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<title>現地のケンミンショー</title>
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<description>身近なケンミンショーに引き続き、ここでは各ケンミンの消費性向の中から、全国的にトップレベルの話題を現地にて訪ね歩くものである。</description>
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<title>滋賀県の巻</title>
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<![CDATA[ <div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１</div><div>&nbsp;</div><div><div>　滋賀県と云えば、日本一大きな湖の琵琶湖が県の中央に全県の約６分の１の面積にて構える県である。<br>　この琵琶湖の大きさは、兵庫の淡路島がスッポリ入ってまだお釣りがくるぐらいである。<br>　また２位の霞ケ浦の約３倍の面積で、比類なき大きさである。</div><div style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/e4/9f/j/o0500037313657773099.jpg"><img width="420" height="313" contenteditable="inherit" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/e4/9f/j/o0500037313657773099.jpg"></a></div><div>　この琵琶湖と県土との織りなす情景は、かつてから愛でられ、特に中世以降、室町時代から近江八景として親しまれてきている。<br>　江戸時代になってからは、浮世絵や陶芸作品にも描かれ、中でも歌川広重が描いた２０種類にものぼる近江八景の作品は版画として残され、今でも多くの人の目に触れているものである。</div><div>&nbsp;</div><div>　その近江八景の１つ「堅田の落雁」として知られるのは、琵琶湖の水面に突き出た臨済宗大徳寺派海門山満月寺の御堂である。</div><div style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/ff/1c/j/o0500036913657773108.jpg"><img width="420" height="310" contenteditable="inherit" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/ff/1c/j/o0500036913657773108.jpg"></a><br>　</div><div style="text-align: left;">　この浮御堂は、伝説によれば、比叡山の恵心僧都が比叡山から琵琶湖をながめると、湖中に光明が射しているのを怪しみ、掬い上げたところ１寸８分の黄金の阿弥陀仏像であったと云われる。<br>　そして阿弥陀仏像１体を造り、その体内にこれを納め、これを祀る浮御堂を創建したという経緯の御堂である。</div><div>&nbsp;</div><div>　近江八景をもう１つ、「瀬田の夕照」として知られる瀬田の唐橋の風景である。<br>　瀬田の唐橋は古代から京へ上る重要なポイントで、この橋をめぐって、数多くの戦いが演じられてきている。<br>　従って古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われてきた橋である。</div><div style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/2a/25/j/o0500037513657773104.jpg"><img width="420" height="315" contenteditable="inherit" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/2a/25/j/o0500037513657773104.jpg"></a></div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２</div><div>&nbsp;</div><div>　滋賀県は日本一寺院のが多い県である。<br>　ただし総菟数では大阪府、兵庫県に次いで３位ではあるが、人口比では２位の福井県を引き離し、堂々の１位である。</div><div>&nbsp;</div><div>　滋賀県の寺を代表するのは天台宗の総帥の世界遺産「比叡山延暦寺」であることは間違いない。<br>　またその延暦寺の役割は、幾多の著名な仏僧を輩出したことから、日本の仏教に大きな役割を果たし、「日本仏教の母」とも云われる。<br>　その仏僧とは、天台宗の最澄、円仁、円珍は云うまでもないが、融通念仏宗の良忍、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など、良く知られているその宗派の開祖たちである。</div><div>&nbsp;</div><div>　比叡山には「不滅の法灯」と云うのがある。<br>　延暦寺の本堂「根本中堂」に開山以来消えたことがない法灯である。</div><div style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/b6/4e/j/o0500037113657773106.jpg"><img width="420" height="312" contenteditable="inherit" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/b6/4e/j/o0500037113657773106.jpg"></a><br>　</div><div style="text-align: left;">毎朝夕に燃料の菜種油を絶やさないように僧侶が注ぎ足し続けているが、気を抜くと燃料が断たれて火が消えてしまう。<br>　「油断」や「油断大敵」は、ここから出た言葉と云われている。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかし、比叡山は織田信長に焼き討ちにあったことは歴史上の事実である。<br>　その時、法灯は消えた筈である。<br>　しかしそこは良くしたもの。山形県の山寺で知られる「立石寺（りっしゃくじ）」の分灯していた法灯から、延暦寺に再分灯され、不滅の法灯を維持しているとのことである。</div><div>&nbsp;</div><div>　この様な、長く灯されている法灯は他に類を見ない日本一であろう。</div><div>&nbsp;</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　３</div><div>&nbsp;</div><div>　さて滋賀と云えば、南部は良く知られているが、中北部にも有名なものがある。<br>　戦国時代の戦場となった、賤ヶ岳、浅井氏の城「小谷（おだに）城」、戦場の姉川、石田三成の佐和山城などであるが、ここではそれらの経緯をひっくるめて建てられた彦根城をあげる。</div><div style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/46/7d/j/o0500037513657772603.jpg"><img width="420" height="315" contenteditable="inherit" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/46/7d/j/o0500037513657772603.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　国宝の彦根城は、関ヶ原で功があった井伊直政が近江北東部を支配する彦根藩主に封じられ、その子直継の時に天下普請にて築城された城である。<br>　その後、井伊氏が明治まで治めた城である。</div><div>&nbsp;</div><div>　幕末期の藩主井伊直弼は江戸幕府の大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行したことで知られる。<br>　そして、国内の反対勢力を安政の大獄で粛清したが、それらの恨みを買い暗殺された桜田門外にて暗殺されたことはあまりにも有名である。</div><div>&nbsp;</div><div>　明治になって各地の城が廃城令で破壊や売却されて行く中、彦根城も例外ではなかったと云う。<br>　しかし、明治天皇が巡幸で彦根を通過した時、城の保存を命じたため破却は逃れた、現在に至っている。</div><div>&nbsp;</div><div>　彦根城の「ひこにゃん」は、近年の「ゆるキャラ」ブームの火付け役で、これも滋賀発である。</div><div>&nbsp;</div><div>　彦根と云えば、「彦根ちゃんぽん」という麺料理がある。</div><div style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/57/ae/j/o0500037513657773110.jpg"><img width="420" height="315" contenteditable="inherit" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/17/kaw-70613/57/ae/j/o0500037513657773110.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　発祥は、東京オリンピックに向けて東海道新幹線が滋賀の県内を走る少し前のころである。<br>　そのころ創業した彦根市の「麺類をかべ」の店主が旅先で食べた長崎ちゃんぽんに触発され、関西らしい和風に狙いを定め、醤油出汁で独自のちゃんぽんを作り上げたのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　「彦根ちゃんぽん」とも「近江ちゃんぽん」とも云われ、北は北海道、東は東京、南は大阪、西は広島まで広がっている。</div></div>
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<link>https://ameblo.jp/kaw-70613/entry-12164973345.html</link>
<pubDate>Sat, 28 May 2016 17:31:33 +0900</pubDate>
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<title>奈良県の巻</title>
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<![CDATA[ <div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１</div><div>&nbsp;</div><div>　奈良県の全国一と云えば、国指定の史跡や国宝・重要文化財の多さである。<br>　史跡は総数１１６件で全国一である。<br>　国宝・重文は総数ではトップではないが、県の人口当たりではＮｏ．１である。</div><div>&nbsp;</div><div>　奈良県の史跡と云えば、高松塚やキトラなどの古墳を思い浮かべるが、縦横それぞれ約１ｋｍで約１００ｈaの広さを持つ平城宮跡がその最たるものであろう。</div><div>&nbsp;</div><div>　平城宮跡は奈良市の北部にある。<br>　阪奈道路から朱雀大路が始まり、その北に平城京入口の朱雀門が復元されている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/26/d7/j/o0500037413648687791.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/26/d7/j/o0500037413648687791.jpg"></a></div><div><br>　そしての朱雀門の内側の中を近鉄電車が走っていることでも良く知られる。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/75/59/j/o0500037513648687792.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/75/59/j/o0500037513648687792.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　朱雀門からの北側は広場である。<br>　かつては政庁である朝堂院など政治に不可欠な建屋が並んでいたと云われる。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/3a/18/j/o0500037413648687790.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/3a/18/j/o0500037413648687790.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　その先の塀に囲まれた部分が第一次大極殿の領域である。<br>　その先には９年もの歳月をかけて復元された大極殿が聳えている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/b5/43/j/o0500037513648687368.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/b5/43/j/o0500037513648687368.jpg"></a><br>　この復元大極殿が観光の目玉であろう。</div><div>&nbsp;</div><div>　この第一次大極殿の東に第二大極殿跡がある。<br>　奈良時代の中期に都は恭仁京や難波京、紫香楽京へと遷都され、その後平城京に帰還して築かれたのが第二大極殿である。<br>　第二大極殿跡には基台や礎石が模され、標柱が立てられている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/e0/fb/j/o0500037413648687367.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/e0/fb/j/o0500037413648687367.jpg"></a></div><div>　しかしこの辺りは何もなく、周りに草が生い茂る広い場所と云うだけであるが、反って近隣の市民の方々の憩いの場所になっている。</div><div>&nbsp;</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２</div><div>&nbsp;</div><div>　奈良と云えば書道の墨である。<br>　全国の８０％もの生産を誇っている。<br>　その奈良墨は、今も大きな町屋や工場を構え、お花墨で知られる「古梅園」が大きく関係している。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/99/c0/j/o0500037413648686952.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/99/c0/j/o0500037413648686952.jpg"></a></div><div>　</div><div>　我が国の墨の歴史について振り返ってみる。<br>　古代、我が国では松の木を燃やしてその煤から作る松煙墨が主流であった。<br>　その後、中国宋との日宋貿易が盛んとなり、植物油を燃やして作る油煙墨「唐墨（からすみ）」が手に入るようになり、貴族たちが愛用するようになった。</div><div>&nbsp;</div><div>　墨の色と云い品質と云い数段の差があった。<br>　それに目を付けた興福寺の僧侶たち、胡麻油を一手に握っていたことから製造・販売を初め、たちまち南都油煙として全国に知れ渡ることになったのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　この奈良の墨が更に有名になるのは戦国時代のこと、信長・秀吉の商工業振興策により、寺社独占から民間へと墨の製造販売が移行していったのである。<br>　その代表は、松井道珍が天正年間に創業したと云われるこの「古梅園」で、現在まで連綿として受け継がれて来ているのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　江戸時代は奈良の墨商は３０?４０軒ほどになり、幕府の直轄地と云うこともあって、隆盛した。<br>　しかし、このように隆盛の一途を辿ると横槍が入るのが常である。<br>　御三家紀州藩出身の吉宗将軍が、松煙墨である紀州墨を幕府御用達として援助したため、奈良の墨は窮地に立たされたが、負けずに頑張った結果、何とかトップの地位を保ったのであった。<br>　しかしこのころには墨商は半減したと云われている。</div><div>&nbsp;</div><div>　幕府の直轄領であった奈良の産業は安政の大地震や黒船来航と共に衰退、壊滅的になった。<br>　墨も例外ではなく、このころには１０軒余りの墨商しか残っいなかったと云われている。<br>　その残っている代表がここ古梅園で、長きに渡り奈良の墨を支えて来たのであった。</div><div>&nbsp;</div><div>　また、古梅園の職人であった先代が事業を始めた錦光園という墨商も近くにある。<br>　にぎり墨体験で知られている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/94/3a/j/o0500036213648687369.jpg"><img width="420" height="304" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/94/3a/j/o0500036213648687369.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　３</div><div>&nbsp;</div><div>　総務省のデータによると奈良県のコーヒー消費量は全国一である。<br>　<br>　コーヒーショップや喫茶店の数が多いのかと思い調べてみたが、スタバやドトールは全国２０位以下、喫茶店の数も１８位と標準より少し多い程度である。<br>　と云うことは、店以外のところで飲むコーヒーが多いと云うことである。<br>　即ちコーヒー豆や挽き豆、そしてインスタントコーヒーの購入が全国一ということである。</div><div>&nbsp;</div><div>　その観点で、近鉄奈良の駅前を歩いてみた。<br>　駅から近い所で２軒の店を発見した。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/03/49/j/o0500037413648686950.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/03/49/j/o0500037413648686950.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/09/db/j/o0500036913648686951.jpg"><img width="420" height="310" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160517/21/kaw-70613/09/db/j/o0500036913648686951.jpg"></a></div><div>　</div><div>　これだけでは奈良県民のコーヒー好きの裏付けにはならないが、２位の石川県も併せて考えると、食文化が発達した地域であるからして、古代からのお茶文化を受け継ぎ、伝統を大切にしながら、良いもの、美味いものを取り入れようという感覚が、コーヒーの普及にもつながったのではないかとの分析も成り立つ。</div><div>&nbsp;</div><div>　関係あるかどうか分からないが、名古屋のコメダ珈琲は関西初出店を奈良として、既に１２店舗に増えているとのことである。<br>　またコンビニの入れ立てコーヒーが、奈良では好評と云われている。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kaw-70613/entry-12161368332.html</link>
<pubDate>Tue, 17 May 2016 21:55:08 +0900</pubDate>
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<title>兵庫県の巻</title>
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<![CDATA[ <div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１</div><div>&nbsp;</div><div>　兵庫県の世帯当たりの中華料理外食費用は全国でトップである。<br>　その額も全国平均の２倍以上であり、兵庫県の人は中華料理の店へ行くのが大好きと云うことになる。</div><div>&nbsp;</div><div>　県の中心地の神戸には中華街の南京町がある。<br>　同じような中華街が神奈川県の横浜にも、長崎県の長崎市にもある。<br>　日本の３大チャイナタウンと云われる。<br>　これらの県の中華外食費用は神奈川が７位、長崎はなんと４４位であり、単に中華街があるから中華料理が流行ると云う理由ではなさそうである。</div><div>&nbsp;</div><div>　横浜との比較では、神戸には横浜の２倍近い華僑の人々がいるが、その人たちが、中華料理の店を事業として始め、市内中心部の三宮で有名店として仕上げてきたことは大きい。<br>　また、南京町は華僑の人々の拠り所として発展してきているが、そこは元町につながる商業地で、特段の観光地でもなく、神戸市民が店頭販売にて気軽に中華料理を求められるようにもなっているのも大きい。</div><div>&nbsp;</div><div>　どちらにしても、中華料理は兵庫県民に好かれていると云う結果である。<br>　これは華僑の人々の不断の努力の賜物であろうと思われる。</div><div>&nbsp;</div><div>　南京町には１００軒程度の店が並ぶ。<br>　東西２００ｍ、南北１００ｍ位の街で、中央にはシンボル「あづまや」があり、そしてそこには日本の豚饅発祥の店「ＲＳＫ」がある。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/78/ce/j/o0500036613641826390.jpg"><img width="420" height="307" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/78/ce/j/o0500036613641826390.jpg"></a><br>　東西と南にはこれもシンボルの門がある。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/bb/40/j/o0500035713641826679.jpg"><img width="420" height="300" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/bb/40/j/o0500035713641826679.jpg"></a><br>　そして北は元町商店街と繋がっている。<br>　南京町の通りは広くはなく、気軽に街歩きができるのがこの商店街の良い所であろう。</div><div>&nbsp;</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２</div><div>&nbsp;</div><div>　兵庫の日本一、城郭を外すわけには行かない。<br>　先ずは平山城の姫路城、日本一の天守閣は国宝であり、かつ法隆寺と共に国内の世界遺産第一号でもある。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/d4/b6/j/o0500037513641826388.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/d4/b6/j/o0500037513641826388.jpg"></a><br>　おまけに昨年度に平成の大修理を終えた後の一年間の天守への入場者は２８６万人と過去最高を記録している。</div><div>&nbsp;</div><div>　姫路城は、戦国時代に赤松氏により姫山に砦状のものが築かれたのが最初とされる。<br>　その後、小寺氏や黒田氏、そして羽柴秀吉などが城主となり改築された。</div><div>&nbsp;</div><div>　関ヶ原が終わり池田輝政が城主となり、今日見られるような城郭に仕上げられたと云われている。<br>　その後徳川大名が藩主を務め、明治維新を迎えている。</div><div>&nbsp;</div><div>　また、山城の全国ナンバーワンは但馬地方にある「竹田城跡」であろう。<br>　この城郭は３５０ｍ強の虎臥山に築かれていたが、現在は石垣のみが綺麗に残され手入れも行き届いている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/b6/82/j/o0500037513641826680.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/b6/82/j/o0500037513641826680.jpg"></a><br>　雲海に浮かぶ竹田城跡は天空の城として良く紹介され、有名である。</div><div>&nbsp;</div><div>　竹田城は但馬国守護の山名宗全により築城され、太田垣光景が初代城主となったと云われている。<br>　その後、戦国時代となり、争奪戦が繰り広げられた。<br>　羽柴秀長が城主になったこともあるが、秀吉の軍門に下った赤松氏が城主となり、竹田城は完成されたと云われる。</div><div>&nbsp;</div><div>　関ヶ原で赤松氏は西軍に属したため、徳川軍の山名氏が竹田城を拝領し、その後廃城になったとされている。</div><div>&nbsp;</div><div>　これら兵庫の２つの城はＪＲ西日本の観光の目玉でもある。<br>　特に竹田城跡には特急を臨時停車させるなどの運行形態も取られている。</div><div>&nbsp;</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　３</div><div>&nbsp;</div><div>　最後に日本酒である。<br>　兵庫県の日本酒醸造量ランキングはトップである。<br>　２位は京都府であるが、その２倍近くの醸造量である。</div><div>&nbsp;</div><div>　そして日本一の醸造量を誇る酒蔵も兵庫である。<br>　神戸市にある灘五郷の一つ御影（みかげ）郷の「ＨＳ酒造」である。<br>　２位の酒蔵はこれも京都府の「ＧＫＫ」であるが、この両社の酒造量は大きくは離れていない。</div><div>&nbsp;</div><div>　ＨＳ酒造は江戸時代中頃の創業である。<br>　同じ御影郷のＫＭＭを醸造する嘉納家と祖を同じくし、ＫＭＭの方は「本嘉納」と呼ばれるのに対し、ＨＳの方は「白嘉納」と呼ばれる。<br>　<br>　ＨＳ酒造の資料館は、大正時代に建造された木造の酒蔵を利用し、そのまま酒造資料館として公開されている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/f3/8e/j/o0500037313641826389.jpg"><img width="420" height="313" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160509/20/kaw-70613/f3/8e/j/o0500037313641826389.jpg"></a><br>　昔の酒造りの行程に従って蔵人が作業する姿を再現した人形や、実際に使われていた道具が忠実に再現され、展示されている。<br>　また原酒のきき酒や物品販売の売店もある。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかしながら、兵庫県の日本酒の消費量は全国平均以下の３５位である。<br>　兵庫で醸造された日本酒は、昔からそうであったように江戸（東京）や名古屋、大阪の大都市圏に輸送されるのであろう。</div><div>&nbsp;</div><div>　造っても飲まないのは兵庫県の特徴である。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kaw-70613/entry-12158691153.html</link>
<pubDate>Mon, 09 May 2016 20:34:15 +0900</pubDate>
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<title>大阪府の巻</title>
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<![CDATA[ <div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１</div><div>&nbsp;</div><div>　大阪府と云えばやはり「たこ焼き」である。<br>　たこ焼き店の店舗の数が人口当たりでトップである。<br>　たこ焼きは大阪のソウルフードと云っても差し支ええない。</div><div>&nbsp;</div><div>　粉もん文化と云えば大阪であるが、お好み焼きもトップかと思えばそうではない。<br>　広島焼の広島県がトップとなっている。<br>　<br>　おやつ感覚で食べる粉もんには、「たこ焼き」と「お好み焼き、もんじゃ焼き」があるが、そのルーツは、千利休が考え出した「ふの焼き（ふな焼き）」と云われている。　<br>　利休が考え出した初期は、単に小麦粉を水で溶いて焼くだけで、具のないものであった。</div><div>&nbsp;</div><div>　それに具を混ぜる、焼く鉄板の形に変化を付ける、出来上がりにウスターソースを掛ける、この３つの工夫で、それぞれ現在の形に発展してきているのである。<br>　たこ焼きはこの３つの要素を全て取り入れている。</div><div>&nbsp;</div><div>　明治・大正の時代のことである。<br>　平らな鉄板に半球形の凹部を規則的に設け、その鉄板の上で、こんにゃく、ねぎ、しょうが、天かす、などの具を混ぜて焼いた。<br>　そうすると焼き上がりに突起（ちょぼと云う）ができているので、「ちょぼ焼き」と云って子供たちに親しまれた。<br>　これが変化の始まりである。<br>　<br>　昭和になって、具にも鉄板にも改良が加えられた。<br>　具には、おでん種の牛スジ肉やこんにゃくが使われ、鉄板の凹部を半球形にして、その中で丸めてボール状に焼き上げられた。<br>　そのころ始まったばかりのラジオの話題性と高級さにあやかって「ラジオ焼き」と名付けられた。<br>&nbsp;<br>　このラジオ焼きを、明石焼きに習って、タコと鶏卵を使うことで改良したのが会津出身の遠藤留吉氏である。<br>　昭和の１０年、氏は大阪の南部玉出に店を構え、初めて「タコ焼き」の暖簾を掲げたと云われている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/16/1d/j/o0500037513637106169.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/16/1d/j/o0500037513637106169.jpg"></a></div><div>　現在もこの店は支店も含め、手広く展開している。<br>　この店「ＡＤ屋」のタコ焼きは、焼き上がり状態で味がついているので、ソースを掛けないで食べるのが普通である。<br>　<br>　また別の店では『大阪出る時、連れてって！』のＣＭでおなじみの「ＴＭ」、空港や駅の売店で冷凍たこ焼きを大阪土産として販売している。</div><div>&nbsp;</div><div>　冬の寒い時期の飲み会の帰り道、路上でタコ焼き屋台を見つけたりしたら、ついつい買ってしまうタコ焼きである。</div><div>&nbsp;</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２</div><div>&nbsp;</div><div>　大阪はビールの生産量、消費量については全国的にもトップクラスである。<br>　酒造場の数こそ少ないが、酒造場当たりの生産量は全国１位である。<br>　そして醸造総量では、茨城県に次いで２位である。</div><div>&nbsp;</div><div>　吹田市には「ＡＳＨビール」という大阪で唯一の醸造場がある。　</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/5d/25/j/o0500037013637105314.jpg"><img width="420" height="311" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/5d/25/j/o0500037013637105314.jpg"></a></div><div>&nbsp;現在もＪＲ吹田駅前に、線路と平行して大工場を構えている。<br>　この工場が全国１位である。</div><div>&nbsp;</div><div>　大阪のビール醸造の歴史を振り返ってみる。<br>　明治の２０年代の最初の頃、サッポロ、キリン、エビス、アサヒの現在も継続されているブランドのビールが発売された。<br>　そのうちアサヒは、大阪堺出身の鳥居駒吉氏によって会社設立がなされ、吹田の現在地にビール工場を創設したのが大阪のビールの大量生産の最初である。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/f7/17/j/o0500037413637105315.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/f7/17/j/o0500037413637105315.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　それ以降、地ビールブームが起き、全国に１００社程度の醸造場が出来たと云われる。<br>　しかし、中国で起きた義和団の乱を契機に、日本の軍備増強が叫ばれ、ビールにも酒税が掛けられたため、中小は倒産か大企業への吸収、また大企業においても合併を迫られ、エビス、サッポロ、アサヒが合併して、大日本麦酒㈱が設立されたのであった。</div><div>&nbsp;</div><div>　戦後になって、今度はＧＨＱから集中排除の命令が出され、大日本麦酒㈱はサッポロとアサヒに分割され、元の形に戻ったのであった。</div><div>&nbsp;</div><div>　その後、沖縄ではオリオンビール、そしてサントリーがビールに参入して、現在のブランドが揃った形となったのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　大阪はビールは作るが、消費量の方は東京、高知、沖縄に次いで４位に甘んじている。<br>　東京は、発泡酒比率は全国最低であり、ビールがよく飲まれている。<br>　また、沖縄や高知は発泡酒比率も高く、ビール系飲料の総量はかなりなものである。<br>　一方大阪は、発泡酒比率も東京ほどではないが、東京に比べてビール系飲料の消費はやはり少ないのであろう。</div><div>&nbsp;</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　３</div><div>&nbsp;</div><div>　大阪は背の高いものが好きである。<br>　<br>　明治の内国勧業博覧会の跡地を新世界ルナパークとし、その地にパリのエッフェル塔を真似た通天閣を建設した。<br>　高さは９１ｍで、東洋一の高さであったと云われる。<br>　その後、太平洋戦争中に鉄材の供出とのことで、取り壊された。</div><div>&nbsp;</div><div>　そして戦後も昭和３１年に２代目の通天閣１０３ｍが建設され、高さは高くないが大阪のシンボルとされてきている。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/7a/23/j/o0500037013637105897.jpg"><img width="420" height="311" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/7a/23/j/o0500037013637105897.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　もう一つ、今度は日本一のビルがある。<br>　天王寺駅前に建てられた「あべのハルカス」３００ｍである。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/e4/d6/j/o0500037413637105898.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/e4/d6/j/o0500037413637105898.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　日本の２位は、横浜のランドマークタワーであるが、３位は大阪のりんくうゲートタワービル、４位は南港の大阪府咲州庁舎（ＷＴＣ）で、やはり大阪は高い物好きである。</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/ac/c8/j/o0500037413637105313.jpg"><img width="420" height="314" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/kaw-70613/ac/c8/j/o0500037413637105313.jpg"></a></div><div>&nbsp;</div><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160505/05/kaw-70613/fc/60/j/o0500037513637296908.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160505/05/kaw-70613/fc/60/j/o0500037513637296908.jpg"></a></div>
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<pubDate>Thu, 05 May 2016 05:50:48 +0900</pubDate>
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<title>京都府の巻</title>
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<![CDATA[ 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１<br>　<br>　このシリーズでは、各都道府県のケンミンの消費性向の中から、全国的にトップレベルの話題を訪ね歩くものである。<br><br>　先ずは京都府である。<br>　<br>　京都府はパンの人口当たりの消費量が全国１位である。<br>　しかし京都は古都であるので日本料理が良く似合い、パンとは全く似つかわしくはないと思うが、なぜなのであろうか？<br>　<br>　概して関西地方はパンの消費が多い所である。<br>　京都、兵庫、岡山、滋賀、大阪と続く。<br>　パンの製造会社や販売店の努力もあると思うが、やはり農業人口が少ないと云うことと関係がありそうである。<br>　また、納豆の消費量とは負の相関にあると云う。<br><br>　京都や兵庫には古くからのパン専門店がある。<br>　進々堂や志津屋である。<br>　特に進々堂は、百万遍交差点の東、京都大学の本部北門前で大正時代に創業し、１００年の歴史を有している。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160501/08/kaw-70613/9e/03/j/o0500036913633598643.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160501/08/kaw-70613/9e/03/j/o0500036913633598643.jpg" alt="" border="0"></a></div><br>　しかし、その創業の地の進々堂と、現在１０店舗以上を有するチェーン店の進々堂とは別法人となっていると云う。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/f5/93/j/o0500037113633602629.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/f5/93/j/o0500037113633602629.jpg" alt="" border="0"></a></div><br>　なぜこうなっているのか、興味のあるところである。<br>　恐らくは同族の会社の複雑な経緯であろうが、これ以上の詮索はしない。<br><br>　また、チェーン店の方では、京都市役所の北、京都の中心部に本社・工場を構え、出来立てパンを迅速に配達できるようにしている。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/4b/7e/j/o0500037413633602628.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/4b/7e/j/o0500037413633602628.jpg" alt="" border="0"></a></div><br>　進々堂の店は店舗の立地で多少の高級感も伴い、カフェも併設していてファンも多い。<br><br>　次に志津屋である。<br>　創業約７０年、２０以上の店舗を持つ京都最大のパン屋である。<br>　本社・工場は右京区の山ノ内にある。<br>　社名は創業者の奥さんの名前から付けたそうである。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/47/06/j/o0500037113633602630.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/47/06/j/o0500037113633602630.jpg" alt="" border="0"></a></div><br>　近年、店名看板はアルファベットで「ＳＩＺＵＹＡ」としている。<br>　駅や人通りの多い所に店舗を構え、カフェ併設店も多く、庶民的な雰囲気で、商売も繁盛しているようである。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２<br><br>　マックというハンバーガーの全国規模のチェーン店がある。<br>　京都府は人口当たりのマックの店舗数が第１位となっている。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/2e/02/j/o0500037513633602882.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/2e/02/j/o0500037513633602882.jpg" alt="" border="0"></a></div><br>　学生やビジネスマンが都市の中のオアシス的に利用したりするのは、最適であろうと思われる。<br><br>　マックは都市部への出店が多いのは当たり前であるが、特に若者が多く、そして海外旅行者の多い地域は重視していると云われる。<br>　その視点から、京都がトップと云う結果になっているのはとても頷ける。　<br>　反面、日本発祥で外国人に馴染みが薄いモスバが極めて少ないのも併せて頷ける。<br><br>　次は牛肉の消費量である。<br>　京都府は奈良県に次いで全国２位である。<br>　３位は大阪なので、京阪奈がトップを占めているということになる。<br><br>　よくご存じのように、東日本は豚肉文化、西日本は牛肉文化と云われる。<br>　それぞれ肉と云えば、豚肉、牛肉を指すことになる。<br><br>　京都にはすき焼きの老舗が幾つかある。<br>　明治の文明開化に呼応して創業した三嶋亭やモリタ屋である。<br><br>　三嶋亭は三条寺町の角に数寄屋造りの店を構え、この一角は明治の文明開化の匂いがするところでもある。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/cf/5f/j/o0500036613633602881.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160501/09/kaw-70613/cf/5f/j/o0500036613633602881.jpg" alt="" border="0"></a></div><br>　京都府は、エンゲル係数が全国一、仕送り金額全国最下位となっている。<br>　子供たちの進学は地元へ、仕送りの経費が要らないため、その分食事にお金を掛けるという構図になっている京都府である。
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<link>https://ameblo.jp/kaw-70613/entry-12155725009.html</link>
<pubDate>Sun, 01 May 2016 09:00:08 +0900</pubDate>
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