<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>potepote（Takehito Kimura）のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/kimoore1/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/kimoore1/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>Takehito Kimura（木村 健人）のブログです。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>Facebookを考える　〜プチ断食！</title>
<description>
<![CDATA[ 私は、まだ日本でFacebookが流行る前、2007年頃からのユーザーで、これまで<br>様々な用途に活用してきました。中でも、遠く離れた人々との交流や、ふとした<br>タイミングで仕事を個人的に頼まれたり等、非常に有益なツールだという気持ちは<br>今でも変わりありません。<br><br>しかし、そんなメリットと同時に、<br><br>「Facebookに疲れた、つらい」<br><br>といった声もちらほら聞こえてくるのも確かです。<br>かくいう私自身も、ここにきて「Facebook疲れ」を認識し、一つの行動を実行<br>しました。<br><br>・スマホからFacebookアプリを削除<br><br>このいわゆる「プチ断食」という様な措置を取って１週間程経ち、少し気持ちが<br>楽になり始めている気がします。完全に退会してしまうと、仕事やプライベートで<br>参加するイベントの連絡網が使えなくなる為、Messengerアプリは残しています。<br>少し前からFacebook内の機能だったMessangerが独立して賛否両論でありましたが、<br>今回の私にはとても功を奏しました。<br><br>それにしても、なんでこの様に疲れたりするのでしょうか？おそらく私のFacebook<br>友達は、<br>「まさか、あなたが疲れたなんて思えない！あんなに充実してたのに！」<br>という印象かもしれませんね。Facebook上でネガティブな内容は基本的にアップ<br>しませんし、それは当たり前でしょうけど。<br><br>さて、では本題、「Facebookが疲れる」ことの原因は何でしょうか？<br>一般的な物も含め、以下、挙げてみました；<br><br>・友達達のハッピーな記事ばかりを見ていると、自分はそれに比べて何とつまらない<br>　人生だろうかと思い知らされる<br><br>・数十年ぶりに出会って繋がったとしても、そもそも自然に途切れていた関係なので、<br>　また活発に復活する可能性はゼロではないが低い。そうなると、どちらかの期待値が<br>　折り合わなかったり、どちらかの抱えていたその人物とのトラウマ等が解消されない<br>　まま中途半端に繋がっているという状態に陥りかねない<br><br>・SNS以前では、基本的にはリアルに顔を日常で合わせている限られた人々とのコミュニケーションで、<br>　いわゆる「マズローの欲求」で言うところの「社会的欲求（グループを組みたい、人と繋がり<br>　たい）」「尊厳欲求（他人から認められたい）」を満たしたいと思っていたところ、SNS<br>　の普及により、誰でも自分の活動や考えを瞬時に多数の他人に紹介出来る様になった。その結果、<br>　それらの欲求が満たされたかの様な錯覚に陥るものの、実のところ、その記事が後に話題に<br>　されることは、基本的には「リアルに面と向かって会う人」とでなければありえない。<br>　そして更には、リアルに面と向かって会う人とでさえ、そのヴァーチャル上での記事の話題は<br>　わざわざしないことも多い。そうなると、あの場所で投稿してもらった「いいね」やコメントは<br>　何の意味があったのだろうか？という気持ちも生まれかねない。<br><br>・Facebookで中途半端に繋がっていて近況も知ってしまう結果、Facebookが無かったら<br>　定期的に会っていたであろう人間関係も、わざわざ会わない状況に陥りかねない。そもそも<br>　人間関係って何なのだろうか。近況を知っているから会う必要も無く、気がついたら死ぬ<br>　まで会うことも無いという状況になったら、その人とは友達だったと言えるだろうか？<br><br>～以上、挙げてみましたが、まだあるかもしれませんね。皆さんがどうお考えかも知りたいです。<br><br>今思うことは、リアルな人間関係の延長線上の便利なツールとして（いろいろなリアルな活動の<br>連絡網やファイル送信等）使い続けたいけど、日常生活の出来事を紹介する使い方は少し控えようと<br>いうところです。もう少し自分の中でバランスが取れるまでは、パソコンからログインしないと<br>見られないという状況を続けてみます。<br><br>リアルな人間関係の構築とSNS、このバランス良い関わり方がきっとあるはずなので！
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kimoore1/entry-12094680151.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Nov 2015 10:14:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>永遠にOnline 〜第２幕〜</title>
<description>
<![CDATA[ ～第２幕～<br><br>&lt;規則　～2080年&gt;<br>１. 肉体消滅・脳アップロード後、一旦電脳世界の住民になったら、再び物質世界へ「降臨」することは禁止とする。<br><br>２. 資格が与えられた夫婦のみ、「子孫」を残せるものとする。<br><br>３. いかなる理由があっても、物質世界に身体を残しながら、あるいは自殺をする形で脳のアップロードをしてはならない。<br><br>•規則を破った者は、厳罰に処せられるものとする。<br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br><br>　「今日もお仕事おつかれさま。」<br>　「ああ、ありがとう。そっちも調子はどうだい？」<br>　「野暮なことを聞くのね。私はいつも元気よ。」<br><br>　３年前、不慮の事故により物質世界での死を迎え、電脳世界へと移り住んだ麗美との会話は<br>真一郎の脳へ直接語りかけてくる。こちらも、わざわざ声にして発する必要はない。<br>　<br>　「そういえば音斗也は元気？」<br>　「ああ、元気だよ。そろそろピアノレッスンから帰ってくる頃じゃないかな」<br><br>　そう、２人の間には、息子がいた。もう10才になる。しかし、この息子が如何にしてこの物質世界に生を受けたかは、AD2000年前後の世界の状況とはかなり異なる。<br><br>　2020年以降から徐々に、人類は従来の方法では子孫を残せなくなってきた。それには複合的な理由が述べられている。少子・高齢化社会、食汚染、電磁波、ワクチン、etc...　そして何より、その頃から始まった国民総管理体制が完成を迎えた末、子孫を残せる人間も選ばれた者のみとなった。徹底的な遺伝子検査の末、合格した男女のみが子孫を残せることとされた。<br><br>　多くの人間の生殖能力が退化した2080年、厳格な検査に合格した男女双方の遺伝子は電脳世界上で掛け合わされ、国が厳格に管理している「最後のアダムとイヴ」コミュニティ内で生まれる胎児へとダウンロードされる。この様な方法は当初、倫理的な議論も当然巻き起こったが、人類存続の為にはと、最後には反対派も沈黙を余儀なくされた。しかしながら、その「最後のアダムとイヴ」コミュニティ内でも、生殖能力の退化が進んだ結果、いよいよ政府も「完全に電脳世界でのみ存在する子孫」を認可せざるを得なくなってきた。選ばれた男女夫婦の遺伝子を電脳上で掛け合わせ、電脳上で誕生した後は、物質世界で実体を持たないこと等いくつか違いはあるにせよ、1人の人格として認められ、歳も重ねていく。<br><br>　そう、真一郎と麗美は10年前、特別な遺伝子テストをクリアした数少ない選ばれた男女だったのだ。電脳上での的確な計算によって掛け合わされた２人の遺伝子が生んだ音斗也の遺伝子は、バグでも無い限りは精巧な計算の結果である。いわゆる「トンビがタカを生んだ」という様なかつての諺ももはや通用しない。２人の息子、音斗也も例外ではなく、驚異的に優秀だった。<br><br>　2077年当時、誰もが羨む家族を営んでいた中、麗美は突然の事故により物質世界に別れを告げた。幸いなことに脳は無傷であったのでアップロードは出来、電脳世界への移住が可能となった。<br>それから３年。このまま現状を受け容れて電脳上の麗美、物質世界上の音斗也と暮らし続けていくものだと漠然と思っていた・・・<br><br>（続く）<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kimoore1/entry-12076136433.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Sep 2015 16:09:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>永遠にOnline 〜第１幕〜　＜小説形式＞</title>
<description>
<![CDATA[ <font size="5">永遠にOnline</font><br><br>～第１幕～<br><br>　「やあ、おはよう」<br>　「おはよう、あなた」<br>　「調子はどうだい？」<br>　「あら、そんなこと聞くのおかしいわね。何時も元気よ」<br>　「ははは、違いないな。いやおまえさん、腰痛持ちだからさ」<br>　「そんなのもう平気よ。とっくにわかってるでしょう？それより、もうご飯は食べたの？」<br><br>～～～<br><br>いつもと変わらない、愛する人とのやり取り。取り留めのない会話を一通りした後、真一郎は支度をはじめる。そろそろ出勤の時間だ。<br><br>職場へと向かういつもの道を歩いていると、声が聞こえてくる。<br><br>　「ねえ、いつもより歩くのが遅いみたいね。疲れてる？」<br>　「いや、新しく買った靴がまだ馴染んでなくてね、かかとが痛むんだ」<br>　「ふうん、そう。今日も仕事頑張ってね」<br><br>こんな何気ないやり取りが続いてどの位経つだろうか。そう、妻の麗美がこの世を去ってから来月でちょうど３年になるが、彼女が「肉体を持っていた」時と変わらずこの様なやり取りが続いている。<br><br>時は2080年。インターネット世界は発展の末に、物質世界における死後、ある一定の金額を払えば、脳の情報を全てそのままアップロード出来、消去されない限りは永遠に人類はオンライン上で生き続けられる様になった。大体普通の人生を歩んで来た人間で容量にして約10万テラバイト、非常に多くの経験を積み、脳を酷使し続けた人間では稀に100万テラバイトもの容量になるが、肉体が消滅した後も電脳世界で存続出来ることとなった。<br>当然、肉体が無いのだから「電脳世界」ではガン等の身体を蝕む病気にもならず、死への恐怖ももはや無い。そして、「この世」に住む人間たちにとっても、宗教上どうしても受け容れられない人々を除いては、<br><br>「肉体が消滅した後も意識が存続し、生き続けることが出来、『この世』で死んでも『終わり』では無いんだ！」<br><br>という認識が広まり、以前程、肉体の死というものは恐ろしい概念ではなくなった。同時に、病気になったとしても治療もせず、昔ならば治療費に費やしていた分を自身の脳アップロード代に回す人々が増えた。その結果、救急医療や身体を繋ぎ合わせる等といった一部の医療以外の医療行為はこの世から姿を消した。<br><br>そして信じられない話だが、この世を去る時の会話も、<br><br>　「じゃあ、いってらっしゃい」<br>　「いってくるね。また後でね」（死を迎える人物が会話可能な場合）<br><br>というのがごく普通となった。その様になると、もはや葬式も激減し、逆にパーティが行われる様になった。<br><br>70年程前から人類は1日の内の多大な時間を電脳世界でのやり取りに費やす様になり、その活動割合も、次第に肉体の刺激や感覚があまり必要とされない部分が増えてきた。つまるところ、幸か不幸か、肉体があっても、その恩恵を受けられる様な活動をせずに電脳世界でのやり取りに費やす人間が増えたのである。<br><br>それから時が経ち、肉体への執着もあまり無くなった人類にとって、脳をアップロードして電脳世界で生き続けられるということは申し分の無い恩恵となってきているのだ。<br><br>かれこれ３年続けてきたこの電脳世界に住みはじめた妻との平和なやり取りが、これからもずっと続くのだと真一郎は疑いもしなかった、そう、あの時までは・・・<br><br>（続く）<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kimoore1/entry-12075532154.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Sep 2015 11:35:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>27時間テレビのマラソン</title>
<description>
<![CDATA[ 私は、少し前から、知り合いが出るという時以外はテレビを観るという習慣を断った。<br>理由は様々だが、ここではそういった議論はやめておく。<br><br>当然、先週末に放映されていた27時間テレビも全く観ていない。しかしながら、<br>ヤフー！ニュースの、88kmマラソンについての記事を見て、実は私は土曜日の<br>夜に目撃してしまったことがあったので、思い切ってこの記事を書こうと思う。<br><br>私は週１回位のペースで、近所のスポーツジムに通っていて、土曜日の夜も<br>トレーニングに向かった。ジムの直ぐ隣の中庭とも通路とも取れるスペースは<br>人工の小川も造られていてなかなか雰囲気が良いが、そこで時々ドラマ等の撮影が<br>行われていることも知っていた。その日は、フジテレビのロケ車が停まっていて、<br>スタッフがたくさん、皆、同じロゴのTシャツを着ていた。よく見ると、<br>「27時間テレビ」のものらしい。何の中継だろうと思いながら、ジム内に入り、<br>トレーニングを始めた。ランニングマシンで走りながら、外が見えるので、<br>スタッフが何をしているのか、出演しているのが誰なのかを少し気にしていた。<br>その時は、大久保さんが88kmマラソン企画で走っているということを全く知らなかった<br>状態で、<br><br><font size="5"><strong>「あ、大久保さんがいる」</strong></font><br><br>ということは気づいていた。<br><br>何か、プロデューサーやスタッフ達と、カメリハをしている様だ。本番で<br>どの様に動くかを綿密に打ち合わせている。<br><br>実はランニングマシンにはテレビが備え付けられていて、隣のマシンの<br>人たちが、皆８チャンネルを付けていたので、<br><br>「あ、27時間テレビを放映中なんだな」<br><br>と気づいた。それで、直ぐ外では打ち合わせや動きのチェックをしている。<br>これは、間も無く中継で映されるんだなと予想していると、その時は来た。<br><br>マシンのテレビでバッチリ大久保さんと、並走している誰かが映されていて、<br>直ぐ外ではその撮影風景が見える。とても貴重な光景を目の当たりにした。<br><br>時間にして、１分あるかないかであったが、テレビの中の大久保さんは、さすが<br>魅せる絵を作ってアピールしていた。プロである。<br><br>さて、この事実を見て、<br><br>「何だよ、88kmずっと走っているんじゃないのかよ」<br>「１箇所にそんなに止まっていてロケ車内で休んで、カメラ回っている時だけ<br>出て来て走っている様子を演出しているのかよ」<br><br>という意見が聞こえてくるかもしれないが、あえてそれらの意見に対して<br>言わせていただくと、<br><br><strong><font size="5">「仮にもしそうだとして、それは本当に悪いことかな？」</font><font color="#FF0000"></font></strong><br><br>と問いかけてみたい。<br><br>まず、<br><br>・これはオリンピック等の純粋なスポーツ競技ではなく、<br>「いかに面白い絵が撮れるか」の方が重要なバラエティ番組だ。<br>目指すところが違う。番組スタッフも出演者も、カメラが回っている時にいかに面白く<br>出来るか、それに労力を注ぐものだ。<br><br>・そもそも、売れっ子で様々な芸能活動している芸人さんが、ぶっ続けで88km走れる<br>わけがないではないか（武井壮さんならいけるかもしれないが）。視聴者側も、そう、<br>プロレス試合の予定調和がテレビの世界には常に存在することをもう一度認識し、<br>その上でエンタメとして享受してはどうか。<br><br>・テレビで流される映像は、作られたものである以上、何かしらフィクション要素は<br>入るものだし、全てガチでなければいけないなら特にエンタメ系は存在しなくなるだろう。<br><br>自分が番組制作側で、しかも生放送となれば、事故等は一切無くしたいし、綿密に<br>打ち合わせをして出す絵を作りたいと思うだろう。その上で、ガチさが無くなり<br>面白い面白くないといったことや、無事に完走した（という絵が出来た）ら、<br>誰かが丸刈りにするということに何の意味があるのかといったことは、<br>また別の議論である。<br><br><strong>受け入れられなければ、自分が観なければ良いだけ。<font color="#FF0000"><font size="5"></font></font></strong><br><br>少なくとも、あの中継現場の出演者やスタッフの方々も、皆一生懸命仕事をされて<br>いたのは間違いない。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kimoore1/entry-12055041823.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Jul 2015 08:51:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>Hello</title>
<description>
<![CDATA[ みなさん、こんにちは。なんと、ここにきて、やっとこさの記事アップとあいなりまして。<br>実は、立ち上げておいて、このブログの存在を失念して・・・反省。<br><br>FacebookやLINEといったツールが全盛な昨今、こちらの場で何を発信していくべきか<br>しばし考えていたところ、その内に、まるで某TV番組であった討論会で使われそうな<br>考えがめぐってきたので、一回目はそのことを。<br><br>ちょうど数ヶ月前になりますが、Facebookというものは実に「諸刃の剣」であるなと<br>思い、もう辞めてしまうか、少なくとも数ヶ月お休みしようかという思考に落ちて<br>いたんだ。結局、自身のライヴ情報や、メンバーとの連絡ツールとして使っていた<br>ので、辞めるということにはなりませんでしたが、その寸前まで行ったことは確か。<br><br>あくまでも私個人の意見だが、平たく言うと、<br><br>「Facebookというものは、物理的に離れている等で、普段の生活で簡単に会うことが<br>出来ない人々の近況を知ったり、そもそも会ったことが無かったり、そんなに近くない、<br>SNSが無かったら決して会うことが無かっただろうという人々の近況が知れたりつながったり<br>出来るのに絶大な効果を発揮するが、その一方で、SNSが無かったらもう少しリアルに会って<br>いるであろう人間関係に関しては、中途半端につながってしまうが為に、どんどんヴァーチャル<br>な関係と化していくのではないか」<br><br>という思考がよぎった次第で。<br><br>ここまでネットが普及し、常にオンラインで居ることが普通になり、電車の中でもかなりの<br>人々が常にスマホの画面を見つめている状況になった、たった10年で。その結果、それ以前の<br>時は、メールをチェックしたりネットを見たりということは仕事の休憩時間や帰宅してから<br>していたことが、今では常にメールやネット情報が気になっていて、膨大な数の情報があふれて<br>くることをただただシャッフル読みし、あまり思考をめぐらすことがなくなって来た人も<br>多いのではないか。<br><br>どこに居てもどの時間帯でもオンラインでさえいれば情報を得たり発信出来ること、遠くの<br>人々と繋がれることは、確かに素晴らしいことと思うし（特に離れた家族や友達とのテレビ<br>電話等本当に便利になっている）、今更それらが無い時代に戻れと言われてもなかなか戻れ<br>ないかと思うが、弊害もいろいろと出ていることも考えるべきではないだろうか。<br><br><strong>＜良い点＞</strong><br>・大手メディアが伝えないことが瞬時に回るので、ここ10年で、情報操作に惑わされない人が増えた<br>・以前では決して会うことの無かった人々とつながることが出来る様になった<br>・住んでいる所が離れている人々とリアルタイムに情報交換が出来る様になった<br>・個人個人がどこに居ても体験をアップして共有出来る様になった<br>・お金が無くても24時間、自分一人で世界に作品を発表出来る様になった<br>・災害時の連絡ツール、安否確認等等<br>～他、たくさん<br><br><strong>＜悪い点＞</strong><br>・SNSでつながると、お互いの近況が簡単にわかる様になるが、以前ならば会う機会を作っていた<br>　関係が、ただ「いいね！」を押し合うだけの関係に変わってはいないか。その結果、このまま<br>　「会わないまま」近況を知り合う様な、まるでヴァーチャルな人間関係のままお互い一生を終え　　る、ひょっとしたら葬式もヴァーチャルになっているかもしれない。そんな様な人間関係、<br>　つながりっていったい何なのか？<br>・以前ならば、休憩時や、帰宅後等、決まったタイミングでチェックしていた情報に、常にどこに<br>　居ても振り回される様になった。その結果、じっくりと思考しながら本を読んだり、人々との<br>　リアルな会話をしたりする機会が減ったのでは。<br>・ヴァーチャルな人間関係だけだと、「五感をフルに使った」やりとりを忘れてしまうのではないか<br>・とにかく「広く浅く」なった気がする。<br>～他、たくさん<br><br>このネット、SNSのことに限らず、様々な分野で、今、問われていることは、「原点」だと<br>思う。<br><br><strong>世の中にあふれているものは、「本当に」無くてはいけないものか？<br>もしかしたら、無い方が気分がすっきりするのではないか？　無くてはならないと<br>「思い込まされている」だけではないか？<br>「それ」を手に入れたから幸せ？　手に入れても入れなくても根本が変わらないなら<br>結局憂鬱な日々ではないか？　<br></strong><br><br>ということで、あらゆる分野について、「原点とは」考えてしまう。<br><br>・・・とここまで書いてきて、いきなりこんなヘヴィなネタにしてしまい・・・これまた失礼！<br><br>不定期更新になるけども、どうぞよろしく！<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kimoore1/entry-12050650407.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Jul 2015 09:21:00 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
