<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Con Entusiasmo y Serenidad</title>
<link>https://ameblo.jp/kkk04568004/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/kkk04568004/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>140字では足りない。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>リテラシー</title>
<description>
<![CDATA[ ドイツの4度目の優勝で幕を閉じたFIFAワールドカップ2014ブラジル大会。前回大会チャンピオンのスペインがGLで敗退。そのスペインを倒したオランダの躍進、伏兵コスタリカの健闘、ブラジルのエース・ネイマールの負傷離脱と準決勝での歴史的敗戦等々…。今大会は様々なドラマが生まれ、人々の心にいつまでも残り続けるだろう素晴らしい大会になった。<br><br>我らが日本代表はと言えば、多くの国民の期待を裏切り、未勝利のまま大会から姿を消した。大会終了を待たずして、様々な媒体で今大会の日本の敗因が指摘され、多くの意見が出された。<br><br>その中に一つ、(あくまで)個人的に気になった指摘がある。<br><br>「なぜ大久保を直前に招集したのか。もっと早く呼んでいれば連携がとれた。彼がチームバランスを乱した。」<br><br>まぁこんなような内容だったと記憶する。ここで言いたいのは、この記事の揚げ足を取って批判することではない。選手はプロフェッショナルである。結果が出なければ批判を受けるのは至極当然のこと。ネット上でマスコミを揶揄してマスゴミ等という言葉も出回っているが、何もそういう事を言いたい訳ではない。<br><br>ここで考えたいのは、こういう記事を受け取った我々読者がそれをどう捉えるかということである。もし日本が大久保の活躍で勝ち上がっていたらこの記事はどうなっていたか。恐らく、「大久保の直前招集がチームに刺激を与え、対戦国もデータが不足していた事が功を奏した」となっていたに違いない。光があれば影がある。長所と短所は表裏一体である。それを理解していれば、先程の記事を見ても大久保の価値そのものを否定することにはつながらないだろう。(あくまで捉え方の問題で、記事の中身の是非を問うことが今回の趣旨ではない。)<br><br>伝える側と受け取る側では、伝える側の方が立場が上だという意識が日本では強いような気がする。しかし、受け取る側が何も疑わず、ただ無批判に受け入れるだけではお互いに成長しない。情報の溢れる現代社会。サッカーにおいてもその流れは顕著で、情報の取捨選択は一層難しくなっている。日本サッカー発展のためにもメディアリテラシーの向上は必要不可欠なのではないか。<br><br>勿論この文章自体、批判的に読んで頂ければ幸いである。<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kkk04568004/entry-11897763342.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jul 2014 21:35:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>無くても生きていける。ただこの世界は少しだけつまらなくなる。</title>
<description>
<![CDATA[ 「あなたにとってサッカーとは何ですか？」<br><br>使い古された質問である。ある選手は「人生」と答え、またあるサポーターは「無いと生きていけないもの」と熱っぽく答えるだろう。<br><br>じゃあ自分はどうなのだろうかと考える。すぐには言葉に出来ない。こういう時はまず辞書を引いてみる。分からなければ辞書を引くという作業も、1年半スペイン語を勉強していると慣れてくる。<br><br>サッカー:「1チーム11人からなる二組が、ゴールキーパー以外は手を使わず、主として足でボールを扱いながら相手のゴールにボールを入れて得点を競い合う競技。蹴球。ア式蹴球。」（大辞泉）<br><br>実にシンプル。ただこれこそサッカーが世界最大のスポーツになった大きな理由だから当然かもしれない。<br><br>もう少し考えたい。一日の生活の中にどれくらいサッカーが入り込んでいるのか。例えば平日。朝起きてテレビをつける。まずは天気予報。「今日は紫外線が強いです。午後は雷雨に注意してください。」最近はやたら暑い。今ならワールドカップのニュースがやっている。日本が負けた。長友が涙を流した。スアレスが相手選手に噛みついた。携帯を見る。Twitterを開く。みんな朝から大変だ。電車が遅延した。宿題終わってない。忘れ物した。サッカー好きがニュースをリツイートしてる。朝ごはんはコンビニで買っていこう。コンビニの入り口には「頑張れニッポン」の看板。学校で授業を受ける。昼休みは学食へ。飲み物を買えば日本代表選手がペットボトルにプリントしてある。午後の授業へ。眠気と戦っているうちに授業が終わる。急いでグラウンドへ。今日も土のグラウンドで走る。蒸し暑さにやられながらも練習終了。家に帰る。疲れたから宿題は明日でいいや。寝よう。<br><br>結構サッカーが占めてる割合って大きい。そこでだ。サッカーの要素だけ取り除いてみる。<br>朝起きてテレビの天気予報を見る。携帯を見る。Twitterを開く。コンビニに行く。午前の授業。昼食。午後の授業。帰宅。就寝。別にサッカーがなくても一切生活に支障は出ない。休日も同じだ。ゲームでもしていれば一日過ごせるだろう。そういえばゲーム久しくやってないな。ゲームといえばウイイレという少年期だった。最近だとFIFAもかなり売れているそうだ。気になってYouTubeで検索してみるとかなりリアルだ。<br><br>そうしていくつか動画を見ていると、FIFA14のCMに行き当たった。以下抜粋。<br><br>もちろん戦いには、勝つほうがいい<br>負けるよりはずっとね<br>サッカーで負けても　たいしたことじゃないわ<br>悩みはなくならないし　宿題だって！<br>じゃあ、なぜ僕らはサッカーに　こんなに夢中になるんだっけ？<br>もしサッカーがなかったら、<br>この世界は、ちょっと退屈だ。<br><br><br>これだ。この感覚だ。もやもやと頭の中を渦巻いていたものが言葉になった。<br>そこで最初の質問。「あなたにとってサッカーとは何ですか？」<br><br>答えはまさにこれである。「無くても生きていけるけど、無いと世界をほんの少しだけつまらなくしてしまうもの。」<br><br><br>言葉に出来ないもやもやとした気持ちを言葉にする。文章にする。これはすごい難しいけど、それが出来る人間になりたいと思う。大学2年。ワールドカップの期間に、自分の目標が明確になった。これはそのための練習。体にたまった熱を放出する場所にしたいです。夢への第一歩といったところでしょうか。<br><br>つたない文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。ここがすべての始まりだったと10年後に振り返られるようにしたいです。僕にとってサッカーは「夢を持つことの大切さを教えてくれたもの。」でもあったから。<br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/kkk04568004/entry-11884736615.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Jun 2014 23:39:52 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
