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<title>kedamasaのブログ</title>
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<title>あいさつのまほう</title>
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<![CDATA[ <div>春は出会いと別れの季節…。</div><div><br></div><div>お得意様のスーパーさんは人事異動が結構激しい。この春も一足早く今週からチーフや店長が入れ替えになっております。</div><div>あるお店で新しい店長さんが補充中の自分に声かけてくれて、「今度店長になった〇〇です」とその顔には見覚えが！</div><div>バローさんとお取引始めた時の最初のお店の農産チーフの方でした。</div><div><br></div><div>当時は若さが空回りして威張っていた(無理していた)印象でしたが10年近く経ってすっかり責任ある大人の顔に。</div><div><br></div><div>こちとら少しも変わってませんが、よろしくお願い申し上げます。とご挨拶しました。</div><div><br></div><div>と同時に、オリラジの藤森慎吾さんのしくじり先生の名言「局長・編成・GP・P・CD・AP・D・AD」でないですが、最初下っ端でもいずれ偉くなる！のとおり、人は成長していきます。みんないつかは偉くなる。</div><div><br></div><div>役職関係なく挨拶と実践、それから誠心誠意尽くすことは大事だなぁ、と改めて実感した朝でした。</div><div><br></div><div>さて次のお店も挨拶行くぞ。</div>
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<pubDate>Mon, 17 Feb 2020 10:00:30 +0900</pubDate>
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<title>ゴーンが逃げても自分はフェアレディZ(Z33)が好きだ！</title>
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<![CDATA[ <div>‪ゴーンが逃亡したお陰で現在の愛車フェアレディZ(Z33)も何故か叩かれているのが悲しい。</div><div><br></div><div>功罪はあるが、瀕死の日産でmr_kこと片山豊氏とともにZを復活させ現在まで続いていることは有り難いことじゃないかと。</div><div><br></div><div>今時NAで300馬力でマニュアルで中古市場で100万以下であるスポーツカーは他にないよ！GTR(R35)は新車で1200万以上、現行のZ34も購入価格が400万からとい趣味で乗るスポーツカーとしては贅沢品。自分のような貧乏人じゃ買えないですぜ(自動車税も払えないw)。</div><div><br></div><div>フェアレディZオーナーになると、どのZが最強かの議論になってとかくZ33はZ32好きから酷評される。でも自分からすればZ32は確かに高性能だけどバブルの申し子。贅沢高級車なのですよ。そもそもZはポルシェやジャガー買えない人へのプレゼンントだった…はずですよね。いいじゃんNAで。ターボなくても馬力十分だし。HICAS、ありゃオーパーツですよ。</div><div><br></div><div>現行のZ34も良いんですよ。購入候補でした。エンジンのVVELとか、6速MTのシンクロレブコントロールとか「おお技術の日産」と思うとこあるのですが、排気量が200cc増えたおかげで自動車税のレートが上がっちゃうのと、Z33と1番比較されるのがZ34はホイールベースが100mm短縮されたこと。これによってスポーツカーらしい運動性、回頭性が向上…とありますが、Z33を見慣れた自分からすると何というか…寸詰まりというか、チョロQチックに映るというか。</div><div>さらにCピラーからテールへの繋がりが、なんか急に繋げた感じで。正直Zに乗る前は日産車のエクステリアがゲロ嫌いで、特にレパードJフェリーを通勤時によく前走られたせいか、どうも日産のデザイナーは車の前後別別に担当者がいるんじゃね？と思っておりました。</div><div>と、Z34は予算の都合で買えなかったんですけどね。負け惜しみ。</div><div><br></div><div>初代Zも日産の車から寄せ集め。</div><div>Z33もこれまたゴーン逃亡前から「あんなクルマ、スカイラインじゃねぇ！」と叩かれまくりのV35スカイラインのプラットフォームを流用して開発コスト浮かすとか、開発経緯まで初代Zに回帰したZ33。</div><div><br></div><div>クッソトルクフルだし燃費も10km/lちょいとスポーツカーにしては良いし、エンジンの回転フィールがトロいだの言われるVQ35DEだけど自分のは中期型で前のオーナーさんがマフラーをNISMOに、キャタライザーをスポーツにしてあるから吹け上がりも軽い。</div><div>ほんと良い車ですよ。みんな乗ろうぜ！</div><div><br></div><div>‬ ‪#ゴーン　#フェアレディZ‬ #z33&nbsp;<div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200114/14/kedamasa-ame/56/69/j/o1080081014696020918.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200114/14/kedamasa-ame/56/69/j/o1080081014696020918.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><br><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200114/14/kedamasa-ame/a4/fd/j/o1080081014696020924.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200114/14/kedamasa-ame/a4/fd/j/o1080081014696020924.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><br></div>
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<pubDate>Tue, 14 Jan 2020 14:30:56 +0900</pubDate>
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<title>朝のお詫びとお願いと働き方改革</title>
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<![CDATA[ <div>今朝方のスーパーさんでの顛末。</div><div>いかに理不尽なことだったとはいえ、お客様に対して「糞ジジイ」呼ばわりしてしまい誠に申し訳ありませんでした。深く反省しています。</div><div><br></div><div>ただ、営業時間前はスーパーのみなさんはじめ、自分のような一業者も開店前の限られた時間で準備に奔走しています。</div><div><br></div><div>自分もよくあるのですが、昨日の停電のように、電気が使えない、不便だ、けしからんと憤るのはもちろんですが、日々送電網を維持している方々、12月の風雨の中時間外かもしれない作業を行う姿が想像できれば、溜飲も下がるのではないでしょうか。</div><div><br></div><div>今日はおそらく多くの会社、役所が仕事納めかと思います。1年間おつかれさまでした。</div><div>忘年会や年末の大掃除や年始の準備にお忙しいことかと思います。</div><div><br></div><div>その時はぜひ、立ち寄られたスーパーや居酒屋さん、呑み屋さんなどが年末も休み無く働いていることに心置いていただければと思います。自分も心配りいたします。</div><div><br></div><div>今年はとみに「働き方改革」の言葉が飛び交いました。けれども年末年始にサービスをつなぎとめている人たちの多くは、働き方改革の恩恵にじゅうぶん受けていないのではないでしょうか。とみに「お金が儲かるからいいじゃん」と言われがちですが、皆家族やプライベートを犠牲にしていることも多いかと思います。</div><div><br></div><div>「半ばは自分の幸せを、半ばは他人の幸せを」</div><div>小学校時代に習っていた少林寺拳法の開祖のことばです。</div><div><br></div><div>我々、自営業、サービス業のものにとっては、お客様からの温かい言葉が何よりの「働き方改革」の報酬です。どうか我々のことも心に残していただき、おたがいに「ありがとう」と言い合えるようになりたいですね。</div><div><br></div><div>どうか令和最初の年末年始を健やかにお過ごしいただければ幸いです。</div><div><br></div><div>長文、駄文で申し訳ありません。</div><div>申し訳ついでに、新年を新たに健やかな気持ちでお迎えいただくためのお花は是非に当店で。</div><div><br></div><div>年内休まず営業いたします。</div><div>何卒宜しくお願い申し上げます。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kedamasa-ame/entry-12562604413.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Dec 2019 16:57:37 +0900</pubDate>
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<title>先輩から教わったこと。鳥の視点とアリの視点</title>
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<![CDATA[ <div>鳥の視点とアリの視点</div><div><br></div><div>春先にIT企業さまから新入社員IT研修の講師のお仕事をいただきます。</div><div>講師に何でも質問してねというと必ず来るのが、</div><div>「コンピュータやプログラミングの知識がないのでやっていけるか不安です。どのように勉強したらいいですか」</div><div>というものです。正直、なぜこの仕事を選んだ！とツッコミたくなりますが、ぐっと抑えて</div><div><br></div><div>「鳥とアリの視点を持とうぜ」と教えてます。</div><div><br></div><div>自分も最初に勤めた会社(地獄)で同じ疑問と不安にぶち当たった時、車内で1番できる先輩(社内公認社内恋愛彼女持ち)に聞いたら、「鳥とアリの視点を持ちな」と教わりました。</div><div><br></div><div>10万行のプログラムでも、鳥のような高いとこからの視点で、いくつかの機能やモジュールの結合体であることが見えるぞと。更にそれぞれのモジュールも、入力、処理、出力と繋がってる。</div><div>ここの処理を1文字、１行ずつ追ったら前に進まないし、間違ったとこを調べたり、直したりで効率悪いと。</div><div><br></div><div>確かに確かに。それからは言いつけの通り、鳥とアリの気持ちになってプログラムと格闘しました。おかげさまで今も少しばかりソースコードが読めるのは先輩(社内公認wくどいw)のおかげです。</div><div><br></div><div>この鳥とアリの話は、専門学校の教員になってからも役立ちました。元々内気で引っ込み思案な自分が人前で話す…どころか教える仕事などとんでもないことだったのですが、教壇に立てば腹括るしかない。前日仕込んだノートを開いてなれない板書しながら一生懸命話する相手は黒板。当然学生寝てます。</div><div><br></div><div>これではいかんと思って先輩の先生に相談したら教務課長(教頭に相当する偉い人)の授業見学させてもらうさと。曰く、教室を支配するからと。</div><div><br></div><div>お願いして授業を後ろから見学させてもらったら、いたって普通。というか理想的すぎる授業。</div><div>説明も無駄がない。板書も学生の方を見ながら早すぎず、遅すぎず。圧迫も弛緩もなく誰一人居眠りなく90分の講義が終わりました。</div><div>あまりに意味がわからなかったので教務課長に聞いてみたら、ノートを見せながら「仕込みの7割ぐらい」と言ってくれました。残りの3割は「学生の雰囲気を見ながら調整した」と。</div><div>誤解なきように3割楽してるのでなく、仕込みの量は3割まし、130%の内容でした。それよりも、説明しながら学生個々の様子、教室内の雰囲気を察し、時に学生を指名し、時に注意し、正解したら褒める。何故にこんなに全体をきめ細かく…と、その時、鳥のように俯瞰で見てたんだ！と気がつきました。と同時に「学生に教える=アリのようにコツコツと」と「学生個々と教室の雰囲気を緊張と緩和で支配する=鳥のように全体感じてる」と気づいたのです。</div><div><br></div><div>そのあと自分も真似しよう！と頑張っては見たのですが、会心の授業は数回です。もっとも視点も大事だけど準備も大事と、講義ノートにレジュメをまとめるのはよいのですが、そうかここで1発ギャグを放り込めば？と途中ネタ帳に。実際やってみてみごとにスベって、職員室に戻り一人凹んだことも多々あります(´；ω；`)&lt;若いモンと笑いのツボが違うのよ</div><div>今考えるとダメ教師ですなw</div><div><br></div><div>視点を変えることはプログラミングでも講義でも、お店の中でも会社の経営でも役に立つことかなって思います。ここんとこ自分もアリのように狭い視点だったので、思いだしついでにココロに羽根を生やしてみたいと思う次第です。</div><div><br></div><div>閑話休題</div><div>教務課長はその後、デスクワークの座りすぎで持病の痔を悪化させ、夏休み中に手術されました。快癒され、職場復帰された課長から「自宅のパソコンの調子が悪いから見てくれない」と頼まれて課長とともにパソコン立ち上げたらデスクトップに2枚の画像。</div><div>課長がコレコレ♪と嬉々としてひらいた2枚の画像は悪化した疣痔の手術前、手術後の写真でした…。46年生きてますが、他人の(上司の)アナルを見たのはあれが最初で最後です。</div><div><br></div><div>( &nbsp;* ● ) ←こんな感じ。くろまるが痔w</div><div>パソコンは無事治しました。</div><div><br></div><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/14/kedamasa-ame/bc/e0/j/o1080108014655884923.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/14/kedamasa-ame/bc/e0/j/o1080108014655884923.jpg" border="0" width="400" height="400" alt=""></a></div><br><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/kedamasa-ame/entry-12551166132.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 14:07:40 +0900</pubDate>
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<title>点と点をつなぐ　おもひでぽろぽろ</title>
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<![CDATA[ <div>The first story is about connecting the dots.</div><div>点と点をつなぐ</div><div><br></div><div>Apple創業者のスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での伝説のスピーチの最初のお話がこの「点と点をつなぐ」です。</div><div><br></div><div>ジョブスは結婚が許されなかった両親から産まれてすぐに養子に出され、養子縁組の条件として「大学に進学させること」に従った養父・養母によってリード大学に入学します・・・が、興味の無い授業を全く取らずにヒッピー生活の宗教かぶれの自分探しの旅に出ちゃう悪童ぶりで当然の如く大学を退学。</div><div><br></div><div>退学後もちゃっかり大学に居座り、そこでカリグラフィー（西洋の書道・美術のレタリングのようなもの)に熱中します。その時はただただ、カリグラフィーの美しさ、奥深さ、歴史の深さに興味があったようですが、後に画面上にプロポーショナルなフォントや神に印刷されるままの表示が行えるコンピュータ、Macintoshの開発の際にフォントの搭載、レイアウトについて事細かに実装しました。</div><div><br></div><div>このことが、今日のDTP（デスクトップパブリッシング）やワープロソフト、表計算ソフトのフォント表示、はたまたiPadやiPhone上で文字を拡大してもギザギザのない滑らかで美しい文字の表示として今日我々が当り前のように目にしている画面となっています。</div><div><br></div><div>一方ジョブズはこう続けます。</div><div><br></div><div>If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.</div><div><br></div><div>もし自分が大学を中退していなければ、大学を中退してカリグラフィーの授業を受けていなければ、今日のパーソナルコンピュータには複数の文字タイプやフォントもなく、PCは美しいフォントを持たないものだったでしょう。当然大学にいる頃にはこの点と点を未来に繋ぐことはできなかったでしょう。しかし、振り返れば10年前の点と点はとの繋がりははっきりしていたのです。</div><div><br></div><div>更に続きます。</div><div><br></div><div>&nbsp;So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life. Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.</div><div><br></div><div>あなたは現在の点が、あなた方の未来に繋がるということを信じるのです。あなたは、何かを信じなければならない・・・・根性、運命、人生、業、何でもいい。 その点が繋がり道となると信じることが、あなたが自分の心に自信を与えます。たとえそれが常識的な道から外れるとしても。それが全てを変えるでしょう。</div><div><br></div><div>自分自身の点と点のつながりが認識できたのは、以前FB上に上げた最初に努めた会社でのダムの管理システムの開発と、その20年後に静岡市の道路管理システムもろもろの設計コンサルティングとの仕事においてそれは結実しました。</div><div><br></div><div>ダムのシステムを開発していた3年半の日々は、自分自身にとってコンピュータやプログラミングの知識、経験といった下流部分のことから、ダムや河川情報といった大規模システムの構造、構成といった上流部分まで多くのノウハウを得ることができた大変有意なものでありました。</div><div>ただ、その記憶は正直封印したくなるほど過酷で凄惨なものです。おそらく最初で最後の書き起こしになるかと思います。封を外して、どうか昔話にお付き合いいただければ嬉しいです。</div><div><br></div><div>工業高校を卒業して上京した18の春。もともとはファミコンなどのゲームの開発を志して入社したはずが、配属は全く志望外の制御系、しかもダムという公共事業の親分のような巨大システムです。高卒で未成年スーツがまだ似合わない小僧が挑むにはあまりに巨大で複雑なものでした。</div><div><br></div><div>それでも1年目は必死に機械語とC言語、PL/M言語を習得し、先輩・上司の作った過去のシステムのソースコードを解析からはじめ、動作原理を学び変更箇所のコードを作成。これを繰り返し、半年後には実動部隊の１人になっていました。</div><div>1年目の後半は、ダム要員から１人、河川情報システム担当を兼任され、甲府河川事務所に一人システムの開発から納入、現地調整まで完遂されるミッションを任されていました。ただ、自分が決して優秀だったわけではなく、2年目以降の地獄の前兆だったのかもしれません。バブル崩壊の余波が会社にも訪れたのです。</div><div><br></div><div>2年目に入り、後輩となる新人12名の合宿研修の引率を任されていた自分は、研修終了後に新人全員が自宅待機になったことを上司から告げられます。理由は経営難のひとことでした。</div><div>折からのバブル崩壊で会社の受注もいきなり減少しました。当時は自分が所属していた公共事業部門（ダム・河川情報・雨量テレメータシステム）は受注減こそあれ、概ね順調。その他の物流管理システムその他の案件については、大幅な受注減となっていました。</div><div><br></div><div>そこから地獄の日々が始まります。自分たちが喰っていくための公共事業関連の業務は、会社が生き残るためのものに変貌しました。同時に自宅待機している後輩の食い扶持を支えることにもなっていきます。</div><div><br></div><div>1日の残業が2時間、3時間、4時間になり、最後は終電の電車にギリギリ間に合う23時50分までの日勤労働。寮に戻って数時間後には満員電車で戦場に送り込まれる日々。</div><div>加えて土日の休日出勤が常態化し休みはなくなりました。にも関わらず終わらない作業に会社に泊まり込む日々が続きます。気がつけば月の労働時間は300時間を越えていました。</div><div><br></div><div>新人が投入されないまま2年目の自分は、先輩と一緒に毎日納期の鐘が鳴り響くデスマーチの開発現場の中で画面とキーボードと模擬の制御装置に向かって戦っていました。</div><div><br></div><div>中でも自分と一緒の配属で、兄貴分と慕い、自分を弟ように可愛がってくれた今吉さんと住田さん。</div><div>今吉さんは1つ上の先輩。鹿児島出身で身長185cmの体格隆々の薩摩隼人。明るく、剛楽な人でした。</div><div>一方住田さんは2つ上の先輩。石川県出身でこれまた身長186cmの長身。入社した頃は自衛隊あがりかと言われるほど堅物とのことでしたが、話してみると真面目の中に優しさとユーモアと天然なところがあり、自分とは本当に馬があった先輩でした。</div><div>他にもお世話になった方はいっぱいいます。</div><div>皆がチームになり開発にあたっていました。</div><div>弾こそ飛び交わないが戦場と化した社内で。冷却ファンの音が響く筐体の林の下で黙々と仕事し続けたのです。</div><div><br></div><div>開発の中での微かなの救いは、先輩たちとの語らいでした。常にキーボードを叩く手と、アルゴリズムが回る頭は動かしつつも、今度出たゲームの話題、今週のジャンプのドラゴンボールの展開。「クリリン生きててよかった！」と夜食を頬張りながら語り合いました。</div><div>後にプライベート・ライアンを見たときに戦闘が終わり、ミラー大尉がホーバス軍曹やライベンといった部下と談笑するシーンと酷似している感じが今はします。文字通りそこは戦場でした。その後、上司、先輩が胃に穴を開け、精神を病み一人、ひとりと現場から脱落していきます。苛烈な戦場でした。</div><div><br></div><div>更に2年目の後半から社内にリストラの嵐が吹き荒れました。受注の見込めない部門から余剰人員の首切りが始まりました。</div><div>同期入社で親しかった岡田君、城戸君、宇賀神さん。皆、会社を去りました。自分の意思でなく会社の都合でみんな辞めさせられました。</div><div><br></div><div>岡田君は明日この娘に告白してくる！と卒アル持って部屋に来て、次の日彼氏いた！と泣きながら一升瓶片手にベロンベロンに酔って一緒に一晩付き合わされました。彼とは一度静岡で再会しました。あれからオーストラリアに行ったりといい笑顔でした。</div><div>城戸君は関西出身なのに当たりも柔らかくイイやつでした。研修の時もペアで一緒に学んだ仲。休日よく遊んだよね。</div><div>宇賀神さんはショムニの江角マキコのような長身美人。なのに口を開けば栃木弁全開でさらに赤マルボロを吹かす女傑でした。そういや休日城戸君の部屋に借り物を返しに行ったら、彼と宇賀神さんが一緒の布団に。後に彼女は臆面にも出さずに「城戸の童貞を斬ったのはあたしダァ」と笑ってたっけな。</div><div><br></div><div>そして首切り魔は後輩にも鎌を振り下ろします。</div><div>社員寮で自分と同部屋、作りすぎたおかずを快く食べてくれた渕上くん。</div><div>沖縄出身、字面だけで島人と判る島袋くん。彼に「プログラマは関数電卓ぐらい持ってないと」と言ったら彼はすぐさま会社を飛び出して秋葉原の電気街に行き、会社に戻るなり「買ってきました」と見せられた電卓が2進数、16進数の変換機能のない、普通の関数電卓を買ってきて「これじゃないんですかー」って沖縄県民ぽい眉を曲げて自分に言ってきたっけなぁ。</div><div><br></div><div>そんな仲間はみんないなくなりました。</div><div><br></div><div>会社を去って行った同期や後輩たちの名前は頭の中に刻み込まれています。</div><div>毎週誰かの送別会が行われる。そんな中、城戸君が社長室に呼ばれ、自分のとこに来て「俺、辞めることになっちゃった」と呟いた彼の真っ白い表情、白目のない真っ黒い瞳と静かに頬を伝った涙。今でもありありと脳裏に蘇ります。</div><div>数日後、一緒に住んでいた寮から最寄りの駅に彼を見送った光景は今でも覚えています。去り際の城戸君の笑顔、電車が見えなくなるまで立ち尽くしたホームの景色。遠くに鳴る遮断機の音。</div><div>帰り道ひとり歩き、彼のいた部屋の前を通って自分の部屋のドアを握ったノブの冷たさと自分も泣いていたことを思いだしました。</div><div><br></div><div>新人や応援が投入されず、戦力は減退していく3年目、最前線で戦い続けて自分もボロボロでした。</div><div>会社の上司に楯突き、怒鳴り上げ、机を蹴り上げたのはこの時期です。</div><div>入社時は他社からの出向社員も含め80名あまりいた会社はこの時点で30数名までに減っていました。役職のある上司と自分のような無役の平社員が同数…もしかしたら一兵卒の方が少なかったかもしれません。</div><div>日中の普通の会社なら社員で溢れかえる筈の社内は、退職者が残したパソコンがポツンと置かれた墓標でした。もう全滅した部隊に立ち尽くす気分でした。</div><div><br></div><div>3年目は更に状況が悪化し、残業時間の規制が行われ、事実上残業代が未払いになりました。会社としてはこれ以上残業代を払えない。そのため残業時間を上司の許可制として上限を設けたのです。</div><div>さらに「近地出張手当」を新設して、会社から半径100km圏内の作業については一律で1500円の近地出張手当が支給されました。しかし残業手当はなしです。</div><div>当時三鷹にあった日本無線三鷹製作所で現地出荷前の調整作業をよく行っていた我々は、この近地出張手当に該当しました。関東近郊のダムも然りです。収入も激減しました。</div><div>もう意味はないと残業のカウントをやめました。上司に精査しろと言われても無視しました。</div><div><br></div><div>近地出張手当が設けられても仕事は完遂しなければならない。タダ働きと分かってても自分や先輩は開発を続けました。ガダルカナルやインパールの敗退以降の撤退戦のようでした。この時、後輩は数人。同期は自分と電子工作マニアな阿部ちゃんの２人だけでした。</div><div><br></div><div>兄貴分と慕っていた今吉さん、住田さんが退社することが本人らから告げられ、自分も辞める決心がつきました。仕掛かりの仕事が終わったら辞めよう。最後の仕事は新しい標準化仕様によるD3クラスダムコンのダム諸量演算の部分です。D3クラスは発電、治水などの多目的ダムで最も大きな設備のダムです。ダム諸量は、ダムの水位、貯水量、バルブ放出量、ゲート開度から流出量を計算するなどダムの諸元、ダムの現状を示す数値を計算するダム管理の中核です。</div><div>確かダム諸量処理のソースコードの行数は10万行を越えていました。最後の仕事と決めたこともありたしか2ヶ月ぐらいで仕上げたと思います。その時の様子を前に座っていた子が後で教えてくれました。「池田さんは、手だけ動かして呼吸しているようすが無かった」と。</div><div>その後、3年半勤めた最初の会社を辞めました。</div><div><br></div><div>最初の会社に3年半を思い返すと。あまりに濃密で過酷で残酷で。でも良き先輩、同期、愛らしい後輩と過ごした時は3年半という実時間の数倍もの時間のように感じられます。もう一度あの場面を体験したいか？と問われれば彼らと一緒ならということでしょう。こうして書き出すと辛い記憶の後に、その当時一緒に戦ったみんなの笑顔が浮かんできます。彼らとなら、もう一度戦ってもいいと。</div><div><br></div><div>それから時が経ち、専門学校を辞して独立後。専門学校のネットワーク関係でお世話になった社長さんから静岡市の建設局が日本坂トンネル、新東名の新静岡ICから流通通りまでの新道の管理と監視を市役所庁舎内で行う大規模システムの基礎設計に関する開発コンサルティングを一緒にやってもらえないかと依頼されました。</div><div>自分の経歴書にあったダムのシステム開発が役にたつから是非にと。戸惑いはありました。ある意味封印していた戦場の記憶を掘り起こすことに等しいから。</div><div><br></div><div>けれども自分が20数年前に得た、あの戦場のような地獄の中で得たものは、無駄にならず静岡市道路情報管理システムとして結実しました。</div><div><br></div><div>足掛け5年余りかけて、既設の日本坂トンネルの映像のIP化、トンネル遠方監視システムの装置移管。新東名と接続される山脇大谷線では、道路監視とトンネル内にネットワークカメラをおそらく全国でも初に等しい形で導入し、高解像化な映像を安定して低コストで導入することができました。</div><div><br></div><div>道路監視システムの情報システムの基礎設計では、途中東日本大震災により、地震や台風時であってもシステムを停止させないことが新たに求められ、全国自治体でも初となるGoogleクラウドをベースとしたGIS(地理情報システム)を採用しました。</div><div>また、市役所庁舎内に400インチ相当の大型DLPを設置して24時間、365日の道路、トンネルの映像監視、遠方制御。さらに警戒情報発令時や大規模災害時のオペレーションセンターのレイアウトでは、ダムの遠方制御室で働いた時の知識と記憶が結ばれました。</div><div><br></div><div>これらはダムや河川情報システムの開発の際に得た知識や経験を使い、その時で最善なインフラをチョイスし、政令市の予算規模に収まる範囲でこれらシステムの構成や結合性、発展性やスケーラビリティーに配慮してシステムの構築を提案しました。当初、東京のコンサルティング会社が、情報システムのみで16億円余りの概算を市に報告しました。これを、クラウドのGIS、日本坂トンネルの映像伝送、遠方監視システムの移築、山脇大谷線と麻機トンネルの映像監視、市内道路情報の収集用のタブレットの導入とアプリ実装、集約した情報を整理統合し、災害対応を可能にしたオペレーションセンターと市民への情報配信を行う「しずみちinfo」と全てトータルで概算以下に抑えました。</div><div><br></div><div>道路管理システムでは常識とされていたもの、慣習化してはいるが、政令市にはそぐわない高額な機器は排除しました。そのおかげで既存企業を敵に回し、同業者からも冷ややかに映ったかもしれませんが、ブレイクスルーにはつきものと当時の市の担当者とも密に話し合い、導入に漕ぎ着けました。</div><div><br></div><div>こうして20数年を経て自分の中で過去の点と点とが結ばれました。ただダムのシステムを開発していた自点での点が未来の道路監視システムへの点に繋がるとは当時の自分はたとい思えなかったこと。当時の状況からすれば当然ですが、静岡市のシステムのコンサルティングを完遂した経験から、ジョブスの言う「点と点をつなぐ」は確信になりました。</div><div><br></div><div>専門学校の教員をやっていた頃に学生から、「学校の勉強意味ないじゃん。何の役に立つの？」と言われて閉口したことがありましたが、今であれば「単に勉強するのと、将来このことが点としてつながるための勉強を行うのと価値はぜんぜん変わるぞ」と言うのでしょうな。</div><div><br></div><div>今、新しいことを始めた人がいます。その人がこの先「なぜこんなことをやっているのか」迷った時、正しいことなのか間違いなのか分からなくなってしまった時、自分はこう言いたいです。</div><div>「あなたが打ち込んだ点は、勇気ある点。それがきっと、あなたの将来の何れかの点に繋がっていく。絶対に。そのことを信じましょう」と。</div><div>同時に「自分もあなたが打った点が未来の点に繋がると確信している」と。</div><div><br></div><div>自分もまた新しいことを始めるときに、この点は未来の点に繋がると信じてやっていきたいと思います。</div><div><br></div><div>長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。</div><div><br></div><div>あなたの点が未来の点につながりますように。</div><div>自分の点が未来の点に繋がることを信じて。</div><div><br></div><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/14/kedamasa-ame/79/c6/j/o0300015814655882915.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/14/kedamasa-ame/79/c6/j/o0300015814655882915.jpg" border="0" width="400" height="210" alt=""></a></div><br><br></div>
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<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 14:05:51 +0900</pubDate>
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<title>馬鹿な人 ≠ 馬鹿になれる人</title>
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<![CDATA[ <div>馬鹿になれる人は馬鹿じゃない</div><div><br></div><div>「あいつ馬鹿だよな」</div><div>「あたしって、本当に馬鹿…」</div><div><br></div><div>他にも多々ありますが、多くの場合、自己の尺度で相手を見て、世の常識から外れた人、劣った人にかける侮蔑の言葉それが馬鹿です。</div><div>語源には諸説あるそうですが、オリラジの中田さんのYouTubeの動画では、真の始皇帝亡き後の丞相が、自分の部下の忠誠を測るために大量の鹿🦌を部下に見せて、「馬だろ？」と聞いて部下が思わず「鹿っすよー」とツッコミ入れた奴を死罪にしたことからだと。馬鹿正直は死をみるということですかな。</div><div>(一方の「アホ」も始皇帝が晩年建てたクソデカい宮殿「阿房宮」に火がつき、長い間燃え続けたさまのアホらしさから阿保とついたそうな)</div><div><br></div><div>前置きが長くなっちゃいましたが、馬鹿やアホは人を蔑んだり、自分の過ちを後に悔やんで苦しむ言葉になりがちですが、もう一つ、誰がどう考えても馬鹿じゃん、アホじゃんと言われてしまうようなことを選んでいる、あえてやっている人も「馬鹿やアホ」に相当数含まれているんじゃないでしょうか。</div><div><br></div><div>自分自身も馬鹿なことすると自覚し、アホらしいことだけど…と腹を括って馬鹿やアホな損する道をあえて選択をする。</div><div>または他人から愚者に見えて蔑まれようが、自分が正しいと思った道として馬鹿になる道を選択する。そんな「馬鹿を選ぶ」「アホに徹する」人は決して馬鹿やアホであるはずがありません。</div><div><br></div><div>先日も自分をアホだ、バカだという人に自分はそうでない。あなたはあえて馬鹿になり、アホになることを選んだんだよ。それは決して馬鹿ではできない。アホにもできないことなんだよと言ってあげました。</div><div>それは勇気のいるもの。覚悟を据え、自分以外の大切な人のために犠牲になる心を持った素晴らしい人だと思います。尊敬されるべき人なのです。</div><div><br></div><div>自分が好きな人は、容姿がいいとか可愛らしい人でなく、これからは「馬鹿にもアホにもなれる人」、あえて馬鹿な道を選ぶ人、そういいいたいなと思います。と同時に自分も「馬鹿になれる」人になるべく精進してまいります。</div><div><br></div><div>と書いてて身内に奇跡の人がおりました。</div><div>自分のお袋さま、カーチャンです。</div><div>カーチャンは、学もないうえ天然でお節介が絡まりする愛すべき馬鹿です。これが更に「馬鹿になれる」から最強です。まさに「バカがバカになれる」。シラフでも陽気ですが、酒が入ると更に陽気です。妖気です。妖怪ですw</div><div>反面教師にしたいですが、自分では決してなれないカーチャンの「バカがバカになれる」も一方で目標にしたく…ないです。けどバカだからこそ自分の精一杯でバカになる。ここには大きな慈愛がなければできない行為です。純粋で無垢な慈愛が。やっぱカーチャンを見習います。</div><div><br></div><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/14/kedamasa-ame/eb/9b/j/o0800047914655881194.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/14/kedamasa-ame/eb/9b/j/o0800047914655881194.jpg" border="0" width="400" height="239" alt=""></a></div><br><br></div>
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<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 14:04:21 +0900</pubDate>
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<title>婆さまのことば　商売の心得</title>
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<![CDATA[ <div>1万円稼ぐ大変さ。</div><div><br></div><div>花の種類にもよりますが、うちの店で売ってる切り花の価格帯の中央値は200円前後でしょうか。</div><div>需要の多い仏花が小菊2本組の束で268円。</div><div><br></div><div>1日小売を1万円と目標にして小菊束のみであれば約38束を売らなければなりません。お客様が左右1対分買っていただいたとして1日当たり20人の来客がなければ目標には達しないのです。</div><div><br></div><div>もちろん商売には仕入れの原価があり、光熱費や給与などの経費があるので1万円の売り上げだけでは足りず、2万円、3万円と目標を上げなければなりません。</div><div><br></div><div>しかしお客様に来てもらおうとも、商圏に人がいない。あるいは客単価が望めないということはママあります。</div><div>話がそれますが、ご近所の役の引き継ぎの際に集まったとき(商店街なのでむかしから商売やってて全員猛者揃いです)の1人が、「昔は100軒家があれば八百屋1軒食べることができた」と仰っていました。今と違って車が普及していない頃は徒歩の商圏に人家が100軒でじゅうぶん八百屋が野菜を供給でき利益を得て食えたことになります。</div><div><br></div><div>前置きは長くなりましたが、亡くなった祖母は花屋の前は八百屋でした。男に混じって競りで野菜を卸し、店までリヤカーでひいて並べて商いしてました。ところが売り上げは伸びない。商圏内に競合の店があったのか、それとも商圏の地域が小さかったのか。または、戦後から高度成長期に入り、徐々にではありますが、軽便鉄道や自動二輪車、オート三輪や自動車が街を行き交うようになり、それまで徒歩で行き交ったお客様が容易に他所の商圏で買い物できるようになったからかもしれません。詳しく聞いてないのであくまで想像ですが、店だけの商売では目標まで届かず、これでは一家を喰わせられないと思ったのでしょう。</div><div><br></div><div>そこで婆様は一計を案じ行動します。</div><div>リヤカーに野菜を積んで、当時建築が始まった雇用促進住宅まで移動販売を行ったそうです。</div><div>たぶん、片浜や萩間の雇用促進でしょう。でも車で行ってもまぁまぁな距離です。大根や芋、白菜などを満載したリヤカーを女手で引く様子を想像するとその労苦はかなりのものです。</div><div><br></div><div>商いに流れが変われば、新たに開拓する</div><div>たとえ大変でもやってみる</div><div><br></div><div>この精神を自分は婆様のリヤカー移動販売から学びました。</div><div><br></div><div>現在もほぼ毎日、朝店を出て10軒余りのスーパーさんにお花をお届けしています。最も遠方で浜松市北区の旧引佐町あたり。片道80km弱の行程です。よく人からも「そんな遠くまで」と言われますが、クルマである分、リヤカーを引いた婆様と比べたら屁みたいなものです。</div><div><br></div><div>自分たちの商いの品物、サービスが必要な人の元までお届けすること。</div><div>1万円の売り上げを小さな商品の売り上げから僅かずつ積み上げていくことの大変さと得られた対価の価値の重さ。</div><div><br></div><div>婆様のリヤカーに教えてもらいました。</div><div><br></div><div>(後日談)</div><div>モータリゼーションの発展とともに、婆様の輸送手段もリヤカーからオート三輪、軽自動車と変遷を遂げますが、婆様は終始HONDA党でした。曰く「HONDAはよく走る」と。MRレイアウトのトラクションが好みだったのかもしれません。</div><div>免許は80歳過ぎで返納したのですが、70代でスピード違反で検挙されています。その時も警察官に向かって「隠れてやるのいかん！」と噛み付いていたそうな。でその時免許を警察官が確認したら、オート三輪時代の「軽免許」から更新されておらず、軽自動車を運転するための普通自動車免許がないため無免許で取消を食らってしまいます。(その時も「あんたらが勝手に車を大きくして免許の仕組み変えるのがいかん！」と噛み付いたとか)</div><div><br></div><div>普通なら運転を諦めるところですが、70過ぎて自動車学校に通い、試験場の試験をパスし、再び車の運転をはじめます。すごい執念。</div><div><br></div><div>真っ直ぐさの血が自分にも流れてるんだけど、真似できんなぁ。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kedamasa-ame/entry-12551163858.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 14:03:06 +0900</pubDate>
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<title>婆さまのことば　雨の日のキオク</title>
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<![CDATA[ <div>ここ数日、死んだ婆様の言葉を思い出すことが多くなりました。</div><div><br></div><div>今日みたいな冷たい雨が朝から一日中降る日に思い出すのは、うちの店が花屋でなくまだ八百屋だった時代。自分が小学生で婆様が現役の八百屋店主だった頃。</div><div><br></div><div>陰鬱な雨が降る日にぽつり呟いた</div><div><br></div><div>「雨の日は晴れてる日にやれないことやって、あとはのんびりすりゃええよ。晴れたらお客さんも来て忙しくなる」</div><div><br></div><div>そう言って林檎箱（当時は木箱）を鉈で叩き潰して風呂焚きの薪を作っていた様子とともに。</div><div><br></div><div>今思えば、マラソンのメダリストの高橋尚子さんの</div><div>「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」</div><div><br></div><div>にも等しい金言だなぁと思うのです。</div><div><br></div><div>商売もマラソンも長丁場。一時のダッシュで勝てる勝負でないことは共通項。ゆえにお天気という自分じゃどうしようもない条件に対して、その時の最善をやりなさいという教えだったんだねぇと思います。あと一日毎の売上げの上下に一喜一憂するなと。全体を見なと。</div><div><br></div><div>ともすれば花を売ってると、綺麗で目立つ花が主役のように感じますが、咲き終わった花苗を処分するときにポットから土ごと外した根っこを見たときに、その余りにビッシリと張り巡らされた根っこを見て</div><div><br></div><div>「こいつら（植物）て本体は根っこじゃね？」</div><div><br></div><div>と思うのですよ。お日様のあたらない雨の日や夜の内に、こいつらは、地面にびっちり根を張り巡らせ、水分と養分を充分に取り込んで、少々の長雨でも台風のような嵐にも負けない身体をつくってる。</div><div><br></div><div>雨雲を見上げながら、「今日はお客さんも来ないねぇ、売上げも上がらんねぇ」と呟いた婆様の顔を思い出す。そんな今朝の自分です。</div><div><br></div><div>今日はこれから相寿園さんで出張商店街ですよー。</div><div>売上げ忘れて、お買いものを楽しんでもらいます(´▽｀)</div><div><br></div><div>雨だけど、雨だからこそよい一日を！</div><div><br></div><div>※ついでに思い出した婆様のおもひで</div><div>小学生は「ハンバーグが好き」とスイッチの入った婆さんは、当時ナウでヤングなボイルするレトルトのハンバーグのつもりで、マルシンハンバーグ(フライパンで焼くやつ)を袋のまま鍋でぐつぐつ煮込んでましたw</div><div>袋の中は想像通りの惨状w</div>
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<link>https://ameblo.jp/kedamasa-ame/entry-12551163567.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 13:58:58 +0900</pubDate>
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<title>【私の自己紹介】ブログ始めました！</title>
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<![CDATA[ <p class="post-assist-shokai-ios" style="text-align: center;">f<a href="http://blogtag.ameba.jp/detail/%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%B7%B1%E7%B4%B9%E4%BB%8B" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/blog/img/stamp/cpn/first_assist/shokai.png" width="150"></a><br><span style="font-weight:bold;"><a href="http://blogtag.ameba.jp/detail/%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%B7%B1%E7%B4%B9%E4%BB%8B" target="_blank">みんなの回答を見る</a><img alt="右矢印" draggable="false" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/122.png" width="24" height="24"></span></p><br>▼ニックネームは？<div>本名の一部の抜き取り。高校時代の友人につけられました。<br><br>▼ブログを始めたきっかけは？<div>FBに記載した過去記事を掲載します。<br><br></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/kedamasa-ame/entry-12551160916.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 13:51:40 +0900</pubDate>
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<title>ウツヌケ</title>
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<![CDATA[ <p>いつもなら暇で暇で花が売れなくて気ばかり焦る11月。12月の繁忙期の前に充電するような時期なのですが、今年に限っては怒涛のような、でももしかしたら気持ちに整理がついて良い節目を作ることができた、そんな気がします。<br><br>独立して11年。花屋の手伝いから頭になって、新店舗を興して来年で10年。<br>プライベートを犠牲にすることが当然と思い込み、自身の優先度を極限まで削って過ごした日々は、気がつけば今や立派に惨めな「おひとりさま」というありさまで、ここんところイロイロと腐っておりました。<br><br>頑張っているのに何故に報われないのか。働どもはたらけども売り上げも思うように上がらず、<br>お金もなく、税金の納付書の金額に絶望し、身体を休めることもできないことが日常化したためか、休日も自分だけ仕事で、独りスーパーで水換えしている傍らを行き交う家族連れ、ご夫婦、子どもたちの笑顔を見たくない。目は背けても声聞こえる。いっそ手にしたハサミで耳を潰してしまおうかと気持ちを押し込める日々でした。<br><br>それでもここ数日、本来自分が持っていた「人の役にたちたい」という想いが、ほんの少しだけ実践することができました。<br>新しいことを始める人へのお手伝い。自分のしたことは本当に僅かなのですが、望外な感謝のことばが貰えました。<br>まだ自分には存在意義はまだあるのかも？と思える嬉しさが込み上げました。<br><br>そんなこんなでバタバタとしていた日常が今までと同じ日常に戻ったとき、だんだんと気持ちの整理ができて、「人生の苦楽はオセロみたいなものかもなー」と勝手ですが悟った気がします。<br><br>オセロの白と黒の石のように苦楽は表裏で入れ替わるもの。人生は有限だけどふつうのオセロのような決まった四角の盤面じゃなくて、過去から現在、未来へと続き、無限に広い盤面であること。<br><br>そこには、爺さんや婆ちゃん、親父殿やお袋さま、弟や妹とその家族。これまで親しくしてくれた友達やお世話になった先輩、一緒に汗水流した同僚たちの石も散らばっていて、絶えず黒が白に、白が黒にと変化しているんだなと。<br><br>今の花屋の仕事も婆ちゃんが残してくれた白の目をお袋さま、弟が伸ばしてくれて、その先で自分も白い石を置こうと足掻いている。そんな様子が客観視できた気がします。<br><br>時に気紛れな黒い石と、自分が撒いた黒い石とに挟まれて、せっかく白で繋いだ盤目がパタパタと連鎖して救いようのない状態になることもあったりで、必死に白い石を置いても置いても黒くなってしまうのが止められないということが、ここ数年の自分でした。腐った自分は、自らの鬱憤をお袋さまや家族、友人や同僚や多くの人に黒い石をばら撒き続けた、その様子にも気づきました。<br><br>そんな糞野郎だった自分にも、家族や友人やいろんな人が白い石をそっと置いてくれていたのです。当の本人はそれに気づかず黒い石をぶち撒いていた。それでもみんなは白い石を置いてくれました。<br><br>そのことにようやくと気づいて自分自身に「人間らしき」感情が少しずつ戻ってきました。<br>と同時に、人生オセロの盤面を共用している周りの人との関わりを再認識できました。<br>ここ何日かで、大好きだったのに見聞きしたくなくなって遠ざけてきた歌や音楽、映画や小説で涙が出てくるようになりました。そりゃもうボロボロと。<br><br>近いうちか、はたまたもう少し先か。<br>いずれは来る天命の時に、死神か閻魔かわからないですが、あの世に行く前にちょっと自分の譜面を見せてくださいなって頼んでみたいと思います。<br><br>苦楽を経て、白い石を遺し、維ぎ、いろんな人に白い石を遺すことができていたら、「まぁまぁのゲーム(人生)だったっすね」と言って旅立ちたい。そのために先ずは今日も白い石を置いていく、そんな一日を頑張りたいと思います。<br><br>それから今現在黒い石にひっくり返っている人に。この先また自分自身がそうなったらこう言おう。<br><br>こんなになっても、生きてくれていてありがとう！辛かったね、しんどかったね。偉いよ！凄いよ！<br><br>みんな生まれた時に「おめでとう」と祝福されたんだよ！白い石からスタートだったんだよ。<br><br>今からおいらが白い石を置いてあげるから、瞬く間に白になちゃうから！と。ゼッタイよくなるよ！と。<br><br>駄文、長文お付き合いくださってありがとうございました。<br>皆さまよい1日を（╹◡╹）♡</p>
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<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 13:51:16 +0900</pubDate>
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