<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>川上英吉のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/kawakami-eikichi/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/kawakami-eikichi/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>Aの日常　(4)</title>
<description>
<![CDATA[ <div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body">とにかく高圧的な上司なのだ。私は上司と話すとき、いつも天井に頭をぶつけるような窮屈さを覚える。常に語尾が「～だろ。」といった口調で、人の名前も本人の前でこそかろうじて「さん」付けだが、普段は呼び捨てだ。近くにいる誰かに話しかけるときも、基本的に人の名前を呼びかけない。ぶつぶつと話し始めると、誰に話しかけているのかをその内容でまわりにいる部下が判断して、自分に該当すると判断した人が対応を始める。だから常に聞き耳を立てておかなければならないのだ。話す内容も、指示というよりほとんど独り言みたいなことが多く、自分の解釈にいちいち返事を求めてくる。自分の思考から出た脈絡のない話に、すぐに理解して相槌など打てるはずがない。頭の中が無理やり捻じ曲げられるような感覚がするのだ。うっとうしいので、こちらはこれみよがしの機械的な生返事で応酬するのだが、それに気付く気配すらない。それでも、権力というか威圧感からくる恐ろしさがあるもんだから、世間話には対応しなければならないし、非合理的で理不尽な指示であっても上司だから言うとおりせざるを得ない。しかし部下からの評判が下がったところで、上司にとっては痛くも痒くもないのだ。ここはまさに、裸の王様がそのまま王様でいられる場所なのだ。最近、自分の考えとは反対に「そうですね」ということがあまりに多くて、言葉の意味があべこべになりそうな気持ちわるさを感じて仕方がなかった。 <br><br>　上司の言っていることがでたらめばかりというわけではないし、社会的な事柄に造詣が深い。頭も切れる。しかし、いかんせんどうでもいい。尊敬などするわけがない。この前、いすの背もたれにふんぞり返りながら、こちらを指差して話してきたときには、人差し指を噛み切ってやろうかと思った。出世のために上司の評価を気にしているならまだしも、出世も上司の評価もどうでもいいと思っているにもかかわらず、ここまでストレスを受けてしまうのはナンセンスな話だ。もっと他の世界に足を伸ばそう。流れにあらがっていくことは、体力を消耗することだ。とりあえず今はあの男の下につくしかないのだ。<br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kawakami-eikichi/entry-11185025105.html</link>
<pubDate>Tue, 06 Mar 2012 21:51:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>Aの日常　(3)</title>
<description>
<![CDATA[ <div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body">朝から昼過ぎにかけてはやる気がしなかった。すると、やることがなくなって、それはそれで困った。ただそこに座っているというのはそれはそれで苦痛なのだ。いたたまれなくなって、売店に行って何か買う。つかの間の息抜き、というか息継ぎだ。また大海に泳ぎ出る感覚だ。それにしてもパワーポイントを作るのは仕事の中で特におもしろくないもので、原稿料が別にほしいくらいだ。やらなくてはいけない、しかしやりたくない、でもやらなければならない。そのジレンマに挟まれて、次第に眠くなってしまう。私は眠気を覚ますためにドリンク剤を服用する。甘いともなんとも言えないあの味が心地いい。まさに体が必要としているのかもしれない。会議に出ると、普段以上に労力が消費される。終わったあたりが一日のデッドポイントだ。私は、廊下を歩いているときなどの移動中、よくあっちゃんやミオパンのことを考えては、つい笑顔になってしまう。そうして少しの間でも逃避して、羽根を伸ばしているのだ。 <br><br>夕方になり、一日の終盤にさしかかると、モチベーションに変化が出てくる。時間のデッドラインが明確になり、ある意味時間制限ができて、モチベーションが上がり、作業が進むようになるのだ。ようやく、上司にも問題をあげる心の準備が整い、そうですね、そうですねを繰り返しつつ相手の要求を理解して、次の作業に入る。とはいってもすぐにやるのではなく、少し寝かせる。モチベーションが整ったらゴーだ。もしかしたら、もう少し仕事量が増えたら時間が早く過ぎるようになって、逆に楽になるのかもしれない。 <br><br>やはり、周りの人とは積極的にコミュニケーションを取った方がいいのだろうか。私はどうしても無駄話はできればしたくないと思うし、コメントを考えるのがめんどくさいと思ってしまう。話したからといって何かが楽になるわけではないので、話そうとする気にならないのだ。しかし、あの狭い空間でずっと同じメンバーと一緒にいることに苦痛を感じるのも、もし積極的にコミュニケーションをとり距離を縮めればすこしは緩和されるのかもしれない。心の温度を感じるくらい人に近づくのが、私にとって心地よい感覚ではないのだが、しかし仮説として、実は恥ずかしいからではないかということもあるかもしれない。今日は、終了時刻後に、同僚と少しの間話すことがあったのだが、ちょっと話すことの面白さを感じたというか、出張のことを楽しみに話している自分がいた。仕事の全てを否定することは、自分自身の首を締めることになるのかもしれない。そう思うAなのであった。<br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kawakami-eikichi/entry-11184069309.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Mar 2012 21:35:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>Aの日常　(2)</title>
<description>
<![CDATA[ <p>この前、職場の同じフロアの先輩の知り合いの非常勤さんが、任期を終えることになり、その送別会が催された。参加者は、全部で８名。私は、席の配置が、三方を女性に囲まれていたのだが、こういうときは概して、話題が女性目線になるのだ。やれいい人はいないのかとか根掘り葉掘り聞いてきたり、私の方が年齢が若いからと刺してきたりする。私はいっそ、空気を読むことも愛想笑いもやめて、険悪な空気をあえて作ってやろうかと思う。そうしたらあいつはもう呼ばないでおこうということになって、晴れてこういう飲み会から解放されるのではないか、と。土台、そんなに親しくもない人と中身のないことで笑ってお酒飲むのが好きじゃないもんだから、だんだん意識が孤立してきて自分が浮いてくるのを必死に相槌とコメントでごまかすのだった。ようするに、こういう飲み会はできれば行きたくないもんだと思った。</p><p><br>その中でも唯一の光が、私の斜向かいに座っていた女の子が清潔感のある子だったことだ。私は、同い年か少し下だろうと思っていたのだが、じつは５つくらい年上だということが後でわかって驚いたのだった。話すときはこちらの眼をはっきりと見てくれる子で、意地悪なコメントがぜんぜんなかった。しかし、彼氏には料理を作ってあげるのかと聞かれるなど、隣の意地悪な人の犠牲になることがたまにあって、それを僕はいたたまれない気持ちで聞いていた。正しいとか、優しいとか、小さいころは重んじられていた概念が、必ずしも効力を発揮してはくれない場面だった。それだから、その隣の人は彼氏ができないんだとも思った。しかし、それでもその子は、その隣の人に自分と同じ職場の採用を受けてほしいと何度も言っていたのは、私には理解できなかったが、社交辞令とか強かな処世術の一環なのだろうか。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kawakami-eikichi/entry-11182889451.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Mar 2012 18:15:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>社会</title>
<description>
<![CDATA[ ここは社会のにおいがする<br><br>声なき声が潰されていく<br><br>無力なパーティーの中にいる<br><br>一体僕が甘いのか<br><br>どこもかしこも血へどがでるよう<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kawakami-eikichi/entry-11182319869.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Mar 2012 00:49:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>Aの日常</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今日も一日が終わった。頭が隅っこに追いやられるような疲労感を覚えながら、A（以下、私）はバスに乗った。職場で私の席は上司の目の前にあり、常に上司の視界に入っている。そのせいもあるのだろうか、常に気が張っている。要するにビビッているのだ。特に自分に落ち度があるわけでもないのだが、何分上司は怖い人で、いつ機嫌をそこねるか、いつ話しかけられるかと、私は終始警戒しているのだ。肩から首にかけての筋肉が張り詰めていて、しょっちゅう首を振って骨を鳴らすのが癖になっていた。帰路につくとそれが徐々に溶けはじめるのが感触としてわかるのだった。</p><br><p>仕事は中身がなくてつまらなく、負担だけがのしかかる感じがしていた。知的好奇心が感じられず、実質的価値が薄く、切迫した状況にならないとやる気がでないでいた。指示が下るとまるで罰ゲームの始まりのように感じてしまうのだった。議論は本質的でなく、体裁や建前が常に優先され、その度にうんざりさせられるのだが、とにかく忠実に相槌を打つ。達成感をこの方感じたことがなく、やりがい、といわれても、それがどんなものなのかわからなかった。どうも自分が仮にこの仕事をやり、仮にここにいる人とやり取りをしていて、本当の自分がここには存在せず、まるで抜け殻が働いているような感覚をたまに覚えるのだった。</p><br><p>組織では、人と人がどこでどうつながるかわからないから、とりあえず誰とも仲良くしておかなければならない。同僚、上司はもちろん言うまでもない。仕事をするのも、それ自体が目的なのではなくて、仕事をすることによって常に隣にいる上司の機嫌を保ち、自らの精神的安定を保つのが第一の目的になっていた。</p><p>ある国に海外赴任している人について、上司が話し出したのを、私は横で聞いていた。その人は、奥さんが赴任先で交通事故に遭い、現在日本に帰国して療養中なのだそうだ。しかし、上司はそんなことどうでもいいと明言し、その人の仕事が回るかどうかだけを心配していた。これが社会なのだと思った。個人の安全や事情より、社会という大きな車輪が回ることの方が優先されるのだ。社会を回しているのは、規範や道徳ではなく、力を持つ者の個人的な考えや本音なのだ。私からすれば、その仕事がちゃんと回るかどうかなんてことより、その奥さんの安否の方がよほど重要だと思うし、社会としてもそうあるべきだと思うのだが、どうやら社会はそんな風にはできていないらしい。</p><br><p>また別の人の海外生活の話だが、上司は、その国ではテレビ番組がいつも同じようなものしかやっていないから気が狂いそうになるだろうな、と笑いながら言っていた。自分がもしそういうところに海外赴任なったら一体どう思うのだろうか。その人をつかまえて上司はいつも呼び捨てで呼び、人使い荒く使う。そういうところに人を送りこむということを何とも思っていないのだ。さらに私達は、そういったテレビ番組の話にも、そうですね、と笑いながら返事しなければならない。それが社会人というものなのだ。<br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kawakami-eikichi/entry-11179240085.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 22:10:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>お見合いパーティ</title>
<description>
<![CDATA[ <div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body">先日性懲りもなくお見合いパーティに行ってきました。２５人ずつの男女が順繰りに話してカップリングするあれです。まあ、もう行きません（笑）。 <br><br>パーティは大きく２つに分かれます。自己紹介タイムとフリータイムです。自己紹介タイムは、一人の人と数分ずつ順番に話して、自己紹介をします。そのとき、予め記入した自己紹介カードを交換して、それを見ながら話をします。数分というのはあっという間です。ほぼ機械的に全員の人と一回ずつ話しをします。そのとき、女の子は座ったままで、男の方が移動するというスタイルです。この時点でうんざりするほど疲れてしまいます。そしてフリータイム。こちらは、話したい女の子のところに男が自由に座りに行って、５分ほど話すのを、５回繰り返します。自分が座りにいくと、たまに露骨にいやな顔をされたりします。そういうとき、自分はモテないんだなということをつくづく実感させられるわけです。 <br><br>話すときは努めて明るく接します。僕にはこれといった趣味がないんですけれど、ほぼ毎日料理をしているので、趣味の欄には、料理、それも、凝ったものを作っているわけではないので、簡単な料理、と書いてみたわけです。それで、なぜ自分で作るのですかと聞かれると、まあこちらとしては率直に語るわけです。節約だとか、健康とか、そういうことですよね。たまに身振り手振りも交えて。そうすると、笑わせるんじゃんくて、笑われるんです。まあでも、これで距離が縮まるならそれでもいいかと、思い直すわけです。 <br><br>今回は、魅力よりも相性を重視してパーティに臨みました。いつかのテレビ番組でやってました。「結婚するのにモテる必要なない。」「相手を探すときは、いい異性より、近い異性を選ぶ。」　なるほど、と。それで最後のカップリングカードには、より話が弾んで、あとまあ、こちらとしても好感が持てた人を書いたわけです。結果発表。何と今回のパーティで１０組のカップルが成立しました、と。クジに換算したらどれだけ分がいいんだ、と。一人一人呼ばれていきます、と。呼ばれません、と。かすりもしません、と。 <br><br>振り返ると、それはそれでよかった気もしました。この結果でこう言っても説得力がありませんが、自分が今心の底から出会いを求めているわけではないこともよくわかりました。それと、あわただしく話し相手を変えて、誰と話したんだかわからなくなるくらいになるというのも、不毛といわざるを得ませんでした。もう行くことはないだろうと、その時思いました。やっぱり、自然な出会いが一番かなあ。<br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kawakami-eikichi/entry-11178256790.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Feb 2012 22:19:03 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
