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<title>台中木鶏クラブ</title>
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<title>『致知』で知ったいい話</title>
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<![CDATA[ “できない”と“やらない”を混同しない<br><br><br>大石順教先生は、１７歳で養父によって両腕を切断されました。<br>菩薩行に一身を捧げた尼僧でいらっしゃいます。<br>大塚全教（無心庵 この花会）さんが、<br>師である大石順教先生から学んだこととは―<br> 　　<br>大石順教先生のところには身体の不自由な女性が数人、<br>寝食を共にしておりました。１日は朝５時起床、庭の草取りから始まります。<br><br>足がだめな人はゴザに座って周りをきれいにし、手が不自由な人は足で草を抜き取ります。<br>その仕事を順教先生は率先してなさいます。<br><br>それが済むと千手観音様にお参りして般若心経一巻を唱え、朝食です。<br>不自由を抱えた身体でも、それぞれが工夫して日常を立派にこなしていく様子は驚くばかりでした。<br>それからそれぞれが仕事にかかります。<br><br>私に与えられたのは便所の掃除でした。私は絵の修業にきたのに、<br>なんだか当てが外れたような気がしました。<br>それに、便所掃除などやったことがありません。<br>それまで自分では努力して日常のことはだいたいできるつもりでしたが、<br>できないところは父母やきょうだいに助けてもらっていました。<br>誰の力も借りず一人で便所掃除など考えられません。<br><br>「できません」<br><br>私はそう答えました。<br>それなら便所を使ってはならない、というのが順教先生のお返事でした。<br>それは出ていけというのと同じです。決心して京都にきたのに、それでは困ります。<br><br>順教先生は私を井戸に連れていきました。<br>その頃は水道ではなく、ポンプ式の井戸でした。<br>私の力の弱い左手ではとてもポンプを押すことはできません。<br><br>すると、順教先生は背中でポンプの柄を押し上げ、<br>次は腋に挟んで押し下げてみせたのです。<br>勢いがないから、水はぽたぽたとわずかしか出ません。<br>でも、確かに水は汲めるのです。<br><br>次はバケツの水を便所まで運ばなければなりません。<br>だが、肘から先しか動かない私の左手の弱い力では、<br>バケツいっぱいの水はとても運べません。<br><br>それなら、私の左手で持てる少しだけの水が<br>バケツの底に溜まったところで運び、<br>便所にもう一つバケツを用意しておいて、それにあける。<br>それを繰り返せば、バケツいっぱいの水が<br>運べることを教わりました。<br><br>それから便器を拭き、床に雑巾をかけます。<br>それには自由に動く足を使います。<br>時間はかかります。だが、工夫を凝らせば<br>誰の助けも借りず、確かに自分一人でできるのです。<br><br>「あなたはできないと言うが、 できないのではなくやらないだけ。<br>やらなくてできるはずがありません。<br>人間、やればできないことはない。<br>できないとやらないを混同してはなりませんよ」<br><br>順教先生の言葉が身に染み、<br>目の前がぱあっと明るくなっていったのが忘れられません。<br>そうなのです。<br>私の道はあそこからひらけていったのです。<br><br>不自由を抱える身体だからこそ、<br>日常生活はきちんとしなければならない。<br><br>順教先生はこの考えを徹底されていて、<br>それは厳しいものでした。<br>だが、身体の自由になる部分を使って工夫し、<br>身の回りをきちんと整えると気持ちが柔らかくなり、<br>自然と微笑みがこぼれるようになるものです。<br><br>真の優しさは厳しさの中にある。<br>これも順教先生にお仕えして知ったことでした。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/k37339/entry-11453147047.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Jan 2013 17:47:38 +0900</pubDate>
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<title>台湾にも「木鶏クラブ」を　</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130120/17/k37339/52/08/j/o0064009312384878770.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130120/17/k37339/52/08/j/t00640093_0064009312384878770.jpg" alt="台中木鶏クラブ-chichi" border="0"></a><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>昨年暮れに川口に住んでいる姉から雑誌が送られてきました。発刊したばかりの冊子『遥かなり台湾』に対するお礼かなと思って読んでみたら、為になる話が多くその内容の豊富さに驚きました。その雑誌とは「人間学を学ぶ」月刊誌『致知』（ちち）だったのです。皆さんの中にはご存じの方もいるかと思います。なんでも日本各地にこの雑誌の購読者が「木鶏クラブ」を作って人間学を学んでいるのだそうです。台湾にはまだ出来てないようなので皆さんの中で関心のある方に一度集まってもらって、適当な時期に発起人会を開きたいと思います。月一回が無理なら二カ月に一回程度の例会を行いお互いに切磋琢磨して人間学を学ぶ機会を作りませんか。以下は「木鶏クラブ」のホームページを借用してその趣旨などをまとめてみました。賛同者は是非連絡下さい。<br><br>致知出版社公式サイト　http://www.chichi.co.jp/　<br>致知出版社メールマガジン（無料）申し込みサイト<br>http://www.chichi.co.jp/chichimagazine.html<br><br><br><br>●木鶏クラブ<br>木鶏クラブとは、致知出版社より毎月出版される月刊雑誌『致知』(様々な分野の第一人者の体験談が掲載されている雑誌)をもとに、その人間学を学び、会員相互の人間力を高めていくという目的をもったクラブです。台湾において日台交流という点でも、刺激を与え合いながら活動を行います。<br>「木鶏」とは・・・<br>中国の古典『荘子』にある言葉で、立派な闘鶏(とうけい)の「どのような敵にも動じない」その様子がまるで木彫りの鶏のようであった。という故事に由来します。<br>何事にも動じず、常に平常心でいられること、また、いかなる境地にあっても、自分の実力通りの力を発揮できる、本物の人間のたとえにも使われる言葉です。<br><br>●木鶏クラブの信条<br>１、我々は徳性を養い、人格を高める為にここに集い、共に学ぶ<br>２、我々は致知を通じて生きた人間学を学び、その学びを世に広め、後世 に伝えることを<br>　　もって会員たる本旨とす<br>３、 我々は常に自らのいる場を清め、高める<br>４、 我々は勤勉・正直・親切の徳目をめざす<br>５、 我々は心こそ運命を創るものであることを知り、<br>　　 　①高い志　②感謝　③素直　④本気　⑤プラス発想　の五心を尊ぶ<br>６、 我々は絶えず自反尽己に努める<br>７、　我々は一眼を歴史のかなたに、一眼を脚下の実践に努める<br>８、 我々は成功は多くの辛苦の日々にあり、失敗は多くの得意の中にあることを<br>　　　忘れず慢心を排し謙虚に生きる<br>９、 我々は忠恕を旨とし、感謝報恩に生きる<br>１０、我々は我々を生み出ししものへの感謝を忘れず、生涯原現役・臨終定年をモットーに<br>　　　自己感性の道を進む<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/k37339/entry-11453138457.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Jan 2013 17:13:40 +0900</pubDate>
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