症状の原因について<br>　右一及び二で認定した事実によれば、原子爆弾の爆風により飛んできた瓦が原告の左頭部を直撃し、その部分の頭蓋骨が陥没骨折したために、脳の挫傷及び周辺の脳組織の圧迫が起こり、頭蓋骨内に出血が発生し脳浮腫の状態になり、また、外傷による炎症により脳内にも出血が発生し、これらの結果脳実質が損傷を受け、壊死してなくなってしまい、脳孔症になり、あるいは脳が萎縮したものと考えられるが、右欠損部分は、身体の右半身の運動及び知覚を支配する神経領域にあたるため、原告の現在の症状である右片麻痺あるいは前記認定の各症状を呈するに至ったものと推認される。<br>　したがって、原告の疾病は、少なくとも原子爆弾の爆風による傷害作用によるものと認めることができるから、原告の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているかどうかについて、次に検討する。<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326564022.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:47:07 +0900</pubDate>
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<title>被爆者認定訴訟（③）</title>
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<![CDATA[ 第三　争点に対する判断<br>一　原告の被爆の状況<br>　証拠（〈書証番号略〉、証人松谷シマ、Ｋ、原告本人）によれば、次の事実が認められる。<br>１　原告は、昭和二〇年八月九日の被爆当時三歳五か月であったが、爆心地方向が空き地でこれといった遮蔽物のない西側庭に向いた自宅の縁側ないしその付近で鶏を見て一人で遊んでおり、母シマは味噌の配給を取りに出掛けており、父甚太郎は、昼食の用意のため台所で七輪で火を起こしていた。長崎の爆心地に投下された原子爆弾が爆発した際、その爆風により吹き飛ばされた屋根瓦が原告の左頭頂部を直撃し、その部位に頭蓋骨が陥没骨折し一部欠損する重篤な外傷を負ったが、父が駆けつけた時には、既に意識不明に陥っており、上下股の運動機能喪失・麻痺の状態でぐったりし、頭に当てたタオルが血で真っ赤に染まっている原告を父が臨時の野外救護所に連れていったものの、医師に軽度の頭部外傷と間違えられ他の重症者の治療が先であるとして治療を拒否され、父はやむなく防空壕に連れて行った。母が防空壕に駆けつけた際にも原告は意識不明の状態で痛いといって泣くこともなく、頭部からの出血も止まらなかったため、同日の夕方再度右救護所に行き、医師に診察を受けたところ、漸く左頭頂部の傷口は直径一ないし二センチメートルの円形で相当深部に達するものであることが判明し、致命的である旨診断されたが、設備や薬品も不十分であって、傷口にマーキュロクロムを塗布されるに止まった。<br>２　救護所から帰宅する途中原告は全身硬直性の痙攣発作を起こし、ゆきのしたの汁を口・鼻付近から吹き込まれ約一五分後に痙攣が治まった。<br>３　原子爆弾の爆風により、原告の自宅付近は建物が崩れ落ちるなどし、自宅は瓦が落ち、戸板等も吹き飛ばされ、畳がめくれ上がった。<br>４　原告の右自宅は、爆心地から約二・四五キロメートルの箇所に位置していた。<br>二　原告の被爆後及び現在の状況<br>　証拠（〈書証番号略〉、証人松谷シマ、Ｋ、山下兼彦、安齋育郎、原告本人）によれば、次の事実が認められる。<br>１　原告は、放射線感受性の強い幼時に被爆後しばらく両親とともにそのまま自宅で生活し、当時稲佐小学校の二階に設置された臨時の診療所でマーキュロクロムを塗布するという程度の治療を受けたに止まった。また、原告には、被爆後数日間にわたり、下痢症状が見られた。<br>２　原告は、昭和二〇年八月一六日、両親及び隣家のＫ一家とともに、自宅から徒歩で稲佐橋（爆心より約一・九キロメートル）を渡り、宝町（爆心より約一・七キロメートル）を経て長崎駅に至り、同駅から列車で爆心地の直近を通過して長崎県南高来郡愛野町に避難し、同町では被爆者として厚遇を受けて一〇日間ほど過ごした後帰宅した。避難先においても、原告は寝たきりであったが、治療を受けることはなかった。<br>３　原告は、昭和二〇年一〇月上旬ころ、両親とともに長崎県南松浦郡富江町にある父の実家に疎開のため転居した。<br>（一）　原告は、転居後も寝た切りであって、自分の力で寝返りを打つこともできなかった。<br>（二）　転居前から、原告の頭部の傷口は化膿し、膿が出ていたが、転居後も傷口がふさがらず、水が吹き出すように腐臭の強い膿ないし分泌物が流れ出し続け、医師からいったん短期間で直る旨の診断を受け、医師の治療を受けたものの、傷口の一部がふさがりかけると別の部分から膿等が出始めるという状態の繰り返しで治療は効を奏せず、医師の診断では免疫能の低下を考えなければ説明が付かない程に治癒が遷延し、原告の頭部外傷部が一応の治癒を見たのは被爆後二年ないし二年半ほどたってからである。<br>（三）　転居前から、原告の頭髪が少しずつ抜け、転居した後かなり薄くなった。<br>（四）　原告は、昭和二〇年一二月三一日から昭和二一年一月一日にかけて、失神を伴う継続的な重度の痙攣発作に襲われ、心マッサージにより息を吹き返したことがあった。<br>４　原告は、昭和二二年末ころ、両親とともに長崎市内に再度転居し、昭和二四年四月、一年遅れて小学校に入学し、中学校、高校と進学し、昭和三六年三月高校卒業後、事務員として就職し、今日に至っている。<br>（一）　原告は、次第に失神を伴う痙攣発作の回数は減じてはいったが、学校時代を通じて年に一ないし二回くらい一時的に意識不明の状態に陥ることがあり、最後の発作は昭和四二年ころであった。<br>（二）　原告は、昭和三四年ころ、約三九度の高熱が一週間ほど継続する症状を呈したが、当時の診断としては明確に感染症とは判定できず、原因は明らかにならなかった。<br>（三）　原告は、現在においても、前記第二、一２記載の症状を有しており、右足は、かかと、第一指、第二指は着地せず、残りの指及びその付近の足の裏しか着地しないため、歩行が著しく不自由・不正常であり、また、その部分が硬くなり、針で刺すような痛みがある。右手は、物をつかみ上げることもできない。<br>（四）　原告の左頭頂部の頭蓋骨には陥没骨折があり、また、右骨折部分に対応する部分の脳実質が欠損しており、さらに、右欠損と側脳室が交通しており、脳孔症と診断される上、側脳室自体も拡大している。原告は、頭部外傷部分の周囲がひどく痛むことがある。<br><br>（五）　原告に対する治療としては、根本的な治療は困難であるが、症状を緩和するために、薬物療法あるいは理学療法、機能回復訓練等が必要である。<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326562615.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:44:34 +0900</pubDate>
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<title>被爆者認定訴訟続き（②）原告の症状と被告（国）の主張に注目</title>
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<![CDATA[ ３　非電離放射線の影響<br>　従来、原子爆弾による放射線の人体に対する影響についてはγ線、中性子線等の電離放射線のみが問題とされてきたが、原子爆弾が爆発する際には非電離放射線も放出され、また、電磁パルスが発生し強力な電磁波が放出されるから、争点についての判断にあたっては、これらが人体に与える影響をも考慮する必要がある。<br>４　神経系への直接的な放射線の影響<br>　原告は、長崎に投下された原子爆弾被爆当時三歳で近距離からの被爆であったが、幼若なほど放射線感受性は高く、特に神経組織においてその影響を受けやすいこと、原告の被爆後の状況から明らかなように長崎市内の自宅での生活中や疎開途中に爆心地の直近を通過した際に残留放射線を受けたり、未分裂プルトニウムや誘導放射線に汚染された大気を呼吸し、飲料水や食物を通じてこれを体内に摂取して放射線の影響を受けたこと、頭蓋骨骨折により脳細胞を外界から保護する頭皮、頭蓋骨、硬膜等が破壊され、大脳実質も一部破損した状況であったことを考慮すると、神経細胞への影響の可能性は否定できない。<br>５　原告の脳孔症に与えた放射線の影響<br>　脳孔症は頭部外傷の合併症ないし後遺症としても発症するものではあるが、原告の脳実質の欠損の範囲は外傷に比して広大であり、このように広汎な脳実質の欠損が生じるのは特異なことであって、放射線の影響を考慮すべきである。<br>６　免疫能の低下による治癒の遷延<br>　被爆者には、電離放射線、非電離放射線等の影響により免疫能の低下がみられるが、原告の頭部外傷の治癒が遷延したことはまさに放射線による免疫能の低下によるものであり、外傷部の治癒の遷延により脳実質等の炎症が長期化し、その欠損が深化したことが容易に推測される。<br>７　複合的影響<br>　頭部外傷による脳挫傷、外傷による炎症、放射線の直接的な影響、放射線による免疫能の低下による治癒の遷延のそれぞれが、脳孔症を引き起こし、深刻化させているが、これらが同時に作用することによって、互いに相乗的な効果を派生させることにより、その重度化は一層深まったものというべきである。<br>（被告の主張）<br>１　放射線<font color="#ff0000">被曝</font>の人体に及ぼす影響については、一八九〇年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されているところであるから、原爆医療法七条一項所定の起因性の有無を判断する際にも、判断時に形成されている一般的な科学的・医学的知見をふまえて判断すべきである。そして、右一般的知見によれば、放射線<font color="#ff0000">被曝</font>の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響（確定的影響）とがあり、確定的影響の範ちゅうでは、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値（なお、この閾値は、生体に個体差があることを前提として幅をもって設定されている。）<br>があり、また、確定的影響に属する範ちゅうの人体影響については、放射線が人体に科学的変化を及ぼしたり、一定の損傷を与えても、当該組織全体としては影響を受けなかったり、影響として検出される前に回復されたりして、障害として検出されないことから、当該被爆者の<font color="#ff0000">被曝</font>線量が重要な要素となるところ、原告の右片麻痺（脳萎縮）、頭部外傷は、いずれも確定的影響の範ちゅうに属するものであるから、原告の<font color="#ff0000">被曝</font>線量を解明した上で、その線量が原告主張の傷害や治癒能力の関係で影響を与えるような線量であったか、換言すれば、当該傷害や治癒能力との関係で閾値を超えた線量に達していたか否かを検討すべきこととなる。<br>２　<font color="#ff0000">被曝</font>線量の解明について<br>　線量推定方式であるＴ六五ＤやＤＳ八六は、被爆直後から行われた線量測定の結果、アメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれの時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合した最良のものであるから、原告の<font color="#ff0000">被曝</font>線量を推定する場合も、これらの線量推定方式に基づくのが合理的である。<br>３　原告の<font color="#ff0000">被曝</font>線量について<br>　原告の被爆距離は約二・四五キロメートルであって、この被爆距離をもとに、原告の<font color="#ff0000">被曝</font>線量を推定するに、本件処分当時適用されていたＴ六五Ｄによれば、原告の被爆距離での初期放射線の空気中線量は約四・一ないし二・九ラドであり、ＤＳ八六によれば三ないし二・一ラドである。一方、残留放射線による<font color="#ff0000">被曝</font>線量については、被爆距離と経過時間に応じて急激に減少することが知られており、ＤＳ八六によれば被爆距離二・四キロメートルでは、〇・〇〇〇〇一ラド以下にすぎないことが明らかである。<br>４　原告の傷害、治癒能力と放射線起因性の有無について<br>（一）　原告の頭部の傷害の発生経緯に照らすと、頭部外傷は原子爆弾の爆風によって飛来した屋根瓦によるものであって、放射線によるものでないことが明らかである。<br>（二）　右片麻痺（脳萎縮）について検討するに、原告の推定最大<font color="#ff0000">被曝</font>線量は、Ｔ六五Ｄによれば約四・一ないし二・九ラドであり、ＤＳ八六によれば三ないし二・一ラドと認められるところ、脳の神経細胞を損傷する放射線の閾値は、一〇〇〇ラドと考えられているから、原告の右<font color="#ff0000">被曝</font>線量は神経傷害等の確定的影響を起こす閾値よりもはるかに低く、原告が被爆した放射線量を最大に見積もっても、傷害作用をもたらさないうえ、原告の右片麻痺（脳萎縮）は、前記頭部外傷によって脳実質が損傷し、それに伴い脳萎縮、脳室拡大により運動神経の麻痺に至ったものとして傷害内容、発症経過等を合理的に説明できるから、放射線によるものとは認められない。<br>（三）　放射線<font color="#ff0000">被曝</font>の治癒能力に与える影響を検討するに、原告の<font color="#ff0000">被曝</font>線量では免疫能低下を引き起こす線量にも達していないことが明らかである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326561727.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:42:31 +0900</pubDate>
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<title>被爆者認定申請却下処分の取消訴訟にみる、国の姿勢と「科学的」立証の問題点</title>
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<![CDATA[ <strong>《全 文》</strong> <br><br><b>【文献番号】</b>２７８１５４７１ <br><br>原爆被爆者医療給付認定申請却下処分取消請求事件<br>長崎地裁昭六三（行ウ）第三号<br>平５・５・２６民事部判決<br>原告　松谷英子<br>右訴訟代理人弁護士　横山茂樹<br>同　石井精二<br>同　小野正章<br>同　片山昭彦<br>同　金子寛道<br>同　國弘達夫<br>同　熊谷悟郎<br>同　小林清隆<br>同　小林正博<br>同　塩塚節夫<br>同　龍田紘一朗<br>同　中原重記<br>同　中村照美<br>同　中村尚達<br>同　原章夫<br>同　福崎博孝<br>同　松永保彦<br>同　水上正博<br>同　森永正<br>同　山下俊夫<br>同　山田富康<br>同　吉田良尚<br>同　安原幸彦<br>同　永田雅英<br>同　椎名麻紗枝<br>同　池田眞規<br>同　内藤雅義<br>被告　厚生大臣　丹羽雄哉<br>右指定代理人　増田保夫　外一一名<br><br><a name="SYUBUN"><br><b>　　　　　　　主　　　文</b><br><br>一　被告が昭和六二年九月二四日付で原告に対してした原子爆弾被爆者の医療等に関する法律八条一項に基づく認定申請の却下処分は、これを取り消す。<br>二　訴訟費用は被告の負担とする。<br><br></a><a name="JIJITU"></a><a name="RIYUU"><br><b>　　　　　　　事実及び理由</b><br><br>第一　請求<br>　主文一項と同旨<br>第二　事案の概要<br>　本件は、長崎市内において被爆し、頭部外傷を負い、現在右半身不全麻痺の症状を有する原告が、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律（以下「原爆医療法」という。）八条一項に基づき、右片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を申請したところ、被告は、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付してこれを却下したため、右却下処分の同法七条一項、八条一項の解釈適用の誤りの違法を理由にその取消しを求める訴訟である。<br>一　争いのない事実及び前提となる事実<br>１　昭和二〇年八月九日午前一一時二分長崎市に原子爆弾が投下され、原告（当時三歳）は、長崎市稲佐町一丁目一五番地の当時の自宅で被爆し（争いがない。）、その際爆風で飛ばされた瓦により頭部に外傷を負った（証人松谷シマ）。<br>２　原告は、次項記載の認定申請時において、右片麻痺（脳萎縮）、頭部外傷と診断され、右半身不全麻痺、右肘関節屈曲拘縮（伸展位四五度までで、右肘が伸びない。）、右手指伸展位をとる（他動は可）（右手指は他動的には曲げることができるが、自らは屈曲できない。）、右尖足（右足首が伸展位をとったままの状態で固定している。）、右半身知覚低下（痛覚、触覚、振動覚ともに）、右半身の腱反射亢進、右バビンスキー反射（＋）、右上下肢筋萎縮（痙性）、右上肢廃用手、右下肢に著しい障害を有するという症状を有し、治療を要する状態であった（〈書証番号略〉、証人山下兼彦、原告本人）。<br>３　原告は、原爆医療法八条一項に基づき、右片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けるため、昭和六二年二月一〇日付の認定申請書を長崎市長に提出し（争いがない。）、被告は同市長からの同月一二日付の進達により、これを収受した（〈書証番号略〉）。被告は、右申請に対する処分を行うに当たり、原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞いた（〈書証番号略〉）上、同年九月二四日、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付してこれを却下した（争いがない。）。原告は、右処分に対して同年一二月一五日、被告に対し行政不服審査法に基づく異議申立てをなしたが、被告は、昭和六三年六月二一日付で右申立てを棄却した（争いがない。）。<br>二　争点及び争点についての当事者の主張<br>　原告の右疾病は，原子爆弾の放射線に起因するか若しくは原子爆弾の爆風等に起因しかつ放射線の影響により治癒能力が低下したことに起因するか。（なお、原爆医療法七条一項には、「放射能」とあるが、放射能とは放射性物質が放射線を出す現象又は性質をいい、原子爆弾によりもたらされる放射性元素の崩壊に伴って放出されるα線、β線、γ線、中性子線等の粒子線は放射線というのが正確であるから、以下、放射線と読み換えて判断することにする。）<br>（原告の主張）<br>１　原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との関係についての基本的考え方<br>　長崎に投下された原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との関係については、医学的にも物理学的にも現代科学は因果的に明確な回答が得られない未解明の分野を多く残していて、右の関係を数値的・数理的に説明することは本来不可能であるが、原爆症の認定行政においては、被爆地点の距離・<font color="#ff0000">被曝</font>線量の数量化といった数値的・数理的議論のみが先行し、被爆者の様々な傷病事例中に数量化理論では説明できない障害事例が存在することに目をつぶり、これまでの科学理論が用意した不十分な数値的尺度で被害状況を測定するのみで、被害実態の方向から原爆症認定が必要かどうかの方向から接近することがなかった。原爆症の認定行政の当否は、むしろ前提として前記未解明要因が存在することを十分考慮に入れたうえで現実の被害態様を把握することが不可欠であって、これを踏まえて考察されるべきものであって、原爆症を測定する尺度としては不十分な数量的科学論をもってこれを論ずることは「科学的でありそうで、その実は科学ではあり得ない。」というべきである。もとより、ここでいう未解明要因とは、科学的研究の目的となり得ない非科学的事象とは異なり、研究の目的たる科学事象ではあるが「未だ定説になっていない事象」「これまでの定説では説明できない事象」あるいは「定説における不確定要素」等を意味し、現時点においては科学的に解き明かされていないものである。このような段階において、原爆症認定のための「起因性」に関する要証事実をどのように考えるべきか、あるいは、立証責任をいかに構成するかは重要な課題であり、特別な考察を必要とする。行政の運用における「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との申請却下理由の表現は、まさに以上のような視点から理解されなければならず、「起因可能性で足りる」としている根拠はそこにあるというべきである。　<br>２　いわゆる「起因性」の証明について<br>　起因性とは、原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との条件関係的因果関係を意味するところ、前記のように長崎に投下された原子爆弾による放射線と被爆による身体障害発生のメカニズムは未だ科学的に未解明の部分が非常に多く、線量評価システムに基づく<font color="#ff0000">被曝</font>線量（それは距離的要素を最も重要視する。）をもって、同障害発生の有無が決せられるようなものではないこと、統計的手法（疫学的手法に類するもの）（最判昭和四四年二月六日民集二三巻二号一九五頁は統計的因果関係という。）による被爆障害の発生の可能性を検討するに必要とされる被告保有の右原爆被爆距離と被爆障害との関係等に係わる豊富な基礎データに原告が接近できないこと等から原告に対し確実な立証を求めることは不可能ないし困難を強いるもので公平でないし、また、原爆医療法の目的、性格等に照らせば、立証責任を転換するか、あるいは相当程度の蓋然性の立証で足りる（最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁は、一般的に訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、事実と結果との間に高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる、という。）として起因性の立証の負担を軽減すべきであって、被告も原爆症認定申請却下の理由を前記「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射線に起因する可能性は否定できる。」という定型的文言で表現することによって、はからずも原爆症認定の要件としての起因性証明に関して以上と同じような認識を有していることを示しているのであって、原告の疾病が原子爆弾の放射線に起因する可能性を否定できないことが証明されれば、原爆医療法八条一項の認定がなされるべきである。<br></a>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326558862.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:37:55 +0900</pubDate>
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<title>裁判例続き⑥</title>
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<![CDATA[ ５　放射線量率等の監視及び測定<br>　敦賀発電所においては、発電所内外の放射線量率及び表面の放射性物質密度の状況を監視把握するために、常時測定を行っている。当時管理区域内の三〇か所にエリアモニターを設け、空間放射線量率を連続測定し、中央制御室において連続監視していた。さらにあらかじめ定めた場所（二〇か所以上）において、週一回以上の頻度でスミヤ法による表面汚染密度の測定、サーベイメーターによる空間放射線量率及び空気中の放射能濃度測定を行っていた。また原子炉冷却材中の放射性物質濃度は週二回、原子炉冷却材中のヨー素一三一の濃度は週一回、原子炉停止時の冷却材中のヨー素一三一の増加量は定期的な燃料取替時及び計画的な原子炉停止時にそれぞれ測定される。右の放射線量率や表面の汚染密度の測定・監視の結果、異常を認めた場合あるいは必要あるときは、区域の変更、運転・作業方法の変更、除染等の措置がとられる。<br>四　昭和四六年五月の運転停止期間中の作業<br>　敦賀発電所では、昭和四六年五月三日から同年六月一六日までの間、運転を停止したこと、この停止が、原子炉の中に装置されていた<font color="#ff0000">ポイズンカーテン</font>の一部を取り出すことを主たる目的とするものであったことは、当事者間に争いがない。<br>１　期間中に実施された作業の概況<br>　《証拠略》によれば、右期間は定期検査のためのもので、原子炉建物内で次のような作業が行われたことが認められる。<br>（一）　原子炉建物一階における作業<br>（１）　制御棒駆動用水圧系弁の修理<br>（２）　制御棒駆動用アキュムレーターの点検<br>（３）　原子炉補機冷却系二次側海水系出口側配管へのオリフィスの挿入（この作業の一部に原告が従事した作業が含まれる）<br>（４）　主蒸気隔離弁の漏洩試験<br>（二）　原子炉建物二階における作業<br>（１）　原子炉浄化系オリフィスの取替え及び挿入並びに弁の修理<br>（２）　原子炉補機冷却系二次側海水系弁の点検<br>（３）　停止時冷却系・燃料プール冷却系連絡配管の新設（一階から三階にわたる作業）<br><br>（４）　炉心スプレイ配管、ベント管及び補給水管の改造<br>（三）　原子炉建物三階における作業<br>　制御棒駆動機構の分解点検<br>（四）　原子炉建物四階における作業<br>（１）　非常用復水器ベント管の修理<br>（２）　非常用復水器貯蔵タンクの内部塗装<br>（五）　原子炉建物五階における作業<br>（１）　燃料の移動及び取替え<br>（２）　<font color="#ff0000">ポイズンカーテン</font>の取外し<br>（３）　燃料点検<br>（４）　新燃料検査<br>（５）　燃料交換機グラップルライトの修理<br>（六）　原子炉格納容器内における作業<br>（１）　原子炉圧力容器ベント弁及び再循環サンプル弁の取替え<br>（２）　再循環系弁グランドパッキンの取替え<br>（３）　再循環系流量スイッチの校正<br>（４）　再循環ポンプ上部換気ダクトの修理<br>（５）　原子炉格納容器内の保温材修理<br>２　期間中、管理区域の床面に施された措置<br>　《証拠略》によると、期間中、原告の作業現場を含む原子炉建物一階に、ビニールシートが敷かれていたこと、これは床面にエポキシ系樹脂塗装を施しているため、床面を重量物等による損傷から保護し、且つ作業に伴うごみの散乱を防止するためであることが認められ、これに反する原告本人の供述は採用できない。<br>五　敦賀発電所における汚染源<br>１　はじめに<br>　《証拠略》によれば（すでに認定した部分と一部重複）<br>　敦賀発電所において生成される放射性物質は二種類に大別され、その一つは、核燃料の核分裂反応によって生ずる核分裂生成物であり、他の一つは、冷却材中に含まれる不純物や配管等の鋼材類の鉄さび等が原子炉内で中性子照射によって放射化されることによって生ずる放射化物質であること、前者は一応円柱状のペレット、被曝管により閉じこめられてはいるが、長期間の原子炉の運転により主として希ガス、ヨー素等の核分裂生成物が一次冷却水中に漏出するものであること、後者はクラッドとも呼ばれ、核分裂生成物の吸着材としての役割も果していることが認められる。そして《証拠略》によれば、原告の本件被曝を想定する場合、一次冷却水中の放射性生成物質又はクラッドが原因となることが認められる。そこで、この一次冷却水とクラッドについて考察する。<br>２　一次冷却水の炉水濃度とその漏れ<br>　《証拠略》によれば、敦賀発電所「原子炉施設保安規程」において、定期的な燃料取替時及び計画的な原子炉運転停止時に一次冷却水中のヨー素一三一の特定時における増加量が二〇〇〇キュリーを超えた場合には、燃料取替に必要な措置を講ずべきことが定められている（第四五条第二項参照）ところ、本件原子炉停止時である五月二日午前九時三〇分から同月四日午後一時三〇分までのヨー素一三一の総放出量（積算値）は一七〇〇キュリーであったこと、従って、この間にも浄化系によりヨー素一三一は連続的に除去され、その濃度も低減していたことが認められ、《証拠略》によれば、右原子炉停止期間中のヨー素一三一の濃度は、五月三日午前七時半から同八時三〇分ころにかけて、一ＣＣ当り約四マイクロキュリーであったが、この値が最高で、その前後日時においては、右以下の数値であったこと、そして同月四日の午後一時ころの右濃度は一ＣＣ当り〇・一マイクロキュリー、同月二七日の右濃度は一ＣＣ当り〇・〇〇一マイクロキュリーであったこと、従って原子炉停止直後においては、放射性物質の一次冷却水中への漏出により同冷却水の炉水濃度は一時高まるが、同冷却水中に漏出する放射性物質の漏出量は次第に低下し、また炉水濃度も急激に減少することが認められる。<br>　このような一次冷却水の外部への漏出であるが、前叙認定のとおり、一次冷却水の一部は蒸気となってタービン発電機を回した後、復水器によって冷却されて水となり、浄化装置を通って原子炉内に再び戻る閉回路によって密封されていることが認められる。<br>　しかしながら、《証拠略》によれば、一次冷却系には七〇気圧の高圧がかかっており、外部の一気圧との圧力差のため一次冷却水は、前記閉回路中の一次冷却系のあちこちについているバルブやパイプから必然的に漏れ出るものであり、敦賀発電所の設置許可処分における安全審査でも、再循環ポンプから一分間に三リットルの一次冷却水が漏出することが容認されていることが認められる。<br>　もっとも、《証拠略》によっても、右漏出した水は、一応これを受けて回収する設備があることも認められるのであるから、右気圧差を根拠に一次冷却水が外部に漏れ出たことを認めるに足りる証拠はない。<br>　また、原子炉停止期間中、右閉回路中の一次冷却系のバルブ、パッキング等の修理、取替等の作業が行なわれたことは当事者間に争がないところ、《証拠略》によれば、右各作業に当っては、各所のバルブを締めて水抜きをして、一次冷却水が外部にこぼれ出ないようにしていたことが認められ，右事実に照らせば、たやすく前記作業によって一次冷却水が外部に漏れたことを認めることはできない。<br>　もっとも以上の考察は、典型的かつ比較的大量の一次冷却水の漏れの可能性を論じたにすぎないということができ、むしろ原子炉建物内では後記のとおり放射線量率や表面汚染密度に一定の数値が検出される以上、何らかの事情で一次冷却水ないしその中の放射性物質が外部に漏れ出ていることがありえないわけではない。　<br>３　クラッド<br>　《証拠略》によれば、昭和四六年当時の敦賀発電所のクラッドの存在を示す給水鉄濃度及び炉水鉄濃度は、それぞれ約三ＰＰｂと約一五ＰＰｂであったことが認められる。この数値が放射能濃度との関係において意味するところは必ずしも明確ではないが、弁論の全趣旨によれば、敦賀発電所は昭和四五年三月一四日から運転を開始したことが認められるところ、《証拠略》によれば、クラッドは一般に原子炉の運転時間の経過により増加するものであること、敦賀発電所でのクラッドの増加が問題になったのは、昭和四七年六月以降であったことが認められる。<br>　もっとも、叙上の認定事実によってクラッドの問題が昭和四六年当時皆無であったとまでいえるかは別問題であり、以下の考察においては、一応クラッドも念頭におく。<br>六　原告が従事した作業<br>　《証拠略》によると、原告は、当日助手として同行していた同僚従業員渡辺道治とともに、ＧＥＴＳＣＯの担当者小林和夫の指示により、同発電所所定の汚染監視区域立入用の服装で全身装備をし、渡されたポケット線量計を首に掛け、携行した機械工具類を株式会社ビル代行（同発電所に常駐する下請業者）の社員四名に運搬して貰い、午後二時ころ右小林の案内で原子炉建物に通ずる二重扉のパーソナルエアロックを経て、原子炉建物一階に入り、制御棒駆動用水圧コントロールユニットの側を通って、原子炉格納容器出入口に設けられた更衣場所の外側で、同出入口遮蔽扉を開閉するための埋込レール近くの作業現場（別紙第四図記載の「原告の従事した作業場所」）付近に着いたこと、右出入口の内部は汚染区域であるが、原告の作業現場は汚染監視区域であって、床面にビニールシートが敷いてあったこと、本件パイプは、原子炉補機冷却系の二次系（純水）を、海水により冷却するための三次系配管であって、海水による汚染は考えられないところ、前々日の二五日関電興業株式会社の作業員により、上下の継目で取り外され、床の上に置いてあったこと、なお、本件パイプの長さは、約一・五二メートルであったこと、同作業現場では、床面に二重にビニールシートが敷かれ、原告は、その上に本件パイプを転がして移動させ、付近にあった角材等を利用し同パイプを固定させたこと、そして、原告の指示により水圧テスト用の水がバケツ様の容器で運ばれて来た後、原告と渡辺以外の者は、その場から立ち去ったこと、原告は、本件パイプの小林から指示された部分に穴を開ける準備として、ワイヤーブラシで表面の汚れを落し、水で濡らしたウエスで拭ったうえ、ヤノ丁字管Ｆをボルトで締めて取付け、その中に水圧テスト用の水約二リットルを入れるなどして水圧テストを了した後、穿孔機を取付け、エンジンを始動してパイプに穴を開けたこと、そして穿孔機を取外して作業は終了したこと、この一連の工程については、水圧試験装置の取付及び取外しに約二〇分、水圧検査に約二分、穿孔に約三分、その他関連作業に約三〇分を、それぞれ要すると言われていること、作業終了後、前記ビル代行の社員が現われて機械工具類を持出し、原告らもエアロックを出て、小林の指示により装備を解き、手を洗った後、ハンドフットモニターによる検査を受けたが、異常を告げられなかったこと、そこで自分の衣服を着用し、サービス建物入口の受付担当者にポケット線量計を渡したこと、なお、同線量計による原告の被曝線量は一ミリレム、渡辺のそれは〇ミリレムと記録されていること、そして、本件パイプは翌二八日に前記関電興業の作業員により元通りに取付けられたこと、以上の事実を認めることができる。<br>　なお、《証拠略》によると、右に認定した一連の経過の中で、原告は、「パイプを固定する木材が足らなかったために、自ら角材等を捜すため原子炉建物内を歩き回り、角材二、三本と板切二、三枚を拾って来て、パイプの下にかませて固定した。」とか、本件パイプに加工するに当り「パイプを押えるために、膝や脛をパイプに押し当てた。」とか、「作業終了後、作業服の右膝部分が濡れていることに気が付いたが、何時・何処で濡れたかは判らなかった。」（この点は《証拠略》にも同旨の記載がある）という趣旨の供述をする。これらの供述内容は、右認定の作業の過程で十分にありうることと考えるのであるが、助手渡辺道治の役割等の事情に鑑み、未だ事実として確定するには足りないというべきである。しかし、被曝原因の探求に当っては、これらの供述内容も考察の爼上に乗せることとする。<br>七　具体的危険性の有無<br>　以下では、さきに説示したところに基づき、原告が作業をした当時、敦賀発電所内に原告が放射線被曝をする程の具体的危険性が存したか否かを検討する。もっとも、その検討に当り、すでに指摘した事項のうち、特に留意すべき点を挙げると、次のとおりである。<br><br>　まず、原告の患部が放射線皮膚炎とした場合に、その症状から一般に推定されたのは、ベーター線五〇〇レム程度の被曝であり、これだけの被曝を惹起しうべき総放射能量は約一〇ミリキュリーと算定される。そして、これだけの放射能量が一次冷却水ないしはクラッドを汚染源として、何らかの形で患部に直接或いは衣類を隔てて間接に触れ、線量にもよるが、或る程度の時間を経過することにより、原告の患部程度の症状が発現する関係にあるということである。従って、具体的危険性の有無というのも、この見地に則して検討しなければならない。ただ被曝の度合については、プラスマイナス四〇ないし五〇パーセント程度の個人差がみられるから、この点は十分に斟酌しなければならない。<br>　そこで順序として、原告が作業をした環境の面から考察し、次に個別的な側面の検討に移ることにする。<br>１　作業環境における具体的危険性<br>（一）　作業環境<br>　原告の作業場所が汚染監視区域に属していたこと、この種の区域区分の設定解除は、放射線管理担当課長が測定された放射線量率或いは汚染レベルに応じて実施するものであることは、すでに説示したところであるが、《証拠略》によると、汚染区域ではその出入口に監視員を配し、外出する者の汚染管理服の更衣及び汚染検査を行うことにより、その区域外へ汚染が伝播しないように仕組まれているところ、汚染監視区域はその外側に設定され、本来その区域自体に汚染はなく、外部に汚染が伝播しないように監視する区域であることが認められる。<br>　しかし、右の如くにして設定された汚染監視区域であっても、そのことから直ちに同区域での被曝の具体的危険性がないというわけにはいかない。<br>（二）　汚染可能性のある作業<br>　原告が作業をした当日までになされた、その現場とかかわりがあると思われる作業は、次のとおりである。<br>（１）　制御棒アキュムレーターの点検<br>　《証拠略》によれば、制御棒アキュムレーターの点検として、水シリンダーの分解点検が五月一七日から同月二一日までの間になされたが、アキュムレーター内の水は、浄化された復水貯蔵タンクから充填される水であって、その濃度とはかわりはなく、しかも右作業に際しては、あらかじめアキュムレーター内の汚染されているおそれのあるところの水を抜いていたことが認められる。<br>　以上の認定によれば、制御棒アキュムレーターの点検作業に際し、その周辺に高濃度の汚染が発生することは通常考えられないと解される。<br>（２）　制御棒駆動機構の引抜き作業<br>　制御棒駆動機構は合計七三本あり、それぞれ長さ約四・五メートル、直径約一〇センチメートル、重さが一五〇キログラム以上であることは、被告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。<br>　《証拠略》によれば、五月六日から同月九日にかけて、制御棒駆動機構の原子炉圧力容器からの引抜き及び分解点検作業があったこと、その際同機構は、ドライウェル内から専用の搬出口を通じて原子炉建物一階に引出され、その場でビニールで梱包する等の措置がとられた後、機器ハッチ下へ移され、エレベーター前をクレーンで三階へ吊り上げられ、分解点検のため同階補修室へ持込まれ、点検後再び元の圧力容器に戻されたことが認められる。<br>　ところで《証拠略》によれば、本作業中の五月六日ないし八日のドライウェルチェンジングプレースのスミア記録が存在し、それぞれ特段の汚染状況が窺えないことが認められるが、同月九日の右同記録が存在することを認めるに足りる証拠はない。<br>　また《証拠略》によれば、五月一〇日一七時に、原子炉建物一階エレベーター前が除染によって、本作業によって設定されていた汚染区域の設定の解除がなされたことが認められる。<br>　以上認定事実によれば、一応は本作業に際して放射性物質が大量に散乱することを推認するには足りないのであって、これに反する《証拠略》は容易く採用できないが、なお除染を必要とする程度の汚染が発生することは十分に推認でき、そして五月九日のスミア記録の不存在には多少の疑問が残る。<br>（３）　その他<br>　その他の作業については、特段の汚染可能性のある作業であることを認めるに足りる証拠はない。<br>（三）　放射線等測定記録<br>　敦賀発電所では、諸種の放射線測定機器により汚染の有無を把握しているから、その記録に基づいて検討する。<br>（１）　空間線量計記録<br>　現場検証の結果（第一回）及び弁論の全趣旨によれば、少なくとも本件作業日を含む前後の期間、原告の作業場所から約六・五メートルで、高さ約二メートルの位置に空間線量計一三番が設置されていたことが認められる。そして、《証拠略》によれば、本件作業日の五月二七日においては、右線量計の連続エリアモニターには、一時間当り〇・八〇ないし〇・九五ミリレムの数値が記録されていることが認められる。《証拠判断略》<br>　そこで右認定した空間線量率及び証人板倉哲郎の証言によれば、その線量計が設置されていた場所付近に特段の汚染がなかったことが認められ、この点に関する原告の主張は採用できない。もっとも、右線量計と原告や本件パイプとの距離及び原告の膝に付着したと想定しうる放射性物質の量を比較すれば、右認定の空間線量率の数値をもって、直ちに原告の本件被曝を否定するに足りる証拠にはなりえないと解される。<br>（２）　放射線量率サーベイ記録<br>　《証拠略》によれば、六月二日の原子炉建物一階の放射線量率サーベイ記録中に、本件作業場所の向い側で原子炉建物の外壁に接着したポイントにマル印が二個並記されており、同建物のパーソナルエアロックに近い方のマル印に一〇（ミリレム時間、以下本項において右同単位なので省略する）、遠い方のそれに五の各数値が記載されていること、そして右各数値は、同記録中のその余のポイントの放射線量率に比し、およそ五ないし一〇倍の高い数値であることが認められる。<br>　ところで問題は、右一〇の数値を示している箇所が本件パイプを取付けた後の海水系配管であるか否かである。この点につき検討するに、《証拠略》によれば、右各マル印が記載されている付近には、海水系配管二本（出水管と入水管、パーソナルエアロックに近い方が出水管）が存在していること、また、右各海水系配管よりパーソナルエアロックに遠い方にドレン配管（液体廃棄物処理施設へつながる配管）二本（機器ドレン管と床ドレン管、パーソナルエアロックに近い方が機器ドレン管）も存在していることが認められる。従って右各マル印の場所は、右のいずれかであることが推認できる。また、《証拠略》によれば、六月九日の前同記録中にも、前記マル印よりパーソナルエアロックから少し遠い位置にマル印が二個並記され、パーソナルエアロックに近い方のマル印に五・〇、遠い方のそれに八・〇の各数値が記載されていることが認められる。そこで以上の事実によれば、《証拠略》のマル印は海水系配管であり、《証拠略》のマル印はドレン配管であると推察することもできるが、右両書証中とも同じマル印が二個並記されていることに鑑みれば、それぞれのマル印の位置が少しずれているとはいえ、両方とも同一の測定位置であるとも推察できる。<br>　よってさらに検討するに、《証拠略》によれば、ドレン配管を流れるドレン水は、高度に汚染されているが、海水系配管を流れている水には汚染がないことが認められる。そこでかりに右一〇の数値が本件パイプを接続した後の海水系配管の測定結果であるとすると、もう一方の海水系配管に五の数値が検出されることを説明しうるに足りる証拠はない。さらに《証拠略》によれば、原電敦賀発電所放射線被曝問題調査委員会が原子炉建物の立入検査をした結果、機器ドレン管表面に右一〇と同程度の放射線量率が測定され、一方同管の表面汚染は特に認められなかったことが認められる。<br>　以上の考察及び認定事実に《証拠略》を総合すれば、《証拠略》中の一〇、五の各数値の測定記録は、《証拠略》と同じくドレン配管の表面からの放射線量率測定の結果であると認めることができる。《証拠判断略》<br>　よって右各数値が海水系配管の放射線量率であることを前提とする原告の主張は採用できない。<br>（３）　表面放射線密度スミア記録<br>イ　乙第二三号証の二二（被告敦賀発電所放射線管理（課）保管の昭和四六年五月停止ルーチンサーベイ記録中同月二七日のドライウェル（原子炉格納容器）チェンジングレーススミア記録、窪作成名義にかかるもの、《証拠略》も同じ、以下単に当該記録という）の成立について<br>　《証拠略》によれば、被告が原告から第三者を介して、原告が敦賀発電所での作業中に放射線を浴び放射線障害を受けた疑いがあるとの申入れを受けたのは、昭和四八年一〇月二日であったこと、そこで敦賀発電所安全管理課長田中瑞衛は翌三日、関西電力の従業員と一緒に原告を診療していた田代医師を訪ね、そこで田代医師から敦賀発電所での原告の作業環境を教えてくれるよう頼まれたこと、そして右田中は同月六日、右作業環境の説明のため再度田代医師を訪ねたこと、その際田中は田代医師と面談し、その中で「当日（五月二七日）の記録はございません」と言ったこと、しかし田中は、一〇月二七日にも田代医師を訪ね、五月二七日の記録である当該記録を持ってきたこと、これは東京から持ってきたものであったことが認められ、なお証人菊地雄の証言によれば、当該記録のようなルーチンサーベイ記録は原則として現場に置くものであることが認められる。<br>　そこで原告は、当該記録は被告の捏造であると主張するので検討するに、右認定の事実のうち、まず田中が田代医師に対して「当日の記録はございません」と発言した点であるが、《証拠略》によれば、当該記録とは別種のサーベイ記録である被告敦賀発電所放射線管理課保管の昭和四六年五月（六月）停止放射線管理記録（放射線量率測定の欄と表面汚染密度測定の欄がある）が存在すること、同記録が存在するのは、五月六日、八日、九日、<br>一三日、一四日、一五日、三〇日、六月二日、九日の分であることが認められる。そこで《証拠略》によって、田中と田代医師の会話の内容を検討すれば、田中の前記発言中の「記録」とは、右認定した別種の記録のことであることが認められ、右事実によれば、田中は当時当該記録の存在を認識せずに前記発言をしたことが推認できる。そうであれば、田中の前記発言から直ちに当該記録が当時不存在であったことを認めることはできない。もっとも田中がなぜ、一〇月六日の段階で当該記録の存在を知らなかったのかの疑問は残るが、この事実をあわせても当該記録が捏造であることを推認するに足りない。<br>　次に当該記録が後になって東京から持ってこられた点であるが、被告が原告の被曝の疑いを知った一〇月二日の後に、放射線管理の資料が被告の本社のある東京に集められたとしても必ずしも不思議ではないので、右事実をもって当該記録が捏造であると推認することはできない。なお被告が当時の敦賀発電所の異常な汚染を認識していたと推認することもできない。<br>　次にここで、乙第二四号証の一ないし四の成立についても考察しておかねばならない。というのは、同号証の二中には、五月二七日に当該記録作成者である窪が、スミア測定のためにドライウェルチェンジングプレースに立入った旨の記載があるところ、同号各証が捏造であるとすれば、当該記録もまた捏造であることが推認できるからである。よって検討するに、前記認定のとおり、本件作業場所は、右ドライウェルチェンジングプレースの近くであること、そして原告が本件作業場所にいた時間は明らかではないが、《証拠略》を総合すれば、原告は本件作業日の午後二時三〇分ころから同三時三〇分ころまでの間の少なくとも三〇分は、本件作業場所にいたことが認められることを前提とすることができる。そこで乙第二四号証の三、四中には、右前提の時間帯のうちいずれの三〇分をとっても、ドライウェルチェンジングプレースに数名の出入があった旨の記載があるところ、原告本人は、本件作業中作業場所辺りに人の出入はなかったと供述している。しかし、原告本人の供述が自己の認識したところをそのまま述べたものとして信用できるとしても、客観的な事実に合致しているかの点に疑問があって、直ちに採用することができない。従って前記時間帯にドライウェルチュンジングプレースに人の出入があることをもって、前同号各証が捏造であると認めることはできない。<br>　次に同号証の三、四中には、当日午後三時前ころ一五名の人が同時にドライウェル内に入っていた旨の記載があり、それだけの人数分の靴がドライウェルチェンジングプレース内に並べ置かれることが可能であるかについては、これに対する資料の裏付けがなく、右事実をもって同号各証が捏造であると認めることはできない。<br>　また同号証の二中には、ドライウェルチエンジングプレースに立入った清川のポケット線量計の退域欄の１０と入退域の差の欄の８が二重に記載されていること、それに他の立入者には何ら作業内容は記載されていないのに窪にのみ作業内容の欄に「スミア」との記載があることがみうけられるが、同号証の二ないし四中のその余の各記載の体裁等に照らせば、右のような記載があるからといって、直ちに同号各証が捏造であると推認するには足りない。<br>　以上によって、同号各証が捏造であると認めるに足りる証拠はなく、弁論の全趣旨によりその成立を認めることができる。<br>　そして以上の考察によって、当該記録が捏造であると認めるに足りる証拠はなく、弁論の全趣旨によりその成立が認められる。<br>ロ　被告が原子力発電所内で管理区域を設定して管理しなければならない許容表面放射性物質密度（以下許容表面密度という）は、一平方センチメートル当り〇・〇〇〇一マイクロキュリーであることは、原告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。<br>　そこで《証拠略》によれば、本件作業当日午前一〇時における本件作業場所付近のドライウェルチェンジングプレース前の床表面の放射性物質密度（以下表面密度という）は、スミア測定によれば一平方センチメートル当り〇・〇〇〇〇〇八三マイクロキュリーであったこと、五月八日から六月一五日まで（五月九日と六月七日は記録がないので除く）の右同所の表面密度はすべて許容表面密度以下であったこと、五月一三日、同月一四日、同月一五日、同月三〇日、六月九日に測定された原子炉建物一階の各床表面における表面密度もすべて許容表面密度以下であったことが認められる。<br>　従って右認定事実によれば、本件作業場所付近をはじめ、原子炉建物一階において、表面密度測定によって高い汚染が検出された記録は存在しないことが確認できる。もっともスミア測定は、どちらかといえば床面に或る程度の拡がりをもって存在する汚染物質の検出を意図したものであろうから、ほとんど拡がりをもたないで点在する汚染物質に対しては、測定日、測定場所以外に高い汚染が存在したとしても、それに関する情報を提供するものでないから、汚染の可能性を完全に否定できないことはいうまでもないし、さらに本件作業日における原子炉建物一階（ドライウェルチェンジングプレースを除く）の表面密度の測定記録はないものである。<br>（４）　その他<br>イ　《証拠略》によれば、本件パイプの取外作業（五月二五日）を行なった関電興業の作業員計一四名の総被曝線量が三二ミリレムであり、本件パイプの取付作業（同月二八日）を行なった同作業員計一四名の総被曝線量が六七ミリレムであることが認められるけれども、同号証によれば、右各作業員は、本件パイプの取外、取付作業当日、それ以外の作業（汚染区域内の作業も含む、但し、いかなる作業かは明確でない）にも従事しており、その作業時の被曝線量を含めた値が前記認定の数値であることも認められ、この事実に照らせば、前記認定の数値の差から単純に本件パイプに五月二八日に汚染があったことを推認することはできない。<br>ロ　ズック靴の汚れ<br>　原子炉建物内の汚染は、ズック靴に付着することが推認できるのであって、ズック靴の汚れについて検討してみることは、当時の汚染状況を知る手がかりとなる。<br>　《証拠略》によれば、五月二八日にズック靴のサーベイ測定が行なわれ、一二六足が洗濯され、うち一〇〇足が新品と取替えられたこと、翌二九日にもズック靴のサーベイ測定が行なわれたこと、なおズック靴のサーベイ測定は五日間隔で行なうのが原則であることが認められる。<br>　右事実のうちズック靴一〇〇足が新品と取替えられたことや五日間隔でズック靴のサーベイ測定を行なうのが原則であるのに、三日続けてサーベイ測定が行なわれている点は、それがいずれも原告が本件作業を行なった翌日と翌々日のことだけに汚染を疑わしめる材料の一つであることは動かない。しかし他方、新品と取替えられたズック靴がちょうど一〇〇足であることや《証拠略》によれば、ズック靴のサーベイ測定は、二八日が一分間三〇〇カウント以下、二九日が一分間五〇〇カウント以下であり、いずれも除染を必要とする一分間五〇〇カウント以上の値ではなかったことも認められるのであるから、前記各事実をもってズック靴や作業現場の汚染を推認するには足りない。<br>（四）　結論<br>　原告の作業環境の面から考察した限りでは、未だ原告の患部につき被曝の具体的危険性ありとはいえない。<br>２　個別的側面における具体的危険性<br>　さきに認定した原子炉建物内における原告の行動や患部の位置、その行動等にかかわるものとして指摘した原告本人の供述及びさきに説示した急性放射線皮膚炎としての発症の条件に照らすと、原告の疾患が放射線被曝による急性放射線皮膚炎とした場合の蓋然性ある被曝態様は、かなり限局されるといってよく、この意味で、原告が原子炉建物内を歩き回ったとしても、それだけでは右膝内側の被曝は考えられず、原告が本件パイプに加工している過程で、或る時間継続して、かなり高線量のベーター線を患部に浴びたことによる接触性の局部被曝と推認するのが相当であり、証人久米三四郎の証言（第二回）も、この推定を裏付けるものといってよいであろう。しかも、この接触性の局部被曝として、１本件パイプ外表面、又は角材等に付着していた放射性物質により患部上の衣服が汚染し、該衣服に浸透するか、または衣服を隔てて被曝する、２汚染水が本件パイプ以外の何かを媒体として患部上の衣服に浸透して被曝する、といった局面が想定される（そのほかにも、種々の場合が想定されないわけではないが、単なる可能性の域を出るものではない）。従って、以下では本件パイプ及び角材等並びに汚染水を中心に検討を加える。<br>（一）　本件パイプ等<br>　本件パイプの機能や同パイプに原告が加工した前後の経過等については，すでに説示したところであって、もしも本件パイプの外表面が放射性物質により汚染されていたとすれば、同物質が他からそれに付着することによる以外に考えられないところ、原告が作業に取りかかる直前、即ち、原告が本件パイプを作業現場に転がして移動させた直後には、同パイプの放射線量率ないし放射性物質密度の検査は行われていない。もっとも、証人小林和夫の証言によると、直前でないことは明らかであるが、とにかく事前検査を実施したというのである。しかし、その点の記録がないのはもとより、検査の時期や方法が明確性を欠き、同証言は容易く採用できず、事前検査がなされたとの保証はない。従って、この面からは、汚染があったとも、なかったとしても断定し得ないというべきである。ただ、作業環境の面からみた限りでは、汚染の徴表がなかった点に鑑み、右が直ちに具体的危険性に結びつくとはいえない。<br>　これと同様に、原告が本件作業に用いた角材等の汚染も直ちに具体的危険性に結びつくとはいえない。　<br>　なお、本件パイプや右角材等に何らかの汚染があったとしたら、原告の被曝部位が限局されていることに、経験則上の不自然さがみられることも指摘しておく必要がある。<br>（二）　汚染水<br>　原告が穿孔作業をするに際し、原告の指示により水がバケツ様の容器で運ばれて来たこと、原告がワイヤーブラシで本件パイプ外表面の汚れを落し、水で濡らしたウエスで拭ったうえ、水圧テスト用に右の水約二リットルを使ったことは、前記認定のとおりであり、そのほか、原告本人の供述中に、作業終了後作業服の右膝部分が濡れていることに気が付いた旨の一節があることも、すでに指摘したとおりであるところ、この供述内容は、右認定の作業の過程で十分に起りうることであるから、これによる被曝が考えられるか、否かについて検討する。<br>　証人久米三四郎の証言（第二回）からもいえることであるが、ここでまず考慮の対象とされるべきことは、右バケツ様の容器で運ばれて来た水が一次冷却水か否かである。この点について右久米証人は、自己の研究の過程における経験を例として挙げながら、運ばれて来た水が一次冷却水である疑は濃いというのである。しかし、同証人の経験が敦賀発電所に妥当するとは到底考えられない。のみならず、前掲乙第一九号証の二（労働技官が昭和四九年四月二日原告から録取した書面）によると、原告は建屋内にある普通の水道口より汲水したというのであり、証人小林和夫は消火栓から汲水したと証言するところからして、いずれにしてもその種の設備からの汲水と認めるのが相当である。そして、右の如き設備の水が純水と称され、放射性物質による汚染があり得ないものであることは、《証拠略》並びに経験則に照らして疑の余地がないというべきである。従って、バケツ様の容器内の水による被曝の線は排除されなければならない。<br>　なお、仮にバケツ様の容器内の水が一次冷却水であったとし、それが原告の患部にかかったとしてみても（患部だけに限局してかかるということは、あり得ない想定であるが）、その水がそのまま患部にとどまるということはあり得ないところであるから、その水中の放射線物質が患部に付着する割合も限られていると解さざるを得ない。そうだとすれば、《証拠略》により認められる当時における一次冷却水の放射性物質濃度に鑑みれば、原告の患部に付着した放射性物質が、前記原告の症状に見合う一〇ミリキュリーに達するとは到底認められない。従って、この点からも右水による被曝とはいえない。<br>　なお、本件パイプについては、前項で指摘したように、汚染の有無の事前検査が尽されていなかったのであるから、同パイプが別に存在していた一次冷却水によって汚染されていたことも考えられなくはないが、その汚染水の量は微々たるものであろうから、原告の被曝をそれによるとみることはできない。<br>（三）　ポケット線量計及びハンドフットモニター<br>　以上のとおり、本件パイプ及び角材等並びに汚染水からは、被曝の具体的危険性を窺うことはできないのであるが、当時原告は、自己の身体に対する被曝線量を明らかにするため、ポケット線量計を携帯し、ハンドフットモニターによる検査を受けたこと、そして、原告が原子炉建物から退出した際のポケット線量計による被曝線量は一ミリレム、助手の渡辺道治のそれは〇ミリレムと記録されていること、またハンドフットモニターによる検査でも異常を告げられることがなかったことは、すでに説示のとおりであるから、これに則して前二項の説示の当否を考察する。<br>　ところで、原告は、自己が携帯していたポケット線量計は振切れていたとか、右記録された数値が信頼できないというのであるが、そういった事実を推測しうるような事情は窺えない。ただ、《証拠略》によれば、ポケット線量計は二〇〇ミリレムまで測定できること、ただし目盛の単位は一〇ミリレムであることが認められるので、同目盛の単位に照らせば、少なくとも一ないし三ミリレムの範囲において読み取り誤差が生じることは、考慮して置く必要がある。従って、原告のポケット線量計の数値は、右誤差の範囲内で正しい数値を示すものというべきである。そうだとすれば、原告の患部の症状を惹起するような線量の放射線被曝があったとは認められない。<br>　次に、ハンドフットモニターの関係であるが、《証拠略》によれば、原告の膝に一・六マイクロキュリー程度の汚染があれば、原告の使用したハンドフットモニターにより検知可能であることが認められる（もっとも、衣服を隔てた被曝を想定した場合に、該衣服を脱げば検知できないことが多いであろう）。従って、原告の膝に付着したと想定すべき汚染は一〇ミリキュリー或いはその二分の一程度であったとしても、ハンドフットモニターが正常に機能していたとすれば、当然に汚染の事実が検知される筈で、その反応がない以上原告が被曝した事実は直ちに否定されなければならない。そこで残る問題は、ハンドフットモニターが正常に作動したか否かであるが、弁論の全趣旨によれば、同モニターが作動するためには、被検者が同モニターに手を突込まなければならず、もし突込み方が浅ければ、同モニターが作動しないことが認められる。原告が同モニターにその作動可能の深さまで手を突込んだか否かは、これを確認できる証拠はないので、同モニターが異常を示さなかったことから直ちに原告の被曝を否定することはできないが、右のように手の突込み方が浅かったと推認することは、相当に困難というべきである。<br>（四）　結論<br>　以上の次第であるから、個別的側面からの観察によっても、原告の患部の被曝を推認しうるような具体的危険性は認め難い。<br>八　被曝原因のまとめ<br>　以上のとおり、本章冒頭で説示した前提に立って被曝原因を検討した結果、原告の作業前の事前検査の形式的及び実質的不備や、ズック靴の汚染検査にまつわる疑問、原告が持ち込んだ機械工具類の事後検査が行われたかどうか確定できないなどの管理上の不行届が散見されるけれども、原告の患部の症状を急性放射線被曝とした場合に推測される被曝線量に相当するような放射能量の存在、更にそれによる被曝の具体的危険性は、作業環境の面からも個別的側面からの観察によっても、これを窺い知ることができなかった。<br>　第三章　結論<br>　第一章において原告の患部の症状の側面から、それが敦賀発電所における作業中の被曝による放射線皮膚炎であると認められるかについて検討したところ、症状の側面からだけでは、これを直ちに認め難いとの結論に達した。しかし、原告の阪大病院初診時の患部の症状に放射線皮膚炎の疑が残っているので，第二章において被曝原因の側面から検討したのであったが、被曝につながる具体的危険性を窺い知ることができず、症状の側面から解明しきれなかった点を補充するに足る事情を認めるに至らなかった。<br>　以上の次第であるから、原告が敦賀発電所での作業中に被曝したことを認めるに足りる証拠はないことに帰する。　<br>　よって、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。<br>（裁判長裁判官　石田真　裁判官　島田清次郎　塚本伊平）<br>　別紙第一～五図《略》<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326538437.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:04:30 +0900</pubDate>
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<title>裁判例続き④</title>
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<![CDATA[ <strong>　　　　　　　理　　　由<br><br></strong>　序章<br>一　被告が原子力発電を業とする会社であって、原子炉を設置した敦賀発電所を所有し、原子力損害の賠償に関する法律第二条第三項にいう原子力事業者であることは、当事者間に争がなく、他方《証拠略》によれば、原告は海南土木の従業員であって、水道管等の不断水穿孔工事（新たな管を継ぐ必要等のため、流れている水を止めずに当該管に穴を開ける工事で、特殊な機械と技能を要する）等に従事していた者であることが認められる。そして、原告が昭和四六年五月二七日敦賀発電所の原子炉建物内において、直径四〇〇ミリメートルのパイプ（本件パイプという）に直径五〇ミリメートルの穴を開ける作業に従事したこと、右工事は、被告がＧＥＴＳＣＯに請負わせ、同社から大成機工、大成水工、海南土木にと順次下請させたものであることは、当事者間に争がない。<br>二　原告は、敦賀発電所における前記工事に際し、右足膝関節内側（以下右膝患部または単に患部という）の放射線被曝により放射線皮膚炎の被害を受けたと主張する。<br>　なるほど、《証拠略》によると、原告は、昭和四九年三月二日阪大病院所属の田代医師から、右膝患部に放射線皮膚炎を生じているとの診断を受けたこと、そして、田代医師は右の放射線皮膚炎が前記敦賀発電所の作業の際の放射線被曝によるものと断定するのである。<br>　そこで、次章において原告の右膝患部の疾患が放射線皮膚炎か、否かの点を検討する。<br><br>　第一章　原告の症状と放射線皮膚炎　<br>　まず、原告の主張に即しながら、放射線実体及び放射線皮膚炎の病像の輪郭をそれぞれ明確にして、判断の焦点を絞ることから始める。<br>一　放射線<br>１　《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。<br>　敦賀発電所の発電機構等の詳細は後述のとおりであるが、原理的には、原子核分裂反応により発生する熱エネルギーを利用して発電を行なう仕掛けであって、右の原子核分裂反応により、一定の化学的性質（原子核の電荷の大きさ）を持った多種類の放射性物質が生成される。そして、これらの放射性物質からは、核種にもよるが、アルファ線、ベーター線、ガンマー線（一ないし三種）の放射線が放出されるところ、放射線が物質を貫通する能力はアルファ線が最も小さく、ベーター線、ガンマー線の順に強くなる。アルファ線は身体の組織の厚さにして数十ミクロン程度で止まり、ベーター線は、数ミリメートル程度まで、ガンマー線では数十センチメートルでも貫通する。放射線が組織内で止まるというのは、そのエネルギーを組織に与えてしまうということを意味するのであって、放射線が通過した組織内での細胞の破壊は、放射線の貫通力の弱いものほど大きく、アルファ線、ベーター線、ガンマー線の順に約百倍程度の差で表皮組織を破壊する。<br>２　《証拠略》によれば、原告の右膝患部の疾患が放射線被曝によるものとすれば、それに近い放射線としてベーター線を想定すべきであることが認められる。<br>　そこで、進んでベーター線の皮膚に対する作用について考察するに、《証拠略》によれば、敦賀発電所で生成される放射性物質から放出されるベーター線の最大エネルギーは、核種により、約三・五五メガボルトから約〇・〇四メガボルトにわたっているところ、その混合ベーター線の平均Ｄ１／２〔レントゲン線（以下レ線という）による被曝線量が半分に低下する皮膚の深さをいう〕は、約〇・二ミリメートルである（もちろんこの数値は、各核種一種のみをとれば上下する）こと、一方、レ線のうち、六ないし一二キロボルト程度の加速電圧で発生させた、透過度の低いブッキーの境界線（グレンツ線ともいう、以下では単にブッキー線という）といわれるもののＤ１／２は、〇・二ないし〇・五ミリメートルであることが認められる。従って、ベーター線の皮膚に対する作用と右ブッキー線のそれとは、ほぼ同視できると解されるので、以下においては、右事実を考慮しながら考察することにする。<br>　ところで、《証拠略》によれば、原告の患部の疾患を放射線皮膚炎とした場合に、同疾患を発生させるためには、すくなくともベーター線による約五〇〇レム程度の被曝を想定すべきであること、もっとも、皮膚に水疱を発生させる程度を想定するとすれば、六〇〇レム以上の被曝が必要であることも認められるが、以下の考察においては、およその目安として、五〇〇レムの被曝を想定し、特殊な場合にそれ以上の被曝も考慮することにする。<br>二　放射線皮膚炎の病像<br>　放射線皮膚炎は、放射線被曝を原因として生ずる皮膚炎であるが、なかんづく急性放射線皮膚炎の症状は熱傷等によっても同様の症状がみられることからもいえるように、元来他の原因による皮膚炎と識別の困難な面があり（非特異性）、且つ、未解明の分野もあって、その病像が一義的に明確になっているとは言い難いけれども、本件事案の判断に必要と思われる範囲内で、急性と慢性に大別して把握すると、おおよそ次のとおりである。<br>１　急性放射線皮膚炎<br>　《証拠略》を総合すると、次のとおりの事実が認められる。<br>　急性放射線皮膚炎は外部から主として比較的大線量の一回ないし短時間に何回もの被曝によって起る、いわゆる放射線熱傷である。急性放射線皮膚炎の基本的な皮膚症状は紅斑であって、これは波状的に出没をくり返す。第一波は被曝後第一～四日、第二波は第八～二二日、第三波は第三四～五一日、時に第五五～六二日の間に第四波が現われることもある（この波状的な出現をミッシェルの波という）。紅斑の二次的現象として、紅斑にやや遅れ、その波に追随して色素沈着が発現消退する。また線量が大きい場合には皮膚表面に水疱を形成することもある。もっとも右の如き臨床症状は放射線の線質、線量、個体の生理的条件、放射線感受性、被曝部位などの条件によって異なり、線量との関係は一概に述べることはできないが、おおよその目安として、通常のレ線の一回被曝（急性被曝）の場合には、次のような関係にある。<br>　　被曝線量　主な皮膚症状<br>　　三〇〇ラド　脱毛、落屑<br>　　五五〇ラド　紅斑、色素沈着<br>　　八五〇ラド　水疱、びらん<br>　一〇〇〇ラド　潰瘍<br>　放射線感受性には、かなりの個人差があり、その程度を数値に示すことは困難であるが、同一線量による紅斑の強弱の個人差はプラスマイナス四〇ないし五〇パーセント程度で、皮膚の放射線感受性の差もほぼこの程度と考えられる。<br>　通常のレ線による紅斑発生に対する皮膚感受性の部位による差は、高い順に、（１）前頸部，肘及び膝の屈側面、（２）四肢の屈側面、腹、胸部、（３）顔面（色素沈着の著しくない場合）、（４）四肢の伸側面、（５）顔面（色素沈着の著しい場合）、（６）項部、<br>（７）頭部、（８）手背部、（９）手掌及び足蹠部などである。<br>　線質による差としては、例えばブッキー線（軟レ線）では紅斑出現までの潜伏期間は短かくて四、五日後、強い線量の場合は当日にでも発生し、一四日から三週間持続する。水疱、びらんも発生し、無痛性で三～四週間内に完全に治癒する。この場合極めて強いのは色素沈着で、脱毛、瘢痕、萎縮、毛細血管の拡張などはみられない。これはブッキー線が真皮の奥部にまで余り侵入することなく、殆んどが表皮中に吸収されることから、変化もほとんど表皮中に現われ、血管拡張は二次性の変化とみなされることによる。　<br>　急性放射線皮膚炎の経過と予後も、当然被曝線量、線種によって異なる。比較的低線量（五〇〇～八〇〇ラド）の場合は紅斑の後に落屑、色素沈着が出現し、いずれも次第に薄くなり、数年の経過の後に痕跡を残さず治癒するのが通常の経過である。大線量（おおよそ一〇〇〇ラド以上）の場合には、一回被曝でも、急性放射線皮膚炎に引続き、あるいは長期間の経過の後に、後記の慢性放射線皮膚炎に移行する場合が多い。そして紅斑を生じる程度の急性症状で、色素沈着を残して治癒していくような場合でも、被曝皮膚は外傷、細菌感染などの刺戟に対する抵抗性が弱く、このような刺戟にさらされることによって再び皮膚炎が発現することがある。この場合に生ずる皮膚炎は潜在化していた放射線皮膚炎の再燃として、放射線被曝固有の症状を呈し、場合によって慢性放射線皮膚炎へ遷移することがある（ただ、放射線皮膚炎としては治癒とある以上、放射線皮膚炎としての再燃はなく、該部分の抵抗性が弱くなっているため、刺戟によりその刺戟に特有の皮膚炎がみられるということの有無は明らかでない）。<br>　急性放射線皮膚炎の病理組織変化も、線種、線量によって巾がある。急性期（紅斑、水疱などの炎症症状のみられる時期）には、表皮の変性、表皮下浮腫、血管拡張、真皮の細胞浸潤などの変化がみられるが、これらは非特異的で熱傷のそれに類似しており、皮膚の臨床症状だけから診断することは困難である。急性期を過ぎた後、放射線による色素沈着が長期間持続するのは、表皮基底層のメラノサイト（色素細胞）で造られるメラニン顆粒が、照射により表皮の基底層が破壊される結果、真皮内に滴落し貪食細胞（組織球、マクロファージとも呼ばれる）に貪食されて、いわゆる組織学的色素失調を起すためである。<br><br>２　慢性放射線皮膚炎は、急性放射線皮膚炎の症状を呈さない程度の低線量被曝（通常のレ線の場合一回二〇〇ラド程度）を反復して受けた後、長期的期間の経過を経て出現する場合と、大線量（一〇〇〇ラド程度以上）の一回被曝で重度の急性症状を呈したのちに、引続きあるいは長年の後に現われてくる場合がある。慢性放射線皮膚炎は殆ど不可逆的な変化で、しばしば難治性の潰瘍を生じ、また癌が発生する危険性も高い。<br>　慢性放射線皮膚炎の病理組織像としては、表皮の異常角化、真皮毛細血管の拡張、膠原繊維の塩基性変化、硝子化などの変化がみられる。このような変化は、真皮の吸収線量が大きい時にみられ、血管や膠原繊維に変化が強いために惹起されるもので、ブッキー線やベーター線などの透過性の弱い放射線では、そのエネルギーの大部分は表皮で吸収されるので、このような真皮の変化は軽微である。<br>　臨床症状としては、表皮の萎縮、色素沈着と色素脱失の混在、毛細血管拡張、真皮結合組織の硬化（繊維化）、難治性潰瘍を生じ易いことなどの一見して極めて特徴的な症状を呈し、臨床像からの診断は比較的容易である。<br>　以上、放射線皮膚炎の病像の輪郭を把握したので、次にこれを前提として論を進めることにする。<br>三　阪大病院初診時以降の原告の症状<br>１　症状<br>　《証拠略》によると、原告は、昭和四八年八月一四日阪大病院において、初めて田代医師と谷垣医師の診察を受けたこと、その時の患部の症状は、一〇・五×九・〇センチメートルにわたる境界鮮明な暗褐色の円形斑で、中心部に米粒大の脱色素斑が散在し、表面に鱗屑が付着しており、病巣の辺縁には発赤があり、ところどころに水疱の治癒しかけていると考えられる米粒大の痂皮が散在していたこと、田代医師らは、右症状と原告の説明に基づいて、第一に放射線皮膚炎を疑い、これと類似の症状を伴う接触性皮膚炎、固定薬疹等との鑑別に意を用い、殊に後述のとおり固定薬疹については原因となりうる薬剤の誘発試験を殆ど網羅的に行ったこと、そして患部に対しては保存的治療を行うにとどまったこと、その間の同年八月二八日、同年九月一七日ころ、同年一〇月四日にそれぞれ患部に発赤等がみられたものの、同年一〇月一三日には患部の紅斑が消退し、表面に鱗屑多数が附着していたこと、以後患部に発赤はみられなくなり、前記黒褐色色素斑も昭和四九年三月ころ（遅くとも同月二五日）から徐々に薄くなり、同年一二月ころにはかなり薄くなって、昭和五五年当時にはほとんど痕跡をとどめないまでになったこと、以上の事実を認めることができる。<br>２　田代医師及び井沢鑑定人の判断<br>　田代陳述及び井沢鑑定によれば、右に認定した原告の患部の症状の推移、組織学的所見に加えて、固定薬疹を筆頭に接触性皮膚炎等の類似症状を呈する他の疾患との鑑別診断等を前提として、田代医師は放射線皮膚炎と断定し、井沢鑑定人も放射線皮膚炎であることを否定できない旨の結論を出しており、しかも一致して、阪大病院初診時の原告の症状は、発症後に一旦沈静化していたものが、何らかの刺戟により放射線皮膚炎として再燃している状況であると判断するのである。もっとも、田代陳述及び井沢鑑定によっても、右の再燃症状に関する判断は、症状自体等の客観的資料に基づくものではなく、前叙放射線皮膚炎の病像に依拠しながら、その初発の時期を原告が敦賀発電所で工事をした時期と前提した上での立論であることは動かし難いところである。そうだとすれば、厳密には、右症状と連続性ある疾患の初発の時期が問題となるのであり、仮に右判断に即して、前記原告の症状が再燃による放射線皮膚炎と仮定するなら、再燃の時期・原因もさることながら、前叙ミッシェルの第一、二波の時期如何が、右判断に少なからざる消長を及ぼすこともありうるというべきである。<br>３　整合性<br>（一）　発症の時期<br>仮に、右症状が、原告の敦賀発電所における放射線被曝による皮膚炎の延長線上に位置付けられうるとすれば、前叙ミッシェルの第一波として、作業当日に紅斑の発生がみられうるところ、《証拠略》によると、原告は当夜入浴している事実を認めることができるけれども、患部の右変化を認知した形跡が窺えない。しかし、だからと言って、直ちに紅斑の発生がなかったとするのは、短絡に過ぎる。何故なら、《証拠略》によっても明らかなように、この場合の変化は軽度であって、一般的に潜伏期といわれていることでもあり、注意深く観察しないと見逃されることが多いから、たとえ原告が見逃がしたとしても、不思議ではないからである。<br>　そこで、ミッシェルの第二波の紅斑の発生の有無について判断するに、《証拠略》によれば、原告は、右作業当日の八日後である六月四日に、山口医院へ行ったこと、同医院における原告に対するカルテには、傷病名として「右肘関節部接触皮膚炎（虫刺症？）」、主要症状として「直径八センチメートル」とそれぞれ記載されており、もとよりこれに基づき発行された昭和四九年二月一五日付同医院の原告に対する診断書においても同様の記載があることが認められる。ところで、右認定のとおりカルテには、原告の疾患部位は「右肘」と記載されており、この記載が正確であるとすれば、前記作業の約一週間後に、原告の右膝に紅斑症状を生じたことを認めうべき客観性のある証拠は存在しないことに帰する。この点について証人田代実は、山口医院の診断の対象が本当に肘であったとしても、それは肘にもあったといえるだけで、膝にどうであったかということに関し、何らの情報も提供しないという趣旨の証言をする。確かに、原告が肘の症状には気付いたが、膝のそれに気付いていなかったという事態を想定すれば、右証言も首肯できる。しかし、さきに認定したことからも言えるように、放射線による紅斑発生に対する皮膚感受性は、肘及び膝が同程度であるうえ、右想定自体が簡単に成立しうるとは考え難い。してみれば、証人田代実の右証言は容易く採用できるものではない。むしろ、右肘の診察を前提とする限り、<br>原告は、山口医院より右肘の皮膚疾患の治療を受けながら、右膝の皮膚疾患につき何らの症状を訴えなかったもので、当時原告の右膝には紅斑症状がなかったと推認してしかるべきであろう。<br>　そこで、角度を変えて右カルテの記載が正確であるかにつき論を進めるに、右カルテを記載した山口医師が何らかの悪意等特段の事情により、原告の患部の部位について、ことさら虚偽の記載をしたとは到底考えられないから、問題は、膝と書くべきところを肘と書き誤まったか否かである。原告本人尋問の結果によると、原告が山口医師に対し、肘の記載を誤記として膝に訂正を求めたところ、同医師がカルテに書いてあるものを今更訂正できないと拒否しているところ、その点は別として、膝と書こうとして肘と書いたという表示上の誤りとするには字形が違いすぎると言えなくはない。しかも、直径八センチメートルの拡がりのある部分は、肘についても考えられないわけではない。しかし、肉月偏が共通していることに加えて、前記認定のとおり、少なくとも原告が阪大病院で診察を受け始めた時点から数年間は原告の右膝関節部に皮膚の特異症状が認められること及び右部位と右カルテの患部の記載のうち肘と膝を除く右側であることや関節部であることが、偶然といい切れないほど一致していること、それに《証拠略》を総合すれば、右カルテの右肘の記載が右膝の誤まりである可能性も十分にあると判断することができる。<br>　そして、右カルテにそのような誤記がなされたことを前提とすれば、同カルテの傷病名の記載からだけでも、六月四日には原告の右膝に紅斑が発生していたことを推認しうることになろう。<br>　そこで、山口医院での診療の対象が膝であったか、否かを更に検証するため、阪大病院で田代医師が診断した患部との連続性を肯定しうる状況の有無について論を進める。<br>　まず、原告が山口医院以後阪大病院で診療を受けるまでの間に、医師の診療を受けた経過を網羅的に辿ると、次のとおりである。<br>　《証拠略》によれば、原告は昭和四七年五月一九日笹尾医院で診察を受けたところ、病名は感冒及び白血病の疑いであって、症状は、高熱、全身倦怠感であったが、尿検査の結果、異常がないとの診断であったことが認められる。次いで《当事者》によれば、原告は同年六月五日成人病センターで診察を受けたところ、病名は、高血圧症、肝腫張であって、<br>主訴は、受診以前より頭痛があって、同年五月下旬より目まい、食欲不振になり、五日間前から三八度前後の発熱があったこと、そこで、レントゲン検査、血液検査及び肝機能検査等の精密検査が行われたことが認められる。さらに《当事者》によれば、原告は同月三〇日中野医院で診察を受け、病名は、気管支炎、肝腫大であって、症状は、高熱（三八度）、咳、嗽、咳喀、悪寒せんりつであったこと、また同年七月七日、同月一一日にも同医院で引続き診察を受けたことが認められる。また《当事者》によれば、同年九月二日に前記笹尾医院で坐骨神経痛との診断を受け、翌四八年四月五日にも同医院で血液検査の結果が出ていることが認められ、以上認定の経過は、おおむね原告本人の供述とも符合する。<br>　なお、《証拠略》によると、「当時より阪大皮フ科に紹介転医す」との記載があるところ、この記載だけからでは、問題となっている疾患と関係があるのかどうかをはじめ、紹介転医の時期も明らかでないうえ、原告本人がその記載事実を嘘として否定するのであるから、斟酌の限りではない。<br>　以上の認定事実によれば、山口医院以後阪大病院に至るまでの間、右膝の疾患が診療録に記載されるような形式で、診療の対象とされることはなかったものといわなければならない。<br>　よって、その間の経緯について、原告本人の弁疎するところをみると、「原告は、山口医院で右膝の患部の治療を受けて、一時治ったやに思われたが、何日かしてまた同じような痛みを感じたこと、現在（昭和五三年三月一一日）は薄くなっているが、当時は患部の色がかなり濃くなっていたこと、その色は消えることなく、症状とともに続いた」という趣旨のことや、「山口医院以後阪大病院へ行くまでに患部の治療を受けたことがないところ、その理由として、足（患部のこと）の痛さとか、辛さよりも、頭痛や発熱に心を奪われていたため」という趣旨の供述をするのである。もっとも、原告本人は、若干の変遷を経て、「笹尾医院で患部を診て貰ったことがある」とも断定する。<br>　右弁疎のうち、原告が笹尾医院で右膝の患部を診て貰ったことを裏付けうる証拠がないうえ、これと抵触する右供述に照らして容易く信用できず、結局のところ、原告は、山口医院以後阪大病院に至るまでの間、右患部の診療を受けたことは認め難いというべきである。もちろん、その間、患部の症状がなかったのであれば、診療を受けなくて当然であるが、もしも、放射線皮膚炎とするなら、急性期においては波状的にもせよ炎症症状が発現した筈であるし、その後については、現に原告本人が色素沈着の存続や前記炎症症状の断続的な発現を是認しているのであるから、医師の診療を受けなかった点は、奇異というほかない。殊に、原告は、右に認定したように、身体の不調を訴えて何回も医師の診察を求め、精密検査まで受けている程であるから、たかが右膝の疾患とはいえ得体の知れぬ頑固な患部を指摘して診察を求めないということは不可解であり、この点の原告の弁疎も首肯できるものではなく、到底採用できない。なお、証人川勝冨士雄の証言によると、原告が化膿はしていないけれども、足のところが具合が悪いといっていたというのであるが、内容が漠然としすぎるうえ、時期が判らないので、右の判断に消長を及ぼさない。このようにみて来ると、原告がいう右膝の患部は患部というに価いしなかったのではないかとの疑念を払拭できない次第である。<br>　以上の説示からも明らかなように、阪大病院以後の疾患が、山口医院当時の疾患の延長線上にあるとするには、かなりの問題があり、延いては山口医院での診療の対象を右膝の患部とし、カルテの記載を誤記と断ずるには、矢張り躊躇なきを得ないというべきである。<br>　しかし、同時にカルテの記載が正確であるとも保し難く、また原告が右膝の患部を他の医師に診せなかった点だけを把えて事を論ずるにしては、事案が余にも重大であるから、更にさきに認定した阪大病院以後の症状について、前記病像に則り整合性の有無を検討する。<br>（二）　暗褐色斑について<br>　田代陳述、井沢鑑定及び土屋鑑定によれば、原告の患部の暗褐色斑が色素沈着であることは明らかであり、その色素沈着が遅くとも昭和四九年三月二五日以降徐々に色が薄くなり、遂にはほとんど痕跡をとどめないまでになっていることは、さきに認定したとおりである。ただ、厳密にいうと、阪大病院当時以降にみられた原告の患部の色素沈着が、何日ころ形成されたものかについては、原告本人の供述に依拠するなら格別、確定するに足る客観的資料がない。<br>　ところで、この色素沈着が放射線皮膚炎の予後としても生ずるものであることは、さきに説示のとおりであるから、原告の患部の色素沈着は放射線皮膚炎と整合するというべきである。<br>　問題は、この色素沈着の消退についてである。即ち、原告の患部の色素沈着が、何日ころ形成されたものかは不詳としても、とにかく消退しているところ、土屋鑑定は、水疱を形成する程度の強い放射線被曝を受けた場合に生ずる色素沈着は、ほとんど恒久的に残存するし、放射線被曝により二年間も色素沈着が残存したものが、ほとんど正常に近く回復することはないとする。そのうち色素沈着が二年間も残存したとの点は確定した事実といえないし、いずれにしても土屋鑑定の色素沈着が消退しないとする論拠は、線質の差についての考察が欠けており採用できない。むしろ、井沢鑑定によれば、色素沈着の消退の点についても、放射線皮膚炎との整合性を否定しえないというべきである。<br>（三）　その他<br>　さきに認定した原告のその余の症状についても、放射線皮膚炎との整合性を否定すべき事情は窺えない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/juris-d-yu/entry-11326536809.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Aug 2012 13:01:36 +0900</pubDate>
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