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<title>歓星ブログ</title>
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<title>言葉よりも信じるべきもの。</title>
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<![CDATA[ <p>高畑勲監督の映画「かぐや姫の物語」を久しぶりに見た。やはりあの映画は本当に素晴らしいアニメ映画だと思った。僕たちはそんな映画に出会った時何を思い何をすれば良いのだろうか。言葉や描写に共感して尊敬したり感動したり勇気付けられたりするのが良いのだろうか。あるいは作品から作者の意図を読み取れば良いのだろうか。きっとそれも鑑賞方法の一部だと思うが、それだけならば映画である必要はない。直接文字にしたり言葉にする方が合理的だし伝わりやすいだろう。必要なのは感想を無理やり言葉にまとめようとしない事だ。かぐや姫は人々の欲望や感情に振り回された一人だが、最後月へ帰るときは、その感情を彩と言っていた。月の都の人からは感情はざわめきであり無駄に人や物を傷つける。もし自分が人間ではなくもっと客観的な存在ならば月の都の考えの方が正解に聞こえるだろう。しかし感情を持って生まれてきた以上、感情を享受する必要がある。悲しがある分、喜びもあると考えるのではなく感情を彩と呼ぶ。ただ具体的ではないそんな感想でも良いと思う。尊敬する人や物からわかりやすい言葉などを抽出し取り入れるのではなく、抽象的に感じるだけ。コレが何に応用できるか、僕はまだ分からない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kanta-art/entry-12802554100.html</link>
<pubDate>Fri, 12 May 2023 00:29:56 +0900</pubDate>
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<title>「AI」シンギュラリティ後の人々の会話</title>
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<![CDATA[ <p>近年chatGPTが普及しAIという人間を超越した存在はもう近くにいるらしい。そんなAIにもハルシネーションと言う言葉が存在する。持っている知識を繋げ合わせているだけなのでその根本の知識が間違っていればAIは嘘をついてしまうことになる。そんな事を聞くと僕はAIに対して非常に親近感を抱いた。それは僕らが常に行なっている会話と非常に似ているからだ。知識というものは普段はバラバラに存在するが何かを伝えようとなるとその知識を駆使して会話する。AIなんかに知識では勝てないのだからそれが故意ではなくとも、人間も嘘をついて当たり前かの様にも思ってしまう。しかし、僕はAIと人が会話するのでは大きくプロセスに違いがある。AIは何か事実を伝える為に根拠として知識を駆使するが、人間は自らの思想を伝える為に根拠として知識を駆使する。つまり人間は非論理的な生物だ。でもそこが面白い。知識を無理に思想に落ち着かせようとするからそこに矛盾が生まれる。でも、多少の矛盾は見て見ぬふりをするのが暗黙の了解で、モヤモヤしたまま会話が進む。確かに仕事の会議などでは使えない会話だが、AIが進化しハルシネーションがもし起きなくなったとするのなら、この、モヤモヤした会話術を僕たちは身につけていかなくてはならないのかもしれない。相手の真意は読み取ったりはせず会話だけに耳を傾けてそれに返答する。論点なんて存在しない。新しい人々の会話。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kanta-art/entry-12801991069.html</link>
<pubDate>Mon, 08 May 2023 00:19:06 +0900</pubDate>
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