<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>ITエンジニアの人生逆転奮闘記</title>
<link>https://ameblo.jp/kenshouyou/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/kenshouyou/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ITエンジニアが人生逆転を賭け再起を図る</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>ITエンジニアの雇われない生き方とは？</title>
<description>
<![CDATA[ <a href="http://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12107786886.html" target="_blank">前回の記事</a>で、労働対価を得る為に私たちが貴重な時間を消費している事、またそれにも関わらず低賃金な現状が多く見られ、満足の行く生活が送れなくなっている事について言及しました。<br><br>今回のお話は前回からの続きになりますが、主に生活困窮者を対象にしております。<br>生活の余裕のある方には当て嵌まらないかもしれないので、そのつもりで目を通して頂ければ幸いです。<br><br>それでは、なぜこのような状況を私たちは看過しているのでしょうか。<br><br>確かにお金を稼がなければ生活出来ませんし、仕事がなくなれば生計が立てられなくなるという現状があります。<br><br>しかし、だからと言って、過酷な労働条件下で働く必要はありませんし、安い賃金で生かさず殺さずのギリギリの生活を送る必要もありません。<br><br>それは、社会的に不利な条件下にある人たちを囲い込んで飼い殺しにするための雇い主の思惑に過ぎません。<br><br>要するに社会的弱者であるが為に弱みを握られ、その事を利用されているのです。<br><br>また、私たちは社会的弱者であるが故に、労働現場の現状に声を上げることも出来ず、甘んじてその現状を受けて入れてしまっている事が殆どです。<br><br>恐らく殆どの人は雇用主に逆らったら解雇され、行き場をなくす事になると考えておられることでしょう。<br><br>これが若者なら、次の仕事を見つけられるかもしれませんが、40台以上の中高年になると、再就職するのは年齢的にも体力的にも厳しくなるという現状があります。<br><br>よって、酷い仕打ちを受けても彼らはじっと耐え忍んでいるのです。<br><br>最近では各自治体で相談窓口を設け、問題の解決に乗り出しましたが、企業側に労働者を不当に扱う事についての罰則規定がない為、注意勧告は出来ても実効性に乏しいというのが現状です。<br><br>法律を改正し、この件について罰則規定を設けない限り、この先同様の事例は後を絶たない事でしょう・・・。<br><br>しかし、まずは声を上げなければ私たちの生活改善は望むべくもありません。<br>行政を動かさなければ、仕組みそのものを変える事は出来ませんからね。<br><br>もっとも、それはこの現状をこれからも受け入れ続ける場合の話ですが・・・。<br><br>そもそも、なぜこんな不利な条件で私たちは働かなければならないのか。<br><br>嫌なら働かなければいいだけの話です。<br><br>働く権利は労働者に認められた権利ですから、使用者が困ろうがどうしようが、そんな劣悪環境で働かなければいいのです。<br><br>本来ならこんな行為は不当労働行為に当たるはずですが、労働者側で大人しくしているものだから、使用者側はそれに乗じて行為をエスカレートさせているのです。<br><br>これではますます使用者側の思う壺です。<br><br>従って、期せずしてこのような状況に陥っている事を考えると、労働に従事するという事について考え直すことも必要になってくるものと考えます。<br><br>果たして今の世が必ずしも雇われて仕事する必要があるのかという事です。<br><br>昔と違って今は情報技術の発展により、ネットに繋がっているPC一台あれば、世界のあらゆる場所に瞬時に情報を発進出来る時代です。<br><br>むしろ、PCでなくても携帯でもスマホやタブレットでもネットは可能です。<br><br>つまり情報の流動化により、時、場所を選ばず、私たちは得たい情報をほぼどこからでも手に入れる事が出来るようになり、また発信することも可能になったのです。<br><br>この事により、私たちは働く事においても、会社組織に捉われる事なく、その気になれば自宅で起業する事も可能になったのです。<br><br>実際に起業して成功者となられている方が沢山おられますからね。<br><br>もっとも、実際に起業するとなるとそれなりのリスクが伴うので、そう簡単には行きませんけどね。<br><br>やはり起業するとなると、ある程度の資金、知識、経験が求められるので、何も持たない人では成功する事はかなり厳しいと言わざるを得ません。<br><br>それでは、私たちのような一個人でも気軽に始められ、誰にも雇われる事なく、ノーリスクハイリターンで稼ぐことの出来るものは一体なんでしょうか。<br><br>もう既にその答えをお知りの方もおられる事と存じますが、次回はその事について触れていきたいと思います。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12107786886.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Dec 2015 22:20:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ITエンジニアの私たちにとって生きがいとは？</title>
<description>
<![CDATA[ <a href="http://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12107342928.html" target="_blank">前回の記事</a>で、労働の意義について述べましたが、その際に価値ある生きがいを持った働き方をするための問題提起をさせて頂きました。<br><br>今回は、この労働に価値を与え、生きがいを与えるためには何が必要かを考えていく事にします。<br><br>まず、労働を価値あるものにする為には、社会貢献を行っているという意識が、他者から見て明らかでなければなりません。<br><br>単なる自己満足では、本当に社会貢献出来ているかどうか判別出来ませんし、自分以外の当事者及び弟三者から見てどのように写るかで、その仕事が価値あるものかどうか見極めるべきでしょう。<br><br>自分では価値のない仕事のように思えても、他者から見れば充分社会に貢献する為の活動を行っていると捉えられる場合もあり、自分の中だけで完結してしまうのは些か危険であると思います。<br><br>確かに、本当に価値のない仕事、例えば、出勤しても何の役割も与えられず、一日中机に座っているだけとか、本当に何のために出勤しているのかという悲惨な状況に陥ることもあります。<br><br>しかし、そのような存在価値そのものを疑うような場合でなければ、例え僅かでも何らかの社会貢献は果たしているはずです。<br><br>それこそが仕事に価値を与えているのであり、同時に社会利益に貢献しているというわけです。<br><br>従って、労働を価値あるものにするには、自分以外の他者から見て、それが社会妥当性を持ち、広く社会貢献に繋がるものである必要があるわけです。<br><br>仮に自身が行っている労働が、社会に全く利益をもたらさないものであったとしたら、全くの無駄な行為を行っていると言えるわけです。<br><br>そして、そのような意味のない行為で労働者を縛り、無意味な仕事で労働者を酷使する例は枚挙に暇がありません。<br><br>これは、中小零細企業はおろか大企業に至るまで往々にしてあります。<br><br>この事はIT企業は勿論の事、他業種に至るまで平然と行われており、生産性のない形式だけの会議による残業や、作業指示のみ与えて、ひたすら時間のみ浪費し、何も成果物を生み出さず徒に時間ばかりが過ぎ去る状況を故意に作り出している現状等、本当に挙げればキリがありません。<br><br>このような非生産性な行為が、労働者に必要以上の過酷な業務を課すことに繋がり、残業もやむなしという風土を作り上げてきた事は事実です。<br><br>最近になって、時短が叫ばれていますが、このような無駄な時間を使い徒に時間を消費する事に慣れ切ってしまった今のご時世では、そう簡単に状況の是正とは行かず、まだまだ進行途上というのが現状です。。<br><br>また、特定派遣や一般派遣等、外部からの労働者をアウトソーシングする形態が主流になった事により、会社のあり方は大きく変容し、経費削減やコストカットの為、自社社員の数を減らし、外注に頼ることで経営基盤の安定を図るようになりました。<br><br>企業にとっては、常に抱え込まないといけない正社員より、必要な時に必要なだけ調達出来る労働者を有期契約で雇用した方が、人件費等のコストを減らせますから、必然的にそのような動きになっていったわけです。<br><br>特に労働者派遣法の改正による規制緩和が行われるようになってから、雨後の筍のように派遣会社が次々と設立され、企業の外注人材需要の高まりに応えるように次々と技術を持ったプロを派遣し、派遣先企業に常駐勤務させるようになっていきました。<br><br>更に、自社で形だけの正社員採用を行い、クライアント先に送り込むという名ばかり正社員という名の特定派遣も盛んに行われるようになり、ますます人材の流動化が進んで行くことになりまました。<br><br>その結果、「人売り」という企業への労働者の有期雇用売却が平然と行われるようになり、その当事者である派遣労働者は、単価いくらでどこにでも売られる人身売買のごとき労働奴隷に等しい存在になり下がってしまいました。<br><br>彼らにとって、どの企業に派遣されるかでその後の運命は大きく変わることになります。<br><br>もし、派遣された場所が待遇の良い所ならそれなりに安心して働けますが、外部の人間に対して冷たく、また過酷な労働を平然と課し、自社社員と他社からの常駐労働者とで差異を設けるような所に派遣された場合は、目も当てられない状況になる事も多々あります。<br><br>また、中には非人道的で同じ人間とは思えないような扱いを受けるケースもあります。<br><br>事実、わたしもこれまで働く中でそのような労働者差別を数多く受けてきました。<br>例えば、更衣室が社員と非社員とで別々だったり、社員食堂が非正規社員の場合利用出来なかったり、明らかに合理的差別を超えた状況がそこにありました。<br><br>最近では中高年のブラックバイトが社会問題化し、作業速度が遅かったりすると時間給を差し引かれたり、人権を蹂躙するような言葉を浴びせられたりと、凡そ非人道的な事が茶飯事に行われています。<br><br>酷いケースになると、病気で休みたい場合でも、おかまいなしに労働を強要され、逆らうと解雇されるという同じ人間とは思えない酷い仕打ちを受けているという現状があります。<br><br>勿論、このような事例が全てではなく、健全な企業も数多く存在しますが、以前に比べると人間の尊厳が踏みにじられているケースが多くなってきたように感じます。<br><br>このような現状の下、私たちは働かざるを得なくなっているのが現状です。<br><br>また、正社員であっても厳しいノルマが課され、生き残りを掛けた過酷な競争に晒され、結果心身共に疲弊していくという現状があります。<br><br>本来労働とは対価を得る為に行うものであり、あくまで主役は人のはずです。<br>それが、主客転倒し、今ではお金を得る行為そのものが労働と化しています。<br><br>確かにお金を稼ぐ事は労働の目的ではありますが、前述してきたように本来は社会に価値をもたらし、自らの生きがいとなるものであるはずです。<br><br>折角、自身の貴重な時間を消費して労働に充てているのに、このような状況では価値ある労働を行っているとは言えないのはないでしょうか。<br><br>また、日々の労働の理不尽さに耐えている事から、そこに生きがいを見出すのも難しくなってきます。<br><br>時間を切り売りする事で対価に変えているにも関わらず、そこに労働意義を見出せず、生きがいを持つことも出来ないのでは、私たちは一体どうすれば良いのでしょうか。<br><br>そのヒントはズバリ、時間の切り売りによる労働対価の獲得にあります。<br><br>この概念を180度変えることで、まったく新しい労働の形を提唱する事が出来ます。<br>まだまだ、充分に浸透しているとは言えない考え方ではありますが、高所得者層と低所得者層の格差が著しい昨今において、人生を見直す良い契機になると考えています。<br><br>このまま、強者に使い潰されて人生を終えるのか、それとも自身で道を切り開くのか、その瀬戸際に来ていると言えます。<br><br>それでは、なぜ私たちは労働対価を得る為に時間を犠牲にしなければならないのか、また時間を犠牲にしているにも関わらず、低賃金で雇われ、満足の行く生活が送れなくなっている人が多いのでしょうか。<br><br>次回はその辺りについて検証していきたいと存じます。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12107678087.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Dec 2015 16:23:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ITエンジニアの労働の意義について考えてみる</title>
<description>
<![CDATA[ <a href="http://http://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12106311910.html" target="_blank">前回の記事</a>で、社会システムに潜む闇について述べましたが、恐らく殆どの方はこれまでその事を意識せずに日々の生活を送ってこられた事と存じます。<br><br>自身に与えられた役割をこなすべく、どなたも日々の業務に勤しみ、社会貢献を行ってこられた事でしょう。<br><br>かくいうわたしも、ITエンジニアとして働く傍ら、世の為、社会の為にと思って労働力を提供してきたつもりです。<br><br>しかし、一度考えてみてください。<br><br>私たち一人一人が社会に出て働くことで、本当に社会貢献を行う事が出来ている方が一体何人おられるでしょうか。<br><br>古来より私たちは働くこと自体に美徳があり、額に汗する事という行為そのものに労働意義を見出してきたのではないでしょうか。<br><br>確かに、働く事で世の役に立ち、社会利益をもたらすことで労働そのものに付加価値を与えている方がおられるのも事実です。<br><br>ですが、同時に、果たして社会利益に貢献出来ているのか疑問詞を投げかけるような労働がある事もまた事実です。<br><br>恐らく皆さんの中には、会社に課せられた業務等で、この仕事に一体何の意味があるのかと思われるような業務を経験された方もおられるかと思います。<br><br>事実、社会貢献とは全く関係ないと思われる単なる作業もしくは何もさせて貰えないといった理不尽な扱いを受けた方もおられることでしょう。<br><br>それでは、労働するという事は一体どういう意味を持つのでしょうか。<br><br>ここで、その労働意義について考えてみたいと思います。<br><br>また、なぜ人は働くのでしょうか。<br><br>根本的な問題ではありますが、ここを解決しないと本当の意味で私たちが働いているとは言えないのではないでしょうか。<br><br>まずは前者について考えてみます。<br><br>労働とは簡単に言えば、「価値」を提供する事だと言えるのではないでしょうか。<br><br>社会全体の利益に貢献する事で、自身の存在が社会にとって必要な価値あるものにしているわけです。<br><br>逆に言えば、社会に必要とされる貢献を提供出来なければ、その労働は全くの無価値であるとも言えます。<br><br>少し暴論にはなりますが、社会にとって何の利益ももたらさない労働は、全くの無価値であり凡そ労働とは呼べないものなのです<br><br>次に後者ですが、第一に自身の生計を立てる必要がある事、第二に自身が社会参加する事で生き甲斐を得る為だと推測します。<br><br>もっとも、最近は流動的な労働市場や、時代の流れにより、働くことで必ずしも生活の安定や、生き甲斐を得られているわけではありませんが・・・。<br><br>むしろ、そのような現状が社会問題になりつつあり、必要以上に過酷な労働を課せられたり、人間らしく扱われない等の非人道的な行為が公然と行われているのが現状です。<br><br>しかし、人は働く事ではじめて収入が得られるわけですし、働かなければ当然収入はゼロです。<br><br>それでは、私たちは一体どうすれば価値ある生き甲斐を持った働き方ができるのでしょうか。<br><br>これに関しては様々な意見がある事と存じます。<br><br>次回は、もう少しこの問題を掘り下げてわたしなりに切り込んでいきたいと思います。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12107342928.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Dec 2015 17:22:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ITエンジニアが考える社会システムに潜む闇</title>
<description>
<![CDATA[ 突然ですが、皆さんは人生設計を行う中で何か叶えたい夢を抱かれた事はあるでしょうか。<br><br>わたしはITエンジニアとして働く中で、いつしか夢を忘れ、日々の業務に忙殺されるようになっていきました。<br><br>かつてわたしには叶えたい夢がありました。<br><br>しかし、その夢が今日まで叶うことはありませんでした。<br><br>恐らく大多数の方は若かりし頃に抱いた夢がおありの事と思います。<br><br>毎日同じ時間に起き、満員電車に揺られながらただ徒に通勤の日々を繰り返すうちに、抱いていた夢も希望もいつしか消えていった方が大半なのではないかと存じます。<br><br>これはわたし同様世のサラリーマンと呼ばれる雇われ人の悲しき性なのかもしれません。<br><br>なぜ、私たちは人間らしく生きることができないのでしょうか。<br><br>人として生まれてきた以上、大いに楽しみ、人生を謳歌したいと考えるのはそんなに悪いことなのでしょうか。<br><br>毎日ただ決まった事を繰り返す日々は、人の感覚を鈍らせ、あたかもその状態が当たり前であるかのような錯覚を引き起こします。<br><br>毎日8時間労働を週に5日繰り返す日々を皆さんはどのように思うでしょうか。<br><br>確かに労働基準法でそのように定められていますが、一日8時間働かなければならない理由付けにはなりません。<br><br>なぜ、一日8時間働かないといけないのでしょうか。<br><br>言い換えれば、なぜ週40時間働けば給与が頂けるのでしょうか。<br><br>そこに一体何の根拠があるというのでしょう。<br><br>あるとすれば、法律でそう決まっているからという事になりますが、別にそれが必ずしも8時間である理由はどこにもありません。<br><br>なぜサラリーマンは決まったように誰しもが8時間以上働くのでしょうか。<br><br>就業規則でそう決まっているから仕方なくという意見もあるでしょうが、それも誰かが決めたルールに過ぎません。<br><br>会社で就業する以上それを守らないとならないだけで、非常に理不尽なものです。<br><br>また、十羽一からげに誰しもがただ労働するだけでお金が貰えるという事に疑問を抱かざるを得ません。<br><br>この事は労働時間のあり方にも繋がってくると思います。<br><br>果たしてそれが本当に労働と呼べるものなのでしょうか。<br><br>そもそも労働の定義って何なのでしょうか。<br><br>仕事と一口に言っても意味のあるものとそうでないものがあると思います。<br><br>そう考えると、定義からして曖昧になってくる気がします。<br><br>普段意識するような事はないと思いますが、大局から俯瞰してその光景を眺めると、あきらかに不自然であり、凡そ人間らしくない行為であるように写ります。<br><br>いつしか人は思考を放棄し、世間一般の常識に囚われ、そこからはみ出す事を恐れた結果、皆が同じ行動を取り、社会システムの中に組み込まれていくという構造が出来上がりました。<br><br>これこそ、今の資本主義社会を支えている根本の考え方であり、国家の忠実な僕として私たち国民をコントロール化に置く施策だったわけです。<br><br>私たちは知らず知らずのうちに、親や学校や地域社会など様々な要因により、そのような社会奉仕が当たり前の事であるかのように刷り込まれていたのです。<br><br>当然の事ながら彼らはその事に何の疑問も抱いておらず、むしろそれに反発する事が悪であるかのように私たちを教育してきました。<br><br>そして、私たちは気がつけば何の疑いを抱くこともなく、さもそれが当たり前であるかのように受け入れていたのです。<br><br>全てはこの社会システムを作り上げたシステムの外側にいる者たちの思惑通りに進んでいるわけです。<br><br>彼らの目的は国民から思考を奪い、常識という名の誤った認識を植え付ける事にあります。<br><br>よく考えてみれば、なぜこんな矛盾した社会事実にこれまで気が付かなかったのでしょう。<br><br>それは、私たちが社会システムの内側にいたからに他なりません。<br><br>私たちは与えられた内側の世界だけを見て、その外側を見てこようとはしてきませんでした。<br><br>それではなぜ私たちは外側を見ようとはしなかったのでしょうか。<br><br>なぜ、私たちはこのような過酷な労働を強いられるのでしょうか。<br><br>その意味を考えた時、自らが歩むべき道が見えてくるのではないでしょうか。<br><br>今回のお話は抽象論的なものになってしまいましたが、次回はその辺りを明確にしていきたいと思います。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12106311910.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Dec 2015 22:29:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ITエンジニアの人生再出発</title>
<description>
<![CDATA[ はじめまして、先日までITエンジニアをしておりました「最後の挑戦者」と申します。<br><br>諸般の事情により、IT業界を退くことになり、今は人生再出発に向けて力を蓄えている所で御座います。<br><br>IT業界に身を置く方はご存知だと思いますが、この業界を生き抜くためには並の知識や技術では到底歯が立ちません。<br><br>また、都度直面する問題に取り組み、自らこれを解決する能力を持ち合わせていなければ、この世界でITエンジニアとして頭角を現すことは難しいでしょう。<br><br>所謂、言われた事だけやっていたのでは、この世界では生きていけません。<br><br>しかし、このような問題解決能力を持った人材は、それほど多いわけではありません。<br><br>その背景には充分な人材教育が行われていないという問題があり、基礎教育も満足に受けられずにIT業界の荒波に立ち向かわざるを得ないという事情があります。<br><br>そして、わたしも業界で必要とされる能力を身に付ける事が出来ず、気が付けば数あるITエンジニアの中で不要な人材になっていました。<br><br>ある意味その道を選んだ事で自業自得とも言えなくもないですが、社会に必要とされていない存在だということがわかり悲しくなったのは事実です。<br><br>これまでも何度か退職しては再就職するというサイクルを繰り返してきましたが、今後このような生活を続けても自身が疲弊するばかりで得るものは少ないと感じるに至りました。<br><br>この業界は日進月歩で技術革新が起き、常に時代の流れに目を向けていないと、あっという間に時代に取り残され、気が付けば通用しない技術と化していることも珍しくありません。<br><br>その為、日々の業務改善により、人も企業も時代に迎合した動き方が求められます。<br><br>しかし、そのためには日進月歩で移り変わる技術体系をその都度ブラッシュアップする必要があります。<br><br>最新技術を取り入れ、その為に学習を重ねても、その知識も短期間のうちに陳腐化し、また新たな技術を身につけるというサイクルの繰り返しになっているわけです。<br><br>従って、IT業界で必要とされるコミュニケーション能力に加え、技術革新に迎合しうる能力を併せ持つ人材でなければこの業界で生きていくのは非常に困難と言わざるを得ません。<br><br>特にこれまで言及される事はありませんでしたが、明確なITエンジニアの基準というものが存在している事は明白でしょう。<br><br>このブログでは、わたしが人生再起を賭けて、様々な事柄に立ち向かっていく姿をお送りしたいと思います。<br><br>人生に絶望している方、生きがいを見失っている方がおられましたら、わたしとともに再出発を図っていきましょう。<br><br>次回から、わたしの取り組みについてご報告していこうと思いますが、わたしの人生再出発は世間一般のソレとはかなり異なるかもしれません。<br><br>その辺りを含め、次回お話していければと思います。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kenshouyou/entry-12106255509.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Dec 2015 20:36:36 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
