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<title>kozmicaのブログ</title>
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<title>エネルギーの流れ</title>
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<![CDATA[ あるエネルギーがあって、それは何かをなそうとしてるとして。<div>その全てが「わかる」ことはあり得るのだろうか。</div><div>すなわちあるエネルギーがあること。何かをなそうとしてること。その「何か」。そして、もしくは、そんなものは無い、ということ。</div><div><br></div><div>ある、君の、僕の、生きることについて、生きるというのは生きてなけりゃ何も見えないという点において、生きて見えることは「全て」だけど、その一点において、生きることの価値は相対化されない。すなわち、0点かのようにも思う。</div><div><br></div><div>まぁ、そのような価値の云々は、どうでもいい。</div><div>大きくて複雑だから。</div><div>ビッグデータ、ディープラーニングがようやく見せてくれるだろう。その「価値」は。</div><div>価値は、最終的に相対的な、そこにあるようなものなのに、その性質において、内に戻りつつあるところに自分を見つめる、夜光虫のような存在だから。</div><div>明確に、あるけど。</div><div><br></div><div>それと一つの、あの、「エネルギーの流れ」について。</div><div>「生きる」という全体という流れの中においてのそれはしかし、ある流れを信じるか云々か。</div><div>それについては、もう物としてあるのだから、信じるのだろう。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kozmica/entry-12295303724.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Jul 2017 22:36:18 +0900</pubDate>
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<title>ロンリー・プラネット</title>
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<![CDATA[ バックミンスター・フラーという人の「宇宙船地球号」という概念があります。<div><br><div>地球を宇宙に浮かぶ一つの宇宙船と捉え、そこでの生存を企図するという目的に基づいた考え方です。</div><div>では、宇宙船地球号はどのような外部宇宙にいるか。</div><div>それは、「宇宙船太陽号」からエネルギーを受け取る、という宇宙にいます。</div><div>黒い宇宙の、二つの宇宙船です。</div><div><br></div><div>フラーは例えば「クリティカル・パス」という考え方などによって、このように最高に抽象的、普遍的な思考から、泣けるほどに親密な孤独へと導いてくれます。</div><div><br></div><div>普遍性と孤独について。</div><div><br></div><div>こうして、普遍性と孤独は結びつきませんか。</div></div><div>宇宙を考えると切なくなるみたい。</div><div>で、そのような普遍性を演繹して見せてくれるのが例えば「科学」かもしれません。</div><div>というか、全てですよね。全てそこからなるわけだし。孤独も浮かぶ。</div><div><br></div><div>でも逆に、孤独における普遍性というものもありえると思うのです。</div><div>それは「みんな孤独だ」とかではなく、孤独それ自体にある普遍性というか。</div><div>下見てたら「あ、歩くために脚2本あるんだ」って気づくような。</div><div>孤独が、存ずるというか。</div><div><br></div><div>そしてその孤独からの普遍について、突き詰めるとそれはただの普遍だろう。</div><div>でもそこにはそうやってただ、「視点の逆転」が生じているわけです。</div><div><br></div><div>そしてその「視点の逆転」はしかし、すなわちそれは「魂」なんだと思います。</div><div>それは抽象的な意味ではなく、例えば「私たちは命あるものに由来するものしか食べる事が出来ない」という、極端に実在的な意味で、です。</div><div>それは、下に対して上がある、という事よりも自明、むしろこの世においてもっとも自明な事としてです。</div><div>魂は存在するというより、「最も自明なもの」が魂なんだと思います。</div><div><br></div><div>「対称性の揺らぎ」から宇宙が出来たそうです。</div><div>多分全く同様にして、魂に由来する世界も、ある普遍と孤独の揺らぎの中に出来たと思うんです。</div><div>何のかの。</div><div><br></div><div>……</div><div><br></div><div>京都の山の奥の奥に「大悲山」という山号のお寺があるんですが、えらい名前、なんでだろうと思いつつも、なんか、わかっていたんです。そしてそれは多分、こうかもしれないです。</div><div>ノルウェイの森でもあのあたりは出てきましたし。</div><div>あれは例えば京都の素晴らしさ、あのある種の純粋さ、なのだろうと思います。</div><div><br></div><div>……</div><div><br></div><div>↓</div><div><a href="http://youtu.be/TIokp4MonxE">宇宙</a></div>
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<link>https://ameblo.jp/kozmica/entry-12036707829.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Jun 2015 00:42:54 +0900</pubDate>
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<title>2015/06/02</title>
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<![CDATA[ <div>↓</div><a href="http://logmi.jp/32787">死の瞬間について</a><div><br></div><div>死ぬ瞬間、人は自分のした些細なことを思いだすらしいです。</div><div>本当にそうだと思う。</div><div><br></div><div>そしてそれって「善行」とか「悪業」とかだろう。</div><div><br></div><div><div>ある日に見た光景とか、もうどうしようもないほどの、どうしようもない、それ。</div></div><div>それが、なんか今生から受け継がれるんだろうって思う。</div><div><br></div><div>そしてそれを能動的に行うことって、信仰とイコールですよね。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kozmica/entry-12034713257.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Jun 2015 23:33:21 +0900</pubDate>
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<title>2015/06/02</title>
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<![CDATA[ 山の手線でANAのヒューストン便の就航のCMを見てて、超美しいとずっと思ってたんです。<div>本当に美しいんだ。</div><div>電車の中、<br><div>音の無いスターウォーズのCMです。</div><div><br></div><div>さっき、音付きで動画を見たらもう、本当にどうしようもないほどなんでもない動画でした。</div><div>それは、頭の中で音声を消しても印象はどうしようもなく変わりませんでした。</div><div><br></div><div>なんかこういうものは無限にあるのだろうな</div><div>聞こえとか見えとか、他色々なものの偶然重なりあった何かが僕の世界なのだから</div><div>と思いました。</div></div><div><br></div><div>↓</div><div><a href="https://www.ana.co.jp/mediastation/">ぬ</a><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/kozmica/entry-12034290492.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Jun 2015 23:01:55 +0900</pubDate>
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<title>幕が上がるという劇</title>
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<![CDATA[ あ幕が上がるという舞台を見ました。<div>ももクロちゃんがやっている舞台です。</div><div>ももクロちゃんの素晴らしさはそれとして…</div><div><br></div><div>幕が上がるという舞台は、舞台です。</div><div>僕は映画や美術作品はしばしば見ますが、舞台はあまり見ません。</div><div><br></div><div>映画や美術作品には、「美しさ」という尺度が明確に存在します。</div><div>「美しさ」は明確に存在します。如何にしてか。</div><div>実は、「明確に存在するもの」が美しさです。</div><div><br></div><div>例えば絵は「存在するそのキャンバスが四角い」という事実、「描いた人がその絵をまず見、それを追体験している」という事実とか。「事実」が備わるという事が美しさです。</div><div>舞台は？</div><div><br></div><div>よく舞台は肉体性とかって言いますが、全てに肉体性は備わっているわけです。</div><div>では舞台は？</div><div><br></div><div>舞台の事実は、例えば、それが、キャラクターが「演じられている」という事実でした。</div><div><br></div><div>幕が上がるにおいては銀河鉄道の夜が劇中劇として演じられます。</div><div><br></div><div>銀河鉄道の夜は、「自己犠牲」「死の受容」等がテーマです。</div><div>本当に素晴らしい、美しいお話です。</div><div><br></div><div>しかしそのような「美しいお話」とすると、実は永遠に解けない問題が生じます。</div><div>その「自己犠牲」などのテーマが、「そういう人もいた」という伝聞の域を超えないという事です。</div><div><br></div><div>お話に潜むそのような限界を超えるために、古来、様々な技術が用いられてきました。</div><div>情報を詰め込んだり、作者自身に還元したり。</div><div>それらは、限界についての漸近線を探す作業だったかもしれないです。</div><div><br></div><div>しかし、演劇、「演じられる」ということ。</div><div>そこにおいてはそのキャラクターを演じる「取り替え可能」な存在として、社会の中で「かけがえのない存在」である人間が存在するわけです。</div><div><br></div><div>それによって物語の限界は圧倒的に超えられるわけですね。</div><div><br></div><div>限界を超えるとどうなるのか。</div><div>事実になるわけです。</div><div>事実というのは経験や記憶とは違います。原理的な、事実。</div><div><br></div><div>なんてか、説明できません。</div><div>ジョバンニのみた夢としての夢があらわれるんです。</div><div>夢って時間や空間から切り離された、事実的なものじゃないですか。</div><div>そういう、夢としての例えば自己犠牲、死の受容。</div><div>それは、存在が演じられうるという点で接続されるわけです。</div><div>事実として、この僕の、全ての時間や経験について。</div><div><br></div><div>だから僕は何回銀河鉄道の夜を読んだかわからないけれども、カンパネルラのお父さんが「銀河の旅」である「死の受容」を「45分で行っていた」なんて気付かなかった…</div><div><br></div><div>平田オリザさんは僕のような演劇を知らない人に向けて演劇の美しさを直接的に示すために、作劇されたそうです。</div><div>なんで、上に置いたような演劇の凄まじさが明確に、最小限に、理論的に配置されてました。</div><div><br></div><div>演者の不在（言及されるだけ）（風邪？）（演出の都合？）</div><div>演者の代替性（「演劇部」）（セリフリレー）</div><div>テーマと社会との接続（震災という事実）（「震災という悲劇」ということ）</div><div>…</div><div><br></div><div>そういったものを置いて、そしてそれを超えて出てくるのがあのしおりちゃんの凄まじい演技だとするなら、</div><div><br></div><div>この作品、そして演劇って明確に、世の中を豊かにしてるんですね。</div><div>事実として。</div><div><br></div><div>「悲劇」って、こういうことかと思いました。</div><div>「事実」だから、悲劇は「誕生」するのだろう。</div>
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<pubDate>Sun, 24 May 2015 23:14:55 +0900</pubDate>
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<title>2015/05/23</title>
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<![CDATA[ 伝えたいこと、感じることって、どんどんどんどん、すさまじく増えてかん？<div>僕は増えてる…</div><div>なんぼほど、書きかけのブログがたまんねやろうって。</div><div>いつもの道の建物の隙間から見えた僕のよく知ってる建物について、例えば、すごい、感じたりさ。</div><div><br></div><div>昔、中学校入って、学校の施設案内の時に司書の先生が言ってたこと。</div><div>「誰しも、本当に誰しも。</div><div>いつか自分を超える自分の気持ちに出会う。</div><div>その時に必ず、絶対に、自分自身の気持ち、それ自身と向き合うことになる。</div><div>そして、その時に頼れるのはそれまでに出会った言葉だけ。</div><div>自分自身と向き合う時に、自分の出会った言葉と向き合うことになる。</div><div>そうやって、自分の言葉を書き出すことになる。</div><div>それは全員そう。本当にそう。</div><div>だから、その時のために。本を読みましょう」</div><div><br></div><div>…</div><div>この言葉についての事実として、二つあります。</div><div>1 僕はその時、驚くべきことに、</div><div>徹頭徹尾、嘘だと思いました。</div><div>だってありえんから。</div><div>ありえないとわかる事にありえないと思うのはなんでもない。</div><div>ありえないと思った。</div><div>心があって、環境があって、なんかそれだけだったし。</div><div><br></div><div>2 僕はなんか、もう、全部の存在の意味がそれだけであるようなところにいる。</div><div>意味が、例えば「日本人である事」の意味ってあるわけじゃないか。</div><div>それは、例えばナショナリズムと言われるものだけでなく、なんかこの湿った、ふとしたときにみえるなんか…！それは物理的な現象のほか、やはり社会的な共通了解としての連続性もある。</div><div>でもそれがあっても、もう、それそのものとして存在するのが日本人としての全部の存在でしょう。</div><div>すなわち、「言えないものは言えない」という事です。</div><div>その次元においては</div>
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<pubDate>Sat, 23 May 2015 01:53:02 +0900</pubDate>
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<title>2015/05/03</title>
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<![CDATA[ 有名な岩を見ました。<div><br></div><div><div>有名な岩や山、何かそういうものをみると感じる。それはまずもってその大きさ、宇宙という大きさの中で現れてきてくれた、その大きさという出会い。</div></div><div><br></div><div>例えば「唯物的」とされる見方はその「大きさ」について、測るのが難しいのではないかな。</div><div>この大きさって絶対値はとらないから。</div><div>なんちゅうか、アポステリオリ？</div><div><br></div><div>「アポステリオリ」って、アプリオリの反意語。アプリオリ、先天的に対しての「後天的」とされる語らしいです。</div><div>けど、アポステリオリってやばくないですか？</div><div><br></div><div>なんかどうやら、人に前世というものがあったとしたら、人は今世に来る時に前世は忘れてくるそうです。</div><div>そこで、では、アプリオリなものは？</div><div>前世から、忘れて、来た‼︎</div><div>という事だとしたら。アポステリオリなものは？</div><div>前世から、忘れて、来た‼︎、について、わかる、という事‼︎‼︎</div><div>になりませんか？</div><div><br></div><div>「前世」というのはあまりにあれでも、アプリオリとアポステリオリを横にならべると、忘却についての連続が生じてしまう。</div><div>アプリオリ、アポステリオリの定義や原理、と、社会的な記憶ってどちらが強いのだろう。</div><div><br></div><div>定義、原理だとしたら。その忘却への連続が前世と呼ばれるのではないかな。</div><div><br></div><div>まぁそれは置いといても。アプリオリとアポステリオリを通じた、忘却への「距離」が、宇宙という空間における「大きさ」じゃないですか。</div><div>大きさというのはそういう感じです。</div><div><br></div><div>まぁいいや‼︎</div><div>夫婦岩はあとやっぱり、なんだか光が強かったっておも</div>
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<pubDate>Sun, 03 May 2015 17:19:42 +0900</pubDate>
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<title>2015/05/02</title>
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<![CDATA[ 奈良にいます<div>草木の隅々まで愛がしみてるように感じます。</div><div><br></div><div>春に花はさくそうです。</div><div>そして夏が訪れます。</div><div><br></div><div>同様にして、夜が来ます。</div><div>夜の向こうは、夜も昼もひっくるめた、場所それ自体ですね。</div>
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<pubDate>Sat, 02 May 2015 10:24:42 +0900</pubDate>
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<title>2015/05/01</title>
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<![CDATA[ 美味しい餃子をいただきました
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<pubDate>Fri, 01 May 2015 22:58:05 +0900</pubDate>
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<title>2015/04/28</title>
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<![CDATA[ こんにちは。<div>あつおです。</div><div>ブログを書こう‼︎</div>
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<pubDate>Tue, 28 Apr 2015 00:15:39 +0900</pubDate>
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