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<title>kob-comのブログ</title>
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<title>公志の伝承</title>
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<![CDATA[ <p>相手に伝わると思って軽く見ていたことが、だんだんそうでないと、伝わるものではないとわかってきまして、じゃあ、この意思、意味をどうであったら伝わるのか、それには元の理を明確にすることにありまして、それがハッキリしてきた分だけ、エッセンスが取り出せる。それと相手の状態が今どのあたりにあるのか、それの把握にも精力を傾けることになります。相手に応じて、ふさわしい出し方が一人一人あります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-12456247182.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Apr 2019 08:58:12 +0900</pubDate>
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<title>「知る」と「豊か」</title>
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<![CDATA[ 豊かさとは一般的にどういった状態のことを指すのか自分では余り想像もしたこもない。<br><br>すぐに思いつくのは、豊満、太っているとか、沢山あるとか、満たされるとか、おおらか、ゆっくり、まったり、みたいなものを連想する。<br><br>人間の場合の豊かさとはどんな事をいうのか。<br><br>果物の場合は木に沢山の実がついているのを見て人間が言うのだが、果実の量や色や美味しさの事を言うのだろう。<br>動物の場合は落ち着いていて、体もしっかりしていて余裕がある。子孫にも恵まれ、暮らすのに不自由なくそして余らしているわけでもなく、身の程を知り、自由に己らしく生きる。<br>そういうイメージがある。<br><br>さて、人間の豊かさというのはどういったものだろうか。<br>能力や美貌などそういったものもあるかな、子どもや孫たちに囲まれながら生きるとかもあるかもしれない。おおらかとか、心が広いとかも言ったりする。<br>豊かさとは量にも関係しているように思う。不足なく豊満なイメージだ。水や空気のように沢山ある。それとは別で増やす、囲う、沢山あるようにする、というのはなんとなく貧乏くさい感じもする。<br>体が大きいのが豊かさか、沢山食べものを食べるのが豊さか、と言われるとそうでもない気がしている。形あるものや、現象的に目に見えるものなどには量が分かるのかもしれないが、さて、形のないものも世の中には沢山あるのではないだろうか。<br>無現象なもの。例えばエネルギーや電気みたいなものだ。人間のなかにある感情と呼ばれるものや気持ち、観念なども目に見えるものではないだろう。知識や経験も目に見えるものではない。<br>では、目に見えないものが増えていく、心が豊かになるとは何の事を指すのだろうか。<br><br>ここで突然かもしれないが、私が考える人間の豊かさにとても大きな影響をあたえるものは<br>「知る」「知識」「知能」などが大きな影響を現すのではないかと思う。<br>三つ述べたもの全部バラバラのジャンルのものかもしれないが大まかに言うと「知」ということ。<br>しかもそれは物や植物についてもそうだが、一番は「人間について知る」というのが一番ではないだろうか。<br>人間について知るということは、体の面、医学や栄養の事もあるが、一番はなんと言っても精神のことが人間を語る上で大きなウェイトを占めている。それを「心」と言ってもいいのかもしれない。<br>「心」を知る。と言えるのかな。<br><br>その心に影響しているのが、「知」ではないだろうか。<br><br>心は生まれた時からあるのかもしれないが、俗に言う「心が成長する」というのは何が成長していると言うのか。もともとあるものが、どうなることを指すのだろうか。<br>成長する上で大きな働きをするのが、「知る」ということ、つまり知能が大きく関係しているように思う。そこから情報を取り込み頭を通して、心が膨らんでいくのか。<br>そこで大きな問題が、「知能の用い方」と言われるように正しく情報を入れているか、偏見や主観的な見方ではなく、正しく素直にそのまま情報が入っているかどうかが問題になってくる。<br>ここをちゃんと理解しないといつまでたっても間違いだらけの理解に自分が苦しむだけだと思う。<br><br><br>知るということは、即ち世話をする人、人のお世話をする人が人間にとって最も豊かな人だと言えるのではないだろうか。<br>「知る」と「お世話」がなんで繋がるのか、意味が分からないと思う人も沢山いると思うが、それはまた別の機会に解説できるといいかなと思う。<br><br>知らないと(知ろうとしないと)人のお世話はできない。身の回りの細かなことは誰でもできるが、心のお世話も含めて細かなことを出来る人はなかなかいない。<br>植物や動物のお世話をする人は、対象となる植物や動物のことをある程度知らないと適切なタイミングや量など、お世話はできないと思う。一方的な主観で今はお腹がすいているから、食べさせようでは相手(対象)は困ってしまうでしょう。<br>それが人間では現象的な言動もあるが、ほとんどの人間が満たされる部分を占めている心のお世話をできる人が大事だと思う。<br><br>心のお世話。<br><br>それは外からは分かりにくいものであるし、わからない人には全く分からないことと言ってもいいと思う。<br>その境地や同じ立場になった人なら少しは理解できるのかもしれない。<br><br>人の事を考えている、思っていると思っていても、それが自分の感覚や、自分の認識との自覚がないうちは、それは豊かさとは違う状態でもあるようにも思う。<br><br>ホントウに相手の事を思えているかは甚だあやしいところだ。<br><br>自分の事を知ろうとしない人が、人の事を知ろうとすることがほんとにできるのだろうか。<br>知っているつもりでも、それは「つもり」ではないだろうか。<br><br>相手が今どんなことを思っているか、考えているのか、リラックスしているか、していないか、<br>居心地はどうか、狭くないか、邪魔じゃないか、無理していないか、自分はどんな影響を与えているか、など、人から言われるたり、自分で無理して考えたり言い聞かせるじゃなく、自分の中から自発的に湧いてくるもので考え行動出来る人は、人間の見本になると思うし、とても豊かな人ではないだろうか。<br><br>やはり、人間の見本になる人、うらやむような人は「豊かさ」が溢れるような人でないと誰も魅力を感じないと思う。<br><br>誰でもどんな人でもうらやむもの、魅力的に映るもの。それは「豊さ」ではないかと最近思う。<br>しかもそれは、見かけに出るかもしれないが、外からは出るものではなく、内面の話のように思う。<br>それは内面に関心のある人でないとスグにはわからないものではないかと思う。<br><br>そして人間が人間のお世話をする(心のお世話)のは別に特別の人ができることや難しいことでもなく、誰でもできる能力があり、そんなに大差はないし、成長とともに自然とできてくるのではないだろうか。<br>お母さんが赤ちゃんのお世話をするように、おばあちゃんやお母さんの助けをもらいながら自然にやるように、知りながらやっていく、一度できたからと言って全部知れるものではなく、いつまでも「知る」の営みの中で豊かに成り続けていく。<br><br><br><br>長くなったけど、そういうものではないだろうか。<br><br>「豊かさ」と「知る」の関係がまだ雑に述べられただけで、分かりにくかな。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-12065392384.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Aug 2015 20:07:09 +0900</pubDate>
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<title>一人一人の今の生活</title>
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<![CDATA[ 一人一人今の生活がある。<br><br>あとどの位続くだろうか。今頑張れば未来がある。今は絶好調だが今後不安だ。あと一ヶ月で、、、<br>なんて思ったこともあるだろう。<br><br>今の仕事だって永久にあるものではないし、生きてる間になくなる場合や、そうでないものもあるのかもしれない。<br><br>個人の満足と言えば、自分の一番発揮される場所で、一生を全うできるのが人間にとってとても大きな要素な気がしている。<br>満足して、心から満たされて豊かになっていくのがいいな。<br><br>一時的な麻薬的な快楽では本当の豊かさは訪れないのかもしれない。<br><br>豊かさとはなんなのだろうか。<br>人間が居なくてもあるものだろうか。<br>
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-12037727497.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Jun 2015 19:43:50 +0900</pubDate>
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<title>実際と実態</title>
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<![CDATA[ 実際の成り立ち。は「実態」ということもできるのだろうか。<br><br>実態は人間が色々な見方で色々な事を言ったり解説したりもするが、それとは一線を引いた全くの別のものであろう。<br>人間一人一人が色々な意見を言ったり、それをそうだと決めつけたりしてもいいが、基本的に全く別の質のものなので、実態というのをどれだけ見ようと、知ろうとできるか。<br><br>決めつけや偏りのない頭で知ろうとするなれば、、、<br><br>成り立ちを知ろうとしていくもの。<br><br>また造っていこうとするもの。<br>何をしようとしても成り立ちというのはつきまとってくるだろう。<br>そこにあるもの。成り立ちの本質を知ることで真理というものに近づいていくものでもあるのかな。<br><br>単純にこうなったからこうなった。という表面的な一時的なものも、その本質があるのだろうと思う。なぜケンカをするのかというと何か理由があるのだろう。<br>人間がこうだと決めれないものがそこにはあるのではないだろうか。<br><br>理由付けをしても所詮は人間が言う理由だろう。<br><br>本質はどこにあるだろう。<br><br>そうなっていくと自分の人生も楽しいものになっていきそうだ。<br>ほんとかな。
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-12035807899.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Jun 2015 21:06:43 +0900</pubDate>
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<title>悟り。</title>
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<![CDATA[ 悟りとは何か。<br><br>何か達観したものが特別に得られる境地なのだろうか。<br><br>悟りとは生物学的には巣立ちと同じようなもので、誰でも人間として当たり前の事で、<br>むしろ覚りがない人間は人間らしく生きているとは言い難いものがあるだろう。<br>鳥の場合、巣立ちはてきなくても生きては行くだろうが、鳥らしく生きていくとは言い難いものがある。<br><br>誰もが当たり前のように労せず簡単にやさしくできるのが本来の姿で、できないのであれば<br>人間社会の機構に欠陥があり、それを創る人材がいないのが今の現状だろう。<br><br>人間の重要な部分の内面の研究、究明がされておらず、今は「教え」によって人間観が作られたり道徳的によしとして、本来の人間の姿が見えないのだろう。<br>当たり前の姿が分からず、特殊なやり方を力をかけて一生懸命やっている姿は人間のやることではないだろう。<br><br>最近は物が増え、特に日本では衣食住に困っている人は少ないだろう。<br>条件的にはそろっているように思うが、多くの方は心の貧困からは解放されていない。<br><br>こういった文章を書けるのも、電気をはじめインターネットやパソコン、プログラムを用意してくれているからであって、ホントウに便利になってきていると思うが、<br><br>人間の本題。<br>人間らしく自由に楽しく豊かに、、、とは向かっているだろうか。<br>あまり興味がないのだろうか。自分自身のことなのだと思うのだが、割と無関心なのだろうか。<br><br>今、新しい動きが各地で行われているが、注目している場所も何点かある。<br>人間本来を取り戻しそこに立って新しい社会を創り出そうという試みだ。<br><br>乞うご期待。10年後を見据えて。先ずは日本から。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-12034604677.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Jun 2015 20:01:07 +0900</pubDate>
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<title>「良いと思う」　と　「思想」</title>
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<![CDATA[ 良いと思うこと。個人の見解。<br>こういうことは色々あると思う。<br>転職した方が良い。これは体に良い。<br><br>それと思想。<br><br>思想、となると何か重く感じたり難しく思ったりする人も多いかと思うが、<br>今、どんな人でも思想はあるように思う。<br><br>自分自身では気づいていないが、その人その人、ひとりひとりに思想があり、見方がある。<br><br>人間は良いと思うことも、悪いと思うことも行動したりする。<br>その中でも良いと思うことは一際ちからが入り、充実感もありどんどん進めていく。<br><br>それは人間の欲求によって、人間が求む方へ求む方へ進んでいく。<br><br>だが、「良いと思うこと」でも間違っているということもある。<br>それを間違いと気付かずにどんどん行動に移していく。<br>健康食品や宗教運動も同じようなものかと思う。<br><br>何を基準に間違っているとか、正しいとかの判断ができるかというと、それは明確な理がなければそれを判断するのは難しい。何も知らずに早計に表層を捉え判断するのはとても不安定で、また危険でもある。<br>じっくりと根本原理を知ろうとする姿勢で取り組むことが懸命だと思う。<br>だが、今の科学では、その原理を知ろうとする人たちとは別に、儲け優先主義や自己の名誉の為などに使われている事が優先されている。<br>いわゆる科学者と名乗って仕事している人たちでも、物書きはできても本質を見極め、創造的で自由な人は極めて少ない。何かしらに縛られている。自身では束縛されている意識もない人の方が多いのかもしれません。<br><br>思想という言葉はあまり明確に使われいる事もなく、小難しいとして隅の方に置いていかれている印象があるが、明確な思想がこの日本にあるということをもっと知ってほしい。<br><br>それは何も神社にあるものでもないし、お寺にあるものでも教会にあるものでもないと思う。<br>ごく普通の主婦の方、学生にも分かる事簡単で、広く知れ渡り、人類皆が得するもの。<br>誰かが一人、家族、団体が儲かるのではなく、人類皆が儲かる話であるとおもう。<br>それは自然と人類の調和した姿であり、無理がなく、楽で安心したものである。<br><br>他から探してこなくてもいい。<br><br>足元にあります。
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-11981196164.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Jan 2015 21:44:42 +0900</pubDate>
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<title>教育プログラム</title>
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<![CDATA[ 教育とは何か。<br><br>人の成長のことだろう。<br><br>そして人はどの辺が伸びたら成長というのだろう。<br><br>極端な例だが、人の不幸を沢山するようになるのが成長ではなさそうだ。<br>何を基準とするか。<br><br>基準は何でもいいわけではなく、最も人間に適った基準であるべきだと思う。<br><br>何が成長するか。<br><br>教育の目的はどこにあるか。<br><br>人の成長とは何か。<br><br>技術や経営手腕だけが人の成長ではないだろう。<br>足が速くなったり、沢山ご飯を食べれるようになることだけが人の成長ではないだろう。<br><br>では人間性として大きく占める部分はどの辺だろうか。<br><br>俗に言う体と精神。どっちの成長も必要だと思う。<br><br>精神の成長とは、心が太る、心が成長するとは、見えるものではないだろうから、<br>簡単に片付けてしまうのはもったいない。<br><br>これからの教育プログラムを死ぬまでにどの位、成長させ次世代に渡すことができるだろうか。<br><br>一緒に考えてくれる方や、知恵を分けてくれる方はいませんか？<br>お待ちしています。
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-11979628300.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jan 2015 22:05:25 +0900</pubDate>
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<title>大きな女になりなさい。</title>
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<![CDATA[ 心の大きな女になりなさい。<br><br>女がこの世を決めるのです。
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-11976864353.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Jan 2015 22:40:21 +0900</pubDate>
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<title>いさぎよさ。潔さ。</title>
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<![CDATA[ 潔さ。<br><br>集中研究会の時は何もかも放して、ゼロの状態で究明しよう。<br>ひとかけでも私心があれば、真っ逆さま。<br><br>宗教<br>○○教の信者。普段は相当入れ込んで真剣にやっている人。<br>それ自体も世のため、人間の為になっていることも多々あると思います。<br><br>ですが集中して究明する研究会では、そういうものも全て放し、ゼロからの究明がされるべきで<br>その時の「潔さ」が全てを決める気がしています。<br><br>ホントに打ち込んで真面目にやっていること、<br>それを放す潔さ。<br><br>これが人間には、特に研究者には必要だと思う。<br><br>つづく。
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-11976863463.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Jan 2015 22:32:07 +0900</pubDate>
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<title>食べすぎは万病の元</title>
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<![CDATA[ <br>最近は正月のせいもあって食べ過ぎている気がする。<br><br>食べすぎは体に悪い。。<br><br>野菜に例えると肥料をあげすぎると病気が出たり虫がついたり、いい事はほとんどないときく。<br>少し足りないところに自ら根を伸ばし成長する。<br>それが自然界のひとつの法則のようにも思う。<br>沢山あるところでは自らの根を伸ばさなくてもいいせいか、ほとんど動かずに太って貧弱になっていく。<br><br>人間も植物のようなものなので、生き物全般、だいたいこれはあてはまりそうだ。<br><br>何事も少し足りないくらいがいいかもね。<br><br>心が貧しくなるようでは足りなすぎで、そうではなく、どういった機構がいいのだろうか。<br><br>やはり主体性に主眼を置いた機構かもしれない。<br><br>突き放すとそれは最悪だとおもう。
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<link>https://ameblo.jp/kob-com/entry-11975964021.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Jan 2015 19:46:12 +0900</pubDate>
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