<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>ふっくんオフィシャルブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/kentofukuta/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>1994 / イスラーム地域研究 / 約70か国＆地域訪問 / 中米縦断 / キューバ横断 / サハラ砂漠縦断 / アラビア半島制覇 / EDMやメタルをよく聴きます！</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>【イラク紀行】『ギルガメシュ叙事詩』誕生の地ウルク</title>
<description>
<![CDATA[ <p>世界史上最も古い物語のひとつ『ギルガメシュ叙事詩』。</p><p>&nbsp;</p><p>旧約聖書の物語「ノアの箱舟」に多大な影響を与えたとされるこの書物は、シュメールの時代から代々メソポタミアに受け継がれてきました。主人公は、ウルク第一王朝の5代目の王ギルガメシュ。紀元前2600年ごろにウルクの王として君臨した人物だとされています。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなギルガメシュを輩出したウルクは、『ギルガメシュ叙事詩』の存在もあり、古代史に絞れば最も有名な都市のひとつとなっています。</p><p>&nbsp;</p><p>現在、ウルクはワルカという名で知られています。あくまで子音の発音が変化しただけなので、名称はほとんど変わっていないといえます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171031/12/kentofukuta/7b/3b/j/o2111140714060007056.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171031/12/kentofukuta/7b/3b/j/o2111140714060007056.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>現在のウルクには、シュメール時代からパルティア時代までの遺跡が残されています。そのなかの代表格が写真の「白神殿」跡です。</p><p>&nbsp;</p><p>現在、ウルクの遺跡のなかで最も巨大な遺構がこの「白神殿」の跡です。神話の時代から続く古代メソポタミアの都市遺跡を代表する「白神殿」は、その名の通り、かつて白亜の巨大神殿としてウルクのランドマークとなっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>ほかにも、ウルクには様々な遺構が残っています。</p><p>なかでもウルクの最高神アヌーを祀るアヌー神殿の遺構は必見です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171031/12/kentofukuta/49/fd/j/o2096139714060016671.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171031/12/kentofukuta/49/fd/j/o2096139714060016671.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>現在のアヌー神殿周辺は時代の変遷とともにほとんどが風化してしまっていますが、発掘調査の結果、基層の部分が発見されています。</p><p>&nbsp;</p><p>現在のウルクからは当時の壮大さを想像するのは難しいですが、広範囲に広がる遺構からは、その規模を感じ取ることができます。文明の起源を感じたい方には非常にうってこいの場所だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>世界史好きの僕にとっては本当にこの訪問は感無量でした。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/entry-12324356076.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Oct 2017 12:53:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【イラク紀行】サマッラ―の大モスク</title>
<description>
<![CDATA[ <p>現存するイスラーム建築のなかでも非常に歴史的価値の高い遺跡がイラクには多く現存しています。なかでもサマッラ―の大モスクはそのz代表例といえるかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>750年に成立したイスラーム史上二番目の世襲制のイスラーム帝国、アッバース朝（750～1258年）は、その首都をすべて現在のイラクに置きました。そのため、アッバース朝の主要な遺構はイラクに存在します。</p><p>&nbsp;</p><p>アッバース朝の第8代カリフだったムウタスィム（在位833～842年）がバグダッドから遷都したことでイスラーム世界の中心地となったサマッラ―。ここに大モスクの建設を始めたのは、第10代カリフのムタワッキル（在位847～861年）でした。建設は848年に開始され、3年がかりで完成にこぎ着けました。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/15/kentofukuta/bb/8f/j/o2755206614056675473.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/15/kentofukuta/bb/8f/j/o2755206614056675473.jpg" width="420"></a></p><p>そんな大モスクを象徴するのがマルウィヤ・ミナレットです。らせん状に造られたこのミナレットは、この時代に築かれたモスクの典型的なスタイルで、同様のものはほとんど現存していません（他にはカイロのイブン・トゥールーン・モスクのものが有名です）。</p><p>&nbsp;</p><p>マルウィヤ・ミナレットのらせん構造は、のちに描かれるブリューゲルの代表作「バベルの塔」やダラスにあるサンクス・ギビング・パークのチャペルのモデルになったと言われており、そのことからも芸術の分野で非常に多くの影響を与えていることがわかります。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/16/kentofukuta/a1/5f/j/o2901217614056680255.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/16/kentofukuta/a1/5f/j/o2901217614056680255.jpg" width="420"></a></p><p>マルウィヤ・ミナレットは現在でも登ることができます。ただ、柵なんてものはないので、落ちても自己責任です。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、このミナレットの高さは52mもあります。東京ディズニーランドのシンデレラ城（高さ51m）より少し大きいぐらいといえば、その大きさがお分かりいただけると思います。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/16/kentofukuta/db/f0/j/o2000150014056683232.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/16/kentofukuta/db/f0/j/o2000150014056683232.jpg" width="420"></a></p><p>ミナレットの上から見た大モスクとサマッラーの景色です。撮影はGoProでやりました。そうじゃないとまず景色はほとんど入らないです。汗</p><p>&nbsp;</p><p>写真では分かりづらいでしょうが、右奥に見える小さなドームはアスカリ廟のものです。町にはほとんど高いビルはないので、こうして地平線がくっきりと見えます。文明の興亡がよくわかる風景です。</p><p>&nbsp;</p><p>「イラクで最も行ってよかった場所」を聞かれると、僕は迷わずここだと答えます。イラクの至宝と評されるだけあって、その雄姿にはやはり心を奪われました。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/entry-12323023318.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Oct 2017 16:21:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【イラク紀行】バグダッド近郊のジッグラト（聖塔）に行ってきた。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>古代メソポタミア文明のジッグラトといえば「ウルのジッグラト」が有名ですが、これまで取り上げてきたように、イラクにはたくさんのジッグラトの跡が残っています。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は、そんななかでも最も首都バグダッドから近い場所に残っているジッグラトを紹介します。</p><p>&nbsp;</p><p>場所は、バグダッドと西方の町ファルージャとの地点にあるアカル・クフ。ここは、古代メソポタミアの王都ドゥル・クリガルズの都市遺跡があることで知られています。</p><p>&nbsp;</p><p>スンニ派とシーア派の宗派対立により現在はちょっと治安が悪いのですが、どうやら訪問できそうだとゴーサインが出たので足を運ぶことができました。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/15/kentofukuta/0d/86/j/o1000075014056657315.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/15/kentofukuta/0d/86/j/o1000075014056657315.jpg" width="420"></a></p><p>ドゥル・クリガルズに残るクリガルズ1世の宮殿跡。</p><p>&nbsp;</p><p>クリガルズ1世（??～紀元前1375年）はカッシート王国（バビロン第三王朝、紀元前1595～紀元前1155年）の第17代国王として即位した人物で、在位中に自らの新王都ドゥル・クリガルズを築き上げました。</p><p>&nbsp;</p><p>ドゥル・クリガルズはカッシート王国の現存する遺構としては最も有名なもので、非常に貴重なものとなっています。</p><p>&nbsp;</p><p>なかでも、この遺跡の存在を世界に知らしめているのは、クリガルズ1世が築いた巨大なジッグラトの存在です。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/15/kentofukuta/05/1e/j/o2563170914056664634.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171026/15/kentofukuta/05/1e/j/o2563170914056664634.jpg" width="420"></a></p><p>クリガルズ1世のジッグラト。下の綺麗な部分はフセイン政権時代に修復されたものです。</p><p>&nbsp;</p><p>現在ではかつての姿を想像することは難しいですが、現在残っている部分だけでも相当な高さがあったことは推察できます。</p><p>&nbsp;</p><p>ドゥル・クリガルズは日本ではあまり知られていない遺跡ではありますが、世界史で習ったカッシート人の遺構をこうして実際に訪れられることができて本当に良かったです。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/entry-12323012987.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Oct 2017 15:40:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【イラク紀行】イラク全土のシーア派聖地巡り</title>
<description>
<![CDATA[ <p>かつて多神教を信仰していたメソポタミアの住民。しかし、一神教の成立とともにユダヤ教やキリスト教などに改宗する人が増加したほか、ペルシャの影響でゾロアスター教に改宗する人もたくさんいました。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなメソポタミアに転機が訪れたのは7世紀のこと。アラビア半島から伝わったイスラームはすぐにメソポタミアの住民に受け入れられ、イラクの大半の地域から多神教が淘汰されました。</p><p>&nbsp;</p><p>656年にはクーファにイスラーム帝国の首都が定められ、以後メソポタミアはイスラーム帝国の首都として栄えます。しかし、最後の正統カリフ（ムハンマドの後継者）のアリーが661年にクーファで暗殺されると、自らカリフを名乗ったムアーウィヤは首都をシリアのダマスカスへと移し、クーファのムスリムとの対立姿勢を強めます（ウマイヤ朝、661～750年）。ここにイスラームはアリーの直系の子孫を指導者とするシーア派とムアーウィヤを指導者とするスンニ派へと分裂、以後両派は緊張関係を強めていくことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>旧首都クーファを擁するメソポタミアはシーア派の拠点となり、ムアーウィアからの世襲制を貫くウマイヤ朝と対立します。680年には、クーファのシーア派住民との蜂起を前にアリーの次男のフサインがウマイヤ朝の軍隊の攻撃を受け「殉教」、対立は決定的になります。</p><p>&nbsp;</p><p>現在、シーア派はメソポタミア（イラク南東部）のほかにイランやアゼルバイジャンなどに多く暮らしています。その大半はアリーの直系の子孫11代を指導者（イマーム）として信じる「十二イマーム派」であり、そのイマームの眠る聖地の大半はイラクに存在しています。</p><p>&nbsp;</p><p>イラクで僕が訪問したシーア派の聖地は、バグダッドのカジミヤ廟（7代目イマーム、9代目イマーム）、サマッラ―のアスカリ廟（10代イマーム、11代イマーム）、カルバラーのフサイン廟（3代イマーム）、ナジャフのアリー廟（初代イマーム）です。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、すべての聖地を訪れたということになります。</p><p>第8代イマームの霊廟はイランのマシュハド、それ以外はサウジアラビアのメディナにあります（※メディナの霊廟はすべてサウド家により破壊されています）。</p><p>&nbsp;</p><p>というわけで、それぞれの写真をここで紹介します。</p><p>&nbsp;</p><p>いずれも写真撮影には現場の特別な許可をとっています。</p><p>巡礼者は廟から離れたチェックポイントの時点で携帯電話の持ち込みすら禁止されているなか、写真撮影や廟内の見学を許していただけたことは奇跡的です。</p><p>&nbsp;</p><p>敬意を払わない者はまず写真撮影は許されていないので、訪問される方は必ずルールを守ってください。さもなければ、ツアー全体で写真撮影が禁止されることになります。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">バグダッド</span></span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/18/kentofukuta/a2/81/j/o0720048014056124736.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/18/kentofukuta/a2/81/j/o0720048014056124736.jpg" width="420"></a></p><p>イラクの首都バグダッド近郊にあるシーア派の聖地です。</p><p>第7代目のイマームであるムーサー・カーズィム（745～799年）が「殉教」した地であり、ムーサーの孫のムハンマド・タキー（811～835年）も同じ地に埋葬されました。そのため、カジミヤ廟は2つの黄金のドームを持つ唯一の廟となりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">サマッラ―</span></span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/18/kentofukuta/5f/b5/j/o3049203314056120138.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/18/kentofukuta/5f/b5/j/o3049203314056120138.jpg" width="420"></a></p><p>シーア派の聖地サマッラ―は、シーア派とスンニ派の対立の最前線となっています。2006年2月22日にアスカリ廟がスンニ派過激派により爆破されて以来、幾度もの破壊を経験してきました。現在ではイラク政府による修復で廟は復活、国内外からのシーア派の巡礼者が跡を絶ちません。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/18/kentofukuta/26/86/j/o2932219914056130336.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/18/kentofukuta/26/86/j/o2932219914056130336.jpg" width="420"></a></p><p>アスカリ廟には、第10代イマームのアリー・ハーディ（828～868年）とその息子で第11代イマームのハサン・アスカリー（846～874年）が眠っています。</p><p>&nbsp;</p><p>あの過激派の攻撃から10年以上が経ったいまでは当時の面影を見ることはできませんが、「アスカリ廟」で検索をかけると当時の生々しい廟の写真をみることができます。平和に感謝です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">カルバラー</span></span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/19/kentofukuta/a9/b5/j/o4523301514056137721.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/19/kentofukuta/a9/b5/j/o4523301514056137721.jpg" width="420"></a></p><p>「シーア派最大の聖地」と一般的に呼ばれているのがカルバラーです。もちろんこれには語弊があり、ムスリムである時点で最大の聖地はメッカであり、第二の聖地はメディナです。この言葉は、あくまでシーア派のみが共有するなかでの最大の聖地という意味になります。</p><p>&nbsp;</p><p>ここカルバラーは、最後の正統カリフかつシーア派にとっての初代イマームであるアリーの次男であるフサイン（626～680年）の殉教地であり、その意味でシーア派が自らの連帯のために最も特別視する場所なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>シーア派住民の暮らす町では必ずといっていいほどみられるのは、「ヤー、フサイン」というスローガンです。シーア派の指導者としてウマイヤ朝軍の犠牲となったフサインへの連帯表明は、シーア派の団結に寄与しているのです。</p><p>&nbsp;</p><p>カルバラーのフサイン廟には博物館が併設されており、ここではシーア派にまつわる様々な展示を見ることができました。霊廟の内部はほかのシーア派聖地と比べても非常に激しい熱気で（泣き叫ぶ人が多数）、非常に心を動かされました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">ナジャフ（と、クーファ）</span></span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/19/kentofukuta/f3/f6/j/o4539302514056144892.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/19/kentofukuta/f3/f6/j/o4539302514056144892.jpg" width="420"></a></p><p>さて、シーア派の聖地の紹介も最後になります。</p><p>最後の正統カリフかつ初代イマームのアリーが眠るカルバラーのアリー廟は、カルバラーのフサイン廟と並びシーア派巡礼者にとって非常に重要な場所です。</p><p>&nbsp;</p><p>アリーは、クーファでの礼拝中に毒を盛られて命を落とし（「殉教」）、支持者らによってナジャフに埋葬されました。そのため、ナジャフに隣接するクーファの訪問も巡礼者にとっては非常に重要なミッションとなっています。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/19/kentofukuta/39/21/j/o4000300014056147475.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/19/kentofukuta/39/21/j/o4000300014056147475.jpg" width="420"></a></p><p>クーファにある「アリーの家」の内部です。ここがアリーが生活していた空間であり、シーア派巡礼者は必ずといっていいほどここを訪れます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕はシーア派ムスリムでもなんでもありませんが、こうして人々の信仰を目のあたりにすると、人生というものについて考えずにはいられませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>このような貴重な機会を提供してくれた観光局の皆さんと聖地の管理者の皆さんには頭が上がりません。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/entry-12322769253.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Oct 2017 19:29:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【イラク紀行】バビロン周辺のメソポタミア文明の遺跡群を回ってみた。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>前回の記事で紹介したバビロンのほかにも、近郊には様々なメソポタミア文明の遺跡が残されています。</p><p>&nbsp;</p><p>今回訪問した遺跡はどれも非常に有名な遺跡ばかりで、終始感動しっぱなしでした。まさに童心に返ったような気分で遺跡を散策しました。</p><p>&nbsp;</p><p>メソポタミアを代表する遺跡の数々をこの目に焼き付ける贅沢を味わえたので、僕は非常に満足です。ブログでは伝わりきらない部分も多々ありますが、今回訪れた遺跡を一挙に紹介します！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">ボルシッパ</span></span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/12/kentofukuta/74/88/j/o4493299514055936755.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/12/kentofukuta/74/88/j/o4493299514055936755.jpg" width="420"></a></p><p>まず紹介するのは、ボルシッパ。ビルス・ニムルドの名でも知られる古代メソポタミアの遺跡で、現在も巨大なジッグラトの跡を見ることができます。</p><p>&nbsp;</p><p>ボルシッパは北東部に位置するバビロンに服属していたため、他の多くのメソポタミアの都市とは異なり、自身の王を輩出することは歴史上一度もありませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>ボルシッパのジッグラトはメソポタミアの古代神の一つであるナブー（知恵と書記の神）に捧げられたもので、その遺構は現在も非常に高い部分まで現存しています。</p><p>&nbsp;</p><p>遺跡で出会ったイラク人の家族は、「罪深い都市だったからこそ、アッラーはこうやって完膚なきまでに破壊したのだ！」と僕に強く訴えかけてきました。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">キシュ</span></span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/13/kentofukuta/e9/7c/j/o4668309314055944055.jpg"><img alt="" height="278" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/13/kentofukuta/e9/7c/j/o4668309314055944055.jpg" width="420"></a></p><p>次に紹介するのは、バビロンの北東部に位置するキシュです。</p><p>キシュはバビロン遺跡の東12kmの地点に位置している遺跡で、伝説によると、メソポタミア最初の王権はこの地で誕生したとされています。</p><p>&nbsp;</p><p>王権誕生の地としてメソポタミアでは一目置かれた都市であったことから、歴代のメソポタミアの王は象徴的に「キシュ王」を名乗るのが慣習となっていました。この事実からもわかる通り、メソポタミア文明の遺跡のなかでも最古級のもので、非常に重要な遺跡のひとつです。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、キシュの発掘調査は国士舘大学の藤井教授の主導で行われたこともあり、近郊には当時の発掘調査隊の建物「藤井ハウス」が残されていました。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">ニップル</span></span></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/13/kentofukuta/45/7c/j/o1419106414055948213.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/13/kentofukuta/45/7c/j/o1419106414055948213.jpg" width="420"></a></p><p>最後に紹介するのは、砂嵐のなか訪れたニップル。ここは、メソポタミアの神々のなかでも最高神に位置づけられるエンリルを祀る宗教都市として栄えてきた町です。そのため、メソポタミアの王朝はこぞってここニップルの覇権をめぐり争ってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>ニップルには現在もそのエンリルの神殿の跡が残っています。頂上部にあるレンガの建物はアメリカの調査隊によって築かれたもので、当時のものではありません。ただ、下にあるレンガの構造物は完全に当時のもので、心躍らされました。</p><p>&nbsp;</p><p>同じツアーにいたアメリカからの参加者は、「イラクではニップルが一番良かった」とツアーの最後に語っていました。僕にとっても、イラク中部の遺跡ではニップルが一番よかったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>もしメソポタミアを巡るツアーに参加される際は、ニップルが入ったツアーを選ぶことを心からオススメします。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/entry-12322697545.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Oct 2017 13:31:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【イラク紀行】メソポタミアの中心地「バビロン」</title>
<description>
<![CDATA[ <p>首都バグダッドから南に約90km。ユーフラテス川流域の都市ヒッラ近郊に、メソポタミアの中心都市として栄えた都市バビロンの遺構が残っています。</p><p>&nbsp;</p><p>いまや、バビロン遺跡はイラクを代表する観光地。イラク政府の主導による観光整備が進んでいます。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/11/kentofukuta/8a/0e/j/o3102196114055890782.jpg"><img alt="" height="266" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/11/kentofukuta/8a/0e/j/o3102196114055890782.jpg" width="420"></a></p><p>バビロンの遺跡</p><p>&nbsp;</p><p>バビロンは、紀元前1894年のバビロン第一王朝の成立以来メソポタミアを代表するとして君臨してきました。のちにアケメネス朝ペルシャによって陥落するまで、古代オリエントの中心といえばここバビロンのことを指していたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなバビロンが生んだ王のなかで最も有名な人物は、新バビロニア王国の第2代国王ネブカドネザル2世（在位：紀元前605年～紀元前562年）でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>彼は、古代オリエントの征服活動を行うなかで、ユダヤ人をメソポタミアに連行し（「バビロン捕囚」）、また、聖地エルサレムにあったユダヤ人の神殿を破壊しました。以来、アケメネス朝ペルシャのキュロス2世がバビロンを解放するまでユダヤ人は故郷への帰還を許されず、メソポタミアに留め置かれることとなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>メソポタミアに事実上「幽閉」されたユダヤ人たちが目撃したのは、ネブカドネザル2世が進めるバビロンの急速な都市開発でした。バビロンには、ネブカドネザル2世の大宮殿や空中庭園、巨大なジッグラトが築かれ、これらの巨大な建造物は彼らを圧倒したのです。</p><p>&nbsp;</p><p>この都市開発の様子を目撃したユダヤ人らが描いたのが、旧約聖書の「バベルの塔」でした。ユダヤ人たちは、未完に終わったバビロンの巨大ジッグラトの建設プロジェクトを題材に、人間の終わりなき強欲を見事なまでに描写しました。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/12/kentofukuta/db/70/j/o4255283614055926967.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171025/12/kentofukuta/db/70/j/o4255283614055926967.jpg" width="420"></a></p><p>現在も、その「バベルの塔」の跡はバビロン遺跡のなかにきちんと残っています。周辺には水がたまっているので、土台の大きさがより強調されています。ここがかつて巨大なジッグラトの建設を目指していた場所であることは、この目で実際に見るとよくわかります。</p><p>&nbsp;</p><p>バビロンは現在では聖書の影響もあって退廃の象徴となっています。しかし、メソポタミア文明のみならず世界の文明に影響を与えてきたことはもはや間違いなく、その意味でもバビロンの存在意義というのは世界史上非常に大きかったといえます。こうして実際にバビロンに足を運ぶことができたことに心から満足しています。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/entry-12322672418.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Oct 2017 11:54:58 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【イラク紀行】いざ、メソポタミア。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>高校生のときに世界史にハマって以来、海外旅行が趣味になってしまった自分。そんな自分にとって、諸文明の原点とされるメソポタミアの大地をこの足で踏むことはまさに悲願でした。</p><p>&nbsp;</p><p>とはいえ、メソポタミアといえば今のイラク南東部にあたる地域であり、行くには非常に厳しいハードルがあるのは間違いありません。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそもイラクは2017年10月現在、クルディスタン地域を除くすべての地域にビザが必要となっています。しかも、ビザは個人旅行ではまず許可が下りません。まず、下りたとしても僕に払える旅行代金ではなくなるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>そういった事情もあり、今回はイギリスの旅行会社のツアーに参加してイラクを訪問することにしました。</p><p>&nbsp;</p><p>アラブ首長国連邦の都市ドバイを経由して首都のバグダッドに向かいます。</p><p>&nbsp;</p><p>（UAEの記事はまた更新しますね！）</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171024/19/kentofukuta/81/97/j/o2880192014055511480.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171024/19/kentofukuta/81/97/j/o2880192014055511480.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>格安航空のフライドバイを利用してしまったこともあり、飛行機はかなり遅延してバグダッドに降り立ちました。</p><p>&nbsp;</p><p>イラクビザは空港のアライバルビザのコーナーで取得（事前許可制、82ドル）。正直、ビザなしで飛行機に乗れるか不安でしたが、旅行会社からのドキュメントのおかげで簡単に搭乗できました。</p><p>&nbsp;</p><p>初めてのバグダッド訪問。正直、緊張より喜びのほうが上回りました。</p><p>これからイラクを満喫できるのだと思うと、もう嬉しくてたまりませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171024/19/kentofukuta/54/29/j/o5472364814055520943.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171024/19/kentofukuta/54/29/j/o5472364814055520943.jpg" width="420"></a></p><p>市内ではバグダッドホテルに宿泊しました。ホテルからは大河チグリス川を眺めることができます。</p><p>&nbsp;</p><p>念願のイラク訪問。次回からは、いよいよイラクのメソポタミア文明の遺跡を紹介していこうと思います！</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kentofukuta/entry-12322493377.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Oct 2017 19:52:20 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
