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<title>kszm blog</title>
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<description>日々思うこと、考えていることを適当に書き留めておくだけのブログです。</description>
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<title>ブログ引っ越しました</title>
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<![CDATA[ http://ksmz.hatenablog.com/
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<pubDate>Tue, 15 Dec 2015 19:03:48 +0900</pubDate>
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<title>イナヅマ</title>
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<![CDATA[ 丁度3年前くらいのブログを読み返していたらもうそんな時期かと思った。この時期の湿気が思い出させる。もう3年って早かったなとも思ったけど、あの時気にかけていた違う路線からその時を今思い返すような状態ではないであろう事には安心した。色々な事があって色々変わったけれどそう思えるということは、間違えてはいなかったのかと勝手に思う。永遠なんて物はないことは知っているけれど自分が死ぬまでを永遠だとするのならそれくらいは続けたいもの。<div><br></div><div>それにしても昔のブログってのは自分で見返すのも発狂しちゃうくらい気持ち悪いけど、ないよりは楽しいかなとも思う。ただ気持ち悪すぎたのでおかしなテンションはやめていこうと思う次第であります。</div><div><br></div><div>映画チョコレートドーナツを借りたけど3日延滞して800円。旧作だと思っててっきり一週間で借りたと思っていた！ゲオ殿が電話してきてくれなかったらどうなってたことやら。</div><div><br></div><div>確かに考えさせられる話ではあったけど、自分の日常には縁のない要素が多すぎて感情移入があまりできなかった。結局自分は第三者にしかなれなくて。映画じゃなかったとしても当たり前のことだけれど。免許更新で事故の怖いビデオを観ても次の日には忘れてしまっている感じと似ていた。</div>
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<pubDate>Wed, 17 Jun 2015 19:42:15 +0900</pubDate>
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<title>お元気ですか？</title>
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<![CDATA[ 梅雨ほど嫌いなものはない気がする。晴れているというのはそれだけで素晴らしいのだから。そして革靴、眼鏡にこだわり出してからというもの、雨の日はお気に入りを身につけられないからテンションが下がる。好きな物を身につけるとそれだけでカチッとした気分になる。<div><br></div><div>いつからかファッション雑誌などは見なくなり、自分の着たい物が決まってきた気がする。恐らく自分のおじいちゃんの影響なのだろうけど、ジジイみたいな服装が渋くかっこいいと思う。いつからかズボンはスラックスしか履かなくなった。いつかおじいちゃんがよくやっていたスラックスに下駄が履けるようなジジイになりたい。</div><div><br></div><div>大切だった人に赤ちゃんができたと知ったらどうなるのかと、そんな日も近く来るだろうとは思っていたけど、思っていたよりは大丈夫だった。最近はあまりにも時間が流れるのが早くて、それを受け入れるしかなくて受け入れて、そしたら自然と過去のことになった。そんな言い方はしたくないし、そこで終わったという意味の過去ではなく。あんな事もあったねと後から振り返られるような関係でいる覚悟が出来たのかもしれない。それだけお互い進んでいるらしい。</div><div><br></div><div>最近は家族の繋がりについて前よりも考える。結婚して次は自分の子供の可能性もあるのだし。赤ちゃんを見てかわいいとは未だに思わないけど、歩いてるくらいの子供と親を見ると自分と照らし合わせて考えてしまう。自分の子供だったら可愛いと思わないはずがなく、ここに自分の子供がいて、その人間と話をすると言うのはどれだけ楽しいことなのだろうかと。自分の母親も自分が子供だった時はそんな気持ちだったのだろうかと思う。母親が「お前もこんなに小さい時があってかわいかった」とよく言っていた。そしてその人間が大学へ行き、就職し、結婚して、その経過を見てきたのはどれだけ楽しかったのだろうと思う。そんなことを考えるとそう言えば今まで母親の気持ちになって考えたことが無いことに気付いた。そして母親も自分の子供を可愛いと思っていたのだろう、と自分が思えるということは愛を持って育ててもらえたということなのかもしれないと思って、なんとも言えない気持ちになった。</div><div><br></div><div>それと関係してかしないか、「お前に娘はやらん！」という展開をよく聞くが、果たしてそんな事があるのか。確かに娘は可愛いかもしれない。手放すのは辛いかもしれない。しかし、この世で最も信じることのできる人間「自分」と、最も信じたいと思う人間「愛する人」から生まれた人間「娘」。そんな彼女が選んだ人間「男」。彼女のその判断を信じたいと思わない事があろうか、その男を信じたいと思わない事があろうか！</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-12037735849.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Jun 2015 19:18:13 +0900</pubDate>
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<title>どうにかなるべぇ</title>
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<![CDATA[ 昨日は友人から電話があり自分の何年か前のブログの記事を音読されるという拷問を受けました。<div><br></div><div>それにしても後から読み返すとあのテンションと恥ずかしさはなんだと。もうこれからは絶対あんな事書くわけない。自分も成長したな！と思いきや、数年後またここを振り返ったら同じような事になるであろうのは不思議な話。</div><div><br></div><div>最近は新しく頑張っていた方のブログも全然更新しておらず。書きたくないと思ってやめていたわけではなく、特に理由があるわけではないけど、おばあちゃんが死んでからにはなる。</div><div><br></div><div>お葬式で数日間忙しかった間は毎日やっていた、今思うとやらされていたのかもしれないゲームアプリもやる時間もなく。何時にあんなイベントがあるからその時間にゲームしなきゃ、スタミナ無駄にしないように満タンになる前にゲームしなきゃ、とゲームに時間を縛られていたことにようやく気付きました。</div><div><br></div><div>やらなかったのは数日だったけど、それでそれに気付いてからはなんか楽になったというか、別にそんなに無理してまでやらなくていいかと思うようになり。プライド的なものもなくなり。</div><div><br></div><div>おばあちゃんが死んだことは関係ないような気もするけど、でもなんとなくブログもそうだけど続けてたことに力が入らなくなったというか。いいのか悪いのかもわからないけど。</div><div><br></div><div>あとは初めて家族のこの世からいなくなるという経験をして思う事はたくさんあった。そういうのをこういう所に書くというのは不謹慎という考えもあるかもしれないけど僕はそうは思わない。まあ敢えて誰かに伝えるべきものでもないのかもしれないけど。でも他人のそういう時の気持ちを自分は詳しく聞いたことも見たこともないから、誰かに見られるようにする事も意味のあることのように思う。</div><div><br></div><div>死は避けられないし受け止めるしかないんだし、その話題がタブーと避けるのは何か逆に隠しているような、逃げているような感じがする。ただそうやって多少余裕でいられるのはおばあちゃんという、他人よりは近いけど親よりは遠い存在だからなのかもしれない。</div><div><br></div><div>そんな差をつけるのは確実に不謹慎だけどそれは間違いない。だから自分の親が死んだ時は余裕ではいられないのは今でもわかる。そしておばあちゃんのお葬式で考えていたことはそれが多かった。母親にとっての親が今いなくなった、そしていずれ自分にとってのそれが来ると。その時自分は今の母親のように強くいられるか？最後まで一緒にいてあげることができたと後悔少なくいられるか？</div><div><br></div><div>人が死ぬというのはそれ自体でも悲しいけれど、それを見て悲しむ家族を見るのはもっと悲しかった。おばあちゃんは死んでも普通に寝ているような顔だった。別に何もみんなを悲しませようとなんてしていなかったし、悲しがってもいなかった。それなのにおばあちゃんの周りの世界ではみんなは泣いて、普段とは違う重々しい儀式的なもので囲まれて。悲しい世界はこっちだけだった。でも最後にその二つの世界の隔たりで、こっちの世界の悲しみがおばあちゃんには伝わらずそれだけは救いだったと思うようにした。悲しみは全てこっちの世界で引き取った。おばあちゃんは悲しい顔でいないことを願う。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-12034207917.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Jun 2015 19:27:19 +0900</pubDate>
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<title>OYSTER</title>
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<![CDATA[ 何がしたいの？って聞いてみたら全然わからない。自分が何をしたいのか。やり直したい？そんな事でもない。悩みを解決する方法は何で悩んでるかの原因を自分で認識することだと偉いヒゲのおじさんから学んだけれども、原因が見つからない。<div><br></div><div>見つからないのは原因がないからなのかもしれない。ただ会いたいだけらしい。そして何で会いたいかを考えたら忘れたくないから、そして忘れられたくないから、らしい。それが原因といえばそうなのだけれど。自分としたら原因というかはただの欲求。無理な事に対する。それを受け入れるべきだと自分でも何度も書いたにもかかわらず。</div><div><br></div><div>忘れるべきものは自然と忘れる。自分よりもっと自分らしいものが勝手にそうする。それに自分が忘れようとして頑張って忘れたんだ！なんて後から理由を付ける人もいるけれど。</div><div><br></div><div>ただ忘れたくなくてもきついと忘れる。それを思い出すのがきついから害のあるものだと捉えられて。多分今はそれに抵抗している最中なのかもしれない。</div><div><br></div><div>なんでそんなに忘れたくないかといえば思い出す過去があるということはその時の自分の意思は確かなものだったはずだから。いつも今の時点で振り返ることのできない勝手に消えるような意味のない過去を作るようには生きていない。</div><div><br></div><div>過去は美化されるとか、振り返るべきじゃないとか聞くけど、自分はそうは思わない。振り返らないでどうやってその時の今が正しかったかわかるのか。後から答え合わせなんてしてもしょうがないんだから今の事だけ考えればいいんだよ、と言われるのかもしれないけれど。</div><div><br></div><div>確かにじゃあ過去にしたことが正しかったとして、今も思い出せる事実だとして、だから何？って話になってしまう。それがこれからの事も確かにしてくれるのか？そしたらまたじゃあこれからどうしたいのか、と最初に戻ってきてしまう。</div><div><br></div><div>答えはどうやらわかってるような気もするからやっぱり抵抗したいだけなのかもしれない。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-11989033797.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Feb 2015 19:26:47 +0900</pubDate>
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<title>みぞれ梨</title>
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<![CDATA[ <div>確かに変わってしまって今はそうでもないことはあっても、それが確かなのは目に見えたり物理的な問題であるから。そこは確かに受け入れるべきだし、受け入れるしかない。</div><br clear="none"><div>でもそれで全てが終わったと考えることに結びつかなくて、さらに結びつけたくもないと思うということは、物理的な問題以外では変わってなく、変わっていないと信じたいことがあるから。</div><br clear="none"><div>そしてそれの方が変わってしまったことを認識することは難しい。人の気持ちをどうこう考えても自分だけでは確かにすることができないから。</div><br clear="none"><div>じゃあ直接聞けばって話だけど、それを直接聞いて確かにしようと思うくらいの関係ならばそれはそれで終わっているのかもしれない。やはり信じたいと自分が思うなら信じるべきだという最近大切にしている考えに結局落ち着く。</div><br clear="none"><br clear="none"><div>それにしても人間は物理的に距離にめっぽう弱い。精神の繋がりさえあれば関係ない！と今まで大勢の人間がそれに抗ってきただろうけど、それに勝てた人はほとんどいないはず。「あの二人の遠距離恋愛続くと思う？」の質問には、続かないと思う、と答えておいて大体間違いはない。</div><div><br></div><div>そんなようなよくある展開を見てきても、やっぱり人間は距離に弱いし、精神的な繋がりを保つためには物理的な関わりも必要だし。</div><br clear="none"><div>そもそも本当の精神的繋がりという完全のようなものを人間に実現できるのかということを考えると、やはり人間は不完全で、なんというか生物、という感じすら最近してしまう。</div><br clear="none"><div>色々考えてて書いたものの、また会いたいな、って一言いえば片付いた気もする。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-11986128956.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Feb 2015 20:46:22 +0900</pubDate>
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<title>月次処理</title>
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<![CDATA[ もう今年も1ヶ月経ってしまった。早い、早すぎる！月次処理だって後11回しかない。少ない、少なすぎる！そう考える度、気付いたら死ぬとき時と認識する時も早く訪れそうと考えると恐ろしい。<div><br></div><div>またそんな事を考えているのかと自ら気付いた時に、そうか今日は月曜日か、というお決まりが最近ある。今何をしているんだろう、なんてそんな事をこんな歳にもなって考えて。</div><div><br></div><div>別れ際は大抵それじゃあまた、と言うようにしているけどそれでもそれがその時は知る由もなく最後になるなんていうのは悲しい。</div><div><br></div><div>時間が進む毎に自然と世界は別になって交わることはどんどん無くなっていきそうで怖い。それでも自分も進んでいかなきゃいけないし、そろそろ決めなきゃいけない事もあるし、今年は変わることがたくさんありそう。なんとか変えないようにはするけど。</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-11984848898.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Feb 2015 20:34:05 +0900</pubDate>
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<title>あけましておめでとうございます</title>
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<![CDATA[ 何だろうこの悲しさ！見ている人は恐らく数人、いや数人もいないかもしれないのにこんな挨拶をするなんて！<div><br></div><div>それはさて置き去年は短かった。何もなかったからなんでしょう。1人の人がいないだけでこんなにも時の流れが早くなるとは。東京の暮らしにも変化がなくなってきたのか。そろそろ本当に住むべき所に戻る時間か。仕事で住む場所など決めたくなくはなくて、住みたい場所で生きて後のことはそれから考えればいいと思ったのは東京で暮らしてわかったことだけれども。</div><div><br></div><div>ここは昔通り日記のようなブログに戻ってこっちはこっちで残しておいてよかった。ただこっちはいつも見て欲しい人が大体決まってるずるいブログ。見られているかはわからないけど、どこかそれを期待して一方的に思っていることを書いて先回りする。そうしたら何か変えられるような気がして。</div><div><br></div><div>ただ最近そうやって人の気持ちを変えようとした所で何の意味があるのかとも思う。自分だけがそう思えれば大抵のことは人の思いがどうであれ関係ないという考えだけど、それでは意味を持たないものも思いつく所一つあって。何とかして変えようとして変えてるような気がする。<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">自分はいつも待てない。</span>だから最近は待ってみてもいいのかなとも思う。それは変えるに値しないから待てるのかもしれないという恐怖もあるけど、待とうと思った初めての考えが浮かんだことの方に意味があると思いたい。</div><div><br></div><div>結局書いてるから待ててはいないんだけど。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-11977211692.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Jan 2015 20:30:31 +0900</pubDate>
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<title>PERSUASION</title>
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<![CDATA[ あの少し湿った暑い寝室<div>ベランダで吸ったいつもと違う煙草</div><div>閉めきったカーテンの隙間から部屋に入る街灯の光</div><div>その時を後から思い出せるように敢えて聴いた曲</div><br><div>こんなに鮮明に思い出せるのにあの時にはもう戻れない</div><div>次の日にいつもと違う匂いが自分からするだけでうれしくなってしまうよ</div><br><div>さあどうですかこれでも西野のカナさんに勝てないとでも言うのですか！っていつも最後にふざけないと恥ずかしいんですよね。</div><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-11948137741.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Nov 2014 19:32:03 +0900</pubDate>
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<title>また今度</title>
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<![CDATA[ 例えば今日みたいに一年に一回やることがあるとして、仮に80歳くらいまで生きられるとして、そしたらあと50回くらいしかこれをできないことになる。あとたった50回。だから一緒の時間を大切にしたいし、これからもまたここにこうやって来たい。<br><div>このようなくそ面倒臭いプロポーズはどうでしょう。</div><br><div>そんな冗談はともかく、でも本当に一年単位で考えたら残りなんてあっという間。自分のことだってよくわからないのに、それでも考えたい自分以外の人がいるというのは凄いこと。</div><br><div>結局自分一人の自分なんてものはないのだろうけど。自分がなりたい自分を変えてでもその人のがそう言うのなら、そうしようと思えるのなら、それは大切な人なのでしょう。</div><br><div>そんな話もともかく一年に一回だとしたら切ないものです。一年に一回でもあるだけいいのかもしれないけれど。そして頑張ってまた今度、と言うしかない。今度がなくてその時が最後になるかもしれないと思いつつも。</div>
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<link>https://ameblo.jp/kszm/entry-11945268380.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Oct 2014 19:40:52 +0900</pubDate>
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