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<title>根拠のない自信</title>
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<description>日々思うことあれこれ</description>
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<title>文部科学省が大学カリキュラムの到達目標を定めようとしている・・・</title>
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<![CDATA[ <p>また教育の話である。</p><br><p>大学のカリキュラムについて学部ごとに到達目標を文部科学省が定めるらしい。<br><a href="http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080325-OYT1T00392.htm">http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080325-OYT1T00392.htm</a> </p><br><p>これって学問の自由に対する国の干渉なのではないか？</p><br><p>大学が何を研究し何を教えるかは、大学設置基準の範囲内では自由なはずだ。</p><p>卒業生の質を確保するために大学内および大学相互間で学者自身が自主的に取り組むのであれば尊重すべきだが、国主導のこういうおせっかいは反対だ。</p><br><p>こんなこと許したらそのうち大学の教師にも資格制度が作られるかもしれない。<br>そのうち特徴のない大学ばかりになりはしないかと心配である。</p><br><p>２０年程前の大学の授業はどうだったか思い出してみると、私は工学部だったので数学・物理・化学はスタンダードな大学課程のカリキュラムだったのではないかと思う。</p><p><br>数学はε－δ法などから始まる微分積分学と行列やベクトルを扱う線形代数学から始まって微分方程式などの応用数学へ進んでいく。その後、複素関数論などもやったような。<br></p><p>物理は力学・統計物理・電磁気学・量子力学といった順序だったか。<br>化学はいきなり量子化学から始まって閉口した覚えがあるが。<br></p><p>１・２年生はどこの大学でも理工系ならこのような内容なのではないだろうか。<br>実質、これらの分野では標準化されたカリキュラムがあったようなものである。<br>いちいち国の指導などいらない。</p><br><p>専門課程も○○工学科というように目的が大体決まっているので、開講されている講義も基本的なところではどこの大学でも似たようなものではないのかと思う。<br>実験は設備によって違いはあるだろうが。</p><br><p>人文・社会科学はどうなのだろうか？<br>これは私にはよくわからない。<br>到達目標なんて決められるのだろうか甚だギモンである。</p><br><p>私が受けた語学の授業については大いに改善の余地があった。<br>第一外国語として英語、第二外国語としてドイツ語を履修したがどちらも中途半端だった。<br>英語は読んで訳すだけで新たな文法を学ぶわけでもないので面白くないし勉強にならない。<br>英作文中心の授業はそれなりに勉強になったが、これも高校レベルを超えるものでもない。<br>英語は高校レベルである程度完成だとすれば大学は実践練習であるべきではなかったかと思う。<br>ドイツ語は辞書が引けるようになったくらいである。とにかく文法をひたすら詰め込んだかんじ。<br>大学院を受験することもなかったのでドイツ語は１・２年でおさらばであった。<br>ドイツ語をやる時間があったら英語に磨きをかけるほうが良かったのではないか。</p><p>今はもっと洗練されたカリキュラムになっていることを望む。</p><br><p>ともあれ、卒業生の質の問題は大学自身で解決するべきだと思う。</p><br><p>私がこうやって大学についてあれこれ考える理由にはいくつかある。</p><p>そのひとつは学者・学生が自由にものを考え、研究することで世の中が進歩するであろうという期待である。<br>それは発明発見という結果でもある。世の中を批判し、反省し、より良きものとするための提案がなされることでもある。</p><p><br>この砦を失うようなことがあれば、社会は企業や行政によってがんじがらめにされてしまうのではないかという不安を私は持っているのだ。</p><br><p>がんばれ大学、がんばれ学者諸君、学生諸君。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10082921405.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Mar 2008 01:57:06 +0900</pubDate>
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<title>「民」富論 　誰もが豊かになれる経済学</title>
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<![CDATA[ <p>次の本はお勧めである。</p><br><p><a href="http://www.7andy.jp/books/detail?accd=32020441" target="_blank"><font size="3">「民」富論 　誰もが豊かになれる経済学　</font><font size="2">堂免信義（朝日新聞社）</font></a> </p><br><p>私は経済に明るくないが、内容もわかりやすいし様々な疑問に答えてくれる。</p><p>たとえば景気拡大が続いていると言われているのに好況感がないのはなぜかといった疑問。</p><p>個別では可能だが全体では不可能なこと及びその逆について。etc.</p><p><br>著者は元エンジニアで退職後に独学で経済学を研究したという。</p><p>是非、現役の経済学者や政治家、官僚に読んでもらい、この本に述べられていることについて真偽の程を検討してもらいたい。</p><p><br>この本の主張として、グローバリズムによって格差拡大が起こること、それに対抗するために所得の再分配や地産地消を進めるべきことがのべられている。</p><p><br>値段が高くても国産のものを買うように・・・・という主張はいいのだが、関税をかけるような貿易障壁を作らずにそれを促す方法が課題である。</p><p>ひとつの方法として「生存共同組合」を提案しているが、さてどうだろう。</p><p>「金儲けではなく、人々の生活水準を上げるために働く」という実に理想を掲げたものである。</p><p><br>どうも社会主義・共産主義的な世の中を志向する感じになるのではないかという気もする。</p><p><br>ともあれ、皆が豊かになれる社会って実現しようと思えばできるんじゃないか！という期待感が読後にすがすがしい気分をもたらしてくれた。</p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/52/8f/10049850798.jpg" target="_blank"><img alt="「民」富論" src="https://stat.ameba.jp/user_images/52/8f/10049850798.jpg" border="0"></a><br><br><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10074465149.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Feb 2008 02:00:20 +0900</pubDate>
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<title>マクドナルドのコーヒー</title>
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<![CDATA[ <p>　最近たまたまマクドナルドでコーヒーを飲んだらこれが意外においしいことに気づいた。</p><br><p>　マクドナルドといえば、ファーストフードの代表格で世界中どこにでもあるというグローバリゼーションの権化みたいな印象があった。</p><br><p>　最近も店長さんが管理職かどうかで裁判になっていて、印象も悪かった。</p><p>　１００円メニューもアルバイトの安い時給によって実現されているに違いない、ケシカラン！と思っていた。</p><br><p>　ハンバーガーも体に悪いんじゃないかという気がして、ちょっと店に入るのをためらいがちであった。</p><br><p>　喫茶店がどこも席が埋まっていたのでやむなくマクドナルドでホットコーヒーを飲んだら、適度の苦味と酸味があって、１００円のわりにウマいじゃないか、となったわけである。１２０円の缶コーヒーを立ったまま飲むくらいならこっちのほうがお得。</p><p>　</p><p>　と思っていたところ、マクドナルドのコーヒーは最近「プレムアムローストコーヒー」と称して盛んに宣伝していた。私の味覚がまんざらでもないのか？マクドナルドの戦略に乗せられていたのか？</p><br><p>　安くて美味いものをもっと探そうとなんとなく思った次第です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10073973167.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Feb 2008 00:27:12 +0900</pubDate>
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<title>推薦入試・ＡＯ入試と「教養ある人間」</title>
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<![CDATA[ <p>　近年は大学入学者の約４割が筆記試験を経ない推薦やＡＯ入試等の方法で選考されているそうである。</p><br><p>それに伴いだんだん入学者の学力が担保されなくなっているため、中教審は推薦入試やＡＯ入試受験者も必ず受ける学力テストを提言している。</p><br><p>　かつての受験戦争時代は知育偏重だとか、１回のペーパーテストで人間の価値が決められてたまるものかとかいろいろ批判を浴びていた。</p><br><p>　少子化のためについに大学全入時代が到来し、一部の難関大学を除いては入学は楽になったようであるし、推薦やＡＯ入試という多様な選考方法は望まれるところだったはずである。</p><p>多くの国民が高等教育を受けられるようになったのだから本来なら歓迎される状況になったはずなのだが、今度は学生の学力低下があまりに酷いとのこと。なんだか情けないことになっている。</p><br><p>　学力を支えていたのは結局ペーパーテストだったということか？</p><br><p>　そもそも大学教育とは、社会に有用な人材を輩出するため専門的な学問を授けるとか教養ある人間を育てるのが目的であったはずである。</p><br><p>＜参考：学校教育法第53条＞<br>　 学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的</p><p>能力を展開させることを目的としている。</p><br><p>　これらに照らし合わせて入学後の学習に適した生徒を見出す方法を各大学で工夫すればいい話なのだが、全入時代と推薦・ＡＯ入試が増えたせいで選考が機能していないようだ。<br></p><p>　では、かつてのようにペーパーテストを重視し、さらに点数の低い者は仮に定員割れしても入学させないとでもすれば回復するのだろうか？</p><p>　私は学力の担保という意味では機能するとは思うが、批判を受けていたペーパーテスト重視の弊害が復活する懸念がある。</p><p>　</p><p>　上記のような大学教育の目的に沿った人間の育成をしたいなら、生徒の「知的好奇心」や「学ぶ意欲」を見てあげる必要があるのではないか。</p><p>　</p><p>　また、様々な面から物事を見なければ捉え難い問題が多くある現代においては、専門的知識だけでなく「教養」が問われるのではないだろうか。<br></p><p>　大学に入学して初めのうちは学部に関わらずある程度の一般教養科目を受講するようになっているはずだ。<br>ここで専門科目の準備的教育をするとともに幅広い教養をつけるということになっている。</p><p>一般教養は高校の授業の延長みたいでつまらないという学生もいたが、私の経験では結構面白いものもあった。<br>私は工学部だったので、理数系の科目は専門科目の準備的教育の面が強く、義務感があったが、哲学とか心理学とかそういった科目は概説であったにしても自分で読書したり友人と議論するのに参考になったものだ。<br>こういう教養科目は何に役立つとかそういう目的のあるものではなかったが、視野が広がった感じがした。<br>　今の自分が教養人だとは言えないが、少なくとも教養ある人間になりたいと思っている私としては、大学に入って良かったもののひとつに幅広く知的好奇心が高められたことが挙げられる。</p><p>　</p><p>　現在、学力不足を補うために多くの大学で高校レベルの補習を行っているそうで、それはやむをえないのだろうが、多分私の学生時代（２０年ぐらい前）ならそのようなことは自分で補って勉強するのが当たり前とされただろう。<br>　それに大学の講義は一回聴いたぐらいではわからないのも多く、自分で考えたり、友人と一緒に考えたり、図書館で関係の本を読んでみたり、頭の中でゴロゴロ転がし続けなければならないものがあった。<br>　それがまた楽しいところでもあった。</p><p><br>　自ら学ぶこと。好奇心をもって幅広い見方ができるようになること。わからないことに耐え考え続けること。</p><p><br>大学生には個々の学問を学ぶとともに、こういった態度を身に着けて欲しいし、そうすることで教養のある人間になるものと思うのだ。</p><br><p>　推薦とかＡＯ入試は本来、このような自学自習の力・好奇心などの観点で素質のある生徒をすくい上げるためにあったのではないだろうか。ペーパーテストでは測れない素質を見たかったのではなかったか。<br>　（もちろん基礎的な学力、常識が備わっていることを信用した上で高校からの推薦を受け入れることになっていたのだろうが。）<br>　<br>　私は学力低下の原因はゆとり教育や大学全入だけでなく、知性を尊重する雰囲気が薄れていることも大きいと思っている。大学はあくまで知性を磨くために行くところなのだということを再認識すべきである。</p><br><p>　どうすれば大学教育にふさわしい生徒を見極められるか、選考する側の大学はもっと研究が必要である。</p><p>　単純に学力テストを課せばいいというものではない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10069326228.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Jan 2008 19:54:24 +0900</pubDate>
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<title>スポーツ特待生って必要か？</title>
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<![CDATA[ <p>だいぶ時期を逸しているが、最近ふと思いついたので書く。</p><br><p>　高野連が野球特待生を認めない。一方で他のスポーツは特待生を認めている。</p><p>　高野連が頭が固くて現状に則していない。何で野球だけだめなのか。</p><p>　高校野球の甲子園常連校は当然のように野球特待生を入学させてきた。</p><p>　勉強ができる生徒の特待生もあるのだから、スポーツ特待生もあっていいではないか。</p><p>　経済的に困窮している家庭の生徒が、得意な野球を強みに進学できていいではないか。</p><br><p>これまでのニュース等で出てきた論調・意見はこんな感じだろう。</p><p>私も、そういう考えもあるだろうなと、受け流していた。</p><br><p>でもなんかしっくりこない。</p><br><p>そもそも高校や大学はスポーツをするためにあるのだろうか？</p><p>教育の主は学業であって、部活動はそれを補強したり余暇を充実させるものではないのか。</p><br><p>野球やその他のスポーツが上手であることと、英語や数学ができることとはかなり質が違う。</p><p>学業をしっかりやりつつスポーツをやるから「学生スポーツ」なのである。</p><p>学業は問わないからスポーツに精を出してくれ、というような制度を学校で設けるのはおかしな話である。</p><p>（学業は問わないなどと、建前上言うわけはないが）</p><br><p>経済的に困窮しているけど、スポーツが得意だから進学できるという話は一見良いように見える。</p><p>じゃあ、経済的に困窮していてスポーツが得意ではない生徒は進学の道が断たれてもかまわないのだろうか？</p><br><p>経済的支援は奨学金や授業料免除制度等で行うべきで、その判定基準は家庭の経済状態と学業成績（ここは学校によってレベルはいろいろだろうが）だけにするべきだろう。</p><br><p>スポーツ強豪校は、甲子園などの大会で知名度を高め、入学志願者を確保するという目的でスポーツ振興をしているだろうし、それも当然のごとく世間では認知されていた。</p><p>最近の傾向としては、スポーツで知名度を高め、その後「進学コース」を設立して進学校になっていこうという目論見の学校もある。</p><br><p>だが、である。</p><p>スポーツが得意だから高校や大学に推薦・特待生として入学でき、卒業するときは一般の生徒と同列で卒業証書をもらえるといのは、学業を主とするべき学校のありかたとしていかがなものだろうか。</p><p>もちろん、スポーツを通じての教育効果もあるだろう。文武両道を見事に実行している生徒もいることだろう。</p><p>だが、中には「スポーツで高校・大学に行った」と言う感覚の人もいることだろう。</p><br><p>その場合、スポーツ推薦とかスポーツ特待生制度によって「スポーツだけできれば良い」というような不健全な生徒を生まないかということが懸念される。スポーツ特待生が一般の生徒と同列またはそれ以上の教育成果をあげているのだろうかという疑問がある。</p><br><p>スポーツ推薦ということで大学に進学する人がいる。</p><p>一般入試ではその大学には入れないけどスポーツができるということを強みに（たとえば六大学野球とかオリンピックに出られそうとかで）入学できる人がいる。</p><p>こう言っては何だが、本当に大学の授業についていけてるのか？</p><p>（一般入試で入った学生もついていけない授業もある中で・・・）</p><p>もしかして、学業はそっちのけでもよいことになっているとか・・・・。</p><p>もしそれで他の学生と同列で卒業証書をもらって「大卒」という肩書きをつけているとすれば、やはり不公平感があるのではないか。</p><br><p>オリンピックやプロスポーツ予備軍レベルの学生・生徒は飛びぬけて優れた能力を持っているのだから、そういう人たちを優遇するくらいいいではないか。そういう学生・生徒がいることが「宣伝効果」となる学校側と、スポーツができる環境を提供してもらえる学生・生徒側の両者の利害が一致しているのでいいのではないか。</p><p>なるほどそういう考え方もある。世間の多くはこの考え方であろう。</p><br><p>今回、問題となった発端は、高校・大学からプロ野球への入団に関して、裏金またはそれに類する金が絡んだりしてしまったことだ。全くもって教育上良くない話だ。</p><br><p>さて、何で学校とスポーツがこんなに密着した関係になったのか。</p><p>今でこそ六大学野球のお荷物と言われている東大は実は日本の野球発祥の地とされている。</p><p>海外のスポーツを導入する際、体育設備があることと、競技する若者が集まっていることは必要なことだ。</p><p>もちろんスポーツによる教育効果もあってのことだろう。実際「体育」の大半が「スポーツ競技」に拠っている。</p><br><p>当然の成り行きとして、学校毎にチームが編成され、対抗試合が催されるようになる。そして大会に発展する。</p><p>そのチームは「部活動」が中心になるのも当然だ。</p><p>アマチュアスポーツの普及は学校に併設された部活動によるところが大きかった。</p><p>あくまで課外活動である部活動としてのスポーツが、年を経るごとに学校の威信（知名度）につながったり、生徒側はプロスポーツという職業やオリンピックなどの名声を得ることにつながっていったわけだ。</p><p>（学校として設備が用意できないスケートなどは、部活動よりは学校以外のクラブが主になっているようだ。）</p><br><p>戦前も旧制中学などによる野球の対抗戦は人気が過熱し、他校の有力選手の引き抜きや、学業面をおろそかにする「野球学校」の存在などが問題となっていたらしい。</p><p>それが今回適用された「日本学生野球憲章」につながった。</p><br><p>＜参考＞　「日本学生野球憲章」そもそもどうして生まれたの？<a href="http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070514/bbl070514000.htm">　　</a> </p><p>　　　　　　　　<a href="http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070514/bbl070514000.htm">http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070514/bbl070514000.htm</a> </p><br><p>実態として野球特待生が存在していたことを放置していた高野連にも問題はあるが、憲章に違反していた高校は文句を言う立場にはない。</p><br><p>長々と書いてきたが、私の意見は次のとおり。</p><p>日本学生野球憲章の述べるとおり、あくまで学業が主であって、これはどのスポーツについても同様。</p><p>あらゆるスポーツ推薦入学、スポーツ特待生は認めるべきでない。</p><p>あくまで学業を修めつつスポーツをしているという形にすべきだ。</p><br><p>「学校」は教育機関なのだから、スポーツだけが取り柄みたいなバランスを欠いた学生・生徒を育ててはいけない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10036953990.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Jun 2007 12:57:45 +0900</pubDate>
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<title>映画「幸せのちから」と貧困・格差問題と再チャレンジ</title>
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<![CDATA[ <p><br><br>最近週末のたびに映画を観ている。</p><br><p>２週間ほど前は<strong>「幸せのちから」</strong>（<i>The Pursuit of Happyness　</i>主演：<font size="2">ウィル・スミス）を観たのでその感想を・・・・。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">ラストで主人公があらゆる困難を乗り越え、証券会社に正式採用になったときは思わずボロボロ涙を流してしまった。</font></p><p><font size="2">（最近涙腺が緩くて、ちょっとした感動でも涙があふれてくるのだが、これは歳のせいか？？）</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">ほとんど一文無しになったところから、成功したという実話に基づいた話だから、結末は観る前からわかっていたのだがやはりチャンスをモノにするまでの過程を見ると、ああ良かったという気持ちになるからねえ。</font></p><p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/36/a5/10016182948.jpg" target="_blank"><img height="161" alt="「幸せのちから」より" src="https://stat.ameba.jp/user_images/36/a5/10016182948_s.jpg" width="220" border="0"></a> </font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">だが、その後考えたことは、そんな単純な話ではない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">★主人公の問題点</font> </p><p><font size="2">まずもってあの骨密度測定器を大量に仕入れて売って儲けようとしたところが貧乏の元凶のようだ。</font> </p><p><font size="2">商品として特殊であるし、やたらかさばって持ち歩くのがしんどい（それが主人公の心情を表す重要なツールとなっているのだが）。仕入れたときは夫婦そろって成功を確信したような笑みを浮かべていた（写真があった）わけで、そのあたりから<strong>見通しの甘さ</strong>というか、<strong>計画性のなさ</strong>というかそんなことを考えさせる。最悪のことを考えて、安ければ誰かが買ってくれて現金化しやすいものを選ぶべきだと思うが。</font></p><p><font size="2">結局その商売がうまくいかないために家賃は払えなくなるし、夫婦関係は悪くなるし、子供には環境の悪そうな保育園に行かせることになるし、すべては悪いほうへ進んでいったようだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">うーん、経済状況が生活から愛情から子の教育から何から何まで既定してしまったわけだな。</font></p><font size="2"><p><br>次にこの主人公、証券会社の研修コースに入るための面接の前日、駐車違反の<strong>罰金支払いを忘れていて</strong>警察につかまり収監され、危うく面接に行けなくなるところだった。何とか間に合ったもののペンキのついた作業着で面接という有様。</p><p>人事部長と懇意になったこともあってか、何とか研修コースに入ることができたが、なんと<strong>６ヶ月間「無給」であるということを知らなかった！これはビックリだ。</strong>大事なことだろう。（研修とはいえ半年もタダ働きをさせる証券会社も酷いが）その後、銀行口座から税金をとられて２１ドルしか現金がなくなり、モーテルからも追い出され、ついには駅のトイレで親子で寝るはめになる。これまた、<strong>税についての認識の甘さ</strong>だろ。</p><br><p>そう考えるとこの<strong>主人公は肝心なところで油断している、認識が甘い、確認が足りない。</strong></p><p>この点は本人の問題と言えまいか？</p><br><br><p>★That's　American　Dream・・・？<br></p><p>兎にも角にも、主人公と息子とともにホームレス同然の綱渡り生活を続けながらも、それこそ本人の頭の良さと機転と努力によって半年の研修期間を乗り切り、たった一人だけの採用者となった。その後彼は成功を修め、自分で証券会社を立ち上げ今に至っているという。</p><br><p><strong>これぞアメリカンドリームって感じだ。</strong></p><p><br>そう考えると、主人公はドジな商売をしてしまい、泣き面に蜂のような目にあったが、本人の不屈の努力と才覚で成功をつかんだ話・・・と要約されてしまう。</p><p>当然、努力のためにはどうしても離れたくなかった息子の存在が大きかった。（ここがまたいじらしくて泣けてくる。）</p><p><br><strong>でも、主人公に「才覚」がなかったらどうだったろう。</strong>本人曰く、数学が得意で数字には強い。面接での気の利いた受け答え。顧客とのうまいコミュニケーション。これ、もともとデキる素質があったと思うがどうだろう。ちょっとした努力でどうなるものでもない。<br></p><p>そうして実際、<strong>アメリカンドリームを体現するのは極々ひとにぎり（ひとつまみ？）</strong>である。</p><p>何しろこの主人公の場合も、映画では証券会社に入社できたところでゴールのようになっているが、本当はこれでやっと証券マンとしてのスタートラインに着けたのだ。<strong>チャンスを与えられるだけでこんなに大変だったという話なのだ。</strong></p><br><p><br></p><p>★格差の問題　貧困の恐怖</p><br><p>さらに考える。</p><br><p>映画で描かれているのは１９８０年代のアメリカだ。</p><p>教会にホームレスのための宿泊や食事を世話する施設があって、この親子も行列に並んで世話になる。</p><p>一方で証券会社の顧客であるお金持ちの生活が描かれている。</p><p>これは今でも同じ構造だ。そしてだんだん我が日本も似たようなことになっている。</p><p>格差社会だ。ワーキングプアだ。都会の公園にあるブルーシートとダンボールでできているホームレスの家だ。</p><p>金持ちの子供は私立学校に行って、また金持ちの生活をする。</p><br><p>今の私自身はどちらでもないが、なんとなく年々不安が募って、下手をすると将来貧困層に落ちてしまわないか、仮に自分が大丈夫でも子供や子孫が貧困にあえぐということはないか不安である。</p><p>アメリカンドリームに感動してはいられない。<strong>今回の映画は貧困の恐ろしさを強烈に描いているのだ。</strong></p><p>先程は主人公自身の問題を指摘したが、「貧すれば鈍す」でもある。そんなことで社会に受け入れてもらえなくなるような、雨露を凌いで、健康的な食事を得る事さえできなくなるところまであっという間に滑り落ちるようなそんな世の中が良いわけがない。</p><br><p><strong>私は貧困と背中合わせの不安・恐怖をじわじわと感じた</strong>のだ。</p><br><br><p>★再チャレンジ？</p><p><br>さて、<strong>安倍首相は「再チャレンジ」のできる世の中にしようと言う。</strong></p><p>チャレンジしたい人がが何度もチャレンジできるのは結構なことだ。</p><p>だが、この映画のような過酷なチャレンジなど皆ができるわけがない。</p><p>半年も無給で証券会社の研修を受けても生活に支障のない主人公以外の研修生は余裕があるのだ。</p><p>半年もタダ働きさせるずいぶん酷い会社だ～という面はあるが、よく考えると子供を専門学校や大学・大学院に行かせ、さらには幼いころから塾だ有名私立だ、ダブルスクールだ・・・ととにかくタダどころか大金を払って教育を受けさせてやっと職業を得るというのが日本の現実だ。</p><br><p>「幸せのちから」でやってたように、とことんまで落ちても「再チャレンジ」すれば成功するんだよ～なんて単純に考えてはいけない。</p><p><strong>「再チャレンジ」を勧めるのは裏返すと「何度でも転落する」可能性が増えることでもある。</strong></p><p>平和に過ごしている人が急転直下、ホームレスに！そんでもって「再チャレンジ」で金持ちに！そうかと思ったらまたまたホームレスに！いやいや何度でも「再チャレンジ」があるじゃないか！エイエイオー・・・なんてジェットコースターのような人生を覚悟せよなんてことではあるまいな！冗談じゃない。生きた心地がしない。</p><p>こんなのでは格差社会・貧困問題には対処できたことにならない。</p><br><p>まず、再チャレンジするための下地となるような教育、社会保障、労働に関するさまざまな法制度（年齢制限をつけない求人など）が欠かせない。再チャレンジできるのは結構だが、まずスタートラインで踏み外す人をなるべく少なくする努力が必要である。そうでないと特に若年層の不安は解消されない。</p><br><p>また、これはあんまり言われてないことだと思うが、フリーターやワーキングプアの立場の人に、さらには仕事でクタクタな人に、<strong>これ以上「チャレンジ、チャレンジ」と声高に言うのもいかがなものか</strong>と言う気がしてならない。向上心バリバリでなければこの世に生きる資格がないとでも言うのかと。</p><p><strong>自然体でやって、そこそこの生活ができるくらいでないと、肉体的にも精神的に病んでしまう。<br></strong></p><p>安倍首相がそういう国民の気持ちがわかるかどうか大いに疑問だ。</p><br><p>何しろ先日危うく国会に提出されそうになったホワイトカラーエグゼンプションに対し、自由な時間が持てる会社員が増えるかのような勘違いをしていたのだ。普通に考えてそんなわけないだろう。会社はなるべくたくさん（≒長時間）働かせてなるべく給与は安く抑えたいに決まっているではないか。<strong>安倍首相はズレている。</strong></p><br><p>「再チャレンジ」も国民の現実、国民の感情からズレていないか要注意である。</p><br><p>＜参考＞ウィル・スミス　安倍首相を表敬訪問</p><p>　　　　　　<a href="http://www.cinematopics.com/cinema/c_report/index3.php?number=2479">http://www.cinematopics.com/cinema/c_report/index3.php?number=2479</a> </p></font><br><p><br></p><br>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10025981966.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Feb 2007 05:26:10 +0900</pubDate>
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<title>「不都合な真実」を観た</title>
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<![CDATA[ <p>話題の映画「不都合な真実　An Inconvenient Truth」を観た。</p><br><p>内容の詳細は他に譲るとして、大半がアル・ゴア氏による地球温暖化を警告するスライド講演、間にアル･ゴア氏の生い立ちから地球温暖化問題に取り組んできたこれまでの姿のドキュメンタリーである。</p><br><p>私が心を動かされたのは、ゴア氏の訴え続ける姿である。</p><br><p>「一瞬だけ大統領になった・・・」と講演で自虐的な冗談を言うが、実際に２０００年の大統領選でのフロリダでの怪しい結末さえなければゴア氏は米国大統領になっていたのだ！</p><p>もしそうだったら、９１１の同時多発テロもなかったろう。今や泥沼の様相を呈しているイラク戦争もなかったことだろう。世界平和の面では大いに違ったものになったと推測できる。</p><p>もちろん地球温暖化問題への政策も全然違うものとなり、米国による京都議定書の批准も行われたことだろう。</p><p>（クリントン政権に引き続いて日本は厳しい要求を突きつけられたかもしれないが。）</p><br><p>ゴア氏は大統領選に負け、一時期呆然とした日々を送ったそうだが、政治家として長年取り組んできた環境問題の啓発に精力を傾けるようになったという。</p><p>私はその不屈の精神に魅了された。</p><br><p>日本にもこれほどしつこく訴え続ける政治家が欲しくないか？</p><br><p>これから次期大統領選が本格化する。</p><p>ブッシュ政権の下、世界がどうなったかよくよく考えて（反省して）米国民には投票してもらいたいものだ。</p><br><p>世界で一番影響力のある政治家（＝米国大統領）をこの手で選べないというのもじれったい。</p><p>よく考えると日本人は自国の首相を直接選ぶことすらできないのだった。これもいかがなものかという気がする。</p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/c5/de/10015947645.jpg" target="_blank"><img height="176" alt="不都合な真実" src="https://stat.ameba.jp/user_images/c5/de/10015947645_s.jpg" width="220" border="0"></a><br>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10025662520.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Feb 2007 00:13:43 +0900</pubDate>
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<title>品格と教育・格差</title>
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<![CDATA[ <p>テレビで「たけしの日本教育白書２００６」なる番組をやっていた。<br>テーマは「日本人の品格」ということである。<br>ベストセラーの「国家の品格」をもじってだろうが。</p><br><p>「いじめ自殺」「履修漏れ」などの教育の問題が騒がれているときにちょうどこういう番組を作っていたということか。</p><br><p>たけしが品格を云々するのがいいか悪いかはおいておくとして、平成教育委員会などの番組をやっているところを見ると、教育についていろいろ思いがあるのだろう。</p><br><p>日本の教育現場は品格をどうと言う前に「命が危ない」「教育機関が嘘を平気でついていた」という「危険」であり「明らかに下品」もしくは「犯罪」が行われている状況なのだ。<br>品格を云々するのは安心して教育を受けられる環境を作ってからだなあという感じ。</p><br><p>大人社会が下品になってきていて、子供もそれに同化してきているのであってそれが学校という場で表れているのだと思う。</p><br><p>気にかかるのはこれまた「格差」とつながっていることだ。</p><br><p>しっかり躾けられている上品な階層と、放任されて育ってしまいそのまた子供を同じように育てている下品な階層。<br>最近、深夜にファミリーレストランに行くと小さな子供を連れている夫婦がいるんだな。<br>コンビニもそうだ。その人たちの様子は見たところ雑な家庭という感じだ。<br>親が自分の都合で子供の生活リズムを乱すようなことをしているのは如何なものであろうか。<br></p><p>かつては子供が深夜まで起きていていいのは大晦日だけであった。<br>小学生は９～１０時間睡眠をとるのが普通だったが。<br>２４時間営業が当たり前になると、しまりがなくなるんだろうか。<br>いつでもものが買える、いつでも食えるというのは教育上よろしくないのかもしれない。<br>そういうのに流される雑な家庭にも問題があるのだろう。</p><br><p>私が子供にどんな教育を受けさせたいか考えると、やはり品のある教育となる。</p><p>（自分が品のある人間であるかは棚に上げて申し訳ないが）<br>そのためには品のある家庭を持つようにしたいし、学校もそれなりに品のあるところを選びたい。<br></p><p>残念ながら今の公立学校には魅力を感じない。<br>イジメ・学級崩壊の危険があるようなところで品のある人間に育つわけがない。<br>そんな問題のある公立学校ばかりではないにしても、選ばれた生徒が通う学校のほうが安全かなと思ってしまうのは無理もない。<br>私立学校に通わせるとなると経済力が要る。<br>経済格差が品の格差を助長することになる。</p><br><p>公立学校よがんばれ。<br>仮に貧しくても品のある人間を育てることのできる環境が欲しい。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10019779311.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Nov 2006 23:49:46 +0900</pubDate>
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<title>いじめ問題</title>
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<![CDATA[ <p>連日いじめによる自殺が報じられている。</p><br><p>安倍首相が「教育再生」を進め始めた矢先に、高校の履修漏れ（履修偽装）やこの<br>いじめ自殺のように教育に関わる問題が噴出しているというのは皮肉である。</p><br><p>いじめについては、いじめられた経験いじめた経験、多くの人が持っているのではないだろうか。</p><br><p>いじめられた経験について言うと、中学１年のとき大変学校に行くのが憂鬱だったときがある。<br>理由がよくわからないが、とにかく生意気だというのだ。生意気って目下の者に対して使う言葉だと思うが、要するに嫉妬なんだったんだろう。</p><p>学級委員をやっていて、勉強の成績も良かったし、なにいきがってるんだという感じで見る奴もいた。<br>いじめられているときってほんとつらくてね、「このワイシャツを着ていったとき殴られたから今日は他のを着ていこう」とか考えるようになってね。</p><p>学校に行きたくない日もあったが、幸い「行かない」という選択はなかった。</p><p>登校拒否という言葉があまり聞かれなかったこと。</p><p>それにあんな奴らのせいで勉強が遅れるようなことになるというのは納得し難かった。<br>私の場合はいじめる側はほんの数人であったこと、私には何の非もないこと、明らかに嫉妬によるものだと理解していたから自殺まで考えるようなことはなかった。<br>むしろ私に手出しができないように、生徒会役員になるとか、成績をもっと良くするとか、教師と連絡を密にするとか策を尽くした。</p><br><p>２年生になってクラスが変わったらその連中からいじめられることはなくなった。<br>しかし新しいクラスでは後ろの席の奴がちょっかいを出してきた。授業中に蹴ってきたりして楽しんでいるのだ。人をいじめるのが楽しいという奴には腹が立ってしようがないし、こんなことが続いてはかなわない。</p><p>やめるよう言ってやったが効かず、結局休み時間に殴り合いの大喧嘩になった。<br>今でもそのときの口の中を切った跡がある。</p><p><br>私を怒らせると黙っていないということを知ったのか、以後ちょっかいを出してこなくなった。</p><p>どうやらそいつはツッパり連中の中でも相当怖いとされている奴だったらしい。<br>それ以後いじめられたことはない。</p><br><p>私は自分を防衛するためもあって生徒会長にもなった。<br>いかにしてプライドを保つか、手出しできない存在になるかが大事だった。</p><br><p>いじめた経験についても言わねばなるまい。</p><br><p>小学校４年のとき転校してきた女子に対してクラスメイト数人で「○○をいじめる会」なるものを作ってしまったのだ。<br>放課後、教室に残っていたら男女数人が「○○って、勉強できるからって××ちゃんのことを馬鹿にしてるのは許せないよ」という話になっていて、私もつまらない正義感に同意してしまいその会に入ってしまったのだ。</p><br><p>それはすぐ他のクラスメイトや担任に発覚し２、３日で解散となった。</p><br><p>許せないことがあるなら本人にそう言えばいいだけのことだったと大変後悔した。<br>確かにその子は自分が勉強できることを鼻にかけ、他人を馬鹿にする言動をとりがちで<br>その後もいろいろあったみたいだが、だからといって陰湿ないじめというかたちで抗議したりしていいはずがない。<br>なんてことをしたんだと今でも反省している。数日とはいえ人生の汚点である。</p><br><p>その後同様のいじめに加担するようなことは一切なかった。</p><br><p>その当時から「うちら（いじめる側）のグループに入らないと君がいじめられるよ」と言う人がいたことは注意せねばなるまい。<br>自分がいじめられないためにいじめる側にまわるということは昔からあったのだ。</p><p><br>いじめについて私の考えを並べると・・・<br>・いじめらると本当につらい。毎日続いて周囲に助けてくれる人がいないなら死にたくなるだろう。</p><p>　頑張れなんて言っては、その子に過酷過ぎる。</p><p>　気を強く持てとか言ってもだめだ。そもそも気が弱い人が生きにくい世の中が間違っている。</p><p><br>・いじめる側はいじめたことはすぐ忘れるが、いじめられた側は一生忘れない。<br>　心の傷としてずっと残る。いじめる側は一生うらまれるのだ。忘れるな。</p><p><br>・自殺を考えるくらいつらいなら学校なんか休むべきだ。緊急避難だ。後ろめたいことなんてない。<br>　どうしようもない場合は転校したっていい。　<br>　いじめっ子のせいで死ぬなんてあまりにも理不尽だ。<br>　いじめられる側は、幅広く考えることができない状態になっているので、親や教師が緊急避難の<br>　手立てを施してほしい。</p><br><p>・学校側はいじめっ子を出席停止にするなど厳格な態度をとってほしい。<br>　何しろいじめられる側の安心して勉強する権利を奪っているのだから。</p><p>　度が過ぎたいじめは「犯罪」としていいはずだ。</p><p>　大人同士の嫌がらせは訴訟とすることができるのだ。</p><p>　児童・生徒のことだって法で守られて当然だ。</p><p><br>・時々いじめられる側にも悪いところがあって・・・と言う人がいるが、それは間違いだ。</p><p>　絶対的にいじめる側が悪いのだ。</p><p>　他人に直してほしいことがあるなら、堂々と言えばいいし、教師を通じて指導してもらえばいい話だ。<br>　単に気に食わないからとか、いじめると楽しいとかいうのは言語道断。</p><br><p>・よく、「いじめはなくならない」とか「大人の世界にもいじめはある」とか言われる。</p><p>　教育学者か心理学者にひとつお願いしたいのは、人間はなぜ他人をいじめるのだろうかを研究してほしい。　</p><p>　きっと人間には他人をいじめたくなる心理がどこかにあるのだ。</p><p>　いじめを防止するためにも研究してほしい。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10019421892.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Nov 2006 12:34:33 +0900</pubDate>
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<title>履修漏れ（履修偽装）について</title>
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<![CDATA[ <dl><dt>ついに教育機関でも「偽装」が発覚したって感じだ。</dt><dt><br>今回は私の母校である仙○一高でもインチキが発覚しており情けない話である。<br>社会ではなく「情報」の科目のとき、ライティング（英語？）・数学・体育を<br>やっていたらしい。（体育・・・わが母校らしくて微笑ましいが）<br></dt><dt>私が高校のときは社会は現代社会・地理・世界史・日本史を習った。<br>ただしうちのクラスは日本史を受験科目に選んでないクラスだったので<br>江戸時代から現代だけを講義した。<br>ちゃんと試験もあったぞ。</dt><dt>私は共通一次試験に世界史を選んでいて、その当時は苦労したが、</dt><dt>今になって思えばためになった。</dt><dt>できればもう一度勉強してみたいくらいだ。（テストはやめてほしいが）</dt></dl><br><p>しかしこの手の話は、ずっと昔からあったんではないだろうか。</p><br><p>たとえば私が高校生のとき、私の高校のライバル校仙○二高では芸術の科目の<br>教師を置かずに他の科目をやっていたとか聞いている。</p><br><p>入試科目の少ない大学の学生が入試にない範囲のことに関して非常にレベルが低い<br>ということも盛んに言われてきたことだ。<br>たとえば分数ができない大学生など。</p><p><font size="1"><br></font></p><p>いくつか問題のポイントを考えると、<br>・正直者が馬鹿を見るということを、教育機関が自ら認めているわけだから、<br>　こりゃ教育上あるまじき行為である。<br>・実施していない科目を書類上だけ成績をつけたのは「公文書偽造」になるのではないだろうか。<br>　そんな内申書で大学進学、特に推薦での進学は取り消されてしまうのではないか？<br>・教育委員会が「知らなかった」というのは嘘っぽい。<br>・これからあわてて補習などを行って形だけ整えても、果たして教育効果はあるのだろうか。<br>　もしかして内職の時間と化すのではないだろうか？<br>・既に卒業したことになって大学に入ったり、就職したりしている人に対してはどうするのだろうか。<br>　履修漏れのまま大学に合格した人がいるということは、一方でちゃんと履修して受験して不合格に<br>　なってしまった人もいるに違いない。不合格になった人の人生狂うよね。どうするの？<br>・結局、「ゆとり教育」はゆとりを生んでなかった。<br>　土曜日も授業をしている頃より１０％以上授業時間が減ってるわけだ。<br>　それでいて大学入試は昔と変わらない。（少子化で私の頃より競争は緩やかになったようだが）<br>　しわ寄せが高校に集中するんだろうね。<br>　行事を減らすなどいろいろ苦心している高校もある。<br>・ところで、私学の６年間一貫教育というのは学習指導要領に則っていると言えるのか？<br>　中学のときに高校レベルまで教えて、最後の１年間は受験対策が行われるらしいが。<br>　確かにこっちのほうが入試には有利な上に時間的にも余裕がありそうだ。<br>　今回このことで公立高校が学習指導要領に完全に従うことになるのだろうが、<br>　そうなると益々私立６年間一貫教育の学校が競争上有利になる。<br>　結局経済力が効いてくることとなる。</p><br><p>ところで私は高校生当時の学習指導要領に則った授業を受けて卒業したことになっているのか？？<br>しばらくして、「単位が足りていませんでしたので、集中講義を受けに来てください」なんて<br>手紙が来たりしないかな？</p><p><br><img height="144" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.bk1.co.jp%2Fbookimages%2F0204%2F020427860000.jpg" width="98" border="0"></p><dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=118591" alt0="BlogAffiliate" target="_blank">ゆとりを奪った「ゆとり教育」<br></a></dt><dt>￥1,600</dt><dt>株式会社　ビーケーワン</dt></dl><p><br></p><dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=118590" alt0="BlogAffiliate" target="_blank">ゆとり教育が日本を滅ぼす<br><img height="144" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.bk1.co.jp%2Fbookimages%2F0252%2F025286110000.jpg" width="92" border="0"></a></dt><dt>￥848</dt><dt>株式会社　ビーケーワン</dt></dl><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/kou-blog/entry-10019102807.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Oct 2006 06:03:08 +0900</pubDate>
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