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<title>kenken21goのブログ</title>
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<title>九州の地名の由来、転じて記紀研究への一言</title>
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<![CDATA[ <p data-pm-slice="1 1 []" id="00a9e78c-fc1c-4eb4-868d-30d599190219" name="00a9e78c-fc1c-4eb4-868d-30d599190219">九州の地名の由来、転じて記紀研究への一言<br><br>先般、九州という用語が何時から使われるようになったのかの定説はないと書いた（九州地方というのは明治維新後の廃藩置県で定着したらしい）。<br><a href="https://note.com/kengoken21go/n/ne5096a2d65ba" rel="nofollow noopener" target="_blank">https://note.com/kengoken21go/n/ne5096a2d65ba</a><br>これに絡めて今回は記紀の国生みについて：<br><br>記紀（古事記と日本書記で記述方式・記述内容に大きな相違があるのは周知のとおり）の「国生み神話」で、日本の別称（美称）「大八島/大八洲」以下のようになっている。<br><br>＜古事記＞<br><s>⓪然久美度爾興而生子、水蛭子。此子者入葦船而流去。次生<strong>淡島</strong>。是亦不入子之例</s>。<br>これは流産、死産、奇形等として無視されている（淡島は淡路島ではないとされている）。<br>（中略）<br>①如此言竟而御合、生子、<strong>淡道之穂之狭別島</strong>。<br><strong>現在の淡路島</strong>と考えられている模様。<br>②次生<strong>伊予之二名島</strong>。此島者、身一而有<strong>面四。毎面有名</strong>。故、<strong>伊予国</strong><br>謂愛比売、<strong>讃岐国</strong>謂飯依比古、<strong>粟国</strong>謂大宜都比売、<strong>土左国</strong>謂建依別。<br><strong>現在の四国</strong>（愛媛/伊予・香川/讃岐・徳島/阿波・高知/土佐）とぴったり<br>一致する。<br>③次生<strong>隠伎三子島</strong>。亦名天之忍許呂別。<br><strong>現在の隠岐</strong>と考えられている。<br>④次生<strong>筑紫島</strong>。此島亦、身一而有<strong>面四。毎面有名</strong>。故、<strong>筑紫国</strong>謂白日別、<br><strong>豊国</strong>謂豊日別、<strong>肥国</strong>謂建日向日豊久士比泥別、<strong>熊曽国</strong>謂建日別。<br><strong>現在の九州と考えられているようだが、筑紫・豊国・肥国・熊曽の4ヶ国が九州島全体と一致するか疑問。日向が出て来ないことに注意。</strong><br>⑤⑥⑦次生<strong>伊岐島</strong>。亦名謂天比登都柱。次生<strong>津島</strong>。亦名謂天之狭手依比売。<br>次生<strong>佐度島</strong>。<br><strong>現在の壱岐・対馬・佐渡</strong>と考えられている。<br>⑧次生<strong>大倭豊秋津島</strong>。亦名謂天御虚空豊秋津根別。<br><strong>現在の本州と考えられている。今の本州より狭い範囲と考えるのが妥当。</strong><br><br><strong>故、因此八島先所生、謂大八島国</strong>。<br><strong>「現在の〇〇」と考えられるのが八つである故、「大八島」と呼ぶ。</strong>即ち、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州をもって大八島（日本の別称）を成していることになるというのが一般的理解である<br><br>＜日本書記＞<br>古事記は日本語を漢文風にしたもの（疑似漢文）であるのに対し、日本書記は対外向け、就中、中国（当時は唐）向けの正史で、純粋な漢文で書かれていて読み辛いので原文は以下に纏める。<br><br>先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰<strong>淡路洲</strong>。廼生<strong>大日本</strong>（日本。此云耶麻騰。下皆效此）<strong>豐秋津洲</strong>。次生<strong>伊豫二名洲</strong>。次生<strong>筑紫洲</strong>。次雙生<strong>億岐洲與佐度洲</strong>。世人或有雙生者象此也。次生<strong>越洲</strong>。次生<strong>大洲</strong>。次生<strong>吉備子洲</strong>。由是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。皆是潮沫凝成者矣。亦曰水沫凝而成也。<br><br>結局、大八洲國は次の順で生まれる。<br><s>⓪淡路洲</s><br>現在の淡路島のこととされるが。誕生は成功せず無視。古事記の⓪と同じ？<br>①大日本豐秋津洲<br><strong>現在の本州と考えられている。但し、今の本州より狭い範囲と考えるのが<br>妥当。</strong><br>②伊豫二名洲<br><strong>現在の四国</strong>と考えられている。<br>③筑紫洲<br><strong>現在の九州と考えられているようだが、九州島全体とは一致するか疑問。</strong><br>④⑤億岐洲與佐度洲<br><strong>現在の隠岐と佐渡と考えられている。</strong><br>⑤越洲<br><strong>現在の北陸（範囲不明）と考えられている模様。本州（豐秋津洲）と何故別なのか？</strong><br>⑦大州<br><strong>どこか不明ながら、現在の山口・屋代島と考えられている模様（根拠は？）</strong><br>⑧吉備子洲<br><strong>現在の岡山・児島（半島）と考えられている。</strong><br><br>ということで：<br>＜古事記・日本書紀で共通しているもの＞<br>本州（豐秋津洲）、四国、九州、隠岐、佐渡<br>＜共通していないもの＞<br>・対馬、壱岐・・日本書記では大八洲の誕生後、泡から生まれとされている<br>・淡路・・日本書紀では失敗作として無視<br>・屋代島（大州）、児島（吉備子洲）・・古事記では大八島の後で誕生<br><strong>・北陸（越州）・・　日本書記にしか出て来ない</strong><br><br>下らないと思われるだろうが、ここで考察したいのは以下の3つである。<br><br>１．九州に日向がない～記紀にある日向は本当に南九州か？<br>律令国家の領国制で日向は一つの国（洲）となっているが、古事記の豊国、熊襲（熊曽）の何れかに日向が含まれるという根拠はないと思う。天孫降臨は日向か（ひむか）の国の高千穂峰になっていることから（＆神武東征神話もあってか？）、南九州と一般に考えられているようだが（このため宮崎県と鹿児島県で我が県こそ天孫降臨の地だと主張）、しっくりこない。<br>宮崎：西臼杵郡の高千穂町（高千穂峡）<br>鹿児島：霧島市の高千穂峰<br><br>古事記には「此地は韓國に向かい」と書いてある。日本書記は「空國」と<br>なっているけれど、朝鮮と考えた方が自然？と考えれば南九州は変だ。<br>また、高千穂は「高く積み上げられた稲穂」という解釈もあり、この意味では宮崎・鹿児島の高千穂は相応しいとは思えない。<strong>但し、韓国を無視すれば<br>高千穂は宮崎と考えたい。ここは熊本と宮崎の県境で、肥国の一部と考える<br>こともできるので。</strong><br><br>尚、記紀共に本来福岡を指す筑紫（後に筑前と筑後に分割）を九州島の名前として使っているのは、筑紫の国が何かにつけ重要であったことを物語るものだと勝手に解釈にしている。<br><br>２．共通していない島がある意味は何か<br>淡路島は記紀の双方入っている（但し日本書記では無視）ので対象外とする（畿内・大和に近い大きな島であり違和感はない）。<br><br>古事記で壱岐、対馬が入っているのは、律令国家の領国制でも独立した国（洲）となっているよう、古来より対大陸（中国）・朝鮮半島における重要な位置づけ（人・文化の交流、交易、戦争など）であったと考えると納得感がある。（古代は隠岐や佐渡より重要だったと思料）。<br><br>一方、日本書紀の大洲（山口・屋代島？）、吉備子洲（岡山・児島）は領国制における国でもないし、大きな島でもないので、大八島（大八洲）にわざわざ入っているのは違和感がある。瀬戸内海に朝鮮式の山城があったと言われるよう、この海域は中国～大和に至るところで、この二つは防衛上（或いは交流上）重要であったことから選ばれたと考えてはどうかと思っている。<br><br>また、本州に属しており島ではない越州（北陸？）が入っているのは、今の皇室の直接の先祖とされ、実在が確実視されている継体天皇の出身地とされているからでは、とはいうのでどうだろうか。<br><br>３．古事記登場まで先史時代であることの悲しさ、或いは不思議<br>以前も書いたよう文書（文字ではない）が見つかって以降を歴史時代と<br>いい、その前は先史時代という。例えば世界最古のメソポタミア文明では<br>保守的＝遅めに考えてもBC3000年代に先史時代→歴史時代に代わっている。中国でも異説はあろうがBC2000代という話もある。<br><br>然るに、日本は古事記から歴史時代が始まるという変な事態になっている。中国（或いは朝鮮も？）の歴史書まで広げればもっと前から歴史時代とも<br>いえるが（BC1頃の『漢書地理志』「倭」の記述が初出だろう）、一般的に通らない理屈。<br><br>古事記も日本書紀も創作・潤色が多く史実ではない、更に日本書紀は漢籍（或いは朝鮮も？）の流用が多いというのが現在の歴史学者の大宗的な解釈である（戦前は違った。現在でも市井の歴史家で事実を多く含むという人物もいる）ことはさておくとしても、古事記より前の文書が何も残っていないのが不思議である。記紀は、それまでにあった帝紀・旧辞を元に作成されたことになっているのにそれらは一切残っていない。蘇我氏が持っていたものは乙巳の変で焼失したと考え得るとして、それ以外がないはずはないと思うのだが。やはり意図的に破却（焼却）たれたと勘繰りたくもなる。<br><br>-----------------------------------------------------------------<br><br>さて、記紀を翻案・解説した文献は多けれど、大八島（大八洲）の八つが<br>どういう背景で選ばれたかを考察したものは今のところ見たことがない。<br>また、色々出てくる地名が現在の何処に当たるか書いてはあることは根拠が明確ではない。例えば、地名が似ているからというのは、文書に合わせて後から地名がついたところが無きにしもあらずであることに注意が必要。根拠文書がないので憶測の域を出ないと言われても仕方がないのではないか。<br>対比する是非論はあろうが、シュメール文明ではちゃんと楔型文字で文書化されているのとは大違いだ。<br><br>因みに卑弥呼（卑彌呼）や邪馬台国（邪馬壹國）はが誰か、どこかは卑弥呼に贈られたという親魏倭王の金印、100枚の銅鏡に一致するものでもが出てこない限り、九州説と畿内説は決着しないだろう（尚、一時名を馳せた三角神獣鏡はこの銅鏡に相当しないと考えるのが妥当というのが主流）。<strong>文書が残っていないというのが半ば空しい争論の元である</strong>。<strong>金印と銅鏡が出てきても固有名詞は判明することはないだろう。</strong><br><br>話のついでに言えば、魏志倭人伝は信用できない、方向の記述に間違いがあるなどという説がある。そういう人々が卑弥呼や邪馬台国などを議論するのはそもそも無意味ではないかと思う。所詮魏志倭人伝にしかこの名称は出てこないのだから。蛇足乍ら魏志倭人伝や他の漢籍を見る限り、畿内説はありえないと思っている（考古学者が卑弥呼の墓はこうあるべきだなどいうのは論外）。といって九州説が正しいと言い切るだけの十分な根拠も持ち合わせていない。<br><br>尚、<strong>日本書紀の神功皇后の記述のところで、魏志のことが注釈的に出ているので、編者は魏志を読んでいたことは確かながら、卑弥呼や邪馬台国への<br>言及はなし。但し、晋の『起居注』に「倭の女王が遣いをよこした」ということが書いてあるという日本書紀で注記をしているので、学者は神功皇后を卑弥呼に関連づけたいう見方をしている。</strong><br><br>オマケの話１：<br>天皇の実在説は色々な説（憶測）がある、主なものは以下。<br>　天皇名　　蓋然性　　補足<br>①神武天皇　　？　　　記紀以外に根拠文書がある訳ではない<br>⑩崇神天皇　 &nbsp;？△　 　政変説あり。名前から初代天皇説も<br>⑮応神天皇　　△　　　政変説あり。神武天皇と同一視する説もある<br>㉑雄略天皇　　〇? 　　稲荷山鉄剣銘文の「獲加多支鹵大王」に該当する？<br>㉖継体天皇　　◎　　　政権交代説あり。<strong>現在の皇室から確実に辿れる天皇</strong><br><br>尚、上で述べた天皇が実在することと、それ以降の全ての天皇が全て実在<br>するかは別の話。例えば、⑮応神『皇が実』したとして、⑯仁徳天皇が実在<br>したという保証はない。<br><br>オマケの話２：<br>以前、世界の神話の類似性に触れたことがある。<br><a href="https://note.com/kengoken21go/n/n9ca487ad6cd5" rel="nofollow noopener" target="_blank">神話と叙事詩、或いは神話の類似性｜kengoken21go (note.com)</a><br>今回は神話の類型をどう考えるか。筆者はこれまで世界の神話を読んできて以下のように類型化してはどうかと思っている。<br>Ａ：文字のない時代を含め、民族の古よりの記憶、伝承・伝奇による<br>Ｂ：このような人物がいた／いたはず／いて欲しい、という願望から、色々　　<br>　　な経緯を経て半ば創作（伝承のモディファイを含む）でできたもの。<br>　　例えば英雄譚。<br>C：政権、王権の正統性を主張するために創作・潤色されたもの<br><br>勿論、Ａ、B、Ｃが完全に分けられる訳でなく、ハイブリッドになっているものもある。<br>残念ながら、日本にはＡに相当するものがないように思う。記紀をＡと考えるのは無理がある。尚、日本各地にある「昔話」は、伝奇性があっても神話ではないという考えである。<br><br>以下の古事記は国立国会図書館デジタルコレクションより<br>「古事記 国宝真福寺本」</p><figure id="a143c006-ce5c-4e1e-af07-37700cc368ab" name="a143c006-ce5c-4e1e-af07-37700cc368ab"><img alt="" contenteditable="false" draggable="false" height="501" src="https://assets.st-note.com/img/1688984169426-yGl0tGwiSm.jpg" width="620"><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="bc052c42-df1e-4784-ab11-8a2c1688782a" name="bc052c42-df1e-4784-ab11-8a2c1688782a"><img alt="" contenteditable="false" draggable="false" height="501" src="https://assets.st-note.com/img/1688984148314-yFDG3hUhhT.jpg" width="620"><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="3183bd1f-bad9-4e2b-a913-25c5240eb91b" name="3183bd1f-bad9-4e2b-a913-25c5240eb91b"><img alt="" contenteditable="false" draggable="false" height="501" src="https://assets.st-note.com/img/1688984148187-yAlIBsfEmA.jpg" width="620"><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="0bbb900a-25bd-4753-873e-107403f892cc" name="0bbb900a-25bd-4753-873e-107403f892cc"><img alt="" contenteditable="false" draggable="false" height="514" src="https://assets.st-note.com/img/1689064319975-2cumXA9zpn.jpg" width="620"><figcaption>小学館『新編日本古典文学全集1（古事記）』の国生みの図</figcaption></figure>
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<pubDate>Sun, 16 Jul 2023 12:45:46 +0900</pubDate>
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<title>地名ひとつ話：三題（伊賀・豊島・九州</title>
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<![CDATA[ <p id="1fc483f2-56c4-41ae-85ee-2b2c883f0e23" name="1fc483f2-56c4-41ae-85ee-2b2c883f0e23">地名ひとつ話：三題<br>これまで鉄道ひとつ話を二つ書いたので今回は地名について</p><p id="f0407437-c028-4cf5-877c-505338ccf2cc" name="f0407437-c028-4cf5-877c-505338ccf2cc">1． 服部半蔵と三重の伊賀、三河の伊賀<br>多くの日本人が知っているであろう＆NHK大河「どうする家康」にも出てくる服部半蔵は二代目服部半蔵・正成である。代々服部半蔵の名前を名乗っているので二代目となる。<br>以前、「半蔵門・服部半蔵・忍者」というブログで書いたよう服部半蔵は徳川家康の所謂旗本衆の譜代の武将であって忍者ではない。槍の名手だったらしい。<br><a href="https://note.com/kengoken21go/n/n1705a3649421" rel="noopener noreferrer nofollow" target="_blank">https://note.com/kengoken21go/n/n1705a3649421</a></p><p id="556f3db1-b7cf-4e40-b38e-f65cafb20c93" name="556f3db1-b7cf-4e40-b38e-f65cafb20c93">服部半蔵が忍者、又は忍者の頭領と間違えられたのは「忍者ハットリ君」の影響か、映画の影響か、家康に命じられ伊賀者＋甲賀者を指揮する立場だったからかは定かではない。<br>（家康は服部半蔵が伊賀にルーツがあるため伊賀者の指揮を任せた模様）。<br>ところが実際は、伊賀者は服部半蔵に仕える謂れはないということで、両者で反目・確執があったと言われている。</p><p id="82c2a719-40fd-44b4-a398-5b270ebddbc2" name="82c2a719-40fd-44b4-a398-5b270ebddbc2">ここから地名である。国立公文書館「家康波瀾万丈」展に行ったことを契機に以下のことがわかった。<br>○日本人が知っている忍者の里、伊賀は言わずと知れた三重県である（蛇足：同じく忍者の里、滋賀の甲賀と近い）<br>○<strong>服部半蔵が生まれたのは三河の伊賀（今の愛知県岡崎市伊賀町）である。</strong>伊賀は三重の伊賀からとったものと言われている（三重の伊賀からの移住者の郷だった模様）。</p><p id="5eb669cc-9cdb-44f3-bba8-c43cade93196" name="5eb669cc-9cdb-44f3-bba8-c43cade93196">古文書によれば、本能寺の変後の家康の伊賀越えの際、本田平八郎と家康から服部半蔵に「伊賀はお前の生国だから案内せよ」といわれた。実際は土地勘がないので、三重の伊賀出身の服部正尚が案内したようだ。添付文書参照。</p><p id="f4d1e484-ac8e-418f-845e-0cbc7fde02fa" name="f4d1e484-ac8e-418f-845e-0cbc7fde02fa">2． 江戸と豊島区<br>江戸の古地図を見ていると大抵「豊島郡日本橋駿河町の図」のように豊島郡が前についている。或いは武蔵ノ國豊島郡が付くこともある。周知のよう嘗ての武蔵国は現在の東京・埼玉・神奈川に跨がる地域で、その中に郡（こうり、ごうり）があり、現在の東京に重なる（跨がる）のは<br>○豊島郡　○荏原郡　○足立郡　○葛飾郡　○多摩郡<br>である。<strong>江戸市中は概ね豊島郡にあると考えてよい（但し、江東5区は含まれないところがある）。</strong></p><p id="15dbbc42-c6fc-4a39-b2c7-04e4dfc0ec6c" name="15dbbc42-c6fc-4a39-b2c7-04e4dfc0ec6c">この豊島は桓武平氏の豊島氏から来ているようで郡衙は現在の北区（滝野川近辺）にあったようだ。しかるに、伝統ある豊島の名前を引き継いだのは何故か豊島区である。豊島区の命名経緯は色々あったようながら（子細省略）、豊島区が引き継いだのはちょっと違和感があるかも知れない。さり乍ら、豊島区がなければ伝統ある地名がなくなったかも知れないことを考えれば、良かったとも言えるのではないだろうか。</p><p id="da3fce62-95a5-4085-adb2-05af0ff7ad3b" name="da3fce62-95a5-4085-adb2-05af0ff7ad3b">3． 九州とは何か<br>蛇足①で中国の古典に出てくる九州を見て改めて考えた次第。</p><p id="aa7bac51-65fb-4a50-9e7e-b80fd2600861" name="aa7bac51-65fb-4a50-9e7e-b80fd2600861">私は九州出身（福岡・熊本）である。九州に沖縄を含めることもないことはないが、大抵九州と沖縄と分離されるか、九州・沖縄と区切って表現されるし、沖縄は本来琉球王国なので、含めないのが妥当であろう。さて、九州の州は国のこと、九は古代分国制の以下の9ヶ国を指すと大抵説明されている。<br>・筑前　・筑後国　・豊前　・豊後　・肥前国　・肥後国　・日向　・薩摩国　・大隅国</p><p id="c51c307a-c749-4324-a787-00aaab07b5e2" name="c51c307a-c749-4324-a787-00aaab07b5e2">州については三州鬼瓦（三州は三河国）、泉州水茄子（泉州は和泉国）など見てもわかるよう国を表しているというのは妥当。寧ろ四国が何故「四州」（阿波・讃岐・伊予・土佐）でないのかの方が不思議ではないかと思う。</p><p id="e9a2a904-e553-4cf6-be0a-4a25e06cd822" name="e9a2a904-e553-4cf6-be0a-4a25e06cd822">次に九についてであるが、九州という概念が何時から出てきたのはハッキリしないようだ。室町時代に九州探題という役職名があったのは教科書に出て来るものの、九州という呼称が確立したのは明治以降という話もある。一方、古代分国制で対馬国、壱岐国もあるのに九州（9ヶ国）に含まれないのは九州本島ではないからというトンチンカンな説明をしている記事があった。九州本島ではないなどと言い始めると五島列島、種子島、屋久島など大きさ的にも距離的にも匹敵するものがある。やはり対馬、壱岐は中国大陸、朝鮮半島との出入り口として色々な面で九州本島から見て特異な位置づけであったからでだと思っている。</p><p id="6a3902f2-529d-4ae7-8cc6-18b654c0d7a3" name="6a3902f2-529d-4ae7-8cc6-18b654c0d7a3">蛇足①：<strong>中国の古典によく九州という用語が出てくる。これは四方の蛮族、東夷・西戎・北狄・南蛮の住む地域を除く中国全土のことを指す。</strong><br>蛇足②：以前も書いたよう九州探題、六波羅探題の「探題」は役職名であって出先機関名ではない。江戸町奉行、京都所司代などと同じである。<br>蛇足③：NHK-BSの海外向け放送では「区」をwardとしている。豊島区ならToshima Ward。しかし東京23区各区のWebサイトを見ると皆、Cityを使っていることに気づいた。豊島区はToshima Cityである。</p><p id="2051330c-8743-4fce-8114-8aa47acfdf84" name="2051330c-8743-4fce-8114-8aa47acfdf84">&nbsp;</p><figure id="d27835b6-5017-4a2e-acb1-2b3eaf4ad76e" name="d27835b6-5017-4a2e-acb1-2b3eaf4ad76e"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082302480-9JFNKGIbpd.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082302480-9JFNKGIbpd.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="b467548f-036e-4beb-b79a-3cb269e7d2f8" name="b467548f-036e-4beb-b79a-3cb269e7d2f8"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082302427-uNt43q8HSe.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082302427-uNt43q8HSe.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="84ad6fd1-3398-49de-8380-f3aaa5ee25d6" name="84ad6fd1-3398-49de-8380-f3aaa5ee25d6"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082303117-eOjV7ItyxW.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082303117-eOjV7ItyxW.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="1517a32f-e3c8-400d-a294-d98d44fa6cf1" name="1517a32f-e3c8-400d-a294-d98d44fa6cf1"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082303047-5uhvz36dWD.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082303047-5uhvz36dWD.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="a12fe9a9-5a9e-43d4-9c7b-4d615bcaa010" name="a12fe9a9-5a9e-43d4-9c7b-4d615bcaa010"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082302640-OcsSOuVZCH.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082302640-OcsSOuVZCH.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="e00f9aa3-831a-42d8-aa4e-872fd4e336b7" name="e00f9aa3-831a-42d8-aa4e-872fd4e336b7"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082302192-f78G5aToY5.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082302192-f78G5aToY5.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="e89a5820-c48b-42db-9f86-827c73edc186" name="e89a5820-c48b-42db-9f86-827c73edc186"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082302320-2w6a1RGUU9.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082302320-2w6a1RGUU9.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="f120ccd2-6fb7-4bf4-882e-9bb84bc9d659" name="f120ccd2-6fb7-4bf4-882e-9bb84bc9d659"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1685082302280-lsBA1WE6yK.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="827" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1685082302280-lsBA1WE6yK.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="fc51e1f1-b372-4344-b095-813d7a33ecad" name="fc51e1f1-b372-4344-b095-813d7a33ecad">&nbsp;</figure>
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<pubDate>Sun, 28 May 2023 08:54:06 +0900</pubDate>
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<title>物理学とは関係のない天文のトリビア</title>
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<![CDATA[ <p id="49492fe7-de64-4a77-b107-b3c200ce6e59" name="49492fe7-de64-4a77-b107-b3c200ce6e59">以前、「宇宙の謎々」を作った。天文・宇宙の勉強をしていないとちょっと難しかったと思う。蛇足ながら今年（2023年）の大学入試で文系を受験した知り合いのお嬢さんは半分できたそうで、かなりいい成績である。知らないことでも若い人の方が感性よく直感で当てられるのかも知れない。人生を重ねた人は逆に考えすぎか？<br><a href="https://note.com/kengoken21go/n/n2e81b85778b2" rel="noopener noreferrer nofollow" target="_blank">https://note.com/kengoken21go/n/n2e81b85778b2</a></p><p id="23e79a8f-d68d-489c-918a-406e31a7b517" name="23e79a8f-d68d-489c-918a-406e31a7b517">さて、今回は天文・宇宙の中であまり理論的でないところからトリビアをアットランダムに取り上げる（クイズにはしない）。ラッキー7で7題。</p><p id="ee6f0da5-d902-4ac4-bc35-205374dd752a" name="ee6f0da5-d902-4ac4-bc35-205374dd752a">1.太陽の絶対等級<br>所謂「○等星」というのは見かけの等級（視等級）で、全ての恒星・惑星・その他を含めて一番明るいのは勿論太陽で－27等星である。では絶対等級ではどうかというと5等星でありふれた輝度の恒星。日本で見られる次回の皆既日食は2035年9月2日。金環日食は2030年6月1日。</p><p id="b9a8dc91-9f04-4d71-92a7-3338fe4960ff" name="b9a8dc91-9f04-4d71-92a7-3338fe4960ff">2.月の凹凸<br>誰でも経験しているとおり、満月に近い時は、白黒ははっきりする＝日本で言えば兎の餅突きつきがよく見えるが、明る過ぎてクレーターは殆ど見えない。満月と半月の間位の時、陰ができて見やすい。双眼境で観た人、或いはカメラで撮影した人は経験しているだろう。どっちが好きかは好みの問題。</p><p id="dd9fb03a-3c74-46b1-9fd8-7cd5059bcbda" name="dd9fb03a-3c74-46b1-9fd8-7cd5059bcbda">3.冬のダイアモンドとオリオン座<br>冬は特に星がよく見える。中でもオリオン座は形がわかり易い。冬の大三角形は有名・・シリウス（おおいぬ座）、プロキオン（こいぬ座）、ベテルギウス（オリオン座）・・だが、「冬のダイアモンド」は多分あまり知られていないと思う。シリウス、プロキオン、ポルックス（ふたご座）、カペラ（ぎょしゃ座）、アルデバラン（おうし座）、リゲル（オリオン座）を結ぶと六角形となることをいう。ついでにいうと、オリオン座のリゲルは源氏星（青白いからだろう）、ベテルギウスは平家星（赤いからだろう）と日本では古から呼ばれていた。<br><a href="https://www.astron.pref.gunma.jp/gallery/winter_diamond.html" rel="noopener noreferrer nofollow" target="_blank">https://www.astron.pref.gunma.jp/gallery/winter_diamond.html</a></p><p id="2953f274-9979-4d45-b59a-891192b18bbf" name="2953f274-9979-4d45-b59a-891192b18bbf">4.西郷星<br>明治時代の錦絵で登場するので知っている人も少なくないと思う。西南戦争で西郷が自決した年、火星が怪しい赤色で異様に大きく見えたので西郷の霊が宿っているのではと当時の人が驚いた。この時地球と火星が大接近したからである。尚、最接近した時の距離は約5,500万kmで、西郷星の時は5,630万kmである。太陽・地球・火星が一直線に並び（衝という）火星の楕円軌道の短い方に来た時が最短である。</p><p id="82700b61-f74a-45aa-af85-f7763c042e97" name="82700b61-f74a-45aa-af85-f7763c042e97">5.枕の草子と星・惑星<br>枕草子「星はすばる ひこぼし ゆふづつ よばひぼし すこしをかし」はよく知られている。ここで清少納言が「いいね」しているのは以下のとおり。<br>○すばる<br>・・勿論、プレアデス星団（昴）のこと。「すばる」は和語<br>○ひこぼし<br>・・意外や意外、<strong>当時は現在の織姫星（こと座のベガ）を指していたそうだ</strong>＝現在の彦星＝牽牛星（わし座のアルタイル）ではなかった！Webで検索すると「ひこぼし」はアルタイルと出て来るのだが・・。<br>○ゆふづつ<br>・・宵の明星の金星（中国では太白星）<br>○よばひ星<br>・・流れ星</p><p id="17595b6f-5e87-4a5e-87f7-8b2f881c88f5" name="17595b6f-5e87-4a5e-87f7-8b2f881c88f5">5．冥王星とディズニー<br>冥王星は米国人が発見したので同国では誇りに思っていたらしいが、周知のとおり準惑星に格下げされてた。名前は冥界の王プルート（ローマ語）から来ている（ギリシャ語ではハデス）。ミッキーマウスが飼っている犬のプルートはここから取ったらしい（冥王星の発見年に生まれたキャラクター）。</p><p id="2028f761-e269-4fa1-952b-d46adea52bd3" name="2028f761-e269-4fa1-952b-d46adea52bd3">6. 公開天文台の天国・日本<br>大学、その他研究施設専用でなく一般時にも解放されている天文台を公開天文台と称する。日本には400以上あり世界に例を見ない数である。その内、最大の反社式望遠境は兵庫の西はりま天文台（2m鏡）で公開天文台としては世界最大。東日本のトップは県立ぐんま天文台（1.5ｍ鏡）である。<br>為参考：日本最初の本格的な天文台は江戸時代創建の浅草天文台で→東大→（関東震災後）三鷹の国立天文台に受け継がれていった。</p><p id="0188ee28-7415-49a8-9737-6dbc0ed21e9b" name="0188ee28-7415-49a8-9737-6dbc0ed21e9b">7．エジプトのピラミッドと北極星・・ここは少し天文学の知識が必要？<br>「宇宙の謎々で」で「現在こぐま座α星ポラリスを北極星と呼ぶ。本来地軸の北極極方向に最も近い輝星が北極星なので地球の自転歳差運動（約26000年周期）で変動する」と書いた。紀元前12,000年から現在まで北極星は7個あるが、残念ながら1等星は紀元前12,000頃のベガ（こと座のα星）だけである。因みに現北極星ポラリス（ごくま座のα星）は2等星である。今後1等星が北極星になるのは西暦13,500年頃のベガまでまた待たねばならない。要はベガしか1等星はないということで残念。因みに古代エジプトはナイル川の氾濫時期を全天で一番明るいシリウスの動きで判断していた一方、クフ王のピラミッドの底辺が東西南北に正しく築かれているのは、当時の北極星りゅう座α星トゥバン（アラビア語「蛇の頭」に由来）を基準にしたと言われている（但し、ギザのピラミッドでは他の手法との異論もある）。<br>補足：西暦10,200年頃、デネブ（ はくちょう座α星）が北極星に近い位置に来るが7度ずれている。</p><figure id="895ac448-6ce9-4ac4-b07b-5067f49c6663" name="895ac448-6ce9-4ac4-b07b-5067f49c6663"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1684554915417-E1CX1BGw9J.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="465" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1684554915417-E1CX1BGw9J.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="f1127b0d-7877-4e19-9f7a-1a9409bbb0a8" name="f1127b0d-7877-4e19-9f7a-1a9409bbb0a8"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1684554934502-3altZTUqdr.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="620" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1684554934502-3altZTUqdr.jpg?width=800" width="620"></a><figcaption>&nbsp;</figcaption></figure><figure id="73b1e3dc-33f5-48b1-9ac5-bd9b7cd3a8f9" name="73b1e3dc-33f5-48b1-9ac5-bd9b7cd3a8f9"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1684555190572-5M1QDJkp3r.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="683" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1684555190572-5M1QDJkp3r.jpg" width="450"></a><figcaption>「西南珍聞 俗称西郷星之図」（画・梅堂国政、明治10年）<br>ウィキペディアより</figcaption></figure>
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<link>https://ameblo.jp/kenken21go/entry-12803843058.html</link>
<pubDate>Sat, 20 May 2023 20:21:32 +0900</pubDate>
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<title>淮南子と古代日本人の宇宙観</title>
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<![CDATA[ <p id="e77d0b60-d694-437d-93c3-22e948da107d" name="e77d0b60-d694-437d-93c3-22e948da107d">今回は（今回も？）多少マニアックな話題である。<br>一般に先史時代というと文字が残っていない時代のことをいう。日本では紀元前はおろか、古墳時代までは先史時代となる（本当にそうかは疑問。後述）。一方、中国ではご存知のように遅くとも紀前１５世紀頃迄のことで文書の歴史は古い。<br><br>さて、今回は淮南子（えなんじ、説明は補足を参照）を主に漢籍に載っているものと日本古代の宇宙感（この場合の宇宙はSpaceよりCosmosが適当か？）の関連に付いて、その一部を述べたい。<br><br>１．宇宙は元から「時空」であった<br>物理学、特に宇宙物理学では時空という言葉を使うが、古来の中国（道教の世界か？）で宇宙は時空を指している。淮南子において前半から宇宙という用語が説明なしで出てくる。中盤で説明がされている。<br><br>●淮南子 第十一篇「斉俗訓」<br>「往古来今謂之宙、四方上下謂之宇」・・古（いにしえ）から今に至る無限の時間を「宙」といい、四方上下に広がる無限の空間を「宇」という。</p><p id="1df37e2d-f4cf-4ffb-969b-aba23278d07f" name="1df37e2d-f4cf-4ffb-969b-aba23278d07f">後述のよう古代の日本の上層部は淮南子を読んでいたようなので宇宙をそう理解していた可能性がある。<br><br>２．日本神話＝日本書紀の天地開闢の種本は？<br>日本書紀の天地開闢の下りは淮南子（及び太平御覧）を種本としているのはよく知られている。当時の藤原不比等を中心とする大和政権の中枢が中国の書を読んでいることに何ら不思議はない。尚、邪馬台国或いはヤマト政権を作った人々のルーツは中国から渡来した人達という説があるので、元から知っていた（共有されていた）のでは？というのは流石に考えすぎだろう。<br><br>●淮南子<br>第二篇「淑真訓」<br>『<strong>天地未剖，陰陽未判</strong>，四時未分，萬物未生，汪然平靜，寂然清澄，莫見其形』<br>第三篇「天文訓」<br>『天墜未形、馮馮翼翼、洞洞濁濁、故曰太昭。道始生虚廓、虚廓生宇宙、宇宙生氣。氣有涯垠、<strong>清陽者薄靡而為天、重濁者凝滯而為地。清妙之合專易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定</strong>』<br><br>△太平御覧（「三五歴紀に曰く」と書いてある）<br>『未有天地之時、<strong>混沌狀如雞子、溟滓始牙</strong>、濛鴻滋萌、歲在攝提、元氣肇始。又曰、清輕者上為天、濁重者下為地、沖和氣者為人。故天地含精、萬物化生』<br><br>○日本書紀（巻第一神代上）<br>『古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟滓而含牙。及其清陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定』<br><br>３．太陽の黒点と八咫鴉<br>古代の中国では太陽に烏が住んでいるという神話がある。烏そのものが太陽を意味するという説、烏は黒点を意味するもという説があるらしい。この烏は三本足で描かれることが多い（但し二本足もある模様）。足が三本なのは陰陽の関係で奇数＝陽であることが太陽を表すに相応しいということだろうか。実は三本足の烏は高句麗でも同様であった。日本の八咫烏が三本足なのは中国の影響と考える学者がいる。最も八咫烏は烏ではなく人々を指すという説もある。<br><br>●淮南子 第七篇「精神訓」<br>　「日中有踆烏 而月中有蟾蜍」<br>・・太陽には三本足の烏がおり、月にはヒキガエル（蟾蜍）がいる<br><br>４．月と嫦娥、蟾蜍と兎<br>米国を中心に日本も参加している月を主ターゲットとするアルテミス計画が進行中なのは周知のとおり。これに対抗するのが中国の「嫦娥計画」である。嫦娥は月の女神ということだからであろう。月に住むようになった経緯は、淮南子第六篇「覧冥訓」を要約すれば以下のとおり。<br><br>「弓の名手である羿（げい）は西王母（道教の女神）に不死の薬を請い受けた。ところが彼の妻の嫦娥（元は天女）はそれを盗み、夫を残して月に奔った（逃げた）」<br><br>上記３と合わせて嫦娥が月に行って蟾蜍になったという説が生まれ、中国では月に住むのは蟾蜍と兎の二節があるようだ。一方、高句麗では月に住むのは亀とされていたらしい。<br><br>【補足：淮南子とは】<br>淮南（わいなん）国王であった劉安（紀元前179年 - 紀元前122年）が多数の食客（学者）に編纂させた二一篇からなる書物。道教・老荘思想を主に天文、神話、人生訓、陰陽道等雑多な話題が載っており、分類不能な「雑書」とされている。先行する雑書として、秦の始皇帝の宰相で始皇帝の実父とも噂された呂不韋が同じく多数の食客に編纂させた『呂氏春秋伝』がある。また、淮南子は屈原で有名な『楚辞』とも共通の思想があると思われ、黄河流域の儒教中心の中央政府に対して、長江流域（江南、楚の國など）の道教の思想が反映されているとも言われる。淮南王の劉安は漢（前漢）創始者、劉邦（高祖）の子孫であるが、漢王室（武帝の時代）への謀反の疑い（冤罪説あり）が発覚し自殺した。<br><br>淮南子は漢籍の素養が必要だった古代～明治時代（或いは戦前）の日本の教養人は知っていたのかも知れない。一番有名なのは第十八篇「人間訓」に載っている「人間（じんかん）万事塞翁が馬」ではないだろうか。</p><figure data-identifier="null" data-src="https://kanbun.info/koji/saio.html" embedded-content-key="emb65ba46a4ebb7" embedded-service="external-article" id="6bb8a5c3-5e7a-47fd-9cc4-7b74fa407711" name="6bb8a5c3-5e7a-47fd-9cc4-7b74fa407711"><p><a href="https://kanbun.info/koji/saio.html" rel="noopener noreferrer nofollow" target="_blank"><strong>塞翁が馬：意味・原文・書き下し文・注釈 - Web漢文大系</strong><em>故事成語と漢詩漢文の名言。「塞翁が馬」の意味・原文・書き下し文・注釈を掲載。</em><em>kanbun.info</em></a></p></figure><p id="d7c4ad8e-b6a6-4264-83b4-c258b854d493" name="d7c4ad8e-b6a6-4264-83b4-c258b854d493"><br>蛇足：<br>発見されているもので日本の最古の文献は古事記とされているようだ（他に古いものとしては万葉集、日本書紀、風土記がある）。しかし、古事記より古いものが何もないということはないと思う。記紀を作る際に意図的に焼却したのか知れないが、それだけでは完璧に消失することはないのではないかと思っている。</p><p id="A6DED555-E3D4-4405-9CA4-FFCF66697CFB" name="A6DED555-E3D4-4405-9CA4-FFCF66697CFB">画像は何れもウイキペディアより</p><figure id="211A26CD-AEF4-4F78-B990-CC5C9E349B6E" name="211A26CD-AEF4-4F78-B990-CC5C9E349B6E"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104972154/picture_pc_1095d575543664a6c3aaaaabb0f7b3a2.png?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="883" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104972154/picture_pc_1095d575543664a6c3aaaaabb0f7b3a2.png?width=800" width="620"></a><figcaption>「嫦娥月に奔る」　月岡芳年</figcaption></figure><figure id="68423BAB-25E6-4623-B4AD-3F35918F0D66" name="68423BAB-25E6-4623-B4AD-3F35918F0D66"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104972155/picture_pc_8da28376a7cda744cf844a06b60df478.png?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="312" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104972155/picture_pc_8da28376a7cda744cf844a06b60df478.png?width=800" width="620"></a><figcaption>前漢時代の壁画　右が三本足の烏</figcaption></figure><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kenken21go/entry-12802017089.html</link>
<pubDate>Mon, 08 May 2023 08:33:49 +0900</pubDate>
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<title>ふりさけ見ればから魏志倭人伝へ</title>
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<![CDATA[ <p id="f4ba98f8-a9f6-4ad3-a23c-a903d6f2f8f4" name="f4ba98f8-a9f6-4ad3-a23c-a903d6f2f8f4">以前、日経朝刊の連載小説、安部龍太郎『ふりさけ見れば』について書いた。ダブル主人公の阿部仲麻呂、吉備真備の活躍と玄宗と楊貴妃、安史の乱、藤原四兄弟、恵美押勝（藤原仲麻呂）の乱などが絡み、読んでいた知人は皆面白かったと言っていた（単行本化されるのは間違いない）。</p><p id="4a81dcd5-f900-461b-b412-cbbfadb2726b" name="4a81dcd5-f900-461b-b412-cbbfadb2726b">重要なテーマの一つに『魏略』の倭国に関する条を仲麻呂か真備が読んで日本にその内容を持ち帰る（（又は『魏略』そのもの日本に持ち帰る）というのがあった。日本が唐の冊封体制（実際にそうだったかは置いておく）に入るにあたり、大和王権（天皇）の来歴を帰した歴史書＝日本書紀（或いは記紀）を正史として提出したが、中国の史書と食い違うので認められないというのが背景。この中国側の史書が『魏略』（の倭国に関する条）である。実際の魏略は散逸（喪失）して部分的＝逸文として残っている。</p><p id="ad228ba0-c757-4f56-94ba-4d5629e0b927" name="ad228ba0-c757-4f56-94ba-4d5629e0b927">小説では安録山の乱のどさくさで仲麻呂が運良く『魏略』を手に入れ真備が唐から持ち帰った。結局、仲麻呂も真備も中身を見ることは避け、真備から天皇に渡したところで物語は終わっている（流石に日本国の成り立ちに関わるタッチーなマターなので書かなかったのだろう）。但し、唐では以下のように思われていたように推測できる記述がある。あくまでフィクションとして書かれているが、中国の史書と日本書紀を合わせた安部龍太郎氏の解釈のような気がする。</p><p id="bfd2d4ae-813d-48aa-88f1-72121dfbef3f" name="bfd2d4ae-813d-48aa-88f1-72121dfbef3f">○呉の末裔が北部九州（多分福岡）と南部九州（多分宮崎）にクニを造っていた<br>○南部九州の人々は訳あって北上。北部九州の人々と共住・並住しようとしたが断られ東へ向かった（東遷、東征）<br>・・多分、後の大和政権へと繋がる集団であったというのが隠れたストーリー？</p><p id="3cd6a3cd-6ca5-4d7e-8d15-4e317a0c12d4" name="3cd6a3cd-6ca5-4d7e-8d15-4e317a0c12d4">さて、弥生時代（～古墳時代）の日本＝倭国に書かれたものと言えば『魏志倭人伝』（以下『魏志』）が有名である。邪馬台国（邪馬壹国）の位置情報が二つあり矛盾することから位置論争が江戸期から続いているのは周知のとおり。「九州説（福岡・宮崎・鹿児島など）と大和説」と一口に言われるが、多種・多様な「邪馬台国の謎を解明した」と称する書籍・論考があり、且つ、どれも納得できる証明ができず決着していない。中には「邪馬台国はなかった」という説すらある。文献（木簡）で「邪馬台国」「卑弥呼」など書いたものでも見つかればいいが、その可能姓はないだろうから永遠に決着しないと思っている。この件は自分なりの考えがあるが、それは省略して注意すべき点は以下だと思う。</p><p id="90b3718f-6e16-4fcc-820c-95a7f721fc5e" name="90b3718f-6e16-4fcc-820c-95a7f721fc5e">○『魏志』は先行文書である『魏略』他を元に書かれていると推察される。また、『魏志』より後の文書にも倭国に関する記述がある。従って『魏志』だけ読んで済ませるのはNG</p><p data-pm-slice="1 1 []" id="90b3718f-6e16-4fcc-820c-95a7f721fc5e" name="90b3718f-6e16-4fcc-820c-95a7f721fc5e">○卑弥呼が邪馬台国の女王だとは限らない。倭国の女王と書いてあるのみ。因みに女王国という用語はよく出て来るが邪馬台国は１ヶ所のみしか出てこない。<br>○邪馬台国以外に出て来るクニ、倭国の他に「倭種」とされるクニも合わせて辻褄が合わなければならない。</p><p data-pm-slice="1 1 []" id="90b3718f-6e16-4fcc-820c-95a7f721fc5e" name="90b3718f-6e16-4fcc-820c-95a7f721fc5e">○歴史書の解釈を裏付けるための考古学はいいが、考古学先行は本末転倒。例えば箸墓古墳を卑弥呼の墓だと比定するのがその典型。</p><p id="f949f5f3-d0be-4165-8c0d-7d0a9e5c7318" name="f949f5f3-d0be-4165-8c0d-7d0a9e5c7318">邪馬台国の場所がどこかもさることながら、折角日本の文献がない時代の倭国の習俗・地誌が書かれているので読む価値がある（魏志倭人伝の分量は高が知れている）。万一、邪馬台国の場所が比定されても、意図的な創作も多い記紀との整合性を取るのは無理であろう。</p><p id="f2f94f8b-ff0f-43cd-9e10-4b97a092b8ec" name="f2f94f8b-ff0f-43cd-9e10-4b97a092b8ec">倭国から使いの物が中国に来た時、倭人は自分達のことを「大夫と称す」と書いてある。これは呉の太伯の末裔を意味するようだ。日本の稲作は長江流域から伝わったという説が今最有力なので整合しているような気もするが、倭人「大夫」自称説は中国のでっち上げ記述であるという論争が古来よりある（日本の成立ち、日本人のルーツに関わる大問題？機微な事柄）<br>＜補足：呉の太伯＞<br>周王朝初代武王の曾祖父と言われる古公亶父の息子。伝説上、呉越同舟で有名な「呉」の始祖（元は呉でなく句呉と言った）と考えられている紀元前12世紀・紀元前11世紀頃の人物。</p><p id="b2258468-8720-458e-b72b-05dd338826c7" name="b2258468-8720-458e-b72b-05dd338826c7">蛇足①：『魏志』『東夷伝』倭人条では朝鮮半島からの行程の内、対馬、一支（壱岐）、末廬（佐賀の松浦/唐津）、伊都（福岡の糸島/前原）、奴国（福岡県春日市付近）までの場所の比定は異論がない。春日市は子供の頃住んでいたところ。志賀島で見つかった「漢委奴国王」の金印は「漢の倭の奴国王」と読まれ奴国の王に下したという説がある一方、倭国の王向けと言う説もある。倭奴の「奴」は匈奴の「奴」と同じ（上から目線で）下に見た意味と取る立場。因みに志賀島は小学校の臨海学校でいくところだった。</p><p id="b2e7d8da-98c6-44b5-8dea-37c61cb305ea" name="b2e7d8da-98c6-44b5-8dea-37c61cb305ea">蛇足②：『魏略』『魏志』以外に倭国について書いてある中国の史書は『漢書』地理志、『太平御覧』、『後漢書』、『梁書』、『隋書』など</p>
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<link>https://ameblo.jp/kenken21go/entry-12797592129.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Apr 2023 22:59:10 +0900</pubDate>
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<title>日本人に馴染みのある？・関係のある遊牧民国家のトリビア②</title>
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<![CDATA[ <p>日本人に馴染みのある？・関係のある遊牧民国家のトリビア②</p><p>&nbsp;</p><p>トリビアに入る前に一言。日本に「三国一の花嫁」という言葉がある。この三国とは日本、中国（唐土）、インド（天竺）のことである。嘗ての日本人の世界観、アジア感を表しているという見方も成り立つ。　</p><p>&nbsp;</p><p>1.騎馬の歴史と日本の馬・・日本の馬のルーツはモンゴル？</p><p>以前書いたよう世界で初めての遊牧騎馬社会を造ったのは印欧語族のアーリア系民族（ウクライナ平原～中央アジア）である。アジア系の遊牧騎馬社会はそれより数百年（約4百年程度か）遅い。</p><p><a href="https://drive.google.com/file/d/11mRJ-ljEpGnkMtbQ8Tx8UTX23co6Gw1L/view?usp=share_link">https://drive.google.com/file/d/11mRJ-ljEpGnkMtbQ8Tx8UTX23co6Gw1L/view?usp=share_link</a></p><p>&nbsp;</p><p>馬に乗る際、手綱とそれを馬の口に繋ぐための銜（ハミ）、及び鞍と鐙を使い、通常馬の蹄に蹄鉄を打つ。これらの発明は大凡以下のように考えられている。</p><p>&nbsp;</p><p>①手綱と銜・・アーリア系民族が発明（ウクライナ付近？）</p><p>②鐙と鞍・・騎乗が旨くない農耕民のため中国（漢人）が発明。鞍は鐙を付けるために腹帯と共に必要になった模様（古代インド発祥説などもある）</p><p>③蹄鉄・・欧州で発明（メソポタミア発祥説などもある）</p><p>&nbsp;</p><p>現在のモンゴルで、若者の成人儀式で裸馬に乗って馬追いをしている画像を見てもわかるよう、騎馬が得意な遊牧民は鞍・鐙がなくても十分に馬を乗りこなせた。また、柔らかい草原を走り換え馬も引き連れていたので蹄鉄も不要であった。このため、騎馬遊牧地域以外で鐙と鞍と蹄鉄が発明されたようだ。</p><p>日本原生の馬が居た証拠は見つかっておらず、中国大陸由来ると考えられている。因みに邪馬台国論争・卑弥呼論争の元になっている魏志倭人伝に「倭国に馬はいない」と書いてある（最もここでいう倭国は九州、又は畿内以西のこと）。古墳周辺等で見つかる馬具、馬の土偶の馬具は魏晋南北朝時代の北中国ものと同じ。日本に持ち込まれた馬はモンゴル地域の産と言われている。</p><p>＜補足＞</p><p>②と③には諸説あり。鞍には軽微な敷物レベル、軟式鞍、硬式鞍（木を使ったもの）とあり、ここでは硬式鞍をイメージしている。蹉跌についても柔らかい皮や布のものから今の金属レベルまであり、上記は金属レベルのものを想定している。</p><p>&nbsp;</p><p>2.日本でのアジア人遊牧民国家の民族分類</p><p>アジアの黄色人種／モンゴロイド・・アフロアジア（アラブなど）、イラン・インド系、マレー系を除く）・・の遊牧民国家について、日本ではモンゴル系か突厥（テュルク）系=トルコ系か、或いはツングース系かという分類をよくする。例えば、ウイグルは突厥＝トルコ系、満州人＝清はツングース系など。しかし、モンゴルや突厥が歴史に登場する前からいた人々に当て嵌めるのは適切ではないのは勿論、それ以降に登場した国も多様な民族、或いは複雑な混血をした人々からなるので安易に分類はできない。日本でよく知られる匈奴・鮮卑・契丹などがそうである。匈奴は国家（＝帝国）ではあるが匈奴民族はいないとも言われる。ゲルマン民族の大移動のトリガーとなったフン族（アッティラ王がで有名）は恐らく匈奴から派生したと思われるものの、「フン民族」がといえるものが居たかも疑問視とされている。蛇足乍らハンガリーは「フンの土地」という「フンガリア」が国名の由来であるがマジャール人の国なのでフンの末裔ではない（ウラル語族なのでしばしばアジア系と勘違いされる）。</p><p>&nbsp;</p><p>3.韃靼／タタール</p><p>オペラ『イーゴリ公』の「韃靼人の踊り」、「韃靼蕎麦」、ロシア等でいう「タタールのくびき」、更にはロシア文学にもよく登場するので、韃靼・タタールは日本人にも馴染み深い。タタールはロシア、欧州でモンゴルの総称として使われるが、本来はモンゴル高原にいた一部族。同高原はモンゴル部（チンギス・ハーン出身部）、オイラト部、ケレイ部、タタル部、メルキト部などに分かれていた（韃靼・タタールはタタル由来）。タタルは古突厥語（古テュルク語）で本来「他の人々」という意味であったが、欧州では東から来た遊牧民を表す言葉としてモンゴルという言葉より先に広まった。モンゴルの（或いは遊牧民）の総称となったのは、古代ギリシャで奈落や地獄を指したタルタロス（タルタル）に擬したという説が有力である。タルタルステーキの語源もそうだと言われている（更にはタルタルソースも？）。韃靼は中国から見た蔑称。前期2.で述べたようタタルが突厥系かモンゴル系かを議論するのは余り意味がない。</p><p>&nbsp;</p><p>4.日本人騎馬民族説と去勢・宦官</p><p>今ではもう忘れられてきた＆否定されているが、東大の歴史学者（高校世界史の強化書も執筆）で古代オリエント博物館初代館長だった故江上波夫氏が唱えた大和政権「騎馬民族征服王朝説」があった。江上さんは諧謔が好きな方で心底そう思っていたのか分からない。今は中国以外では使わない「世界四大文明」という用語も「面白いので自分が発案した」と話されていたらしい。同説の否定の根拠の一つに家畜の去勢がある。去勢が日本に入って来たのは明治以降のようで、騎馬民族が征服していたならば去勢のことを知らないはずはなく矛盾するということである。因みに出口治明氏が「日本に宦官がいなかったのは騎馬・遊牧社会ではなかったから」といういい加減なことを書いていた。宦官は騎馬・遊牧社会以外でも古代より存在したことが判明しており正しくない。</p><p>&nbsp;</p><p>5.意外と知られていない日本兵のモンゴル抑留</p><p>第二次世界大戦終戦間際にソ連が対日本参戦し、捕虜のシベリア抑留等で多くの日本人が塗炭の苦しみ（死者多数）を味わったことは今でも忘れられていないであろう。この時に現モンゴル人民共和国も同じく対日参戦。日本人がモンゴルに抑留され国際法を無視した強制労働をさせられたことは意外と知られていないのではないか（シベリア抑留での死者数に遠く及ばずとしても死者も少なからず出ている）。主に首都ウランバートルの都市機能整備・建設に従事させられた。モンゴルに言わせればハルハ河戦争＝ノモンハン事件の賠償ということのようである。ソ連と違いこの件でモンゴル共和国を非難するつもりはないが、知らないのは先人に申し訳ないと思う次第。今の大相撲はモンゴル人民共和国出身者に席捲されているのは周知のとおり。</p><p>＜補足＞</p><p>内モンゴル：旧チャハルと呼ばれた地域。現在は中華人民共和国の自治区。日本軍が「満蒙（満州＋蒙古）」と呼んだ時の「蒙」は内モンゴルのこと</p><p>外モンゴル：旧ハルハと呼ばれた地域。現在はモンゴル人民共和国。</p><p>&nbsp;</p><p>6.「蒼き狼」とは関係ないチンギス・ハーン</p><p>チンギス・ハーンはよく「蒼き狼」に関連づけられるが実際には関係ない。モンゴル伝説では、（ボルテ色の雄狼）とホワイ・マラル（ホワイ色の牝鹿）の夫婦がバイカル湖を渡ってモンゴルに来たのが始祖とされている。このボルテ・チノが「蒼き狼」のことだが、チンギス・ハーンがこの子孫かというと血縁はない。ボルテ・チノの末裔とされる男子の寡婦が恰もイエスの誕生の如く（性行為ではなく）天窓から差し込んだ光に感じて生まれた男子の子孫がチンギス・ハーンとされているからである。</p><p>参考の為、色について。日本人は「蒼き」狼というと青・青緑色を連想するのではないかと思う。実際は以下のとおり（「蒼き」という日本語訳は敢えて変えなくいいという意見が多い）。</p><p align="left">元の歴史を書いた『元朝秘史』でボルテ・チノのボルテに「蒼色的」と言う中国語訳をあてた。チノは狼のこと（→日本で「蒼き狼」なった）。これ自体は間違いではない。但し、モンゴル語のボルテは「白または白っぽい色に混じった深い鼠色の斑点」「「斑，ぶち，斑点」という意味でとのこと。中国語の蒼色も複数の色合いを表し斑白やゴマ塩という意味があり、白髪交じりの頭髪の形容詞でもある。</p><p>&nbsp;</p><p>蛇足：</p><p>日本に「蒼き狼と白き牝鹿」というゲームがあるのを知った。白き牝鹿がホワイ・マラル（コワイ・マラルともいう）のことであれば黄色い牝鹿が正しいようだ（ホワイは黄色という意味の模様。マラルは牝鹿）。古代の色の表現を現代に当てはめるのは簡単ではない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kenken21go/entry-12797062715.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Apr 2023 18:24:06 +0900</pubDate>
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<title>味噌の素人の発見</title>
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<![CDATA[ <p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">噌は米味噌、麦味噌、豆味噌があること、<wbr>赤だし味噌汁があること位しか知らなかった。<wbr>最近それを再認識するエピソード（下注参照）があったので、<wbr>味噌の素人として発見したことを主に書く。尚、<wbr>味噌は和食の主役の一つで詳しい方も多く「釈迦に説法」<wbr>である処もあるだろう。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">味噌は材料による分類の他にも色や味（甘辛）、<wbr>地域などによる分類もあるが、<wbr>冒頭に書いたよう材料による分類が最も一般的。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">○米味噌・・大豆＋米＝米麹を使う</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">○麦味噌・・大豆＋麦＝麦麹を使う（麦は大麦が普通）</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">○豆味噌・・大豆のみで作る（八丁味噌が代表？）</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">発見したのは以下の3つ。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">1．麹歩合があること。但し日本酒とは異なる</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">豆麹は大豆のみで作るため麹歩合という言い方はしないようで、<wbr>米味噌、麦味噌で使うようだ。<wbr>ここでは米味噌を対象として記述する。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">麹歩合＝米麹造りに使用する米の重量÷大豆の重量×10</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">である。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">米：大豆＝1：1なら麹歩合は10、米：大豆＝2：1な<wbr>ら麹歩合は20となる。5（0.5×10）～20（2×10）<wbr>が大凡の目処。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">一方、日本酒は麹歩合＝麹に使用する白米（麹米）重量÷全白米重量（％）</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">であり、15％～20％が普通である。<wbr>従って味噌の麹歩合は日本酒の10倍程度となる。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">この麹が甘辛を決める要因となる。通常、<wbr>麹歩合が低いと辛くなり高いと甘くなる。<wbr>普通の辛い味噌の麹歩合は5程度（米：大豆=1：2）<wbr>であるのに対し、京都で有名な白味噌は麹歩合が20（米：大豆＝<wbr>2：1）なので色が白く甘くなるそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">2．江戸・東京は元々甘い味噌だった</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">「江戸甘味噌」という言葉があり、江戸時代の江戸は勿論、<wbr>明治になってからも東京の味噌は甘味噌が主流であった（但し、<wbr>白味噌のような白さはなかったと思われる）。つまり、<wbr>麹歩合が高い＝米の量が多いということ。<wbr>甘味噌は長期保存に向かないので江戸市中、<wbr>東京市中で造っていた模様。<wbr>これが辛口になった要因は主に二つである。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">(1)関東大震災で味噌蔵或いは味噌業界が打撃を受けた際、<wbr>辛口の信州味噌が進出した</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">(2)第二次大戦中、<wbr>貴重な米を味噌造りに使うことを抑制された（<wbr>米の使用割合が減った）</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">3．結局赤味噌は色で判断するしかない</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">さて、私は九州出身なので麦味噌の味噌汁で育った。<wbr>今でも九州でそれを食べると落ち着く。<wbr>顔馴染みの理学療法士の方（整形外科所属）が「<wbr>大学の合宿研修が大分県であった際に麦味噌に嵌まり愛用している<wbr>」という話を聞いて嬉しくなった。念の為にいうと、麦味噌＝<wbr>甘いと思われている向きもあるようだが、これは正しくない。<wbr>麦麹歩合、塩の割合により異なる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">注：エピソードとは</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">銀座の長野県アンテナショップに居たら、<wbr>流暢な英語を話す中国系の方（多分香港の方。日本語はNG）<wbr>から「自分は赤味噌のスープが大好き。<wbr>この店に赤味噌は売ってあるか?」と聞かれた。<wbr>その時は何故か八丁味噌をイメージして「<wbr>赤味噌は愛知が有名である。この店は長野の店なので、<wbr>ないかも知れない」と伝えお店の顔見知りのスタッフにつないだ。<wbr>その方も赤味噌とは何か定かではなく、<wbr>同じようなことを話していた。客が帰って、二人で「<wbr>赤味噌って何でしょうね」で終わり、その時は特に調べなかった。尚、スタッフの方はワインソムリエで本来の販売スタッフではない。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">以下は参考情報</p><p><a data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true" data-saferedirecturl="https://www.google.com/url?q=https://www.hikarimiso.co.jp/enjoy-miso/encyclopedia/type.html&amp;source=gmail&amp;ust=1679893360314000&amp;usg=AOvVaw06pdlOhXj7szuEoZzNySFz" href="https://www.hikarimiso.co.jp/enjoy-miso/encyclopedia/type.html" target="_blank">https://www.hikarimiso.co.jp/<wbr>enjoy-miso/encyclopedia/type.<wbr>html</a></p><p><a data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true" data-saferedirecturl="https://www.google.com/url?q=https://www.marukome.co.jp/miso/&amp;source=gmail&amp;ust=1679893360315000&amp;usg=AOvVaw2q2NhBZ6-cnZyHlU-YR1ss" href="https://www.marukome.co.jp/miso/" target="_blank">https://www.marukome.co.jp/<wbr>miso/</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/kenken21go/entry-12795500220.html</link>
<pubDate>Sun, 26 Mar 2023 16:51:19 +0900</pubDate>
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<title>ダーウィンと自然選択論のこと</title>
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<![CDATA[ <p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">世の中には有名だけれどあまり読まれていない本がある。<wbr>聖書の次に読まれていると嘗て言われた『ドン・キホーテ（ラ・<wbr>マンチャの男）』は、本当かどうか知らないが、<wbr>スペインでちゃんと読んだことのある人は少数であるそうだ。<wbr>小説とは違うので同様に扱うのは妥当でないとしても、<wbr>ダーウィン『種の起源』（On the Origin of the Species, by Means of Natural Selection or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life）もそう言わるれことある。長いのと叙述／<wbr>言葉が難しいからだとか。人気があるのは、元は『日誌（<wbr>研究日誌）』という表題であった『ビーグル号航海記（航海日誌）<wbr>』であろう。『ビーグル号航海の動物学』（Zoology of the Voyage of H.M.S. Beagle、日本語訳はない）も当時は人気があったらしい。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ダーウィンと言えば陶磁器メーカーのウェッジウッド家と血縁関係<wbr>にあるのはよく知られている。同社の創業者（ジョサイア・<wbr>ウェッジウッド）の娘が母である。<wbr>つまり母方の祖父が創業者である。また、<wbr>ダーウィンの妻もいとこのエマ・ウェッジウッドである。一方、<wbr>ダーウィンの父もその父＝祖父も医者であったことから、<wbr>恵まれない境遇の研究者も多い中、<wbr>裕福で金に困ることはなかった。因みに祖父エラズマス・<wbr>ダーウィンは、当時としては異端であった一種の進化論者・・<wbr>神による人間や動植物、自然の創造説を否定・・であった（<wbr>ダーウィンが祖父の影響を受けたという話は特にないようである）<wbr>。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ダーウィンが影響を受けた人や書物は色々あるが、<wbr>ダーウィン研究者でもなければ一般人には馴染みない地質学者、<wbr>動植物学者を省略すれば、フンボルトとマルサスの『人口論』<wbr>が代表だと考える。フンボルトは「フンボルトペンギン」、「<wbr>フンボルト海流」でお馴染みだろう。<wbr>興味のある方はガウスとフンボルトの二人を主人公にしたダニエル<wbr>・ケールマン『<a data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true" name="m_3200492462162892591_OLE_LINK1">世界の測量</a>』をお薦めする。『人口論』<wbr>は人類が増え続けると食料需給が追いつかず熾烈な生き残り競争が<wbr>始まり人口は抑制される／<wbr>何か有利なものを持った人々が勝ち残るというもの。<wbr>これはダーウィンの自然選択説の大きなヒントになっている。<wbr>余談乍ら、嘗て中学・高校はでは自然選択説ではなく「<wbr>自然淘汰説」と教えていたような記憶がある。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ダーウィンと言えば、南米南部（パタゴニア付近など）<wbr>やガラパゴスなどを回ったビーグル号航海記が有名で、<wbr>特にガラパゴスで見た他の地域では見られない特異な動物、<wbr>同じ種で島毎に形態が異なること（多分ダーウィン・<wbr>フィンチが有名）<wbr>が自然選択説の直接のヒントになったと思われていることも多い。<wbr>実際は、暫く後から振り返って自説の確信、<wbr>補強にはなったという方が適切だと思われている。尚、<wbr>ダーウィンがビーグル号に乗ることに父が反対していたので、<wbr>叔父のジョサイア・ウェッジウッドⅡ<wbr>世の力添えがなかったら実現しなかったかもしれない。<wbr>もし航海にでていなければ自然選択説に到達したかは所謂「<wbr>神のみぞ知る」。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ダーウィンは1838には自然選択の構想をしていたが、<wbr>発表したのは約20年後のことである。やはりキリスト教・<wbr>聖書の神による天地創造説・<wbr>天変地異説に反していて論争の的になるのを避けていたからと言わ<wbr>れている（米国キリスト教徒は今でも天地創造説を50％<wbr>位の割合で信じていると調査があった。本当だろうか）。<wbr>発表する契機となったのは同じ説を書いたアルフレッド・<wbr>ウォレスの書簡を1858年に受け取ったこと。<wbr>細かい経緯を省略すれば、翌年＝1859年のリンネ学会で二人の<wbr>共同発表という形で表に出された（発表会は二人とも欠席）。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ダーウィンは「進化論」ではなく「自然選択説」であり、<wbr>生き残るものが優れているという考えはしておらず、変異（mod<wbr>ification）という用語を使っていた。『種の起源』<wbr>は何度も改訂されていて進化（revolution）<wbr>という用語は第6版で使っている。この「進化」が曲者である。<wbr>進化＝<wbr>進歩と捉えられ優勝劣敗という社会ダーウィニズムが生まれ、<wbr>格差社会・人種差別、優性説を肯定する考えに繋がった。勿論、<wbr>これはダーウィンに帰すべきものではない。尚、「適者適存」<wbr>という用語は社会学者ハーバード・スペンサーによる造語（186<wbr>2）でダーウィンも第5版で取り入れている。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ダーウィンも当然「遺伝」は知っていたが、「遺伝の要素、<wbr>今で言えば遺伝子」という考えには及ばず、<wbr>同時代の人であるメンデルは既にエンドウ（豌豆）の実験による「<wbr>メンデルの法則」<wbr>を発表していたもののダーウィンはこの存在に気づかなかった。<wbr>また、生物は長い時間をかけ変化するという考えであり、<wbr>突然変異まで見いだせなかったのは当時として無理のないことであ<wbr>る。現在はネオダーウィニズム、総合学説があり、またDNA解析<wbr>・ゲノム解析などが進んでいるが、<wbr>進化の原理は必ずしも解明されてはいない。『種の起源』<wbr>をみればダーウィンの考察は現代でも正しいと思われているものが<wbr>多く、その偉大さは変わることはない。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">＜補足＞</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">絶対温度のK（摂氏0度は約273K）で知られるケルビン卿（<wbr>ウィリアム・トムソン）は地球の年齢を約１億歳と推定した。<wbr>生物が長期間をかけて変化するには短すぎるため、<wbr>ダーウィンの説は一時評価が下がった。<wbr>地球年齢が正しく把握されてから復権。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">初版の表紙はWikipediaより</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p><a href="https://obs.line-scdn.net/0hJslYplUKFVxRIAcuFfVqCxt9EzMoQw9UO1gCZiR2H3IkTAJcOVoAbit2FTYoT1EKOxhGWTNzERYrdilULBkkSgBZCScdaQpUJSEiYCF2NwoLSTcWbUFcMnQgTGt6EgEOaxZeOHAgDmx8FFIMbEBZ" target="_blank"><img alt="" border="0" height="602" hspace="5" src="https://obs.line-scdn.net/0hJslYplUKFVxRIAcuFfVqCxt9EzMoQw9UO1gCZiR2H3IkTAJcOVoAbit2FTYoT1EKOxhGWTNzERYrdilULBkkSgBZCScdaQpUJSEiYCF2NwoLSTcWbUFcMnQgTGt6EgEOaxZeOHAgDmx8FFIMbEBZ/small" width="375"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><footer><ul><li><dl></dl></li></ul></footer>
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<pubDate>Sat, 18 Mar 2023 14:31:44 +0900</pubDate>
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<title>方言考</title>
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<![CDATA[ <p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">今回は珍しく手短に。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">「ふるさとの 訛り懐かし停車場の・・」<wbr>は言わずと知れた石川啄木の和歌である。しかし乍ら、<wbr>今の上野駅でこの感慨を覚えることはないだろう。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">新コロナのため2019年を最後に九州（熊本・福岡）<wbr>入りしていなかったが・・新コロナは余り気にしていなかったが、<wbr>実家から帰って来ないよう言われたため・・<wbr>久し振りに熊本にいるので感じることは、「ふるさとの 訛り懐かしタクシー無線」である。<wbr>東京のタクシーで無線を聴くことはまずあり得ないが、<wbr>地域タクシーでは今も無線連絡を使っていて、熊本（熊本市内は？<wbr>）の</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">タクシー無線を聞いていると熊本弁マル出しである。<wbr>自身は熊本弁も博多弁も使えない・使わない（<wbr>無理に使うとわざとらしい）にせよ、聞く分には問題ないのだが、<wbr>九州以外の人が聞いても分からないのではないかという気がす<wbr>る。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">訛りと方言は必ずしも同じではないものの、<wbr>それはさておき俗にいう○○弁という方言について：</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">方言は、言葉そのものと抑揚（アクセント・イントネーション）<wbr>からなる。言葉そのものを真似しても抑揚が難しい方言が多い。<wbr>例えば九州について言えば、薩摩弁（鹿児島弁）<wbr>は失礼ながら変な抑揚があり真似るのは難しい（<wbr>中国の四声もそうである）。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">また、どこ＝どの地域で括るのかも重要である。<wbr>熊本県のようにあまり地域性がない（但し、<wbr>南部の人吉は言葉的には薩摩に近いものがある）ところもあれば、<wbr>今のNHK大河ドラマでやっているよう、<wbr>愛知でも尾張と三河は違う。石川も金沢と能登は違う。<wbr>津軽弁は津軽の方言であって青森県弁ではない。<wbr>かくの如く都道府県の中でも方言が異なる例は類挙に暇がない。<br>寧ろ都道府県単位で○○弁と括れる方が少ないのかも知れない。<wbr>関西では関西弁/大阪弁/河内弁と色々あるのはご存知のとおり。<wbr>京都や滋賀の人は大阪と一括りにされるのをよしとしないだろう。自身の経験で言えば、福岡の小学生の時、北九州（確か八幡）<wbr>から転校してきたクラスメートがいて言葉が違うなと思った。<wbr>因みに博多の人は、<wbr>北九州は福岡という気がしないという人もいる。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ところで方言というのは、他にいいようがないにせよ、<wbr>ある意味失礼な表現とも言える。<wbr>東日本のことはよく知らないので置いておくとして、<wbr>西日本は本来の古語（都言葉）<wbr>として方言が残っているところもある。例えば博多では、<wbr>ちょっと侮蔑的な「あなた（あんた）は知らないだろう」<wbr>という意味で「知らんめーが」という言葉がある。<wbr>これは高校の古典で習う推量の「む」「め」<wbr>から来ているのが分かると思う。また、以前書いたよう、「<wbr>元のところにしまう」という意味の「直す」のは正しい表現（<wbr>本義）であって、これを方言というは全く筋違い。<wbr>首都圏の代表的な方言は「違くて」「片す」ではないかと思う。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kenken21go/entry-12794179078.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Mar 2023 20:48:11 +0900</pubDate>
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<title>日本人に馴染みのある遊牧民国家のあれこれ①</title>
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<![CDATA[ <p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ある近代日本美術の研究者の方（学芸員、博士）<wbr>に大学受験で世界史を取られたかお聞きしたところ、「<wbr>高校の授業で世界史は受けなかった。<wbr>世界史といっても西洋史に偏っていたのでは？」<wbr>とのことであった。今は大分改善されてきているが、これに加え、<wbr>東洋史は中国史に偏っていたと思う。そもそも中国（<wbr>特に漢人から観て）という概念が成立したのは近年、<wbr>嘗ての中国の範囲はもっと狭かった。<wbr>今の中華人民共和国は概ね清朝の領土を継承していて、<wbr>そのイメージで中国の歴史を語ると誤解を生む。このため「<wbr>中央ユーラシア」<wbr>というカテゴリーで歴史を捉え直すのが重要と考えている。<wbr>その細かい話をこの場でするのは妥当ではないので、<wbr>多くの日本人に馴染みのある？事柄（トリビア）を列記していく。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">1．&nbsp;モンゴロイド</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド（<wbr>現在はこれらにオーストラロイドが加わる）<wbr>という言葉は世間に広まっている。これはドイツの動物・人類・<wbr>解剖学者ブルーメンバッハが人種をコーカシア（白人種）、<wbr>モンゴリカ（黄色人種）、エチオピカ（黒人種）、アメリカナ（<wbr>赤色人種：アメリカ先住民）、マライカ（茶色人種：マレー人）の<wbr>5種に分類したことが起源である。<br><u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">欧州人にとって、黄色人種（＝欧州人が意識するアジア人）<wbr>といえばモンゴルというイメージが一番強いので、<wbr>代表でモンゴロイドとして選ばれただけである</u>。コーカソイド（<wbr>コーカサス＝カフカース）<wbr>で白人を括る概念も今や否定されていると言ってよい。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">2．&nbsp;蒙古斑</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">モンゴルついでに蒙古斑について。<wbr>これは所謂明治時代のお抱え外国人、<wbr>ドイツ人医師のベルツが付けたもの。<wbr>日本人の赤ちゃんを見てこれはモンゴロイドの共通の態様と考えて<wbr>付けた</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">もので、他の地域を調べて付けたものではない。<wbr>確かにアジア人に多い傾向はあるが、<wbr>他の地域でも見られるものだ。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">3．&nbsp;キャセイ航空</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">香港にキャセイ航空がある。このキャセイは契丹（キタイ）<wbr>からきている。中国では遼、西遼で知られる（<wbr>カラキタイともいう）。建国者として耶律阿保機が有名だろう。<wbr>大元ウルスは</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ウイグル人と契丹人を使って各種の制度を作った、つまりこの2民<wbr>族に負うところが大きい。<wbr>大元ウルスで駅伝制度を作ったのは有名であるが、<wbr>実は契丹が先に作ったものを踏襲した</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">ものである（駅伝制度の嚆矢はハカーマニシュ朝（<wbr>ギリシャ名はアカイメネス朝）ペルシャ）。</p><p><u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">西方から見て中国のことを嘗て</u></p><p><u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">○タプガチェ・・唐のこと。鮮卑択抜（タプガチェ）部が建国　（タプガチュとも言う）</u></p><p><u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">○キタイ・・契丹</u></p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt"><u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">と呼んでいた</u>よう唐帝国、契丹帝国の存在は大きかった（<wbr>漢人国家のプレゼンスはない）。尚、<wbr>ロシア語では今でも中国はキタイ（キターイ）、<wbr>ペルシャ語ではヒタイである。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">4．&nbsp;イランとペルシャ（ペルシア）</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">よく同じ意味で使われると思うが、イランは自称、<wbr>ペルシャは他称である。イラン・・正しくはイーラーンである・・<wbr>は「アーリア人の国」という意味。<wbr>ペルシャは元々現イランの一地域の呼称である。<wbr>今のイランではファールス地方であるが、<wbr>古代はパールスと呼んでおり、<wbr>それをギリシャ語でペルシスとしたことに由来。</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">5．世界三大歴史書</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">歴史の父といえば『歴史』を書いた古代ギリシャのヘロドトス（<wbr>小アジア生まれとされる）、これに対応するのが『史記』を書いた司馬遷であるのは広く人口に膾炙している。<wbr>二人に共通しているのは座学ではなくフィールドワークをしている<wbr>ことだろう。『<u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">歴史』は古ギリシャ語の書名で『ヒストリアイ』<wbr>といい本来は｢研究｣という単語の複数形であったが、<wbr>歴史について書かれた最初の本格的な書であったことから、これが<wbr>Historyの語源となった</u>。一方、『史記』の「史」<wbr>は帳簿役人という意味である。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">さて、これらの二書が世界史とは言えないのに対し、<u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">初めての世界<wbr>史といわれるのがフレグ・ウルスの宰相、ラシード・<wbr>アッディーン責任編集の『集史』である</u>。<wbr>前二書に加え世界三大史書ともいう。モンゴル史、アラブ・<wbr>イスラーム史、フランク史（ヨーロッパ史）、ヒタイ史（中国史）<wbr>、遊牧民史、インド史などを含む空前の歴史書が1310-<wbr>1311年に完成。モンゴル正史にして世界史である。<wbr>記述はペルシャ語でされている。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">＜参考・チンギス・ハーンの作ったモンゴル帝国の分国（<wbr>分裂ではない）＞</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">嘗てはキプチャク汗国、イル汗国と言われた時代もあったが、<wbr>今は以下に統一されている、</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">○大元ウルス</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">○ジョチ・ウルス（嘗てのキプチャク汗国）</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">○フレグ・ウルス（嘗てのイル汗国）</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">○チャガタイ・ウルス</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">6．幻想からうまれたシルクロード</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">シルクロードは東西をつなぐ道（複数のルート）だけでなく、<wbr>南北にもあったことはかなり認識されてきた。この他、<wbr>北側のステップ地帯に「草原の道」がありNHKの番組にもなった<wbr>「海のシルクロード」も同様だと思う。<wbr>このシルクロードという言葉が生まれた背景は幻想であった。<wbr>ドイツの地理学者リヒトホーフェンが著書『ヒーナ（シナ：<wbr>中国のこと）』の中で「こんな道があったらいいな（良かったな）<wbr>」という意味で"Seidenstraße"（絹の道）<wbr>という用語を使ったが、後の学者が「使える」<wbr>ということで恰も定められた絹運搬の「絹の道」<wbr>があったように書いたからである。尚、現在はシルク・<wbr>ルートという用語が海外では使われている。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">蛇足ながら、<u data-originalcomputedfontsize="14" data-removefontsize="true">遊牧民や交易商人が通ったところに「沙漠」がある。<wbr>これは砂漠ではない。沙漠はあくまで乾燥した土地という意味である</u><wbr>。砂漠であれば馬が走り回れる訳がない。但し、近年、本当に砂漠化しいるところもある。<wbr>ゴビ砂漠のゴビは沙漠のことなので、謂わばトートロジーである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">次回（以降）に続く（？）・・。</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">『集史』（パリ本）チンギスハーンの即位　Wikipediaより</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p><a href="https://obs.line-scdn.net/0hYmedj1KaBkJYHRQ0wpx5FRJAAC0hfhxKMmUReC1LDGwtcRFCMGcTcCJLBighckIUMiVVRBpnEBBwKQBHZAIKVi1ZHSVxRgdmADsMRBl-PxQXTRUIZHxPLXQbXXZ8LkIXMSxBLH8dHXJ1KBRHMClO" target="_blank"><img alt="" border="0" height="492" hspace="5" src="https://obs.line-scdn.net/0hYmedj1KaBkJYHRQ0wpx5FRJAAC0hfhxKMmUReC1LDGwtcRFCMGcTcCJLBighckIUMiVVRBpnEBBwKQBHZAIKVi1ZHSVxRgdmADsMRBl-PxQXTRUIZHxPLXQbXXZ8LkIXMSxBLH8dHXJ1KBRHMClO/small" width="450"></a></p><p>&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">小松久男氏編の書籍（2000.7）より</p><p data-originalcomputedfontsize="14" data-originalfontsize="10.5pt">&nbsp;</p><p><a href="https://obs.line-scdn.net/0hWxL5lgDpCFdxTBoh6_N3ADsRDjgILxJfGzQfbQQaAnkEIB9XGTYdZQsaCD0II0wBG3RbbChMAyVaBCpkDWk-di8kM2AeBDd4KVQ0VSwUBic3LDkdTS1BOF1KU2BdfUwCGH1POVJKE2dceRpSGX9O" target="_blank"><img alt="" border="0" height="420" hspace="5" src="https://obs.line-scdn.net/0hWxL5lgDpCFdxTBoh6_N3ADsRDjgILxJfGzQfbQQaAnkEIB9XGTYdZQsaCD0II0wBG3RbbChMAyVaBCpkDWk-di8kM2AeBDd4KVQ0VSwUBic3LDkdTS1BOF1KU2BdfUwCGH1POVJKE2dceRpSGX9O/small" width="583"></a></p>
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<pubDate>Fri, 17 Mar 2023 07:40:05 +0900</pubDate>
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