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<title>見えない文字たち</title>
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<description>日々の随想と消えゆく妄想</description>
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<title>自己紹介という目障りな言葉</title>
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<![CDATA[ <font size="2">明日のあなたと昨日の私へ<br>目障りなほどの言葉を贈ろう<br><br>そうだ。昨日、いやもう大分昔に私は変わるはずだった。そのようにできていない<br>のは多分、変わりたいのでもなく、変わりたくないのでもなく、ある、ということが<br>根本的に分かっていないからだ。<br><br>日記というものを昔から書けない。<br>書くことがない、ということもあるし、例え何かがあったとして、それを書くことに、<br>そしてそれ以上に自身の書いたものを読むことに耐えられない。<br><br>私には何もないのではないか、という不安は常にある。そして、その不安さは<br>とても甘く、つい、取り出して見たくなる自分だけの宝物のようだ。「何もなさ」を<br>書く文章はとても心地よい。<br><br>しかし、何もなさ、は結局、何かがそこにあるということだ。そのあるということ<br>を見つめること、それが存在論のしてきたことではないのか。その「ある」ことを、<br>そろそろ自分なりのやり方で見てみる必要があると感じてきた。<br><br>書きたいけれども、書けない。書きたいことがないのか、自分が何を書きたがって<br>いるのか分からないのか、それすらも定かでない。この気分は、書くという動詞<br>ではなく、もっと一般的な「生きる」だとか「する」だといかいう言葉にも当てはまる<br>のではないか。<br><br>言い訳が長くなった。<br>私は知っている。そろそろ、書かざるを得ない。あきらめて生きざるを得ない。<br>そして、きっと、誰かに知ってほしいのだ。</font><br>
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<pubDate>Tue, 22 Jul 2008 00:13:42 +0900</pubDate>
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