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<title>kawashima9248のブログ</title>
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<title>１２月１６日　お通夜</title>
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<![CDATA[ なか１日おいて、今日はお通夜だった。
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<pubDate>Fri, 02 Jan 2009 03:30:34 +0900</pubDate>
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<title>父が亡くなってから</title>
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<![CDATA[ 父が亡くなったので、父の２人の妹に、今亡くなった事を連絡した。<br>当たり前だが、あまりに急だったので、驚いていた。<br>すぐに２人とも駆けつけると言ってくれた。<br><br>娘達にも連絡した。<br>でも、昨日、最後のお別れに会わせているし、<br>呼んだとしてもする事はないし、かえって邪魔になるだけだ。<br>家で待っているように伝えた。<br><br>実は、今日、父の菩提寺のご住職と戒名の件とか<br>葬儀の事とか、事前に打ち合わせする事になっていた。<br>急遽、主人と相談して、主人１人で行ってもらう事にした。<br>お寺に電話して、事情を連絡した。<br><br>ふと、父のところに戻ると、<br>母が父のあいた口を必死に閉じさせようとしている。<br><br>まだ、訪問看護婦さんもみえていないし、<br>病院の先生もいらっしゃっていないのだから、<br>父の遺体に触れてはいけないと注意する。<br>しかし、このままじゃ口が開いたままでみっともないと<br>なおも続けようとする。<br><br>思わず又、怒ってしまった。<br>なんで、ちゃんと聞いてくれないのだろう。<br>３度も説明したら、もうしないといったけど…<br><br>連絡してから１５分ほどで看護婦さんが到着する。<br>脈を診て、瞳孔をみて、胸に聴診器をあてて、<br>「亡くなられているとおもいます。」とおっしゃった。<br><br>「日曜日なので、すぐには無理ですが、<br>１時間ほどで先生も来られると思います。<br>そこで、死亡確認をしてもらって下さい。<br>それが終ったら、死後の整容におうかがいするので、<br>お電話下さい。」と言って、お帰りになった。<br><br>それから、往診の先生を待った。<br><br>ふと気づくと、母がまた、あごを触って閉じさせようとしている。<br>また、怒ってしまった。<br>往診の先生の死亡確認が出るまで、遺体にはさわってはいけないのだと。<br>父が死んでからも、母に悩まされ続ける。<br><br>父の妹夫婦が1時ごろ到着する。<br><br>１時間ほど後(1時半ごろ）、いつも往診に来てくださった先生と看護婦さんが<br>病院から来てくださった。<br>死亡確認をしていただく。<br>泣かないつもりだったのに、<br>先生と看護婦さんから優しい言葉をかけられたら、<br>涙があふれて止まらなかった。<br><br>２時半以降に病院に死亡届を取りに来るように指示される。<br><br>先生が帰った後、訪問看護婦さんと葬儀屋さんに連絡する。<br>葬儀屋さんは３時過ぎにいらっしゃると言う事だった。<br><br>２時過ぎ、改めて訪問看護婦さんが来て下さった。<br>死後の整容のためだ。<br>看護婦さんが私たちにも参加するように言ってくださった。<br>その場にいた私、母、叔母夫婦、4人で父の顔や手や足を拭いた。<br>父の顔を拭き、耳を拭いたら、耳垢でいっぱいだった。<br>ごめんね、気づいてあげられなくて…<br>きっと気持悪かったよね。<br>タオルを何度もゆすいで、耳をきれいにした。<br>ある程度の事が終ると、私たちは部屋を出された。<br>下の事や、ワタを詰めたりなどの作業があるようだ。<br>きっと大変な作業だったのだと思う。<br>冬なのに、大粒の汗をかきながら、処置して下さったのだから。<br>次に呼ばれて行ってみると、父はすっきりとした顔をしていた。<br>まるで、眠っているだけのようだ。<br>看護婦さんが大好きだった父、きっと喜んでくれるに違いない。<br><br>看護婦さんを待っている間に、メモを書く。<br>今日、どういう状態だったか忘れないように。<br>そして、同じ事を何度も説明しなくていいように。<br>打ち合わせなどあって、<br>きっと一人一人に説明するヒマはなさそうだったから。<br><br>２時半をまわったところで、病院まで死亡診断書を取りに行く。<br>途中、主人から電話があり、葬儀屋さん、お坊さんと相談して、<br>通夜、告別式の日取りを決めたとの事。<br><br>あさってお通夜、しあさって告別式だそうだ。<br>今晩、お通夜になるかとも思っていたが、<br>お坊さんの都合もあり、その日程で決めたとの事。<br>明日一日、空いてしまう、と気ばかりはやってしまった。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kawashima9248/entry-12931822759.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Dec 2008 00:35:20 +0900</pubDate>
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<title>１２月１４日（お別れ）</title>
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<![CDATA[ 昨日の疲れが取れず、９時の訪問看護婦さんの訪問までに<br>どうしても間に合いそうにない。<br>少し遅れる旨、母に電話する。<br>まだまだ、先は長いと思っていたから…<br><br>向かう途中、母から電話。<br>訪問看護婦さんが到着まで待っていてくれると言う。<br>嫌な予感がする。<br><br>実家に着くと、看護婦さんより、<br>脈も弱いし、血圧も低くなっている。<br>昨日、１週間という話だったが、<br>今日明日のようだ。<br>丈夫な方だったので、２～３日という事もある。<br>とのお話。<br><br>昨日、１週間といわれてはいたが、<br>今までの状態から、もっと早いのではないかと予感がしていたので、<br>驚きはなかった。<br><br>昨日、会わせたい家族、親族にはすべて会わせていたから、<br>その点でも良かったと思う。<br><br>母によると、今日も父は排便だけはしていたので、<br>それも換えてくださったそうだ。<br>ありがたいことだ。<br>それも、亡くなる直前にはどうしても力が抜けて、<br>便をするとの説明もしてくださった。<br><br>私は下手にいろいろな管につながれて、１日でも長く生きるより、<br>もうどうせ助からない命なら、苦しまないうちに<br>安らかに自宅から旅立ってほしいと思っていたので、<br>その気持を看護婦さんにもお話した。<br><br>それから、死後、最期の整容を看護婦さんにお願いしたいと頼んだ。<br>父は、訪問看護婦さん方が大好きだったらしく、<br>看護婦さんから声をかけられるといつでも、<br>最高の笑顔でにっこりと笑っていたから。<br>初めて会う葬儀社の方より<br>いつもお世話してくださった訪問看護婦さんに処置してもらった方が<br>父もうれしいだろうと思ったから。<br>看護婦さんは「最近は葬儀社で湯灌される方が多いですよ。<br>湯灌されるなら、二重にお金がかかりますし。」と言ってくれたが、<br>お世話になった看護婦さんに最期はお願いしたいというと、<br>こころよく承諾してくださった。<br><br>看護婦さんは何か変わったことがあったら、<br>すぐに来ますから、いつでも呼んでくださいとの事だった。<br>本当にありがたい。<br>ずっと支えていただいている。<br>１１時ごろ、お帰りになった。<br><br>看護婦さんにはそう言われたが、見る限りでは、<br>特に昨日と変わったようなところはない。<br>もう、目を開けることもなく、肩で息をしながら、<br>うなり声のような声を立て、<br>時折、目の前の何かを払うように手を動かしている。<br><br>最後になるかもしれないから、今晩こそ泊まろうと思った。<br><br>１１時半ごろ、以前訪問看護婦さんにいただいた<br>「在宅で看取りを決めたご家族へ」という小冊子にのっていた通り、<br>看取り間近のサインという事で <br>水から出された魚のように、口をパクパクさせて、 <br>呼吸するようになった。<br><br>まだ時間はあると思ったが、<br>父の傍らに座り、手をさすりながら、<br>静かに父を見ていた。<br>父はもう病院には行きたくないと言っていた。<br>やっぱりうちがいいと言っていた。<br>月曜日に入院するかどうか相談しようという話をきいて、<br>きっとうちで最期を迎えたかったから、<br>いそいでしまったような気がした。<br><br>お昼になって昼食を買いに行く事になった。<br>まさに家のドアを開けようとしたところ、<br>主人と母の声が響いた。<br>父の様子が変だから、すぐに戻ってこいと。<br><br>ベッドに戻ると、焦点の合わない目をカッと見開き、<br>苦しそうな息の父がいた。<br>こんなに目を見開いている人を見たことはなかった。<br>もう本当に最期なんだと思った。<br>左手を私が、右手を母がさすりながら、<br>父に話しかけた。<br>主人に訪問看護婦さんにすぐに来てもらうように電話してもらう。<br><br>母はあわててしまったらしく、<br>ガーゼに水をふくませて父の唇に押し当てようとしている。<br>私がいくら止めるように言っても、<br>止めようとしないので、怒ってしまった。<br>主人にこんな時にけんかしてどうすると怒られた。<br><br>すると、目が焦点の合わないまま、普通の大きさに戻った。<br>呼吸がゆっくりになり、息をするたび、<br>もうこれが最期の呼吸なのではと思われた。<br>私は母に、<br>私たちがけんかしたから、父は心配で戻ってきたんだと話した。<br>又、けんかしたら、いつまでたっても父は逝けない、<br>もう父を安心させてあげようと話した。<br><br>でも、相変わらず、母はパニックをおこしておろおろしている。<br>何で看護婦さんがすぐに来ないのかと怒っている。<br>イライラする気持をおさえて、<br>まだ、呼んでから数分しかたっていないのだから、無理だといっても<br>まだ来ない、まだ来ないとぶつぶつ怒っている。<br><br>私は父の手を握りながら、<br>「お父さん、ごめんね。こんなにけんかばっかりしてたら、<br>安心して逝けないよね。<br>もうけんかしないから、天国に行ってね。」と話しかけた。<br><br>本当に呼吸がゆっくりになって、<br>いつ呼吸が止まってもおかしくないかのようだった。<br><br>でも、祖父の時も祖母の時も、そして他の人の話を聞いても、<br>最期には大きく息をしてそこで息が止まると聞いていたので、<br>早く楽になってほしいと思い続けた。<br><br>看護婦さんに言われていたので、主人に時計を見ておいてくれるよう、頼む。<br><br>そして、父は大きく息をはいた。<br>目が閉じ、口がダラッと大きく開いた。<br>それが最期の息だった。<br>１２月１４日午後０時２８分の事だった。<br><br>しばらくは父を静かにながめていた。<br><br>そして最後に、片方の目のまぶたを開いて、<br>瞳孔が開いているのを確認した。<br><br>父の顔は苦しまず、まるで寝ているかのようだった。<br>父の顔を見ていたら、今までこらえていたのが我慢できず、<br>涙がボロボロとあふれてきた。<br><br>悲しかったけど、父は苦しむことなく、<br>自宅で最期を迎えられたから、きっと喜んでいるに違いないと思った。<br>ひどい娘かもしれないが、とうとう最期まで痛みを感じることなく、<br>幸せだったに違いないと思った。<br>私たちのことを考えて、急いで逝ってしまったのだと思った。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kawashima9248/entry-12931822757.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Dec 2008 15:06:47 +0900</pubDate>
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<title>１２月１３日</title>
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<![CDATA[ 朝８時に母から電話。<br>嫌な予感が心をよぎる。<br><br>朝４時に父を見に行くと、<br>呼吸が苦しそうだった。<br>心配だったが、あまり朝早いと悪いと思い、<br>今まで待って電話したとのこと。<br><br>私たちもすぐ行くが、<br>とりあえず訪問看護婦さんに電話して来てもらうように言う。<br><br>急いでしたくして、実家に向かう。<br>到着すると、訪問看護婦さんがすでに来ていてくれた。<br>確かに呼吸が苦しそうで、<br>息をするたび、苦しそうに声がもれ出ている。<br>(ただ、看護婦さんにお聞きすると、苦しそうに見えるが、<br>本人は苦痛を感じる機能が落ちているので、苦しくはないと聞き、<br>安心する。）<br><br>血圧はまだ正常だが、酸素飽和度が落ちてきているので<br>もって１週間でしょうとのこと。<br>病院に電話してくださって、今すぐならベッドが空いていますので、<br>入院も出来ますとおっしゃってくれた。<br>私が今日から泊まりますから、<br>最期まで在宅で過ごさせたいとお願いすると、<br>ご家族の疲れが心配ですから、あまり無理すべきでないと<br>お話くださる。<br>病院だと酸素マスクをつけたり、点滴をしたりできるので、<br>もう少し長く過ごせるでしょうとおっしゃっていただいたが、<br>父が自宅で過ごしたいといっていた事、<br>病院には戻りたくないといっていた事などをお話すると、<br>そういうことなら、この土日は在宅で過ごし、<br>月曜日(１２月１５日）に状態を見て、入院も検討しましょう。<br>ただ、今ならすぐ入院できますが、月曜ならどうなるかわかりません<br>とのこと。<br><br>とりあえず、土日だけは一緒に過ごしたい旨、お願いした。<br>再度病院に電話してくださり、こちらの要望を伝えて下さる。<br><br>そのあと、便をしていた父のオムツを替えてくださって、<br>局部を洗ってくださった。<br>このとき、あんなにむくんでいた父の足のむくみが取れているので、<br>うれしかった。<br>今朝から薬を飲んでいないので、また腫瘍熱が出るのではと心配だったが、<br>看護婦さんからもう薬は無理に飲ませなくても大丈夫といわれる。<br><br>最後に、会わせたい方がいらっしゃれば、<br>この土日に会わせておくべきだということと<br>まだ大丈夫と思いますから、今日はお帰りになった方がいいでしょうと<br>私のことを気遣ってくださって、お帰りになった。<br><br>お帰りになった後、父の妹２人に連絡して、<br>できるなら会いに来てほしいとお願いする。<br><br>まず、１２時ごろ、下の妹の叔母夫婦が到着した。<br>今日、お見舞に行こうと思っていたそうで<br>時間を繰り上げて来てくださった。<br>叔母はショックを受けていたようだったが、<br>苦しくはないと聞き、ほっとしていた。<br>そのとき、急に父が力みだし、苦しい顔を始めた。<br>びっくりしていたが、お腹にガスがたまっているので、<br>おならをしたくて力んでいるのでしょう。<br>体を動かす時はいつもこんな感じだとお話しすると、<br>ようやく安心してくれた。<br><br>叔父も父は丈夫だったので、まさかこれほど早いとは<br>思っていなかったと残念そうだった。<br>明日、菩提寺の住職さんに会いに行く事になっているので、<br>その間の留守を見ていただくよう、叔父に再度お願いする。<br>１時間ほどでお帰りになった。<br><br>主人は昼食を買いに行ってくれた。<br>気になったので、オムツをみると又、排便していた。<br>父は苦しそうだったが、オムツを代えた。<br><br>ちょうどそのとき、上の妹の叔母が到着した。<br>昔から空気が読めない人なので、<br>こちらがオムツを替えているのに、<br>いろいろ話しかけてくるので閉口した。<br>だからといって、何ひとつ手伝おうとする気はない。<br>周りをうろうろするし、話しかけるし、<br>本当に困ったものだ。<br><br>やっとオムツを替え終わり、父も落ち着いたので、<br>ベッドに案内する。<br>少し目を開けていたので、看護婦さんにはもう薬はいらないと言われたが、<br>薬を飲ませてみる。<br>トロメリンで水にはとろみをつけた。<br>お薬を飲みましょうというとわかったようだったので、<br>とりあえず、ステロイド剤と顆粒の胃薬を飲ませたが、<br>なかなか飲み込めないようでかわいそうだった。<br>もう水を飲むのもつらそうだった。<br>もう水はいらないというので、口に残ったステロイド１錠だけは取り出し、<br>口の中で溶ける胃薬だけ口の中に入れた。<br>(後から考えると、かわいそうなことをしたと思う。）<br>そのあと、叔母としばらく２人きりにしてあげる。<br><br>私たちは失礼して、遅い昼食をとりはじめた。<br>こちらに戻ってきたが、父のお別れが近いというのに、<br>父が亡くなった後、話を聞いてくれる人がいないから、<br>私に後はよろしくとか、<br>自分の爪の病気の話とか、<br>これから買い物をして帰るとかくだらない話を<br>うれしそうに話すので、<br>あらためて、叔母の人格を疑った。<br><br>父の様子を見たいと思っているのに、<br>いつまでもだらだらと自分の話をし続けるので、<br>母がさすがにあきれて、お土産のお寿司が悪くなるから、<br>早く帰るように促したが、<br>それでもまだ、牛乳とバナナを買って帰る話をし続けている。<br>しかも、支度を気にして、３度もバッグを直したり、<br>帽子をかぶりなおしたり、本当にイライラした。<br>心の中で早く帰れと思った。<br>帰ったら、もう４時だった。<br><br>お昼から上の娘を呼んでいるのだが、<br>卓球の大会に行っているので、<br>なかなか連絡が取れない。<br>やっと連絡が来たので、もう一度父に会いに来るよう<br>電話する。<br>下の娘にも電話したが、<br>昨日したインフルエンザの予防接種の後遺症でだるいというので、<br>６時半頃に来るように電話した。<br><br>父は相変わらず、意識もないようで変化がない。<br>息をするたび、声がもれでる。<br>そして、体がだるいのか、始終手を胸の上で動かし続けている。<br><br>６時半ごろ、相次いで娘達が到着する。<br>驚いた事に父が意識を取り戻した。<br>ただ、私たちの顔は見るのだが、よくわからないようだ。<br><br><br>足がだるいというので、さすってあげた。<br>あんなに冷たかった足が温かい。<br>むくみもない。うれしかった。<br>何か私に言いたいことがあるようだ。<br>必死に何を言いたいのか聞いてみるが、わからなかった。<br>そのうち疲れたのか、目を閉じてしまった。<br>（きっと最後に何か伝えたかったのだろう。<br>わからなくてごめんね。）<br><br>おでこを触ってみる。顔も首も熱があるようだ。<br>すごく心配になる。<br>羽根布団をとりのける。<br>心配でステロイドと顆粒の胃薬をトロメリンで溶いた水でとき、<br>スプーンで飲ませてみた。<br>口で溶ける胃薬も。<br>飲んでくれた。<br>昼とはうってかわって、水が飲みたいという。<br>ゆっくり何度かに分けて、１００ｃｃほど水を飲んだ。<br><br>オムツも取り替える。<br>２時ごろから１度もとりかえていないのに、<br>ほとんど尿をしていない。パッドだけとりかえる。<br><br>オムツを取り替えたあと、<br>体を触ると熱が下がっているようだ。<br>フトンが暖かすぎて、熱がこもってしまったのかもしれない。<br>安心して、又、フトンをかけてあげる。<br><br>いつもどおり、手をさすってあげて、<br>握手した。<br><br>７時に帰る予定が８時になってしまった。<br>下の娘の事が心配でもあり、<br>看護婦さんにも言われたので、今晩は帰り、<br>明日泊まりに来ることにする。<br>母も今日は大丈夫だから帰るように言ってくれた。<br><br>明日、看護婦さんが９時にもう一度、見に来てくれるとのことだったので、<br>それまでに来る事にする。<br><br>４人ではなまるうどんを食べて帰る。<br>あと１週間は大変な日々になりそうな気がして、<br>帰りながらクリスマスのイルミネーションを見ていく。<br>そういえば、去年はそれどころではなくて、<br>毎年、見にでかけていたのに、行けなかったのを思い出した。<br><br>家に着いたら、とっても疲れてしまっているのに、気がついた。
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<pubDate>Thu, 18 Dec 2008 05:32:21 +0900</pubDate>
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<title>１２月１２日</title>
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<![CDATA[ 結局、今日は父のところへは行かなかった。<br>母が来なくていいといってくれたので、<br>甘えさせてもらった。<br><br>代わりに下の娘が行ってくれるというので、<br>母の手伝いと愚痴の聞き役をお願いした。<br><br>行くのもつらいが、行かないのもつらい。<br>残り少ない日々なのに、行かなくてどうするという思いと<br>行って父や母の相手をするのもきついという思いと。<br>そして、父に会うのがつらいのか、<br>母に会うのがつらいのか。<br><br>やっぱり父が３割、母が７割かな。<br>父を見ているとどんどん下り坂を転げ落ちているのがわかる。<br>１１月からまだ１ヶ月ちょっとしかたってないのに。<br>もう、私の知っている父ではない。<br>そして、母。<br>母のつらさもわかるが、すべての感情をぶつけてくるから、<br>全部受け止めなきゃいけないのがつらい。<br>それに母と性格が合わないのも、<br>普段ならかわせても、今はかわせないから。<br><br>結局、ずっと胸の不快感と胃の痛みはとれないまま。<br>しんどい。
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<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 16:11:40 +0900</pubDate>
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<title>母</title>
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<![CDATA[ 今日、家に帰ってすぐ母から電話があった。<br>何故だか知らないが怒っている。<br>最初、何で怒っているのかわからなかった。<br>要は、持って帰るように言われたパンを持ち帰るのを忘れたから。<br><br>明日、帰りに持って帰れという。<br>帰り際、明日は来なくても大丈夫と笑顔で言ったのに。<br><br>言いたい事だけ言って、いきなり電話が切れた。<br>いつもの事だが、今の私にはけっこうしんどい。<br><br>電話を取るとき、父がどうかなったのかと思って、<br>すごくドキドキしたから。<br>いくら、そのことを話してもわかってくれない。<br><br>明日、来なくていいといわれたが、やっぱり行くべきかな。<br>一晩考えて決めよう。
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<link>https://ameblo.jp/kawashima9248/entry-12931822752.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 00:47:56 +0900</pubDate>
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<title>黒い羊</title>
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<![CDATA[ どこにでもいる黒い羊。<br>わが家の場合は叔母かも知れない。<br><br>１１月に父のがんがわかって以来、<br>何度となく、見舞いに来てほしいともう一人のおばが連絡してるのに、<br>自分の用事優先で、１度しか見舞いに来なかった叔母。<br>それすら、私のいとこ達にうながされてのお見舞い。<br><br>そのあげく、たまたま椅子に座って応対していた父を見て、<br>思ったより元気なので喜んで浮かれて帰った叔母である。<br><br>昨日、何を勘違いしたのか、父がほしがっていたという文机を<br>今頃、送ってくれるという。<br>今、わが家はそんな状況でなどないのに。<br>きつい書き方かもしれないが、はっきりいらないと書いてファックスした。<br>ついでになるべく早く会いにきたほうがいい事も。<br><br>それで慌てて飛んできたようだ。<br>本当は来てなんかほしくなかった。<br>どうせ自分の為に泣いて、父に思いをぶつけて、<br>悲劇のヒロインになるのがわかっていたから。<br><br>でも、このまま父が急変した場合の大騒ぎを考えて呼んだ。<br>きっと誰も知らせてくれなかったと人のせいにするだろうから。<br>それに父にとっては、いつまでも美しく聡明な妹に会いたかっただろうから。<br><br>そんなに美しく、聡明だったのに、結婚できなかったために、<br>祖父母も父も、思いっきり叔母を甘やかした。<br>それでこんなになってしまったと私は思っている。<br>いつもいつも自分だけが可愛そう、皆私をねたんで意地悪する、<br>私の苦しみを誰もわかってくれない。<br>父は途中で気づいたらしいが、もう手遅れだった。<br>それで、いつも叔母の愚痴を聞き、なだめ、慈しんだ。<br><br>頭がしっかりしている時は、そんなにも甘やかしてしまった妹の事を<br>最後まで心配していた父だった。<br><br>とりあえず来てくれたことで、私は少し肩の荷が軽くなった。<br><br>そして、もう一人のおばの、何故来るように言っても来ないのだろうかという<br>愚痴をしばらくは聞かなくてすむだろうから。<br><br><br>
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<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 00:41:11 +0900</pubDate>
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<title>１２月１１日</title>
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<![CDATA[ 昨日、帰るのが遅かったので、朝起きても疲れが取れない。<br>その上、なんだか落ち込みがひどくて<br>胃が痛い上に、不意に涙がこみ上げてくる。<br>この頃、朝になるとこのありさまだ。<br>きっと出社拒否症状というのも、こんな感じだろうか。<br>私の場合は実家にいくまでがつらくて仕方がない。<br>行ってしまえば、何とかなるのだが。<br><br>昨日、帰ってから洗濯の予定だったが、<br>あまりにも疲れてしまったので、けさ洗濯する。<br><br>父の病気がわかってから、修理に出した時計が<br>今日出来上がってきた。<br>大変な修理になるかもしれないと言われていたので、<br>下手をすると生きているうちに直らないのではないかと<br>思っていたので、とてもうれしかった。<br><br>２時ごろ、実家に向かう。<br><br>実家に向かう途中で叔母に会う。<br>昨日、父の病状をはっきり書いてファックスを送った。<br>そこで、すぐに飛んできたらしい。<br>父も自分もたくさん話したいことがあったのに、<br>もう話せないと思うと悲しいそうだ。<br><br>それならもっと早いうちに何度でも来ればよかったのに。<br><br>実家に着くとすでに訪問看護婦さんが来ていた。<br>私は初めてお会いする方だった。<br>父のことをいろいろお話して、<br>心配な事などにいろいろアドバイスをもらう。<br>今日は体を清拭していただき、頭まで洗ってくださった。<br>今後の参考に細かく指導していただいた。<br>私よりずっと若い方なのに、頭が下がる。<br><br>思ったとおり、父は昨日の転倒のショックから<br>トイレに行けなくなってしまい、<br>とうとうオムツに尿をするようになった。<br>今までのように、もうパンツタイプのオムツでは無理みたい。<br>看護婦さんの助言もあって、オムツのタイプを変えることにした。<br><br>看護婦さんが帰った後、体を拭いてもらって疲れたのか<br>父はずっと眠っている。<br><br>もう食べられるものを食べるようにと言われたので、<br>プリン・ゼリーを買いに行く。<br>他に、テープタイプのオムツ、夜用パッド、おしりふき、<br>使い捨て手袋を買った。<br>ヘルパーさんにオムツを替えてもらったりするのに、<br>手袋が必要だから。<br>母は、いちいち手袋をして、ポータブルトイレを掃除したり、<br>オムツを替えたりするのを見て、おかんむりだが、<br>赤の他人のオムツを換えるのだから、当然だと思う。<br><br>介護保険でオムツを頼んでおいたのだが、<br>もうパンツタイプは使えそうにないので、<br>変更できたら変更してもらいたい旨、電話する。<br><br>ケアマネージャーさんからも電話があり、<br>昨日頼んだヘルパーの件（火、木、土の夕方にも１時間来てもらう件）の<br>手配ができた事、<br>(介護度３の枠がまだあるので、）訪問入浴を申請するかどうかなど、<br>相談してお願いする。<br><br>本当に父の為にいろいろな方々が一丸となって<br>お世話してくださるので、感謝の気持でいっぱいだ。<br><br>残念な事だが、父はまた一歩、下りの階段を下りたようだ。<br>父にとっては悲しい事なのに、ポータブルトイレを使えなくなった事に対して<br>ホッとしている自分がいる。<br>ある意味、いちいち介助するよりオムツの方が楽なのだ。<br>だんだん立つ力がなくなってきた父をいつまで母と私で<br>ポータブルトイレまで連れて行けるのかと心配になってきたところだった。<br><br>他の方のがん闘病記を読むと、皆さん心の底から、家族を心配して、<br>できることは何でも、やってあげている。<br>それなのに、自分ときたらどれだけあさましいのか。<br>ある意味、父の悪化を喜んでいるのと一緒だ。<br>我ながら本当に嫌になる。<br><br>ただ、母を思えば、母は少し楽になったに違いない。<br>それだけでも良かった事と思いたい。<br><br>６時過ぎ、オムツを替えて帰宅する。
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<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 00:14:21 +0900</pubDate>
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<title>毒</title>
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<![CDATA[ 母のはく毒でまいってしまいそうだ。<br><br>年寄りだから、友人１人作らなかったから、<br>仕方のないことだと思っている。<br>私しか話し相手のいないことを。<br><br>でも、母は異常に外面がいい。<br>そして、陰で私に毒を吐く。<br>「お前にしかいえないから。」<br>「お前にしか言ってない。」<br>言われたこちらは毒を吐く先がない。<br><br>どんどん心の中に澱がたまっていく。<br>心がつらく重くなっていく。<br><br>皆が言う。<br>「お母さんが心配。」<br>「お母さんがかわいそう。」<br>「お母さんを気にかけてあげてね。」<br>陰で言われていることも知らずに。<br><br>わかっている、母が頑張ってくれている事を。<br>母がいなければ、父の在宅介護も無理だってことも。<br>でも、私の心の中にたまり続ける毒もなんとかしてほしい。<br>私のことも考えてほしい。<br><br>どこかにこの心の澱を流したい。<br>
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<pubDate>Thu, 11 Dec 2008 12:22:35 +0900</pubDate>
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<title>１２月１０日(続）</title>
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<![CDATA[ ３時少し前、往診の先生がいらっしゃる。<br>父は特に変化なし。<br>足のむくみがつらそうだと話すと、<br>足元に布団を引いて足を上げると若干楽になるであろうと<br>アドバイスをいただく。<br>入院すべきがどうかおききしてみたけど、<br>家での介護がつらくてできなくなってからか、<br>病状がもう一段階進んでから考えたらどうかとお返事。<br>いざと言う時は救急車で運んでから、どうすればいいか<br>病院で決めてもいいからと。<br>（でも、救急車で運んだあと、家に帰るとき、<br>どうやって父を家まで運んだらいいのだろう。）<br>それに環境の変化で痛みが出現する人もいるらしい。<br>今の状態では病院でできる事もたいしてないそうだ。<br>とりあえず、今はこのままで、様子を見ようと思う。<br><br>父のためには在宅の方がいいのはわかっている。<br>父もそれを望んでいるし。<br>でも、日に日に弱っていく父をみると、<br>老齢の母に任せつつ、<br>いつまで見ていけるのだろうと心配になる。<br><br>とりあえず、田舎の叔母に相談。<br>ヘルパーさんの来る日数を増やしてもらったらとアドバイス。<br>早速ケアマネージャーさんに連絡して、<br>月水金の午前中２時間に加えて、火木土の夕方１時間来てもらうよう<br>手配を頼む。<br>母が支援２になったので、万一、父が入院した時にも<br>ヘルパーさんが来てもらえる様、計画をたてておいてほしいとも。<br><br>母は久しぶりの病院通いの割に、<br>疲れたと連発しながらも、顔は明るい。<br>やはり、父とずっと一緒にい続けるのはつらいのかも。<br><br>無理矢理横にならせる。<br><br>先生から、栄養不足だから、プリンや甘いものを取るように<br>言われたので、<br>父にアイスクリームを食べさせる。<br>アイスだと半分、ぺろりと食べてくれた。<br><br>母の寝ている間に父の為に雑炊を作っておく。<br><br>６時、食事前にトイレを促す。<br>やはりおむつにしているので、トイレではほとんどでない。<br>けさの転倒がことのほか、ショックだったのでトイレに行くのが<br>怖くなったようだ。<br><br>食事もアイスのせいか、拒否。<br>時間をずらせて食べさせる。<br><br>今日は、母が父のことが心配でずっとお風呂に入っていないというので、<br>お風呂の支度をして、母を入浴させてから帰宅。<br><br>家に着いたら１０時をまわっていた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/kawashima9248/entry-12931822744.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Dec 2008 11:22:14 +0900</pubDate>
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