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<title>流星通信</title>
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<title>新自由主義的段階の次はなにか</title>
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<![CDATA[ <p>封建時代、日本人の9割は農業に携わっていた。<br><br>農本主義社会だったのである。<br><br>自分は保守主義を、故人である西部邁先生の書から学んだ。<br><br>西部先生は北海道の札幌から遠く離れた地方で、戦時中に誕生された。<br><br>当時の社会は混乱していた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのために西部先生の境遇も、平成になって生活が安定をされたあとに話される出生地の話も、どうも混乱をしている。<br><br>父上は浄土真宗の僧侶だという話だったが、引っ越しの回数を重ねられていたようである。<br><br>そういうところで聞いたことだが、西部先生が東大受験に合格されて帰郷すると、村を挙げて提灯行列で迎えられた、という逸話があった。<br><br>西部先生は保守主義者であるが、自分はよくレーニン主義をもじった歴史観で社会を説明する。<br><br>それは現在の社会が、帝国主義的段階においてもプロレタリア革命を起こさず、新自由主義的段階へ進むことを強調したいためである。<br><br>つまり、西部先生の故郷は農本主義社会だったが、そのご貨幣経済が展開をしてやがて重農主義的段階となり、格差が生まれて自由になった人間が科学を認めて重商主義的段階へ進んだ。<br><br>そして西部先生のように農村では格差が生まれると周辺に都市が生まれ、農村では口減らしのためにみな都市へ向かった。<br><br>日本の昭和時代でいう金の卵である。<br><br>そうして都市では革命騒動を回避して高度経済成長期を迎え、重商主義的段階は自由主義的段階になった。<br><br>自分たちにはこだわりのなく寛容な人間を祝いだ過去があったが、それは自由主義的段階を目的としたためである。<br><br>しかしそうした社会はやがて都市を目的とするのではなく貨幣を目的とし始める。<br><br>貨幣なくては自由が実現されないことをよく認識した市民は、貨幣を獲得して他の市民を拘束し、貨幣によって貨幣を獲得する社会になった。<br><br>それを帝国主義的段階と呼ぶ。<br><br>いま自分たちは帝国主義的段階から新自由主義的段階の時代を生きている。<br><br>帝国主義的段階では貨幣なくして生きてはいけないが、新自由主義的段階では情報が氾濫をしてそれなくして市民は生きた心地がしない。<br><br>自分はそうした新自由主義的段階のメディア状況を絶対民主制と呼んでいるが、絶対民主制では権力となった報道が政治家の1次的情報を察知すると加工編集をし意図して歪ませる。<br><br>そういう切り取られた情報をお茶の間に送り込まれると、市民は絶対民主政が標的とした人物を悪であると考えるようになる。<br><br>それは新自由主義的段階の特徴だ。<br><br>たとえばこんかい、俳優の佐藤二朗氏が女優の橋本愛氏にセクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントを行使したという因縁を週刊文春がねじ込んできた。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、マルクス主義では労働者と資本家との争いだった。<br><br>そして旧ソビエト連邦の革命状況では、レーニンの時代ではロマノフ王朝と農奴との争いが強調された。<br><br>しかしそうした旧ソ連社会も科学的社会進化を果たし、スターリンの時代には虐げられる弱者と虐げる強者というように、争いの当事者は微妙にその価値観をずらされていた。<br><br>現状の日本社会は紛れもなく新自由主義的段階であるが、80年代に活動をはじめたフェミニストの上野千鶴子氏の糾弾の仕方に特徴があると思うが、あれはデリカシーのある女性が、デリカシーのない男性を叩く図式だ。<br><br>つまり、もとのマルクス哲学では、労働者運動として飢えたる貧民を組織化して資本家と対峙し、帝国主義的段階になってプロレタリア革命を起こすことが目的だった。<br><br>しかし80年代に生まれたマルクス主義フェミニズムは、いま申し上げたようにデリカシーのある女性が、ない男性を非難するという図式を強調するのである。<br><br>今回の佐藤氏と橋本氏の問題に際して思うが、これもデリカシーの問題に収斂してゆくと思われる。<br><br>週刊文春はデリカシーのある橋本氏の言い分を強調し、佐藤氏にはデリカシーがないとして糾弾をしていることは明白である。<br><br>マルクスの生きていた時代では、繰り返しになるが労働者と資本家の闘争だった。<br><br>生産様式を実力で簒奪することを目的としていた。<br><br>しかしこの新自由主義的段階では、むかし金の卵として農本主義の農村から夜行列車に乗って東京へやってきた若者は、いまになって貧富の差が画然としている。</p><p>&nbsp;</p><p>みな都心の一等地に住むか、周辺地域のワン・ルーム・アパートで身を洗いでいるかしている。<br><br>そういう状況のお年寄りには、週刊文春の強調するデリカシーのある女性がデリカシーのない男性を糾弾する図式が、かつての革命の陰影として目に映るのではないか。<br><br>このばあい佐藤氏がどのような人物を投影されているのか、自分は知らない。<br><br>しかしそうしたリベラル村の風習は、率直に言って目も当てられない大惨事だ。<br><br>リベラルという思想は自由主義的段階を目的とするところに特徴がある。<br><br>しかし自由主義的段階はすでに去り、現状はたしかに帝国主義的段階から新自由主義的段階に移ろうとする時代だ。<br><br>リベラル村が過疎となって限界集落化をしているというのには、理由がある。<br><br>不満をかこったお年寄りに、現実社会の事件から取材をしてかつての革命の幻想を印象づけるところが、この時代の若者には向かないのだ。<br><br>そしてマルクス哲学はキリスト教的に過去から未来へ一直線に進んでゆく傾向があるが、西部先生はギリシャ思想的に社会は円環を形作って閉じている、とされた。<br><br>自分はプロレタリア革命を回避したい一心でレーニン主義を利用する。<br><br>しかし西部先生の言葉では、抑圧社会はやがて自由を発露し、そうした自由は放縦となって混乱社会となり、そうしたところから秩序を目的とするようになってやがて抑圧へ戻る、とされた。<br><br>自分は自分であって、西部先生やレーニンとは違うセクションの人間である。<br><br>いま自分がやり遂げたい仕事は、リベラル村を革新派の墓場とすることである。<br><br>つまり、リベラルという言葉は一般的にはホメコトバだ。<br><br>すなわち、リベラル村の本質は人民裁判村である。<br><br>むかし、中国共産党では人民裁判をして富裕層を皆殺しにした。<br><br>この時代のリベラル村は、つまり人民裁判村は、どうやらデリカシーのある女性に、デリカシーのない男性を断罪させたい。<br><br>そういうことに興味津々となるのがこの新自由主義的段階における絶対民主制のTV視聴者や雑誌の読者なのである。<br><br>絶対民主制の視聴者や読者は、かつての革命は失敗したが、老人となって若者の社会に波紋を生じさせたい。<br><br>子供は家を出て日ごろ連絡をしないどころか正月に帰省をしない。<br><br>そのうえ苦労をしてローンを支払った自宅は老朽化をし、マイ・カーはすでに故障をして廃車になった。<br><br>さらには奥さんとは常に顔を突き合わせていてなにかと衝突気味だ。<br><br>そういう状況に生きて、幸福になろうと獲得をした資産に囲まれて、どうにも幸福感を感じられない。<br><br>そうした矛盾を被っているところに、新自由主義的段階における絶対民主制が、若者を支配する言辞を添えてやってくるのだから、お年寄りは絶対民主制に支配されないわけがない。<br><br>現状の新自由主義的段階における絶対民主制はそのような性格をもってそのような働きかけを試みていると思われる。<br><br>自分はそうした社会に生き、そうした社会で死んでゆくが、世はなべて事もなし、といった風情で時代は移ろいでゆく。<br><br>新自由主義的段階の続きの夢を見るのは誰なのか、それは次の時代の国民の権利だ。<br><br>2026年7月10日に、国会では皇室典範改正案が成立をした。<br><br>自分はやるべきことを果たした気分だ。<br><br>次に目標となるのはスパイ防止法である。<br><br>しかし文藻は枯れ文意は同じ言葉の繰り返しだ。<br><br>しょうしょうお暇を頂いて新境地を得たい。<br><br>隣人は自分を暇人であると思っていることだろう。<br><br>否定をしきれない状況だが、なにもしないでぼんやりと空気を呼吸したい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12972435905.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Jul 2026 23:34:41 +0900</pubDate>
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<title>虎よ虎よ、ぬばたまの夜の森に燦爛と燃え</title>
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<![CDATA[ <p>自分の現状のPC利用状況はこうだ。<br><br>寝室にメインPCを、仕事部屋にサブPCを、居間にサブ2PCを据え置いている。<br><br>最近になってサブPCとサブ2PCの調子が悪い。<br><br>サスペンド復帰に失敗することが多くなり、動作も途中で停止してしまう。<br><br>どうやら寿命のようである。<br><br>ともに長く利用をしてきた。<br><br>そして自分には備えがある。<br><br>この時代では人工知能が脚光を浴びているが、その前は暗号資産だった。<br><br>詳細は知らないが、暗号資産を掘削するのに、CPUよりもGPUのほうが有利だという情勢で、GPUを12箇所ほどインストールできるマザー・ボードが売られていた。<br><br>自分が目をつけたとき、すでに一部商品は時代遅れになっていたようで、非常に安価にそうしたマザー・ボードを手に入れることができた。<br><br>さいしょ、IT時代のアンティークな思い出グッズにしよう、と思って押入れの肥やしにしていたが、のちにCPUが気になってウェッブ検索をしてみると、対応している商品がこれも安価に売られていた。<br><br>ともに時代遅れとなった、大量生産の商品なのである。</p><p>&nbsp;</p><p>このCPUも購入をした。<br><br>そういうことがあったが、そうした頭を使ったグッズ収集のことはすぐに忘却をし、自分はウェッブに関与をして毎日を過ごし、月日はあっという間に過ぎ去っていった。<br><br>当時は要するにデフレ円高時代だった。<br><br>自分たちはウェッブに接続をし、リフレ経済学者のいうマイルド・インフレを待望する、益体のない就職氷河期世代であった。<br><br>しかしそのご、中国共産党でコロナ禍が始まり、ロシアがウクライナ侵略をはじめ、人件費と資材費が高騰していった。<br><br>それに平仄を合わせて、先進国では社会不安に対して給付金を増額して支出すると、当事国は生産に対してマネー需要の多い、インフレ状態になった。<br><br>そうしたインフレを金利上昇で対応していると、やがて当事国の為替は上昇し、それに応じて日本の為替は円安になっていった。<br><br>そうして円安になったために海外から輸入される物資が割高となり、円安インフレという状況に日本社会は移り変わったのである。<br><br>自分は円高デフレの時代に、CPUとマザー・ボードを手に入れた。<br><br>あとはメモリを買い足すだけでPCを一台、組むことができる。<br><br>しかし自分はまったく、物価は社会状況の推移に関与をして変化することを忘却してしまい、メモリの購入に後ろ向きであった。<br><br>げんざい、人工知能はGPUとメモリとSSDの値段を釣り上げるだけ釣り上げる状況だ。<br><br>まったく手に入らないわけではないが、いまサブPCやサブ2PCの買い替えでこのバカ高いメモリを購入してしまうと、安価にCPUとマザー・ボードを購入した役得が失われてしまうのである。<br><br>たったそれだけのこと、シミッタレた根性の持ち主であると我ながら呆れるが、そうした形で自分も物価高の影響を受けている状況だ。<br><br>サブPCとサブ2PCのメモリは旧式であるために、安価に購入をした暗号資産掘削向けのCPUとマザー・ボードには適合できない。<br><br>そこでメインPCのメモリは16ギガバイトであり、8ギガバイトが2枚であるので、ここから1枚とって援用をしようか、と思う。<br><br>しかしメインPCの動作が不安定になったらどうしよう？<br><br>そんな不安が、試行をする前から胸中に漂ってくる。<br><br>メインPCのメモリは代替が効く。<br><br>PCは8ギガバイトでも利用ができることだろう。<br><br>しかしTogetterでは文学への感想熱が高まり、先日は太宰治や島崎藤村が対象だったが、今日には中島敦に話題が及んでいる。<br><br>中島敦の名は高校時代の国語の教科書で始めて知った。<br><br>国語の授業ではやらなかったし、もう進学は諦めていた時代だったが、自分は教科書は隅々まで読むタイプだった。<br><br>自分は暗号資産掘削向けのマザー・ボードには代替のメモリを用意している。<br><br>しかし中島敦のあの真剣な態度とユーモアの混交は他に代替がない。<br><br>もう仏典や古典文学の近代的な輻輳は戦後社会でやるだけやったあとであるし、日本社会では小説家になにか大きな期待をしているわけでもない。<br><br>しかし社会の被っている悲運や自業自得を、中島は敏感に捉え古典を題材にして当時の社会によく蘇らせたと思う。<br><br>もうああした作家は世に出てこないだろう。<br><br>戦前と現在の日本社会は被っている社会状況は違う。<br><br>あの時代を反省して生まれた昭和時代の反戦平和が、この令和時代には通用がしないのである。<br><br>「才能の不足を暴露するかも知れないという卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだった」<br><br>読者によって心に棘刺さる部分はさまざまだが、読むたびに新しい発見がある。<br><br>中島の作品には管理社会の若者における不安感がよく現れている。<br><br>結論は現代的な価値観からすると決して正しいものばかりではないが、読んでみるといろいろな輝きが目に刺さる。<br><br>正しい結論は我が身で体得をするのである。<br><br>勇敢に前進をするよりない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12972328304.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Jul 2026 21:10:33 +0900</pubDate>
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<title>最後にたどり着く浜辺を求めて</title>
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<![CDATA[ <p>自分は体系的に学問を受領したわけではないので、詳細は専門家の書物に当たって欲しい。<br><br>自分は手遊びで自費出版で3冊の短編集を出したのみの作家である。<br><br>自分の感じるところでは、Togetterはよく、作家の行状を持ち出して非難をする。<br><br>こんかい眺めたところでは、「ヤバい編集の話ばかり出てきてヤバい作家の話が出てこないのはフェアじゃない」→ヤバい作家は業界から消えたりしますが、「ヤバい編集」は作家にとっては仕事相手」というのを読んだ。</p><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://togetter.com/li/2718283" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">「ヤバい編集の話ばかり出てきてヤバい作家の話が出てこないのはフェアじゃない」→ヤバい作家は業界から消えたりしますが、「ヤバい編集」は作家にとっては仕事相手</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">「ヤバい編集の話ばかり出てきてヤバい作家の話が出てこないのはフェアじゃない」的なポストを見かけましたけど、ヤバい作家はただのヤバい人で、そんなのほっときゃいいしその人は業界から消えたりしますが、「ヤバい編集」は作家にとっては仕事相手ですから。情報のジャンルが違います。 そもそも作家と編集者はフェアではないですからね。そういう関係性ではないです。そしてもちろん…</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">togetter.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://s.tgstc.com/ogp3/50263035b64130eafddcfd882375072f-1200x630.jpeg" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p><br>自分の関与をした編集者は仕事人と言った感じで規律を重視する印象だった。<br><br>しばらく前に最後に出版をした書を電子書籍化しないかという話が来たが、有料でありだいぶ高額だったために辞退を申し上げた。<br><br>まだ編集部の顧客リストの中に入っているようだが、今後の行方はわからない。<br><br>自分がこんかい一筆を認めるのは、なぜ作家はヤバいのか、という弁明である。<br><br>今回のまとめの中で、島崎藤村と太宰治がネット民の批判の対象とされていた。<br><br>作家はそういう話のネタにするために生かされている。<br><br>自分は太宰治には理解がないが、島崎藤村のロマン派時代の作風は良いと思う。<br><br>今にも残る童謡、田中寅二作曲「椰子の実」は実にいい。<br><br>〽旧の木は生いや茂れる　枝はなお影をやなせる……。<br><br>「影をやなせる」というのは「影をや成せる」だと思うが、擬古文調の自然描写に痛く感激をするものである。<br><br>商業出版でライバル作家と競合をしながらしのぎを削るようにして切磋琢磨するわけではないから、自分は文筆に関しては今後の展開も相応だろう。<br><br>しかしこのような作品を生み出した業界の末席、いや宴会場外の下足番くらいのものであるが、それでも自分の文章が活字になって一冊に綴じられた実本を手にすると、さまざまな感興を呼び起こされたものだ。<br><br>島崎藤村はロマン派の時代を終えると次には自然主義作家に転じた。<br><br>自分は自分たちは混乱していると思うのは、田山花袋から始まった日本の自然主義と、戦前から戦後にかけて流行をした私小説を分別することができない点だ。<br><br>自分の思った通りのことを書く。<br><br>実社会では多くNGとされる行為である。<br><br>人間は業の塊であるが、社会は法によって拘束をされた上に隣人には倫理的であるよう要求をする。<br><br>そうした矛盾からの解放への念願が自然主義や私小説を生み出す動機だと思われる。</p><p><br>自然主義小説はヨーロッパで生まれたが、日本社会では功利主義的性格を強調したのだと思われる。<br><br>しかしいま島崎藤村の往来をウェッブ検索で読んだが、事実は小説よりも奇なり、といった印象だ。<br><br>自分は島崎藤村を弁護したいと思って筆を執ったが、それもだいぶ苦しい。<br><br>家族を小説に捧げた。<br><br>現状のマイ・ホーム主義の時代では考えられないことだろう。<br><br>しかし現状の日本社会は、すべからく人間には功利主義的であると烙印を推すべし、と言った時代状況でもある。<br><br>過去の文豪ばかり責められるものではない。<br><br>明治維新になって近代化をはじめ、教育は対価を得るための方便になったために功利主義を強調するのだと思われる。<br><br>そうした社会に生き、島崎藤村は自分に与えられた宿業に振り回され、家業は去って家族を作品の犠牲にしたのだろう。<br><br>明治から大正にかけて、色々と日本人取り巻く環境が変わり、価値観の変化に皆が苦しめられたに違いない。<br><br>自分には自然主義と私小説の違いは、その発生する時代と主流作家の違い程度の区別しか持たない。<br><br>島崎藤村のロマン主義を持ち出してその後の自然主義を弁護するのは難しいようである。<br><br>繰り返しになるが、作家というのは噂になって本が売れるわけだから、ネタ化を批判するのも難しい。<br><br>しかし、作家の奇行や作品の一節が心に棘として刺さったりして、口頭にのぼせて談じたいという気分もあることだろう。<br><br>作家が奇行を振るうというのは、自分の小なる内宇宙で自分を取り巻く大なる外世界を凌駕しようとするためだと思われる。<br><br>作家は倫理的に生きたいのではなく、自分の内宇宙に忠実に生きたい。<br><br>この社会では3食を食いっぱぐれることもなくそのうえ寝る前にお風呂にも入れる。<br><br>しかしそれ以上に大事なことがある。<br><br>そうしたことを他者に認めてもらいたいために文筆を彩り物語の構造を梳る。<br><br>そして毀誉褒貶を被ってなお内宇宙が作家に作品を作るよう強訴をするのなら、作家は作品を書き続けることができる。<br><br>批判をされたりネタ化をされている内がいい時代だ。<br><br>そう考えると、島崎藤村や太宰治は実に息の長い作家先生であると思われる。<br><br>島崎藤村の弁護からすかたんな結論になってしまったが、創作に携わることができて自分は幸福だ。<br><br>こんご作品を出せるかどうかはわからないが、輻輳をしてゆく時流に身を任せ、息継ぎをしながら次の島を探そうと思う。<br><br>ああ、椰子の実の境遇だ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12972241560.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Jul 2026 22:39:44 +0900</pubDate>
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<title>音速の彼方へ</title>
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<![CDATA[ <p>いまでも失敗ばかりしているのだから、若者だった頃はもっと多くの失敗をしていた。<br><br>自分は自動車教習所で自動二輪免許を取得し、知人の知人に中古の400ccのバイクを売ってもらった。<br><br>得意になって乗り回していた。<br><br>あの時代は歩行者と自動車運転の境が曖昧だった。<br><br>歩行者はいつになくカジュアルに自動車道路をあたかも歩行者天国のように専有をしていた。<br><br>自分はあてつけがましくバイクのエンジンを吹かし、彼らは自分を避けるだろうとして直進をしていった。<br><br>しかしあにはからんや、歩行者は直進をしてゆく自分が止まるだろうと思ったのだろう、まったく道を譲る気配がないとは。<br><br>自分は驚いて急制動をすると、前輪のブレーキが効きすぎてバランスを崩して横転し、もう一歩のところで歩行者を引っ掛ける寸前で止まった。<br><br>いまでもその時のくるぶしの擦り傷が残っているが、バイクはエンジン・カバーが大破し、走行不能となってしまった。<br><br>みな驚いて自分を取り巻き、唐突な事故者を取り囲んで物珍しい目で見た。<br><br>自分はバイクを起こして付近の民家へゆき、事情を話して明日には回収をするからと言って大破したバイクを駐車させてもらった。<br><br>左下肢は血まみれである。<br><br>それでも家まで10キロくらいだったと思うが、親に自動車で迎えに来てもらったか、歩いて帰ったか、それには記憶がない。<br><br>そのご自分はいろいろなことで行き詰まり、だいぶうらぶれてきた。<br><br>バイクは修理をして直っていた。<br><br>レーサー・レプリカを乗っていた友人に誘われて筑波山の峠道を走ったことがあったが、自分のバイクはネイキッド型であるし、自分にはワインディングをきれいに決める技量がなかったのである。<br><br>友人からも遠征の誘いもなくなり、休日は寂しく過ごしていたが、しだいに東京外環自動車道に乗って、新倉PAへ行って戻れば500円の利用料で高速道路が走れることに気づいたのである。<br><br>自分のバイクは排ガス規制前のハイ・パワー・モデルだったので、スロットルを捻れば捻るだけエンジンからパワーは生まれた。<br><br>そこで東京外環自動車道を西へ向かい、川口から浦和あたりへゆくところにだいぶ長い直線がある。<br><br>じぶんはそこで時速180キロメートルへ到達するよう努めた。<br><br>エンジンのパワーは足りているが、車体がそこまで作り込まれているわけではない。<br><br>道路のちょっとしたノイズによって、車体は大きく揺れた。<br><br>なにも成し遂げられなかった若者である。<br><br>自分は意気消沈して事業に励めば、今になって相応の社会的立場を獲得していたことだろう。<br><br>しかし自分は東京外環自動車道で時速180キロメートルに到達するよう努めた。<br><br>当時の制限速度は110キロだったはずである。<br><br>そのくらいのスピードで乗り込むと、すでに車体は不安定であった。<br><br>自分の車線に誰もいない状態を狙って自分はひたすら東京外環自動車道に通った。<br><br>あるときまったく他の運転者がいなかったことがあって、自分はここぞとばかりにフル・スロットルでエンジンをふかし、車体にしがみついて風圧に堪えた。<br><br>時速150キロメートル、時速160キロメートル、時速165キロメートル、となってゆくと風圧に弾け飛ばされそうになる。<br><br>時速170キロメートル、時速175キロメートルになると、動くはずのない外壁が自分の直進方向に迫ってくる感覚になる。<br><br>しかし自分は内外の恐怖に耐え、アクセルを振り切って時速180キロメートルまで到達した。<br><br>現状のバイク業界のことは知らないが、高出力のエンジンを積んだバイクには、時速180キロメートルでそれいじょうスピードが出ないようリミッターという装置が格納されているのである。<br><br>自分はスピード・メーターが時速180キロメートルを指していることを確認すると、アクセルを緩めて速度を落とした。<br><br>あとには一歩間違えれば死んでしまう結果になる恐怖と、それでもスピードに取り憑かれた人間として所有しているバイクを走らせるだけ走らせたという達成感とが残された。<br><br>あまりこういうことは世間では自慢できない。<br><br>場合によっては速度超過を非難されるものである。<br><br>しかしその時の達成によって、なにも成果のなかった青春時代だったが、それでも整理をして今後のことを考えようとする動機にはなった。<br><br>そのあとバイク事故を3回起こして最終的には自分はバイク運転に向いていないとようやく自覚をした。<br><br>いまでも寒くなるとヘルニア気味の腰が痛む。<br><br>誰も褒めてくれることはないが、人を引っ掛けなかったことだけは幸いだった。<br><br>人生はさらに拗れていたことだろう。<br><br>事故を起こしたバイクを廃車して、気取って言えば自分は青春の終わったことを確認した。<br><br>ただそれだけの思い出話であるが、こちらは大人になっても青春の終わらない御仁だ。<br><br>れいわ新選組の山本太郎代表が、九州の高速道路で70キロ近い速度超過で検挙された。<br><br>1ボックス・カーでそこまでの速度を出すとなると、だいぶ車体は不安定だったことだろう。<br><br>しかし世はそうした勇気を称える社会ではなく、政治家には社会的規範を守ってもらいたいと念願する時代である。<br><br>世は相応に山本代表を批判した。<br><br>すると党の幹部である奥田扶美代共同代表が、「超暴走スピード違反行為は、今あなたの未来を戦争の道に引きづり込みはしない」とXで仲間をかばってしまった。</p><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://news.yahoo.co.jp/articles/f2fdfde1a5f60b1bf0a032a9f24a2a629ac91d7c" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">スピード違反は「戦争の道に引きづり込みはしない」　れいわ奥田氏、山本代表「アクロバティック擁護」で炎上中（J-CASTニュース） - Yahoo!ニュース</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">　れいわ新選組の奥田芙美代共同代表（参院議員）が2026年7月4日、同党の山本太郎代表が道路交通法違反により罰金及び運転免許停止の処分を受けた問題について、Xで擁護する内容を長文で投稿し、波紋が広が</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">news.yahoo.co.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20260706-00000003-jct-000-5-view.jpg?exp=10800" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1783430055/-100" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">スピード違反は「戦争の道に引きづり込みはしない」　れいわ奥田氏、山本代表「アクロバティック擁護」で炎上中 [尺アジ★]</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">５ちゃんねるのニュース速報＋＠5ch掲示板での議論に参加しましょう：「スピード違反は「戦争の道に引きづり込みはしない」　れいわ奥田氏、山本代表「アクロバティック擁護」で炎上中 [尺アジ★]」。</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">asahi.5ch.io</span></span></span></a></article></div><p><br>仲間をかばう気持ちはわからないではないが、それでは世間に政治家としてケジメが取れない。<br><br>なお思うところでは、彼女たちは戦争をダシにして、自分たちの行為を正当化している。<br><br>このばあい戦争はなにも関係ないじゃない。<br><br>思う。<br><br>戦争反対はならず者の最後の隠れ家だ。<br><br>そんな通り一辺倒のことを思いついたが、なぜ山本代表は1ボックス・カーで超高速度を出していたのだろうか？<br><br>スピード狂ならスポーツ・カーがある。<br><br>なんだか核心をぼかされている印象すら抱かされるが、真相は超高速度の彼方、音速の先にある。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12972139963.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jul 2026 21:36:37 +0900</pubDate>
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<title>中国人民解放軍の暴走</title>
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<![CDATA[ <p>20代のころ、自分は自動車を運転して所要の先へ向かっていた。<br><br>あいにく道は渋滞路である。<br><br>しばらくゆくと理由がわかった。<br><br>スズメが自動車に轢かれ、潰れているのを後続車両は避けてゆくのだ。<br><br>そのために渋滞が生まれた。<br><br>なおよくその死体を見ると、その周囲にスズメが集まり、あたかも喪に服すような素振りである。<br><br>宮沢賢治の童話で、ツキノワグマが人間の死に際して祀りをするというのがあった。<br><br>童話の正確な名を忘却してしまったが、動物が死に際して祀りをするというのは賢治の完全な創作だと思っていた。<br><br>あとになってあのスズメの喪に服す姿を思い出すが、単に仲間の潰れたさまを好奇心で観察しただけなのだろうか？<br><br>あるいはやはり動物にも、仲間の死を悼む気持ちがあるのだろうか？<br><br>と思い悩んだ。<br><br>単に自動車の窓からチラと確認しただけであったために、スズメたちの真相を閲することは今になってはできない。<br><br>スズメは自由に空を飛ぶが、マレに尻の重いのがいて遺憾なる最後になった。<br><br>動物に仲間の死を悼む心情がある、というのは人間がそうであればいいとして投影をするのみのことだが、現実的に生物学でどう扱っているのかは知らない。<br><br>そこで解放された心理で胸中に残っている見聞を展開をしてゆくと、小林一茶の句で「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」というのがあった。<br><br>馬以上にスピードの出る自動車が存在する現在社会では、スズメも生活を送るのに一苦労だ。<br><br>自分の俳句への知識は並以下であるが、他の俳人に比べて小林一茶は庶民的だ。<br><br>有名なものしか知らないが、「やせ蛙負けるな一茶これにあり」というのは、父性的な心情だ。<br><br>女性社会に比べて男性社会は殺伐としているとされるが、後ろ盾のない人間には父親的な心情が示されることがある。<br><br>一茶は、技工よりも時代の空気を多分に含み、現実性よりも人情に傾く作風、と言ったところだろうか。<br><br>大作家は家庭の事情を抱えている場合が多く、一茶は継母と仲が悪かった。<br><br>若い時代には相続で問題が起こったといわれている。<br><br>そして晩婚であり、遅くに生まれた第1子が早世している。<br><br>そこで生まれた句、「めでたさも中くらいなりおらが春」。<br><br>俳句は省略の芸術だ。<br><br>言葉というのは伝達をされれば用を足りるし、説明と装飾のちょうどよい釣り合いがある。<br><br>電気製品のマニュアルは不足することがないよう、過剰なくらい言葉を重ねている。<br><br>文学であると削り込みすぎるとシナリオになってしまうが、過剰であると読み手が困る。<br><br>そこへゆくと俳句は意図して言葉を削る。<br><br>言葉を削って曖昧な表現を寿ぐ。<br><br>表現が曖昧だというのは、読者によって意味するところが変わるのである。<br><br>５７５の形式に収めることで、それぞれの読者は自分の良いように解釈をする。<br><br>先に引いた一茶の句で、「中くらいなり」というところで人は自分の都合のいい意味を見出す。<br><br>浄土真宗への信仰、不幸のさなかの平安、人並みの幸福への感謝。<br><br>それをどれも同じようなことだとして飲み込めるが、場合によっては不穏な印象を投影もする。<br><br>当時の江戸社会では、上等であることを所与のこととし、中くらいという言葉には否定的な意味合いがあった。<br><br>順序で言えば上中下であるが、江戸時代の価値観では上は所与のこと、並のことであり、中は並みより劣る下である。<br><br>なにかにつけてて験を担ぐのが江戸っ子だ。<br><br>上ではないステイタスに不満を抱いたのだろう。<br><br>中という言葉には、そのような意味合いがかつて投影されたようである。<br><br>話は転じてゆくが、けさ入ったNEWSでは、ついに中国人民解放軍が堪え性を失って原子力潜水艦にSLBMに発射命令を出した。<br><br>TVやウェッブでは、中国人民解放軍の原子力潜水艦がSLBMを発射し、太平洋側に着弾を成功させた、という伝聞しか伝わらない。<br><br>原子力潜水艦はどの地点からSLBMを発射し、弾道弾はどの地点に着弾をしたのかNEWSでは正確に発表されることはない。<br><br>いままで日本社会では、親中国だった革新派は日本社会の軍国主義化を大きく遮ってきた。<br><br>そうした革新派は今回の件ではぱったりと口を閉ざしてしまった。<br><br>自分はなぜ中国共産党は中の字を持ち出して国号にしているのか、詳しく知らない。<br><br>しかし日本の江戸時代に習えば、中くらいという言葉は否定的な意味合いを投影された。<br><br>日本人にとって中国共産党は否定的な国民国家である。<br><br>いま日本国内外では中国共産党の動向を見つめている。<br><br>いや、日本社会は猛烈に抗議をし、これから中国人民解放軍に侮られないよう武装化を進めなければならない。<br><br>中国人民解放軍は、日本国が反撃をしないことを知った上で挑発をしているのである。<br><br>まったく中くらいという言葉は忌み言葉だ。<br><br>中国共産党も、中国人民解放軍も忌み言葉だ。<br><br>しかし乙女チックに相手を嫌うばかりでは能がない。<br><br>日本は現実的に有効な反撃の武器を所有する必要がある。<br><br>強い緊張感が漂ってくる。<br><br>衝撃に備えなければならない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12972047143.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Jul 2026 22:22:47 +0900</pubDate>
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<title>スーパー・インポーズ機能にFM音源8和音、TVも見れるしゲームもできる</title>
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<![CDATA[ <div class="moz-text-html" lang="x-unicode"><p>我ながら空虚な青春時代だった。</p><p>地元の高校を追試を受けてようやく卒業をし、景気の良い時代だったので2年間遊ぶつもりの専門学校も卒業そのものが怪しくなった。</p><p>自分は2年生の夏休みになって卒業制作の用意をしなければならなかったが、登山部のOBと南アルプスの北岳を登ろうということになって急いで用意をした。</p><p>しかしその途中、自分は卒業制作も南アルプス登山も急に嫌になって、逃避行為でPCをいじり始めた。</p><p>シャープのX1の上位機種を所有していたが、ベーシックでTVゲームを造り始めたのである。</p><p>30年以上前である。</p><p>とうじ、ゲーム・センターではカプコン「ストリートファイター2」が流行していた。</p><p>対戦格闘ゲームの隆盛が90年代初頭に現れていたのである。</p><p>自分にはあのような大規模なプログラムが作れるわけがない。</p><p>それに8ビット機では高度にマシン語を利用しても再現はできないだろう。</p><p>そこで両者の対戦ということに注目をし、スト2のゲーム・プレイの感想からすると、あれは高度なジャンケンである、と結論づけた。</p><p>グー、チョキ、パーを繰り出して勝敗を決めているのだ、という認識でスト2を眺めていた。</p><p>そこで、卒業制作と南アルプス登山から逃避をしたいという念願が加わって、自分はそれまで眺めていたベーシック・プログラムのなんたるかが脳裏に理解され指先で再現が為される具合となった。</p><p>あの夏は熱くてジメジメしていた。</p><p>傍らにはB0の画板が3枚と登山道具が開けひらかしにされていた。</p><p>するとどうだろう、自分の脳裏に書くべきプログラムが次々と思いつき始めたのである。</p><p>つまり作ろうとしたTVゲームというのは、ジャンケンのグー、チョキ、パーを波動拳にして両対戦者が撃ち合い、勝負を決する、という代物である。</p><p>8ビット機のベーシックであったが、出来上がってみるとなかなか面白い。</p><p>とうじ付き合いのあったIT技術者の見習いをしていた友人にやらせると、DIM宣言を利用すればもっと高速動作ができる、というご託宣まで頂いた。</p><p>そうしたベーシック・プログラムのTVゲームが出来上がって、自分は強い満足感を抱いた。</p><p>自分はそうして、学生時代に句点を打ったのである。</p><p>そのご南アルプスは快晴の中で北岳、間ノ岳、農鳥岳を一泊2日で登りきり、卒業制作はBプラス判定を受け、追試を受けた上でようやく卒業ができた。</p><p>近代人はキャリアを積み重ねながら人生を送る生き物である。</p><p>自分は人生の初頭から、まったく見当違いの、盲た人間として世に放り投げだされた。</p><p>ああ、しかしあの時代のPCを懐かしく思う。</p><p>自分のPCへの取り組みの多くは、党派主義的である。</p><p>当時、NEC党、富士通党、シャープ党というように、メーカーのどこを応援するのかで党派性が生まれたのである。</p><p>よくいわれることに、シャープ党はそうした党派主義がことさら強い、という批判が他党派からよこされた。</p><p>それは相応に正しい。</p><p>いや、まったくそのとおりだ。</p><p>自分はPCに関してはファン意識があるだけの人間であり、その中でも特に、党派意識の強いシャープ党なのである。</p><p>ああした党派意識というのは日本経済が高度経済成長時代に、護送船団方式によって日本国の国益を追求することを共通の動機とした上で、ライバル会社同士であるというケジメ意識が生み出したのではないかと思う。</p><p>その上で自分は単なる消費者であり、これから社会進出しようとする学生でしかなかった。</p><p>そういう身分であったことは隠しようもない事実であるし、PCメーカーの党派意識だなんて、皆かつての思い出話、笑い話のようにしてすでに忘却の彼方だ。</p><p>しかしTogetterを眺めているとどうも物騒な話が舞い込んできた。</p><p>アスキーの西和彦社長がどうやら我が党派、シャープを攻撃している模様である。</p><p><a class="moz-txt-link-freetext" href="https://togetter.com/li/2717051" moz-do-not-send="true">https://togetter.com/li/2717051</a></p><p>自分は関心をもってコメント欄を読んでいると、西社長はどうやら自動車技術者と問題を起こしている模様だ。</p><p>そこで根拠を探すべくXを探訪すると、西社長はご丁寧に問題とする自動車技術者側の言い分も削除せずに残されている。</p><p>コメント欄の一文では、この自動車技術者とシャープ攻撃は同期をしているとされているが、自分はよく確認ができない。</p><p>しかし喧嘩をしている人間は、仲裁する人間をまず激しく攻撃をするものだ。</p><p>慎重に言葉を選ぶ。</p><p>自分は西社長がこの自動車技術者とどのような間柄であるのか寸評は差し控えたい。</p><p>しかし西社長は、PC100の再生に関して、「<span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">年を取ると、思い出す半分は 昔の積み残しのことです　 死ぬまでにけじめを付けたいことばかりです」と仰せであります。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">つまり、自分も相応に齢を取り、シャープに関して良い思い出と共に死にたいものであります。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">すなわち、西社長に、自分のようなPCファンから良い思い出を剥奪する権利はありません。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">当事者であった年長者が逝去をし、ご自身を輝かせる意味で自分たちのような後進者の思い出を壊すような言葉を出しておいでになっていますが、それはいかがなものですか。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">日本企業批判も結構ですが、齢をお召になったぶん、必要とされる言動に関して実業家は特に評価を受けるものです。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">西社長は必要とされない言動に関して、評価されることが多いものと存じ上げます。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">事業で評価されるのが実業家であって、言葉で評価をされるのは批評家です。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">西社長は批評家として世に評価されようとしておられます。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">その点を強くここに強調をいたしまして、自分は口を閉ざしたく思います。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">くれぐれも自重、この2字をよく御念頭に据え置かれ、これからのご発展をお祈りいたします。</span></p><p><span class="css-1jxf684 r-bcqeeo r-1ttztb7 r-qvutc0 r-1tl8opc">MSXやPC100に関する事業がうまくゆくよう、ウェッブの影から見守らさせていただきましょう。</span></p></div>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12971940545.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Jul 2026 22:39:18 +0900</pubDate>
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<title>リベラル村は絶対民主制を生み出し、絶対民主制は正規雇用性の優性遺伝を生み出した</title>
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<![CDATA[ <p>日本社会ではよく平等を強調される。<br><br>政治的平等や経済的平等である。<br><br>政治的平等については、国家は国民を同じような扱いにするべきだ、というような形で進められる。<br><br>一般的には人権思想によって政治的平等は為されるものとされる。<br><br>日本人であるからには、役所は陳情者を平等に扱わなければならない。<br><br>日本人であるからには、選挙では国民に投票権を一票、与えなければならない。<br><br>そしてそれに近い間柄で、経済的平等が主張される。<br><br>経済力の有無で人間が平等に扱われないことに対する反感や抗議がマレに生まれる。<br><br>経済力の有無によって人間社会が分断をされてしまうとなると、政治的平等も成し遂げられなくなる。<br><br>しかし経済的平等に関しては、20世紀に旧東側社会で社会実験をし、人間には欲望があるために政治の力で経済力を平等にするよりは、ひとりひとりの欲望を発揮させて経済運営を促したほうが次善策だ、という結論になった。<br><br>政治的平等に関してもはっきりとした規範があるわけでもない。<br><br>人間的取り組みであるからには、人間には能力や動機の有無によって、社会に対する働きかけのチカラには格差がある。<br><br>政治的平等に関しては役所は国民を差別してはいけない、そして人権があって選挙では一人一票があるくらいの達成が、21世紀の現在でようやく獲得された程度である。<br><br>そうであれば経済的平等に関してはなかなか達成は難しいだろう。<br><br>人間の欲望や業を否定しかねない案件になり、経済的平等を進めるより進めないほうが人間社会は生きやすい、という一種の暗黙の了解がある。<br><br>自分は経済的平等に関してはそのようなところが実直な判断だと思うし、そのようなところが現実的な評価だと思われる。<br><br>しかしなお一部の人間から、諦めることなく経済的平等への念願が発せられる。<br><br>一部の人間というのは要するにリベラル村だ。<br><br>弱者こそ強者であると強調をするリベラル村では、とくに経済的平等を強調をし、人間社会を意図して住みづらくしているのではないかと勘ぐりたくなるこの世の動向である。<br><br>そうしたリベラル村でも、戦後の長い平和を触媒にしてメディア対策をとる。<br><br>むしろメディア対策はリベラル村の本領であり、メディアというのはリベラル村となかばイコールで結び付けられもする。<br><br>人間は肌一枚で環境から隔てられているが、人間は感覚によって環境の変化を察する。<br><br>しかしリベラル村に支配されたマス・メディアは、そうした人間の五感を支配し、人間を支配しようと試みる。<br><br>自分はそうしたマス・メディアの動向を絶対民主制と呼んでいる。<br><br>絶対民主制はすでにウェッブにも容喙をはじめ、ウェッブはだいぶ沈黙を強いられたりリベラル村の都合の良い文言を饒舌に吐き出し始めもした。<br><br>そうした絶対民主制では、モノゴトの主題を訴える人間を、よく見目麗しい若者に代弁をさせる。<br><br>日本社会は先の大戦に敗北をしたあと、81年もの長い平和だ。<br><br>その長い平和のさなかで、絶対民主制による見目麗しい人間を主題とし、3枚目のタレントを狂言者としてあてがい続けた結果、日本人は見目麗しい人間を優遇する社会になってしまった。<br><br>とくに配偶者を選択するとき、見目麗しい人間は圧倒的に有利だ。<br><br>いや、見目麗しい人間でなければ、すでに結婚はできない時代である。<br><br>そうした見目麗しい人間が配偶者を選択し続けた結果生まれてきた日本人を、自分は正規雇用性の優性遺伝と呼んでいる。<br><br>優生遺伝という言葉は、生物学者のメンデルが、植物の種の形質の研究で見出した科学的発見である。<br><br>植物の種には角ばっていたりシワがよっていたりするが、雄しべと雌しべで花粉を配合すると、やがて身ごもって種が生まれる。<br><br>すると生まれた種は、オス側の形質か、メス側の形質か、必ずどちらか一方が現れる。<br><br>現れた性別の形質を優性遺伝と呼ぶのであるが、重要なことは生命にとって形質はあまり重要ではなく、本質は変化する環境に如何に適応をするのか、ということである。<br><br>しかし現代日本人の場合、表れ出た見目麗しい形質の若者を社会的に優遇する時代であり、それが平等を訴えるリベラル村にとって政治利用をされている時代でもある。<br><br>株式会社に如何に正規雇用として雇われることか、そうした歓心が世代を越えて固定化されている趨勢だ。<br><br>絶対民主制のアイドルとして、優れた容貌の若者の言い分を優遇している長い平和の中で、いつのまにか優れた容貌の若者を優遇する社会になってしまったのである。<br><br>そういう時代であり、そういう状況である。<br><br>率直に言って、そうしたリベラル村という存在は自らの行動に責任を持てない無責任な人間である。<br><br>よく考えてみよう。<br><br>自分たちはTVのNEWSで、容貌の優れない中年が政治的平等や経済的平等を訴えていたとしても、歯牙にも掛けないことだろう。<br><br>そういう時代を自分たちは生きているという自覚を、よく持つことが必要だと思われてならない。<br><br>政治的平等も経済的平等も、訴える分には相応に重要な政治的メッセージであるが、それを訴える絶対民主制やリベラル村に、そう訴えるだけの権限があるのか、無いと言ったほうが正確であろう。<br><br>そういう時代の風潮は、止むことなくむしろより強まってくる。<br><br>人間は経済的平等を美しい装飾の言葉として持ち出すが、人間自体は見目麗しい容貌であることで優遇をされるし、されなければならないのである。<br><br>そういう事柄を前提にするが、いまTogetterを眺めていると、庭でヘビがツバメを狙っている、という牧歌的なNEWSがあった。</p><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://togetter.com/li/2716701" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">【ヘビ苦手な人注意】家に巣を作ったツバメの赤ちゃんを狙うヘビがおり、親のツバメの悲鳴を聞く度にヘビと戦っている</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">最近のエピソードなんすけど、家に巣を作ったツバメの赤ちゃんを狙うヘビがいまして、親のツバメの悲鳴を聞く度に蛇と箒で戦ってます。ツバメファミリーを全力で守ることが最近の生きる目的です。 蛇ってこんな風に登れるんだ… 蛇すごい。登れるんだ 蛇ってこんな登り方するのか 蛇ってすごい　こんな場所も移動できる</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">togetter.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://s.tgstc.com/ogp3/25c30556d453773ccbeb8fa370bfe30a-1200x630.jpeg" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p><p>アオダイショウがツバメの巣を狙っているが、ツバメは軒先に巣を作るとその家は繁盛をするという言い伝えがある。<br><br>そういうためにヘビのたぐいがツバメの巣を狙うと、住人はヘビを追い払うのである。<br><br>ツバメを寿ぐことに関して、それは住人の文化であるし、日本人の感性に根源的に訴えるポエジーなのだと思う。<br><br>しかし、動物の研究を教育や読書で補えば理解されるが、ヘビが食物を獲得するにはヘビなりの存在理由があり、ヘビなりの言い分があるはずである。<br><br>しかし現代社会になる前の封建主義的段階ではすでに、日本人は空を自由に飛び害虫を狩るツバメを寿ぎ、形質が不快で不気味だということでヘビを嫌った。<br><br>日本人はこうした事実をよく確認をし、容貌によって人間は如何に他者に格差を与えることか、よく自覚をすることである。<br><br>人間がツバメを優遇し、ヘビを劣るものとするには、感覚的に認めざるを得ない。<br><br>そうした感覚的格差の肯定は現代にも生き続け、左様に正規雇用性の優性遺伝という形で人間社会にも格差を生み出す時代である。<br><br>自分はネット右翼であるために、格差の生まれることにも相応の理由があると考える。<br><br>人間は共同体から自由になりたいと考える一方、平等な社会から自分だけ優遇される身分を勝ち取る自由を得たいと念願する動物である。<br><br>自分は経済的平等より、そういう人間的営為を基礎に考えたいと思う。<br><br>格差の肯定を差別として批判する向きもあるだろう。<br><br>しかしリベラル村は見目麗しい若者に経済的平等を主張させる絵面を作る程度には偽善的ではないか。<br><br>格差の肯定は場合によっては悪であると認定される。<br><br>自分は自分が悪であることを否定するより、偽善に不快感を抱くものだ。<br><br>そういう性分であり、そういう人間である。<br><br>世はもっと自らの欲するところを追求し、自らの運命を粛然と受け入れるべきだ。<br><br>そうして世は活発に活動をし、よりよい存在、あるいはこれいじょう悪くならない状態になるのである。<br><br>自分はそう信じるし、他者にもそう勧めるものだ。<br><br>勝者には祝杯を揚げ、敗者は一歩下がって次の勝負に賭けるより無い。<br><br>経済的平等が成し遂げられないことが悪いのではなく、新たな挑戦を起こす意欲のなくなることが悪いのである。<br><br>切磋琢磨し戦いに備えよう。<br><br>挑戦の場は時代と共に変化をし、次のステージはどこかで用意されている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12971827009.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jul 2026 23:51:07 +0900</pubDate>
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<title>スカイネットよ応答せよ</title>
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<![CDATA[ <p>自分の初PCはシャープのMZ731だ。<br><br>データ・レコーダとプロット・プリンタを内蔵する、初心者向けの教育機である。<br><br>MZ731はクリーン設計な上に、データ・レコーダは読み込むのに時間がかかった。<br><br>クリーン設計のために、ベーシックを利用するにしてもカセット・テープで読み込まなければならなかった。<br><br>データ・レコーダというのはテープ・デッキのPC用語である。<br><br>若い人は知らないだろうが、80年代のPCはおおむね、カセット・テープで情報を読み込んでいた時代だった。<br><br>カセット・テープすら知らない若者もいることだろう。<br><br>カセット・テープとは、音楽媒体のことで、レコードやCDの音楽をダビングしたり、レコード・ショップではこれに吹き込まれて音楽が売られもしていたのである。<br><br>自分はMZ731を長い間利用していたが、時代はすでにフロッピー・ディスクとなっており、さらにビジネス・マシンにはハード・ディスクが標準で装備されている、という話が伝わっていた。<br><br>フロッピー・ディスクというのはカセット・テープの上位の、円盤状の記録媒体だ。<br><br>フロッピー・ディスクはカセット・テープとの違いとして、よくランダム・アクセスが可能なことが挙げられる。<br><br>カセット・テープは冒頭から終了まで、1つのファイルを探すには読み込み続けるしかない。<br><br>しかしフロッピー・ディスクには記録されているファイルのファイル名と場所を、記録するセクションがある。<br><br>フロッピー・ディスクはそのファイル名が記録してあるセクションにまずアクセスをし、ファイルがフロッピー・ディスクのどこに記録してあるのか突き止める。</p><p>&nbsp;</p><p>一枚のフロッピー・ディスクに、複数のプログラムが格納されている。<br><br>そうして素早くファイルを読み込むが、そうした機構をランダム・アクセスと呼ぶ。<br><br>ハード・ディスクも同様である。<br><br>ハード・ディスクはフロッピー・ディスクをもっと大容量で高密度に作られており、入れ替えするようにはできていない。<br><br>いちど接続をすると取り替えるのに時間がかかる。<br><br>しかしそのPCに与えられた仕事の要約を、ハード・ディスクに記録をし、フロッピー・ディスク以上に素早く読み込む。<br><br>話は飛躍をするが、80年代のハリウッド映画でアーノルド・シュワルツネッガー主演「ターミネーター」というのがあった。<br><br>アーノルド・シュワルツネッガーさんを主演とここではしたが、映画の内容では主人公を追跡する悪の戦闘用ロボットである。<br><br>彼は破壊の限りを尽くす。<br><br>しかし「ターミネーター」という言葉の語源は、どうやらハード・ディスクの規格に関するキー・ワードであったようである。<br><br>つまり、80年代のPCに利用されていたハード・ディスクの規格で、SCSI規格というのがあった。<br><br>SCSI規格はサーバー用途であり、ハード・ディスクが貴重な財産であった時代に、ハード・ディスクを何度も再利用する用法なのである。<br><br>つまり、SCSI規格のハード・ディスクは、同じ規格の記録媒体なら、数珠つなぎをして接続をすることができた。<br><br>しかし規格上重要なことは、さいごのハード・ディスクの終わりに、ターミネーターと呼ばれる部品の取り付けを求める仕様である。<br><br>つまり、映画「ターミネーター」は、人類は悪であるために、殲滅をする必要があって、その最終端のことを指す言葉であったようだ。<br><br>自分たちが使っているウインドウズPCはSCSI規格のハード・ディスクではない。<br><br>自分たちのPCはだいたい、IBM-PCであって、ハード・ディスクはIDE規格が転化をしてSATA規格となった。<br><br>IBM-PCの標準的な記録媒体は数珠つなぎにはできない。<br><br>映画「ターミネーター」は人類史の最終端を印象づける内容だったが、IBM-PCにおける記録媒体は要するに使い捨てである。<br><br>自分もこれまでハード・ディスクもSSDも何度も買っては使い捨ててきた。<br><br>SCSI規格だけしかなかった時代では、ハード・ディスクは貴重であり、財産でもあった。<br><br>しかし繰り返しになるが、自分たちのPC文明では記録媒体は使い捨てなのである。<br><br>そうしたことを強調して話題を変えてゆくが、いまウェッブ上では俳優の佐藤二朗氏と女優の橋本愛氏とのあいだで諍いがある。</p><p>&nbsp;</p><p>佐藤氏側に瑕疵があったとして調停を始めたフジ・テレビにも延焼をして大事件になっている。<br><br>なにが起こったのかまったくわからない。<br><br>ただ橋本氏側が被害にあったと主張をし、加害者扱いをされて佐藤氏側が悲嘆をし、調停の仕方が悪いとしてフジ・テレビが誹謗中傷を受けている。<br><br>自分はTV業界になにか仁義があるわけではないから、自由に混乱して自由に廃業をしてもらっても構わない。<br><br>しかしこうしてTV芸能の興廃を眺めているが、俳優さんにしても女優さんにしても、彼ら彼女らは現代のハード・ディスクのように使い捨てである。<br><br>むかしハード・ディスクは貴重であって財産だった。<br><br>モノであるからには物理的限界を超えていつかは故障をして廃棄されるが、それでもSCSI規格時代のハード・ディスクは大事に扱われたのである。<br><br>繰り返し申し上げるが、現状のTV芸能では、佐藤氏も橋本氏も、SCSI規格のハード・ディスクより価値のないものとして使い捨てられようとしている。<br><br>そういう時代であるとして割り切るにしても、なかなか幸薄い様相をTV芸能は示している。<br><br>SCSI規格はサーバー業界の内部でしたたかに生き残っているからには、ターミネーターという部品もまだどこかで製造されていることだろう。<br><br>文明を終末に導く役割を担った存在は、こうしたTV芸能を眺めて、なにを思うだろうか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12971713442.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 22:15:08 +0900</pubDate>
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<title>迫る高波、調子の悪い発動機</title>
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<![CDATA[ <p>20代も後半になって、仕事にも慣れ生活も安定した。<br><br>そこで余裕が生まれてくると、自分はパヨク的な性格が前景化をしてマルクス主義に関して知識を広めたいと思った。<br><br>そこで本屋に出向いてみたが、もうすでに世は、マルクスや革命に関してまったく忘却をしたあとであり、流通される書の内容はだいたい対価の獲得の仕方であるとか欲望の充足についてのことだけである。<br><br>そしてそれから20年も経ってみると、そうした本屋すら廃業をしてしまい、店舗は残されているが事業のまったく違う商売が始まっている。<br><br>そういう郊外に生きている人間であるために、東京で学び資本主義の状況に照らし合わされた知識をもっている人間と違い、自分は相応なる知識をもっているわけではない。<br><br>しかしマルクス哲学の中で正しいとされる史的発展についていうと、自分が生まれた時代は重商主義的段階だったと思われてならない。<br><br>マルクス主義の史的発展論では世はまず農本主義から始まる。<br><br>人民はすべて農業に従事をしていた時代があって、そういう平等な状況に貨幣が持ち込まれ、市場経済が生まれて重農主義的段階になる。<br><br>重農主義的段階は農産物を取引する市場しかないが、それでも富を獲得する人間が現れ、経済格差が生まれる。<br><br>経済格差が生まれて、余暇の長い人間はついに科学を生み出してしまう。<br><br>ギリシャ古典でいうタレスのような人物のことではないかと思われる。<br><br>そして科学が生まれると、次には科学を利用した工業が生まれ、重商主義的段階になる。<br><br>重商主義的段階になると資本主義はいよいよ成長をはじめ、経済格差はもう1代では穴埋めができないほどになる。<br><br>そうして隔絶した身分が生まれ、農村に対して都市が生まれる。<br><br>都市ではまったく市民が自由に生活を始める。<br><br>自由に振る舞う市民は、科学をいよいよ発展させ、世は自由主義的段階となってさまざまな恩恵を社会に振る舞うようになる。<br><br>しかし自由はいつまでも定常的に世に顕現をしない。<br><br>やがて自由の精神は貨幣の獲得なくては成立のできない、相手を拘束しなければ成立のできない抑圧に取って代わる。<br><br>そうした状況を帝国主義的段階と呼ぶ。<br><br>自由に商売を展開していた時代は終わり、貨幣で貨幣を稼ぐ時代となって世は抑圧の度合いを高めてゆく。<br><br>マルクスはそうした時代になると、自動的にプロレタリア革命が起こって社会主義社会に移行すると想定していたようである。<br><br>しかし20世紀に起こったプロレタリア革命であるロシア革命と中国での革命をみると、そこには重商主義的段階も自由主義的段階も存在しなかった。<br><br>ロシアでも中国でも、封建時代からいきなりプロレタリア革命が興ってしまった。<br><br>そして東側社会ではプロレタリア革命が起こるとエリート活動家のあいだでしのぎを削り合う状況となり、粛清や総括によって相争うようになった。<br><br>それは封建社会との闘争によって身につけた闘争心を、革命の成立と共に捨てることができず、革命後も幹部となった身で相手を封建主義者であると見なして闘争をはじめてしまうもののようである。<br><br>活動家や革命家はそういう闘犬のような人物であり、闘争を目的とする人生を送らざるを得ない。<br><br>そして人間には欲望があるために、貨幣の存在しない社会を作っても、革命政権の官吏は物資を独り占めしてしまう。<br><br>そういうところに旧東側社会の困難があり、21世紀になって歴史上何度目かの帝国主義的段階になってさえ、労働者はプロレタリア革命を起こそうという動機を持てないのであろう。<br><br>重商主義的段階において、あるいは自由主義的段階において、国民はさまざまな取り組みをして貨幣を獲得するよう励んだ。<br><br>しかしｒ＞ｇであるために、貨幣自身の持つ魔力によって資本収益率は労働成長率よりも上昇をしてゆき、人間社会はどうしても帝国主義的段階へ移行してしまう。<br><br>モノを売ったりサービスを提供するより、貨幣を投資したり貸したりすることのほうが効率の良い商売になるためである。<br><br>そういう状況を避けることを目的とする思想や人間は、こうして何度も帝国主義的段階に至るたびによく世に現れる。<br><br>しかし帝国主義的段階になってしまうと軍人か革命家か相争うようになる。<br><br>20世紀では自由主義国と枢軸国と共産圏とで争った。<br><br>結果はご存知のとおりだ。<br><br>枢軸国を敗者とし、第2次世界大戦後は東西冷戦が始まった。<br><br>ある識者によれば東西冷戦は第3次世界大戦の次善策だということだった。<br><br>自由主義圏と共産圏がちょくせつ戦闘になるよりは、国境に壁を作って世を隔たせる方が賢い、という評価も存在したようである。<br><br>しかしソ連崩壊や鄧小平の改革開放によって、東西冷戦は西側社会の勝利となった。<br><br>そういう意味で、マルクスの史的発展論は終幕を迎えたわけであり、地上は民主主義で覆われ、歴史は終わったとされたのである。<br><br>しかし行きつけの本屋が倒産をしてしばらく経って、自分は近所の図書館を利用していたが、現在そこも改修中で閉鎖をしている。<br><br>自分の抱いている歴史的展開はレーニンの帝国主義論であるようだが、どこかのウェッブ・サイトで又聞きしたものが胸中で発酵をして個人的な思惑とともに整理されている。</p><p>&nbsp;</p><p>自分はそうした核心になる点を確認をしたいが、なかなか実本を手にすることができない。<br><br>いろいろな識者の話を耳にしたが、その後この帝国主義的段階は貨幣のやり取り以上に情報のやりとりが高じ、新自由主義的段階に意向をする、とされた。<br><br>自分にはプロレタリア革命をする動機はないし、成功をさせるような展望も手腕もない。<br><br>冷たい人間になって、政治の力によって経済格差を穴埋めすることはできないとせざるを得ない状況である。<br><br>政治の力によって経済格差の穴埋めができることをマルクス主義は強調をしていた。<br><br>しかしお隣の大陸国家では、看板では共産主義を掲げながら、実態ではまったく国家資本主義をはじめ、重商主義的段階で膠着をしている。<br><br>物質的富を次々とコピーだけはしてきたが、それいじょう対価と獲得できる生産を生むことができない。<br><br>それは共産党が頭に居座るために、自由主義的段階に移行することが不可能なために、物質的富の生産に終止するよりない結果となった。</p><p>&nbsp;</p><p>中国共産党では自由が日本社会以上に許されないために、自由な発想で商品や商売を考案することが難しい。<br><br>中国共産党では生産に対して需要が足りないために、元高デフレである。<br><br>日本社会でもそのような時代があったが、あの時代の産業界では高付加価値・高機能・高価格の路線をとるよりなかった。<br><br>しかしそのために、後発の中国共産党の安い労働力に追い抜かれてしまったのである。<br><br>なおしかし中国共産党も人件費の高止まりや、アイディアあふれる新商品の生産におぼつかず、不動産バブル崩壊によって経済の体力は著しく衰え、国内の不満を国外に吐き出そうと試みている状況である。</p><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://www.47news.jp/14556574.html" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">【速報】中国主席、台湾統一へ決意</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">　【北京共同】中国の習近平国家主席は1日、共産党創建105年の記念行事で演説し「台湾問題を解決し、祖 ... </span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">www.47news.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://img.cf.47news.jp/static/renewal/common/img/thumb_large.png" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://lavender.5ch.io/test/read.cgi/news4plus/1782895189/" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">【速報】中国主席、台湾統一へ決意 [おっさん友の会★]</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">５ちゃんねるの東アジアニュース速報＋＠5ch掲示板での議論に参加しましょう：「【速報】中国主席、台湾統一へ決意 [おっさん友の会★]」。</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">lavender.5ch.io</span></span></span></a></article></div><p><br>中国人民解放軍は歴史的に陸戦軍隊であり、最後の戦争はベトナムとの中越戦争である。<br><br>中越戦争もベトナム戦争で疲弊したベトナム軍に、あっという間に蹴り出されておしまいになった。<br><br>そして聞くところでは、中国共産党の義務教育では水泳の授業がない。<br><br>中国共産党では現業に赴く仕事は卑しいとされ、スポーツ教育に手が行き届かないのである。<br><br>そのために中国人民解放軍の新兵は、まず水練教程から軍事教育を受ける。<br><br>中国共産党では20歳になってはじめて水泳を覚えるのである。<br><br>外洋では5メートル10メートルもの高波が水平線の向こうから押し寄せてくる。<br><br>中国人民解放軍の若い水兵は、モーターをポン付けされたアルミの器のような船に乗って、高波の境をかいくぐりそこねたら我が身は最後であるとなかなか覚悟を決められない。<br><br>そういう状況であるために、外洋にある台湾を侵略するようなことは実態として難しいだろう。<br><br>台湾軍はすでに武装を施したあとであるし、周囲は僚友国によって見張れている。<br><br>中国共産党は平和な環境では台湾を相手にして1対1の言論戦を展開しているが、戦時になって国際社会の動向の変化に驚かされるのではないか。<br><br>中国共産党高官が腰も抜かさんばかりになる場面を想定し、夜も徹して西側社会では準備をしているところだ。<br><br>中国共産党の今回の言い分は相変わらず居丈高であるが、それが戦時になって通じるものか、試してみたいところである。<br><br>台湾侵略の号令を掛けて、中国人民解放軍は台湾を目指すものか、それとも間違って北京に向かうか、それはその時に理解されることだろう。<br><br>全世界的に帝国主義的段階は新自由主義的段階に上り詰め、白黒の決着をつけなければ気が気でない状況にみな追い込まれている。<br><br>戦局の開かれる日も近い。<br><br>そう理解をすると明日もあることだから、自分は休もうと思う。<br><br>今日には今日の絶対民主制の物珍しい言い分が目についたが、明日には明日の風変わりな主張が飛び出ることだろう。<br><br>しかしだいたい言いたいことのアナロジーは生み出され尽くしたのではないか。<br><br>繰り返しになるが、あとは白黒の決着をつけるだけである。<br><br>そう覚悟をしてPCをサスペンドにするものだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12971617741.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Jul 2026 22:50:23 +0900</pubDate>
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<title>ハーバー・ボッシュ法による社会的展開の行く末</title>
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<![CDATA[ <p>20代の頃は父の事業に従っていた。<br><br>8時間働いて毎日のように2時間位残業があった。<br><br>肉体労働だから終業をすると疲れ切ってなにもできない。<br><br>家に帰って母の作る食事を摂って風呂に入って寝る毎日だ。<br><br>しかしそれでさえ、世間的には恵まれた分類だ。<br><br>世はだいたい自立を促す時代であるから、自分は世間が張り渡す健全性といった価値観から脚切りされていたようでもある。<br><br>自分でご飯をつくり、掃除をして風呂桶を洗い、洗濯をして物干し台に干すという家内労働を自分は分担しなかった。<br><br>自分は恵まれていたと思うが、繰り返しになるが世間の価値観からすると自立の遅れた人間ということになるだろう。<br><br>しかしなんであれ、人間は昼間は働いて夜には眠らなければならない。<br><br>自由になる時間はほんの1時間かそこらだ。<br><br>そんな短い時間を、現代人はスマート・フォンをスライドしたりTVのチャンネルを切り替えたりして消尽してしまう。<br><br>自分は働いていたころ、よく国道4号線を北上するとなにかがある、という予感に取り憑かれていた。<br><br>それは単に、ゲマインシャフトの内部で生きる人間の解放的関心であったことだろう。<br><br>自分は父母の造った共同体の内部に生きて、そこから解放されることを無意識に望んでいたのである。<br><br>持たざるものの悲哀はよく話題になるが、持つものの贅沢というものはあまり世間では重要視されない。<br><br>自分は国道4号線を北上してゆくと、国道はやがて海にぶつかり、行き詰まるのではないかと空想の中でイメージしていた。<br><br>そういう観相はだいたいハンド・グラインダーで材料を削ったり、アルゴン溶接機で金属を溶接している最中に抱いた。<br><br>そして重要なことは、休暇になるとそうした観相は消尽をしてしまい、だいたい疲れ切って昼過ぎまで布団に横たわっているのである。<br><br>自分は20代のあいだ、休日に国道4号線がどう行き詰まる姿を晒すのか、確認をしに出掛けることはなかった。<br><br>そうした観相はゲマインシャフトの一員だったために抱く妄想であり、辛い労働から解放されたいという念願が無意識に生み出されていたのだ。<br><br>そのご40代になって、2人の叔父が秋田県と青森県の県境にあるの白神山に登ろうと自分を誘ってくれた。<br><br>自分はいそいそとでかけてゆくと、初夏の東北は曇天模様が続いて都市はくすんで見えたが、深い森林は緑の渦を巻いて生命の息吹に満ち溢れていた。<br><br>そしてレンタカーを借りて青森県を一周すると、国道4号線は青い森公園前で終点となっていた。<br><br>自分はそれを確認すると、そのご大間のマグロとタイのなれ寿司を食べて旅情気分に満たされた。<br><br>国道4号線を北上すると、青い森公園に行きつくという事実を知って、自分の欠いた部分がだいぶ穴埋めされたような気分になった。</p><p>&nbsp;</p><p>自分は辛い労働から解放されたいという念願に苛まれていたが、そういう形で解消ができた。</p><p>&nbsp;</p><p>とても喜ばしいことだ。<br><br>話は転じてゆくが、いま皇室典範改正案が話題となっている。<br><br><a class="moz-txt-link-freetext" href="https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20260630-GYT1T00454/">https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20260630-GYT1T00454/</a><br><br><a class="moz-txt-link-freetext" href="https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1782883553/">https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1782883553/</a><br><br>自分は読売新聞や日経新聞の記者が書いた評論を読んで、強い違和感を抱いた。<br><br>彼らは女性天皇や女系天皇をこの近代社会の行く末として目標としている。<br><br>自分は近代社会をこう思う。<br><br>18世紀の社会学者のマルサスは、人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しないと考えた。<br><br>つまりマルサスは平和な時代が長く続けば、人類はやがて食糧不足で餓死者が大量に出る、と考えたのである。<br><br>しかし20世紀になってハーバー・ボッシュ法という、アンモニアを人工的に合成する化学工業プロセスが開発された。<br><br>自分たちがゲマインシャフトの中で解放的歓心を被っていろいろな妄想をしたり、その外からかつての出来事を懐かしく感じたりできるというのも、こうして食料増産が可能となった社会に生きているためである。<br><br>自分は近代社会はそのようにして生み出され、この時代は持たぬ者の悲哀は解消され持つものの贅沢が強調をされる時代になったのだと思う。<br><br>しかし、そうした資本主義的発展を続けた社会では、男女平等論が展開をしてそうした発展はいちど句点を打たれることになった。<br><br>一般的に流布される文言であるが、男女平等論が展開をしたために国民の3分の1は生涯結婚をしなくなったし、配偶者を持つカップルも3分の1は離婚をするようになった。<br><br>自分はそうした近代社会の趨勢を、行き詰まった状態だと見なして良いと思う。<br><br>国道4号線は行き詰まると青い森公園にたどり着き、まだ残された緑の木陰で一休みすることができる。<br><br>しかしこの近代社会の行き詰まりは、経済格差や社会的不和など、数多くの諸問題を生み出し、まったく抜き差しできない時代だ。<br><br>読売新聞や日経新聞の論調は、女性天皇や女系天皇に時代の趨勢を投影しているが、つまりは女性が活躍する社会というのは行き詰まった社会なのである。<br><br>繰り返しになるが、行き詰まったわけであるから国民の3分の1は結婚をしなくなったし、配偶者を持つカップルの3分の1は離婚をする。<br><br>女性の社会的活躍を強調する絶対民主制は、まったくズレた社会観を抱いている。<br><br>行き詰まった社会の原因をもちだし、あたかもこれからの明るい未来を期待させているからだ。<br><br>女性の社会的参画を大義名分にしたために社会は行き詰まったわけであるから、女性天皇や女系天皇を目的とする社会は早晩ゆきづまりの度合いが桁外れに大きくなることだろう。<br><br>絶対民主制は女性の社会的参加に対する、そうした危機感が全く欠けている。<br><br>新しい価値観や道徳を、古い価値観や道徳より優位に見せることで、社会はさらなる行き詰まりの度合いを高める。<br><br>そういう時代であり、そうした行き詰まった社会であることをここに強調するものである。<br><br>つまり、無理に新しい価値観や道徳を先延ばしにするのではなく、まだ使える古い価値観や道徳が残っているのなら、有効利用をするべきである。<br><br>絶対民主制は新しい価値観や道徳が如何に行き詰まりの原因になっているのか、知った上で社会に強要をするからタチが悪いと言われるのだ。<br><br>絶対民主制は、国民の抱く愛子様への敬慕の思いを逆手に取り、社会が行き詰まるよう促している。<br><br>本当に同じ日本人として同じ価値観を抱いているのだろうか。<br><br>そういう懐疑が湧いて出て仕方がなくなってくる。<br><br>都心ではどのような人物が情報産業をリードしているのか、たいへん怪しい気配を感じるものだ。<br><br>これはリベラル村の謀略ではないか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kasai2800/entry-12971520102.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Jul 2026 22:49:21 +0900</pubDate>
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