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<title>埼玉に家をもとう</title>
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<title>気配を察するという家の無カ</title>
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<![CDATA[ わたしたちは長い間、言葉が持つ気配を頼りに生きてきた。<br><br>気配は察するものであり感じるものだった。<br><br>言葉にするのは無粋であるばかりか悪いことだった。<br><br>言葉より情感でつながるのが家族だとされてきた。<br><br>そして、それで長年うまくやってきたのだ。<br><br>夫婦には「あ、うん」の呼吸があり、親子は以心伝心でわかり合えるものだと信じられてきた。<br><br>いま、それが揺らいでいる。<br><br>その揺らぎが大きくなってきた時期と情報時代の到来は、はっきりと重なるのだと彼は主張する。<br><br>「個」を確立するというのは、言葉を獲得し自己認識を確立するということである。<br><br>情報時代へと変わっていく中で住宅の在り方も変化していく。<br><br>このサイトで「今」の住宅情報を入手してください。<br>http://www.polusnet.com/<a href="http://www.polusnet.com/" target="_blank"></a>
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<link>https://ameblo.jp/koport/entry-11508701615.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Oct 2013 15:09:48 +0900</pubDate>
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<title>情報時代へ</title>
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<![CDATA[ 日本人の言葉と情報時代の言葉とは相容れないのだ。<br><br>しかし、情報時代は見事に世界化してしまったから、日本人だけ別の道をいきますというわけにはいかない。<br><br>わたしはいま日本に現れているすべての問題は、この一点に集約されていると確信しています。<br><br>世界化した現在の情報時代は日本の家族と家庭を真っ先に崩壊させる力をもっている。<br><br>日本の家族には言葉がないからです」。<br><br>欧米の家族には情報時代に対抗できる同質の言葉がある。<br><br>彼らはこれまでもそれをフルに活用して家族を成り立たせてきた。<br><br>何度もいったけど彼らの住まいには『公』的空間がある。<br><br>それは突きつめるとイエス、ノーのはっきりした言葉の空間なんだ。<br><br>日本の居聞には言葉がない、ただ『気配』があるだけなんだ。<br><br>悲しいことに『気配』は情報時代の新しい言葉にはまったく無力なんですよ。<br><br>
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<pubDate>Sat, 07 Sep 2013 15:06:05 +0900</pubDate>
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<title>親と子どもの付き合い方</title>
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<![CDATA[ コンピュータが欧米文化の中で誕生したのは偶然ではなく必然なのだと彼はいう。<br><br>なぜなら、近代西洋の言葉というのは、根底にはイエスかノーの選択をつねに迫る構造を持っているかちだ。<br><br>だから、情報時代によって生まれたこの新しい言葉はとても近代的であり、欧米的であるのだ。<br><br>少しでもパソコン通信で会話したことのある者なら、それがきわめてデジタルで、つねに瞬間的な選択と判断を迫る言葉によって成立しているということを知っているだろう。<br><br><br>コンピュータの発達がわたしたちのふだんの言葉にもスピードを要求するようになった。<br><br>いろんな場面で、瞬時の選択が強制されるようになった。<br><br>特にその言葉の変容を敏感に受けとめているのは子どもたちである。<br>
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<pubDate>Tue, 06 Aug 2013 15:03:39 +0900</pubDate>
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<title>子育ての家</title>
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<![CDATA[ 情報時代が日本の家を崩壊させる。<br><br>情報時代に対応できないのが日本人であり日本の家族なんです。<br><br>日本の家庭の情報機器類は先進諸国の家庭と比べていささかも遜色はない。<br><br>情報時代という場合、日本人が思い描くのはパソコンネットワークや携帯電話である。<br><br>それらを整備しハードウエアとして設置したとき情報時代に自分も一員として加わっていると思いこむ。<br><br>だが、情報時代の本質は情報のネットワーク化にあるのでも、それによって流通スピードが増し、多様な情報がどこでも取りだせるということにあるのでもない。<br><br>情報とはつきつめると言葉なんです。<br><br>情報時代の到来は言葉を根底から変えたのだ。<br><br>言葉のありさまがすっかり変わってしまった。<br><br>コンピュータによって世界化したこの新しい言葉は、きわめて断定的で曖昧さを許さないものである。<br><br>二進法、つまり1か0というふたつの「言葉」。
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<link>https://ameblo.jp/koport/entry-11508697369.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Jul 2013 15:00:50 +0900</pubDate>
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<title>家族の姿</title>
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<![CDATA[ 情報という尺度で描いた住宅には、家族の姿がない。<br><br>いったいどこにいったのか？<br><br>家族はそれぞれ別々の情報機器を使って外へ「出かけて」いるのだ。<br><br>電話、インターネット、デジタルテレビ、携帯電話…。<br><br>その姿はまるで、外部の情報網によって家自体が引き裂かれているかのようだ。<br><br>子ども部屋という「家」は母船の「家」から浮上し、情報という空を縦横無尽に飛行しているのだ。<br><br>あるいは情報の海を漂泊しているといってもいいかもしれない。<br><br>パソコンネットワークに情報で対抗できる親なんかいない。<br><br>携帯電話での友だちとの会話に対抗できる親密感も難しい。<br><br>でも、それは世界中で起こっていることです。
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<pubDate>Sat, 11 May 2013 14:56:04 +0900</pubDate>
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<title>情報という尺度で住宅を見る</title>
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<![CDATA[ 情報という尺度で住宅を組み立て直していくと、家の形はわたしたちが知っているものとはまったく違ったものとなりそうだ。<br><br>それはこんな感じである。<br><br>住まいはリビング、ダイニングを中心に構成されている。<br><br>だが、外壁だけがすべてなくなっている。<br><br>つまり外からはベッドも机もソファも丸見えの家だ。<br><br>それなのに家の内部の壁、すなわちリビング、ダイニングと個室との壁だけは残っている。<br><br>ドアもしっかり閉じられている。<br><br>内部に向かって閉じられていながら、外部に向かっては無防備なほど開かれた場所。<br><br>情報という尺度で住宅を見るとこういう形になるのかもしれない。<br>
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<pubDate>Sat, 27 Apr 2013 14:53:03 +0900</pubDate>
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