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<title>毎日が宝物</title>
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<description>毎日いろんな人や出来事にありがとうの日々を書きます。楽しい・嬉しい・苦しい・辛い……。どんな日も私の宝物(^з^)-☆</description>
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<title>時間</title>
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<![CDATA[ 自分がまだ学生位までは、大人が『1年経つのが早い、12月は特に早い。』と言っているのを聞いても、全然そうは感じなかくて、『師走？どの月も一緒でしょ～』と思っていましたが、その世代に近づくにつれて年々実感しています。<br><br>12月31日から次の年の1月1日になれば、何かガラッと変わるわけではないけれど、やっぱり“年内中に済ませておきたい”という事はありますし、そう考えると気忙しくなるのでしょうね<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/limited/006.png" width="24" height="24" alt="あんぐりうさぎ" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>やりたいと思っている事は沢山あるのに、時間が足りない…いや、時間の使い方が下手なのかな<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/limited/010.png" width="24" height="24" alt="ショックなうさぎ" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>子供を寝せた後に起きてやろうと思っても、子供より先に寝てしまいます<img src="https://emoji.ameba.jp/img/user/so/soukou/6087.gif" alt="汗"><br><br>家の壁にかけているカレンダーに『今日できることは明日にのばさないで。』と書いてあって、私の事だな…と思いました<img src="https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/2510.gif" alt="え゛！"><br><br>という事で、来年の目標にします<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/limited/008.png" width="24" height="24" alt="てへぺろうさぎ" style="vertical-align: text-bottom;"><img src="https://emoji.ameba.jp/img/user/be/bell-tree-911rira/1049.gif" alt="てへ">(今すぐ始めなさい<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif" width="16" height="16" alt="パンチ！" style="vertical-align: text-bottom;">)
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<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 14:45:53 +0900</pubDate>
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<title>キラキラの道</title>
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<![CDATA[ なんだか最近、ワクワクします。<br><br>“箸が転がるのも楽しい時期(高校生くらい？)”なのでしょうか<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png" width="24" height="24" alt="爆笑" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>朝は職場の駐車場から中に向かう道路のコンクリートが太陽で反射して、キラキラに光っていて、宝石の上を歩いているみたいで<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/145.png" width="24" height="24" alt="キラキラ" style="vertical-align: text-bottom;">それがすごく嬉しかったです<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png" width="24" height="24" alt="おねがい" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>毎日歩いている道路も、ちょっと違う目線で見るとこんなに気分が違うんですね<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png" width="24" height="24" alt="照れ" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 15 Dec 2016 12:50:59 +0900</pubDate>
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<title>おかえり</title>
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<![CDATA[ だいぶ更新しておらず、申し訳ありません。<br><br>前後してしまいますが、最初の方でお話させて頂いた祖母が亡くなったのは2010年4月初旬でした。<br><br>亡くなった時、私は“3年後にまた会えるんだなぁ”と思ったのです。<br><br>でも、相手がいるわけでもなく、子供を産める身体でもない、何の根拠もありませんでした。<br><br>けど何となく、そう感じたのです。<br><br>それから日が経ち、2011年3月11日<br>東日本大震災。<br><br>私はその時、石巻市の海が近くにある工場で働いていました。<br><br>被害が大きく、派遣だった私はすぐに解雇になりました。<br><br>震災が少し落ち着いてから、雇用保険をもらいながら仕事探し。<br><br>期限が切れる日に見つけた職場へ就職。<br><br>今まで人との交流が少なかった私に、いろいろな方との出会いがありました。<br><br>そして震災以降～2013年は自分でもびっくりするほど、急展開で話が進んでいった年でした。<br><br>(途中の話はカットしますので、とびますが)<br>妊娠なんかできる身体じゃない。でも子供を授かりたい。<br><br>そう思うようになりました。それから亡くなった祖母に向かって毎日祈りました。<br><br>『まだありがとうもごめんも言えてない。もっと話したかったし、もっと教えて欲しい事もあった。もっと一緒に行きたい所もあった。お願い、ここに戻ってきて！』と、勝手ながら…。<br><br>私は15歳で月のものが止まって以来、ずっと無く、26歳から薬を使っておこしていましたが、いつもならぴったりくるはずなのにそれがなかったのです。<br><br>まさかと思いながらもおどおどしながら購入した妊娠検査薬でチェック……<br><br>なんと、妊娠していたのです。<br><br>気付いたのは28歳の誕生日を迎えた2日後でした。<br><br>薬をもらっていた婦人科で心音確認ができるまで診てもらい、紹介状を持って産科のある病院を探して行ったのですが、『小さすぎる、育たないかも知れないから母子手帳はまだ交付できない。』と言われてやっぱり私のお腹じゃ無理なのか……と思いました。<br><br>でも、少し小さめながら“ここ”で育ってくれました。<br><br>それでもやっぱり、自分の身体で育つのか…という不安は消えず、胎動を感じられる時期になれば解消できると思っていたのですが、大きくなって胎動を感じるようにはなったものの、一日中動かない日もあり、ネットで調べたら怖い情報ばかり。<br><br>定期検診以外で何度病院へ行ったか…。<br>先生に怒られた事も多々ありました。<br><br>そして2013年3月末、女児を出産しました。<br><br>祖母が亡くなってから3年後の数日違い。<br>時間帯も数分違いの夜が明けてすぐ。<br><br>生まれていちばん最初に私が娘にかけた言葉は『おかえり』でした。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 14 Dec 2016 13:24:16 +0900</pubDate>
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<title>自然にできる幸せ</title>
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<![CDATA[ 私は長い間、人付き合いを避けてきました。<br><br>その為、働くようになってから、人間関係が上手くできませんでした。<br><br>特に接客業は難しかったです。<br><br>上手く会話が出来ないだけでなく、笑えない。<br><br>笑う練習をしなさいと言われても、どうやって笑えばいいかわからない。<br><br>言われれば言われるほど、ひきつる顔。<br><br>『あなたのせいでお客さんが逃げていく』と言われた事もありました。<br><br>そして、食べる事。<br><br>毎日同じ物を食べて、食べる順番、食べる時間、いつも栄養成分量とにらめっこしながら、不安な気持ちで食べて。<br><br>自然に笑えるって、食べたい時に美味しく食べられるって<br><br>自然にできるって幸せなんだな。<br><br>出来てた事が出来なくなった時、あたりまえってないんだなぁって感じました。
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<pubDate>Sat, 26 Nov 2016 15:32:42 +0900</pubDate>
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<title>やっと会えたんだね</title>
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<![CDATA[ (前回からの続きです。)<br><br>その後は多くの病院にまわされました。<br><br>叔父のどの病室にもペロはいたのだと思います。<br>『ほら、あそごに犬っこ(名前は出てきませんが)いっちゃ！』『な～んだい、見えねぇのが～』と言っていたので。<br><br>それから老健施設に長い間入所していたのですが、低血糖やてんかんで何度も倒れ、その都度怪我もしていたので、すぐ近くの病院に入院。<br><br>そこでも対応できない状態になり、救急搬送されて転院しました。<br><br>私は翌日、お見舞いに行こうと病院にいる母に電話をしたのですが、『明日になれば、もう少しよくなるから』と言われ、娘が抱っこしたまま寝ていたのでそうすることにしました。<br><br>しかし、その日(夜中)病院から連絡があり、急変したので来て下さいと言われました。<br><br>すぐに駆けつけましたが、叔父は息をひきとった後でした。<br><br>間に合わなかったね……。<br><br>それから少しの間、皆が無言状態で叔父を<br>見ていたら、０で横一本線だった波形が動いたのです。<br><br>医学的にはある事かもしれませんが、きっと皆が来たのがわかったんだなぁと私達家族は思いました。<br><br>叔父は気が早い人だったので、たぶん待っていられなかったのだなぁと思いました。<br><br>何処かに行く約束している時も、すごく早い時間に来て『ほら、行ぐど～』っていつも先に出発していたから。<br><br>やっぱりあの時に行っていれば…<br>すぐ近くのお店にいたのに…<br>と、後悔しましたが、<br><br>“叔父が意識障害になった後に亡くなった愛犬のペロと母親(私の祖母)にやっと会えたんだ”<br><br>そう思ったら、なんだか笑いながら散歩しているような感じがしました<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif" width="16" height="16" alt="虹" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>50歳で倒れて生死をさまよってから13年間、お疲れ様でした<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/157.gif" width="16" height="16" alt="天使" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 24 Nov 2016 12:19:45 +0900</pubDate>
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<title>振り絞った最後のことば</title>
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<![CDATA[ 身の周りに起きる事には全てに意味があるとは思いつつも、未だに何の為だったのか納得というか、理解出来ないことがあります。<br><br>叔父の話になります。<br><br>私は父が自営業をしており、ずっと単身でいろいろな場所を廻って仕事をしている為、叔父が父親のような存在でした。<br><br>お正月の餅つきから始まり、お花見、タケノコ掘り、川開き祭、運動会、紅葉、年末…いつも一緒にいて楽しませてくれました。<br><br>叔父は仕事中にケガをして手術をし、それが原因かは分かりませんが、健康体で何にも負けなそうな叔父は体調を崩すようになりました。<br><br>あまり具合いがよくない中も遊びに連れて行ってくれたり、お酒に酔いながら一生懸命ギターを教えてくれました。(若い時、有名人の前座をしていたそうです<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/032.png" width="24" height="24" alt="キョロキョロ" style="vertical-align: text-bottom;">)<br><br>叔父が50歳になって数日後の事でした。<br><br>叔父は独身で(引っ越す前の)私達の家から数分の所に住んでいたのですが、妹である私の母が何となく気になって叔父の家を訪ねたところ、意識不明の状態になっていたそうです。<br><br>倒れた時に一緒にいたのはペロという飼い犬と鳥でした。<br><br>母から連絡をもらい、当時高校生だった私はミニスカートにヒールのブーツという格好で2月の雪が積もる中を走って叔父の家に向かいました。<br><br>母が付き添い、叔父は救急車で運ばれました。<br>そして私は一度自宅へ戻ったのですが、当時私と妹が飼っていた2匹のウサギのうち私のウサギ、ララが目を開けたまま亡くなっていました…。<br><br>そして、ペロも叔父が倒れてから少しして、急性腎不全で亡くなってしまったのです。<br><br>ペロは叔父が倒れたのを見ていたから、“もう一緒に暮らす事が出来ないんだ”と察したのでしょう…。<br><br>数日意識不明のままICUに入っていましたが、私は母から学校帰りの電車の中で叔父が意識を取り戻したと連絡を受けて、そのまま病院へ向かいました。<br><br>そして、私はICUに入れてもらい、叔父の前に立ちました。最初は何も言わなかったのですが、ふっと思い出したように『さおり、駄目なものは駄目なんだがら』と言いまた黙りこんだままでした。<br><br>何が？と思いながらも私はICUを出ました。<br><br>きっと、昔は大笑いしてふざけてばかりいた私が拒食症とうつ状態で荒れ、変わり果てた姿を気にしていたのでしょう…<br><br>その後、医師からの説明があり、叔父は意識障害で家族・親戚どころか自分の事さえわからない。<br><br>生まれたばかりと同じような、一人では何も出来ない、そんな状態だと言われたと聞かされました。<br><br>だってちゃんとさおりって言ってた…<br>意識を取り戻した後、誰かの名前を呼んだのはあれが最初で最後でした。<br><br>次回へ続きます。<br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 21 Nov 2016 13:17:22 +0900</pubDate>
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<title>スィートピー</title>
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<![CDATA[ 引っ越し先は隣の市。<br><br>初めてのフローリング、そして自分の部屋。<br><br>祖母も3畳間から6畳間、壊れそうなベッドからレンタルの新しいベッドへ。<br><br>周りは畑と田んぼで徒歩20分位の所にコンビニがやっとある、運転免許を持っていない母は不満があるようでしたが…。<br><br>介護ヘルパーも頼むようになりました。<br><br>引っ越してからあまり日が経たない内に祖母は体調を崩しやすくなり、往診にも来てもらっていたのですが、次々に病気が見つかり、入院。<br><br>引っ越す前に住んでいた所から数分の病院がかかりつけだったので、私達は通っていました。<br><br>そして祖母の病室にスィートピーの花を飾り、あまり反応が無くなっていた祖母がとても嬉しそうに花の香りを楽しみ、持って行った葡萄を笑顔で食べてくれたのです。<br><br>数日後のある晩、お風呂から上がり、妹はテレビを見ていて、その横で母と私は交代で肩もみをしていたのですが、私は急に吐き気がしたのです。<br><br>そして電話が鳴りました。<br><br>もうすぐ寝る時間、そんな時間帯。<br><br>みんな何となくわかりました。<br><br>私が電話を受け、祖母が入院している病院からでした。<br><br>以前住んでいた家なら数分、だけどここからは30分はかかる距離。<br><br>病院に着いた時、祖母は待っていてくれました。<br><br>そして、モニターは消え、その部屋に看護師さんのアナウンスが流れました。<br><br>『少しずつ、少しずつゆっくりとなっていきますね。まだ呼吸はありますよ…ゆっくりゆっくり…今、お亡くなりになられました』<br><br>たべるのが大好きでまんまるだった祖母。<br><br>私は亡くなった病室に残してあった(夕飯だったのかな…)食事を持ち帰り食べました。<br><br>後に母から聞いた事。<br>引っ越し費用、私が社長かろ借りた分では足らず、祖母が出してくれたという事。<br><br>そのお金はいつかみんなで泊まりに行こうと祖母がコツコツ貯めていたお金だったという事。<br><br>そして、スィートピーの花言葉は『門出』『優しい思い出』『別れの言葉』<br><br>もしかしたら、祖母が選んでくれたのかな…。<br><br>たくさん優しくしてくれたのにね…<br><br>酷いことばかりして、悲しませて、泣かせて、何もしてあげられなくて…<br><br>ごめんね……。<br><br>優しい思い出、ありがとう。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sun, 20 Nov 2016 14:41:49 +0900</pubDate>
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<title>私が壊した家族(続き)</title>
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<![CDATA[ 何処にもぶつける所が無い苦しみを、私は家族にぶつけました。<br><br>一番酷く当てたのは一番仲良しだった祖母でした。<br><br>常に睨み付け、酷いことを言い散らし悲しませました。<br><br>当時住んでいた家は凄く狭い所で、個々の部屋はなく、日中は家族皆が6畳の同じ部屋におり(夜間だけ祖母は違う部屋)、荒れ果てている私がいる。<br><br>皆、逃げたくても逃げられない。<br><br>毎日毎日、冷たく重苦しい、悲しみにあふれた空気。<br><br>祖母・母・妹、そして私自身も精神的に限界でした。<br><br>家族全員、気がおかしくなりそうな状況は長い間続きました。<br><br>バラバラになった(してしまった)家族。<br><br>もう無理だ……このまま消えたい。私がいなくなれば、みんなが笑顔になれるのに…<br><br>そう思いました。<br><br>だけど、また一緒に笑いたい、戻りたい…そんな気持ちもありました。<br><br>ネットで調べた病院を何件かまわりました。<br><br>中には、その場で薬を飲んでと出され、どんな作用の薬か聞いても『先生が出したんだからいいから飲んで』と言われ、飲んだら帰りの電車で具合いが悪くなって降り、症状改善せずに、結局普段使っていたタクシーを呼んで帰る…そんな事もありました。<br><br>その後、心療内科に2度入院しました。<br><br>病院の先生から一人になれる環境をつくってと言われておりましたが、そんな場所もありませんでしたし、一人暮らしができる状況でもありません。<br><br>それと、祖母が夜間寝る3畳間の部屋は電気も付かず、真っ暗。夏は燃えるように暑く、冬は凍りつきそうな程寒い。<br><br>ベッドだけで身動きが取れないので、リウマチの祖母を介護する母もリウマチで痛みがかなりひどい。だけどヘルパーを頼みたくても、人に見られるのさえ恥ずかしいそんな状態の部屋。<br><br>引っ越そう……でも引っ越すにしても膨大な量の荷物、そして汚れて穴が空いている祖母の部屋を直さなければ。引っ越し先の家賃。金銭的にかなりきつい……<br><br>どうすればいいのだろう…<br>やっぱりここにずっといるしかないのかな…<br><br>ほとんど話さなくなっていた家族で、いろいろ考えました。<br><br>引っ越すという話が出てからも私は祖母に反抗的で、施設に入ってもらうと言っていました。<br><br>それを母から聞いた祖母は『それだけはやめて』と泣きながら言っていたそうです。<br><br>私は当時勤務していた職場の社長にお金を借りました。<br><br>そして私達は17年間住んだ、たくさんの思いが詰まった家を引っ越す事になりました。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 19 Nov 2016 18:14:06 +0900</pubDate>
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<title>私が壊した家族</title>
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<![CDATA[ 私には一つ下に妹がいます。<br><br>それもあって小さい時から祖母といる事が多く、私と祖母はとても仲良しで、いつも笑い声が響いていたそうです。<br><br>小学生になってからは一緒に暮らしていて、リウマチで歩くのも年々困難になっていたので、家に帰れば必ず笑顔で迎えてくれていました<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/002.png" width="24" height="24" alt="ニコニコ" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>母が働きに出るようになってからも、私と妹は鍵っ子にならずにいることが出来ました<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png" width="24" height="24" alt="おねがい" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>そんな笑顔の絶えない私と祖母(……家族全体)の輪を私は壊してしまいました。<br><br>私は15歳で拒食症になりました。<br>14歳で胆石が見つかって手術をした後、痩せ型だったのが標準体型に近くなり、周囲から『元気な身体になったね』と言われるようになり、私にとってはそれが凄くショックでした。<br><br>高校生になり、2～3㎏減らそうと始めた食事制限とウォーキング。<br><br>すぐに目標体重まで減りました。<br>周囲からは『綺麗になったね』『大人っぽくなったね』と言われ、減量が止められなくなりました。<br><br>育ち盛りの時期に炭水化物・たんぱく質・脂質をほぼ摂らず、暑い日も寒い日も早朝から夕方まで歩いていました。<br><br>手にはカロリー見本帳と計算機、腰には万歩計が私のスタイルになり、下剤も多量に飲んでいました。<br><br>あっという間に身体はボロボロになりました。<br><br>周囲の反応は『綺麗』から『おかしい』に変わりました。<br><br>母から『(私と)一緒に歩いていると私の身体を皆が振り返って見ていくのが辛い』と言われました。<br><br>それでも私はもっと痩せたいと思い、どんどんエスカレートしていきました。<br><br>一気に体重を減らしたので、月のものもすぐに止まり、次第に更年期のような症状も出始めました。<br><br>鬱状態が酷くなり、常に『消えたい…』と言っていました。<br><br>母に『何をしてあげたら楽になるの？』と聞かれ、『殺して』と言いました。<br><br>表情は無くなり、感情もコントロールする事が出来なくなりました。<br><br>次回へ続きます…<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kirakira4heart/entry-12220603032.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Nov 2016 12:46:07 +0900</pubDate>
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<title>自己紹介</title>
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<![CDATA[ 私の名前はさおりと申します。<br>よろしくお願い致しますm(__)m<br><br>父は宮崎県出身、母は宮城県出身。<br><br>この2人が出逢わなければ、私は私として生まれなかったんだろうなぁ。<br><br>私の前に本当は兄がいました。<br><br>でも、母は妊娠4ヶ月位で流産してしまいました。<br><br>もしかしたら、もう子供は授からないと言われていたそうです<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png" width="24" height="24" alt="ショボーン" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>そんな中、母は父親(私の祖父)を癌で亡くして悲しみの連続だったでしょう…。<br><br>その後、母もすごい吐き気に襲われ、『自分も癌なのかも』と思いながら検査をしに病院へ行ってみたら、レントゲンを撮る前にまずは婦人科へ行くように言われて、そこで私を授かっていたとわかりました。<br><br>祖父は母が流産した時、『必ず戻って来るから』と言っていたと聞きました。<br><br>祖父は“亡くした子供が戻って来る”という意味で言ったのでしょうが、どこかで自分が亡くなるのを知っていて自分(祖父)が戻って来ると言ったのかもしれませんね<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png" width="24" height="24" alt="おねがい" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>私を受胎したのが、祖父が亡くなった辺りと。<br><br>私が生まれた時、祖父にそっくりだったらしく、皆が声を揃えて『隼人さん(祖父)が戻って来た～』と言ったそうです。<br><br>私はいつからか、急に尺八や民謡が好きになったのですが、祖父はその先生をしていたのだと後から知りました<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png" width="24" height="24" alt="びっくり" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br>やっぱりどこかで繋がっているんでしょうね<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png" width="24" height="24" alt="照れ" style="vertical-align: text-bottom;"><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kirakira4heart/entry-12220484348.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Nov 2016 23:35:36 +0900</pubDate>
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