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<title>奇妙なフェスタに招待されてる孤独なペリカン、誰かが君を月のまぶしさから隠そうとしてる</title>
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<description>今人気の、スピリチュアル・カウンセラーが、あなたの悩みを解決します！</description>
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<title>夏休み</title>
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<![CDATA[ <p>毎日、近くの神社まで散歩に行くのが日課なのだけど、ちょうど時間が小学生が下校する時間で、小学生たちにまじって道を歩いて行くことになるのだけど、夏休みになったのか、小学生たちがいなくなって、なんかちょっと寂しい。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、今、５５歳だけど、人生いろいろあって、結局、鬱病の障害者年金を受給しながら働くこともできないでいる今の自分を思えば、けっきょく小学生のころから何処へも行きつけていないのだな、と思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 25 Jul 2017 11:19:03 +0900</pubDate>
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<title>孤独</title>
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<![CDATA[ <p>真夜中に、人気のない路肩に車を停めて、彼女は、ソプラノでそっと歌い続ける。</p><p>&nbsp;</p><p>あなたは、ひとり、、、　ひとりじゃない、、、　って。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 24 Jul 2017 09:57:09 +0900</pubDate>
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<title>フェイクな記憶</title>
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<![CDATA[ <div>よく思い出してみれば、何もかも彼女と気が合っていたわけでもなかったのだ。</div><div>&nbsp;</div><div>僕は、ジェイ・マキナニーの「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ 」っていう本が好きだったのだけど、彼女は、どこが面白いんだかさっぱりわからない、と言っていた。</div><div>&nbsp;</div><div>僕は、佐野元春さんの音楽が好きだったけれど、彼女はそうでもなかった。</div><div>&nbsp;</div><div>もちろん、ふたりが一緒に好きだったもののほうが数は多かったのだけど。</div><div>&nbsp;</div><div>今、思い返してみれば、僕が勝手に彼女を天使のようにでも思っていただけで、彼女にとって僕は、ちょっと蚊に刺された、という程度の存在だったのかも知れない。</div><div>&nbsp;</div><div>僕は僕の投影を通して、神格化した彼女を見ていただけで、彼女が世界をどういう風に見てたのか、なんていうことは、一生、わかることなんてないのだ。</div><div>&nbsp;</div>
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<pubDate>Sun, 23 Jul 2017 19:27:31 +0900</pubDate>
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<title>目標・願望の明確化</title>
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<![CDATA[ 「わたし」が「わたし」を生きるとき、目標・願望の明確化ということはとても大切です。これができていないと、自分が何のために生きているのかわからなくなったり、漠然とした不安に襲われてしまうからです。<br><br>ですから、あなたもぜひ、目標・願望は明確化してください。そしてその時に気を付けるべきことはエコロジー・チェックということです。<br><br>目標は達成すれば、いいことばかりかと言うと、逆にそのことによって失うものも出てきます。たとえば、あなたが今、非常に怠惰で気楽な生活をしているとして、目標が大企業のビジネスオーナーで年収何十億というようなものであれば、その生活は非常に怠惰で気楽なものではないでしょうし、もしあなたが今、体重が多すぎてそれを減らすことが目標だとすれば、その目標を達成したときにあなたのまわりにいる友達はもしかしたら今のあなたのまわりにいる友達とは質が違っているかも知れません。<br><br>そうした目標を達成することで失われる現状の心地よさを事前にチェックして精神的にそれに備えておくことも大切です。なぜならあなたは今の自分が心地よいから今の自分なのですから。もちろん目標・願望を明確化して実現しようとしているあなたには現状への不満があってそれを変化させることを望んでいるのですが、潜在意識には現状維持機能とでも呼ぶような仕組みがあって、それがあなたが変化していこうとするときに、ストップをかけてくることになるのです。<br><br>この潜在意識の現状維持機能については後日、また詳しく書きたいと思いますが、そういった意味で、一番大変で大切なことは、最初の一歩を踏み出すということかも知れません。怖れや億劫な気持ちがあるかも知れませんが、まずは一歩を踏み出してみましょう。<br><br>まず、一歩を踏み出さないことには何もはじまりません。頭の中で考えているだけでは何も変わらないのです。<br><br>そして、目標・願望を明確化したら必ず紙に書きましょう。そして、日々、それに対してできる行動をアクションプランとして明確化して、それを日々、ひとつづつこなしていきます。そうすれば必ず目標は実現するのです。いちど、目的地を大阪と決めて東京から歩き出せば途中であきらめない限りは必ず大阪に着くのです。<br><br>
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<pubDate>Sat, 18 Jun 2016 10:07:08 +0900</pubDate>
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<title>メモ書き</title>
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<![CDATA[ ■悟りについて<br><br>悟りとは、「存在は現実と非現実としてあらわれているが、個人としての存在には非現実は見えないということです。現実とは色即是空、空即是色で言うところの色、すなわち形の世界。非現実とは色即是空、空即是色で言うところの空、すなわちの形のない世界です。色と空は異なるものではないのですが、分離した個人としての存在からは、非現実である空というものは知ることができません。<br><br>かつて、道元禅師が生きた時代、世間では大乗の天台本覚思想という「この世界はありのままそのままですでに完璧なのだ」という思想が世間では一般的でした。そこで道元は求道をはじめるにあたって、、この世界がそのままで完璧であるのならば、人はなぜ、修行をしたりして悟りを求めるのだろうか、という疑問から道を歩むことをはじめられたそうです。<br><br>この「この世界はそのままありのままで完璧である」ということと、「修行して悟りを得る」というふたつの観念は、一見すると相矛盾しているように思えますが、これこそが上記で書いた「存在の現実と非現実としてのあらわれであり、すなわち大乗の「この世界はこのままありのままで完璧である」という天台本覚の思想と小乗の悟りを求めて修行するという思想は、異なるふたつのものではないのです。<br><br>■アートマンプロジェクト<br><br>人は生まれたときには自我というものが存在せず、そしてやがて成長するにつれて自我が形成されてきて、そしてやがて正常ならば健全な自我といでもいうような理想的な自我が形成されて、そしてさらに今度は自我を超えて成長して行き、そしてやがて無我と言われる悟りの世界に達する。これがいわば「アートマンプロジェクト」と言われるものです。<br><br>これは個人の人生に当てはめてみてもいいですし、人類全体の進化の過程としてとらえてもらってもかまいませんが、つまり人類という存在は自我のない状態からはじまり、そして自我を形成し、そして最終的には自我の世界を超えた無我の世界にいたり、そこですべての苦しみは終焉を迎え、調和の世界が訪れるという思想です。<br><br>これは一面においては真理なのですが、先の悟りの項目にも書いたように、現実と非現実はともに存在のあらわれなので、自我の世界を現実、そして無我の世界を非現実とするとそれは今ここに同時にあらわれているのです。その意味においては「アートマンプロジェクト」というのは、あくまでも分離した個人から見た「ストーリー」にすぎないわけで、非二元という観念からすればそんなものは起こったこともないし、これからも起こることはないのです。しかし、私たちは自我としての現実の観点からしか世界を見ることができず、非現実は見えないので、理論としてはそういうことは理解できても、やはり、「アートマンプロジェクト」というストーリーの中の住人にしかすぎないのです。<br><br>では、私たちはいったいどうしたら、その「アートマンプロジェクト」というストーリーから抜け出すことができるのでしょうか。<br><br>答えはここまで読んでいただいた方なら当然理解できると思うのですが、何も「アートマンプロジェクト」という「ストーリー」を抜ける必要などないのです。一見すると「アートマンプロジェクト」というストーリーは個人に苦しみだけをもたらすように思えます。<br><br>しかし、これも捉え方次第なのです。あなたが自分は「アートマンプロジェクト」という「ストーリー」に捉われていると考えるならばそれはエスケープすべき苦しみであることは確かですが、ここでのポイントは、あなたは敢えて「アートマンプロジェクト」を楽しむためにこの世界にやってきたのだ、と考えてみることです。<br><br>この発想の転換で、あなたは「自由」を手にするのです。もしもあなたが強制的にこの世界の「アートマンプロジェクト」に放り込まれてなんとかそこから抜け出さなければならないと考えるならば、そのとき、あなたは「不自由」です。逆にあなたは自分から望んでこの「アートマンプロジェクト」の世界を遊ぶためにやってきたのだ、と考えればあなたは「自由」なのです。<br><br>もちろん「アートマンプロジェクト」はある意味、幻想です。しかし、その幻想をとてつもなく苦しみにあふれたものと捉えるか、それとも喜びにあふれたものと捉えるか、はあなたの捉え方次第なのです。<br><br>■ハーモニーの世界<br><br>私の好きなアニメ映画に「ハーモニー」という作品があります。ここでは内容は書きませんが、この作品の中では人類の意識が失われた世界の中にだけにほんとうの「ハーモニー」は存在するのだ、というメッセージが示唆されます。<br><br>先のアートマンプロジェクトについて書いたときに触れたような「無我」の世界、これを意識のない世界と表現しているのですが、人類が進化してその段階に至ったときに、やっと人類はほんとうの「ハーモニー」の世界に至れるのだ、というのです。意識のない世界、すなわち無我の世界なのですから、当然、そこには「わたし」は存在しません。「わたし」も「あなた」もなく、物事は自明にただ起こるのです。<br><br>これではいったい何のために人は生きているのかわからないという人もいるかも知れませんが、そのような疑問を抱く「わたし」もそこにはいないのです。<br><br>これは一見すると、ユートピアならぬ、とてつもなく醜悪なディストピアな世界に感じる人もいるかも知れませんし、人によっては、ああ、それこそが私が求めていた世界なのだと憧れをいだく人もいるかも知れません。いずれにしても私は何の神秘体験もしたことがないたんなる中高年男性にしか過ぎないので、このアニメ映画がつきつけてくる、この究極の問いに答えることはできません。<br><br>■愛について<br><br>この世界には、ほんとうは愛しか存在しないのです。しかし、分離した個人にはあたかも「愛の不在」、すなわち「愛以外のもの」が存在するように見えてしまいます。<br><br>この世界には、ほんとうは健康しか存在しないのです。しかし、分離した個人には、あたかも「健康の不在」、すなわち「病気」というものが存在するように見えてしまいます。<br><br>この世界には、ほんとうは豊かさしか存在しないのです。しかし、分離した個人には、あたかも「豊かさの不在」、すなわち「貧困」というものが存在するように見えてしまいます。<br><br>■分離した個人という観点<br><br>すべての苦しみの原因は「分離した個人の観点」にあるとよく言われます。私たちは神から分離したと感じたとき、不安を感じるようになりました。その不安はふたたび神とひとつになるまでは癒されることはないのです。<br><br>しかし、これはもちろん「ストーリー」です。私たちは決して神から分離したことなどないのに、あたかも「時間」という幻想の中で、あたかも神から分離が起こり、失われた神を求めて泣き叫ぶ子供たちという劇を演じているという幻想の中にいるだけなのです。<br><br>では、私たちはどうすればこの劇から目覚めることができるのでしょうか。<br><br>瞑想することによって？<br><br>あるいは、他のなんらかの修行をやることによって？<br><br>逆説的ですが、私たちがこの幻想の夢から目覚めて、苦しみではなく、喜びの中で生きるためには、敢えてこの分離した個人を精一杯に生きることによってなのです。<br><br>もちろん、この宇宙の進化生成というものも、たんなる「ストーリー」にすぎないのですが、敢えて、私たちが生まれてきたのは、この宇宙の進化生成に貢献するためだと考え、精一杯の分離した個としての「わたし」を精一杯に生きることなのです。<br><br>次項以降では、「わたし」を精一杯に生きる、ということについて書いていきたいと思います。<br><br>
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<pubDate>Fri, 17 Jun 2016 23:45:30 +0900</pubDate>
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<title>ACIM、奇跡のコース、奇跡講座、ピンと来るのはどれ？</title>
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<![CDATA[ ふと思いついて、「ACIM」「奇跡のコース」「奇跡講座」ってどれがいちばんポピュラーなんだろ、と思って Googleトレンドで調べてみたのですが、やはり予想通り「奇跡のコース」が一番多いですね。でも、思ったほど圧倒的に差がある、ってわけでもないのも意外でしたけど。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160522/17/kachumin0724/a8/6e/p/o0800047813652629227.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160522/17/kachumin0724/a8/6e/p/t02200131_0800047813652629227.png" alt="" width="220" height="131" border="0"></a><br><br><br>でもこれは、そもそも「ACIM」や「奇跡のコース」「奇跡講座」っていう言葉自体がまだまだ超マイナーで、たとえば「引き寄せの法則」なんていう言葉と比較してみると、写真のような結果なので、SEO的にどれを使う？という観点からすれば、その言葉を使うことよりも、キャッチーなコピーの見出しをタイトルにつけたほうがまだしもかも、知れない面もありますね。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160522/17/kachumin0724/13/b9/p/o0800046813652632146.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160522/17/kachumin0724/13/b9/p/t02200129_0800046813652632146.png" alt="" width="220" height="128" border="0"></a><br><br><br>元々、私のFacebookの友達は、コースの学習会で知り合った方とかが多いので、コースは自明な人が多いけど、世間的にはやっぱり「引き寄せの法則」に比べれば「奇跡のコースって何？」って感じなのが実情のようですね。<br><br><br>まあ、逆に言えば、まだトレンドすら迎えていない、ということで、引き寄せの法則の happyさんや奥平亜美衣さんのように、それを看板にして誰かがどーんと世の中に出ればトレンドワードになる可能性もある、ということで、あなたがその誰かになれるかも、っていう話でもありますけど。<br><br><br>
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<pubDate>Sun, 22 May 2016 17:08:45 +0900</pubDate>
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<title>沈黙のWebマーケティング ―Webマーケッターボーンの逆襲―</title>
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<![CDATA[ はい、「沈黙のWebマーケティング ―Webマーケッターボーンの逆襲―」ですね。すでにWebマーケティングに興味のある人は知ってるサイトだろうし、Webマーケティングに興味のない人は読まないだろうから、なんのためにリンクをシェアしてるのか意味不明ではありますけど（笑）、<br><br>まあ、当然、これ読んでる人はネットやってて、Facebookをやってる人なわけで、そういう人として、ネットっていうのがどういう仕組みになってるのか、っていうのを知る入門みたいな意味合いで読んでみるとためになるコンテンツだと思います。<br><br>ふだん自分が何気にソーシャルネットワークでリンクをシェアしたりすることにいったいどういう意味があるのか、ってことがわかる、みたいなことですね。<br><br>第１話が悪徳SEO会社に騙されたクライアントのサイトのペイドリンクを否認するとかいうえらくマニアックな話から始まるのでとっつきがWebマーケティングに興味のない人にとっては「これ、何の役に立つの？」かも知れないですけど、Web分析ツールの話とかは「へー、Webマーケッターってそういうことする人なんだ」くらいで読んでおいて、ずずずっと読み進めていくとコピーライティングやコンテンツマーケティング、ソーシャルネットワークマーケティングの話になるので、一通り読めば冒頭に書いたようにネットの仕組みっていうのがおぼろげにわかるかな、ということで、お薦めのコンテンツですよ。<br><br><a href="http://www.cpi.ad.jp/bourne/" target="_blank">沈黙のWebマーケティング ―Webマーケッターボーンの逆襲―<br></a><br>
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<pubDate>Sat, 21 May 2016 21:20:56 +0900</pubDate>
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<title>家族</title>
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<![CDATA[ 先日、紹介した「ソース・セルフ・スタディ・キット」ですが、これをやってみて、自分のワクワクのキーワードに家族、ってあったのですね。このキット、単純に過去のワクワクの記録などを書くだけではなく（もちろんそれもするのですが）、その書いたものからなんかの占いか？みたいな手法でワクワクのキーワードを抽出するので、自分では「え！？」というものがキーワードになったりするわけですが、<br><br>しかし、この手法、潜在意識を活用した手法なので、あながち的外れではないのですね。私のブログをずっと読まれている方はご存知の通り、私は過去に結婚したこともあり、娘もいたのですが、ひどいうつ病になってとてもその時働いていた会社で働き続けることができなくなり、経済的問題から離婚したという、家族という観点からすれば、まったく失敗の経験しかないのですが、<br><br>それがゆえに家族というのは私にとってのキーワードであり、ワクワク人生の実現のためには向き合わなければならない課題なのは確かかも知れません。離婚から１０年以上が経ち、その間、まったく家族などという課題には触れないで、なぁなぁと生きてきましたが、この家族というワクワクについて行動しないことは、私にとって、やはり１００％のワクワクを生きていることにはならないのかも知れません。<br><br>ここで自分史について触れれば、私が大学生のころに読んで好きだった村上春樹の「中国行きのスローボート」に収められていた「ニューヨーク炭鉱の悲劇」という短編に「詩人は21歳で死ぬし、革命家とロックンローラーは24歳で死ぬ。それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった」という台詞があるのですが、まさに８０年代という時代背景もあり、当時の自分の家族に対する人生哲学なんてそれっぽっちのもので、自分は２１歳も２４歳も不本意ながら生き延びてしまったので、３０歳でなんとなく結婚した、というものでしかなかったと思います。<br><br>私は大学時代から一人暮らしに気ままに行きていたので、ここではじめて自分の家族というものができたときに、とても息苦しい思いがしたし、それまで、自分がそうであったらよかったのに、という詩人や革命家やロックンローラーに比べて、その自分像というのは、なんとも情けなくかっこ悪いものにしか思えなかったのです。先に何に未来も見いだせないような。<br><br>そんなだったので、先に書いた結末は必然だったのかも知れないですけど、あれから１０年以上たって、２１歳や２４歳どころか５０代半ばという年になった今思えば、ほんとうは平凡な家族のお父さんってまったくとてつもなくかっこよくて素敵だったのだなぁ、と思ったりもするのです。<br><br>お前、それに気づくのが１０年遅すぎたよ、って言われれば、それはまあ、それだけの話なんですが、今ごろになって気づいたのだから、しょーがない。まあ、今の年から新しい家族を持つとかそんなことをするかどうかはべつとして、家族をワクワクのキーワードとして何かのアクションを考えて世の中に貢献することはできるはずで、人はひとりひとりユニークなのだから、そのことに対して自分には自分にしかできないことがあるはずだ、と思うのです。<br><br>まだ具体的なアイデアは固まっていませんし、ワクワクのキーワードも家族は１７個のうちの１つに過ぎないわけですけど、とりあえず、家族ということに対して、自分には顕在意識ではネガティブのイメージしかないと思っていたのに、先日、プールからの帰り道をぼけーっと歩いているときに、突然、自分は、何気に深いところでは、家族という言葉にすごくワクワクしているのかー、って腑に落ちたような感動があって、いやー、人間、己を知るべし、なんて箴言もありますけど、意外なものだな、って思いました。<br><br>
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<pubDate>Sun, 17 Apr 2016 00:14:02 +0900</pubDate>
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<title>自分のワクワクが見つけられる「ソース・セルフ・スタディ・キット」</title>
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<![CDATA[ よく聞く「ワクワクすることをしよう！」にのってみたいけど、実際に、じゃあ、何する？、ってなったらよくわかんない、ってような人にお薦め。まあ、行き当たりばったりにその時、気が向いたことをやってみてるだけ、っちゅうんじゃ、ワクワクに生きてる、とはまた違うでしょうし。<br><br>いちおー、書籍のほうを読んで、ソースのコンセプトに興味がある、って人向けなのは当たり前ですけど、書籍のほうはソースのコンセプトの紹介だけなので、実際に自分のワクワクをどうやって見つけるか、って部分はこのスタディ・キットになります。定価１９８００円（税抜き）を高いと感じるか、まあ、１日とか２日とかのワークショップに行くのと同じくらいの値段だから、妥当なもんか、と思うかは人それぞれでしょうけど。ワークブックだけではなく、ナビゲーションガイドのCDがあるので、それ聞きながらやっていけば、ワークショップ受けてるっぽい感じになって、まあ、ちゃんとやれると思います。ってか、ワークブックだけだったら、まずめんどくさくてやってみる気が起こらないだろうけど、ですけど、そういう代物だと思えば素晴らしい商品です。<br><br>僕、これ、ずーっと天神のジュンク堂に行くたびに、ずーっと何年も置いてあるのを見てたのですけど、今までは全然かもしくはイマイチ、買おうなんて思わなかったのですが、つい先日、ふと、なんか買ってしまったのですが、やってみて、なかなか、いい感じです。まあ、実際は、今から、これで見つけた自分のワクワクにしたがって実践してみて、どんなもんか、ってとこでしょうけど、とりあえず、ワークブックをやってみて自分のワクワクの本質を探ってみました、って段階では、楽しかったし、買ってよかったな、っていう感じです。<br><br>ちなみに僕は知らなかったのですが、ソースって、「ユダヤ人大富豪の教え」とかで有名な作家の本田健さんがそもそも本を書くなんて思いついたのが、ソースのワークショップを受けたのがきっかけ、っておっしゃっていて、一般的にも人気あったりするみたいですね。<br><br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31725774" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">普及版ソース・セルフ・スタディ・キット ([バラエティ])/ヴォイス<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51SgZIpA7ML._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥21,384<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Wed, 13 Apr 2016 21:05:48 +0900</pubDate>
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<title>人を幸せにするということ</title>
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<![CDATA[ これは前にも書いたことあるような気がするけど、大学生のころ、初めて村上春樹の小説を読んで、それはその当時最新刊だった「羊をめぐる冒険」だったのですけど、その中で最後のほうだけど、主人公の「僕」が羊男に「君はこれからも生きていくだろうけど、誰も幸せにはできないかも知れないよ」みたなことを言われるシーンがあって（記憶で書いてるので実際の台詞は覚え違いで違うかも知れないけど）、なぜかその台詞にじーんときて、<br><br>なんかすごく小さいころから何か自分には欠けてるところがあって、それは頭が悪い、とか、ルックスが悪い、とか目に見えるものじゃないんだけど、まあ、とにかく「何か」、ね。その何かが欠けてる気がして、自分は人を幸せにはできないのかもなぁ、なんて無意識に思っていたのかも知れない。<br><br>だから、「羊をめぐる冒険」もそうだけど、スコット・フィッツジェラルドの小説とか好きだったんだろうなぁ。なんか出てくる人がみんな、悪い人ではないんだけど、なんでか人を幸せにすることに不器用な人ばかりだから（笑）<br><br>で、現実はその人を映す鏡なんていうけど、やっぱ大学生のころ、友達と飲みに行ったバーで、そこのバーの女の子に手相をみてあげるとか言われて、まさに「あなたは人を幸せにはできないタイプね」って言われた（笑）　今、思えば、まさに腹話術で、自分がその女の子にその台詞を言わせてただけなんだけど（笑）、<br><br>その後、結婚して、やっぱなんかうまくいかなくて離婚したしで、そんなもんかな、自分は、って思ってたけど、なんか、今日、ふと思ったんですよ。<br><br>自分がどういうものであるかは自分で選べばいいんだったら、僕は、そこにいるだけで人を幸せにするような人でありたいな、と。自分が幸せだからそれが溢れちゃってまわりの人も幸せにしちゃう、みたいな、そういう人、ね。<br><br>ま、それだけの話なんですけど、なんかふとそんなことを思ったのも、ここのところHappyさんのブログとか、さとうみつろうさんの本や、そして自分のFacebookのタイムラインで流れるそういう人たちの話を見たりしてて、うっかり影響を受けちゃったからだろうな、と（笑）　まったくおかしな人たちだけど、素敵な人たちだ（笑）<br><br>でも、まあ、今そんなふうに思えて幸せを感じられるのも、あのときあんな台詞を言ってくれたバーの女の子のおかげだし、ずーっと続いていた人生の中で起こったいろいろなことや、出会った人とのやりとりいろいろあったこと、なんか全部ひっくるめて、今の自分がいるわけだから、やっぱ、人生のいろいろなこと、っていうのは、感謝しかないのかも知れないですね（もちろん、今、気にかかっていることはまだそれが何のためなのかわからないから、そうは感じられないだろうけど、いつかそれがわかればきっとそれも感謝になるんだろうな、と。<br><br>そういえば、家の前はパチンコ屋なので、出かけるときはいつもそのパチンコ屋の前を通るのですけど、今日、プールからの帰りに通ったとき、なぜかそのパチンコ屋の中からジョン・レノンのイマジンが聞こえてきた。僕は生まれてこのかた、パチンコ屋というものに入ったことないので、パチンコ屋ってのは頻繁にジョン・レノンのイマジンが鳴ってるようなところなのかどうかは知らないのでが、そのときは、なんでパチンコ屋でイマジンなんか鳴ってるんだろ、って感動して足をとめてワンコーラス聞いちゃったので、最後にイマジンの動画貼っておきますね（笑）<br><br>今日もみなさんにとって１日が幸せな日でありますように（まあ、もう夜だから、明日も、のほうがいいかな（笑）<br><br><br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/DVg2EJvvlF8" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>
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<pubDate>Wed, 06 Apr 2016 21:07:22 +0900</pubDate>
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