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<title>どうしてこうしてこんなふうになるのだろうか？</title>
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<description>思うこといろいろ</description>
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<title>私のカルマ</title>
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<![CDATA[ カルマの法則という物があるのだという。<br><br>カルマの法則とは、世の中の全てのことは、作用反作用のような運動の法則みたいなもので成り立っている。<br>私の今の状況は過去のカルマが作り出した結果だ。<br>今日とても嬉しいことがあったとして<br>それは過去に私が行ったアクションの結果なのだ。<br>という考え方だ。<br><br>ある時暇つぶしに立ち寄った本屋で<br>未来は決まっている。といったタイトルの雑誌を見つけた。<br>それは科学雑誌だった。<br>プールのどこかに石を投げ入れた時に起こる波紋<br>それがプールサイドまで届く時に波紋がどのようにお互いに影響し合うか<br>そして最後はどのような形になるのかは完全な頭脳、完全な智慧があれば<br>計算出来る。<br>つまり私たちの未来も、この複雑に絡み合った因果関係、エネルギーのやり取りも<br>完全な智慧をもってすればどのように導かれているのか知ることができるし<br>それは既に決定している。<br><br>運命なのだ。<br><br>その因果関係はもう天文学的数字を追い越してしまうほどの要素が複雑に絡み合って<br>私たち人間の浅知恵などでは解けることはない。<br><br>しかしぐちゃぐちゃに絡み合ってしまった糸でも、最初は一本の糸だったように<br>おおもとに帰れば因果関係なしのすっきりした状態なのではないだろうか？<br><br>なんとなく感覚でしか言えないことが残念なのだが<br>私たちは時々いっきにこの輪廻を超えておおもとに帰れるときがある。<br>それはあまりにも一瞬過ぎて気がつかないのだが。<br>そのように全身で感じるときがあるのだ。<br><br>サブリミナル効果というのが問題になっていたがそれと似ている。<br>サブリミナルとは効果とは意識と潜在意識の境界領域より下に刺激を与えることで表れるとされている効果のこと。<br>サブリミナルとは「潜在意識の」という意味の言葉である。境界領域下の刺激はサブリミナル刺激(en:Subliminal stimuli）と呼ばれている。<br><br>私たちの日常にも私たちが気がついていないだけで何か大いなるサブリミナル刺激が<br>データーとして混入しているのではないか？？<br><br>何かが人をそこに導いている。という気がしてならない。<br><br>そしてその潜在意識の集合体が向かう<br><br>未来は決まっているのだ。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kinsuidou/entry-11657333036.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Oct 2013 09:27:30 +0900</pubDate>
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<title>コップを描くときのカーブの角度の違い</title>
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<![CDATA[ 最近絵を描く機会が増えて、昔デッサンを習っていたときの事を思い出した。<br>そこは芸大受験向けの専門的な予備校で、私は初めてここでデッサンなる物を習ったのだ。<br>入学して初めて学校に行くと机の前に課題のコップが置いてあった。<br>しばらくすると、入学説明会の時にちらっとみた白髪まじりで少しキザな喋り方をする男性が出て来た。<br>彼は今日はかんたんな課題をだすので好きなようにデッサンする事と最後に自分がここの校長である事を付け加えた。<br>「さあ、はじめて！」と校長先生が言った。<br>何のへんてつもないガラスのコップ<br>自由に描いていいというので、私はすいすい描き出した。コップ一つだけなので時間を持て余したくらいだ。<br>終了時間が来た。<br>先生が皆を集めて初めてデッサンの方法を教えてくれた。<br>鉛筆を持って縦横を測る、その縦と横で小さな長方形をイメージしその中のガラスのコップのラインを読み取って行くのだ。<br>「さー、自分の絵と比べてみろ。」<br>といわれて、その方法で自分の絵を見ると実際のコップとは全く違う物を描いていた。<br>まわりの生徒も口々にその違いをつぶやいていた。<br>「皆さんの描いたコップは皆さんの頭の中にあるコップだ。実際に見えている物ではなく頭の中にある既成概念で描いてるんだ。」<br>「これからは見えた通りに描いてもらう。」<br>それからは、ひとつの課題を描くのに1週間くらいかけるようになった。<br>ありのままに描くというのはそれほどに難しい。<br>いや、ありのままに見るという事なのかもしれない。<br>その時から、物を見るときはそのものの形ではなくその周りの空間の形を見るようになった。<br>その方が既成概念にとらわれないからだ。<br>その後一年間この教室でお世話になったのだが、私にとってはとても貴重な一年だった。<br>最後の課題はプラステッィックで透明な卵の容器に荒縄を巻き付かせた物だった。<br>コップに比べると難易度は格段に上がっていたし、私の絵の技術ももはじめと比べると驚くほど上達していた。<br>これは、コップの描き方の話だが、世の中のシステムはこれに準じているのかもしれない。<br>デッサンを学んでいないと大多数の人たちは私と同じように私が最初に描いたようにコップを描くだろう。<br>既成概念で見ると自分がほんとうに望んでいるのと違う方向に向かってしまう。<br>同じようにそしてまた多くの人がこのことに気がつかずにいるので、ぼーっとみんなについていくと大事な事を見失うかもしれない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/kinsuidou/entry-11657311145.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Oct 2013 09:09:38 +0900</pubDate>
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