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<title>キルケゴール日記</title>
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<title>キルケゴールを読む</title>
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<![CDATA[ <p>これから、キルケゴールでも読んでみようかな、と思っている人。</p><p>&nbsp;</p><p>日本でキルケゴールを読むのはけっこうむずかしいです。</p><p>なんといっても、本が手に入りにくい。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜならば、読む人が少なくて、本が売れないから、出版してくれる出版社がないからです。</p><p>&nbsp;</p><p>戦後キルケゴール全集の出版を手掛けていた筑摩書房が、１９７８年会社更生法の適用を申請してからは、</p><p>「キルケゴール全集を企画すると倒産する」ということまでささやかれました。</p><p>&nbsp;</p><p>たしかに、けっこうな覚悟が必要です。</p><p>&nbsp;</p><p>日本でこれまで、出版されたキルケゴール全集、著作集のたぐいは、以下のようになっています。</p><p>&nbsp;</p><p>キェルケゴール選集（全３巻）　戦前のものですが、翻訳がひどくて「読んでもよくわからない難しい思想家」という印象を宣伝してしまいました。この後、あるていど年齢の上の方は「キルケゴールというと難しくて何をいっているのかさっぱりわからないらしい」という印象を持つようになってしまいましたので、会話や文章の中で「キルケゴール」という名まえがでてくると、拒否反応をしめすようになってしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴール全集　枡田啓三郎訳　これが、戦後筑摩書房が出そうとした個人訳全集です。「死にいたる病」「反復」「おそれとおののき」ほか、本名で書いた「教化的講話」もたくさんあり、すぐれたものでもあります。底本はデンマーク語全集第2版。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴール著作集　いろいろな哲学者、思想家、著作者の著作集をがんばって出してきた白水社が出版。「あれかこれか」からはじまって、仮名で出版したひととおりは含まれています。最終２０巻２１巻にコペンハーゲン大学の卒業論文「イロニーの概念について」が含まれているのは、すばらしい。ただし、底本はバラバラで、デンマーク語全集のものもあれば、シュレンプフ、ヒルシュなどによるドイツ語訳もあったりです。</p><p>&nbsp;</p><p>キェルケゴール著作全集　京都大学の大谷長先生とそのお弟子たちによる翻訳。底本はデンマーク語全集第3版。著作全集となっているとおり、キルケゴールの出版した著作はすべて含まれていると思います。創言社という出版社が出版していますが、倒産覚悟だったわけではないと思います。ほとんど、大谷先生が私財を投げうったのではないかと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴール講話遺稿集　飯島宗亮監訳　キリスト教講話と、出版準備までしてじっさいには、出版されなかった原稿を集めたものです。原典はやっぱり、デンマーク語第3版だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>いじょう、いずれも、現在では品切れか絶版状態になっており、本屋さんやアマゾンで新刊は手に入りません。</p><p>古本で買うことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが、古本がまた安い。</p><p>&nbsp;</p><p>売れないからです。</p><p>&nbsp;</p><p>「キルケゴール講話遺稿集」が、全巻で1万7千円だったのを見て、涙ぐんだことがあります。</p><p>なので、アマゾンなんかに出品している古書店で手に入るかもしれませんね。</p><p>&nbsp;</p><p>どういう著作が手に入りやすいか、どれを買えばよいかは、また、おいおい書いていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、ひとつ付け加えておくと、なぜかキルケゴールに関しては、岩波文庫で出版されているものについては、</p><p>あんまりお勧めしません。</p><p>&nbsp;</p><p>とくに「死に至る病」と「不安の概念」。</p><p>いずれもヒルシュ版のドイツ語からの重訳です。</p><p>&nbsp;</p><p>日本で最初のキルケゴールの理解者のひとり、内村鑑三のお弟子だった岩波の文庫が、</p><p>どうして、この2冊については、ドイツ語からの重訳にあまんずるのか、よくわかりません。</p><p>&nbsp;</p><p>いずれも、他の文庫が出版しているデンマーク語原典訳が手に入りますので。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kierke777/entry-12610524431.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Jul 2020 15:45:06 +0900</pubDate>
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<title>キルケゴールの生涯</title>
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<![CDATA[ <p>セーレン・オービュエ・キルケゴールは、</p><div>1813年5月5日デンマークのコペンハーゲンで生まれました。</div><div>お父さんの名前はミカエル・ペーダーセン、お母さんの名前はアンネ・スダッター・ルン</div><div>男女いろいろ、7人兄弟の末っ子でした。</div><div>&nbsp;</div><div>お父さん57才、お母さん45才の時の子です。</div><div>&nbsp;</div><div>お父さんのミカエルは、ユラン半島西部の農家に生まれ、12才になるまで貧しい牧童でしたが、</div><div>毛織物商人をしていたおじさんに呼び寄せられるかたちでコペンハーゲンにわたり、</div><div>10年余り一生懸命働いて、24才で独立すると、たちまち成功して、一代で財を築きました。</div><div>そして、40才くらいの時には、もう引退していたようです。</div><div>&nbsp;</div><div>お父さんは厳格なキリスト者で、年寄り子であったキルケゴールは、十字架のイエスという子どもらしくない救い主の姿を、</div><div>小さい頃から徹底的に意識させられて大きくなった、と、のちに自分でいっています。</div><div>&nbsp;</div><div>1830年コペンハーゲン大学神学部に入学。</div><div>大学時代は、神学の勉強をしながらも、文学や哲学にも興味を持ち、</div><div>学内の新聞に寄稿したりもしています。</div><div>&nbsp;</div><div>牧師になるための国家試験を受ける準備をしながら、</div><div>『イロニーの概念についてーたえずソクラテスをかえりみつつ』という学位論文を書いて、</div><div>哲学部に提出。マギステル（日本でいえば文学博士）の学位をもらうのは、1841年です。</div><div>&nbsp;</div><div>この間に、お父さんは死去（1838年）。</div><div>兄ひとり、姉ふたりも亡くなり、大学に入る前に亡くなった、兄ひとり姉ひとりを含めると、</div><div>7人兄弟のうち、5人が死に、お父さんの後を継いでいた長男のペーターとキルケゴールだけが生き残りました。</div><div>&nbsp;</div><div>そんなことがあったので、キルケゴール自身も、自分は34歳まで生きないと考えていたと、いわれています。</div><div>&nbsp;</div><div>また、24歳のとき、10歳年下とのレギーネ・オルセンという少女と知り合い、好きになって、</div><div>3年後プロポーズ、すぐに後悔して婚約をいっぽうてきに破棄してしまいます。</div><div>&nbsp;</div><div>この話はすぐにコペンハーゲンの社交界で話題になり、</div><div>「なんでだ？なんでだ？」となりました。</div><div>&nbsp;</div><div>1842年、婚約が最終的に断ち切られた翌年、「あれか、これか」という本を脱稿、自費出版しましたが、</div><div>その中に「誘惑者の日記」と題された文章が書かれていたため、</div><div>「この中に秘密が隠されているに違いない」というわけで、</div><div>この「あれか、これか」だけは、売れに売れました。</div><div>&nbsp;</div><div>その後も、雑誌や新聞にときどき、文章を書いたり、本を自費出版したりしていました。</div><div>牧師になる資格も持っていたのですが、牧師にはならず、</div><div>お父さんの遺産でだらだらと生活していました。</div><div>&nbsp;</div><div>1843年から44年、「おそれとおののき」「反復」「不安の概念」「哲学的断片」など重要な著作を書いては、</div><div>すべてに自費で出版。（このあたり、みんな、仮名が使われています）</div><div>&nbsp;</div><div>同時に、本名で、キリスト教講話といわれる、読む説教みたいな信仰講話を書いては出版しました。</div><div>&nbsp;</div><div>1845年ごろから、「祖国」という新聞に寄稿し始め、そのあたりが原因で、</div><div>「コルサル」というスキャンダル誌に、さんざん漫画入り嘲笑記事を載せられて、</div><div>1847年ごろにかけて、コペンハーゲン中の笑いものにされてしまいます。</div><div>いじめ事件という感じです。</div><div>&nbsp;</div><div>1849年「死にいたる病」、翌年「キリスト教の修練」という2著を、アンチ・クリマクスという仮名で出版。</div><div>1850年代にはいると、次第に既存のキリスト教会に対する批判が強くなり、</div><div>54-55年あたりは、ぜんぜん礼拝には行かず、日曜日になると自分で作った教会攻撃のビラをもって、</div><div>教会の前で信者に配るという、破壊活動を展開するうちに、</div><div>お金も無くなり、病気にもなって、</div><div>路上に昏倒してしまい、</div><div>最後には、たったひとりの友だちにだけみとられて、死んでしまいました。</div><div>&nbsp;</div><div>以上のようなことが、ざっとした、キルケゴールの生涯です。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/kierke777/entry-12606121398.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Jun 2020 19:39:16 +0900</pubDate>
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<title>キルケゴールの時代</title>
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<![CDATA[ <p>セーレン・オービュエ・キルケゴールは、１８１３年、デンマークのコペンハーゲンに生まれ、１８５５年に死にました。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ年に生まれた人でいえば、音楽家のリヒャルト・ワーグナーがいます。</p><p>キルケゴールと共に２０世紀の哲学、思想界に影響を与えた人に、ニーチェがいますが、</p><p>ニーチェはワーグナーの年下の友だち。</p><p>&nbsp;</p><p>また、ワーグナーは、哲学者のショーペンハウエルの影響を受けています。</p><p>&nbsp;</p><p>ショーペンハウエルと同じ時代にベルリン大学の哲学の先生だったのは、かのヘーゲルです。</p><p>若いショーペンハウエルはヘーゲル先生に対抗意識を燃やして、</p><p>わざとヘーゲル教授の講義の時間に自分の講義を開いていたそうですが、</p><p>もちろん、学生はちょろちょろしか集まりませんでした、という、逸話が残っています。</p><p>&nbsp;</p><p>また、ヘーゲルの弟子、フォイエルバッハは、キルケゴールよりも５歳年長（１８０８年生まれ）。</p><p>フォイエルバッハの影響から唯物弁証法を提唱したカール・マルクスは、５歳年少（１８１８年生）ですから、</p><p>このあたりの時代状況がよくわかるというものです。</p><p>&nbsp;</p><p>１７８９年のフランス革命の後の混乱を収拾したナポレオンが独裁国家を樹立させ、</p><p>ヨーロッパ中に影響を及ぼしながら侵攻を開始して行きました。</p><p>&nbsp;</p><p>これがヘーゲルにとっては、矛盾が媒介されて弁証法が発展していく過程と映りました。</p><p>ベートーベンも、ナポレオンこそが、自由をヨーロッパにもたらす英雄と期待して第３交響曲を書き、</p><p>しかし、ナポレオンの皇帝即位（１８０４）のとき、失望してこの楽譜にペンを突き刺したといわれています。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴールが活躍したのは、ナポレオン戦争のあと、まだヘーゲルの影響が濃く残っているころです。</p><p>デンマークはフランスと同盟関係にあったので、ナポレオンの敗北はデンマークの敗北でもありました。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが、この戦争のあと、１９世紀の中頃、デンマークは空前の文化的黄金時代を迎えるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>童話作家のアンデルセン（１８０５－１８７５）</p><p>ホルケルイスコーレの教育理念を創始し、デンマーク国教会の信仰復興運動に貢献したグルントヴィ（１７８３－１８７２）など、</p><p>デンマークの人でちょっと有名な人物の多くは、キルケゴールと同時代人です。</p><p>&nbsp;</p><p>じっさいにキルケゴールが著作を執筆したのは、</p><p>１８４３年ごろから１８５０年ごろまでですから、じつに１０年に満たない期間だったといえます。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴールが感じていたこの時代の空気感については、「現代の批判」という著書を一読するよう、おすすめします。</p><p>っていうか、後でまた書きますが、この「現代の批判」という本は、これからキルケゴールを読んでみようかなという人にとっては、</p><p>必読書であり、入門書です。</p><p>&nbsp;</p><p>あと、ハイデガーやバルトなど、キルケゴールの影響を受けた２０世紀の哲学や神学の巨人たちがドイツ語圏に現れたのは、</p><p>１９２０年前後、第一次大戦のあと、ヨーロッパががれきの山になった時代でした。</p><p>そういう意味では、デンマークがナポレオン戦争で荒廃した後、キルケゴールの思想が誕生したのも、</p><p>なんか、似ているかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、ハイデガーが「存在と時間」で、バルトが「ロマ書講解」で彗星のごとく現れたのと比べると、</p><p>キルケゴールの登場はしょぼいものでした。</p><p>ほとんどのキルケゴールの著作は、１冊も売れませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>ようやく読まれるようになったのは、没後、何十年か経ってからです。</p><p>そういう意味ではキルケゴールはやはり、ニーチェ同様「あさっての著作者」で、</p><p>万人のための、だれのためでもない本を書いたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kierke777/entry-12604635579.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Jun 2020 15:46:45 +0900</pubDate>
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<title>だれが書いたの？</title>
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<![CDATA[ <p>キルケゴール本体について、きょうから書きはじめなければならないのですが、</p><p>その前にもう１回、名まえの話です。</p><p>&nbsp;</p><p>ボクがキルケゴールの本を最初に手に取ったのは、</p><p>「哲学的断片」とか、「不安の概念」とか、「死にいたる病」だったような気がするのですが、</p><p>&nbsp;</p><p>それらの本を開いてみると、表紙にはたしかに「キルケゴール著」みたいなことが書いてあるのに、</p><p>中の扉には「哲学的断片　ヨハンネス・クリマクス著」とか、</p><p>「不安の概念　ウィギリウス・ハウフニエンシス著」とか書いてあるのです。</p><p>「死にいたる病」にいたっては、「アンティ・クリマクス著　S・キルケゴール刊行」と書いてあるではないですか！</p><p>&nbsp;</p><p>ボクはそれを見て、てっきり、「キルケゴールというのは、ひとりの著作者ではなくて、</p><p>ヨハンネス・クリマクスとか、ウィギリウス・ハウフニエンシスとか、アンティ・クリマクスとか、</p><p>複数の人の著作を、キルケゴールという人がまとめて刊行したのかしらん。</p><p>それで、それらの人たちの思想を、「キルケゴールの思想」と、便宜上いっているのにちがいない」と思ったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>だけど、表紙にはでかでかと「キルケゴール著作集」と書いてあるし。</p><p>？？？？</p><p>&nbsp;</p><p>じつは、ボクはすっかりキルケゴールにだまされていたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>あとになって、キルケゴールは、さまざまな著作を、いろいろな仮名（ペンネーム）を使って書いたということがわかったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ほかにもニコラウス・ノタベネ、ヨハネス・デシレンシオ、コンスタンティン・コンスタンティウスといった、</p><p>人を食ったような仮名があって、ほとんど著書ごとに名前が違うのです。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴール的には、これらのペンネームの人物には、それぞれに、しっかりした性格があって、</p><p>キルケゴールはそういう人物になり切って、それぞれの本を書いていたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ほかに、本名で書いた著作もあります。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、日本では、あまり読まれていない場合がおおいです。</p><p>&nbsp;</p><p>なので、これから、キルケゴールの本でも読もうかな、と思っている人は、気を付けた方がいいです。</p><p>ダマされないように。</p><p>これ、ぜんぶキルケゴール本人が書いたものですっ</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kierke777/entry-12604418860.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Jun 2020 17:31:56 +0900</pubDate>
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<title>キルケゴールか？キェルケゴールか？</title>
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<![CDATA[ 前回、キルケゴールを紹介しようとしてその肩書きのところでつまずいてしまい、<div>結局「キルケゴールはキルケゴールだ」というしかなかったのですが、</div><div><br></div><div>今回からキルケゴール本体を扱っていきたいと思います、といいたいところですが、</div><div><br></div><div>本体に入る前に、キルケゴールという名前について、ていうか、表記について、ふれておきたいと思います。</div><div><br></div><div>キルケゴールといっても、世界中どこへ行っても、通じません。</div><div>本国デンマークでは「キヤケゴーオ」ぐらいの発音でいうのだそうです。🇩🇰</div><div><br></div><div>ドイツ語読みすると、「キーヤケガード」ぐらいになるのかしらん。</div><div><br></div><div>キルケゴールというのはたぶん、日本独特の呼び名です。反対に日本では「キルケゴール」もしくは「キェルケゴール」といわないとだれのことだかわかりません。</div><div><br></div><div>（ちなみにキルケゴールと同時代デンマークの童話作家、アンデルセンは、世界的に有名な人ですが、本国デンマーク🇩🇰では、「アナーセン」といわないと通じません。ドイツ語読みすると「アンデルゼン」英語では「アンダースン」。「アンデルセン」というのは、いったい何語か？もちろん日本語）</div><div><br></div><div>ところで日本では、「キルケゴール」と表記している本と、「キェルケゴール」としている本とあります。</div><div><br></div><div>どうやら、関東では「キルケゴール」関西では「キェルケゴール」という表記がおおいようです。</div><div><br></div><div>これは、東京大学の桝田啓三郎という研究者が「キルケゴール」、京都大学の大谷長という研究者が「キェルケゴール」と表記していたからです。</div><div>大手出版社は圧倒的に関東に多いので、「キルケゴール」という表記が多くなります。</div><div><br></div><div>ただ、なんと書いてあっても、ある程度年配のひとは、「ケルケゴール」と読む人が多いみたい。</div><div><br></div><div>ボクははじめ関西で勉強しましたが、表記も読み方も昔から「キルケゴール」で通しています。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/kierke777/entry-12604059012.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Jun 2020 06:22:00 +0900</pubDate>
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<title>キルケゴールは、キルケゴールである</title>
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<![CDATA[ <p>このブログでは、１９世紀デンマークのセーレン・オービュエ・キルケゴールについて、</p><p>紹介、解説、勉強の仕方、研究を書いていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>まずは、キルケゴールについて。</p><p>&nbsp;</p><p>といいたいところですが、いろいろと難問があります。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴールは「哲学者」と紹介されることが多く、また、キルケゴールのことを「なんか、難しい哲学者」と考えている人も多いと思いますが、じつは、キルケゴールを哲学者といえるかどうか、微妙なところなのです。</p><p>少なくとも、カント、ヘーゲル、ショーペンハウエルのような、いわゆるドイツ観念論の哲学者のように、どこかの大学の哲学の先生をやった人ではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>終生、ソクラテスをものすごく尊敬していた人で、大学の卒業論文（ていうかこんにちの日本でいえば立派な博士論文）も、ソクラテスを題材に書きました。</p><p><br></p><p>でも、キルケゴールを哲学者と呼ぶのは、ちょっと無理があるように思います。</p><p>多くの哲学者のひとが、キルケゴールの本を読んでいますが、</p><p>じつは、そこに、キルケゴールのわかりにくさがあるのではないかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴールは哲学者ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえば、「人間はみんな哲学者」というような意味でなら、キルケゴールのことも「哲学者」といえないことはないのかもしれません。</p><p>でも、そういう意味でいうと、キルケゴールをさして「哲学者」というのは、むしろ、キルケゴールのスケールの大きさをだいなしにしてしまいかねません。</p><p>&nbsp;</p><p>もういっかい、いいますが、キルケゴールは哲学者ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>人名辞典なんかを引きますと、キルケゴールは「キリスト教思想家」と紹介されていることもあります。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴールはひとりのキリスト者です。</p><p>キリスト者として、キリスト教に、真のキリスト教を導入しようとした人です。</p><p>&nbsp;</p><p>そういう意味で「（キリスト教）神学者」と考える人もいます。</p><p>しかし、これも、どうかと思います。</p><p>神学というのは、「神論」「救済論」「キリスト論」というような分野があって、それぞれに対して、神学的に思考し、</p><p>さらに、体系的に論じつつ、キリスト教宣教に寄与する分野の学問です。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、キルケゴールはそんなことをした人ではありません。</p><p>ですからキルケゴールは神学者でもない、ともいわなければなりません。</p><p>&nbsp;</p><p>フォイエルバッハという人は、「おれは、哲学者ではない、フォイエルバッハだ」といっていたそうですが、</p><p>たぶん、キルケゴールも、「キルケゴールは、キルケゴールだ」というのが、いちばんいいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>キルケゴールについて、紹介するつもりが、ほとんど紹介にならなくなってしまいました。</p><p>次回、何とかしたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kierke777/entry-12603941666.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Jun 2020 17:22:48 +0900</pubDate>
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