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<title>作家　北國士の小窓</title>
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<description>紀行文、コラム、東南アジア関連情報を記す。ｅｔｃ</description>
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<title>続々・ラオス短信　（其の九）</title>
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<![CDATA[ <p>　　<font size="4">続々・ラオス短信　（其の九）</font></p><p><font size="4">　　　<font size="2">●</font><strong>ラオスの柔道指導（その２）</strong></font></p><p><font size="4"><br></font></p><p>２００９年東南アジア柔道選手権大会が８月６日と７日の両日、ヴィエンチャンで開催された。</p><p>選手団の参加は開催国のラオスを筆頭に、タイ、ヴェトナム、ミャンマー、シンガポール、</p><p>インドネシアの６ヵ国であったが、男女それぞれ８階級の体重別試合が二日間に亘って</p><p>熱戦を展開した。ベンチから選手に飛ぶ声援はそれぞれのお国言葉だが、「ウチマタ！」</p><p>「セオイ！」は各国共通である。</p><br><p>東南アジア柔道選手権大会と銘打ってあるが、これ実は柔道部門のプレ・シーゲームなのである。</p><p>１２月にヴィエンチャンで開催予定の第２５回ＳＥＡ・ＧＡＭＥＳ（東南アジア競技大会）については</p><p>この短信でも何度か触れたが、主催国ラオスとすれば自国チームの実力を把握しておきたいから、</p><p>この種の招待試合は何も柔道に限ったことではない。あちこちからスポンサーを募って随分な経費</p><p>を注ぎ込んでいる。</p><br><p>今回のラオス・ナショナル・チームの総指揮は２００３年から５年間、ＪＩＣＡ（シニア・ジャイカ）派遣の</p><p>柔道コーチとして指導に当たってきた菊池正敏師範（６段）である。</p><br><p>二度に亘るＪＩＣＡの契約期間は今年の４月で切れたが、今回はラオス国家スポーツ委員会からの</p><p>特別な要請で１２月の本大会までの指導を託された。　</p><br><p>これに先立ち菊池師範は入魂にしている西日本実業柔道連盟から６人の柔道かを招いて７月中旬</p><p>の４日間ヴィエンチャンで特別合宿を組んだ。他のアセアン諸国とは違い、柔道人口に余り恵まれて</p><p>いないラオスだけに、ここで怪我をさせてしまっては元も子もない。だが相手の業の切り返し方や、</p><p>業の切れ味を磨く手法を短期間ではあったがみっちり叩き込んだ。またその直後にはバンコックでの</p><p>国際大会にも選手団を引率して対外試合の感触にも馴染ませた。</p><br><p>その甲斐があったか、二日間に亘って１６階級で、金メダルは男子１００キロ超級で１個、女子軽量級</p><p>で２個獲得できた。ヴェトナムの国家ばかりが流れた会場で、ラオスの国家を３回聴くことができたの</p><p>である。　銀メダルは１個、銅メダルも１８個と結構な数を数えた。タイが一線級の選手を送り込んで</p><p>こなかったという背景があるにしても、なかなかに立派なものではないか。</p><br><p>だが、表彰式では他国国旗の掲揚に何度かミスがあった。</p><p>これは裏方さんにとっては本大会までの宿題だろう。</p><br><p>閉会式後のサヨナラ・パーティは如何にもラオ流というのか、屈託のないものになった。</p><p>言葉の解らない者同士が身振り手振りで即座に親しくなりゴーゴー・ダンスに打ち興じる様は、</p><p>メダルを取った者、取れなかった者を一緒くたにして、国境なぞ何処かへ吹き飛ばしていた。　（了）</p><p><br><br><strong><font size="2">※</font></strong>今回のブログは、以前のブログ<strong><font size="2">続・ラオス短信　（其の三）　ラオスの柔道指導</font></strong>の続編です。</p>　　（次回のブログ配信は、１０月より再開する予定です）<br><br><br><br><br><br><p><!-- google_ad_section_end(name=s2) --></p>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10325143775.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Aug 2009 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>続々･ラオス短信　（其の八）</title>
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<![CDATA[ <p>　　<font size="4">続々･ラオス短信　（其の八）</font></p><p><font size="4"><strong>　　　<font size="2">●</font>元気印ヴィエンチャン（２回目）</strong></font></p><br><p>パリ在住の知人（ラオ人だが国籍はフランス）がヴィエンチャンで結婚することになった。</p><p>新婦さんはヴィエンチャン在住、つまりラオスでは婿入り婚だから新郎がフランスから</p><p>やって来た。　新郎新婦ともに晩婚だが初婚である。</p><br><p>それは兎も角、式に参加する親類縁者がフランスはもとよりカナダ、オーストラリア、</p><p>シンガポールなど各地からヴィエンチャンに集合した。　その後、老若男女合わせて３４名。</p><p>ラオス在住の親族を合わせ、一週間ほどそれは賑やかなことであった。</p><br><p>王制を倒した社会主義革命直後の混乱期にラオスを脱出した人々は今でも世界中に</p><p>散らばっているが、政府の市場開放政策もあって、祖国に帰還する人々が最近増えてきた</p><p>ことは以前にも触れた。</p><br><p>ラオスが今現在、発展途上にあることが背景にあるとしても、こうした人々の深層には</p><p>――死に場所はやはり祖国、という想いがある。</p><br><br><p>そこで元気印の第二弾。</p><p>地元の新聞に最近目立つのが、「土地売ります」の広告である。</p><p>土地を求めたい海外の親戚に頼まれて片っ端から電話をしていた友人がぼやいた。</p><br><p>「一ヶ月前には１㎡５００バーツ（約１５００円）だったのに、今日電話したら１５００バーツに</p><p>値上がりしてるんですよ」</p><br><p>「それ日本では土地転がしって云ったんです。地上げ屋という「仕手」が居ましてね、</p><p>他人の土地を買い叩いておいて、買いたい人に高く売りつけるんです。</p><p>日本でのバブルはこうして始まったんですよ」</p><br><p>「でも、一ヶ月で三倍ですよ。誰か１０万ドル、いや３０万ドルぐらい融通してくれないかな。</p><p>今のうちに土地を買っておけば２～３年後には大金持ちだ」</p><br><p>話題の分譲地は水田の一画、３３００㎡というから１０００坪になる。</p><p>ラオスの土地は国有原則だから、個人（乃至は団体）は政府から２０年或いは３０年、</p><p>住居の場合は５０年という期間を賃借することになるのだが、契約期間中は政府との</p><p>名目契約者（外国人は不可）に地上権があるというわけである。</p><br><p>最近のヴィエンチャンは幹線道路沿いの田園や湿地帯が次々と埋め立てられ、</p><p>建築基準も改正されたから７、８階建て鉄骨ビルの建築ラッシュである。</p><br><p>その中でも目立つのが、「ＫＯＬＡＯ」の文字。コーリアン･ラオ・コーポレーションという</p><p>韓国企業名の略である。韓国製の車やバイク等の売れ行きが好調なので、これだけ元気なのだ。</p><p>ラオスへの進出は、タイ、ベトナム、中国だけではありませんぞ――うちも居ますよ、という強い</p><p>アピールなのです。　（了）</p><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10312852067.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Aug 2009 22:30:30 +0900</pubDate>
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<title>続々・ラオス短信　（其の七）</title>
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<![CDATA[ <p>　　<font size="4">続々・ラオス短信　（其の七）</font></p><p><font size="4">　　　<font size="2">●</font><strong>スパサイ・スパヌボン生誕１００年式典</strong></font></p><br><p>この７月１３日（月）にはラオス人民民主共和国初代大統領の生誕１００年記念式典が</p><p>ヴィエンチャンで盛大に挙行された。</p><br><p>「赤いプリンス」と呼ばれたスパヌボン殿下については、既報の「ラオスのテレビ放送」</p><p>欄でも少し触れたが、ここでお浚いをしておこう。</p><br><br><p>昭和１５年（１９４０）、ヴェトナムやビルマから連なる「援蒋ルート」を叩く目的で日本軍が</p><p>北部仏印に兵を進めたのをきっかけに、ラオスでフランスからの独立運動が顕在化したが、</p><p>ラーオ・イッサラ（自由ラオス）運動を興したルアン・プラバーン王国副王兼首相チャオ・</p><p>ペッサラート殿下とともに、スパサイ・スパヌボン殿下やスワンナ・プーマ殿下もこれに参加した。</p><br><p>だが同じブーンコーン副王の子として生れた異母兄のプーマ殿下は、時間を掛けてでも他国の</p><p>手は借りず、じっくり民族独自路線を貫こうとしたが、「即時独立派」のスパヌボン殿下はヴェトナム</p><p>労働党に接近して左翼的立場に立つ。これが、「赤いプリンス」と呼ばれた所以である。</p><br><p>１９０９年７月、ルアン・プラバーンで副王の子として生を享けたスパサイ・スパヌボン殿下は</p><p>ハノイで中等教育、パリで高等教育を受けた後、１９４０年代からは一貫して抗仏運動を指導した。</p><p>インドシナ三国が全て共産化した１９７５年の１２月、ラオス人民民主共和国初代大統領に就任する。</p><br><p>その後、１９８３年に引退、１９９５年１月死去した。</p><p>生涯を通じてラオス愛国戦線（パテート・ラーオ）の象徴的人物であった。</p><br><br><p>この日のテレビ放送は、第一（ＬＮＴＶ）、第二（Ｌａｏ・ＳＴＡＲ）ともにスパヌボン一色であった。</p><p>先ず朝の番組は、歩調を揃えた衛兵による献花が次々に捧げられるなか、厳かに進行する</p><p>墓前際の模様を逐一映し出した。</p><br><p>会場を移しての追悼式ではスパヌボン氏の栄誉を称える現大統領の演説があったが、</p><p>会場には遺族はもとより、政府・軍関係者、仏教界指導者、在ラオス外国公館関係者らが</p><p>所狭しと居並んだ。</p><br><p>午後から同じ会場で、全国各地から参加した各民族の伝統舞踊や楽器演奏、歌唱、</p><p>或いは歌劇などの出し物が華々しく繰り広げられた。</p><br><p>夜のテレビ番組は、まだ若々しいスパヌボン未亡人（ヴェトナム人）への独占インタビューも</p><p>３０分に亘って放送された。　それにしても、この行事の裏方として前日から、また当日早朝から</p><p>働きづめであった青年同盟と婦人同盟の若い皆さん――本当にご苦労様でした。　（了）</p><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10307321754.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Jul 2009 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>続々・ラオス短信　（其の六）</title>
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<![CDATA[ <p>　　<font size="4">続々・ラオス短信　（其の六）</font></p><p><font size="4">　　　<font size="2">●</font><strong>元気印のヴィエンチャン</strong></font></p><br><br><p>タイのチェンマイで四半世紀に亙って日本料理店を出している知人がいる。</p><p>１０年ばかりフィリピンで同じような商売をしていたのだが、２６年前にタイに移り住んだ。</p><p>二十代の中ごろ日本を離れたというから、知人はこの老人以上の日本嫌いである。</p><br><p>その彼が、ひょっこりヴィエンチャンに入ってきた。</p><p>用向きは遊びではない――店舗探しなのである。</p><br><p>よく聴くとタイは、いま景気がさっぱりで、チェンマイに四店舗出していた店も今では</p><p>一店舗だけになってしまった。そこでヴィエンチャンに狙いを付けた。</p><br><p>「やはりタクシンの失脚が響いたんですか？」</p><p>かつての首相タクシンが、北タイや東北タイの貧しい人々の面倒を良く見ていたという</p><p>話を思い出して、老人はそう訊いてみた。</p><br><p>「それも全く関係ないわけじゃないが、われわれの相手は観光客ですからね。</p><p>昨年の空港占拠事件以来、観光客がパッタリ途絶えてしまったんです・・・・・」</p><br><p>空港占拠とは、去年の１１月２５日から１２月４日まで反タクシン派の人々が</p><p>スワンナ・プーミ空港に座り込んで気勢を上げた事件のことだ。</p><br><p>タイの最高裁はタクシンの所属する政党の解散を命じて、事件は一件落着となり、</p><p>新首相も今後このようなことは一切起こさせない――と決意表明したが、一般観光客は</p><p>どうやらそれを信じていないらしい。</p><p>なぜなら、その直後今度は親タクシン派がデモを掛けた。タイ人は何をしでかすか分らない</p><p>――と観光客は考えているようなのだ。</p><br><p>さて、知人が目を付けたヴィエンチャンの街は、この１２月に開催される第２５回ＳＥＡ・ＧＡＭＥ</p><p>（東南アジア競技大会）一色である。</p><br><p>南へ向かう国道１３号線沿いの郊外ではＳＥＡ・ＧＡＭＥ用の施設が総仕上げに向けて急ピッチ</p><p>であるし、スポーツ省の向かい側にあった用水路と湿地帯がいつの間にか埋め立てられ、</p><p>７～８階建てのアパートメントが立ち並んだと思ったら、その一帯が今度はナイトバザール</p><p>になるということで、１０月にはオープンさせたいとこれの造成工事も急ピッチである。</p><p>路面に泥を撒き散らしながら大型ダンプがひっきりなしに出入りしている。</p><br><p>ＳＥＡ・ＧＡＭＥ用の各種競技場は中国の援助だが、ナイトバザールの方はヴェトナムが</p><p>出資しているらしく、工事統括事務所近辺にはＡＫ４７を抱えた厳めしいヴェトナム警備兵が</p><p>屯している。このナイトバザールも、どうやらＳＥＡ・ＧＡＭＥの観光客を当て込んでいるようだ。</p><br><p>閑話休題――知人のことである。</p><p>一ヶ月ほどヴィエンチャンとタイを往復しながら慎重に市場調査を重ねた結果、知人はワッタイ</p><p>空港へ向かう途次にあるノボテル・ホテル界隈に最近新築された三階建ての建物を取敢えず</p><p>二年間借りることにした。そこで一先ず日本式の焼肉店を開業するらしい。彼は現在、空調設備</p><p>の配備や厨房の改造、店内の装飾など開店準備に追われている。</p><br><p>家賃は月額１５００米ドル、二年分前払いである。　</p><p>建物の持ち主は３３年ぶりにアメリカから帰国してラオ女性と結婚した男性で、女性の母親の</p><p>土地に新築した。人民民主共和国建国直後に海外へ脱出した人々が海外から祖国に金員を</p><p>持込むこうした例は、最近頓に多くなった。</p><br><p>ヴィエンチャンの元気印は、我が家の近辺にも見受けられる。</p><p>入居したばがりの頃、我が家の奥にはお寺と大衆料理店があるだけで、昼の間は庭の梢を</p><p>訪れる野鳥の囀りに耳を傾けながら時を過ごすという全く長閑な生活であった。</p><p>それ以外は早暁の雄鶏の声と、一週間に一度の「寺の日」にスピーカーを通して流れてくる</p><p>お説教を耳にする程度。夜間は大衆食堂に集まる客筋の車が遠慮がちに我が家の横を出入りし、</p><p>夜半、閉店後に引き上げる従業員たちのバイクが賑やかに走り去るのも、ほんの一時であった。</p><p><br>それが――どうだ。今では雄鶏のコケッコッコーウが懐かしい。</p><p>二年前の道路拡張工事で我が家の塀も１５メートルほど削り取られたが、湿地帯であった近辺は</p><p>埋め立てられ、赤い屋根の立派な家々が立ち並んだ。揚句の果てにはすぐに斜前に大きな倉庫</p><p>まで出来上がってしまったのだ。</p><br><p>プラスティックのパイプを扱う会社のものらしいが、大小様々なパイプを満載した大型トラックが</p><p>我が家の前の狭い三叉路をクラクションを鳴らしながら終日出入りする。それも漢字の会社名が</p><p>そのまま残った日本の中古トラックなのだから、何とも皮肉な気分である。その所為だろうが、</p><p>我が家の前の簡易舗装道路はデコボコになってしまい、大家さんのぼやきも多くなった。</p><br><p>高級住宅が増えただけ朝夕の車の出入りも激しい。それがまたビックリするほどの高級車。</p><p>新しい御屋敷群には、一体何様がお住まいなのだろうか――。</p><p>昨夜も、奥の方で誰かの誕生パーティなのか、隣近所を無視した歌合戦が、スピーカーの</p><p>音をガンガン響かせて夜中まで続いていた。</p><br><p>ラオス政府は本当に社会主義を放棄してしまったのか。</p><p>市場経済の導入は確かに街を活気付けたし、ラオス通貨キープも現在強気である。</p><p>因みに２年物の定期預金の利率は米ドルで４％、タイバーツが３．５％なのに、</p><p>何とキープは１４％である。これはひと頃の日本が歩んできた道だ。</p><p>そしてインフレは確実に進行している。</p><br><p>社会主義、とりわけ国家社会主義を信奉するこの老人には、最近のヴィエンチャンは</p><p>どうやら住み難くなったようだ。　（了）</p><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10297999695.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Jul 2009 08:00:00 +0900</pubDate>
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<title>拙著のご案内</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">『<strong>百萬の象物語　王朝挽歌篇</strong>』</font></p><p><font size="4">『<strong>ぶるうす　インドシナ篇</strong>』　</font></p><p><font size="4">『<strong>ぶるうす　日本篇</strong>』</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">日本国内の取扱いに付きましては、エイアイ文庫　（Ａ＆Ⅰグループ)にて</font></p><p><font size="2">販売管理しております。</font></p><p><font size="2">ご注文やお問合せ等は、下記メールまで気軽にお問合せ下さい。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><font size="2"><p><font size="2">エイアイ文庫　（Ａ＆Ⅰグループ)</font></p><p><font size="2">Ｅ‐ｍａｉｌ：　<a href="mailto:ai-bunko@live.jp"><font color="#0066cc">ai-bunko@live.jp</font></a> </font><font size="2">　</font></p></font><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">尚、海外では、タイのバンコク紀伊国屋書店で取扱っております。</font></p><p><font size="2">(日本国内の紀伊国屋書店では取扱っておりません）</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font><br></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　</strong><font size="3">　　　 発行所：青年運動新聞社</font></font> </p><font size="2"><font size="3"><p><font size="3">　　　　　　　　　　　　　　　　　　価格：１２００円（税込み）</font></p><p><strong>　　　　　　　　　　　</strong><a id="i10043190345" class="detailOn" href="http://ameblo.jp/kita-kunio/image-10081856395-10043190345.html" target="_blank"><strong><img style="WIDTH: 299px; HEIGHT: 354px" border="0" src="https://stat001.ameba.jp/user_images/13/70/10043190345_s.jpg" width="299" height="354"></strong></a> <br><br></p><p><font size="2"><font size="3"><br></font></font></p><p><font size="2"><font size="3">　　　　　　　　　　　　　　　</font></font></p><p><font size="3">　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　発行所：エイアイ文庫</font></p><p><font size="3">　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　</font><font size="3">価格：８００円（税込み）</font></p><div align="center"><a id="i10054618542" class="detailOn" href="http://ameblo.jp/kita-kunio/image-10081856395-10054618542.html" target="_blank"><img style="WIDTH: 335px; HEIGHT: 257px" border="0" src="https://stat001.ameba.jp/user_images/d9/a1/10054618542_s.jpg" width="335" height="257"></a> </div><br><br><br><p><br><font size="2">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</font><font size="3">発行所：エイアイ文庫　</font><font size="3">　</font></p><p><font size="3">　　　　　　　　　　　　　　　　　価格：８００円（税込み）<br></font>　　　　　　　　　　　　　　<a id="i10110007331" class="detailOn" href="http://ameblo.jp/kita-kunio/image-10164204149-10110007331.html"><img style="WIDTH: 221px; HEIGHT: 300px" border="0" src="https://stat001.ameba.jp/user_images/3c/e9/10110007331_s.jpg" width="221" height="300"></a> <br><br></p><div align="center"><p><br></p><br><br><br></div></font></font>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10293011506.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jul 2009 08:00:00 +0900</pubDate>
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<title>続々・ラオス短信　（其の五）</title>
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<![CDATA[ <p>　　<font size="4">続々・ラオス短信　（其の五）</font></p><p><font size="4">　　　<font size="2">●</font><strong>ノートパソコン窃盗団御用！</strong></font></p><p><strong><font size="2"><br></font></strong></p><p><font size="2">大統領府から国防省方面へヴィエンチャン市を北に貫く幹線道路がある。</font></p><p><font size="2">パトーサイ（アーヌサワリー）までをラーンサーン通り、その先はフォンケン通り</font></p><p><font size="2">と呼ばれていたのだが、いつの間にかカイソーン・アヴェニューと命名された。</font></p><p><font size="2">国防省の前を抜けてさらに北上すると道は大きく左右に別れる。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">右に取れば国道１３号線。メコン河沿いに南下し、パークサン、ターケーク、</font></p><p><font size="2">サワンナケート、パークセー、そしてチャンパーサックを経てやがてカンボジア</font></p><p><font size="2">へと達する。　一方左を取れば「政治大学校の水処理」でかつて紹介したタゴン</font></p><p><font size="2">の街を抜け、ナムグム河を渡ると国道１０号線だ。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">それはさておき、この通りはヴィエンチャンへの通勤通学道路だから朝夕の</font></p><p><font size="2">ラッシュ時には一頃のサイゴン、おっとホーチミンを髣髴させるバイクと車の</font></p><p><font size="2">大渋滞で左折する（車は右側通行）のも一苦労。何せこのカイソーン大通り</font></p><p><font size="2">周辺には外国公館、官公庁、大企業、学校が集中しているからである。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">前置きが長くなったが、この幹線道路沿いのフォンケン・マーケットに隣接する</font></p><p><font size="2">場所に、日本から持ち込んだ中古パソコンを販売する知人の店がある。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">開店当初は客筋も少なく、はてさてどうなることやらと思っていたが、そのうちに</font></p><p><font size="2">一台５００ドルはするやつが月に１０台位は出るようになって一息吐いている所に、</font></p><p><font size="2">最近になって中国製や韓国製の新品が市場に出回るようになり、中古品は押され</font></p><p><font size="2">気味となった。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">「２～３年で使えなくなるのに、それでもラオ人は新しいのが好いのかな・・・・・」</font></p><p><font size="2">知人のボヤキである。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">そんなある夜――激しい雨となった。</font></p><p><font size="2">翌早朝、街路に面したシャッターがこじ開けられ、店が荒らされているに気付いた</font></p><p><font size="2">知人が店内を確認したところ、ＮＥＣや東芝の高価なノート・パソコン１５台が持ち</font></p><p><font size="2">去られているのが判明した。デスクトップや他のものは手付かずのままである。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">店の二階に起居している知人だが、前夜の豪雨で賊侵入には気付かなかったらしい。</font></p><p><font size="2">われわれがヴィエンチャンに入った７～８年前、豪雨の日には盗賊が侵入するから</font></p><p><font size="2">戸締りは特に厳重に――と日本大使館から御達しがあった事をこの老人は思い出した。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">さて、これだけの大仕事である。組織的な犯行だろうと思いながらも、知人は即刻、</font></p><p><font size="2">管区の警察署に盗難届を提出した。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">一週間余が経過したある日、管区警察から、窃盗犯２名を逮捕しパソコンも８台を</font></p><p><font size="2">回収したから代表者が受け取りに来るようにとの連絡が入った。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">一台も戻ってこないのでは・・・・・と、悲観していた知人だが、８台戻ったなら３台は</font></p><p><font size="2">警察に提供しようと思いつつ警察に向かったそうだ。</font></p><br><p>だが、後から聞いてみれば、何とも稚拙な犯行である。</p><p>盗難があった翌々日、店に一人の若者がやってきて、</p><p>「このパソコンに使えるアダプターは無いだろうか？」とのことである。</p><br><p>店員が対応したところ、若者が手にしているのは盗まれた品に間違いない。</p><p>これを何処で入手したかを問い詰めた店員に、若者は「そんなの関係ない！」</p><p>と、一旦は突っぱねたそうだが、この店から盗まれたものだ、との証拠を突きつけられ、</p><p>警察に突き出すと言われて、結局は捜査に協力することになった。</p><br><p>警察署長に感謝の気持ちを述べた知人に対し、署長は　「泥棒はラオスにだけ</p><p>いるわけではない――<font size="2">先進国の日本にだっているでしょう？　</font></p><p><font size="2">もっとガードを固めて下さい」と　</font><font size="2">指摘され、</font><font size="2">恐縮したそうだ。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">今回逮捕されたのは２２歳と１９歳の若者で、主犯格の一名はまだ逃亡中だそうだが、</font></p><p><font size="2">それもきっと捕まえるし、背後関係も洗う。当然まだ不明の７台についても必ず取り返す</font></p><p><font size="2">――との固い決意を署長は語ったそうだ。</font></p><p><font size="2">知人は再度感謝の意を述べ、捜査に協力するに吝かでないと申し添えた。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">現在、ヴィエンチャンの人口は７０万とも言われるが、それも定かではない。</font></p><p><font size="2">進出してくる中国人やヴェトナム人を含め、最近では地方からの上京者も</font></p><p><font size="2">どんどん増えているから、実際のところ正確な数は分らないのだ。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">ヴィエンチャンでの窃盗事件で被害の一番多いのが単車、次に建物への侵入犯で、</font></p><p><font size="2">三番目が四輪自動車だそうである。ヴィエンチャン警察には四管区あるそうだが、</font></p><p><font size="2">どの管区でも押しなべてこの順位だという。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">パソコンが窃盗の対象になったと云うことは、それだけパソコンの需要が増えたという</font></p><p><font size="2">証拠でもあるが、急激な都市化が進行しているヴィエンチャンに、それだけ貧富の格差</font></p><p><font size="2">が生じたとも言える。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">だが、今回逮捕された若者は、ごく普通の家庭の子弟であった。</font></p><p><font size="2">「麻薬ですよ。彼らが金を欲しがる原因はね・・・・・」署長が言ったという。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">かつて、この老人が著した小説『<strong>百萬の象物語・王朝挽歌篇</strong>』で指摘したことが</font></p><p><font size="2">現実となった。</font></p><p><font size="2"><br></font><font size="2">「・・・・・近頃になって、国外へ逃れた者たちが海外で稼いだ金員を祖国に持込む</font></p><p><font size="2">現象が目立つ。首都のディスコではゴーゴーやアメリカン・ポップスが若者たちを</font></p><p><font size="2">捉えてしまった。こうした海外から齎<font size="1">(もたら)</font>される拝金主義や汚染された欧米の文化が、</font></p><p><font size="2">国家を担うべき青少年を非行や愚行に走らせる現象も顕在化しているという。</font></p><p><font size="2">大らかだった心優しいラオスに、早くも現代文明病が蔓延し始めた。</font></p><p><font size="2">資本主義の根本は、――弱肉強食。市場原理の導入は社会主義の権威を失墜させる</font></p><p><font size="2">方向にある。そして党幹部や資産家の子女と、そうでない者との間に生じた教育格差。</font></p><p><font size="2">一部エリートだけが突出する社会現象は、人民革命党の旗印である機会均等とどう対峙</font></p><p><font size="2">するというのか――」　　　　　　　　　　　</font><font size="2">これは、２００２年時点での描写である。　(了)</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><strong><font size="2"><br></font></strong></p><p><strong><font size="2"><br></font></strong></p><p><strong><font size="2"><br></font></strong></p><p><strong><font size="2"><br></font></strong></p><br>
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<pubDate>Sat, 04 Jul 2009 09:00:00 +0900</pubDate>
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<title>続々・ラオス短信　（其の四）</title>
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<![CDATA[ <p>　<font size="4">　続々・ラオス短信　（其の四）</font></p><p><font size="4">　　　<font size="2">●</font><strong>メコン河畔の変貌</strong></font></p><br><p>久し振りにメコン河畔に出る機会があった。</p><p>というより数ヶ月ぶりに出遭った事情通氏と遅い昼食を――と考えたのであるが、</p><p>主だった店は午後の２時からは休憩時間なので已む無くナム・プー広場脇の</p><p>「コープチャイ・ドゥー」という店に入った。</p><br><p>この店は白人に人気の店で、そうした白人を狙った「何者か」が過去数度に亘り</p><p>手榴弾を投込んで死傷者もだしたという世界的に名の通った店なのである。</p><p>それを知ってか知らずか、何と店内は中年の白人グループで満杯なのだ。</p><br><p>「ヨーロッパは、今バカンスですよ――」事情通氏が言った。</p><p>「なるほど・・・・・」</p><br><p>かつての植民地を懐かしむコン・ファラン（フランス人）だけとは限らないのだろうが、</p><p>それにしても、この一帯は白人だらけだ。</p><br><p>人民政府とすれば、外貨を落してくれるのなら何も日本人でなくてもよろしいのだろうが、</p><p>白人嫌いのこちとらとすれば、何だか「窮屈」な気分に迫られてしまった。</p><br><p>再び、已む無くである――メコン河畔に出た。</p><p>しかしそこの光景にこの老人は目を疑った。</p><p>つい最近まで風情を醸し出していた藁葺きや茅葺屋根飲食店が取払われてしまい、</p><p>青天井の土手にはプラスティック製のテープルと椅子が並んでいるだけである。</p><p>だが、そこも白人連中に占領されていた。</p><br><p>去年の雨季、メコンがあわや決壊か――という危機があった。</p><p>ワッタイ国際空港付近一帯は土手を越えた水が民家や田畑に浸水、道路は河の延長となった。</p><br><p>そして連日軍隊、警察、住民総出の土嚢積み作戦が随所で展開し、河岸にせり出した藁葺きの</p><p>飲食店の中には身の丈ほどの部分まで冠水した店もあった。そういった背景もあったのだろうが、</p><p>事情通氏によると、これら藁葺きの店は全て撤去されて新しい堤防が土手に取って代わるのだそうだ。</p><br><p>「幅５～６メートルの堤の造成と護岸工事は、コリアの援助ですって・・・・・」</p><br><p>「ほう、韓国がね・・・・・」</p><br><p>「そりゃ彼らも頑張りますよ。青年同盟が運営していたゴルフ場の権利も買い取って新しく</p><p>造り直していますしね。チャイナがＳＥＡ・ＧＡＭＥには膨大な援助をしましたから、コリアも</p><p>負けていられないんです。日本人だけがノン・ビザなのは許せないと思っているんでしょう」</p><br><p>「一寸待って下さい。２週間のノン・ビザは日本人だけですか？」</p><br><p>「ハイ、日本だけです」</p><p>「かつての宗主国フランスでも今のラオスへの入国にはビザは必要なんです」</p><br><p>「そうでしたか、私は勘違いしていました。</p><p>てっきりフランス人は相当以前からノン・ビザだったのかと・・・・・」</p><br><p>「たしかにここのところ、日本はラオスに相当援助しましたからね。</p><p>でもこの日本人だけノン・ビザというのには実は裏があるらしいのです。</p><p>外務省の知人から聞いた話なんですがね・・・・・」</p><br><p>そう切り出した事情通氏は、次のように語った。</p><br><p>たしかに日本政府はメコンに橋を架け、道路を整備し、建物も幾つか造ってくれたが、</p><p>インフラ整備だけで終わってしまうのはどう言うものか――。</p><br><p>ラオスは２０２０年までには他のアセアン諸国に立ち並びたいと思っている。</p><p>つまり経済活動面での活性化を見たのですが、その為には日本の企業が民間からの</p><p>ラオスに対する一層の投資が望まれるし、一方観光客にもどんどん入ってきて欲しいとも</p><p>思っている。</p><br><p>「――ですから、この日本人だけノン・ビザというのはラオスが日本に投げた餌なんですよ。</p><p>数年間様子を見て、投資の増額も見込めない、観光客も増加しないというようなことなら、</p><p>このノン・ビザは何れ撤回されてしまうでしょう」</p><br><p>「それがラオス外務省の胎ですか？」</p><br><p>「そう言ったところです・・・・・」</p><br><p>結局二人の久し振りの会見は、白く太い腕をむき出しにした白人女性たちが屯する</p><p>土手堤を、アイスクリームを舐めながら散策して終わった。　（了）</p><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10287978305.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2009 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>続々・ラオス短信　（其の三）</title>
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<![CDATA[ <p>　　　<font size="4">続々・ラオス短信　（其の三）</font>　</p><p><font size="4"><strong>　　　<font size="1">●</font>ラオスのテレビ放送</strong></font></p><br><p>ＮＨＫワールドが英語圏向けの放送になってしまったので、どうせ言葉が解らないのなら</p><p>――と地元のテレビ番組を見るようになったことは前にも触れたが、手元の資料によると</p><p>国営テレビ「ラオ･ナショナル･テレビジョン（ＬＮＴ）］の放送が開始されたのは１９８３年と</p><p>なっている。</p><br><p>数年前からは「ラオ･スター」という２局目が登場して、ラオスの各地方を訪ね少数民族や</p><p>風物、或いは豊かな自然の姿を報道してくれるようになった。</p><br><p>一方ＬＮＴでは、日本で１０年ほど前に放送された日本の自然や文物を紹介した番組を</p><p>毎日のように流してくれるので、ＮＨＫワールドよりむしろＬＮＴの方が余程この老人の心を</p><p>和ませてくれる。</p><br><p>さて、異聞というほどではないが、最近のＬＮＴで気付いたことは、カイソーン元大統領に</p><p>率いられたパテト･ラーオの抗仏戦や抗米戦、或いは内戦当時に全民族が一丸となって</p><p>戦った姿が連日放映されるなかで、赤いプリンスと呼ばれたスパヌボン初代大統領の姿が、</p><p>近頃頓（とみ）に映し出されるようになったことである。</p><br><p>今年が、シー･サワン･ヴォン国王が薨去して満５０年であり、ネオ･ラーオ･ハクサート</p><p>（ラオス愛国戦線）の戦闘部隊パテート･ラーオが国軍として公認されてから５０年という</p><p>のも理解できるのだが、スパヌヴォン（愛国戦線議長）、カイソーン（人民革命党書記長）</p><p>両氏が抱合って人民民主共和国の誕生を喜ぶ場面はあっても、これまでは常にカイソーン氏</p><p>が主役であった。</p><br><p>なのに――何故？　画面のテロップを見て気付いた。</p><p>今年７月１３日がスパヌヴォン初代大統領の生誕１００年なのだ。</p><br><p>※スパサイ・スパヌヴォン<br>１９０９年ルアンプラバーン王国ブーンコーン副王の子として生まれる。</p><p>ハノイで中等教育、フランスで高等教育を受ける。１９４５年から一貫して抗仏・抗米運動を指導。</p><p>左翼的立場にあることから「赤いプリンス」と呼ばれたラオス愛国戦線の象徴的人物。</p><p>１９７５年１２月ラオス人民民主共和国初代大統領に就任。１９８３年引退、１９９５年１月死去。</p><p>数次に亙り三派連合政権の首相を歴任したスヴァンナ･プーマ殿下は異母兄、ラーン･サーン</p><p>王家最後の国王サワン･ワッタナーとは従兄弟の関係である。</p><br><br><p>革命戦争当時の映像を頻繁に流して愛国心の高揚を謳うのは、既に国民の半数は</p><p>１９７５年以降に生まれているからなのだろうと、この老人は考えるのだが、どうもそれ</p><p>ばからりでは無さそうだ。</p><br><p>この１２月には第２５回ＳＥＡ・ＧＡＭＥ（東南アジア競技大会）が９日から１８日まで</p><p>ヴィエンチャンで開催される。主催国ラオスの国威を発揚するには愛国心の結集が</p><p>必要となる。そこで国歌を、さらには抵抗戦時代の映像を掘起して流すのも、</p><p>むべなるかなであろう。</p><br><p>さらに一つ、午後６時台のニュース番組で、ラオスを構成する代表的な三民族</p><p>（モン、カムー、ラーオ）のアナウンサーが順次登場し、それぞれの言葉で同じ</p><p>ニュースを伝えていることである。</p><br><p>多民族のモザイク国家と言われるラオスではあるが、国民はかつてその居住地に</p><p>よって三種類に分けられていた。（ヴェトナム人と華人は除く）</p><br><p>ラオ・スーン（高地ラオ）と呼ばれるモン語を話す人々、ラオ・トゥン（丘陵地）と呼ばれ</p><p>主にオーストロジア語を話す先住民の人々、そして人口の約半数を占めるラオ・ルム</p><p>（低地ラオ）で、彼らはタイ諸語を話す。　かつてフランスからの独立戦争で、彼らは</p><p>一致協力して戦った。その意気で国民こぞってＳＥＡ・ＧＡＭＥを乗り切ろうと云うのであろう。</p><br><p>そこで訊いてみた。</p><p>「一体ラオス人の何人が、テレビを観ているのだろうか？」</p><p>「一部山岳民は除いたとしても、国民の８０％は観ていますよ」</p><p>「そんなに――？」</p><p>「今は山の中だって、自分の家には無くても他所で見ますからね」</p><br><p>なるほど――そうであれば国営テレビ局の意図も理解できる。</p><p>だが残念ながら、都市部の人々の大半は、メコンを越えてやって来るタイの</p><p>テレビ番組に夢中になっているというのが現実の姿なのです。　（了）<br><br><br><br><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10283620392.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jun 2009 10:10:10 +0900</pubDate>
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<title>続々・ラオス短信　（其の二）</title>
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<![CDATA[ <p>　　<font size="4">続々・ラオス短信　（其の二）</font>　　</p><p><font size="4"><strong>　　<font size="1">●</font>ラオスに鉄道が開通</strong></font></p><br><p>５月になって、我が細君がお仲間二人とヴィエンチャン入りすることになった。</p><p>それも、タイから鉄路で入ってくると言うのだ。</p><br><p>過去何十年も、ラオスには１メートルの鉄道もないと聴かされてきたラオスに</p><p>メコン河を跨いだ鉄道が通じたのは、つい最近になってのことである。</p><br><p>この３月５日、東北タイの終着駅ノーンカーイからヴィエンチャンのタナ･レーン駅</p><p>の間に正式に鉄道が開通した。これで、ヴィエンチャンとバンコク間（約６３０キロ）が</p><p>鉄道で結ばれる担ったことになった。</p><br><p>前日の４日にタイ側のノーンカーイ駅でシリントン王女臨席のもとに開通式典が催され、</p><p>５日にはラオス側で開通式典が挙行された。この様子はＮＨＫのテレビジョンでも放映</p><p>され、メコン河畔から友好橋を通過する２輌列車を見上げるタイの少女が、これでラオス</p><p>に入りやすくなったとコメントしていた。</p><br><p>この計画は１９９４年にノーンカーイとヴィエンチャンを結ぶ「友好橋」が完成した時点で</p><p>進められていたのだが、アジアの優等生タイを襲った１９９７年の「通過（経済）危機」以来、</p><p>頓挫させられていたものである。</p><br><p>かつてタイから陸路に入った際、メコン河の中間点（国境）まで敷かれていたレールが、</p><p>ラオス側ではプッツリ途絶えていたのを私は覚えている。</p><br><br><p>閑話休題。―――細君たちを出迎えるため、当方まずタナ･レーン駅なるものを下見する</p><p>ことにした。ヴィエンチャンの中心部から車でタードゥア街道を走ること約３５分、友好橋の</p><p>したを潜り抜け、しばらくすると標識があったのでそれを左折した。急ごしらえの簡易舗装</p><p>道路をくねくね進むと、やがて前方に駅舎が見えた。駅舎前のドデカイ駐車場には閑古鳥</p><p>が鳴いている。車を駐車場に停め、駅舎に入った。時刻表を貰うためである。</p><p>駅には殆ど無人状態。制服を着用した警察官が数人散見できるだけであった。</p><p><br>丁度この時、汽笛を鳴らして列車が入線してきた。現在時刻午後４時８分。</p><p>ノーンカーイ駅を午後４時に出発した奴である。降りてきた乗客は大人二人、</p><p>子供二人の四人だけ、降ろされた荷物は小さなダンボール箱二個であった。</p><br><p>この列車がタナ･レーン午後５時発のバンコク行きとなり、ノーンカーイで寝台車に</p><p>乗換えた後、バンコクの中央駅到着は翌朝の午前６時２５分となると時刻表には</p><p>記載されている。　ちなみにタナ･レーンからノーンカーイまでの運賃は２等席が</p><p>３０バーツ（７５００キープ）、３等席は２０バーツ（５０００キープ）である。</p><br><p>これで一往の下見が出来たので帰ろうと思ったら、ヴェトナム風の編み笠を被った</p><p>女性がやってきて、チュウシャ料金５０００キープを請求されてしまった。</p><br><p>さて翌日である。バンコクのホアランポン駅を前夜８時に出発した夜行寝台列車が</p><p>ノーンカーイに到着するのは午前８時半。そして、午前１０時にノーンカーイ駅を出る</p><p>列車がタナ･レーンに到着するのは時刻表では午前１０時１５分となっている。</p><p>われわれは１０時前からタナ･レーン駅で待った。</p><br><p>ところが、１１時を過ぎても何の音沙汰もない。駅員に訊ねいてもさっぱり要領を得ない。</p><p>とにかくノーンカーイに列車が到着していないようなのだ。　</p><br><p>すわ――事故か？</p><br><p>結局タナ･レーン駅に列車が入線したのは１２時５分であった。集中豪雨で鉄路が冠水した</p><p>影響からノーンカーイ到着が大幅に遅れてしまったらしい。</p><br><br><p>彼女たちは朝食も満足に摂っていなかった。</p><p>「とにかく、ヴィエンチャンに列車で入りたくて・・・・・」これが人をさんざん待たせた弁である。</p><p>それでも降りた客は５０人ほどであったから、物珍しさから乗ってみた彼女らの同類項も</p><p>居たようだ。だが彼女らは、この一回で懲りたそうである。</p><br><p>しかもラオス人の間では、この鉄道の開通は余り知られていない、というより関心が無いらしい。</p><p>ノーンカーイやその先のウドーンタニーで買物をするには、バスで十分だし、第一バンコクまで</p><p>いくような人も居ないのだろう。この鉄道を使って物流が盛んになるには、まだ相当の時間と智恵</p><p>が必要となりそうだ。</p><br><br><p>（追補）　過去にラオスに１メートルの鉄道もなかったというのは事実ではない。</p><p>フランスの統治時代、カンボディアに接するメコン河最南部のコーンパペンの滝が船の航行を</p><p>阻んでいたため、フランス植民地政府は鉄道で物資を輸送しようとコーン島とデッド島の間に</p><p>レールを敷いた。総延長６．５キロ。現在では日本軍のクーデター（明号作戦）で廃棄されて以来、</p><p>その残骸しか残っていない。　「日本軍のクーデター」インドシナの管理を日本と共同で行っていた</p><p>ヴィシー政権がパリの解放（１９４４年６月）で崩壊し、ドゴール臨時政府が日本に敵対してきたため、</p><p>日本軍は１９４５年３月、インドシナ全域で軍事行動に移った。　それまで兵を駐屯させていなかった</p><p>ラオスには、タイとヴェトナムの南北から兵を進め、ラオスのフランス軍を一掃した。</p><p>これを明号作戦という。　（了）</p><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 13 Jun 2009 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>続々･ラオス短信　（其の一）</title>
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<![CDATA[ <p><strong>　　</strong><font size="4">続々･ラオス短信<strong>　</strong>（其の一）<strong>　</strong></font></p><p><strong><font size="4">　　<font size="1">●</font>日本からの直行便ラオスに飛来</font></strong></p><br><p>いささか旧聞にぞくするが、この２月１２日、日本人観光客２１５人を乗せた日本航空８８３７便</p><p>（ボーイング７６７）がヴィエンチャンのワッタイ空港に飛来した。所要時間は成田空港から</p><p>直行便で６時間程度らしい。</p><br><p>日本からラオスへ入国する場合、タイかヴェトナムの空港を経由するのが一般的だが、</p><p>今回のチャーター機は（株）全旅なる企業が企画したものらしく、先に津軽三味線「あんみ通」の</p><p>コンサート開催の件でも紹介したように、これも「２００９年日メコン交流年事業」の一環なのだそうだ。</p><br><p>地元としても、今回の企画が日本人のラオスへの関心を高め、ラオスの観光資源開拓の出発点に</p><p>なってくれれば、これほどオイシイ話はない。</p><br><p>空港にはラオス政府要人やk民族衣装に正装したラオス観光庁の職員らが大挙して出迎え、</p><p>それは華やかな光景だったそうだが、この２１５名全員がワッタイ空港を通関するには１時間</p><p>以上を要した。国際空港とは言っても日本のローカル空港に毛の生えた程度の規模なのだから</p><p>それも已むを得ない。</p><br><p>到着の夜は日本からラオスへの観光客を一手に仕切っている日本の旅行社ジャンピング･ツアーの</p><p>事務所が入っているラオ･プラザ･ホテルで歓迎のレセプションが開催された。日本人旅行者らは、</p><p>在ラオス日本国大使やラオス政界、旅行業界関係者に交じってラオスの民族舞踊や古典音楽を</p><p>愉しんだ。</p><br><p>一向は１９７５年の革命で消滅したラーン･サーン王朝の旧王朝ルアンプラバーンにも２月３日で脚を</p><p>伸ばしたそうだが、今回の参加者は機中１泊５日間の旅で何と３０万円だったと言うのだから愕きである。</p><p>幾ら日本の老人たちが金持ちでも、こんなにふんだくって善いものだろうか？　このチャーター便では、</p><p>かつて閣僚経験もある日本の代議士先生お一人が同行したそうである。</p><br><p>さて、それでは今回の企画で一番儲けたのは・・・・・・・・一体誰なのか？</p><p>それが、われわれ貧乏で口さがない人種の間での話題となった。</p><br><p>企画会社（株）全旅の母体は社団法人「全国旅行業協会」というところだそうである。</p><p>とすると歓迎レセプションをホテルで主催したというこの法人か？</p><p>いやそれとも直接の企画会社「全旅」ではないか？或いはＪＡＬかな？</p><p>おっと違うぜ、ラオス政府要人や観光庁の人間かもしれない――な？</p><br><p>口さがない連中の勝手な憶測である。</p><p>日本からの代議士先生は、当地でプアソン首相に会見し、日ラオ交流の重要性について</p><p>意見交換をしたそうである。――これが「落ち」でした。　（了）</p><br><br><p><font size="1"><br></font></p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kita-kunio/entry-10276956241.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Jun 2009 22:00:00 +0900</pubDate>
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