<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>カトリック神学を学ぶ</title>
<link>https://ameblo.jp/kempis/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/kempis/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>趣味としてカトリック神学を勉強しています　時事評論はしません</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>2026年の初蛍を観測した（定点観測）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　2026年（令和8年）の今日<b style="font-weight:bold;">5月12日</b>午後7時40分に家の前で今年の初蛍を観測した。驚くことに数十匹が一斉に湧いていた。昨晩は一匹も姿を見なかったので本当に驚いた。今晩は、暖かい気温、風がない、月が出ていない、などなど絶好の蛍日よりなので期待したとおりの発生だった。それにしても数が多い。発生場所は少し川下に下がってきているがこういう初日の大量発生は初めてだ。上流には川に洗濯機の排水を流す人がいて川の汚れが気になっていたが、それにも負けずに卵が孵ったのがうれしい。<br>　ホタルの<b style="font-weight:bold;">定点観測</b>は過去25年近く続けてきた。一昨年は14日の7時半、昨年は13日の8時、今年は12日の7時40分。相変わらず少しずつ早まってきている。<br>　過去数十年分の定点観測の記録はブログや、ブログ登場以前のボード、MLなどに綴ってきたが、何分、一年に一度の書き込みなのでなぜかどれも消去されてしまっていた。過去の記録が消えてしまったのは残念だ。<br>　やがて花火大会が開催される。この花火の音にホタルは弱いようだ。なんとか1週間、10日はもってほしいものだ。<br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12965958432.html</link>
<pubDate>Tue, 12 May 2026 21:15:59 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「安心して認知症になれる町」って何　？</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br>　市の社会福祉課が認知症に関する講演会を開いてくれた。定員８０名の予約制だったが、私は運良く登録できて出席してきた。全体のテーマは「<u style="text-decoration:underline;">認知症と共に生きる</u>」で、お二人の講演があった。全体的にいえば<u style="text-decoration:underline;">若年性認知症</u>に関するお話で、とても有益なものだった。席は満席で講演会としては成功だったようだ。<br><br>　講演者のお一人は、「公益社団法人認知症の人と家族の会」の理事で、神奈川県支部の副代表と紹介されたM氏で、演題は「認知症と共に生きるー忘れても心は生きているー」、お二人目は「県オレンジ大使」（１）のSさんでテーマは「若年性認知症をもつ本人にお話」、だった。お二人とも立派な肩書きをお持ちでなにか難しいお話かと思ったが、実際には穏やかな話でよかった。<br><br>　M氏の話は実体験に基づくものなのでとても説得力があった。講演も慣れておられるようで、１時間余を流れるようにお話しされた。この手の話に多い悲壮感はあまりなく、参加者を励ます口調が説得力を持っていた。</p><p><br>　Sさんの話は、若年性認知症コーディネーター（２）の方の質問に答えるというかたちでなされたが、特にこれという話はなされず、もっぱらコーディネーターの方が話しておられたのは少し残念だった。致し方ないといえば致し方なかったのかもしれない。<br><br>　M氏の講演の論題だけを紹介しておきたい。</p><p><br>①私の家族、及び介護状況<br>②妻の介護体験<br>③孤軍奮闘のリハビリ<br>④コロナ禍での面会<br>⑤家族会・認知症カフェ<br>⑥共に生き　ともに歩もう　認知症<br><br>　M氏は奥さん、両親二人の計三人（要介護４と５）を２０年間介護されたということで、その苦労と努力は想像を絶する。ただただ頭が下がった。</p><p>&nbsp;</p><p>　配布されたレジュメの中にとても貴重な情報が含まれていたので、念のために記録に残しておきたい（３）。<br><br>【認知症の人が使える社会資源】<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260126/14/kempis/ac/a0/j/o2727179315744750958.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="276" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260126/14/kempis/ac/a0/j/o2727179315744750958.jpg" width="420"></a><br><br>　問題はこういう多様な政策（<u style="text-decoration:underline;">社会資源</u>）がどれも申請主義に基づいているということらしい。知らなければ、申し込まなければ、もらえません（サービスを受けられません）、ということのようだ。私もいくつか該当するものを申請したことがあるが、市役所の中をたらい回しにされてお終いだったという苦い経験がある。たらい回しどころか最初は他のサービスは教えてさえもらえなかった。現在の日本は申請主義なのだから、以下のM氏の言葉は重かった。「<b style="font-weight:bold;">認知症を治療するのは、薬ではなく、知識です」</b>（４）<br><br>注<br>１　オレンジ大使とはどういうものかよくわからなかった。<br>２　若年性認知症コーディネーターは各県に配置されているらしい。どうも本人と関係機関との調整役らしい。若年性認知症に特化された役割らしい。ケアマネさんみたいな仕事なのだろうか。神奈川県では県内１０カ所に配置されているという。<br>３　転載の許可はいただいていないが、レジュメでは参考資料と題されているので、載せさせていただいた。<br>４　表題にも書いたが、今回のような有益な講演会のパンフレットのキャッチフレーズが「安心して認知症になれるまちへ」はいただけなかった。認知症になっても安心して暮らせる町、という意味なのだろうが、なんともやるせない表現だ。認知症になりたい人などいるはずがない。認知症の相手を四六時中介護している人にきれい事だけでは説得力がない。これだけ立派な講演会を開ける関係者がこの表現に納得しているのだろうか。この日本語をどう英語に訳するのだろうか。</p><p><br><br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12954661666.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Jan 2026 15:03:34 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>アカシアの会のクリスマスパーティ　ー　隠れキリシタンと福音川柳</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br>　私の所属教会の高齢者信徒の親睦団体であるアカシアの会のクリスマスパーティがクリスマスより一足早く開かれた。１５年近く続いたこの会に一応ピリオドを打つということでお別れ会でもあった。いつも通り雑談を楽しみ、「唱歌」を歌い(１)、クリスマスソングを歌い（２）、楽しいひとときを過ごした。興味深い話題提供が二つあったので、記録のために少し書き残しておきたい。<br>　話題の一つは、<u style="text-decoration:underline;">五島列島の福江島</u>出身のN氏による、福江島での幼児期の待降節の過ごし方の話だった。二つ目はIさんによる<u style="text-decoration:underline;">福音川柳とシニア川柳の比較</u>の話だった。参加者は多くはなかったが、みなさん興味深く聞いておられた。<br><br>　N氏は子供時代を福江島の某地区で過ごされたようだ。昭和１０年前後のお生まれらしく、戦前戦後のカトリック信者の生活を事細かにお話しされた。私が特に興味を持ったのは、朝４時頃起きて、まず教会に行ってミサに預かり、帰宅して朝ご飯を食べ、それから学校に通った、という話だった。ミサの前には食べないという習慣（規則）は私も知らなくはないが（３）大変だったことだろう。ミサでも難しい信仰の話は聞いたことはなく、キリスト教については親から教えてもらうのがすべてだったという（４）。<br>　ご聖堂ではもちろん男女別に左右に分かれて座っていたし（５）、未信者との交際・結婚は「法度」でだめだったという（６）。<br>　待降節だから特になにか変わったことはなかったという。ただ<b style="font-weight:bold;">告解</b>だけはせかされて子供心に大変だったという。そのほか興味深い話を次々とされた。機会があればまた続きをお聞きしたいものだ。<br><br>　Iさんの話題は「<u style="text-decoration:underline;">シルバー川柳にみる光輝高齢者の今</u>」というもので、２０２５年度の「第２５回シルバー川柳」の入選作が紹介された（７）。鈴木勁介師の「福音せんりゅう」も１０本紹介された。福音川柳とは、キリスト教の福音（良い知らせ、Good News）を５７５形式で歌ったもので、テーマは聖書に限らず、信仰生活全般を詠んだもの。例えば「忘れてた　神さま来るの　忘れてた」「呼ばれたら　ついて行くけど　今はだめ」「千年を　一日のごとっく　神を待つ」など（８）。<br>　Iさんは、川柳には①穿ち　②おかしみ　③軽み　の三要素が必要で、俳句やジョークとは別物だという。また、福音川柳とシルバー川柳の違いを次の２作をあげて説明したかったようだ。<br>「日帰りで　行ってみたい　天国へ」（２０１２年シルバー川柳入選作）<br>「闇の中　光を見たけりゃ　目をつぶれ」（福音せんりゅう　鈴木勁介師）<br>　出席者には俳句に詳しい方も多くあまり話は進まなかった（９）。<br><br>　ということで、なかなか充実したクリスマス会だった。十数年の歴史を閉じるのは本当に残念で極まりない。いままで毎月一回、話題提供者をだれか探し出して、欠かさず開いて来られた関係者の方々に感謝したい。<br><br><br><br><br>注<br>1　要は文部省唱歌のことで、たとえば一年生用の鳩ぽっぽとか３年生用の春の小川とかのこと。高齢者なら誰でも歌える、歌えなくとも聞いたことはある歌。アカシアの会ではSさんがいつもオルガンを伴奏してくれた。<br>２　「あめのみつかい」や「もろびとこぞりて」、「みつかい」「しずけき」など定番の歌もさることながら、「アデｽテ」（Adeste）は私は久しぶりで歌えなかった。<br>３　第2バチカン公会議以降現在は確か1時間前に変わっているようだ、<br>４　N氏は「<b style="font-weight:bold;">隠れキリシタン</b>」（現在はカトリックに戻った人たちを「<b style="font-weight:bold;">潜伏キリシタン</b>」と呼んで区別しているようだ）ということばは使われなかったが、「<u style="text-decoration:underline;">キリシタン征伐</u>」という表現を繰り返し用いていた。「キリシタン」とか「征伐」という言葉の持つ重みを感じた。<br><br>【ザビエル像】<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251224/21/kempis/1f/66/j/o0600080015733525381.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251224/21/kempis/1f/66/j/o0600080015733525381.jpg" width="420"></a><br><br><br><br><br><br>　わたしは２０２８年に國學院大學で開催された特別展「キリシタン　ー　日本とキリスト教の４６９年」に行ったことがある。これは、長崎と天草地方の潜伏キリシタンの関連遺産が世界文化遺産に登録されたのを記念して開かれたものだ。これは本として出版されており、私も大事に保存している。この本では、隠れキリシタンといっても、長崎県下では<u style="text-decoration:underline;">生月・平戸系</u>と、<u style="text-decoration:underline;">外海・浦上系</u>の２種類があり、伝承（オラショなど）も異なるらしい。五島列島のキリシタンは外海・浦上系だという。<br><br>【キリシタン展】<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251224/21/kempis/dd/1b/j/o0295041715733525540.jpg"><img alt="" height="417" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251224/21/kempis/dd/1b/j/o0295041715733525540.jpg" width="295"></a><br><br><br><br>５　男女が左右に分かれて座るという習慣はいまでもどこかの教会では残っているかもしれない。こういう話でジェンダーだのフェミニズムだのと言い出すのは野暮というものだろう。<br>６　「法度」という言葉がNさんの口からすっと出てきていたのには私は驚いた。わたしは日常会話でこの言葉を使ったことはない。福江島では信者と未信者は混住だが、信者は貧しい（農作業に適さない）山際に住まざるを得なかったという。混住と言ってもあまり交流はなかったのかもしれない。<br>７　「定年後　悠々自適は　妻でした」など２０本。私が気に入ったのは、「道ばたで　休んでいたら　拝まれる」「散骨を　海にはするな　泳げない」「タブレット　使えず回る　寿司見つめ」など。<br>８　福音川柳の中に、「宣教川柳」というものもあるらしい。東京教区が熱心に取り組んでいると聞いているが詳しいことはわからない。たとえば、今年の入賞作品は「祈りこそ　希望の宝　主の恵み」だそうだ。２０２３年の枢機卿賞は「主に習い　柔和謙遜　学びたし」だという。どちらもあまり「おかしみ」を感じないが、どうだろう。<br>９　どうも川柳は俳句より文学形式としては格下に見られているらしい。俳句は現代では和歌（短歌）より格式が高いのだろうか。わたしはどれも不案内なのでよくわからない。<br><br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12951144069.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Dec 2025 21:09:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「非戦」から「避戦」へ　ー　専守防衛のジオポリティーク</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　当教会で有益な講演会が持たれた。論者はH氏で元空将補、現在は「国際地政学研究所」の理事（1）。テーマは「<u style="text-decoration:underline;">白村江の戦いに見る日本人の防衛思想</u>」というものだった。テーマのタイトルだけ見るとなにか歴史の話かと見間違えるが、中身は現代日本の防衛論だ。日本は米中ソなどに対してどのように自分の「<b style="font-weight:bold;">国のかたち</b>」を作ったら良いのかという話だった。5月に行われた講演会（2）に続く話題だった。<br><br>　H氏は講演や講義は慣れておられるようで、説明は流ちょうで、時々冗談を入れたり、脱線したふりをして本音を語ったりで、2時間余の講演は見事だった。パワーポイントを使ったスライドの説明が中心だった。スライドの絵や文字は私にはほとんど読み取れなかったが、語り口がなめらかでスライドはなくとも良かったくらいわかりやすい説明だった。わかりやすい口調だったが、内容は専門的だ。初めて聞く話が多く、氏の研究の成果の一端を垣間見る思いだった。<br><br>　配付された資料はなんと20頁にわたる詳細なもので、カラー印刷をとりいれた立派なものだった。内容は多岐にわたるのでとても要約できるものではないが、氏の主張は明快だった。日本の防衛思想は古代からずっと「専守防衛」論だったし、「日本の国のかたち」は「専守防衛」以外にない、というものだ（3）。<br><br>　講義の内容を要約する力は私にはないので、配付された資料の主な目次を少し紹介しておきたい。どういう話だったかが推測できると思う。<br><br>1　白村江の戦後のジオポリティークは専守防衛<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;①日本列島の位置づけ　ー　対馬海峡とドーバー海峡<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;②戦争する相手との国力対比<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;③戦場に関わる地理学的情報　ー　大陸国家の戦争と島嶼国家の戦争<br>2　日本は白村江の戦いになぜ「参戦」したか　ー　日本と百済との関係<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;①百済語を通して「日本・百済」の「血縁」を言う諸氏<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;②朝鮮王朝・日本王族との姻戚関係　ー　桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;③政治に百済人が関与<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;④文化交流<br>3　白村江の戦の年譜<br>4　国のかたち⇒「古代国民国家」⇒国家体制の構築と維持<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;①全般⇒敗戦に学び構築する「国のかたち」<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;②内政の障害排除　－　地方部族を吸収<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;③律令（近江令668⇒飛鳥浄御原令689⇒大宝律令701）<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;④遷都　難波⇒近江京667<br>5　防衛・安全保障・外交<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;①大国のパワーポリテイックス（日本・新羅・唐・渤海）<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;②新羅のと交流<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;③白村江敗戦後の防衛体制構築<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;④百済遺民の四散　ー　難民対処<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;⑤捕虜の帰還<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;⑥『万葉集』防人の歌<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;＊防人の歌の評価＝乏しい軍事的知見に反比例する（命がけの重さ）<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;＊大友家持の期待<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;＊防人＝コサック<br>6　示唆⇒国のかたち<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;＊古代国民国家で「日本の国のかたち」が誕生した<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;＊人が持つ感（受）性に回帰する<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;＊先の戦争から80年、いま「国のかたち」が見えるか<br><br>　以上が大まかな目次だ。目次だけでは内容は伝わりにくいが、氏はレジュメの冒頭で次のように述べている。これが全体の要約とも言えそうだ。<br><br>「日本の歴史に国家的「ジオポリティーク」の感性が窺えるのは「白村江敗戦後」の防衛体制構築　ー　戸籍（徴兵の指定）・北九州司令部（太宰府）設置・戦略的防衛戦の構築（離島警備・防人の配置・水城・狼煙台・城砦）・都府の移転（大津遷都）ー　ですが、それは、「白村江の戦い」において新羅と連合した唐軍が戦後も朝鮮半島に駐留して「日本に対する脅威」となっていたからです。それらは『日本書紀』・『𦾔唐書』・『三国史記』に記されており、そこに大国の脅威に対する古代大和朝廷の専守防衛体制を学ぶことができます」（４）<br><br>　講義の後に質疑応答には長い時間がさかれた。H氏が多くの質問に熱心に答えておられたのが印象的だった（５）。今回の報告をベースに著書が近々刊行されるというので、改めてお話を聞きたいものだ（６）。<br><br>【日本列島】<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251028/10/kempis/a2/74/j/o0420024015704833571.jpg"><img alt="" height="240" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251028/10/kempis/a2/74/j/o0420024015704833571.jpg" width="420"></a><br><br><br><br><br>注<br><br>1　空将補とは航空自衛隊の将官で、昔風に言えば少将の階級らしい。英語圏ではGeneralと呼ばれるようだ。トップから2番目か。「国際地政学研究所」は「日本における地政学研究再興を志す」（ホームページ）研究所だという（https://www.igij.org/）。研究機関だが防衛思想に関しては防衛庁の主流派や防衛研究所(https://www.nids.mod.go.jp/)などとは考えが相容れないところがあるようだ。どちらかと言えばリベラルに近い主張を展開しているようだ（この文脈でのリベラルの定義次第だが）。<br>2　これは「はてなブログ」に投稿したことがある（2025-05-27　「非戦は安全保障たりうるか　ー　非戦論とカトリック」）。Y氏とH氏は同じ研究所に所属しており、思想的基盤や政治的立場は類似しているようだ。<br>3　専守防衛とは敵から攻撃を受けたときのみ防衛力を行使するというもの。「積極防衛」ではない。いわば受動的な防衛戦略で、「避戦」という言葉も使うらしい。氏の専守防衛論はどうも吉田茂がモデルらしく、吉田茂路線への言及が多かった。吉田茂が言う「国のかたち」とは「非戦の平和国家」であり、「専守防衛を貫く、戦争と無縁で繫栄する日本」なのだと言っておられた。他方、「国」を守るのではなく、「国民の生命・財産」を守ると言い続けた安倍晋三路線への批判的トーンが講義の所々に感じられた。「国なくして国民はない」と言っておられたが、難しい論点だ。畏友三石善吉氏の良書『非暴力による防衛戦略』（明石書房２０２３）を思い起こした。<br>4　「ジオポリティーク」は通常「地政学」と訳されるようだが、H氏は「政治地理学」と訳しておられた。<br>５　テーマがテーマだけにきわどい質問もいくつかあった。あまり踏み込むとイデオロギー論争になったり、党派論争になりかねない質問もあったが、H氏は人柄だろうか物腰柔らかく丁寧に答えておられた。H氏も信者さんということで、気を許した回答をされていたようだ。<br>６　私が一番印象に残ったのは、「戦争には必ず政治的目的がある」という説明のあと、現在のウクライナ・ロシア「戦争」、ガザ・イスラエル「紛争」、中台「問題」で、氏がロシア・イスラエル・中国の「政治的目的」をはっきりと指摘したことだった。「戦争は政治の継続である」というクラウゼビッツの言葉は人口に膾炙しているが、紛争や戦争の「戦略」ばかりに目を奪われているとその「政治的目的」を見失いがちですという指摘は元軍人ならではの言葉で重く響いた。<br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12941642556.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Oct 2025 10:52:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「ユダ福音書」に読む「笑うイエス」　ー　米田師『イエスは四度笑った』を読む</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br>　米田彰男師の『イエスは四度笑った』を読んだ（1）。いわゆる「<u style="text-decoration:underline;">史的イエス</u>」論で、イエスの、短い人生の中での「喜怒哀楽」を現代の聖書学のもとに描いている。主に依拠しているのは「<b style="font-weight:bold;">ユダの福音書</b>」だ（2）。イエスは、普通思い描かれる、尊厳な、厳格で、そして可哀想な死に方をした、立派な人（神）というイメージとは異なり、もっと明るい、そしてユーモアのセンスを持った、面白い人（神）だったのではないか、という説だ。<br><br>　米田師には10年ほど前に黙想会で指導を受けたことがある（3）。米田師は、気難しい聖書学者というよりは、穏やかな人柄で、一泊二日の黙想会は和気藹々の楽しいものだった。ドミニコ会といってもカナダ管区ですから、と笑っておられたのが記憶に残っている。<br><br>　念のために目次だけ紹介しておこう。<br><br>第1書　イスカリオテのユダと『ユダの福音書』<br>第2章　イエスを4度笑わせた『ユダの福音書』<br>第3章　正典福音書におけるイエスの＜怒り・苦しみ・悲しみ・喜び＞<br>第4章　正典福音書におけるイエスの＜ユーモア＞<br>第5章　正典福音書におけるイエスの＜笑い＞<br>追記1　聖夜を前に聖書ひもといて<br>追記2　ガザの「壁」<br><br>　全体を流れるのは、小説家椎名麟三の言葉「福音書には、イエスの笑いの記事がないことが残念である」という問い、「イエスは笑ったはずだ」、という予感（4）に、現代聖書学の知見をもとに答える知的挑戦だ。つまり、イエスの言葉を、具体的な状況の中で、誰に対して、どういう感情で語られたかを、<u style="text-decoration:underline;">正典福音書</u>と<u style="text-decoration:underline;">ユダの福音書</u>に探すという試みだ。細かい聖書の話なのだが、引用と説明が丁寧なので、共観福音書の知識がなくともなんとか読み通せた。といっても前著『寅さんとイエス』と比べると格段と難しい。<br><br>　内容は聖書学に素人の私がまとめることはできない。ただ、福音書のそういう読み方、説明のしかたもあるのか、と驚きの連続だった。「<b style="font-weight:bold;">快活で晴朗なイエス</b>」、これが米田師が持っているイエス像だということがよくわかった。<br><br>【イエスは四度笑った】<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/13/kempis/f8/18/j/o0156021815699907484.jpg"><img alt="" height="218" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/13/kempis/f8/18/j/o0156021815699907484.jpg" width="156"></a><br><br><br><br>注<br>1　米田彰男『イエスは四度笑った』（筑摩書房、2024）<br>2　1970年代にナイル川流域で4つの写本が発見された。パピルス紙。なかには、①フィリポに送ったペテロの手紙　②ヤコブの黙示録　③ユダの福音書　④アロゲネースの書　が含まれていたという。「マガーガ写本」と呼ばれているらしい。グノーシス派の偽典という説もあるようだ。ユダとはイエスを「引き渡した」ユダである。「イエスを金で売った、裏切り者のユダ」ではなく、イエスを「引き渡した」ユダである。この「引き渡す」ということの意味の解明が本書の主要命題の一つとなっている。<br>3　この黙想会の印象はブログに書いたことがある（はてなブログ、2015－09－13）。この時の黙想会のテーマは「イエスはフーテンの寅さんだった」というもので、師の著書『寅さんとイエス』を使った面白い黙想会だった。この黙想会でも「イエスの笑い」について研究を進めていると仰っていたので、本書はその成果だと思われる。<br>4　椎名麟三「道化師の孤独」椎名麟三全集第九巻（1976）</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12939692600.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Oct 2025 13:59:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>フランシスコ前教皇の評価が割れ始めているのか　ー　「聖書と典礼」と「東京教区ニュース」</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br>　今日の年間第１６主日は参院選の投票日に重なったせいか、または梅雨明けの猛暑のせいか、ミサに預かる人の数は心なしか少なかった。普段と変わらないごく普通のごミサだったが、一つ驚いたことがあった。それは、「聖書と典礼」の「コラム」欄に載っていた阿部仲麻呂師（サレジオ会）の投稿記事だった。タイトルは「教皇選出に伴う教会共同体のこれまでとこれから　ー　相手を優先する神の愛を具体的に生きる伝統」というものだった。<br>　師は、亡くなられた前教皇を「分断された世界を懐かしい故郷に変貌させつつ、諸民族を兄弟姉妹と呼んで連帯させた橋渡し役の教皇フランシスコ」と呼んでいる。内容も、前教皇の霊的指導を好意的に評価し、前教皇の出された回勅や使徒的勧告を紹介し、シノドス（主とともに歩む旅を）を「私たちの識別」と呼んで説明していた。言ってみれば阿部師らしいごく普通のコラム記事だ。新教皇レオ１４世についても、「多様性を尊重し、お互いに補い合い、キリストと一緒に基本に立ち帰って歩んで参りましょう」と紹介している。一見当たり障りのない表現だが、読みようによっては阿部師の意図と希望が伝わってくる。<br><br>　ところが、この阿部師のコラム記事の論調は、今月７月２日付けの「東京教区ニュース第424号」に載った「シノドス担当者　小西広志神父」の投稿記事「対話する教皇さま」とはあまりにも異なる印象を与えるものだった。小西師は「型破りな教皇さま」というタイトルの記事の中で、フランシスコ前教皇を次のように評していた。<br><br>「2013年３月13日にアルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が新教皇に選ばれた際、最初のお披露目でわたしは少し驚いたことがありました。それは、フランシスコ教皇さまが白の教皇服だけをお召しになって現れたからです。・　・　・　そして、第一声は「兄弟姉妹の皆さん、こんばんは」でした。わたしのその時の印象は、教皇としての服装の規定をあえて破って、やさしい言葉で語りかけて、人々のそばにいようとする教皇さまが誕生したのだというものでした。しかし、少しひねくれた見方をすれば、教皇さまは民衆をご自分の味方につけようとしているという感じもしました。それから12年、多くのことが型破りで、次は何が生じるのだろうという不安定さを感じていたのはわたしだけではなかったと思います。時にはフランシスコ教皇のなさることの真意をくみ取れないまま、消化不良のような状態にもさせられました。」<br><br>　つまりこの論調はフランシスコ前教皇をなにか貶めるような意図を持っているのではという印象を与える。少なくとも好意的な論調ではない。教区ニュースの一つに過ぎないとはいえ、教区のシノドス担当司祭の投稿なのだから、その与える影響は大きい。要は東京大司教区はフランシスコ前教皇をあまり快く思っていないのではないかという印象を受けた。<br><br>　こういう気分の時に今日阿部師のコラム記事を読んで、これは一体どうなっているのだろう、という気持ちになった。<br><br>　新教皇が前教皇と比較されるのはいつものことだ。故ベネディクト１６世ですら、第二バチカン公会議では改革派の希望の星だった。レオ１４世がどのように教会を、時代を、導いていくのか、まだわからない。前教皇フランシスコの評価に関する今日の「聖書と典礼」のトーンと今月の「東京大司教区のニュース」のトーンとの違いは、教区と修道会の立場の違いの反映なのかはわからないが、思いがけず大きいものなのかもしれない。<br><br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12917679745.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Jul 2025 17:48:38 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>聖体拝領の所作　ー　キリストの聖体の祭日に想う</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br>　今日は「キリストの聖体の祭日」だった。これは<u style="text-decoration:underline;">移動主日</u>で今年は遅かったが、<u style="text-decoration:underline;">初聖体</u>の儀式もあったので多くの方がミサに出られた。聖体は7秘跡の一つで、神父様が初聖体を授かる子どもたちに聖体拝領の動作を説明しておられた。そこで聖体拝領の所作について少し気がついたことを書き留めておきたい。あまりに日常的な行為・動作なのでこれといって考えたことは無かったが、少し考えてみた。<br><br>1　まず聖体拝領の前の段階での動作だ。中央協議会は、聖体拝領で並んでいるとき、前の人が拝領するときに後ろに並んだ人は聖櫃（祭壇）に向かって前もって一礼する（お辞儀をする）ことを勧めているようだ。どうも日本の習慣に倣って敬意を表すという意味らしい（1）。私の教会ではお辞儀をする人は少数派のような印象がある。私自身はしない。<br><br>2　聖体拝領の時神父様は「キリストの御からだ」と言い、われわれは「アーメン」と唱える。この意味を、わたしは「<b style="font-weight:bold;">これは</b>キリストの御からだ」という表現の簡略形だと理解していた。または「<b style="font-weight:bold;">あなたに</b>　キリストの御からだ　を与える」という意味だと思っていた。ところが、今日の「聖書と典礼」のレオ神父様（聖コロンバン会）の解説によると、別の意味があって、「<b style="font-weight:bold;">あなたは</b>　キリストの御からだ」という意味だという。あなたにキリストの御からだを与える、ではなく、<u style="text-decoration:underline;">あなたはキリストの御からだです</u>、という意味だという。聖体拝領はコミュニオンだから意味はよくわかるが、この斬新な説明にわたしは驚いた。神学上、また、典礼上、これがどういう意味を持つのか、すこし勉強してみたい。<br><br>3　御聖体が手の上に載せられると、信徒は少し脇にずれて次の人に空間を渡す。この時すぐにパンをいただく（口に入れる）わけだが、この動作の時、パンを口に入れてから（または同時に）前を向いて（十字架に向かって）お辞儀をする人がいる。または、そのまま横向きに歩きながらパンを口に入れる人がいる。つまり、祭壇に一礼する人としない人がいるわけだ。わたしは昔は祭壇に向かったままパンを口に入れてから一礼していた。それから自分の席に歩き始めていた。今は横向きに歩きながらパンを口に入れている。一礼はしていない。なぜ変えたかは長い話になるのだが、今の自分の教会では、お辞儀をする人は結構いる（2）。おそらく半々くらいではないか。典礼的にはお辞儀は必要ないようだが、日本人の習性でやはり敬意と感謝の気持ちを表しているのだろうと想う（3）。<br><br>4　高齢者や病人への聖体授与の時の聖体拝領の時の動作はよくわからない。当教会ではミサには出られるが、聖体拝領の時、様々な理由で、聖体拝領のため祭壇まで歩いて行くことができない高齢者が何人かいる。このばあい神父様がパテナを持ってこの高齢者のところまで足を運び聖体授与をされている。高齢者の場合、ミサの最中の、立ったり座ったりの繰り返しが身体的につらいという人は多い。座ったままミサに与ることは許されているが、奉献文のときは立つ人が多い。聖体拝領も座ったままいただいているのかもしれない。なにか典礼にルールがあるというより教会ごとの対応がなされているのであろう。<br><br>　ということで、初聖体の子どもたちの聖体拝領を見ながらあれこれ考えていた。初聖体は幼児洗礼の子どもが受ける。親御さんたちの喜びはいかほどであろう。次は堅信が待っている。健やかな成長を願う。<br><br>【キリストの聖体】（聖書と典礼）<br><br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250622/17/kempis/16/96/j/o0245035915621342093.jpg"><img alt="" height="359" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250622/17/kempis/16/96/j/o0245035915621342093.jpg" width="245"></a><br><br>注<br>1　外国でのミサでこういう動作を見たことは無い。日本にいる外国人では日本でのミサで同じような動作をする人はいるようだ。<br>2　跪いたままパンをいただくことは現在の日本では認められていないので、この動作の混乱は生まれない。立ったまま口でパンをいただいていた頃は一礼するという動作はなかった。第二バチカン公会議以降のミサの変化は大きい。<u style="text-decoration:underline;">畳敷きの聖堂の時代</u>の聖体拝領の所作はどこかに記録が残っているのではないか。<br>3　両形態の聖体拝領の場合は動作はもっと複雑になる。特にぶどう酒をいただくとき、一人一人が「パンを浸す」という動作をする場合は（カリスを回し飲みする場合ではない）、ぶどう酒がしたたり落ちる危険性があるのでどうしても一礼するような動作になる。これは文化的所作というより典礼上の配慮なのかもしれない。とはいえ現在は私の周りでは両形態の聖体拝領の機会はない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12912066329.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jun 2025 17:10:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>霊性を高めた人と出会った経験がありますか　ー　聖霊降臨の主日に想う</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br>　今日は聖霊降臨の主日（C年）だった。第一朗読は使徒言行録２：１～１１で「聖霊とは風のこと」の話、第二朗読はローマ書８：８～１７で「霊は命」の話、，福音朗読はヨハネ１４：１５～２６で「聖霊は弁護者」の話だった。どれも神学では聖霊論のなかでも難しい箇所だが、今日のミサは明るく楽しいものだった。<br>　日曜学校の子供たちが侍者となり、第一・第二朗読を担当し、詩編と共同祈願も子供たちが分担した。子どもの声はミサを明るくする。<br>　今日は神学校から<b style="font-weight:bold;">助祭</b>（１）が来られ、侍者をするとともに（２）、福音朗読をされた。日本語も十分理解できる発音だった。<u style="text-decoration:underline;">聖体奉仕</u>（ご聖体を授けること）もしておられた。こういう若い方が将来の日本の教会を支えていかれると思うと心強かった。<br><br>　神父様のお説教は「<u style="text-decoration:underline;">聖霊来てください</u>」というお祈りをいつもしましょうというものだった（３）。このお話に触発されて今日は「<b style="font-weight:bold;">霊性</b>」について考えていた。<br>　聖霊と霊性は別物なのだろうが（４）、聖霊の働きで霊性が高まるようだ。<u style="text-decoration:underline;">霊性を感じさせる人</u>がいる。あぁこの人はよく祈っているな、と思わせる人だ。静かだとか、穏やかだ、とか人を引き付ける力があるとか、そういう「人格的な」特性ではない。なにか、そこで、一緒にいるだけで、落ち着かせてもらえる。ホッとさせてもらえる、そういう神から与えられた資質のようなものだ。<br>　一般的には司祭や修道者や僧侶など聖職者に見いだされるカリスマだとされる。どうも自力で獲得したものというより、なにか上から恵まれたもの、という印象がある。<br><br>　逆に、霊性を感じさせない人、あまりにも世俗的な印象を与える聖職者もいる。よく言えば社会の変化についていけている、悪く言えば世間づれしている人、ということになる。<br><br>　わたしにはそういう意味では、霊性を感じたことのある司祭が何人かいる。あぁこういう人が信じているものなら間違いないだろう、と思ったものである。こういう人に出会えてよかったと心から思ったことがある。世俗的になにかをしてもらったわけではない。恩に着るようなことがあったわけではない。でも自分もいつかはこの方のようになりたいと思ったものである。<br><br>　自分自身は世俗の中でただやみくもに生きてきた。なにか人様のお役に立つようなことをしてきたわけではない。ただ、祈りはいつかそういう霊性を与えてくれるだろうと思ってきた。自分の普段の祈りはお願い事ばかりだ。感謝の祈りすら時々しかできない。神父様の言うとおり、「聖霊来てください」という祈りを続けたい。<br><br>【聖霊降臨（聖書と典礼）】<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250608/22/kempis/d6/e8/j/o0170020015612774700.jpg"><img alt="" height="200" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250608/22/kempis/d6/e8/j/o0170020015612774700.jpg" width="170"></a><br><br>注<br>１　ミサを複数の司祭が挙げる（共同司式）のは第二バチカン公会議以降見慣れた光景となったが、司祭と助祭が一緒にミサを挙げる場にはあまり出会った経験は無い。助祭は、侍者役ではないが、かなりの部分で共同司式のようにも見えた。助祭はミサのどこまで参加できて、何ができないのかはよくわからなかった。奉献文とお説教だけは司祭のみができるのかもしれない。助祭が聖体奉仕をされていたのには驚いた。信徒が聖体奉仕をすることもあるのだから当然と言えば当然なのであろう。助祭はこのようにして司祭叙階まえに現場での訓練を積んでいくのであろう。<br>２　司祭の手助けであって侍者の仕事はされなかったのかもしれない。昔風に言えば「<u style="text-decoration:underline;">ミサごたえ</u>」みたいだった。動作を見ているだけはよくわからなかった。助祭は、終身助祭は別として、現在は神学校の６年生がなれる資格が与えられるらしい。今日来られた助祭はベトナムからの神学生とのことで、司祭叙階も間近とのことだった。神学校の<u style="text-decoration:underline;">哲学２年神学４年</u>は長いといえば長い。現在は「日本カトリック神学院」の在籍神学生は過半数が外国籍（外国出身）だという。修道会からの方が多いということなのであろう。日本のカトリック信徒数は公称では４０～５０万人というが、半数は外国人だという。そのうち毎週ミサに出る人（月定献金を納める人）は約１～２割だという。そう考えれば日本人の信徒数は実態はおそらく数万人の規模なのであろう。外国出身の司祭は外国人むけに必要なのではなく、日本の教会を支えるために必要なのであろう。それでも日本の教会は外国での宣教のため司祭を送り出さなければならない。日本のカトリック司教団が直面する課題は大きい。<br>３　神父様は説教のなかで自分の神学校時代の経験を話されていた。当教会の主任司祭でもあった小笠原神父様は神学校の講義では講義の初めにかならず「<b style="font-weight:bold;">聖霊、来てください</b>」と毎回神学生と祈っていたという。思い出したが、カト研のジョンストン神父様はいつも「<b style="font-weight:bold;">聖霊、来たりたまえ</b>」（Come Holy Spirit）と祈っておられた。小笠原神父様とちがって文語調のお祈りだったことが印象深い。<br>４　<u style="text-decoration:underline;">霊性</u>は「広辞苑第７版」によると、「宗教的な意識・精神性・物質を超える精神的・霊的次元か関わろうとする性向　<u style="text-decoration:underline;">スピリチュアリティ</u>」なのだという。つまり、キリスト教に特有の資質または賜物（<u style="text-decoration:underline;">カリスマ</u>）ではなくて、宗教を超えた「<u style="text-decoration:underline;">心身統合体験</u>」（増田祐志編『カトリック神学への招き』２００９，２７６頁）と考えているようだ。若松栄輔氏ですら鈴木大切の「日本的霊性」論を論ずる中で霊性を「いのち、光、生命」などと読み替えてきた日本の霊性史を振り返っている（『霊性の哲学』２０１５）。とはいえ、霊性概念がキリスト教の影響を強く受けているのは、霊性は聖霊の存在を必要としているからなのではないだろうか。聖霊を伴わない霊性はなにか別物のような印象がある。霊性を広く捉えていくことの重要性はよくわかるが、霊性は聖霊を必要とすることを日本のカトリック神学はもっと強調してほしいものだ。<br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12909244593.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Jun 2025 22:48:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>非戦は安全保障たりうるか　ー　非戦論とカトリック</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br>　当教会の「アカシアの会」（１）で有益な講演会がもたれた。テーマは「<b style="font-weight:bold;">日本の国家像と非戦の安全保障</b>」という大きなものであった。講演者のY氏は防衛庁官房長や防衛研究所長、内閣官房長官補などを歴任され、日本の防衛政策の中枢を担ってこられた方だという。現在も日本の安全保障政策について発言を続けておられるようだ（２）。<br><br>　今日の講演で私が一番驚いたのは、日本の安全保障政策、防衛政策の中枢を支えている思想的立場では「<u style="text-decoration:underline;">非戦論」が主流</u>であることを知ったことだ（３）。非戦論を戦争そのものを否定する思想と解するならば、<u style="text-decoration:underline;">非戦論に基づいてどのようにして日本の安全保障政策を組み立てることができるのか</u>、今日は専門家の議論を垣間見ることができた。非戦論といってもさまざまな解釈が可能だろうから、氏の主張の一部でも整理しておきたい。<br><br>　配付された資料は以下のような構成で、講演はこれに沿っておこなわれた。<br><br>Ⅰ　戦後８０年、日本人が戦争を心配している<br>Ⅱ　私はなぜ非戦を志向するのか<br>Ⅲ　非戦の戦争論<br>Ⅳ　平和とは何か<br>Ⅴ　日本という国をどう守るのか<br>Ⅵ　日本人に欠ける戦争のリアリティ<br>Ⅶ　では抑止とはなにか<br>Ⅷ　「台湾有事」は「日本有事」か<br>Ⅸ　現代世界はどうなっているのか<br>Ⅹ　トランプ主義が突きつける課題<br>ⅩⅠ　「憲法９条を守れ」が通じない時代に<br><br>　どれも大きな論点だが、氏はおのおのについて、背景の説明とご自身の立場・主張を明快に述べられた。よく考え抜かれた議論だった。以下特に私が注目したい点を手元のメモを中心にピックアップしてみた。<br><br>Ⅰ　戦後８０年、日本人が戦争を心配している<br>　戦後８０年間日本は平和と豊かさを享受してきた　いま初めて本気で戦争を心配し始めている　突きつけられている選択肢は二つ：①戦争に備えるか、または　②戦争が起きないようにするか　②を選びたい<br><br>Ⅱ　私はなぜ非戦を志向するのか<br>　イラク戦争で気づいた　イラク戦争は「無駄な戦争」だった　大量破壊兵器はなかった　政策決定者は「間違える」ことがある　戦争は国家の行為で人は「死ねば英雄・殺せば英雄」だが、これは人間の自己決定権（幸福追求権）とぶつかる（４）<br><br>Ⅲ　非戦の戦争論<br>　戦争とは政治目的達成のための手段（クラウゼヴィッツ）とされてきたが、現代では戦争以外の手段を考え、政治目的そのものを再考する必要がある　政治は「戦い方」よりも「避け方」と「終わり方」を考えるものだ<br><br>Ⅳ　平和とは何か<br>　誰も戦争の心配が無い・誰も抑圧されないのが本来の平和。だがそれは難しいので、非戦を諦めないことが平和の土台となる<br><br>Ⅴ　日本という国をどう守るのか<br>　日本は、島国・資源に乏しい・若年人口減少・政治不信・内向きという特徴を持つので、「大国」の資質は無い、つまり戦争には向かない　他方、陸の国境が無いので抵抗する限り容易には占領されない　だから専守防衛は憲法からというより「地政学的に合理的な守り方」となる<br><br>Ⅵ　日本人に欠ける戦争のリアリティ<br>　「日・米・台は戦う覚悟を持て」という主張があるが、離島防衛や島民避難は現実性がない<br><br>Ⅶ　では抑止とはなにか<br>　抑止 deterrence とは報復の恐怖で戦争をさせないことだが、本質は心理作用なので機能しないことがある　むしろ　安心供与 reassurance を与えることで、つまり、戦争を辞さないほどの利益を与えることで戦争の動機を減退させるほうがよい　台湾海峡に当てはめれば「現状維持」が利益になる<br><br>Ⅷ　「台湾有事」は「日本有事」か<br>　台湾有事に米国の要請（米軍の基地使用）にyesなら日本にミサイルが来る、noなら日米同盟は崩壊する　どちらも政治の悪夢だ<br><br>Ⅸ　現代世界はどうなっているのか<br>　ウクライナ戦争・ガザの愚かな戦争は大国主導の世界の終わりを示している　日本は価値観の押しつけではなく非戦の道徳を説くミドル・パワー（中庸国家）を目指したい<br><br>Ⅹ　トランプ主義が突きつける課題<br>　トランプ主義は自国利益の最大化を国家目標にしている　世界中で米国への信頼が揺らいでいる中、日本は戦後８０年経てはじめて「自立」を模索すべき時が来た（５）　守るべき日本のアイデンティティー（独自の自己認識）とはなにか<br><br>ⅩⅠ「憲法９条を守れ」が通じない時代に<br>　戦後世代の「憲法＝平和」という成功体験は戦後ジュニア世代の政治不信に取って代わられた　戦争と平和をめぐる意識は変化した<br><br>　Y氏の１時間半の報告の後若干の質問があった。どの質問も興味深いものであったが、中心はやはり、Y氏の非戦論は、日本の安全保障政策の中でみられる防衛力増強論とどう関わっているのかというものであった。Y氏は日米地位協定の説明をもって応答しておられた（６）。<br><br>　私の個人的印象では氏の立場は現状維持論と自立論の中間にあるように聞こえた。現役を退いた後考察が深まったと仰っていた（７）。<br><br>　講演者が席を外された後、出席者の間で雑談が交わされた。新教皇レオ１４世が誕生したこともあり、この非戦論と正戦論との関係が話題に上がった（８）。ヨハネ・パウロ２３世以来歴代教皇は、正戦論を完全否定はしていないが（９）、「平和は戦争では築けない」と説いてきた。レオ１４世がこの途をどのように導いて行かれるのか見守っていきたい。<br><br>注<br>１　わたしの所属する教会に「アカシアの会」という信徒の親睦団体がある。通常は信徒同士の交流の場なのだが、今回は信徒では無い専門家の講演を聴く機会が与えられた。<br>２　氏の著書論考は多数あるが、最新作は『非戦の安全保障論』（２０２２）、『戦争はどうすれば終わるか』（２０２４）（ともに集英社新書）だという。氏によると、キャリアーと理論的・思想的立場が必ずしも一致しないことはどの世界でもみられるという。また、年齢や立場の変化で理論的・思想的立場が変化することは誰にでもあることだろう。<br>３　単に私の勉強不足だったのかもしれない。主流といっても、防衛政策に関しては主戦論や反戦論など様々な立場が拮抗しているのだろう。<br>４　幸福追求権とは、人間には幸福を追求する権利がある、というよりも、国家の介入なしに個人が自由に意思決定できる権利を持っている、という意味の方が強調されるようだ。<br>５　Y氏はここで突然安全保障に関わる「安倍路線」批判を展開された　真意は測りかねた<br>６　地位協定にもとづくいわゆる在日米軍駐留経費はいまや１兆円に近いという。トランプ大統領はさらなる増額を要求するらしいという。在日米軍基地が無ければ米国の世界戦略は成り立たないのだから、日本は言われるままでは無く、逆にむしろ強く出られる立場にあると言っておられた。<br>７　世代論は好むものでは無いが、今日の参加者はほとんどが高齢者で６０年安保世代だが、、Y氏もおそらく７０年安保世代だろう。戦争は政治の選択だが、政治は国民の選択だ。だから必要な発信を続けたいという。「死んでる暇は無い」のだという。<br>８　正戦論　just war の淵源はカトリックに求められることが多い。とはいえ正戦と聖戦の区別もつかない議論が散見される。訳語の問題もあるのかもしれない。現在のカトリック教会は、「正義」よりも「平和」を重視する方向に軸足を移している。<br>９　聖ヨハネ・パウロ二世によって1992年に出された現行の「カトリック教会のカテキズム」は、厳しい条件付きで、「軍事力による正当防衛」という表現で「正当な戦争」を認めている。（『カトリック教会のカテキズム』カトリック中央協議会　２００２、第２部第２章第３節「平和の擁護」参照）</p><p><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250527/14/kempis/87/c8/j/o1643273115604603004.jpg"><img alt="" height="698" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250527/14/kempis/87/c8/j/o1643273115604603004.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12906405165.html</link>
<pubDate>Tue, 27 May 2025 14:11:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2025年度の初蛍を観測した</title>
<description>
<![CDATA[ <p>2025年度のホタルが<b style="font-weight:bold;">2匹</b>飛んでいるのを先ほど確認した。5<u style="text-decoration:underline;">月13日火曜日午後8時まえ</u>。天気は晴れで月明かりは無い。風は無風。気温も20度くらいか。昨日は飛んでいなかったので、今日が初めてだと思う。今日は、昨年同様、天気も良かったので、早く湧いたようだ。一日早くなったことになる。<br>　今年も川では菜の花が盛んに咲いていたので期待はしていた。気温は明日も暖かいというので、蛍の数も増えることだろう。見頃は来週か。また友人・知人に声をかけて蛍見物をしたい。<br><br>【ホタルを初めて観測した日】<br><br>2025年&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;5月13日&nbsp;&nbsp; &nbsp;<br>2024年&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;5月14日<br>2023年&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;5月15日<br>２０２２年　５月１８日<br>２０２１年　５月１４日<br>２０２０年　５月１３日<br>２０１９年　５月１６日<br>２０１８年　５月１５日<br>２０１７年　５月１２日<br>２０１６年　５月１２日<br>２０１５年　５月１７日<br><br>　家の前の川でこの定点観測はもう何十年も続けているが、近年はまた初出現日が早まってきている印象がある。<br>注<br>このブログにはgoo blog から引っ越してきて初めての投稿なので勝手がよくわからない。カテゴリー別に投稿したいがカテゴリーはどうしたら作れるのだろう。<br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kempis/entry-12902721583.html</link>
<pubDate>Tue, 13 May 2025 20:52:02 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
