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<title>男性OL民BIのページ</title>
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<description>OLにはまり、田中圭さんの大ファンになりました。</description>
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<title>劇場版で今もなお気がかりなこと</title>
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<![CDATA[ <p>　エンドロール後のシーンで、牧は心からの笑顔ですが、春田については「じゃあな」のあとで映画の最後のカットで見せる表情が気になっています。多くの人が悲しいシーンと感じるのもこの表情のせいであるように感じます。現実問題として、これが遣都さん演じる牧との最後の場面であるという圭さんの寂しさが春田を通じて表現されてしまったのでしょうか。<br>　また、どうでもいい些細な問題なのかもしれませんが、春田母がATARU君と同居するために春田家に戻った後、映画では春田はどこに住んでいたことになっていたのでしょうか。春田は出ていかず、ATARU君とも同居していたのでしょうか。この件はなかったことになっているのでしょうか。気になっています。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kt-biore/entry-12534043153.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Oct 2019 12:11:31 +0900</pubDate>
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<title>「炎の中での結婚式」説をめぐって</title>
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<![CDATA[ <p>　直前の記事で、「ジャスと薫子」ではなく「春田と牧」の結婚式にさえしてくれれば、劇場版の評価も違ったのではないかと書きました。それに関連して、のらうしさんとのやり取りや、のらうしさんのブログにある情報を通じて、炎の中の告白シーンこそが結婚式なのではないかという説がOL民にあるという話を知りました。<br><br>＜なるほど＞<br>　振り返ってみると、連ドラ版では、武川主任が「本当に愛し合っているなら結婚というかたちにこだわる必要はない」と断言していましたし、劇場版でも牧母が「結婚に模範解答はない」と発言しています。このように、そもそもOLは、かたちや常識にとらわれずに、多様性を大前提とする進歩的な発想を背景としています。春田と牧の結婚式がみたいというわれわれの気持ちは、暗黙のうちに「結婚式」というかたちにとらわれ、それを目にして安心した上で喜びたいという意識の反映かもしないと思いました（タキシードの写真などでそのような気持ちを煽っていたのは制作側だとしても）。<br>　この観点からすると、炎の中で永遠の愛を誓い合う春田と牧の姿から、部長のはるたんの記憶が戻ってみんなで二人の生還を祝福するシーンへの流れを観ると、あれが結婚式でよいではないかとも思えてきます。<br><br>＜でも＞<br>　無粋を承知で屁理屈をいうなら、やはり、その説はOL民によるOL愛に基づいた極めて好意的な解釈のような気がします。かたちはどうあれ、結婚は当事者が意図して自覚的に実施するセレモニーのはずです。春田と牧はあの場であの時「結婚したという自覚」があったでしょうか。結婚の瞬間とは、当事者同士のきちんとした心構えとそれなりの場が前提のはずで、あの場はあくまでも爆発による偶発的な産物ですし、春田の告白もあらかじめ計画されたものではありまえん。あれを結婚式と呼ぶのはあくまでも物語を外部から眺める観客の解釈（「結婚式のようにみえた」）であり、当事者の春田と牧にとっては、本音を告白しあった「極限状態だからこその、かけがえのない尊い体験」ではあっても、果たして彼らがあれを（彼らなりの）結婚式だと思っているでしょうか。もし「結婚式」であるのなら、「結婚」というセリフがその場で発せられるとか、指輪の交換をするとか、二人が神様に愛を誓うなど、結婚の意思に関する何らかの証拠が映像として描かれていなければなりません。やはり、この「炎の中での結婚式」説は、映像に基づく「読解力」から生じたというよりも、OL民の卓越した「想像力」の賜物のような気がします。<br><br>＜やっぱり＞<br>　その意味からしても、連ドラ版のすごさが一層際立ちます。視聴者の多くの疑問が映像に基づく「読解力」を駆使することで確認できるように作られているからです。私にとってOL民の方々の解釈を知り、何度も映像を観てそれらを確認することを通してドラマの理解を深めていった経験は極めて新鮮かつ驚きさえも伴う感動体験でした。春田が初めから無意識ながらも牧に恋していたことが、春田の表情や動作という映像によって確認できることについては以前の記事でも触れましたが、例えば、私が驚いた別のエピソードを記すなら、春田はドラマの中で決してちずに恋愛感情を抱くことなく、一貫して牧に恋愛したことがわかる点が挙げられます。6話から7話までの、いわゆる「地獄の1週間」では、最終的に春田は一体誰と結ばれるのかという問いについて激論が交わされていました。しかし、映像を丁寧に確認すれば、ちずはありえず、牧であることがわかるのです。もし、ちずに対する恋愛感情が春田にあれば、それと矛盾する事実を指摘できるからです。例えば、わんだほうでマロとちずが連絡先を交換する場面で、それに嫉妬する様子もなく、むしろ、その場にいなくなった牧のことを心配しています。また、春田家でのソファーでの春田とちずの二人の場面です（この場面は制作側のミスディレクションとして秀逸です）。その場で春田が一番気になっていたことは、ドラマの流れから「牧と武川さんがテーブルの下で手を握っていたこと」であるはずで、だからその事実をちずに伝えたわけです。それを受けた「よかったじゃん」というちずの発言は、実は春田のモヤモヤする気持ちとは異なっていたため、春田はちずに対して実にあいまいな返事を返すわけですが、そのやり取りを風呂上りに聞いてしまう牧は誤解してしまいます。その直後の、マロからちずへの電話を春田はさえぎるわけですが、それは寂しがり屋の春田が、牧だけではなく、幼馴染みのちずさえも自分から遠ざかってしまうというある種の怒りを伴った不安から生じた反射的な行動なのだと解釈できます。さらに、６話最後にあるちずの告白に対する春田のハグ・シーンですが（これも７話への強烈なミスディレクションなっていて、視聴者をやきもきさせました）、これは彼女への恋愛感情によって生じたものではなく、１話の病室での部長の頭を抱いて優しくなでるシーンと同様に、自分に好意を持ってくれた人に対する春田ならではの優しい返礼なのだと考えられます（４話最後の牧へのバックハグと比較すれば、春田の気持ちの違いが理解できます）。このように連ドラ版では、春田は一貫して牧に恋愛しており，ぶれていないことが映像によって確認できるわけです。もちろん、ちずへの恋愛感情については、制作側が巧みな演出を通じて、意図的に思わせぶりなミスディレクションを施していたわけで、多くの視聴者はそれに惑わされ（つまり、やきもきさせられ）、圭さんに「へっ」と思われていたわけです。<br>　一言でいえば、連ドラ版はそれほどまでに「人をきちんと丁寧に描いていた」のだと思います。その意味で、劇場版は圧倒的に雑な作りになっていると言わざるをえません。特に、部長と武川主任の描き方は残念です。武川主任の恋愛対象の変化については、ありえないという意見を前の記事に書きましたが、部長については、一部でパワハラと非難されている「暴力」によって部下に対する理想の上司というイメージがぶれました。ジャスや牧への物理的な暴力は、確かに連ドラ番の「肩に腕をぶつける」程度の可愛らしい牧への反撃とは次元が違いました。（但し、部長の「暴力的」なアドリブについては、コメディ役を自認する吉田さんによるドリフターズのような昭和のコメディ的な悪ノリだと思うので、世代的な限界として許してあげたい気もします。）そういえば、武川主任もマロの額を叩いていましたが、これも連ドラ版の理知的な主任のイメージとずれています。コメディ色を優先させたため、人物描写が犠牲になった例でしょう。<br>　なぜ、キャストとスタッフが同じなのに連ドラ版と比べて劇場版の質が低下してしまったのか。劇場版は、少なくとも圭さんが目指す「人間ドラマ」にはなっていなかった、ですよね？　夢や家族といったテーマに関するストーリーも、それなりに人生経験を積み重ねている目の肥えた多くのOL民にしてみると、浅薄で陳腐で余計な添え物としてしか映らず、むしろ「人間ドラマ」としての完成度を低める要因になってしまいました。<br>　連ドラ版の実績を残したこのスタッフとキャストであれば「人（とその恋愛）をきちんと丁寧に描く」ことができないはずがありません。映画という時間的な尺や、制作に費やす期間が短かったという制約の問題かとも思いますが、特に連ドラ6話終了後、ネット上で盛んに危惧されていた「尺の問題」（果たして７話で完結できるのかという心配）を見事にクリアして７話で完結させた有能なスタッフなら、時間的な問題を解決できないわけがありません。やはり、映画化という特別な条件下で、何らかの妥協や忖度が積み重なった帰結が劇場版の出来なのだということが、かなりの確度で推測できます。儲かる映画と優れた映画を一つの作品として成立させるのは、素人が考える以上に難しいことなのかもしれないですね。事情が許せば、連ドラ版と同等以上のハイレベルな作品になった可能性もあっただけに、極めて残念です。<br><br>＜だからこそ＞<br>　私はSeason2を全力で応援したいです。劇場版の評価は賢いOL民の声として出尽くしたと思います。この際、劇場版は良くも悪くも「おまけ」と割り切ってSeason2に期待したい。<br>　俳優にとって外見は命でしょうから、圭さんが短髪にするというのは余程の挑戦であり、その背後には強い覚悟があるに違いません。「連ドラ版（Season１）はもちろん名作だけど、Season2も別の意味で名作だよ。（劇場版はおまけだったけどね、、、。）」と大評判になることを心より祈っています。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kt-biore/entry-12534042891.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Oct 2019 12:10:03 +0900</pubDate>
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<title>劇場版おっさんずラブの感想３</title>
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<![CDATA[ <p>　season2の発表の後、本当に「完結編」なのだということを踏まえて、さらに2回、観てきました。そもそも同じ映画を複数回映画館で観るなどということは、半世紀以上生きてきて人生初です。しかも5回も通うとは我ながら驚愕です。OLと圭さんに憑りつかれたとしか説明がつきません。</p><p>　</p><p>　気軽なコメディー映画としてみれば、テンポもいいし、観客を飽きさせず、荒唐無稽ですが、それなりに楽しめる映画なんですね。レギュラー陣とゲストの俳優陣の演技にはやはり魅せられます。それぞれの場面だけを切り取れば、素晴らしいシーンがほとんどです。　特に、炎の中での告白と抱擁のシーンについては、セリフの内容など、春田はあの場でそんなこと言うかなといった疑問は感じるものの、結局、二人の迫真の演技で５回の観劇のすべてで涙を流してしまいました。一方、やはりラブストーリーとしての脚本と構成の欠陥は際立っていて、その点での評価は変わりませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　あくまでもネット記事の情報なのですが、テレ朝では今年1月にでもseason2をスタートする予定もあったのだが、「あなたの番です」の圭さんの仕事と重なったため、大幅にseason2が遅れたとのこと。なるほど。劇場版は天空不動産編の完結編であることが前提でつくられていたことが見えてきました。例えば、春田が香港から営業所に一年ぶりに帰ってきたシーンで、部長の部屋のあたりの壁に「空」の写真があり、それがインスタ「武蔵の部屋」にアップされているseason2初の写真と同じらしいということ（確信はもてないのですが、私も映画でそれらしいということは確認しました）に加え、浮気疑惑の白人男性の「Coffee or tea?」というセリフもCAを匂わせていますので、劇場版撮影時には次のシーズンがin the skyであることがわかっていたと推察できます。スタッフも俳優陣も不動産編が終わることが前提で撮影に臨んだということなのですね。その視点で映画版を観ると、彼らにとっては大仕事の後の「打ち上げ」、まさに「（彼らの）お祭りムービー」でもあったことをしみじみと感じ入った次第です。</p><p>　以上、複数の記事にわたり、かなりの長文で、いろいろと劇場版の不満（これは連ドラ版への賛辞と表裏一体なのですが）を記してきましたが、この際、荒唐無稽なストーリーやオーバーアクションも、「彼らの打ち上げ」というのならそれでよいのだと割り切ることができます。興行収入的にも成功で、絶賛しているコメントも多いので、これでよいのでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　ただ一点だけ、どうしても不満で、それと同時に疑問なのです。「ラストは、なぜ、春田と牧の結婚式ではなかったのか」という点です。炎の中の告白と抱擁シーンから、春牧二人の結婚式、エンドロール後のキスシーンへと流れれば極めて自然です。もしそうであれば、脚本、構成上の問題や、説明不足、蛇足のシーンは多々あれど、多くのOL民は「完結編」を受け入れたはずです（よね？）。それなのに、なぜ、ジャスと薫子にしたのか？　どうしても腑に落ちないのです。</p><p>　完結版であればこそ、素直に春田と牧のハッピーエンドにすればよいことで、制作側もOL民が抱くこの「究極の望み」を知りながら、なぜあえてそうしなかったのか。（いわゆる「大人の事情」が理由でしょうか。例えば、「結婚式」は印象的なシーンのため、その後のシリーズの足かせになるからといった理由が考えられます。しかし、劇場版では「キス」や「手を握る」といったかなり印象的なシーンもあるので、結婚式シーンだけダメというのは理解できません。あるいは、ゲストの沢村さんのうどん屋シーンが必要なのと同様に、志尊さんのシーンも増やす必要があったのでしょうか。）</p><p>　ジャスと薫子ではなく、春田と牧の結婚式にしてくれさえすれば、世間での「劇場版おっさんずラブ」の評価は大きく変わったのではないかと考えると、心より残念でなりません。これが5回観劇した結論です。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/kt-biore/entry-12532784776.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Oct 2019 14:46:05 +0900</pubDate>
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<title>劇場版おっさんずラブの感想２</title>
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<![CDATA[ <p>　以下は3回目を観た後のコメントです。</p><p>&nbsp;</p><p>　パンフレット、公式本を読み込み、その後に投稿されたレビューなどに目を通した上で、3回目を観ました。劇場版は、意図的に、「荒唐無稽な大衆向けのコメディ映画」として売り出されたことがよく理解できました。その観点でみれば、理屈抜きで笑える一方で、ホロリとする場面もあって、そこそこ「よくできた娯楽映画」として楽しめました。確かに「お祭りムービー」、さすがです。それに対して「醒めた自分」としては、収益を最優先させることと引き換えに、制作側が半ば意図的にレベルダウンさせられた「ラブ・ストーリー」を見せつけられたと感じました。よくいえば制作側の「工夫」、つまり「からくり」がみえてきて、個人的には妙に納得した次第です（だから星一つの評価は変えません）。もちろん、この結論は憶測にすぎませんが、そのように考えた理由は以下の通りです。<br>　そもそも収益を上げることが至上命題ですよね。ビジネスである以上、当然のことでしょう。無料のテレビドラマと異なり、お客さんにお金を払わせ、映画館まで足を運んでもらわなければなりません。周知の通り「公式」はあの手この手の宣伝戦略を熱心に駆使しました。しかも、利益を上げるためにはOL民だけを対象にするわけにはいかず、映画の内容そのものを大衆映画にする必要がありました。特に夏休み中に封切りということで、収益面でスタートダッシュするためには、老若男女、子どもをも含めたファミリームービーとして売り出すことこそが課題として浮上したに違いありません。制作側にとって、この動員数とそれに伴う興行成績こそが何よりも重要だったはずです。「映画館に足を運んでもらうのはどうしたらいいか」､「映画らしいスケール感も大事にしたかった」という公式本でのゼネラルPの発言からその方針が透けてみえます。<br>　その目的を達成するために、より普遍的な「夢」や「家族」というテーマを設定しつつ、映画らしい（？）アクションシーンやコメディ色を優先させたのでしょう。確かに「ラブ」も描いています。他の方のレビューで、家族愛、兄弟愛、先輩後輩愛、上司と部下の愛というようにいろいろな愛を描いているという点で評価するという考えに触れ、「なるほど」と思う一方で、これこそが「人間愛」を掲げてファミリームービーとして一般受けを狙った戦略だったのかと腑に落ちました。しかし、その背後で、連ドラ版で主題だった春田と牧の恋愛ドラマの丁寧な展開が犠牲になり、同性愛が「ラブ」の単なる一つとして相対化されました。つまり、春田と牧のシーンが少ないという点については制作側が意図的にそのように編集したのであって、実は確信犯なんですね。連ドラ版と異なり牧がゲイであるということが強調されていない（単なる恋する一人の人間として描かれている）のも、この方針の延長上であると理解できます。ゲイの悩みや葛藤などを扱わない方が大衆娯楽映画としては望ましいからです。<br>　もちろん、その一方でOL民のニーズにも「きんぴらシーン」、「縁日での手つなぎシーン」、「エンドロール後のキスシーン」などの「眼福シーン」で応えています。「余白」はコアなOL民の解釈に任せようという判断かもしれません。それが奏功して、少なくないOL民がニーズに応えてくれたと高評価をしているのも事実です。<br>　春田が100億の男になるかどうかは微妙ですが、制作側の思惑通り、興行収入としては上々のスタートです。制作側のまさに「作戦勝ち」でしょう。しかし、大衆映画としてのニーズとOL民のニーズを両立させようとした妥協の産物として、ドラマ自体の質が大幅にレベルダウンしてしまったと断じてしまったら言い過ぎでしょうか（少なくとも私はそう感じています）。その証拠に、連ドラの世界をそのままに続編を期待した（こちらも）少なくないOL民が、劇場版では確かな人物描写を土台としたきめ細やかな愛情が丁寧に描かれていないために、（文字通り）嘆き悲しみ、低評価をせざるを得ない心境に追い込まれているわけです（y映画レビュー低評価コメント参照）。<br>　連ドラ版は上質なラブコメとして極めて高い評価を得ました。視聴者は、はじめコメディと思って観ていると、知らず知らずのうちにそこでの人間ドラマに惹き込まれ、終いにはラブ・ストーリーとしての深みを感じ取って感銘を受けたわけです。その意味で、連ドラ版の本質はラブ・ストーリーなのだと思います。劇場版はラブ・ストーリーというよりもコメディ映画として分類するのが妥当でしょう。もし劇場版がラブ・ストーリーなら、炎の中での告白シーンがベストシーンであるべきだし、そのように評価されるように意図的に制作されているはずだからです。しかし、アンケートで一番評価されたのはエンドロール後のキスシーンで、炎の中での告白シーンはベスト3にも入っていません。クライマックスのはずのあのシーンがなぜファンに支持されなかったのか？　それも当然です。そこに至る二人の心理的なプロセスが丁寧に描かれていないため、あのシーンが人の心に響かないのです。私はこの点こそが劇場版の「失敗」であると思っているのですが、上記の通り、制作側にそもそも春田と牧の恋愛と結婚を丁寧に描く意図がなかったと思われますので、仕方ありません。<br>　また、なぜ、ラストの結婚式が春田と牧ではなく、ジャスと薫子だったのでしょうか。これこそ核心的な問いだと思いました。説明不足は多々あれど、最後に春田と牧の結婚式シーンを持ってくるのであれば、炎の中の告白からのストーリー展開としてはとても自然な流れだし、むしろエンドロール後のキスシーンへとスムーズに繋がり、この最終シーンへの賛否がこれほど割れなかったのではないかと思われます。OL民たちの願いを知る制作側がこの春田と牧の結婚式シーンを検討しなかったはずがありません。それをあえてせずにジャスと薫子の結婚式にしたのは、意表を突く展開でウケをねらうということだけではなく、同性婚が認められない現状において結婚式シーンまで見せるのはファミリームービーとしてはやりすぎだという世間への忖度もあったかもしれません。演者二名のイメージ「悪化」を危惧する所属事務所サイドから反対があったという憶測もあるようです。あるいは、あわよくば春田と牧の結婚式は次期連ドラのためにとっておくという思惑もあるのかもしれません（だったら「完結編」とは何なのかと思いますが、これも宣伝戦略かもしれませんね）。しかし、「普通」の結婚式をオチにすることによって、それまでのゲイをほのめかす全てのシーンが、世間におけるこれまでのゲイの通俗的な扱いと同様のお笑いレベルに成り下がってしまったという点は看過できません。むしろ春田と牧の結婚式をきちんと観客に見せることによってこそ、春田と牧の関係をポジティブにとらえて結婚の多様性を許容する牧母の発言が生きてくるはずだし、ひいては「人間愛」への強いメッセージになったのではないかと思うと極めて残念なのです（ただ、ファミリームービーを謳っているのに、男性同士の手つなぎやキスシーンがあるということ、それ自体は画期的なことで、当事者の一人としては嬉しく感じました）。<br>　連ドラからの俳優陣、そして新たに加わった志尊さんと沢村さんの演技にはただただ感服しました。各場面での俳優陣による迫真の演技は文句なしに素晴らしいです（炎の中での告白シーンには、お二人の迫真の演技に３回とも泣きました）。だからこそ残念なのです。連ドラのチームであるなら、劇場版ならではの荒唐無稽だけどインパクトのある設定はそのままにしたとしても、春田と牧の恋愛をストーリーの中核にあえて据えるという戦略によって、仕事と恋愛の葛藤、人生の夢を描くことは十分可能であり、さらには人間愛について観客が感じ取ることができるようなハイレベルな映画になったのではないでしょうか。ひいては、その戦略であっても長い目でみれば、映画の高評価と相まってビジネスとしても着実な収益へとつながったのではないかと素人ながら夢想している次第です。<br>　公式本によれば、俳優陣が台本を差し戻してもう一度検討し直したとのこと。座長の圭さんをはじめ関係者の皆様には、いわゆる「大人の事情」下のお仕事として葛藤や忸怩たる思いもあったのではないかと（誠に勝手ながら）拝察しています。連ドラへの思いも当事者としてOL民の比ではないはずです。公式本の圭さんの記事見出しには「もう無理、ギブアップ。やりきりました！」とありました。「ドラマは人間ドラマにしたい」というお考えの圭さんですが、劇場版をどのように評価しているのか率直な本音を聞きたいところです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kt-biore/entry-12532779569.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Oct 2019 14:18:31 +0900</pubDate>
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<title>劇場版おっさんずラブの感想１</title>
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<![CDATA[ <p>　映画は計5回観ました。以下は、二回観た後のコメントです。</p><p>&nbsp;</p><p>　劇場版は二回、二度目は賛否の分かれるレビューに目を通した上で観ました。以下、LGBT当事者の一人として感じた３点を記した後、OL民の一人としての感想を書きます（もちろん当事者といっても多様ですので、あくまでも一意見としてお読みください）。<br>　第一に、ラストの結婚式シーンには、裏切られた気分でした。ジャスは「こっち側」の人間だと信じ込まされるストーリー展開だったのに、よりによってあの会長令嬢との結婚はないだろうという落胆です。確かによくみれば、花火シーンからジャスが春田に恋をしているわけではないことは決定的にわかります。ただ、「大好き」という発言や身体的距離、接触の仕方（例えば「胸筋！」）など著しくゲイをほのめかしているのに、「ストレートでした」というあざとい「どんでん返し」によって、多くの人を「安堵」させる効果があったのであれば（実際、その種の感想がありました）、罪は重いと感じました。そもそも出世への野心で令嬢と結婚したのであれば、誠実に感じられたジャスの人柄と一貫性がありません。この出世欲も映画のテーマである「夢」なのでしょうか。志尊さんの演技が素晴らしいだけに、がっかりです。春田に兄の面影を感じて慕っているままで終わってもよかったのではないでしょうか。一方、狸穴リーダーについても「ストレートだった」というオチがありますが、こちらの方は意外と自然に受け入れられました。そのつもりで見直してみれば、彼の牧への行動はすべて上司としてのそれとして納得できましたし、ホテルでの春田へのシャワー発言は確かにきわどいですが、仕事帰りの部下に対する親切な発言としてぎりぎり理解可能です。一般にゲイは相手を「ゲイかも」と思いがちなので、狸穴リーダーについては「牧、勘違い」だったということでよいのかもしれません。<br>　少なくとも男性の１割弱がゲイかバイです。日常的にそんな高い割合で女装やオネエに出会わないことからわかるように、実際にはストレート（不用意に「ノーマル」と呼ぶ人がいますが「正常」という意味もあるので誤用です）にしかみえないゲイやバイも多いのです（イケメンの方も大勢います）。そのような実情を背景として、「おっさんずラブ」はイケメン同士が男として男を好きになることを描いた点で画期的だと思っています。なぜなら、女性同士では互いに「かわいい」「きれい」「すてき」など言い合うことが普通なのに、なぜか男性は男性に対して「かっこいい」「かわいい」と言うのが憚られる風潮があるからです。ストレートの男性でも男性を「すてきだ」と思うことはあるはずですが、素直にそれを口にできません。圭さんや遣都さんがロールモデルになり、このような風潮が変わっていくとよいと思います（実際、圭さんは遣都さんを公然と「かわいい」と言い、他のドラマでは旬のイケメン俳優の頬にキスまでしていましたね）。その意味でイケメン俳優の志尊さんが演じるジャスが春田を好きになるという設定に期待していたのですが、誠に残念な展開でした。<br>　第二に、武川主任の描き方についてです。これに関しては多くの人が触れていますが、ここではゲイの観点からリアリティに欠けることを指摘したいと思います。年下の牧にぞっこんだった武川さんが屋上で手を握られた（連ドラ最終話）というきっかけで（？）年上の部長に恋するようになるということは、ほぼあり得ないと思います。ストレートの人でもそうだと思いますが、恋愛対象については当然、各人の好みがあります。牧と部長ではタイプが全く異なります。ゲイの場合、年上好みだった人が年とるにつれて次第に年下が好きになるというパターンはまあ見受けられますが、それまで年下が好きだった人が急に初老の男性に恋するなど、ごくごく稀だと思います。リアリティがないばかりか、ゲイの人は誰でも見境なく好きになるのだという偏見につながりかねません。<br>　第三の疑問点ですが、冒頭の春田のベッドシーンもよく考えると不愉快でした。そもそも春田は酔っぱらって帰宅したときは、着替えずにうつぶせで寝る癖があるはずなのに、なぜ裸だったのでしょうか。しかも、酔っぱらいとして助けられた白人男性も裸です。また、いくら動揺していたとしても、春田は助けた人をあんなに邪険に追い出すでしょうか。このような状況や行為は、これまでの春田の人物描写と矛盾しています。単にショッキングな場面を演出するためとしか思えませんし、白人男性によるセリフのCoffee or tea? は意味不明で茶化しているとしか思えません。<br>　少なくとも以上の三点は、人物描写を犠牲にしてまでもゲイをネタにしたように感じました。もちろん、制作側にゲイを貶めようという意図など全くないことや、この映画にコメディの要素が必要不可欠であることは十分わかっているつもりです。笑い飛ばせばよいのかもしれません。ただ、少なくとも以上のシーンで笑わせようという意図があったのであれば、ウケねらいが優先され、おっさんずラブの優しい世界が犠牲にされたのではないかと思うと残念でなりません。<br><br>　以下は、OL民の端くれとしてのコメントです。レビューでは賛否両論が渦巻いていますが、いずれも連ドラ版への深い愛情に基づいたものだと感じます。当然、映画の見方は個人によって異なり、レビューも多様であるべきで、どちらが正しいと決着がつく問題ではありません。興味深いのは、この映画に対する低評価レビューは総じて長文で説得力もあり、「おっさんずラブ」に対する深い愛情に基づいた魂の叫びのような意見だという点です。それだけ、連ドラ版が素晴らしかったということの裏返しかもしれません。<br>　二回目の観劇ではストーリーがわかっていたので、細かい点に注目できました。映画はビジネスですので、OL民だけをターゲットにするわけにはいかないため、香港でのアクション、誘拐、爆破、不可思議な記憶喪失といった荒唐無稽な設定にすること自体は理解できますし、春田の大げさな顔芸が目立っている点もアリだと思います。理屈抜きのドタバタ劇と割りきれば、それなりに楽しめました。また、それぞれの場面だけを切り取れば、各登場人物の思いは十分に伝わってきます。俳優陣の力量に基づく迫真の演技のお陰でつい見入ってしまうほどの素晴らしい仕上がりのシーンも多かったと思います（炎の中での告白シーンには二度とも泣きました）。一部で指摘されている牧の「冷たさ」ですが、それこそまさに脚本や構成の問題であって、場面ごとにみれば遣都さんの演技によって春田への愛情は見事に表現されていると私は思いました。低評価の方でも俳優陣の演技だけについてはほぼ全員が高い評価をしていますし、「ラブコメ」の「コメディ面」についてもおおむね好評です。<br>　やはり、どうしても残念なのは、低評価の方々が異口同音に指摘していること、つまり、タイトルにもあるはずの「ラブ」が、主役であるはずの春田と牧からきちんと読み取れない点かと思います。例えば、牧母の結婚についてのセリフは、ラブを描くうえで決定的に重要なはずなのに煩雑なストーリー展開の中に埋もれてしまったという印象です。「ラブ」について丁寧なストーリーとして描くことをこの映画に強く求めるか否かが、賛否を分けているのではないでしょうか。<br>　思い返せば連ドラはすべてのシーンが名場面で、特にラブについては精緻かつ周到に描かれていたため、説得力がありました。例えばネット上で、「春田はいつ牧を好きになったのか」という議論がありました。その問いに対して「実は最初から春田は牧に恋をしていた。ドラマは春田自身がそれに気づく過程を描いたもの」というある人の解釈が示され私はいたく感銘を受けました。そのつもりで連ドラを見直すと、まさにその過程が初回の冒頭から春田の表情や行為を通してしっかりと表現されていることが確認できたのです。また、部長という人物のリアリティがあったからこそ、彼の春田への愛（例えば、最終話の「ギュっとしてやろうか」や「春田！行けぇぇ！」）が視聴者の感動をよんだのではないでしょうか。それほど、連ドラ版では生身の人間を描き、ストーリーとして筋が通っているため、見返せば見返すほど、われわれの理解が深まりました。細かいところまで配慮が行き届いていたために、われわれはこのドラマの凄さに感動したのではないでしょうか。<br>　もちろん、劇場版では時間の制約があったでしょう。ただ、「家族」を描くという発想が加わったことで無駄が増えたようにも思います。例えば、狸穴リーダー父の話（うどん屋）は蛇足だと思いましたし、ジャスティスの家族の話は本筋とどうつながるのかよくわかりませんでした。「夢」の話も陳腐でした。このような無駄を省き、本筋に労力を注げば、OL民はもちろん、すべての観客の心を揺さぶるような、コメディとラブストーリーを融合した大傑作になったのではないかと思うと、大ファンの一人して残念でなりません。<br>　以上のことから星一つとしましたが、新たにパンフレットと公式本を読み込んだ上で、もう一度、観に行くつもりです。「おっさんずラブ」に対する私のラブは止まらないようです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kt-biore/entry-12532779013.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Oct 2019 14:15:48 +0900</pubDate>
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<title>OLのファンになった経緯</title>
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<![CDATA[ <p>　男性OL民50代のバイ（ゲイ寄り）です。連ドラ放映当初は「おっさん」というタイトルに対して何となく嫌悪感があり、田中圭さんにも全く興味がなかったのですが、今年になってひょんなことから連ドラ全7話を一気見し、甘えん坊でやんちゃで可愛すぎる春田に惚れ込んでしまい、それ以来沼にどっぷりと浸る毎日を過ごしています。私も既婚のため１０年心に秘めていた部長のラブが他人事ではありません。OL民の一人としてドラマを何度も見直すばかりでなく、リアルタイム時のネット書き込みまでさかのぼって読み込むなど、自分でも尋常じゃないと思うほど人生で初めてドラマにはまりました。結果的に田中圭さんの熱烈なファンにまでなってしまった自分に驚いています。</p><p>&nbsp;</p><p>　劇場版おっさんずラブについては、FilmarksとYahoo映画にコメントを載せたのですが、長文になってしまったので、こちらにも記録を残すことにしました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kt-biore/entry-12532777298.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Oct 2019 14:09:01 +0900</pubDate>
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