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<title>やよいの徒然日記</title>
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<description>日々は流れる。毎日は生活の事で手いっぱい。けど、ふとしたときに、ちょっと良いかも、と思うことがある。それを徒然なるままに・・・。</description>
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<title>角を曲がる</title>
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<![CDATA[ <p>「君は君らしく生きていく自由があるんだ<br>大人たちに支配されるな<br>初めから、そうあきらめてしまったら<br>僕らは何のため生まれたのか？」<br><br>初めてこの曲を聞いたのは家族が見ていた音楽番組だった。<br>若い女の子グループで、<br>センターの、顔が小さく手足の長い子が強い目線でこちらを指さして歌っていた。<br><br>そう、欅坂４６の「サイレントマジョリティー」。センターは平手友梨奈さん。<br><br>メンバーが横一列になって下を向いているときに力強く拳を上げ、<br>それに続いてメンバー全員が立ち上がり正面を向いて真っ直ぐに歌っていた。<br><br>「夢を見ることは時には孤独にもなるよ<br>誰もいない道を進むんだ<br>この世界は群れていても始まらない<br>Yesでいいのか？<br>サイレントマジョリティ」<br><br>衝撃的だった。図星を突かれたからだ。<br>それまで、事なかれ的に、周りと衝突しないように、、なんとなく生きていた。<br>夢があっても恥ずかしいから口にもせず、どうせ無理だと思って、やる前から諦めていた。<br>けど、心の中には何か、寂しい風が吹いていた。</p><p>この曲から</p><p>”それでいいのか！それで生きているといえるのか！”<br>そう、言われた気がした。</p><p>震えた。心が、心が震えたのだ。<br><br>その夜、YouTubeを漁って何度も何度も動画を見た。人生観が変わった。<br>動画のコメント欄を見ると多くの人が同様の気持ちを持っている事も分かった。<br>多くの人がこの曲に、欅坂４６に、平手友梨奈さんに共感しているのだ。<br><br>以来、欅坂４６の曲に注目してきた。アイドルオタクと云うわけではない。<br>純粋に楽曲に勇気づけられ、励まされて来た。<br><br>欅坂４６は他のアイドルグループとは明らかに違った。多くのアイドルグループは<br>いつもニコニコ笑って、明るく、元気。その姿が私には男子に媚びを売っているように見え、<br>どうしても好きになれなかった。<br>欅坂４６は違った。一線を画すものがあった。<br>言葉で言えば”大人や、今の社会に対するレジスタンス”だろうか。<br>その象徴的センターが平手友梨奈さん。<br><br>２０２０年１月２３日夜、公式サイトにその平手友梨奈さんが”脱退”すると発表された。<br>ショックだった。信じられなかった。その日の夜に平手さんがパーソナリティを務めるラジオ<br>を聞くために、すぐにラジオの前で時間を待った。</p><p><br>「その件については、今は話したいと思わないので、いつか自分が話したいと思った時に<br>どこか機会があればお話しさせていただこうかなと思っております。」</p><p>としっかりとした口調で真摯に話してくれた。</p><p>コーナー最後に「黒い羊」が流れ、曲が終わった。<br>数秒の沈黙と、嗚咽の音。<br>この曲が彼女の置かれている状況とリンクしている事が伺えた。<br><br>その直後、ネットではまるで約束したかのように平手さんのネガティブCPが張られ、</p><p>２月１６日には早々と坂道研修生が欅坂に６名も配属される事が発表された。</p><p>大人たちの都合で事が進められている事があからさまに、いやらしく分かった。<br><br>過去の平手さんのインタビューコメント、<br>NHK・FMでの特集番組「秋元康・三昧」での平手さんと秋元さんの会話、<br>報道の内容から分かる事実の部分、<br>それらを合わせて考えると、卒業でなく、脱退を意味するものが推察される。<br>（いずれも私個人の推察にすぎないけど・・・。）<br><br>以下は上記情報から求めた私個人の勝手な推測です。<br>もし読まれる方がいたら、その点はご了承ください。<br><br>何かを本気でやる事によって自分を変えるためにアイドルを目指した平手さん。<br>その平手さんにインスピレーションを受けて楽曲を生み出した秋元さん。<br>その楽曲を最大限表現しようとした平手さんと欅坂初期メンバーの21人。<br>それをお金に換え、次の表現活動に活かそうとした運営会社。<br>ただ、運営会社は企業体なので、その目的は資本主義に基づき利益追及にある。<br>運営会社からみると、アイドルビジネスは若い女の子の夢をお金に換えて行く<br>ビジネスモデルなので、商品であるアイドルグループのブランド鮮度を維持する<br>ためにメンバーの入れ替えが必要となる。<br>商品鮮度を維持しながらブランド維持を図るのは自動車会社でも化粧品会社でも皆同じ事。<br>新商品を出し続ける事によって、現顧客の維持と新客の獲得によって、<br>会社とその社員、社員の家族は生きていける。<br><br>この表現する事に真剣に向き合い、</p><p>初期メンバーとの絆を大切にして来たクリエイティブ側（平手さん側）<br>と欅坂４６を一つのブランドとしてマーケティングを行うビジネス側（運営側）との衝突。<br>その衝突する姿勢から楽曲を生み出してしまった秋元先生。<br>この負の循環が抜き差しならない状況となって</p><p>平手さんの脱退に繋がったのではないだろうか。<br>普遍性を追求した作品づくりがその時代の商業主義と合わない事は美術史の中にもある。<br>ゴッホの絵は生前一枚しか売れていない。</p><p>草間彌生さんの初めて売れた絵は１００ドルだった。<br>表現芸術と商業美術はその時代性にギャップがある事が往々にしてある。<br><br>脱退発表から約一か月経ち、私もやっと事実を受け入れる事ができるようになった。<br>そして、平手さんからのインスピレーションで秋元さんから生み出されて来た</p><p>欅坂４６の数々の楽曲が<br>まさに平手友梨奈さん自身を表現している事も私なりに分かった気がする。<br><br>「全力で走ったせいで、息がまだ弾んでいた。<br>自分の気持ちに正直になるって清々しい。<br>僕は信じてる。世界には愛しかないんだ。」<br><br>全力でアイドルを走り、初期メンバー２１人との絆を繋げていった「世界には愛しかないんだ」<br><br>「昨日とちがった景色よ<br>生きるとは変わること<br>君はセゾン」<br><br>出会いがあれば、分かれもあり、その変わりゆく事が生きる事そのものと歌った「二人セゾン」<br>切ない曲。けどその儚さが自然の定めであり、美しさでもある。<br><br>「不協和音を<br>僕は恐れたりしない<br>嫌われたって<br>僕には僕の正義があるんだ<br>殴ればいいさ<br>一度妥協したら死んだも同然<br>支配したいなら<br>僕を倒してから行けよ！」<br><br>社会に当たり前にある同調圧力。事なかれ主義。<br>クオリティに多少問題があっても見てみない振りして先に進む事、</p><p>それらに対する徹底した抵抗。<br>妥協しない作品づくりへの姿勢が垣間見える「不協和音」。<br><br>その後、シングル曲は「風に吹かれても」、「ガラスを割れ！」、「アンビバレント」と繋がり、<br>その一方で初期メンバーの卒業も相次いだ。<br>平手さんにとって大切なメンバーが色々な事情で抜ける事となり、<br>常にセンターを務める平手さん自身のけがや体調不良も続き、<br>はたから見てもその心身の疲労が見えた。痛々しい程に・・・。<br><br>最後となったシングルが「黒い羊」。<br>なぜだろう、この曲は何度聞いても泣いてしまう。<br><br>「黒い羊　そうだ僕だけがいなくなればいいんだ<br>そうすれば止まってた針はまた動き出すんだろう？」<br><br>強引に時計を進めたいなら僕がいなくなればいいんだろう、だなんて<br>まるど、その時の平手さんの状況を物語ってはいないだろうか？<br>しかし、クオリティを落としたくない平手さんの主張は続く。<br><br>「白い羊なんて僕は絶対になりたくないんだ<br>そうなった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ」<br><br>そして、黒い羊でありながら同調圧力に屈して白い羊<br>の仮面を被った羊達に主張する。<br><br>「自らの真実を捨て　白い羊のふりをする者よ<br>黒い羊を見つけて指をさして笑うのか？<br>それなら僕はいつだって<br>それでも僕はいつだって<br>ここで悪目立ちしてよう」<br><br>デビュー曲のサイレントマジョリティから続くメッセージが<br>最後の曲でも断固として変わらない。<br>今振り返れば、平手さんはこの時から脱退する覚悟があったのではないだろうか？<br>PVのエンディングのバックに雑踏の音が入るが、その中に平手さん自身の声の<br>「バイバイ」が入っていた。意味があるように思う。<br><br>東京ドームコンサートにはこの「黒い羊」は歌われなかった。<br>その代わり、長く封印されていた「不協和音」がアンコール曲として歌われた。<br>そのパフォーマンスは圧巻だった。<br>コンサート最後で体力もほとんど残っていなかっただろうに、<br>力強い表現力で会場全体を引き付けていた。２期生も必死に食らいついていて、<br>時代が変わった事も感じさせた・・・。<br><br>アンコール曲の２曲目、ドームコンサートの最終曲が<br>平手友梨奈さんのソロ曲「角を曲がる」だった。</p><p><br>欅坂４６のカリスマで、絶対的センター、平手友梨奈。<br>全シングル曲でセンターを勤め、絶えず注目される。<br>ネットでは勝手な意見が飛び交い、イメージ像やファンが求める像と云うものが交錯し、<br>勝手な偶像が生まれていた。<br>この曲は周りがいつの間にか勝手に決めた平手友梨奈像に対する</p><p>平手友梨奈さん本人からの訴えに聞こえた。<br><br>「らしさって一体何？」<br>「みんなが期待するような人に<br>絶対になれなくてごめんなさい<br>ここにいるのに気づいてもらえないから<br>一人きりで角を曲がる」<br><br>歌いきった時の平手さんの今にも泣きそうな表情。<br>今まで、随分と葛藤があったのだろう。<br>上記のような様々な問題もあり、欅坂４６平手友梨奈としては行動できない。<br>平手さんは平手さん自身の道を行く為に、今、この角を曲がる。<br>初期から見て変わっていく欅坂４６への決別の曲。</p><p>その様に私には聞こえた。</p><p>&nbsp;</p><p>てち、お疲れ様です。</p><p>そして脱退とは云うけど、卒業おめでとう。</p><p>今後も自分の表現を貫いてください。<br><br>角を曲がった先に何が待っているのかは私は知らない。<br>今あるラジオパーソナリティもあと4回で終わってしまう。<br>今後、その姿に接する事ができるかどうかも、新たな歌声を<br>聞けるかどうかも分からない。<br>ただ、私は私自身としてはっきりと分かる事が二点ある。<br><br>一点は、平手友梨奈さんをこれからも応援していく事。<br>そのお姿やお声を聴ける事が無くなったとしても、応援して行くことに変わりはありません。<br><br>もう一点は、平手さんが表現して来たこれまでの楽曲のメッセージを私自身も貫く事。<br>私も絵描きと云う表現者の一人だが、絵はほとんど売れず、生活は厳しい。<br>かといって、表現芸術から商業美術に寄せる事は絶対にしない。<br>私は私自身の表現を探求し、貫いていく。<br>先は見えない。私も何度も角を曲がるだろう。<br>けど、その角の向こうに新しい何かが待っていることを思い、恐れずに進む。<br><br>この二点ははっきりと分かる。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200223/08/k-endomame/80/e5/j/o1704207014717451180.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="267" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200223/08/k-endomame/80/e5/j/o1704207014717451180.jpg" width="220"></a></p><p>Fluctuating　Color 20-A　（キャンバス、アクリル、その他のミクストメディア）</p>
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<pubDate>Sun, 23 Feb 2020 08:34:21 +0900</pubDate>
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<title>作画と時給って繋がるものなの？</title>
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<![CDATA[ <p>忙しい平成３０年も終わり、平成最後の年、平成３１年のお正月を迎えた。<br>今年は三が日ともに、関東は快晴が続いており、気持ちの良い新年となっている。<br><br>年末・年始は仕事がお休みとなるから嬉しい。<br>休みになれば、絵を描く事ができる。<br>今回の休みも絵を描いて、昨夜やっと一枚を仕上げた（６号の小品だけど）。<br>油彩画は乾くのに時間が掛かるので、合間に大掃除を入れつつ、調整した。<br>毎回そうだけど、今回も悩みに悩んで形を掴み、色を重ね、時間を描けて、ゆっくりと、</p><p>けど、ちょっとずつ前に進みながら、やっと、一枚描けた。<br>６号と小品だけど、今年の第一号だ。嬉しい。<br>これから、絵を描く一年がまた始まる。そう、思うと身が引きしまる。<br><br>と云っても、悲しいかな、絵で生活は成り立っていない。<br>去年売れたのも小品が一枚だけで、すぐに絵の具代に変わった。<br>なので、別に働きながらの毎日が今年も始まる。<br>職場先で言われた事がある「弥生ちゃんの絵は買う事もできるの？<br>いくら？そうなの。けど、時給にするといくらかしら。大変ね～。」<br>何気ない一言なのだろうけど、ちょっと気になった。<br>そういえば、絵を描く事と時給を繋いで考えた事はなかった。<br>作画を余暇活動の一つと考えれば繋ぐ必要はないのだろう。<br>楽しみと引き換えに対価を払う事だから。<br>けど、私にとって絵を描く事は「楽しい事」ではない。むしろ、「苦しい事」。<br>いつも、イメージと作品がマッチせず、悪戦・苦闘して、苦しんで苦しんで一つの<br>絵を作り上げている。一度描いても気に入らないものは潰して、その上に別の絵を<br>描く。描いては潰し、潰しては描いて、潰せなかったものだけを残し、その中から<br>発表に耐えうると思ったものだけを作品として発表している。<br>苦しい事なのに多大な時間と労力を払っているのだ。趣味と云う甘さは全然無い。<br>それでも私は絵を描く。</p><p>何故なの？</p><p>それは描きたいから。<br>体の内側から生じる描きたい衝動を抑えられないから。<br>それを表現せずにはいられないから。<br>多分、私にとって「生きる事」と「絵を描く事」は等価だ。<br>時給と繋がればそれは良いだろうけど、繋ぐ気など、更々ない。<br><br>そういう事を考えていたら、日本画家の田中一村（１９０８～７７）の事が思い出された。<br>一村は幼少期は日本画の世界で神童と呼ばれ、東京美術学校にも入学するけど、<br>二か月で中退。以来、独学で絵を勉強し、中央の画壇からも離れる。<br>５０歳の時に千葉県の家を引き払い、鹿児島県・奄美大島に移住する。<br>移住後、５年は生活資金を得るため、大島紬の染色工として働き、<br>その後、６９歳で亡くなるまで、生活のすべてを絵のために捧げ、<br>亜熱帯の植物や鳥などを題材とした生命力あふれる作品を描いた。<br>生前、一度も個展は開かれなかった。評価されたのは没後の事だ。</p><p>（昨年は生誕１１０年にあたり、国内外で展覧会が開かれた）<br>一村の生きざまを見ると、作画とお金を繋げる気が無かった事が分かる。<br>お金は作画の為ににあり、<br>作画は南国の自然への対峙であり、生命への探求と云える。<br>一村の言葉が残っている。<br>「これは百万円でも売れません。&nbsp;<br>これは私の命を削つた絵で閻魔大王えの土産品なのでございますから」<br>&nbsp;</p><p>一村の絵を見ると、そこに「生命」を感じる理由が分かった気がする。<br><br>私も、「生きている絵」を描けるように今年も精進するぞ。</p><p>（添付写真は２０１９年の初日の出です。）</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190103/17/k-endomame/fc/bf/j/o0320018014332549922.jpg"><img alt="" height="180" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190103/17/k-endomame/fc/bf/j/o0320018014332549922.jpg" width="320"></a><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 03 Jan 2019 17:25:01 +0900</pubDate>
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<title>モードとエベレット</title>
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<![CDATA[ <p><br>三寒四温。<br>春が来たと思ったら時に寒が戻ったりする季節。<br>けど、東京では桜の開花発表もあり、春は確実に訪れている。<br>春の訪れに伴い久しぶりに映画を観に行った。<br><br>カナダの画家モード・ルイスの半生を描いた「しあわせの絵の具」。<br><br>舞台は1930年代のカナダ東部の小さな港町ティグビー。<br>幼くして若年性リュウマチを患い、手足が不自由で体も小さいモードと、<br>孤児委で育ち学もなく無骨な男、エベレットの夫婦の物語だ。<br>モードはその障害から学校ではイジメに会い、１４歳から自宅で母親に<br>勉強を教えられながら、ほとんどの時間を家の中で過ごす。<br>しかし、両親が無くなるとその家は兄が継ぎ、叔母の家に引き取られる事になる。<br>叔母は障害のあるモードに対して何かと干渉が厳しく、モードは息苦しさを感じていた。<br>一方、エベレットは魚の行商をしながら町外れの４メートル四方の小さな家（小屋）<br>で暮らす。学もなければ愛想もなく、無骨で皆の嫌われ者だ。家には電気もガスもない。<br>ただただ生活に追われている。生活に手一ぱいな為、家の中の事に手が回らない。<br>そんな中、女手が必要と感じ、家政婦の求人広告を出す。<br>自立を願ったモードがその求人広告を見て、エベレットの家を訪れる事で二人は出会う。<br>社会のはみ出し者の二人。けど、もう孤独ではなくなる。<br>やがて、モードは幼い頃から好きな絵を描き始め、ポストカードとして<br>エベレットのお客に売り始める。その素朴でカラフルで可愛らしい絵は評判となり、雑誌で取り上げられ、TVで取材され、やがてはホワイトハウスからの依頼まで来るようになる。<br><br>映画では夫エベレットの無骨振りが強調され、出会った当初はモードに厳しかった一面が表現されているが、わたしは実際には違うように思う。</p><p>理由は絵の中にある。</p><p>「日曜日のお出かけ」は車でのエベレットの行商にモードが同乗しカード販売に向かっている絵だ。流行の眼鏡をかけ、花々が美しく咲いている。結婚当初を表現した絵だが、画面からは幸せがあふれている。実際、家政婦志望で来たモードに対して、エベレットは映画とは違って、すぐに結婚している。また、新婦が1日中ファンタジーな世界を描けるように新郎が家事を担当し、絵を描く板を準備し、完成した絵を行商にもって行き、値段の交渉をしたそうだ。<br>自分の家や家具にも自由に絵を描く事を奨励した事を思うと、エベレットのモードに対する愛情の深さがわかる。自分の小屋に突然現れた、とてもファンタジーな世界を描く、小さな小さな女性モード。エベレットは妖精が家に来たと本気で思ったのではないだろうか？<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180321/15/k-endomame/7a/76/j/o0956082014153978849.jpg"><img alt="" height="360" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180321/15/k-endomame/7a/76/j/o0956082014153978849.jpg" width="420"></a></p><p>日曜日のお出かけ　（映画パンフレットより）<br><br>モード・ルイスはナイーブ・アート（素朴派）の画家として語られる。<br>いわゆる絵画の一般的教育を受けぬまま絵画を制作する人の事だ。<br>アンリ・ルソー等が美術史上では有名だが、モード・ルイスの事は日本で紹介される事は<br>あまりない。しかし、その絵を欲する人は多い。<br>理由は絵を見てみれば明らかだ。</p><p>そこには濁りの無い色で構成された美しさとモチーフの生命感<br>が明るく表現され、ユーモアもあり可愛い。見ていると幸せな気分になってしまう。<br>多分、そこには「幸福」が表現されているからだろう。<br>モードもエベレットも生涯貧しさと共にあった。<br>しかし、二人で過ごした３０年以上の月日は「幸せ」とともにあった事が絵からあふれている。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、モードとエベレットが過ごした小さな家はモード・ルイスの最大作品として</p><p>町の有志の努力、および州政府の協力により現在カナダ・ハリファックスにある</p><p>ノバスコシア美術館に移され「ペインティングハウス」として常設展示されている。</p><p>家があった場所には記念モニュメントとして元の家と同じサイズの家が建てられた。</p><p>誰もが、彼らの事を忘れたく無かった事がわかる。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180321/15/k-endomame/c9/a0/j/o0959084714153979483.jpg"><img alt="" height="371" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180321/15/k-endomame/c9/a0/j/o0959084714153979483.jpg" width="420"></a></p><p>冬のシカと小ジカ（映画パンフレットより）</p><p><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 21 Mar 2018 16:13:55 +0900</pubDate>
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<title>白い光は虹色を宿す</title>
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<![CDATA[ <p>今年は雨の日が多い。<br>けど、今日は久しぶりに快晴。<br>太陽の光が温かい。<br><br>太陽の光は絵に描くと白く表現される事が多く、白色光と呼ばれたりする。<br>けど、その中には虹色を宿している。<br>正確に言えば、異なる波長の電磁波を有している。<br>その一部の波長域、大体４００～７００nmの波長を私達は色として認識している。<br>遠い昔、ジャングルの中で進化の時を過ごしている時に<br>その短い波長域を認識するように適応した結果だ。<br>中心の５５０nm前後が緑色で、短くなると青、紫と認識し、<br>長くなると、黄色、朱色、赤色と認識している。<br>ジャングルで一番多く、食べ物にもしていた植物の葉の反射光が</p><p>５５０nm前後なのでその波長を中心に認識出来るように適応した結果らしい。<br>赤は血液や木の実の反射光なので、認識できないとまずいし、<br>青は晴れた空の色なので、これもまた認識しないとまずい。<br>逆にこれ以外は生きる事にあまり必要ではなかったようで、<br>大体４００～７００nmのごく狭い範囲を認識できるように適応した。<br>実は太陽光はそれよりも幅広い電磁波を放射し、<br>短波長側は紫外線、長波長側は赤外線となるが、ジャングルで生きる事に<br>関し、その波長は認識させなくとも良かったようだ。<br><br>４００～７００nmの電磁波、これを分解すれば、虹色ができる。<br>これは実際に夏の庭の水撒きで確認する事も出来るし、<br>特定の物質に偏光を揃えた光を透過させて見ることもできる。<br>この秋、それをモチーフに絵を描いた。<br>即ち、白色光が宿す虹色を描いた。<br>まず、連続的に変化する虹色を描いた。<br>更にそれを分析してみた。これが結構頑張った。<br>具体的には連続的に変化する虹色の画面を微分させて変化域を線として浮かび上がらせ、<br>そして、ベースの色を基本色である。赤、橙、黄、緑、青、紫に分離して６枚に分離、<br>更に四角い画面を円に変形させて一枚一枚に浮かび上がらせた。<br>（この変形は、数学的に言えばユークリッド平明の非ユークリッド平面への変換になる）<br>この円に動きを持たせるため、円自身を画面上で６０度づつ公転させながら、６０度ずつ、自転させた。<br>作品は、地方の美術館にちょっとの間だけ飾らせてもらった。</p><p><br>この光に関する絵画手法による考察はもう少し続けたいと考えている。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171125/23/k-endomame/37/4a/j/o2090162414078146477.jpg"><img alt="" height="326" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171125/23/k-endomame/37/4a/j/o2090162414078146477.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/k-endomame/entry-12331368429.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Nov 2017 23:26:39 +0900</pubDate>
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<title>青いケシの花</title>
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<![CDATA[ <p>中国四川省の四千三百メートルの高地に、青いケシの花が咲くと云う。<br>四千メートルといえば、日本の富士山に更にスカイツリーを足しても<br>まだ足りない程の高地になる。</p><p>そんな高地に咲く花はどんな花なのだろうか。<br><br>画家、入江一子さんは八十歳近くになってその高地へ青いケシの花を<br>見るために向かった。さすがに無理があり、途中、馬に乗って登ったが、<br>それでも高山病でフラフラになり、登山を諦めかけた。</p><p>その時に出会いがあった。<br>「突然霧が流れてきて、見通しが悪くなってきました。<br>Uターンして帰ろうとすると、突然青いケシの花が咲いているのが見え始めました。&nbsp;<br>息苦しい四千メートルの高地に青いケシの花を見ることができたのです。<br>感動を心に留めながら、私はベースキャンプに向かって降りて行きました。」<br>入江さんの言葉である。<br><br>帰国後、それを絵画作品として表現している。<br>百一歳になる今も現役で描き続けている。<br>百一歳の今も。<br><br>先日、その作画するお姿をテレビで見ることができた。<br>大きなキャンバスに向かい、その白い画面を見つめること暫し、<br>木炭を握り、おもむろににデッサンを始める。<br>始めると、描き上げるまで進め、できたところでそのまま眠りについた。<br>デッサンは「難行、苦行」と言って、横になった。<br>その後、長い彩色の日々が始まる。まず、青色から始めていた。<br>テレビでは仕上がりまで追いかけていていた。<br>百一歳の身での命懸けの日々を映し出していた。<br>出来上がった絵は輝きに満ちていた。<br>息苦しい高地に咲く青いケシの命の輝き。見事に表現されていた。<br>年齢を全く感じさせない。画面全体に輝きがあった。<br><br>入江さんは約一世紀に渡って絵を描き続けている。<br>天分の才は疑うべきも無く、その上に一世紀に及ぶ画業の日々である。<br>この輝きはその画業の行きつく先と思いきや、先生はそう思っていなかった。<br>先生はいわれていた。<br>「人の魂をいつまでも引っ張っていくような絵を描きたい。ただ写して上手下手ではなくて。<br>今、絵はだんだんに絵がわかってきて面白くて、絵がよくわかるんです。」<br>&nbsp;「絵はだんだんかけるようになって・・・絵がだんだんわかってくるのです。<br>だから命がけで描いています」<br>百一歳の画壇の頂点にいる人にしてこの台詞である。<br><br>未熟者の私がやらなければならない事の多さが身に染みて分かった。<br>まだまだまだ精進が必要だ。<br>まだまだまだ描き続けなければならない。<br>まだまだまだ、だ。<br>その事 を痛感させられた。<br>同時に、入江さんの言葉が今も心に響く。</p><p>絵を描く者として、大きな励みとなった。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170731/21/k-endomame/e1/74/p/o0571046813994815561.png"><img alt="" height="344" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170731/21/k-endomame/e1/74/p/o0571046813994815561.png" width="420"></a></p><p>入江一子さん「回想・四姑娘山（スークーニャンシャン）の青いケシ」2017年。NHKより転載。</p>
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<pubDate>Mon, 31 Jul 2017 21:12:15 +0900</pubDate>
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<title>向日葵</title>
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<![CDATA[ <p>ひまわりが咲いた。<br>意図して種を蒔いた訳ではない。<br>別な花の鉢植えに勝手に芽がでたのだ。<br><br>毎年、鉢植えの土は再利用している。<br>時期が過ぎて枯れた花などを加えて培養土にして、<br>別な花を植えるのに使っている。</p><p>有機物は有機物から出来るので。</p><p>こうした方が無駄がなく、栄養も豊富、何より余計なお金が掛からない。<br>その再生土に混じっていたひまわりの種がここぞとばかりに芽を出したのだ。<br>一本だけ。<br>その一本を別な鉢に植え替えて育てていたら、元気に花が咲いた。<br><br>命の力には驚かされる。<br>思わぬ所で、思わぬ花が芽をだす。<br>種類に依って自分に適した条件があれば、<br>ここぞとばかりに命のスイッチが入るらしい。<br>この、小さい見かけの中にある大きなエネルギー。<br>これに触れられるから、植物を育てるのは面白い。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170716/09/k-endomame/53/30/j/o0832116013983408506.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="307" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170716/09/k-endomame/53/30/j/o0832116013983408506.jpg" width="220"></a></p><p>向日葵</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 16 Jul 2017 09:03:33 +0900</pubDate>
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<title>フレッシュハーブで午後ティーを</title>
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<![CDATA[ <p>ハーブの季節になってきた。<br>一昨年からベランダで数種のハーブを育てている。<br>きっかけはママの午後ティー。<br>乾燥ハーブのティーパックを使っていたのを見て提案。<br>お金を出して乾燥ハーブのお茶を飲むなら、<br>ハーブを育ててフレッシュハーブのお茶を飲んだ方が絶対美味しい、と。<br><br>以来、ベランダでハーブを育てている。<br>庭は花と芝生に農薬を使っているので、完全無農薬とするためにベランダにした。<br>ミントにタイムにレモンバーム、そしてラベンダー。<br>ついでに、お茶には適さないけど香りが良いから、ローズゼラニウムにローズマリー。<br>元々頑健な上に繁殖力も強いので、挿し木をしながら株を増やしつつ更新。<br>ちよっとしたベランダ・ハーブガーデンとなっている。<br><br>今日はこの春株を更新したタイムを摘んだ。<br>更新した株は旺盛に育って元気が良い。<br>そこにミントの葉を数枚加える。<br>こうすると風味が増す。</p><p><br>昼食後、この摘みたてハーブを水洗いしてお茶を入れる。<br>フレッシュハーブティー。やっぱり香りがすごく良い。<br>ミントを数枚入れた事もスパイスになってタイムの香りを引き立てる。<br>タイムのハーブティーは消炎、殺菌効果が高く、体調不良にはもってこいだ。<br>蒸し暑かったり、冷房で寒かったりと、何かと体調を崩し易い今の時期にはちょうど良い。<br>何よりも、自宅で育てたハーブで飲む午後ティーは、<br>何やらそれだけで豊かな気持ちになれる。<br>豊かさって、お金を掛けないところにあるかもしれない。<br>タイムの香りでそう思った。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170702/18/k-endomame/5c/7e/j/o1834206413973626007.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="270" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170702/18/k-endomame/5c/7e/j/o1834206413973626007.jpg" width="240"></a>　　　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170702/18/k-endomame/1b/38/j/o2286178013973631050.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="187" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170702/18/k-endomame/1b/38/j/o2286178013973631050.jpg" width="240"></a>　</p><p>タイム　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　フレッシュハーブティー</p><p>　</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 02 Jul 2017 18:22:41 +0900</pubDate>
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<title>ゴーヤの芽が出た</title>
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<![CDATA[ <p>昨年、ゴーヤ（ニガウリ）の苗一本を植え、育てたら大量に取れた。<br>暑い時期に毎日のように収穫でき、ママが色々な料理を作ってくれた。<br>飽きないようにクックパットで調べながら様々なバリエーションで調理してくれた。<br>美味しかった～。いっぱい食べた。<br>もう一生分ゴーヤを食べたような夏だった。</p><p><br>その収穫の中の一本から種を取っておいた。全部で六粒。<br>今年は種から育ててみようと思った。<br>種は結構大きい。ピーナツをちょっとつぶしたぐらいの大きさ。<br>ひまわりの種よりも大きい。<br>最初、一つのポッドに三粒植えた。<br><br>一週間待った。芽が出ず。（ひまわりだとこのあたりで双葉がでる）<br>二週間待った。やはり芽がでない。（ひまわりだと、双葉がおおきく成長する）<br>三週間待った。変化なし。（ひまわりだと、本葉が出だす）<br><br>朝顔の種なんかは一晩水に漬けて、芽を出やすいようにする。<br>そこで、残り三粒を一晩水に漬けて、再度、同じポッドに植えてみた。<br>水に漬けた時、朝顔の種とは違って三粒とも水に浮いたので、<br>ひょっとしたら、種の中の栄養分が少ないから芽がでないかも、と思った。<br>朝顔の種を水に浸すときは、沈んだものだけ植えるから。<br>そう思いつつも、再度同じポッドに三粒植えた。<br><br>一週間待った。芽が出ず。（やはり栄養足りない？）<br>二週間待った。やはり芽が出ない（今年は諦めようか？）<br>三週間目のある日、ふと見たら、芽が出てた。一本だけ。（やったー！）<br><br>一度は諦めていたので、感動した。<br>六粒植えてたった一粒だけど、芽が出たんだもの。嬉しい。<br>ゴーヤが収穫できるとか、今年も色んなゴーヤ料理が食べれるとか関係なく、<br>「芽が出たその事実」が嬉しい。<br>生きている様を目の当たりにした実感。<br>貧弱な種ながらも生きようとするその姿。<br>植物を育ていると、こういう感動があるから嬉しい。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170625/08/k-endomame/68/9a/j/o1080192013968153309.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="391" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170625/08/k-endomame/68/9a/j/o1080192013968153309.jpg" width="220"></a></p>
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<pubDate>Sun, 25 Jun 2017 08:48:09 +0900</pubDate>
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<title>ドラマ：ツバキ文具店</title>
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<![CDATA[ <p>先日、好きなドラマが最終回を迎えた。<br>鎌倉にある小さな文具店を舞台とした、手紙の代書がモチーフのドラマ。<br>店主である祖母が亡くなり、疎遠だった孫が迷った末にその店を継ぐ事を決意する。<br>先代は文具店の傍らで手紙の代書を生業としていた。<br>その縁から孫も代書業を引き継ぐ事になる。<br>そこからドラマが始まる。<br><br>時代劇では無い。紛れもない現代劇だ。<br>eメールやラインによるコミュニケーションが当たり前の現代に於て、手書きの手紙。<br>しかも、お金を払ってでも代書屋に頼むなんて、そんなのが成り立つのかと思いきや、<br>実に様々な理由で依頼が来る。<br>我が子同様に育ててきた猿の訃報に対する弔文。<br>円満離婚のお知らせ文。<br>死を前に昔の恋人への幸せを祈る文。<br>等々。<br><br>代書屋に成るべく祖母に厳しく育てられ、その反発から家を飛び出した主人公が、<br>在りし日の祖母の言葉を想いだしながら、其々の依頼に其々の手法で代書をしていく。<br>便箋、筆記具、切手までも吟味し、客の要望に丁寧に応えて行く。<br>「世の中には自分の気持ちを伝えたくとも其が上手く出来ない人がいる。<br>その手助けをして、人の幸せをつくるのが代書屋だよ。」、<br>「表に出てはいけない陰の存在さ。けど、その陰が誰かの幸せに繋がるのさ。」<br>当時理解出来なかった祖母の言葉、それらを想いだす内に、<br>反発ばかりしていた祖母の自分への愛に気づいて行く。<br>そして、自身も愛する人を見つける。<br>人と人の心を言葉で如何に繋ぎ、<br>その縁が如何に大事かをテーマとした秀逸なドラマだった。<br><br>木々の葉が散りだす秋から始まり、寒さを乗り切った温かな桜の季節で終演した。<br>最終回は隣家での花見が舞台で、そこで花についての三つの事が参照された。<br><br>一つは古今和歌集から。<br>「春ごとに　花のさかりはありなめど　あひ見むことは命なりけり。」<br>桜の花は毎年咲くが、それを見れるのは、そのときに生きているから。<br>桜も、友も、伴侶も何事も一期一会。その時々の縁の大切さを歌ったもの。<br><br>二つ目は良寛和尚の辞世の句。<br>「散る桜　残る桜も　散る桜」<br>盛んに咲いている桜もいつかは散ってしまう。<br>命には等しく死が待っており、時は等しく流れる。<br>だからこそ、「今、この時を如何に生きるか」を歌ったもの。<br>２首とも無常感があり、考えさせる・・・。<br><br>三つ目は庭の紫陽花について。<br>紫陽花は枯れても花を切らずに冬を越させ、次の季節を待たせる。<br>最後のシーンはその事に触れて終わる。<br>主人公は子供の頃枯れた冬越しの紫陽花を汚ないと思っていたが、<br>亡き祖母の往時と重ね、枯れた紫陽花の凛とした美しさに気づく。<br>そして、辞めようと思った代書屋を此れからも続けていくことを決意する。<br>その隣には愛する人がいて、目の前には鎌倉の海が拡がる。<br>美しい海が・・・。<br><br>見ている私には冬越しの枯れた紫陽花が、<br>また美しく咲く事を想い起こさせた。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170609/20/k-endomame/53/ea/j/o0294026813956938717.jpg"><img alt="" height="268" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170609/20/k-endomame/53/ea/j/o0294026813956938717.jpg" width="294"></a></p><p>紫陽花</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/k-endomame/entry-12282278683.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Jun 2017 20:33:58 +0900</pubDate>
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<title>心には音がある</title>
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<![CDATA[ <p>　「命！」と叫んで体をその字に真似るギャグ。<br>このギャグで一世を風靡したタレント、ゴルゴ松本さんは、<br>今は全国の少年院を回って「命の授業」を続けている。<br>それがあまりにも好評で、劇場でも一般向けに授業をしている。<br>言葉の意味や成り立ちに独自の解釈を加えて人世を説く。<br>今はこの講演内容が本にもなっている。<br>その中にこんなことが書いてあった。<br>「心には音がある。だから『意』という漢字がある。それを人に見せるから『意見』なんだ。」<br><br>これを見てハッとした。<br>私はずっと分からなかった事があった。<br>私は長いこと絵を描き続けている。<br>絵を描く事はちっとも楽しい事ではない。<br>むしろ、思う様に表現出来ず、辛い事が多い。<br>眠れないほど悩み、何度も描き、<br>描いて、描いて、悩んでまた描いて、<br>これ以上描き込めなくなった時に筆を置く。<br>それでも満足いかず、次のキャンバスを取り出す。<br>こんなに辛いのに、「描きたい！」の衝動は抑えられない。<br><br>何故なのか？<br>自分でも分からなかった。その衝動が・・・。<br>けど、ゴルゴ松本さんの言葉で府に落ちた。<br>それは心の音の発露だったんだ、と。<br>私はそれを意見として語れるほど、言葉も知らないし、雄弁にもなれないし、勇気もない。<br>けど、心の音は溢れる。<br>音そのものとして表現するような楽器も持ってはいないし、鳴らし方も知らないし、使い方も知らない。<br>ただ、紙と鉛筆は持っている。使うことも出来る。<br>絵の具もある。筆もある。これなら使える。<br><br>絵を描く行為は比較的単純で、線と面と色によって構成される。<br>絵なら自由だ！自由に表現する事が出来る。<br>私は大した甲斐性もなく、ぱっとした事もなく、<br>ただ、生きるため、日々生活に追われている。<br>ぼけーっとした。凡庸な毎日だ。<br>ぼけーっとした毎日でも、時に心の中に「ぽわん」と音が生まれるときがある。<br>春の新緑の嬉しさ。満開の桜の花の壮大さに。<br>夏の太陽の光がきらめく海の輝き。木々の葉を通して漏れる光の眩しさに。<br>秋の紅葉の鮮やかさ。それが散り去った時の寂しさに。<br>冬の雪の白の眩さ。キーンとした寒さの厳しさに。<br>それらに触れた時、心の中に「ぽわーん」と浮かぶものがある。<br>その発露、すなわち私なりの「意見」が絵画表現だったんだ。<br><br>その心の「ぽわーん」は今も溢れるし、過去の一瞬を思い出しても生まれる。<br>そして、間違いなく、これからも生まれるだろう。<br>私は絵画を通じてそれを表現していく。<br>表現しきれるまで、納得できるまで、表現していく。<br>その道はやはり厳しく辛いだろう。<br>けど、その「ぽわーん」を表現せずにはいられない。<br>生ある限り、絵筆を握り、描き続ける。<br>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170531/21/k-endomame/a5/a2/j/o1245155913950229188.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="275" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170531/21/k-endomame/a5/a2/j/o1245155913950229188.jpg" width="220"></a></p><p>積薪</p><p>※私の実家は北国にあり。今も薪ストーブを使っている。</p><p>　その為、冬場は軒下に薪を積み、燃料とする。</p><p>　この絵はそれを側面からの視点で画面一杯に表現した。</p>
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<link>https://ameblo.jp/k-endomame/entry-12279658541.html</link>
<pubDate>Wed, 31 May 2017 22:34:47 +0900</pubDate>
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