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<title>Korculaのブログ</title>
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<title>私たちは太陽の贈与経済の中にいる</title>
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<![CDATA[ 人間の暮らしは植物との闘いから生まれた。バタイユは「人間はいつも植物の圧力に圧倒され、今にも飲み尽くされそうな状態と闘っているのだ」と表現した。地球上に発生したエネルギー変換装置である植物が、太陽の無尽蔵ともいえるエネルギーを受け取りながら度を過ごした発達を際限なく続けていく能力を持っていることを示す。降り注ぐ太陽のエネルギーを地球上の生命が受け取っている。このエネルギーの受け渡しを「贈与(ギフト)」と名付けようとバタイユは言った。<br><br>私たちの世界で行われている交換の形は２種類ある。１つはギフト、すなわち見返りを期待せずにほかの人に何かを与える交換。もう１つは、商品交換のように必ず対価を要求する交換、すなわち等価交換だ。等価交換だけに集中して交換活動を行うと人間活動に距離をつくり出す。人間が互いの間につながりをつくり出そうとするときにはギフトが行われる。ギフトには贈る人の心と人格が宿っていて、渡された相手に対価を要求することはない。だからこそ渡されるときに絆が生まれる。交換される物自体はそれほど重要でない。物そのものは重要でなくても、その物の行き来によって人間と人間の間につながりが発生する。自分と相手の間にギフトによってつながりが発生してしまうと、相手のの中にあることは自分の中にあるという状態になる。<br><br>話すことや聴くこともボランティアであり、贈与が発生する。言い換えると、贈与はコミュニケーションを生み出す。等価交換(第１種交換)は数量化でき、物と物の関係は論理的な関係で把握できる。クールな世界である。一方の贈与(第２種交換)は、私とあなたの間に通路を作り出すための交換を行う。サービスは贈与の１つの形態である。このときの状態は数量化できない、２者の間にできる空間は分離できない。非合理的な空間である。<br><br>等価交換というものは人類が発達させた思考構造の中のごく一部である抽象作用によって行われている行為にすぎない。この行為によって商業が営まれ、貨幣が発生し、マネーゲームが行われる。生体圏全体を見渡す目でとらえなおすと、商業や金融というのは不思議な行為で、マネーゲームに勤しむ人たちですら、太陽の贈与経済の中にある。<br><br>第１種交換だけに依拠したグローバル資本主義を脱却して、第２種交換である贈与関係を組み込んだ経済システムへの移行は必然といえる。第１種交換ではない交換形態は第２種交換であり、キアスム構造と呼ぶ。キアスムとは、２０世紀の偉大な経済学者であったメルロ・ポンティが最晩年に提出した概念で、自己と他者の見分けがつかない、キアスム(交叉)状態をつくりあげてしまう関係、これが現実の世界を体験していくあり方だ。<br>
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<pubDate>Fri, 29 Mar 2013 19:22:50 +0900</pubDate>
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<title>排他性がなければグループに入ることに価値がなくなる</title>
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<![CDATA[ 頭がモヤモヤしている。あいつ高野には頭にくる。なんかこうイジワルな奴だ。つかこうへいの「いつも心に太陽を」をみる。男色を題材にしたストーリー。女優は出演しない。そのぶん男優のモッコリが気になる。演出が徹底している。昭和風というか、テレビ的、漫画的だ。場面展開に速さ、水泳シーン、朝日が昇るシーン、ジーンとくるシーン。いまは当たり前のパロディを早くから演劇に取り入れたている。昭和の役者は情熱がすごい。子供が成長する大事な要素に体力と集中力がある。４回しか四季を体験していない四歳児でも季節を感じ取り、季節に咲く花を感じる。子供の情緒はそこから生まれる。そして季節を表現する言葉を獲得することで表現力を持つようになる。役者の成長も同じだ。<br><br>土曜日、日曜日と大原の海へ行く。民宿「丸角」に泊まる。２組で隣室は２０代の男女。今日は八幡岬まで行く。海に落ちる断崖と車に酔った。<br><br>「わたしたちは大きな仲間意識をもつのが大好きなのだけれど、どんなグループにせよ、排他性というものがまるでなくなってしまえば、そのグループに入っていることに価値がなくなってしまうのだ。もっとも強力な集団の結びつきを作るには、それなりの努力というものが必要なのだ。」<br>(101980-1)<br><br><br><br>
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<pubDate>Sun, 21 Aug 2011 16:59:09 +0900</pubDate>
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<title>それは流行りの韓国語でもよい</title>
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<![CDATA[ それは流行りの韓国語でもよいし、ありきたりの英語でもよい。日本語じゃない言語で読んだり観たりする価値があると思えることの１つに、何気ない言葉に引っかかり、文脈から離れて考えが脱線することにある。今日はそれが「exhausion(疲れ果てる)」であった。最近は仕事のやりすぎでexhaustedになっていて、気持ちが落ち込んでいるからだろう。いまの仕事は後に尾を引くとつくづく思う。疲れる。どこかでスッパリ切れ目が付いてほしい。何かこうモヤモヤする。毎日少しずつでも残していくようにしなければ。荒木睦彦「見えない空間性能(サイバネテック・アーキテクチャー)」、勝海舟、栗本薫の「ぼくたちの時代」を読む。深夜映画「青い珊瑚礁」と「四季夏子」を観る。(101480-1)<br>
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<link>https://ameblo.jp/korcula/entry-10985936043.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Aug 2011 18:51:46 +0900</pubDate>
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<title>北海道には「日本的」なものがない</title>
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<![CDATA[ 非常に落ち込んでいる。仕事が行き詰まり、旅行で息が詰まる。まあいいか。頭が痛い。気分が悪い。何のせい？場所のせい？北海道には「日本的」なものがない。日本的な音がない、日本的な匂いがない、日本的な色がない。日本的な暑さがない。日本的な四季がない。東京という日本列島の位置的な中心に暮らしていると実感する。道産子の五感には日本人と重ならない部分が沢山ある。竹山実、玉置浩二、吉田美和、松山千春、水谷豊、木之内みどり。口下手で、はにかみで、それでいて都会的な雰囲気が好きで、ジメジメしたところがなくてドライで、じっかりした思想的な基盤に欠けているのに芯がある。行動は鈍だがやるときはやる、格好つけている割には一匹狼的。(100480-1)<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/korcula/entry-10985766527.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Aug 2011 14:53:46 +0900</pubDate>
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<title>新年あけましておめでとうございます</title>
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<![CDATA[ １年ぶりになってしまいました。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110102/20/korcula/d9/e5/p/o0800054110958311101.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110102/20/korcula/d9/e5/p/t02200149_0800054110958311101.png" alt="Korculaのブログ" width="220" height="149" border="0"></a><br>
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<link>https://ameblo.jp/korcula/entry-10756220360.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Jan 2011 20:28:41 +0900</pubDate>
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<title>新年あけましておめでとうございます</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100102/09/korcula/ac/3b/j/o0426028810361722062.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100102/09/korcula/ac/3b/j/t02200149_0426028810361722062.jpg" alt="$Korculaのブログ-２０１０年賀状" border="0"></a><br>
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<pubDate>Sat, 02 Jan 2010 08:56:11 +0900</pubDate>
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<title>本質を科学するのが思想であるとすれば、思想は科学の１つの分野である。</title>
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<![CDATA[ 何かをする前に目的は何かと考える。結局、目的は見つからない。目的というものは、後から考えて見つけるものなのかもしれない。目的は「思想」みたいなもんだ。思想はあたかもそこにあったかのように語られるが、現象をインタープリトしているに過ぎない。本質は自分自身である。自分自身以外に本質はない。本質を科学するのが思想であるとすれば、思想は科学の１つの分野として扱うことができるかもしれない。思想を多次元的にからみあわせて、１つの新しい思想を構築する。その思想もまた多次元構造の１つになる。科学は多次元構造の世界である。問題は何なのか。それが解ったならば問題が解決したと同じこと。ということは孔子も語ったらしい。孔子でさえ問題が何かを悟っていなかったということ。皆、知ったふりをしているのか？そうじゃなく、「これが問題なのではないか」という仮定から出発している。これは科学の出発点と似ている。(100280-5)<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/korcula/entry-10182002903.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Dec 2008 17:09:24 +0900</pubDate>
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<title>話したいことを喋らないでいると悶々としてくる。</title>
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<![CDATA[ いざ喋ろうとすると、話したいことがたまってしまって、何から話しはじめたらよいのかがわからなくなる。頭の中の交通整理ができなくなるのだ。そんなときは他人の考え方を利用して自分の考えをまとめるのも１つの手段かもしれない。考え方が同じなのか異なるのか。どこが同じなのかあるいは違っているのか。日本には古来からある思想、次に中国から伝来した思想、江戸期の日本で成長した思想があった。そして明治維新、第2次世界大戦という思想の転換期があった。大きく分類すると6期になる。(1)古来の思想。万葉集、古事記、日本書紀。(2)中国の思想。奈良、平安の時代。(3)江戸の思想。荻生徂徠、杉田玄白。(4)明治の思想。福沢諭吉、内村鑑三。(5)戦後の思想。高度経済成長。(6)万博後。安定成長。これは丸山真男の「日本の思想」による。これに7番目に「バブル後」を追加するのがよいだろうか。教科書があって、それを軸として学んでいくことも大事だが、足りない部分は自分で補わなければならない。補う方法は様々である。過去の似た例を探す、思想を探る、現象を観察する。ただ問題点もある。材料(情報といったほうがよいか）が多すぎる。自分の使える言葉(語彙）が少なすぎる。いま考えたいことは自分の将来と、何らかの自分の身の丈に合った考え方である。問題は色々ある。１つは自分に正直になれないことである。すぐに格好つけてしまう、正直になれないのは気が弱いからだろうか。努めて正直になろう・・・。今日は考えがまとまらない。(100280-4)
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<link>https://ameblo.jp/korcula/entry-10177561975.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Dec 2008 18:34:44 +0900</pubDate>
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<title>タライからタライへ移るちんぷんかん</title>
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<![CDATA[ 3連休でやることがない。最近はどんな本を読んでいるだろうか。(1)小説のたぐい。エンターテイメントが多い。推理小説とか、歴史小説、SF小説なども。海外の知識、日本人としての教養、言葉の楽しさ、読む楽しさを求める。(2)人生の本。落ち込んだときに読む本。人生論的なものとは限らず、生きる勇気を与えてくれる本。(3)ハウツー本。上司にこびる方法とか、お金をためる方法だとか、具体的な解決方法が書いてある本。 (4)雑誌。現在を知る。社会を知るために読む。世の中から隔離された人間にならないように。(5)エロティックな本。欲求不満を解決してくれる。(6)思想書。頭の中にマップを作ってくれるような本。まだ色々読んでいるような気がするが、うまく整理できない。でも、本を読んだからって、知性。コミュニケーション能力は身につかない。「”タライからタライへ移るちんぷんかん”これは小林一茶の辞世の句です。人間というのは産湯をつかうタライから、死ぬときの湯灌(ゆかん)までの旅。まことにちんぷんかんだワイという意味です。どうせ1度だけの人生ならやりたいことをやって死にたい。そのためには何事にも恐れずに、どうせちんぷんかんなんだから。積極的に生きようということです。」(100280-3)
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<pubDate>Sat, 22 Nov 2008 18:40:47 +0900</pubDate>
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<title>だから能力的な自己嫌悪だって、決してチェンジできないもんじゃないと思うの。</title>
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<![CDATA[ 本を読み終わるとは。最後のページまで読み終えること。そう考えていた。子供じゃないんだし。本を買うお金は惜しむことはない。(1)読破。活字を最後まで追った。(2)内容を理解した。読むのをやめた。(3)目的の箇所だけ読んだ。(4)面白くない。読むのをやめた。(5)読み続ける時間がない。途中で中断した。(6)面白い。読後感まで書きたくなった。・・・。(1)の読破はとにかく満足感を持つ。それを糧に次の本を読んでやろうという気力が得られる。目的を持たない乱読は自分の発想の範囲を超えた考えに出会うことがある。そんなときはラッキーだ。そうじゃなくても、渾然とした未整理の内容が頭の中に残る。発想の材料、頭の引き出しが増える。読んだ後の本は捨ててしまってよい。(2)、(3)は蔵書にして保存する本だ。(4)と(5)はアンラッキーだが避けることは難しい。無理して読むのは人生の無駄遣い。(6)は独善的な感傷にすぎない場合が多い。読後感をメモる暇があったら他のことをした方がよい。「もうひとつ考えていいのは、若いときの特徴だな。ぼくらの年齢だとさ、したらいけんということだらけになっちゃう。だけど、若いゆえにしたらいけないということはあんまりないんや。だから能力的な自己嫌悪だって、決してチェンジできないもんじゃないと思うの。」(100280-2)<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/korcula/entry-10165655077.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Nov 2008 20:20:43 +0900</pubDate>
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