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<title>kotogi21のブログ</title>
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<title>薗八ばなし(4)</title>
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<![CDATA[ <p>山崎の「寿荘」は、二階建て１２軒のいわゆる文化住宅でした。</p><p>「寿荘」は昭和５０年建築で、私は５４年から５９年までの６年間住んでいました。</p><p>家の前に小さな畑があってその向こうに春楡の大木の林が見えて池がある、山崎の古き良き佇まいを残した風景が台所の窓から見えました。玄関のドアを開けると二畳の台所にトイレ、四畳半と六畳の和室があり狭いお風呂と一畳に満たないベランダがありました。</p><p>正月明けの土曜日に引っ越して、左隣は子連れの夫婦、右隣は若いＯＬらしき人でした。</p><p>入居してふた月ほどすると、夜遅くＯＬの部屋にサラ金関係の男が二人、取り立てに来るようになりました。大声で「いるんだろ、扉を開けろ。ご近所の迷惑になるぞ」と叫んでいます。「お前らが叫ぶから、迷惑なんだと」と思いつつ。私は自室の電気を消して木刀を片手に扉の影に潜んでいました。まだ若かったので、飛び出す覚悟はあったかと思います。</p><p>そんなことが何度かあって、いつの間にか隣人は引っ越して行きました。</p><p>(続く）</p>
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<link>https://ameblo.jp/kotogi21/entry-12749913084.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jun 2022 07:05:33 +0900</pubDate>
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<title>薗八ばなし（３）</title>
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<![CDATA[ <p>学制時代は小唄、常磐津節、新内節と習っておりましたので、教わったことを逆に教えることで芸の上達が図れるのではないかと、大学の同級生や音楽学科の学生に稽古していた時期がありました。</p><p>大阪谷町の祖母の家に下宿させてもらっていましたので、そこが稽古場になりました。</p><p>弟子はいずれも女子学生で、この中の音楽学部の子が変わっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>最初の稽古に当時はやりのミニスカートで来たのです。三味線は正座で少し股を割って構えます。ミニスカではパンツが正面から直接見えてしまいますので困りました。初めての日はとりあえず、タオルを膝にかけて見えないようにしました。</p><p>次の稽古はズボン可眺めのスカートをはいてくるようにと云ったのですが、膝上１５センチくらいのミニスカで来ました。前の注意を忘れたのかと思い、またタオルを巻いて稽古をしました。</p><p>再度注意して、３回目の稽古も出先から回って来たと云ってミニスカ姿でした。</p><p>その学生、美人ではありませんがスタイルの良い子でしたので、二十歳過ぎの男盛りには挑発的行為でありました。</p><p>若い女性のパンツを見たくない訳ではありませんが、成り行きでその中身まで見てしまうことになったのでは稽古どころではなくなります。</p><p>さすがに次回は自制できないと判断して、その後の稽古はお断りしました。</p><p>&nbsp;</p><p>ある意味もったいないようにも思いましたが、刹那に負けるとどんどんと泥沼に入っていくような気がしました。</p><p>ためらう時は、進まないことです。</p><p>私の背中に憑いた霊が、その子を良く思わなかったからかもしれません・・・</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kotogi21/entry-12749747639.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jun 2022 07:42:08 +0900</pubDate>
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<title>薗八ばなし(2)</title>
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<![CDATA[ <p>私の知り合いに、夢で度々菩薩さまがお出ましになる方がいます。</p><p>私の夢には、たまに死神さんが出てきます。特に取り憑かれているわけでもないのですが親し気に話しかけてきます。</p><p>ありがたい神様、仏様は夢見る人間の品格によって、出てくる種類が違うのかしらと思ってしまいます。</p><p>そう考えると妙に納得できて、寂しくなります。</p><p>学生の時分に、下心を出して買った画集のお姉さんにまだ取り憑かれているから、死神さんは憑くことができないのでしょうか。</p><p>さて、夢の中でどんな話をしていたのか記憶は定かではありませんが、「すぐには死なない」と云われたような気がします。特にありがたいことだとも思いません。死神さんは私に取り憑いた霊に興味があったのかもしれません。</p><p>霊よりは死神さんの方が上位だと思うのですが・・・</p><p>&nbsp;</p><p>私は医療系の大学に勤めていた関係で、古い人体標本を扱うことがありました。</p><p>その中に古い透明の縦長の標本ビンに入ったひとつ目の赤ちゃんが　ホルマリンの中に浮いていました。目がぱっちりと開いた状態で、半地下の倉庫の裸電球に照らされて佇んでいました。</p><p>さすがに最初に見た時はショックでしたが、何度か見るうちにだんだん慣れてきました。</p><p>私は「ひとつ目ちゃん」と名付けて時折眺めていました。</p><p>ひとつ目ちゃんは大きさからして、おそらく死産で生まれたか、流産で生後すぐに亡くなったのだと思います。</p><p>お母さんやお父さんには知らされずに、ひとり標本となって長く標本倉庫で眠ってきたのでしょう。そう思うと悲しさで涙がこぼれました。</p><p>ある日、背中を向けて立っていたひとつ目ちゃんが、一時間ほど他の用事をしている間に正面を向いていてびっくりしたことがありました。</p><p>解剖の教授に聞くと、地球の自転の関係ではないかと云われて、なんとなく納得したことがあります。</p><p>そのひとつ目ちゃんも、講堂が取り壊された際に火葬処分されました。</p><p>その愛らしい姿は今も忘れることができずにいます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kotogi21/entry-12749637996.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jun 2022 15:06:12 +0900</pubDate>
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<title>薗八ばなし</title>
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<![CDATA[ <p>さて、四世宮古路薗八と申します。</p><p>四代目と云っても、先代は２５０年以上前の人ですので直接の縁はありません。</p><p>初代薗八は宮薗節の創始者であります。</p><p>宮薗節との縁は、研究者でありました鈴木正八先生に紹介いただいた京都の宮薗千宗太夫師（常磐津一佐太夫師）にしばらく指導を受けました。演奏を主とする芸人ではありません。どちらかと云えば、研究が主体であります。</p><p>そんなことで、いろいろな縁を得て現在四世薗八を名乗っております。</p><p>&nbsp;</p><p>邦楽は、十代後半に最初に春日の小唄から始めました。春日豊五富人という名取になりましたが、すっかり忘れています。その後、常磐津文字宏師匠に常磐津節を、岡本文弥師匠に新内節を、菊原初子師匠に地唄を習いました。</p><p>新内では岡本春太夫と云う名で師匠の前座を務めたこともありました。</p><p>&nbsp;</p><p>三味線が好きで芸事を始めましたが、大学卒業時に文楽の三味線弾きになりたいと思いましたが、当時の鶴澤燕三（五代）師匠に「そんな中年から太（文楽三味線）を始めても一人前にはなれん」と云われて諦めました。</p><p>&nbsp;</p><p>さては置いて、お話に入りましょう。</p><p>学生時代に道頓堀の古本屋で買った戦前の画集の話です。いわゆる私家版で戦前では珍しくカラーも何枚か含まれていました。芦屋辺りのお嬢様が描いた絵が遺稿集の形で閉じられていました。その作者がモノクロ写真でしたがすごい美形で、それに釣られて大枚三千円で購入しました。</p><p>購入してしばらくして、肩や背中がひどく凝るようになりました。サロンパスも鍼鍼や上六の無量寺の灸も効き目がありません。そうこうしている内に体調不良で学校に行くのも、今里の稽古所に行くのもやっとの毎日が続きました。</p><p>稽古所で私の体調不良を心配した七十代の同行から、その様子は悪い霊が憑いているようだと云われて、画集のことを思い出しました。画集のことを話すと棄てるのではなく、転売するよう指示されました。おそらく画集が霊の棲家となっていて次の持ち主が現れれば、私から離れるかもしれないとのことでした。</p><p>翌日、重い体を引きずりながら上六まで歩いて、馴染みの古本屋で買値の一割ほどで手放すことができました。その後一週間ほどして嘘のように肩や背中の凝りから解放されました。</p><p>ひと月ほどして上六の古本屋に出向いて店主に聞くと、「ああ、あの画集はすぐに売れたで」とのことでした。</p><p>どこかの誰かにあの霊はまた憑りついているのだろうかと思いましたが、そうするしかなかったのだと自身に言い聞かせました。</p><p>&nbsp;</p><p>ずっと後で気付いたことなのですが、実は霊は私から離れることなく憑りついたままでいたのでした。</p><p>そうなんです、殺すことなく今も私に憑いていて、人生を操っているんです。時に悪霊となり、時に善霊となって傍にあります。もうどうしようも仕方のなきことなのであります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kotogi21/entry-12749450290.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jun 2022 13:33:45 +0900</pubDate>
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