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<title>1/100 blog</title>
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<description>Seeing is believing. But could we see anything we should see?</description>
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<title>3/100 nonsense</title>
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<![CDATA[ <p>明日はある小学生の兄妹を教える日です。<br><br>前任者からこの子たちについて引き継ぎを受けたとき、お兄ちゃんはともかく妹は手がかかって困るのだと脅されました。<br>ところがいざ蓋を開けてみると、妹の学習意欲は兄に劣らず素晴らしいもので、お勉強をしているというより自ら学んでいるという姿勢でした。<br><br>つまり前任者が煩わしかったのは、講師が妹のために用意すべき教材の量が増えて面倒だという、教育に携わる者としてナンセンスな理由だったのです。<br><br>私はむしろ、彼女の｢児童らしからぬ｣自立した精神性に感動するとともに、兄が自習室に去った後も落ち着いた居住まいで母の迎えを待ついたいけのない少女が、果たしてこのまま傷付かずに大人になれるのだろうかと、余計な心配をしてしまったほどでした。<br><br><br>今日は中間試験前の中学生に最後の試験対策をしてきました。<br><br>彼女は何かというと｢めんどくさい｣と言います。<br>分からないからしんどいのではなく、分かっても｢めんどい｣のです。<br>文章題を紐解いて簡単な計算問題に持ち込めたとしても、計算を放棄してジ・エンド。<br><br>つまり試験前だろうが何だろうが、そもそも解く気がないのです。<br>彼女の中では、好きな男の子と一緒にいるのも部活で汗をかくのも面倒で、煙たい両親も嫌いな数学もまた、同じように面倒なのです。<br><br>私は純粋にこう思います。<br><span style="COLOR: rgb(255,0,0)"><span style="LINE-HEIGHT: 1.2"><font size="5">いまの君は、本当にナンセンスだ</font></span></span>　と。<br>それを伝えるのもまた、教育であるはずです。 </p>
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<link>https://ameblo.jp/kozri/entry-10153105616.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Oct 2008 22:46:00 +0900</pubDate>
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<title>2/100 no compulsion?</title>
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<![CDATA[ <p>先生方の中には、御自身の教育理念というものに格別な思い入れのある方がおられます。<br>先生の老若男女を問わず、非常に拘っておいでなのはまことに結構なのですが、中には首を傾げたくなるようなお考えの持ち主がおられるのです。<br><br>「私は、生徒に勉強を強制しても成績は絶対に上がらないという考えを持っているので、宿題は出したくありません」<br><br>これは、先日ある先生から頂いた引き継ぎ用紙に書かれていた連絡事項の一文です。<br>この先生は、非常にお若くして御自身の信念とも云うべき教育哲学を述べておられるのですが、失礼ながら私は思わず失笑してしまったのです。<br><br><span style="LINE-HEIGHT: 1.2"><font size="5">「<span style="COLOR: rgb(0,0,255)">教室に来るという選択肢を、強制されずに選んだ生徒がいるのだろうか？</span>」</font></span><br><br>この付加疑問文が私の解答です。<br><br>私は批判を怖れず、敢えて根源的な原則論を述べたいと思います。<br>大人は子供を自立に導く教育を受けるよう、子供に強制する義務があります。<br>子供は大人になるまで、自己と他者の生命に関する責任を負えない存在だからです。<br><br>そう、子供は生かされているに過ぎません。<br><br>つまり、生きている事、そのものがすでに「強制」されているのですよ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kozri/entry-10153105104.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Oct 2008 22:46:00 +0900</pubDate>
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<title>1/100 a proposition</title>
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<![CDATA[ <div class="story">「なぜ、勉強しなければならないのか」<br><br>生徒からこう問われたとして、あなたならどう答えますか？<br>この問いには、特に決められたアンサーはありません。<br>モバイルでいうエニーキーアンサーでもあります。<br><br>もちろん、この問いがここに出されるには何か意図があると思われるかも知れません。<br>そして、そんなものはケースバイケースで普遍化する意味がないとおっしゃるかも知れません。<br>しかし、そんなあなたも身構える必要はありません。<br><br>私にとって、この問いはとってもカンタンです。<br><br><u>Ａ．<span style="COLOR: rgb(255,0,0)"><span style="LINE-HEIGHT: 1.2"><font size="5">この世を生き抜くために。</font></span></span></u><br><br>生徒は学ばねばならないのです。<br>ありとあらゆる事を貪欲に。<br><br>その材料が数学なのかスイミングなのかは問題ではないのです。<br><br>このシンプルな命題に従えない者は、少なくとも講師を廃業すべきです。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kozri/entry-10153074640.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Oct 2008 22:46:00 +0900</pubDate>
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