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<title>ボーダーラインの人の呟き。</title>
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<description>精神疾患(確定)と発達障害(疑惑)の境界線を踏み外しながら歩く人の日記。惰性で余生を過ごしている、どこにでもいる人の話をぽつぽつと書く予定。</description>
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<title>風呂の話。</title>
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<![CDATA[ 風呂は好きだ。温泉に行くのも好きだし、家でも携帯やら本やらを持ち込んで2時間くらい浸かっている時もある。風呂で寝そうになり、本を水没させた事も数知れず。ついでに自分も水没させそうになり何度も噎せたことがある。風呂の中での眠気は意識消失だと聞いたことがあるので、最近は眠気を感じたらすぐに出るようにしている。風呂場での孤独死は出来れば避けたいのだ。<br><br>しかし、いつも好きかと聞かれたらそうではない。今日も実に2日ぶりにシャワーを浴びた。浴びてしまえばすっきりするし、入ってよかったと思うのだが、そこに行き着くまでが長いのだ。どうせ外に出ないのにそんな苦労をしてまで身綺麗にしてどうする。そもそも外に出ていないのに何故風呂に入る必要がある。風呂に入ったら外に出られるようになってしまう。<br><br>そう、外に出られるようになってしまうのが怖いのだ。<br><br>引きこもり末期だった学生時代は、4日ほど風呂に入らないのはざらだった。親に「そろそろシャワー浴びたら？」と聞かれれば「いや、大丈夫。明日入る」と答えていた。勿論入ることの方が稀だった。<br>その頃の自分は外に出なくていい理由を作ることに必死だった。その中でも手軽に使えたのが「風呂に入ってないから行けない」だったのだ。<br><br>ただでさえ醜い自分が不潔なまま外に出るなど言語道断。だから外には出なくて良い。むしろ出ない方が良い。そう言い訳する為だった。<br><br>大人になってから「風呂に入れなくなるのは精神のバランスが崩れているサイン」というのを知った。なるほど、確かにそうだと思った。風呂に入るのは体力がいるし、第一人と会わないのだから多少不潔でも良いだろうと思ってしまう。最後のラインとして、その状態で外出はしていなかったのは救いか。今でも流石にシャワーを浴びなかったら外出はしない。<br>訂正しよう。ゴミ出しや自販機で飲み物を買うくらいはする。実家暮らしの時は自販機なんて徒歩圏内になかったし、ゴミ出しは親が通勤途中にするので全く無縁だった。本当に外に出なかった。<br><br>今でも、外に出られるようになってしまうのは怖い。出来るなら家にずっといたい。ステイホームが叫ばれる昨今なら許される気もするが、ただの工場勤務者にテレワーク等という概念はない。外に出られるようにして、毎日出勤する。なんて残酷な話なのだろう。あーあ。嘆いたが、未だに出勤は出来ていない。<br><br>明日こそ、外に出よう。外に出られるようになったのだから。言い聞かせながらドライヤーを当てる髪は、少しだけ白髪が増えていた。
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<pubDate>Tue, 22 Dec 2020 19:46:06 +0900</pubDate>
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<title>冬の話。</title>
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<![CDATA[ 枯葉の掃除をした。自分が住んでいるアパートは周りに落葉樹があるため、風に乗って秋の死骸がベランダに振り積もっていく。玄関の方は共有スペースということで、時々清掃の人が入ってくれるようだ。ついでにベランダもやって欲しいが、この汚部屋に人を入れるのは申し訳がない。虫の家になるかもしれないと、せっせと今までサボっていた分も小さなホウキとチリトリで集めていく。そうして、中サイズの袋二つ分の枯葉がベランダから撤去された。<br><br>枯葉を見ていると、小学生の頃に参加した焼き芋の会を思い出す。焼き芋が食べられるよと誰かに誘われたのか、経緯は全く覚えていないのだが、田んぼの中で穴を掘り、そこに枯葉や新聞紙を入れて火をつけたのは覚えている。まだ焼けない？もう食べられる？と何度も訊ねる子どもたちに、大人たちは笑いながらもう少しだよと繰り返した。その内に、石焼き芋屋が通りがかった。待ちきれなくなった子どもたちは、もうあっちから買おうよ！等と今考えたらその状況でよくも言えたなという台詞をのたまっていた。そうして、随分と辛抱して食べた焼き芋は、大して美味しくはなかった。火加減なのか、はたまた甘くない芋に当たってしまったのか。ひどくがっかりしながらもそもその焼き芋を平らげた。<br><br>芋繋がりで、もうひとつ。自分の好物の中に干し芋がある。あの素朴な甘さと噛みごたえが、ふと懐かしくなって時々買い求めるが、いまいちしっくり来ない。そして思い出すのが、今は亡き祖父との思い出だ。<br><br>祖父母は実家の近くに住んでいた。いや、同じ敷地内の別宅に住んでいた。両親が若い頃は、まだ二世帯住宅という概念は薄かったのだろう。また、あまり母と祖母は反りが合わなかったようで、きっと母を逃がす為でもあったのではないかと今では思う。仲が良くなかったというのは自分が大人になった時に聞いたので凄く驚いたものだ。<br><br>閑話休題。そんな近さに住んでいた為、小学生の頃は両親が仕事から帰ってくるまでは祖父母の家で過ごしていた。ただいまと声をかけるのは祖父母の家であった。<br>冬の夕方、祖父のお気に入りだった水戸黄門の再放送を一緒に見ながらこたつにあたっていると、晩酌を始めた祖父は石油ストーブの上で干し芋を温め始める。全体が温まり、焦げもついた焼きたてを「熱いよ」と言いながら渡してくれる。熱いと注意されたのにも関わらず、勢いよく口に入れては火傷をしていた。焼くと香ばしさと甘さが増して、噛みごたえも強くなる。もしゃもしゃとそれを食べながら、お茶を飲み、印籠が出てくるのを見守った。<br>おしゃべりな人ではなかったが、酒の肴を分けてくれたり、常にポカリスエットの缶を買い置きしてくれていて、学校から帰ればキンキンに冷えたものを出してくれた。スポーツ万能で、その頃は外で遊ぶのが好きだった自分に付き合って、テニスやバドミントン、キャッチボールもしてくれた。健康だとばかり思っていたが、冬のある日、庭先で冷たくなって倒れているのを母が見つけた。恐らく動脈瘤が破裂しての即死だったと医師は言っていた。<br><br>祖父が死に、祖母の認知症が進んだことで、祖父母宅の石油ストーブは撤去された。アパートは石油ストーブが禁止されていた。実家は最初からエアコンがついていたので、石油ストーブは置かれていなかった。<br><br>時々、熱燗の匂いと、石油ストーブの熱。祖父のお気に入りだった整髪料と、あの熱々の干し芋が懐かしくなる。けれど、二度と同じものは手に入らない。鮮明に思い出せるこの干し芋の味は、きっと美化された美味しさなのだろう。それでも良いかと思う。例え本物だとしても、今世でもう一度味わうことは出来ないのだから。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kihz/entry-12645120573.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Dec 2020 13:06:18 +0900</pubDate>
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<title>金欠の話。</title>
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<![CDATA[ 金がない。まぁ気持ちのいい程金がない。自分でも何故と思うくらいに金遣いが荒い。宵越しの金は持たないとばかりにどんどん経済を回してしまう。あえて見栄えの良さそうな言い方をしたが、安物買いの銭失いタイプな上に、回しているのは主にオタクコンテンツと食品である。<br><br>小さい頃から豪快に金を使う子どもだった。お小遣いをもらえばそれを握りしめ近くの文房具店に行ってはキラキラしたシールや匂い付きの消しゴムを買ってその日の内に使い果たしていた。それは今でも続き、給料日以外は常に金欠といった有様だ。よく「貯金全然してないよー」と言っている友人がいるが、よく聞くと定期預金もしており、年金型貯金のようなものもしているらしい。立派に貯金があるではないか！とつい突っ込んでしまったのは許して欲しい。こちらは本当の本当に貯金がないのだ。残金数十円の口座を何度見たことか。<br><br>そもそも何にこんなに使っているんだろう。と首を捻る振りをしているが、前述した通りだ。オタクコンテンツに湯水のようにない金をつぎ込み、金がないことや職場やSNSでのストレスを理由に外食やご褒美スイーツを買ったりしている。薄給な上にそんな使い方をしていたらあっという間に金はなくなる。例に漏れず、立派なリボ払い地獄の住人である。学生の時に憧れのクレジットカードを作ったまでは良かったが、無知ゆえにあれよあれよと借金は膨れ上がっている。今となっては地獄だと分かっているのに現金がないからカードを使うという、正にどこに出しても恥ずかしくない立派なクズである。<br><br>自炊をすればいい、課金をしなければいい、もっと稼げる仕事に就けばいい。至極もっともであり、重々承知している。だが、やめられない。いや、課金に関してはランキング形式のソーシャルゲームから距離を置き、トレーディング商品に関しては必ず箱買いをしている友人から自分の好きなキャラだけ買取をさせてもらったりと、少しずつ離れてはきている。完全に縁が切れていないのはひとえにこの為に生きているからである。<br><br>誇張ではなく、自分はオタクコンテンツに生かされた。高校時代、なんとなくで始まった引きこもり生活で、深夜に偶然見たアニメに激しい衝撃を受けた。これをもっと見たい。来週が待ち遠しい。久しく感じなかった「明日も生きていなければ」という思いを抱けたのだ。<br>あのアニメがDVDになる。グッズも出る。欲しい。しかし限界集落に近しい我が家の周辺にそういった物を売っている店はない。恥ずかしながら、当時通販サイトというものには疎く、直接買いに行くしかないと、平日に真っ青な顔で切符を買って電車を乗り継ぎアニメショップまで足を運んだ。手に取った時の高揚感は、今でも鮮明に思い出せる。<br><br>それ以来、両親がいなくても外出が出来るようになった。買い物にも行けるようになった。電車に乗れるようになった。アニメショップのある場所が学校のあるところだったので、「買い物に行くついでだから」と言い聞かせて学校に行けるようになった。自分にとって、正に救いの神だったのだ。<br><br>だからといって、ここまで金を使うのは我ながら頭がおかしいと思う。リボ払い地獄に陥ってまでそれが欲しかったのか。そもそも何故リボ払いの設定をしていたのか。今でも甘んじているんじゃない。限度額が上がるのは罠だぞ。頭の中では日々罵詈雑言の嵐が巻き起こっている。<br><br>けれど、欲しいのだ。金を使うのはこれ以上ない快感だ。ちょっと欲しい。ちょっと食べたい。クレジットカードがあればなんでも叶う。馬鹿め馬鹿めと正論で止めようとする自分をラリアットで黙らせて、決済完了した瞬間の興奮は、ソーシャルゲームでやっと欲しいキャラがガチャで出た時に酷似している。金を使う快感に、欲しいものを手に入れた快感。小一時間程その興奮を楽しんだ後、領収書を見て頭を抱える。またやってしまったと。買い物依存性とはげに恐ろしいものだ。<br><br>更に自分でも意味が分からない癖に「金があると不安になって使ってしまう」というものがある。金があるならリボ払いの繰り上げ返済をしたり、貯金に回したりすればいいものを、しょうもないものを買って消費してしまう。そして残金の不安が出てくると「やっといつも通りだ」と安心する。<br>一体これはどういうことなのだろうか。自分でも意味が分からないし、周りに話しても「何を訳分からんことを」と言われて終わる。金があってもパニックになり、なくてもパニックになる。これはいつか直るのだろうか。いや、直さないと明日の米も買えないというのに。<br><br>どうするべきなのか、どうしたらいいのだろうか。答えは分かっているくせに悩む振りをして、今日もクレジットカードで宅配ピザを食べる。その、何重にも罪にまみれた味は、世界のどんなものより美味しい。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kihz/entry-12645000455.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Dec 2020 20:22:24 +0900</pubDate>
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<title>食欲の話。</title>
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<![CDATA[ 平素の自分はよく食べよく飲む。例え夏バテになろうとも風邪を引こうともインフルエンザになろうとも、果ては胃腸炎で苦しんでいても食事は欠かさなかった。食べなきゃ治らんとばかりに消化がいいものをパクパク食べた。好きな物はよく煮込んだうどんだ。いくらでも食べられた。<br><br>それが、食べられなくなったのが精神障害を患ってからだ。いや、食べられなくなったというより、「食べなくても大丈夫な自分に気が付いた」というべきかもしれない。勿論食欲はあるし、育ち盛りか？といった量を食べては腹痛でトイレに籠ることも珍しくない。そうにも関わらず、突然食べなくなる時がある。<br><br>食べない代わりに自分は寝る。これは前の日記にも書いた。寝続けられるところまで寝る。寝て、寝て、寝ることに飽きたらようやく起きる。<br><br>起きて、水を飲んで、さぁご飯。と、なっても大抵何もない。悲しいかな、まめではない人間の一人暮らしの冷蔵庫なんて、干からびた野菜だったものと調味料くらいしかない。米を炊く気力もなければ、頼みの綱の冷凍食パンもない。ため息をついて、さてどうするかとまた水を飲む。<br><br>そのまままた寝ることもある。あるいは、紅茶やコーヒーで誤魔化すこともある。気分が上がっている時はお吸い物の素を飲む。そうして、「固形物を食べなくてもなんとかなるものなんだな」と思う。<br><br>それなりに生きてきたから、これが体にめちゃくちゃに悪いことは知っている。一日何も食べない次の日に回転寿司でラーメンに寿司に暴飲暴食したらそりゃ内臓もびっくりするだろう。<br><br>こんな大人になってるなんて、子どもの頃は全く思ってなかった。そもそも、食事に対してこんなにこざっぱりした気持ちを持つだなんて思っていなかった。<br><br>ご飯を食べることは幸せなことだ。死ぬまで変わらない信念である。ただ、食べられるから幸せなのか、幸せになるために食べるのか。この境界が曖昧になってきた。もっと無邪気に毎食ご飯を食べたい。調味料が「なら自分を使うような料理を作れ」と訴えかけてくるが、聞こえないふりをして冷蔵庫から離れる。そうして、一瞬の幸せを買うために、私は人間の形を取り戻して、コンビニへと向かうのだった。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kihz/entry-12644825221.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Dec 2020 22:00:38 +0900</pubDate>
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<title>繰り返す話。</title>
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<![CDATA[ 好きな物はなんでも何回でも見たいタイプだ。それは本や映画も勿論だが、好きな人とのやりとりも含まれる。<br><br>携帯を触ることができる日は、好きな人とのLINEやTwitterでのやりとりを何度も何度も眺める。あぁあの時はこの話で盛り上がったのか、とか思いながら、何度も何度も。それに満足したら、次は好きなブログを古い順に並べ、上から順番に読む。何度も、何度も。<br><br>以前友人と話した時に、読書のスタイルが違っていることに驚いた。自分は例えばハリーポッターのような分厚い本でも、最初のページから読み始める。対して友人は、自分の気に入ってるシーンのみをピックアップして読むという。驚いた。そんな読み方があるとは思わなかった。<br><br>例えば、これが短編集やエッセイのような本なら分かる。しかし、最初から最後まで読まないと分からないタイプの本でもピックアップスタイルで読むとは。自分の周りにはいないタイプの読書の仕方だったが、聞いてみるとそういう読み方をする人の方が多かった。なんてことだ。<br><br>とはいえ、私の周りで読書をする人間は主に両親だった。父も母も、どんな本でも最初から最後まで通して読み切り、読み返す時も同じようにしていた。その姿を見て育ったからか、自分も同じように読むようになったのだろうと思う。仕事の本も読んでいたが、両親は本が好きな方だと思う。父はディズニーランドに行く時も科学の本を持って行って、待ち時間はそれを読んで過ごしていた。小さな頃はなんで夢の国に来てまでそんなものを、と思っていたが、疲れている中混雑したテーマパークまで連れてきているのだ。ならばせめて並んでいる時間くらい自分の好きな世界にいたかったのだろう。父にとっては科学の本の中こそ夢の国だったのだろう。<br><br>どこに行くのでも、本を1冊持ち歩くようになった。あの時の父のように。残念ながら自分には理科と和解する力がなかったので、読んでいるのは食べ物に関するエッセイや、ライトノベル等だ。気軽に違う世界に連れて行ってくれる。適度に他人の目を気にせずに済む。耳は音楽で満たして、自分の外出スタイルは完成する。<br><br>音楽も本も、擦り切れて、表紙が破けたものばかりだ。新しいものが嫌いなのではない。ただ、何度でも読んで、聞いたものの方が自分を守ってくれるような気がするのだ。安心毛布のようなものだ。<br><br>何かができる日。繰り返し読むTwitterの文章。ブログの内容。電子の中にも安心毛布があることに、ひどくほっとする。<br><br><br>
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<pubDate>Thu, 17 Dec 2020 17:52:35 +0900</pubDate>
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<title>何もやれない時の話。</title>
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<![CDATA[ 何もやれない時がある。何も、と言いつつやれる事とやれない事があったりする。<br><br>大概の場合、何もやれないといっても「何もやれないわ」とTwitterで呟いたり、友人にLINEを送ったり、ソシャゲを周回したりは出来る。しかし、料理をしたり、部屋の掃除をしたり、買い物に行ったりは出来ない。そういう事が出来る日は何かやれた日になる。<br><br>本気でやれない日は、まず起き上がれない。トイレも食事も出来ない。ギリギリ浮上させた意識の中で、どうにかメール画面を立ち上げ文字を打ち、会社に欠勤連絡をする。そしてそのまま力尽きる。何も考えたくないと夕方近くまで寝たり起きたりを繰り返す。<br>そんな時、自分は音と光に異常に敏感になる。テレビは勿論、スマホも見られない。一番暗い明かりにしても光が目に突き刺さる感覚がして、これは拷問なのか？と思う。時々時間の確認をするのが精一杯だ。部屋の電気もつけられないし、遮光カーテンの隙間から漏れた日光に大ダメージを受ける。外から人の声が聞こえると最悪だ。生きていることを責められているかのように聞こえて、罪悪感と一緒に無理やり眠る。<br><br>そうやって寝ている内に、喉の渇きと尿意が限界に達する。それが大体夕方だ。あぁ、また一日無駄にしたと思いながら、落下するように床に足をつける。洗ってあったコップに水を入れて一気に飲んで、トイレに行く。眩しい眩しいと思いながらトイレを出て、また水を飲む。三杯目は部屋に持ち帰って、机の上に放置する。そして布団の中に戻る。<br><br>水さえ飲めればなんとかなるもので、そこから少し頭が働き始める。眩しさが大丈夫になれば携帯に触れて、Twitterをざっと眺める。送られてきていたLINEの文面を読む。気力があれば返信をする。そうしている内に、「そろそろ音が聞きたい」となってくる。そうやって、どん底の何もやれない日から、何かやれた日まで持ち上がる。<br><br>きちんと休職になる前、よくこの状態になった。今ではなかなかないが、それでも午前中を寝て過ごすことは少なくない。午後になって、夜になると、ようやく体が動くようになる。高校の時に引きこもっていた時と同じだ。<br>あの時と違うのは、夜通しアニメや通販番組を見る体力がなくなったことだろう。こういう部分にも、自分が歳を取ったことを感じる。テレビを見ることも、起き続けていることも体力がいる。<br><br>今日は午前中から洗濯機を回して、トーストを焼いた。やかんを使ってお湯を沸かして、ティーバッグの紅茶を飲んだ。仕事には行けなかった。そのくせ、「今日は何かやれた日だ」と思ってしまう。自分に対して甘いと思う。それでも、こんな自分でも自分が肯定するしかないのだ。肯定して、自分に言い聞かせる。明日はきっと会社に行ける。今日はこれだけ動けたのだから。毎日そう思いながら眠りにつく。最近はこれの繰り返しだ。つくづく、自分に甘いと思う。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kihz/entry-12644380005.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Dec 2020 15:37:23 +0900</pubDate>
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<title>自己紹介の話。</title>
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<![CDATA[ さて、一応自己紹介をしてみようと思ったものの、自己紹介が非常に苦手である。就職活動の時も「自己PR」という欄が大っ嫌いで、面接当日の朝までうんうん唸りながら書いていた。なんの罰ゲームなのだあれは。自分をPRって訳が分からん。そんなものが出来ていればもう少しリア充の生活が送れただろうに。<br><br>話がすぐ逸れる。とりあえず、今までの人生を簡単に書いていくことで自己紹介としたい。恐らくブログ名にも繋がってくる話のはずなので。<br><br>うっかりと関東の田舎に生を受け、何度か死にかけながらもすくすくと成長する。<br>しかし、この時から既に異常なまでに人見知り・場所見知りがあり、知らない人や場所だと途端に無口になり、水も食事もほぼ取れなくなるといった有様だったらしい。自分ではほぼ覚えていないので、親からのまた聞きだ。<br><br>高校の頃に自分の実力よりちょっと上の学校にうっかり受かってしまった上に、クラス内のいじめを目の当たりにして「あー、だめだここ。いてもしゃーない」となり不登校開始。別に自分がいじめられた訳ではないのに我ながら意味が分からない。それでも心配した親に連れていかれた心療内科で『自律神経失調症』と『対人恐怖症』のダブル診断を受け、無事精神疾患デビューを果たす。その後なんだかんだあり、通信制の高校に転入をするも、ここでもうだうだしながらなんとか卒業。次は自分の実力相応の大学に進学する。<br><br>その大学生活はめちゃめちゃに楽しく、今でもあの時間に帰りたいと思う。金をもらって大学生をやりたいと切実に思っている。出来れば手取り20万くらい欲しい。あわよくばボーナスも欲しい。<br><br>卒業後は仕事を転々としながら、今は関東のどっかにある工場に勤めているものの、ちょっとした出来事をきっかけにお局社員の反感を買ってパワハラに遭い、入社半年で休職するという、「人生の設計図に全くなかった出来事ランキング」でも上位に入る出来事に遭遇する。ここで精神科に入院でもしていれば更にブログのネタの幅が広がっただろうが、世間はコロナが猛威を奮っており、自分自身知らん人と集団生活する方がよっぽどストレスになると思って家で治療することにした。<br><br>そして現在、総務が多少理解ある人だった為なんとか出勤したり欠勤したりしながら生活をしている。金がないのだ金が。<br><br>今のところ、私に下された診断は『自律神経失調症』『対人恐怖症』『気分障害』『適応障害』といったものだ。<br>しかしながら、最新の診断結果の『適応障害』が下された時、医者が微かに首をひねった。「もしかしたら発達障害とかの症状かもしれないから」と。結局検査等はしなかったものの、その頃から「あー、もしかしてこれは発達障害なのかもしれないのか？」と思い始めた。遅い。とはいえ、過去の自分を振り返れば確かに当てはまらないでもないと思ってしまう。これが誰にでも当てはまるようになってるとしてもだ。<br><br>そのくせ、きちんと検査をしないのかと言われるとしない。なんでかって料金がかかりそうだからというのと、今通ってる精神科の医師をあんまり信用していないからだ。すぐ変えればいいものの、このご時世精神科は予約戦争である。ならとりあえず今のところで通っておこうとなって早半年。そろそろ動けと周りに言われるものの後回し後回しにしている。気になっているくせに。<br><br>長くなった。要点がないのに長いとは最低の文章だ。けれどこういう人間なのだというのが最も出てていて分かりやすいだろう。そう思いたい。<br><br>今日はこの辺で。
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<link>https://ameblo.jp/kihz/entry-12644200576.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Dec 2020 17:07:14 +0900</pubDate>
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<title>はじめましての話。</title>
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<![CDATA[ はじめまして。水谷と申します。<br><br>なんで今更こんなものを思ったりもしますが、あんまりにも日々「もう無理」と友人にLINEを送っていたら「お前みたいな人って結構いるかもしれないから日記でも書けば？」と言われたのがきっかけです。ブログなんてリアルに10年振りくらいなのでいつまで続くか分からんですが、書ける時にだらだら書いていきたいと思います。<br><br>このブログには見るも無惨などこにでもいる人間の日々が書かれる予定です。共感できる人も全く共感できない人がいるんだろうなと思ってます。分かる。出来れば全く共感できない人側に行きたかったけどそれは来世以降に期待をします。<br><br>そんな感じでここでは基本的にネガティブかつ人生の役には全く立たない文字が並びます。よろしくお願いします。
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<link>https://ameblo.jp/kihz/entry-12644194990.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Dec 2020 17:02:53 +0900</pubDate>
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