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<title>kaiのブログ</title>
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<title>kai's journal 2011.7.10</title>
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<![CDATA[ 箴言 27:2 JA1955 自分の口をもって自らをほめることなく、他人にほめさせよ。自分のくちびるをもってせず、ほかの人にあなたをほめさせよ。 <br><br>箴言 27:2 JLB 　自分で自分をほめるより、人からほめられるようにしなさい。 <br><br>Proverbs 27:2 NLT Let someone else praise you, not your own mouth a stranger, not your own lips. <br><br><br>僕は昔から自慢癖がある<br>自分がどれだけの事をしたのかを評価して欲しいからだ<br><br>自分で自分を評価するってことはどういう事かというと<br><br>ロッククライミングでいうと自分が登ってきた道筋を振り返って眺め満足している状態<br>これだけ登ったんだと言う満足感と同時に<br>これだけやったからもういいだろうと妥協してしまう<br><br>これではダメだ<br><br><br>常にＬＯＯＫ　ＵＰしていなければいかない<br><br>頂上を見続けないといけない<br><br><br>頂上を目指して見続けている人の行動はどうか<br><br><br>それは常に謙虚である<br><br>自分はまだまだと…<br><br>頂上にフォーカスしているから<br>自分がそこに至ってない様をよく知っているからである<br><br><br>他人の評価は<br>麓で見ている人の事である<br><br>どれだけ登ったのか一目瞭然である<br><br><br>自分で評価してしまう人は<br>麓の人に向かって<br>どうだー俺はこれだけ登ったんだぞー！！<br>って吠えている状態である<br><br><br>麓の人から言わせると<br>頂上を見て<br>それに向かっている背中がかっこよかった<br>その背中を評価していた<br>でも<br>こっちに振り返ってしまった<br>頂上に背中を向けてしまった<br><br>評価していた背中は向こうを向いてしまったので<br>これ以上評価できない<br><br>となるわけである<br><br>僕らは常に前進そして上昇していかなければいけない<br><br>だから常に前を向き<br>目標に向かって歩き続けたい<br>そしたら<br>自己評価している暇なんてないんだ<br>これからも<br>神様の目的に向かって<br>歩み続けよう！！<br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10951230614.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jul 2011 13:15:00 +0900</pubDate>
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<title>kai's journal 2011.4.17  種まき</title>
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<![CDATA[ コリント人への第二の手紙 9:6 JA1955 <br>わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。 <br>2 Corinthians 9:6 NIV <br>Remember this: Whoever sows sparingly will also reap sparingly, and whoever sows generously will also reap generously. <br><br>僕らは常に種まき人であるべきだ<br><br>種のまきっぷりが<br>後になんらかの形で返ってくる<br><br>種をまくっていう事にも人によっては様々な解釈があるが<br><br>アーティストの僕にとって<br>種をまくことってなんだろうか<br><br>ボイトレをすること<br>作詞作曲をすること<br>楽器を演奏すること<br>あらゆる楽曲を聴くこと<br>人前で歌う事<br>etc<br>だろう…<br><br><br>この大まかな分類の種の中にも<br><br>さらに極少の種がある<br><br>すなわち<br>種をまくための種をあらかじめまく必要がある<br><br>その始めの小さな種をまきつづける事が<br><br>やがて<br>大きな種をまくことにつながり<br><br>それが実りとなって自分に返ってくる<br><br>まずは<br>確実な種えらび<br><br>確実に刈り取る為にはどんな種をどれだけまくか<br><br>そしてその種をまくためのパッションを神様に求める<br><br>そしてそれを祈りと共にキープする<br><br>そこにはきっと<br>喜びがあり<br><br>喜びながらまきつづけ<br>そしてまた刈り取ってさらに喜ぶ<br><br>いったいこの<br>喜びの種はなんなのか<br><br>きっと<br>神様が与えてくれたＧＩＦＴを用いて常に正しい選択、決断をする事が僕にとっての喜びの種なんだろうなぁ<br><br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10904129856.html</link>
<pubDate>Thu, 26 May 2011 23:22:00 +0900</pubDate>
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<title>kai's journal 2011.4.16　　貧しさ分の裕福</title>
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<![CDATA[ 　　　　<br>コリント人への第二の手紙 8:9 JA1955 <br><br>あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。 <br><br>2 Corinthians 8:9 NIV For you know the grace of our Lord Jesus Christ, that though he was rich, yet for your sake he became poor, so that you through his poverty might become rich. <br><br><br>僕は昔から何不自由なく親から与えられて生きてきた<br><br>物的なものも<br>愛情も<br>教育も<br><br>それを当たり前のように貰い続けていた<br><br><br>やがて家を離れ僕は<br>自立し、自分一人で経済を支えられるようになり<br>金銭的ゆとりも出てきた<br>たまの休みに実家に帰る事がよくあった<br><br>ある日も<br>家族で出かけて水入らずの時間を過ごした<br><br>しめくくりはディナーに行く<br><br>そしていつも通り<br>僕の食べたいとこに連れてってくれた<br><br>僕はいつもその店の一品料理を腹一杯まで食べる<br>その日も一品料理を注文した<br><br>しかし父と母は一番安く、しかもその店の看板ではない一般的なメニューを注文する<br><br>妥協ではなくそれが食べたいからだと言うが<br><br>僕は経済的に厳しいが我が息子の為に無理しているのだと思った<br><br>僕はその時、それを察知して僕も安くて名物ではない普通のメニューに切り替えようかどうか迷ったがあえてそのまま名物料理にした<br><br>両親は何より僕が名物料理を美味しそうに食べ、喜びに溢れている姿がみたいだろうと思ったから…<br><br><br>僕は両親に感謝しながら食べた<br><br>両親の貧しにより<br>僕が裕福であったあの時間を忘れたくない<br><br><br>親に限ったことではない<br><br>この地球上では<br>誰かの貧しい環境のうえになりたっている裕福がたくさんあるっていうこと<br><br>そして忘れてはならないのが<br>僕ら日本人は間違いなくその裕福な方にいるってこと<br><br>だったら日々感謝して生きていくのは当たりの事だろう<br><br>感謝して生きることで生じるエネルギー<br>そしてそのエネルギーを<br>貧しい方へ再び還元していこう<br><br>その積み重ねにより<br>やがて<br>世界は一つになれるかもしれないから<br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10904124747.html</link>
<pubDate>Thu, 26 May 2011 23:16:00 +0900</pubDate>
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<title>kai's journal 2011.4.15  ポジティブシンキング</title>
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<![CDATA[ 　　　　<br>コリント人への第二の手紙 6:6-10 JA1955 <br>真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、 真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、 ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、 人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、 悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。 <br><br>2 Corinthians 6:6-10 NIV in purity, understanding, patience and kindness; in the Holy Spirit and in sincere love; in truthful speech and in the power of God; with weapons of righteousness in the right hand and in the left; through glory and dishonor, bad report and good report; genuine, yet regarded as impostors; known, yet regarded as unknown; dying, and yet we live on; beaten, and yet not killed; sorrowful, yet always rejoicing; poor, yet making many rich; having nothing, and yet possessing everything. <br><br><br>僕はドラゴンボールが好きだ。その主人公の孫悟空の戦いそのものが<br>この漫画の醍醐味なんだが…<br>僕はいつも彼の戦いぶりに励まされる。<br>彼の人種、サイヤ人は戦い好む。なので孫悟空も常に強者と戦うのをワクワクしながら待っている。相手が自分より強くて負けそうになっても孫悟空は笑っている。<br><br>なぜ笑っていられるんだろうか？<br><br>僕はそれが昔から疑問だった<br><br>月日がたち<br>自分なりに最近解釈してみたところ<br><br>多分<br><br>●戦うのが純粋楽しいからワクワクしている<br><br>●今は押されているが最後にはきっと勝つから<br>その逆転のシナリオにワクワクしている<br><br>●今は負けてもトレーニングして追いついてみせる！それに向かってまた向上できる毎日にワクワクしてる<br><br><br>ってとこなんだろう<br><br>ようは外部からみた情景と本人の心のありかたは必ずしも一致しないってことだ<br><br>気の持ちようとは<br>よく言われる言葉だ<br><br>どんな状況下でも<br>気持ちの入れる方向次第でどうにでもなれる<br><br>始めは難しいかもしれないが無理にでもそのように意識してると<br>それが習慣化してオートマチックになってくる<br><br>俗に言う<br>ポジティブシンキング<br>ってとこだろう<br><br>僕らは選択する事ができる<br><br>考える事でさえ選択して生きていく習慣をつけていこう<br><br>そして<br>神様を求め続ける事も選択していこう<br><br><br><br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10904116403.html</link>
<pubDate>Thu, 26 May 2011 23:11:00 +0900</pubDate>
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<title>kai's journal 2011.4.14 「物」「神様」どちらを分母にする？</title>
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<![CDATA[ コリント人への第二の手紙 5:4 JA1955 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。 <br><br>2 Corinthians 5:4 NIV For while we are in this tent, we groan and are burdened, because we do not wish to be unclothed but to be clothed instead with our heavenly dwelling, so that what is mortal may be swallowed up by life. <br><br><br>天国にはこの世の「物」を何一つ持っていく事ができない<br><br>なのに関わらず<br>その「物」を手に入れるために苦労を重ね、<br>その「物」が手に入ると喜び入らないと悲しむ<br><br>そして「物」は常に増え、そして変わり、「物」を取り囲んで人と人が繋がる<br>そんな繋がり方だから「物」がなくなると人の繋がりもなくなる<br><br>「物」に支配されている世の中<br><br>「物」からみたモノサシで僕らはランクをつけられている<br><br>この世の殆どの人は<br><br>尊いと想える愛でさえも<br>「物」の中で成り立っている<br><br>「物」を分母としている<br><br><br>「物」に縛られる毎日から解放されたい？<br><br><br>もっと気楽に生きたい？<br><br>自分の身に何が起こっても<br><br>見放されても<br>フられても<br>リストラされても<br>殴られても<br>蹴られても…<br><br><br>笑って生きていられるようになりたくない？<br><br><br>だったら「物」を分母にしないで<br><br>今からは<br>「神様」を分母にしよう<br><br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10862197377.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Apr 2011 12:41:00 +0900</pubDate>
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<title>kai's journal  2011.4.13 一生もんの宝</title>
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<![CDATA[ コリント人への第二の手紙 4:17-18 JA1955 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。 <br><br>2 Corinthians 4:17-18 NIV For our light and momentary troubles are achieving for us an eternal glory that far outweighs them all. So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen, since what is seen is temporary, but what is unseen is eternal. <br><br><br>この世の目に見えるものは<br>やがては無くなるもの<br>やがては無くなるのに<br>その無くなるものにこだわって生きているのが僕ら人間だ<br><br>例え話だが<br>２組みのカップルを題材にしよう<br>一つ目のカップルは<br>めちゃくちゃ美男美女<br>男性は不動産会社を経営している<br>昔で言う３高という位置付けで高級車を乗り回している<br>女性はファッション雑誌のカリスマモデル<br>憧れる有名人に常にＴＯＰ３にランクインしている<br>二人は<br>誰もが憧れるＢＥＳＴカップルとして有名だ<br><br>出会いはセレブが集まるパーティーの中で<br><br>動機はお互いに絵的につりあうからだとか…<br><br>カップルになってから彼らの事は常にメディアが報じていた<br><br>ある時、男性は女性に高価なブレスをプレゼントした<br>数億円のブレスということでメディアもとりあげ「セレブレス」と名付けていた<br>…<br>1年後彼らは破局し<br>後に男性は美人アナウンサーと<br>女性はプロ野球選手と結婚する事になる<br><br><br>もう一つのカップルは<br>とても愛し合う恋人達<br>男性は<br>一般的な収入にもみたないビンボーサラリーマン女性はデパ地下のお惣菜コーナーのアルバイト<br><br>派手さはないが二人とも気のいい優しい感じであった<br><br>あるとき<br>彼氏が彼女へブレスをプレゼントした<br>そのブレスは彼女にとって特別なものだった<br><br>さかのぼること数ヶ月前…<br>二人のデート中<br>ショーウィンドウに彼女は釘付けになっていた<br>通りすがりの店で一目見て気に入ったブレスがあったのだ<br>買おうにも彼女にとっては少し高価だし<br>貯めに貯めた貯金をはたいても届きそうになかった<br>彼も自分の生活さえも<br>いっぱいいっぱいで買ってあげる事は到底できなかった<br>彼女は決めた<br>どうしても欲しいから<br>それを購入する為にさらに貯金をしよう…と<br><br>数ヶ月後貯めに貯めた貯金でついにその意中のブレスに買おうと以前通りかかった例の店へ向かった<br><br>残念な事にそのブレスは売り切れていた<br><br>チェーン店だったので他の支店に向かうも<br>在庫はなかった<br>生産完了商品との事…<br><br>それから他の店舗を巡り巡ったがどこにもなく、都内どこにいっても在庫はなかった<br>生産完了商品だから取り寄せもできない状態<br><br>彼女はあきらめた<br>欲しかったけど、これはこれで運命なんだと…<br><br>その矢先の彼からのプレゼント<br>その意中のブレスだった<br>彼は彼女がどうしても欲しいという情熱を近くで感じていたので<br>彼自身それに動かされ<br>なんとか彼女にそのブレスをプレゼントしたいという想いを抱くようになり<br>全国を探し回り<br>そして空いている時間はプラスアルファで警備のアルバイトもしていたのだ<br><br>数年後<br>二人は結婚する事になる<br><br>この二人の情熱がケミカルして勝ち取ったブレス「ラブブレス」<br><br>と<br>始めのカップルのメディアが報じる程の数億円の「セレブレス」<br><br><br>30年後も心に残っているブレスはどっちなんだろう？？<br><br>って考えた時<br>僕は「ラブブレス」を選ぶだろう<br><br><br>例えそのブレスがなくなっても<br><br>その時の情熱や愛は一生もんの宝だと思うから<br><br><br>僕自身もこれから<br>何十年<br>何百年（天国含む）と続く<br>一生もんの宝を造っていきたい<br><br><br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10862194908.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Apr 2011 12:40:00 +0900</pubDate>
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<title>kai's journal 2011.4.12  規則のありかた</title>
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<![CDATA[ コリント人への第二の手紙 3:6 JA1955 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。 <br><br>2 Corinthians 3:6 NIV He has made us competent as ministers of a new covenantnot of the letter but of the Spirit; for the letter kills, but the Spirit gives life. <br><br>子供の頃よく<br>規則正しい生活を！<br>と学校のスローガンにあげられていたのを覚えている<br>規則ってなんの為にあるのか？？<br>秩序を乱さない為である<br>「どうして○○してはいけないの？」<br>「規則だから！！」<br>この一言で片付けられてしまい<br>なにかわだかまりが残ったまま後ずさりした記憶が多々ある<br><br>どうして？どうして？<br>と問いただそうとしても「仕方ないの！そういう決まりなんだから！」<br><br>の一辺倒…<br><br>それ故に<br>いつしか僕は我慢を覚えるようになり<br><br>決まりの根元を追究しなくなった<br><br>そして社会人になり<br>規則の為に生きる習慣ができた<br><br>これはこれでいいのかもしれない<br>もともと自由人すぎたからバランスよくなったのかも…<br><br><br>でも時に規則を主張して人の心を平気で踏みにじる輩にもでくわす<br><br>と<br>いうよりも<br><br>大なり小なり殆どの人が規則だからといって相手を拒絶する傾向にある<br><br><br>あくまでも規則は人々の為にあって<br>規則の為に人々があるわけではない（なんか聞いたことあるセリフ？）<br><br><br>人々は成長するが規則は成長しない<br><br>即ち規則とは過去に捕らわれている頭の固い状態である<br><br>もっと柔軟に生きていくためには<br><br>やはり霊的なものにフォーカスを当て<br><br>霊的レベルアップを計っていきたい<br><br>それには人とのコミュニケーションが必要不可欠！！<br><br><br>リーダーがよく口にするセリフ<br>「タスクより人を重視しよう」<br><br>やるべきタスクがあっても人とのコミュニケーションを優先すること<br><br>そこで失敗してまた何かを学ぶ<br><br>そしてその時に自分なりの文字（規則）が生まれる<br><br>教訓というやつだ<br><br>もしかしたら教訓をデジタル化し<br>皆にシェアする事を<br><br>規則というのかもしれない<br><br>そして<br>規則は歴史を刻むインデックスみたいなものなのかもしれない<br><br>バカとハサミは使いようっていうけど<br><br>規則も正しい使い方であれば素晴らしいものなんだなぁと思った<br><br><br>＊規則をけなしている訳ではなく<br>規則にしばられすぎて人を無視してしまう傾向にある状態を問題としている<br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10862193611.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Apr 2011 12:37:00 +0900</pubDate>
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<title>kai's journal 2011.4.11  喜ばせる？困らせる？</title>
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<![CDATA[ コリント人への第二の手紙 2:3 JA1955 このような事を書いたのは、わたしが行く時、わたしを喜ばせてくれるはずの人々から、悲しい思いをさせられたくないためである。わたし自身の喜びはあなたがた全体の喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからである。<br><br>2 Corinthians 2:3 NIV I wrote as I did, so that when I came I would not be distressed by those who should have made me rejoice. I had confidence in all of you, that you would all share my joy. <br><br><br>前回とは逆のようなニュアンスになるが<br><br>僕は昔から人をわざと困らせたりする事がある<br>なぜそうしたくなるのかわからないが<br>人がＡっていうっているなら僕はＢっていう風に答えてしまう<br><br>ようは困らせたがり屋なんだ<br><br>でも困らせた後って<br>決まって心にシコリが残る事が多い<br><br>対照に<br><br>いつもは困らせてしまっていだろうなって時に<br><br>困らせないで喜ばせた時って周りも僕もハッピーになる<br><br>考えてみたら簡単な事だ<br><br>�喜ばせる<br>�困らせる<br><br>この二択しかないんだから<br><br><br>いつでも�を選択していきたい<br><br>少し<br>内からでも感情にフタをするだけ<br><br>一瞬でいい<br><br>フタをするんだ<br><br>すると<br>相手が次第に笑顔になる<br>フタをあけてみると<br>気づいたら僕も笑顔になっている<br><br>きっとそれだけの事なんだ<br><br>簡単な事<br>今日から出来る<br><br>いや<br>今からできる<br><br>やっていこう<br><br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10862192032.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Apr 2011 12:34:00 +0900</pubDate>
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<title>kais journal 2011.4.10 心の麻酔</title>
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<![CDATA[ コリント人への第二の手紙 1:6 JA1955 わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。 <br><br>2 Corinthians 1:6 NIV If we are distressed, it is for your comfort and salvation; if we are comforted, it is for your comfort, which produces in you patient endurance of the same sufferings we suffer. <br><br><br>辛く悩ましい日々など体験したくない<br>誰もがこう思った事があると思う<br>この辛かった日々というのは何のメリットがあるんだろう<br>気持ちはダークになるし、そればかり考えて前に進まないし、負のオーラ出して周りに迷惑かけかねないし…<br>神様はどうして辛いことを経験させようとするのか<br><br>多くの人は辛い日々を味わうのが嫌で<br>そこから逃れようと心に麻酔を打つ<br><br>心の麻酔はドラッグの服用、暴食、性の乱用、酒など<br>人それぞれである<br><br>辛いと思う人を多くすればするほど世の秩序は乱れる一方なのになぜ神様はそれを経験させる？<br><br><br>僕自身<br>毎日ハッピーであれば周りもハッピーになりハッピーの連鎖で世の中が一つになるのになぁ<br><br>なんで辛いことがあるんだろう<br>って<br>考えていた時期があった<br>でも最近少しわかった気がする<br><br>この辛いことっていうのは<br>リアルタイムでは不要なものかもしれない<br><br>でも後で<br>辛いことの経験が活かされる場面に出くわすようになり<br>その時初めて「辛いことを経験してきて良かった」<br>と言えるんだと思う<br><br>そして<br>その時に辛いことを味わっている仲間がいたら<br>その仲間に「辛いよね、わかるよ。でも僕は今それを乗り越えてこうなんだ」<br>って言える<br><br><br>辛いことは後に生きる<br><br>もし辛い日々にさしかかったら<br><br>来るべき日の仕込み期間だと<br>割り切って生きていこう<br>そうすれば<br>心の麻酔は<br>もはや必要ない<br><br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kaiak69/entry-10862190324.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Apr 2011 12:33:00 +0900</pubDate>
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<title>ka's journal 2011.4.9  僕には愛があるのか</title>
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<![CDATA[ コリント人への第一の手紙 13:1-3 JA1955 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。 1 Corinthians 13:1-3 NIV If I speak in the tongues of men or of angels, but do not have love, I am only a resounding gong or a clanging cymbal. If I have the gift of prophecy and can fathom all mysteries and all knowledge, and if I have a faith that can move mountains, but do not have love, I am nothing. If I give all I possess to the poor and give over my body to hardship that I may boast, but do not have love, I gain <br>nothing. <br><br><br>ＯＨＨＨ！！！<br>怖い一文だ…<br>今までの僕の行動一つ一つは愛があったのだろうか？？<br>聖書から得た愛がある言葉だといって得意げに話していたり<br>良いことなんだと定義付けて奉仕をしたり<br><br><br>これらを行っている自分を客観的に見て<br>「うん僕の行為は素晴らしい！神様もさぞ喜んでいるだろう！」<br>と思ってはいないか？？<br><br>僕はアーティスト肌だけにアートを美を追求しがち…<br>この美っていうのは神様の御心ではなく肉によるエゴなのだろうか？？<br><br>良い行いを一つの美として形づけているだけなのかもしれない<br><br>そこには愛が果たしてあったのだろうか<br><br>自分だけによる楽しみがたまたま相手にとって愛がある行為だと捉えてくれただけ<br><br>そしてそう捉えてくれるだろうと予め計算して<br>ただ自分の美学の為に行っていただけなんではなかろうか？？<br><br><br>でも神様はあえて<br>そういう美学を追求するパッションを僕に与えてくれて<br><br>それが結果<br>人々に良い影響や結果を与えるように計画されていたのでは？<br><br>だったら美学を追求するモードだったとしても相手が笑顔ならそれはそれで○なんでは？？<br><br>と葛藤してしまう…<br><br>こんな時は難しく考えるとどつぼにハマるから<br>ＥＡＳＹに考えてみる<br><br><br>「美学を追求する僕」<br>っていうのが神様の愛であって栄光であって<br><br>その僕が隣人を笑顔にできたのなら<br>それはきっと<br>「神様の愛を伝えた」<br>って事になるのかもしれない<br><br><br>よく<br>世のため人々の為に…<br><br>というセリフをきく<br><br><br>自分を犠牲にして他人の為に尽くす…<br><br>かなり素晴らしい事であり是非ともそうなりたい！！<br><br>…が<br>しかし<br>今、僕はそれにはなれない<br><br>だから<br>無理をせず<br><br>神様に与えられたパッションでただ夢中に生き、隣人を笑顔にしていく<br><br>今はそれでいいんだと思う<br><br>そしてその皆の笑顔の一つ一つが神様の愛であり、また僕自身満たしてくれる<br><br><br>この善循環のシステムこそ<br>無条件の愛というのかもしれない<br><br><br><br>〓♪ＫＡＩ☆〓<br><br>
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<pubDate>Sun, 10 Apr 2011 00:35:00 +0900</pubDate>
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