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<title>霖雨蒼生</title>
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<description>病気になった息子と治療を終えるまでの僕と妻のことを記録します。</description>
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<title>反動</title>
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<![CDATA[ <p>だましだまし過ごしていましたが、自身が椎間板ヘルニアになってしまい、入院して手術して退院しました。<br><br>息子に付き添って入院していた際の簡易ベッドが理由の一つかなと思う。僕は身長が高いので（185cm）簡易ベッドから足が出てしまう。腰が痛くなっても寝返りがうてない。これが影響して一年ほど痛かったのですがいよいよ足が痺れて歩けなくなり、手術にふみきりました。<br><br>少しだけ切って内視鏡で椎間板を削る手術でしたが、初めての手術でとても怖かった。局所麻酔で眠る薬を入れてもなかなか眠くならず手術器具が目に入ってそれだけで恐怖を感じた。<br><br>息子は本当にすごかったんだな、と改めて思った。<br><br>退院して息子に伝えた。よく頑張ったね、それも三回も。息子はぜんぜん平気だったと言った。</p>
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<pubDate>Mon, 12 Sep 2022 15:34:29 +0900</pubDate>
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<title>呆然</title>
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<![CDATA[ <p>生検の手術は朝9時頃からだった。早くに病院に行って待っていた。手術室の手前まで一緒に行くことを許され、妻と一緒に運ばれて行く息子といた。看護師の方々のおかげだろう、息子は不安になっている様子もなく、ニコニコと笑っていた。じゃあまたあとでね。ここで待ってるね。息子は手術室に運ばれて行った。<br><br>それほど時間はかからないと聞いていたが、なかなか終えたと知らせに来なかったので何かあったのではないかと気が気じゃなかった。午後になって無事に組織を採取できて強制的に眠らせてICUに移したと伝えに来てくれた。ICUに行き息子に会うことができた。ただとにかく終わってよかったと思ったのと、まだ2歳の子供が口や鼻に血の跡が残った状態で肌寒いICUの一画で眠らされている状況を見て息が詰まりそうだった。妻は目に涙を浮かべていた。僕はとにかく気丈に振る舞った。よく頑張った、これで結果がわかって治療に入れるね。そう話した。<br><br>この状態で三日ほど過ごすとのことだった。その間の面会はICUということもあり、一日20分ほどとのことで行ける時間も指定されていた。帰宅して妻と二人だけの数日を過ごすことになった。<br><br>妻はもっと早く気づけたんじゃないか、自分のせいなんじゃないか、とネガティブになっていた。そんなことは無いし、早くに気づけたのはすごいと医師も言っていたじゃないか、と話していた。面会出来る時間を除き、妻の息抜きになるように散歩したり、外食したりした。どこに行っても、息子はこれが好きだった、これをよく食べた、病院に持っていけるか、など気にしていた。それでも少しは気が紛れているのか笑う場面も少しはあった。だが、面会の時間になるとそういったものもすべて消えた。息子が眠っている期間は三日の予定が延期され五日になり、さらに数日増えた。もう気が気じゃなかった。生検で採取した組織の病理検査の結果もすぐには出なかった。非常に稀な腫瘍とのことで、複数箇所に病理診断を依頼していた。<br><br>この間、当時のメモやメッセージのやり取りを見返したり、妻に聞いてみてもどんな風に過ごしていたのかまったく思い出せない。<br><br>やっと息子が起きる日が決まり、覚醒したら連絡が来ることになり、それを心待ちにしていた。何かあって起きないのではないか、不測の事態が起きたらどうしよう、そんな不安に押しつぶされていた。<br><br>連絡を受け、二人ですぐに飛び出して病院に向かった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12759028179.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Aug 2022 23:46:52 +0900</pubDate>
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<title>愁眉</title>
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<![CDATA[ <p>シンチグラフィ検査がすぐに行われた。結果を聞く為に先日と同じ面談室に行き、そこで医師を待っている間、妻と少し話していた。息子は元気だがいよいよ起き上がれない様子で早く治療したいと言っていた。<br><br>医師が入ってきた。息子の病気を見つけてくれた小児科医だけだった。前と同様、息子は別室で看護師と一緒にいた。<br><br>シンチグラフィの説明を改めて説明してくれた上で、その結果について話してくれた。どうやら息子の病気はなぜなのかシンチグラフィには反応しなかったようで、腫瘍のある頭蓋底や頭頸部も含めて、全身反応が無かったとのことだった。通常、何らか反応があるはずなのに、と不思議がっていた。<br><br>僕は口には出さなかったが、これはこの結果は悪性腫瘍ではない可能性もあるのではないか。そう考えていた。良いように解釈することで心のザワつきをおさめようとしていた。<br><br>息子と少し会えた。元気そうだった。ただ、これまでより言葉少なだった。息子は2歳なのによく喋る子だった。声もとても可愛くて女の子のようだった。けれど、名前を呼んでいろいろ話しかけても、ニコッと笑うだけだった。毎日テレビ電話をしていてもあまり喋らなかったのは実際に会っていないからかな、と思い込んでいた。でも違った。多分話すこと、声を出すことが辛くなり始めていたのかと思う。<br><br>下の売店で買物をするからと妻も一緒にエレベーターに乗って降りた。少し痩せたように感じた。それを伝え、元気になれる食べたいものがあれば買ってくるから、とも伝えた。妻は頷いていたが、あなたもね、と言った。僕も妻から見たら痩せたようだ。言われてみれば食事した記憶があまりない。あとは髭も剃って無かった。自分のことや身嗜みに無頓着になっていた。それよりも息子が喜び、妻が喜ぶことが重要だった。<br><br>帰宅して仕事をした。オンラインで会議をし、資料を確認し、メールやメッセンジャーでくる連絡に返し、判断し、意思決定する。まだまだベンチャー企業で赤字経営であることから課題も多く、特に資金の問題やこれから力を入れるべき事業、見切りをつけて止める事業、付随して起こる人員の整理、会社を成長させる新たな事業など、毎日考え議論していた。まだ息子の状況については詳しくは伝えていなかった。仕事をしながらも常に息子を案じていた。妻から、病院からの連絡に対応できるようにしていた。だからあまり仕事も上手く回っていなかったように思う。<br><br>そんな仕事のやり取りの中で、以前より一緒に事業をやろうと声をかけてくれているSさんからの連絡もあった。ベンチャーとはいえ企業を経営している状況で、他の事業を片手間でやることは難しく、まあ無理矢理やっても中途半端になってしまうから、と彼には伝えていた。それでも折を見ては連絡してくれて、話している中で息子の状態について話した。<br><br>手術になった場合、今の病院では出来ないから出来る病院を探しているがなかなか決めかねていること、早く治療に入りたいがまずは生検して結果が必要なこと、誰か専門医の話を聞きたいと思っていることなど、矢継ぎ早に話していたようだ。オンラインでの打合せだったけれど、そう話していた中で知らないうちに泣いてしまっていたようで、それでも彼は何も言わずじっと聞いてくれていた。終わりになって彼は、ちょっと僕の知り合いに聞いてみるよ力になれることがあると思う、今は息子さんに集中すべきだから仕事の話は止めよう、近いうちに会って話そう、そう言ってくれていた。ありがとうと伝えて切った。<br><br>夜になり妻に連絡して病院に行った。必要な物を買って届けた。帰宅してソファに座ってテレビをつけた。すぐに消した。じっとしてられなくて外に出てただただ歩いていた。公園のベンチに座って息子とブランコに乗ったことを思い出したり、線路脇の石垣に腰掛けて息子と一緒に走ってくる電車を待っていたことを思い出したり、そんなことをしていると陽が上がってきていた。帰宅してソファに横になって、少し眠ったりしたがすぐに目が覚めてしまう。そんな毎日だった。<br><br>そして生検の手術日になった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12758864146.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Aug 2022 01:43:26 +0900</pubDate>
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<title>懊悩</title>
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<![CDATA[ <p>眠ることなく病院に行く準備を始めた。病院までは車で15分程度。息子はこの病院での入院は二度目。一回目は生後半年ほど経った際に罹患したRSウィルスだった。あの時も心配で仕方がなかったが、今回は更に辛い時間を過ごしていた。<br><br>熱いシャワーを浴びて頭をスッキリさせた。それから妻に連絡し、必要な物はないか尋ねた。昨日の今日なので特に無かった。<br><br>まだ7時だか8時だかだったのだが、居ても立っても居らず病院に向かった。当然開いているわけもなく、病院の裏にはある公園のようなスペースのベンチに座って何をするでもなく、ただただ深呼吸をしていた。<br><br>外来の患者さんが少しずつ現れ始めた。それを見て入院病棟に向かった。病室のあるフロアについて妻に連絡したところ、妻がフロアの待合室まで来てくれた。<br><br>たった一夜会わないだけだったのに、すっかり小さくなってしまったように見えた。妻は173cmほどあって大きいのだが、とにかく消え入りそうなほどだった。<br><br>とにかく明るく振る舞った。大丈夫、先生も言っていたけどこの段階で見つかったのはすごいこと、よくお子さんを見ているからですね、そう言っていたじゃない。早い段階で見つかったのだよ、君が見つけたのだよ、だから大丈夫。そんなことを言っていた気がする。<br><br>午後に面談を組まれた。それまで時間があるから何か息子が喜ぶような物を探してくる。そう言って病院を後にした。息子には会えなかった。コロナ禍の病院のルールは厳しかった。<br><br>五反田の本屋に行って絵本を吟味した。最近気に入っているアンパンマンや家にいる時に一緒に見ていた仮面ライダーやスーパー戦隊の本を買った。妻にも気が紛れるように好きな作家の小説や雑誌を買った。<br><br>病院に戻った。まだ指定された時間まで随分あったので病院内のタリーズに入ってコーヒーを頼んだ。そういえば昨日のお昼から何も食べていなかったと思い出し、サンドウィッチも頼んだが、サンドウィッチには口をつけられなかった。<br><br>時間になり、妻のカフェラテを買い、病棟に行き妻に連絡した。看護師が来て誘導してくれた。セキュリティの先に面談室がありそこで待たされた。<br><br>すると妻と息子が一緒に来た。息子は元気そうだった。パーパ！　と迎えてくれた。なぜか息子はパパではなく、パーパと僕を呼んだ。ママも同じ。マーマ。<br><br>医師が数人面談室に入って来られた。息子は看護師の方が別室で見ていてくれるとのことだった。医師は生検のスケジュールと、生検の手術は口から行うことや、小さいので術後も数日眠らせておくこと、生検までの間にシンチグラフィ検査をする、との説明があった。<br><br>いろいろと検査をするのはわかったが、検査結果の上、手術となった際にこの病院で受けることが出来るのか？　僕は尋ねた。<br><br>治療方針、プロトコルを決めるにあたってまずは情報と状態、仮説を立てる為の病理診断が必要でその為の検査である。また小さなお子さんで病巣が頭蓋底であることからこの病院での手術は難しい。実績がない。手術になった場合は、おそらくは手術になるが、その際は実績のある病院に転院することになる。現在並行して確認をしている。<br><br>だとしたら先に転院して、そこで検査、生検を受けたいがどうか。転院先でまた同じような検査をすることにならないか。いろいろと検討いただいて感謝しているが少しでも早く治療に向けた話しをしたい。僕はそう話した。<br><br>転院するにしても病気が何であるかを調べて確定診断した上で引き継がないといけない。受け入れてもらう為にも必要。<br><br>そんなやり取りをしていたが、まずは従うことにした。息子の病気を見つけてくれた小児科医も同席していたが何も言わなかった。脳神経外科の部長だからだろうか。何か言いたげに見えたのだけれど。そう思った。<br><br>面談を終えて妻と少し話した。ここで手術出来ないのであれば、手術出来る病院を探してみる。そう話した。息子が待っているだろうから戻ってあげてと伝え、何か必要な物があれば連絡するよう話してから病院を後にした。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12758307107.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Aug 2022 22:24:20 +0900</pubDate>
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<title>回視</title>
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<![CDATA[ <p>急な入院。急いで帰路につく。病院に残った妻から必要な物のリストが送られてくる。パジャマや歯ブラシ、替えの下着におもちゃ。妻の分も。<br><br>用意をしながら部屋に飾ってある息子の写真がチラチラと目に入ってくる。その度に手が止まってしまって、いつから様子がおかしかったろうか、と思い返したり、きっと大事じゃない、と言い聞かせたりしていた。<br><br>用意を終えて他に必要な物はないか、何か飲み物や食べ物は必要ないか、妻に連絡をした。妻からの連絡を待ちながらまた車に乗り込んだ。<br><br>途中コンビニに寄って妻の希望する飲み物や食べ物を買った。コーヒーやチョコレート。息子にも玩具付のお菓子を買った。<br><br>コロナ禍ということもあり、僕は病棟や病室に入れない。病室のあるフロアまで行って、看護師に荷物を預けて、それを妻に連絡した。しばらくして受け取ったと連絡がきた。<br><br>明日の朝、また病院に来るから必要な物があればまた連絡して。息子はもう寝たのかな？　そしてまた駐車場に向かった。<br><br>真っ直ぐ家に帰りたくなくて、途中、恵比寿のマンションに囲まれた公園の近くで駐車した。そういえば去年の夏にこの公園に来て遊んだな。一緒にブランコに乗ったな。<br><br>スマートフォンで息子の病状を調べた。頭蓋底腫瘍、2歳、歩けない、喉を押さえる、そんなキーワードを組み合わせを変えながら入力して検索した。たくさんの見慣れない漢字の脳腫瘍に辿り着いた。たくさんの治療法、治療手段も検索した。どれ一つ僕が期待するようなことは書いていなかった。<br><br>さすがに家に帰ることにした。妻から何通ものメッセージが届いていた。僕と同じことをしていたのか、いろいろと調べたことが書いてあり、不安や心配が書き並べられていた。とにかく明るく振る舞った。そうしないと僕自身もガラガラと崩れてしまう気がした。何よりまだどんな腫瘍かもわからない。良性かもしれない。<br><br>パソコンを開いて仕事関連の連絡などを確認することにした。何を見ても読んでもまったく頭に入らない。気づくとまた息子の病状を調べてしまっていた。<br><br>そして気づいたら朝になっていた。午前中は病院に行きたいから仕事は休ませてもらうことにし、関係者に連絡した。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12758150660.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Aug 2022 01:00:54 +0900</pubDate>
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<title>経験</title>
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<![CDATA[ <p>息子の様子がおかしいと感じ始めてからすぐに、義母、妻のお母さんに会いに行ったのを思いだした。<br><br>妻のお母さんは自宅でピアノを教えていたり、小さな子供達にリトミック教室を開いていて、息子も遊びに行く度に教えてもらったり、リトミックを応用して遊んでくれた。<br><br>ただ、やっぱりすぐ寝転んでしまって、抱き抱えると肩に顎を乗せていた。その様子を義母はずっと観察していたようだった。<br><br>夕飯をご馳走になった。その時息子は頬杖をついていた。何度注意しても止めなかった。義母は笑いながら、頬杖つきたいこともあるわよね、と息子に声をかけていた。<br><br>帰り間際、息子はソファで寝ていた。あまり気にも止めていなかったが、少し前から眠るとグッショリと汗をかくようになっていた。僕は息子の汗を拭いながら抱き抱えた。<br><br>玄関で義母は妻と僕に言った。ずっと見ていたけど、あなた達が言うように、以前とは様子が違うと思う。ちゃんと病院に行って診察してもらった方がいいと思う。<br><br>僕らはそうすると答えて家路についた。帰り道の車中で話していた。お母さんも言うのだし病院に行こう。妻はそう言った。<br><br>三人の子供を育て上げた経験に勝るものはないな。そう思った。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12758144460.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Aug 2022 23:56:42 +0900</pubDate>
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<title>診断</title>
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<![CDATA[ <p>名前を呼ばれ診察室に入る。そこにいたのはまだ若い小児科医だった。息子の状態や気になる点について話し、撮影しておいた息子が歩いている様子の映像も見せた。しかしながら、これといった診断はなく、そのまま診察室を後にした。<br><br>診察室を出た直後に、しばらく待てますか、と聞かれた。別の医師にも診てもらいたいとのことだった。<br><br>診察室の前のソファに座って待っていると、また名前を呼ばれた。別の医師が来たようだ。また診察室に入ると、先程と同じ内容を話した。さっきと違うのは、息子の口の中を確認したこと。それから別の医師は僕らに話し出した。<br><br>舌が向かって左側、息子からすると右側に傾いている、これは神経の異常が考えられる。詳しく調べてみないとわからないが、神経の伝達に問題があるのかもしれない。明日にも検査をしたい、CTとMRIの撮影をしましょう。彼女はそう言った。<br><br>それでも僕はまだ楽観的だった。翌日の仕事の予定をリスケジュールさせてもらって、付き添えるように整えた。<br><br>翌日、朝からCTやMRI、造影や心電図など、多くの検査をした。フロアの移動や診察場所の移動、あちらこちらに歩き回ってやっと全て終えた。そしてその日は帰宅することになり、結果については電話で連絡するのでその際に結果を説明いただく日程をいただくことになった。<br><br>その日の夕方近く、それほど時間を経ずに電話は鳴った。今から病院に来れますか。検査結果の説明をしたい。妻が電話を受けたのだが、なんだか急いでいる様子だったようだ。それを聞いてさすがに僕も胃が縮まったような感じになった。<br><br>息子も連れて三人で病院に向かった。車の中で妻は不安を口にしていた。あんなに多くの検査をして、当日に結果の説明をされるなんてあるのだろうか、急がなきゃいけない理由があるのではないか。僕もそう感じていたが、妻に対しては、大丈夫だよ早く聞けてよかったじゃないか。そう話していた。でも本当は胃が絞られているような感じだった。<br><br>病院について誘導された先は、脳神経外科だった。昨日聞いていた、神経に問題があったからだろうか、そう思った。<br><br>昨日の別の小児科医から説明が始まった。もう一人医師が来ます。脳神経外科部長の医師です。<br><br>脳神経外科部長が部屋に来られた。椅子に座るや否や撮影されたCTやMRIの画像データをパソコンに映し出した。そして説明を始めた。<br><br>息子さんの頭蓋底の部分、斜台という骨の辺りから脳幹に食い込んでいる腫瘍が認められる。硬膜を壊して脳幹を押しているのでは無さそうですがかなり硬膜が薄くなっているのではと思われる。腫瘍の影響か第一頚椎、第二頚椎の四分の1ほどが壊れて無くなっている。パソコンの画面を指しながらたんたんと説明していた。<br><br>そこまで聞いて身体中が震えてきた。妻は泣き出しそうな顔をしていた。<br><br>続けて頭蓋骨の標本を取り出して、より具体的に説明してくれたが、この時に何を話されていたのか、まったく憶えていない。どうやら聞くのを拒否していたのだろう。頭の中で聞かなければ、と何度も反芻していた。<br><br>その腫瘍は良性なのですか？　悪性なのですか？<br><br>言葉として発した後、脳神経外科部長の医師は言った。画像からは判断出来ないので、この腫瘍を一部取って検査しましょう、今日はこのまま入院して生検の日程を組みます。頭が真っ白になった。<br><br>息子と妻はそのまま病院に残り、入院病棟で待つことにし、僕だけ家に戻り必要な物を病院に届けることにした。妻は不安で泣き出しそうだった。僕は妻に笑いながら言った。きっと大丈夫だよ、早く見つかってよかったし、何より原因がわかってよかった。<br><br>駐車場に行き、車を機械式駐車場から出してもらい、乗り込んだ。手が震えていた。エンジンスタートしたもののアクセルが踏めない。足も震えていた。大きく深呼吸して家に向かい始めた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12757616957.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Aug 2022 23:49:38 +0900</pubDate>
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<title>異変</title>
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<![CDATA[ <p>2019年の冬。息子が2歳になると、保育園に入園することになった。母親の復職に合わせて。<br><br>僕がお迎えに行った際に、喉を押さえる仕草が見られるようになった。思えば、あの頃から息子には違和感があったのだろう。<br><br>2020年に入り、喉を押さえる仕草の頻度が上がっていたように思う。世の中はコロナ禍に入り始め、リモート勤務が奨励され始めた。御多分に洩れず、僕が代表を務めていた会社もリモート勤務に移行した。<br><br>その為、家で仕事をしながらも、息子と過ごせる時間も増えて喜んでいた。<br><br>ただ、息子は喉を押さえる仕草から、頬杖をつく仕草に変わった。食事中も頬杖をつくものだから、注意するようになった。それでも止めず、泣きながら頬杖をついていた。<br><br>四月頃になると、歩くのを嫌がるようになった。また、家にいる時は寝転んで遊ぶようになった。それでも僕はあまり心配しておらず、気づいたら膝に座らせて一緒に遊んでいた。そうしている間は座れていたし、嫌がらなかったから。<br><br>ただ妻は、「おかしい」と言うようになった。あまりに言うものだから、近くのクリニックやそこから紹介された病院などに行った。そこでは、コロナ禍による環境の変化やずっと家にいることによる精神的な影響ではないか、との診断で、僕はそれを聞いて安心しきっていた。ほら、たいしたことないんだよ、と妻に声をかけていた。それでも妻はまだおかしいと言っていた。<br><br>それから少しして、妻がどうしても気になるから、と家から近い総合病院に行くことにした。<br><br>その頃、息子は元気な素振りは見せるものの、やっぱり寝転びらながらおもちゃで遊んでおり、外に出かけても歩こうとせず、抱き抱えると、僕の肩に顎を乗せていた。痛いから顎を乗せないで、と僕は息子に言っていたのだが、彼はそれを止めなかった。今考えると、そうしないと頭を支えられなかったのだと思う。<br><br>総合病院に行き、小児科で診察を受けられるまで少し待つことになり、その間、病院で息子と追いかけっこをした。でも、数歩歩くとしゃがみこむといった具合だった。<br><br>名前が呼ばれて診察を受けた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12757519827.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Aug 2022 13:34:14 +0900</pubDate>
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<title>記録</title>
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<![CDATA[ <p>息子（発症時2歳半）が小児希少がんに罹患。一年以上の治療の上退院。現在は治験に参加しながら経過観察。<br><br>やっと最近になって、当時の出来事が断片的に思い出せるようになったので、その度に「記録」を残そうと思う。<br><br>あまりに怒涛の生活だった上にショックや悲観な日々だったことから、その期間の記憶が無い、あっても曖昧だったが、そういえばと思い起こせるようになったのは、ひとえに4歳になった息子が元気だからだろう。<br><br>まだ寛解までは先が長いが、このまま走り切ってくれると信じている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kazukogi/entry-12757514435.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Aug 2022 12:56:00 +0900</pubDate>
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