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<title>kazuki-maのブログ</title>
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<description>心赴くままに</description>
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<title>努力の成果</title>
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<![CDATA[ 努力は必ず報われる<br><br>小さい頃から言われてきた言葉だ<br>誰だって言う<br>親、教師、テレビ、ラジオ、…<br>これは正しいのだろうか<br>ずっと考えてきた<br><br>高校時代、死ぬほど勉強するとはこう言うことだなというくらい勉強した<br>友達に負けないよう、そして何より弱い自分に負けないよう<br>しかし、結果は地元のFラン大学しか受からなかった<br>努力したのに成果にならなかった<br>これは冒頭の命題への反例となる<br>やって命題は成立しない<br>いや、努力は足らなかったのでそんなものは努力とは言えないのだろうか<br>問題はその努力が努力と認められるかどうかが、何によって判断されるかによる<br>それは結果なのか、自分なのか、はたまた第三者なのか<br><br>これは間違えなく結果だ<br>だいたい報われてない人はこんなこと言わないし、誰も聞く耳をもたない<br>成功した人がいうからすごいのであって、そんな時我々はその言葉よりその人の成果や結果に目を向けているのかもしれない<br>結果に目を向けるものだからその人がどんなバックグラウンドをもっていて、努力と結果との因果関係にはまったく目もくれない<br>当然だが結果が全てなのだ<br><br>しかし、もし、その人の能力や背景を考えて結果を出してくれたり、それ基準で声をかけてくれたりする人がいれば、気持ちは楽になる<br>失敗したけど努力してよかった、次は頑張ろうという気になる<br>もし、それがいなければ又、なければ努力は無駄だった<br>疲れるだけならやらなければよかったとなってしまう<br><br>その目を持てるかどうか、その一声をかけられるかどうかで次の結果は変わってくるのではないだろうか
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<pubDate>Thu, 28 Sep 2017 22:51:42 +0900</pubDate>
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