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<title>ちょっと吊ってくる。</title>
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<description>Kの行動＆思考記録です。</description>
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<title>ブログ移転します！！</title>
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<![CDATA[ おひさです。<br><br>タイトル通りですがブログ移転しました。<br><br>前からWordPress使ってみようと思ってたんですが鯖との相性で設置に手間取ってました…。<br><br>というわけでこちら。<br><br><a href="http://prhyzmica.e-whs.net/blog/" target="_blank">Prhyzmic lab.</a><br><br><br><br><br>そろそろ夏コミも近いですが、今回は受験生の分際で二つほど参加してます。<br><br>そっちの告知も公式ができ次第していくのでよろしくおねがいします。<br><br>では。<br>
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<link>https://ameblo.jp/kuguma/entry-10966408594.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Jul 2011 05:57:16 +0900</pubDate>
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<title>SiONがやばい</title>
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<![CDATA[ 今日、前の記事を書いてからSiONでごにょごにょやっていたのだけどやっと仕組みがわかってきた。<br><br>結論から言うとなかなか優秀である！というかやばい。<br><br><br>■音と画面の同期ができる<br><br>例えばビートに合わせて画像表示と音を同期させようと思ったとき、画面は即書き換えになるのに対して音は発音までに時間がかかる。つまりレイテンシ（遅延）が発生する。DTMerにはおなじみ。<br>AS3.0のデフォルトのクラスでこの同期を行おうと思うと大変だ。（一定間隔で呼び出すTimerEventも一定間隔とか言いながらかなりズレるし）<br><br>これを回避するためにいくつか手法が用意されている。<br><br>作ったひとが書いてる解説を読むと早い。<br><br><a href="http://d.hatena.ne.jp/keim_at_Si/20091016/p1" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/keim_at_Si/20091016/p1</a><br><br><br>つまり、レイテンシの分発音かディスプレイ表示のタイミングをずらすことで、同期させることができる。<br><br>実際にやってみたけれど、精度はなかなかでした。<br><br>■MP3の読み込みと同期ができる<br>Sound.load()で読み込んだMP3を、SiONDriverがサンプルとして取り込むことができる。つまりSiON上の音源として外部MP3を鳴らせる。要するに同期できる。<br><br>ただこれには制約があってあまり長いMP3は取り込めない模様。<br>MaxSizeが決まっているので、確かめてないけど100K以上くらいのものを取り込んで再生しようと思うとおかしなこと（低速再生）になる。BPM130で2小節は大丈夫で、3小節だと駄目だった。<br><br>サンプラーのバンクは127まであるので、理論上は、普通の長さの曲なら回すこと無く再生できるはず。<br>長い曲でも、バンクを使い回してつなげていくことで再生できる。はず。<br><br>とりあえず次は同時再生と曲を分割してつなげていくのをやってみようと思う。<br><br><br>■つまり<br>やばい。作ったkeimさんには感謝するしか無い。<br><br>ちなみにこのSiONを使ったもので最近はやってるのすたどんたんとか言うものも見かけた。面白い。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kuguma/entry-10942859379.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jul 2011 02:27:18 +0900</pubDate>
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<title>Flash（AS3.0）でできないこと</title>
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<![CDATA[ <br>最近ActionScript3.0を勉強している。基本的なことはだいたい勉強したのでじゃぁ早速プログラム組もう！と思った<br><br><br>ら<br><br>割とできないことが多くて萎える。<br><br><br>Flashで動画を作ってた頃から厭な予感はしてた。<br>ストリーミング再生しても音がだんだんずれていって調べてみたらこれは公式で「仕様です」とか。<br><br><br>FlashPlayer10からちょっと強くなったけど、それでもまだ出来ないことが多いっぽい。<br><br>■できないこと<br><br>・音声の同期<br>Soundクラスが貧弱すぎる。FlashPlayer10からちょっと強くなったけどまだ弱い<br><br>・外部からwavデータが読めない<br>MP3しか読めない。AIFFも読めるけどめんどくさそう。<br><br>・wavの書き出し<br>やろうと思えばできる気がする。一応Sound.extract()でbyteデータが読めるので、それを再生に流す過程で拾ってまとめたのにヘッダをくっつけてFireReference.save()で書きだせば多分できる。<br>でも正直Flashでやるなって言われそう。誰かが作ってても良さそうだけど見つけられなかった。<br><br><br><br>■あとちょっとムカついたこと<br>Flashとはまったく関係がないけどwavデータを指定ミリ秒ごとに分割しようと思った。<br>探してみると無音部分を検出して分割してくれるソフトはある。けど一定時間で分割してくれるのはない。<br>一定時間で分割してくれるツールをやっとの事で見つけて落としてみたら最小設定単位が秒。<br><br>痒いところに手が届かない。自分で書こうと思ったらwav書き出しサポートしてねぇ！っていうか読めねぇ！<br><br><br>■これからやろうとしてること<br>もうSiON使うわ。<br><br>→SiONの使いごこちについては次の記事<br><br>なんか違ってたらコメントください。<br>
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<link>https://ameblo.jp/kuguma/entry-10942256814.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Jul 2011 16:08:43 +0900</pubDate>
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<title>青年期という概念を何故もっと早く教えないのか</title>
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<![CDATA[ なんか書いておかないと忘れてしまいそうなので最近感じたことを書いておきます。<br><br>■<br>さて最近、倫理の授業で青年期について学習しました。<br><br>青年期というのは、「子供から大人になるまでの不安定な時期」のことです。これは「不安定な時期だから、大人が面倒を見て、守ってやろう」という考え方に発展していて、この考え方は主流になっています。その結果、近代社会では、人は、青年期の間は大人としての責任を負うことはありません。<br><br>「青年期の人間は、大人になるまで責任を猶予されている」という考え方があります。これをモラトリアムと呼びます。（ちなみにこの考え方を提唱したのはエリクソンという心理学者です。）我々子供には、このモラトリアムの間、振りかかる責任を恐れずに、色々なことにチャレンジする機会が与えられているわけです。<br><br>ところが。<br><br>最近（といっても僕が生まれる前からですが）、大人から与えられたモラトリアムに甘んじて、親に養われているのを当たり前だと思ったり、将来に決定を先延ばししたり、とにかく大人からの保護に甘えて調子に乗っている青年たちを指す「モラトリアム人間」というのがでてきました。（ちなみにこの「モラトリアム人間」というのは小此木とかいう人が命名。）<br><br>はい、ここまで青年期という概念に関するまとめ。<br><br><br>さて、実は割と見過ごしがちなことですが、近代社会は産業革命以降に成立したものです。青年期という概念が持ち込まれたのも、産業革命以降です。つまり、まだ200年も経ってません。<br><br>しかも、日本に於いては、ほとんどの人間が高校に進学するようになったのが1975年くらいからです。<br>つまりこれは、青年期の人間が学校で過ごすようになってから、まだ40年も経っていないということです。（ちなみに高校進学率があがったのは、これは世の中の技術レベルがあがり、仕事に付くためにより多くの知識が必要になったためです。）<br><br>今、当たり前のように青年期の人間は学校に通っています。親の金で学校に行き、親の金で飯を食っています。しかも自ら積極的に行動しなければ、会話をする大人が教師と親ぐらいです。<br><br>僕は中学受験をしましたから、日本国憲法…基本的人権だとか、あのへんのことは小学生の頃から知っていました。その頃から、親との衝突の中で「子供の人権」について質問をすることがありましたが、明確な解答は得られませんでした。あるとすれば「飯食わせてやってんだから従え」くらいです。<br><br>大人は、守ることと隠すことを何か取り違えているように思います。青年期の仕組みについては異論はありませんが、もっと早く教えるべきです。<br>というより、何故中学で基本的人権を教えるのに、青年期の概念を教えるのが高3になってからなのか理解できません。僕は今18ですが、この青年期の概念を今になって初めて知りました。倫理選択でない人はこの先知る機会があるのか謎です。<br><br>親と子では圧倒的に立場が違います。親は稼いで食う生活を長年してきましたが、子は稼がずに食うのが当たり前なわけです。この価値観を切り崩すために必要な情報も与えられていません。自分たちが何故働かずに生きて行けるのかを教わるのがこの時期。そして僕のような進学校生は働くことすら許されていません。この状態で、「モラトリアム人間」になってしまった青年たちを批判されても困ってしまいます。<br><br>人格というのは周囲の環境によって形成されるものです。今の社会から、僕らのような活気のない人間…親に依存し、あわよくばニートになってやれと企む者たち…が生まれてくるのはある意味当たり前と言えます。<br><br>僕はいつも親に怒られるたびに不思議に思うのですが、何故大人は子供を叱るばかりで、育てた大人自身を省みようとはしないのでしょうか。ケージの中で甘やかしているハムスターに、「お前はそのうち一人で生きていかなくてはいけないのだよ…」と餌を与えながらささやくのです。馬鹿か？いえ、馬鹿ではないのでしょう。<br><br>なぜなら親と子の価値観が違うから、わからないのです。そもそも上に書いたように高校に行くのが当たり前になってから40年たってませんから、教育指導要領とかを作ってる頭の固いおじさん達は、親に甘やかされることなく、自ら進んで高校に進学し、そしてキャリアを手にしてきたわけです。僕の親だって、自分で行こうと思って大学に行ったわけです。<br><br>ところが僕は違います！というか僕らは違います。本人の意志に関わらず、「学校は行くもの」という社会のなかで生きてきたからです。小学生なんて何も考えてません。「中学受験をするといいよ」と言われればします。頭がよければ受かります。中高一貫です。うわ、終わっとる<br><br>大人の皆さんは今の子供達に自主性が欠けているのを理解出来ないことと思います。「最近の子どもは…」と溜息をつき、呆れても、何故そうなっているのか考えることはしません。自分が作った社会で育ててきたというのになんて滑稽なことでしょう！<br><br>しかし、この滑稽さに子どもが気づいたとしても、子どもの側からそれを指摘することは多分無いでしょう。なぜなら、モラトリアム人間をやるのは非常に気分が良いからです。何もしなくても衣食住が確保され、まるで神にでもなった気分です。働こうなんて気が起こるわけがありません。<br><br>かくして、近代社会はダメ人間を量産しているのでした。僕も、知的好奇心に身を任せて悠々自適ライフを送りつつ、親の脛をかじれる最低限の努力だけをして生きていこうと思っています。<br><br>まぁ冗談はこのくらいにして。とりあえず、中3くらいの段階で、子供には自分たちの立場というのをキッチリ教えたほうが良いんじゃないですかね。今の段階でようやく教えるって言うのは、正直無いわ。激しい今更感。<br><br><br><br>■（おまけ）<br>それはそうと、原発がブっ飛んでなんか色々大変みたいですね。みたいですね、っていうかなかなか収束しないのでもう飽きてきました。この間見たニュースでは、村ごと引っ越すことになって店をしまうとか、もう酪農が出来ないとか、大変そうでした。今第一次産業の担い手がどんどん高齢化してますが、これを機に職にあぶれたおじさんたちと就職先がない若者をあつめて屯田計画とかやったらおもしろいんじゃないでしょうか。思いつきですが<br><br>いやはや、なんというか、放射能がどうこう騒いでますが、なんか今の老人をみてるとあんまり長生きする気も起きないし、景気悪いし、政府はクソだし、その上地震に原発ドカン、放射能ダダ漏れときたらもう困っちゃいますね。放射能を避けて生きるのに固執してる人たちを見てもあまり共感できません。どうせ人間死ぬんだから、生にしがみついてもどうしようもない気がするんですけど、僕がおかしいんでしょうか。<br><br>さて、あんまり煽るとよくなさそうな話題なんでこのへんで切り上げますが、ちなみに部外者面していろいろ言うのも、モラトリアム人間に顕著らしいですよ。何も言えねー。<br><br>そろそろ日本は正式にアメリカの属国になっていい頃なんじゃないですかね。州として加わったら喜ぶ人入るんじゃないでしょうか。<br><br><br>ではこの辺で。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kuguma/entry-10931630546.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jun 2011 21:49:50 +0900</pubDate>
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<title>Flashのアクセサメソッド[メモ]</title>
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<![CDATA[ 最近、とある事情でFlashを一から勉強している。<br>でアクセサメソッドで詰まった。オブジェクト指向初めてなんですよ<br><br>Flashの解説ってあんまり多くない。解決したので一応メモっておく（ちなみにActionScript3.0だけど2.0も多分同じ？）<br><br>アクセサメソッドの概念は<br>・変数弄りたいなぁ→変数弄るときに条件追加したいな→変数に代入するときにいちいち判定文書くのだるいなぁ→じゃぁ弄るほうじゃなくていじられる方で一括処理しよう<br><br>例えば、hogeという変数に値を代入したい。しかし、hogeにはマイナスの値を取ってほしくない。<br>この時、hogeに値を代入するタイミングで処理をする方法がある。つまり代入する前に代入しようと思う値をチェックして、マイナスの時は代入しない。<br>もしhogeをその場所でしか使わないならこれでいいんだけど、他の場所でもhogeを使いたくなくなった場合、そこにも同じ処理を書かなくちゃいけない→非効率。<br><br>というわけで、じゃぁhogeに値を代入する側ではなく、代入される側で処理をしよう、という発想。これがアクセサメソッド<br><br><br><br>アクセサメソッドは特定の変数名（プロパティ）に値が取得/代入（get/set）されようとしたときに呼び出される関数、という認識。取得/代入する側からは普通に変数を弄ってるようにしか見えないけど、いじられる側からは取得/代入以上の処理ができることが魅力。多分こんな感じ。さらに値をprivateで管理できるというのも魅力。<br><br>上の具体例では、<br><br><br><br>private var _hoge:int;<br><br>//hogeを誰かが取得（get）しようとしたときに呼び出される関数だよ<br>        public function get hoge():int {<br><br>　　//hogeを取得してるように見えて実際は_hogeを返してる<br>            　　return _hoge;<br>        }<br><br>//hogeに誰かが代入（set）しようとしたときに呼び出す関数だよ<br>        public function set hoge(value:int):void {<br><br>　　//hogeが0以上の時だけ代入<br>            　　if (value&gt;=0) {<br><br>　　　　//hogeに代入してるように見えて実際は_hogeに代入してる<br>                 　　　　_hoge= hoge;<br>            　　}<br>        }<br><br><br><br>つまり外からはhogeにみえるけど、中では_hogeで持ってるってことですね。ちなみにこのアンダースコアつけて色々やるのは文法ではなく名前を変えるためにやってるだけらしい。<br><br><br>でここで素朴な疑問が湧いてくるんだけど、<br>①中からhogeにアクセスしようとしたらどうなるのか<br>②アクセサが中と外で同じ名前で持ってたらどうなるのか（普通に考えたら、　hogeに代入するときに呼び出されました→hogeに代入します→再帰呼び出し→無限ループ＼(^o^)／　ってなるよね）<br><br>①は試してみたけど外と同じように挙動します。つまり取得/代入イベントで呼び出される。<br><br>②はどうやらActionScriptでは無理みたいです。いろいろ文句言われた。なので素直に中では_付けて管理したほうがいいみたいです。<br><br><br><br><br>一応アクセサの素晴らしさは理解したけど<br>書くのが長い。一部の言語はもっと短く書けるらしい。うらやましい<br><br>あと今更だけどAmeba拡張性低いです　　そろそろブログ替えを検討してみる<br><br><br>なんか間違ってたらご指摘いただければ幸いです<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 15 Jun 2011 03:22:55 +0900</pubDate>
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<title>テンポという概念に関する考察</title>
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<![CDATA[ 先日、明るくて日本風な音楽を作ろうと思い立ち、とりあえず盆踊りの動画を漁っていたのだけれど、参考として聴くはずが何を血迷ったか動画から音だけ抜き出してRemixを作ってしまった。<br><br><a href="http://soundcloud.com/prily/bonodori-piano-chaos-mix" target="_blank">BONODORI -Piano Chaos Mix-</a><br><br>で、作るに当たって一番苦労したのがテンポの一定化だった。<br><br>元の動画はそのへんでやってる盆踊りを録画したものだから、音質が悪いのはもとより、テンポが揺れまくっていてそのままではとてもInstrumentパートと合わせられるシロモノではない。<br>ということで優秀なCubase君の力を借りてひたすらオーディオワープを繰り返し、テンポを一定にするに至り、なんとか完成を見たわけだけれども、ここまでは前置きなので割とどうでもいい。。<br><br><br>本題に入ろう。<br><br><br>さて、西洋音楽はとてもシステマティックな音楽だと言える。メトロノームが発明されたのは確か18世紀頃だった思うが、勿論それ以前から当たり前のようにテンポという概念は存在している。少なくとも多くの理論が確立されたルネサンス（14世紀～）の頃には既にテンポという概念は民衆の中でも普遍的なものになっていた筈だ。そもそも西洋音楽というものが、一定の枠組みの中での反復と変化による快楽を求めるものであるから、（少なくとも僕はそう認識している、）反復の軸となるテンポは尚更重要なものだ。実際、中世には、西洋音楽の源流であるキリスト教会音楽で、テンポを管理する指揮者という役割が発生している。<br><br>では、今回の盆踊りのような、民族音楽、民衆音楽に関してはどうなのだろうか。日本の古来からの音楽に関して言えば、テンポという概念はずいぶん後になってから生まれたものだと言える。<br>日本の音楽は、確立されたものとしては、西洋が神に捧げるための教会音楽だったのと同じく、天皇に捧げるための宮廷音楽、宗教音楽にもとがある。しかし宮廷が成立するもっと昔、縄文時代から楽器の存在は見られるから、そこで急に音楽が始まったものというわけでもない。<br>5世紀頃から朝鮮や中国からの技術と共に楽器や音楽が人と共に伝えられ、元々の日本の音楽に大きな影響を及ぼした。その後の平安時代に楽制改革というものが行われ、楽器や音楽手法に関して、外来のものともともと日本にあったものをあわせて整理がなされた。一応ここで日本の音楽（雅楽）というものが確立されることになるわけだ。<br>僕は日本の音楽にはあまり詳しくないが、この楽制改革というのはどうやら画期的なものだったらしい。合奏音楽としては最古のものだし、音楽理論も定まっており、一つの音楽ジャンルとして完成している。この雅楽についてだが、雅楽にはテンポという概念は無い。ゆるやかにはじまり、盛り上がり、ゆるやかに終わる。曲の速度は打楽器の一存で決まる。<br><br>ところで、平安時代といえば盆踊りのもとと言われる空也上人の念仏踊りが生まれた時期でもある。重要なのは盆踊りの元は音楽ではなく踊りだということだ。実は日本のほとんどの音楽が、踊りと共にあるものだ。雅楽は演奏と舞であるし、盆踊りも音楽だけで演奏されることはない。あくまで「踊りの」音楽だ。日本の伝統芸能である能も、能と、それをサポートする伴奏音楽だ。<br>ちなみに、盆踊りは繰り返しを用いる音楽だが、掛け声で小節の頭をあわせるため、テンポは一定ではなく、気分で変わる。<br><br>日本以外の伝統音楽まで話を広げると収集がつかなくなるので伝統音楽についてはこのくらいにするとして･･･。<br><br>西洋音楽が、曲があり、指揮者がいて、厳密に管理された音楽であるのに対して、例えば日本の盆踊りはかなーり適当な音楽だ。そもそも指揮者がおらず、演奏すべき楽譜も無い。<br>しかしそれは西洋音楽を基準として見た考え方で、西洋音楽を様々な音楽のジャンルの1つとしてみてみるならば、テンポという概念はむしろ、西洋音楽固有の概念に思える。<br>今の音楽は、明治維新以降の西洋化のお陰様でほとんどが西洋音楽色に染まっている。それが悪いことだとは全く思わないが、その所為で僕のように西洋音楽を基準に他のものを考えてしまうというのはなんとも残念だ。<br><br>今回のRemixを作る時も、テンポを一定にするためにオーディオデータをひたすら弄ったが、本来はオーディオデータではなくテンポをオーディオデータにあわせるべきだったのだ。<br><br>テンポという概念に関する考察の結論としては、「テンポという概念は西洋音楽固有（多分）！とりあえずもっと広い視野を持とう！！」<br>ということで、一応しめさせて頂くことにして。<br><br><br>で、書ききれなかった戯言を以下に･･･。<br><br><br>僕は今まで盆踊りやら、阿波踊りやら、そういったよくわからん伝統芸能にはまったく興味が無かった。今回曲を作ることになってたまたま聴いたら、妙にノってしまってこんな羽目になったわけだけども･･･。例えば演歌や日本の民謡独特の歌いまわし、すこし鼻声気味で、音程を振るわせる歌唱法（なんて言うんだっけ？）とか、改めて聴いてみると何か心を打つものがあるように思える。日本人の血だろうか。知らんが。<br><br>今、音楽史やら音響心理学やら、その辺の本をちょこちょこ読んでいるのだけれど、音楽のすばらしいところはただの音、波形であるにも関わらず人間に心境変化をもたらすところだ。例えば俳句だってただの文字だけれど、あの少ない文字数で情景を呼び覚まし、感動を与える。音楽に限らず文化っていうのはそれが凄い。だから惹かれるんだろうなぁ。<br><br>さて、僕はクラシックを勉強した後、クラシックはお堅くて嫌だ、でもJ-popは世俗っぽくて嫌だという理由でハウスミュージックにハマり、そこからダンスミュージックにはまり、そして何故か盆踊りに行き着いてしまったわけだが、ここまでたどり着いてようやく今まで見過ごしていたことに気づいた気がする。<br>音楽とリンクするほかのものだ。<br>音楽が単体で成立するという状態は先にあげた西洋音楽独特のケースじゃないのか。そもそも叩く、歌う、踊る、から始まった音楽であるわけで、そこの根本的な部分が我々のなかには強く残っているように思える。音楽は音そのものだけでは存在しえない･･･例えば踊る過程でリズムを取る歌、叩く音から始まって、引き立てるための音、バーチャルな世界でも動画にくっついた音、仮想世界の中で人が動く時の音、いろんな動作や事象に音が絡んでいる。世界の要素の一つとして、はずせないものとして音がある。そこから音だけを抜き去ってアプローチするというのは何かズれているのではないか、そういう考えがちょっと生まれれつつある。音だけにしても僕らはその音を純粋に聴いているわけじゃない、それではただのアナリーゼ、楽曲解析になってしまう。音楽を聴いている時、そこから何かを想像する、その何かが、音と共にあるものだ。<br><br><br>音楽って言うのはどこまでも面白い。<br><br>まさに、リリンの生み出した文化の極みだよ（台無し）
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<pubDate>Fri, 03 Jun 2011 19:50:20 +0900</pubDate>
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<title>手焼きCDいろいろ</title>
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<![CDATA[ この間ちょっとした用でジャケットまでくっつけた手焼きの音楽CDを生産したので<br>反省も兼ねてその過程で色々調べたことを書いときます<br><br><br>■データ編<br>・マスタリング<br>今回はする暇有りませんでした。本当はやったほうがいい。<br><br><br>■CD焼き（ソフト編）<br>前に別の用件で生産したときと同じく、CDを焼くソフトにはおなじみDeep Burnerを採用。<br>しかしここで問題が。前は気づかなかったけど、曲と曲の間に何故か無音挿入されてしまう。曲単体で並べるだけならこれで何の問題もないんだけど、マスタリングもしっかりして「CD」という一つの完成物として仕上げる場合、曲間の秒数が変わるのは論外。（疎い人にはあまり理解できないかもしれないけど、例えばIEでサイトの表示が変わっちゃうとかああいう感じ）<br>特に今回はシームレス再生される必要がある曲だったので萎える。（具体的には18分の曲を切って分けてあった。クラブのライブみたいな。Jazztronik!!あたりを想像してください）<br><br>さて、で調べてみたらDeep burnerでは音楽CDを作る場合約2秒の無音挿入が入ってしまうらしい。バグだか仕様だかしらないけれど。<br>というわけで呉葉さんを出動させるもMP3しか焼けないという鬼畜野郎だったのでimage burnerというのをインストールして試してみたけどこいつもWave読み込み時にバグりやがり挙句の果てに時間切れ。<br>誰か、2秒バグのない音楽CD作成ソフトを知ってたら教えてください。<br><br><br>■CD焼き（ハード編）<br>CDについてだけれど、大まかにデータCDと音楽CDというのがあるというのは皆さんご存知だと思う。<br>音楽CDは何故か高いのでいつもデータCDに音楽を焼いてるけど違いについて知らなかったのでこれを機会に調べてみた。<br>結論としては<br>・音楽CDが高いのはで著作権料が上乗せされているから（既にあるCDをダビングすることを想定してる）<br>・データCDに音楽を焼いても別に劣化したりはしない<br>・データCDは一部のCDダビングができる機械で読めないことがある（らしい。真偽は不明）<br>まぁ普通に自作曲を焼いて配る分にはデータCDで全く問題ありません！！今の時代ならみんなPCに取り込んでプレイヤーで聴くからよくわからん機械で読めなくても問題ないね。<br><br>ただしこれはどの種類のCDでも言えるけど<br>・安い外国製（特に中国製とか）のCDは、うまく焼けないCDが紛れてたり歳月による劣化がはやかったりすることがある<br>ので一応そのへんは自分で考えて買おうね。まぁアキバ行けば安くて日本製のが売ってるので。<br><br><br>■ジャケット作成<br>材料を揃える暇もなかったのでA4普通紙にきれい印刷→カッター。両面印刷すると透けてしまうので、2倍のサイズで作って折りました。<br>データはIllustratorで即席。<br>容器はたまたま家にあった薄型のアクリルケース。ジャケットは最初125mm×250mmで作ったのだけれど縦が普通に入らない。結局121mm×250mmで印刷。横の長さはケースによって変わるかも知れません。<br>ちなみにCDの直径は120mm。<br><br><br>■完成物。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110528/20/kuguma/37/91/j/o0800060011256291299.jpg"><img border="0" style="width: 450px; height: 337px;" alt="ちょっと吊ってくる。-完成物" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110528/20/kuguma/37/91/j/t02200165_0800060011256291299.jpg"></a><br><br>透明なケースだったので、裏から陰陽玉が見えるようにしてみた。ぴったり合ってくれて非常に満足。<br>遠目で見ればそれなりに見えます。近づいてみるとただのインクジェットなんでやっぱり見劣りしますが、まぁ手焼きならこのくらいで充分<br><br><br><br>今回はこの2枚だけの生産だけど需要がありそうだったので増産しようかどうか迷ってる。<br>ちなみに今後のことも考えてある程度の枚数生産するときのコストを調べてみた。<br><br>CDもケースも50枚で1000円くらい。（相場ではなく一番安いの）<br>50枚2000円＋αの費用がかかるとして仮に2500の出費なら単価100で半分捌ければ元は取れる。<br><br>ただしこれはスリムケース（普通のCDケースの半分の厚さ）の場合なのでちゃんと裏ジャケットまでつけたい場合はケース50枚＋ボトムカード＋ケースカードで3000円くらいなのでCD本体足して4000＋α。100円で売ってギリギリ。<br><br>まぁあれだ中身を充実させて300とかで売れば余裕が出るんですけど。<br><br>ちなみに一応ここまで話したのでプレス会社に委託する場合ですがこっちは3000枚とか作ってやっと単価100になる感じなので相当大手じゃないと駄目ですねっていうかやる必要すらない<br><br><br>とまぁこんな感じでした。<br>日本語がおかしいのはご愛嬌で。<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 28 May 2011 20:24:10 +0900</pubDate>
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<title>勉強するのはいいけど</title>
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<![CDATA[ お久しぶりです<br><br>運動会が終わって一応勉強シーズンということで<br><br>学校終わった後電気消されるまで粘ってゴリゴリやってるわけですが<br><br><br><br>そのかわり帰ってきてずっとネットしてるので効率の悪さが異常　まぁやらないよりはマシなんだろうけど…<br><br>そして遅くまで残ってる関係でリアルタイムでアニメ見るのが辛くなってきました<br><br>ちなみに見るのをやめるという選択肢はないよ<br><br><br>しかしあれですね<br><br>自分から勉強してる分にはあまり辛くないということを発見<br><br>むしろ単語覚えると文章がわかるようになるのでちょっとした達成感もあって良いですね<br><br>なんだかんだまだ反抗期から抜けてないのかもしれんですね。やはり言われるとやる気を無くす。<br><br><br><br><br>今までのことを反省するならやはり嫌だから勉強しない、じゃなくて嫌じゃない勉強方法を探すべきだったのかなと<br><br>まぁでもぶっちゃけ運動会終わるまで勉強より上位の案件が多すぎて勉強する暇なんてないわな常考<br><br>僕は割とポジティブシンキングで過去が無駄だったとは思わない人間なので（それをやると死ぬときに自分の人生を否定することになっちゃいそうなので…とかいう後ろ向きな理由ではなく、寧ろ若干厨二病な「あの時ミスってた世界とミスってない世界があって僕はそのミスってた方を生きている、現在はあの分岐点から導かれた必然なのだ」的な理由で）<br><br>反省はしている。後悔はしていないってヤツですね。実際後悔が生むものなんてネガティブな感情ぐらいですよ（実例）。いいことないよ。<br><br><br>まぁこれから頑張っていきやしょう（と言いながらネットをする）<br><br><br><br>おわり。<br><br><br><br>追記：<br><br>割とこのブログ見てる方が多いようで（主にリアルの方が　今更という感じですが）<br>なんともお恥ずかしい限りですが（過去のとか読むと死にたくなりますがまぁ普通よね）<br>そんなことより<br>星のない空というのも<br>乙なものですよ<br>
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<pubDate>Thu, 26 May 2011 00:51:37 +0900</pubDate>
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<title>&quot;評価&quot;について考える</title>
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<![CDATA[ 哲学的問いというものは往々にして明確な答えというものを持たないものだ。<br><br>一応前置きとして。<br><br><br>さて、”評価”について考える。<br><br>評価は常に主観的なものだが、その基準は他者に依存している。<br>我々は生まれた時から、己のなかに絶対的な基準を持つわけではない。人の価値観というものは成長の中で形成されていくものだ。<br>例えば、「AはBだ」という命題があったとしよう。どんなものでも、例えば「鳥は動物だ」でも良い。<br>成長の過程で、その命題は真であるという価値観をもつ人間に多く出逢えば、自分の中でその命題は真として固定される。一種の刷り込みだ。<br>この刷り込みが行われるとき、人は既に持っている真偽が固定されている命題とそれを照らし合わせて、矛盾が発生しないかをチェックする。矛盾が発生しなければそれは真として固定される。ここに自らの意志は介在しない。<br>もし矛盾が発生したとき、それは参考意見の一つとして保留され、同じ意見が多く保留されたとき、はじめて真として固定される。<br>（これらはたとえの話で、真偽しかない命題しか存在しないわけではないし、そもそもこのような単純な命題のみがインプットされているわけでもないので、そこは予め断っておく。）<br><br>さて、ここから先は話すまでも無い。こうやって人の価値観というのは固定されていく。個人差はあれど、ほとんどの人間が根本的な部分では同じような倫理観を持ち、正常に社会生活を送ることができるのは以上のようなプロセスで自らの価値観に修正を加え、調整しているからだ。<br><br>まぁ、ここまでは自明。<br><br>さてさて、上のように真と偽しか命題が存在しないような問いというのは確かに根本的な部分で人間の価値観の均一化をもたらすが、でははっきりとした答えが無いようなもの、例えば芸術に関する評価というのはどのようにして行われるだろうか。<br><br>ここから本題。<br><br>僕は自分自身がその道の人間ということもあって芸術に対してかなり深い理解はあると思っているが、そうでない人間のほうが多数派だ。<br>例えば、少なくとも日本では考えられないことだが、字が読めない人物がいたとしよう。その人物が、ある文章に対して、「この文章はいいね」と評価を下したとする。その人物を、まさか字が読めない人間であると誰が予想するだろうか。<br><br>最近気づいたことだが、ある曲に対して、例えば僕が認識しているものと、音楽に理解が無い一般大衆が認識しているものには大きな隔たりがあるのだ。文章の内容に対する評価と、文章の見た目（図形としての文字列）に対する評価の違いだと考えればわかりやすい。<br><br>閑話休題。<br><br>「あきそら」という作品がある。ご存知の方もいるかもしれない。近親相姦をテーマにした漫画作品だ。<br>僕個人のこの作品に対する評価はさておき、この作品が例の都条例の影響で重版禁止になるという話を耳にした。<br><br><a href="http://togetter.com/li/126497">http://togetter.com/li/126497</a><br><br>ここで話そうと思っているのは都条例の是非ではない。僕はこの漫画作品を知っていたし、読んだこともあるが、”近親相姦”というちょっとタブーな物がテーマとなっただけのエロマンガだと評価していた。（ちなみに低評価ではない。）近親相姦などあってはならないことだ、くだらない、存在すべきではない、そう評価する人も多いだろう。重版禁止もそのような多数者の意見によって（若しくはその影響により）行われたものだ。<br>しかし、上のリンクの著者のTweetを読んでほしい。彼がどのような思いでこの作品を手がけていたかということだ。<br><br>話をもとに戻そう。<br>字が読めない人間の例を先にあげた。この場合、評価というのは二つに区別できる。すなわち、「字が読める人間の評価」と「字が読めない人間の評価」だ。これはある意味救いがある。<br>しかし音楽、絵、漫画、ほとんどの芸術に於いて理解レベルというのは一様ではない。その人間がどれだけの理解を持って評価しているのかというのは絶対にわからないし、区別できる基準もない（例え設けたとしても無意味だろう。なぜなら、主観的なものであるから。）<br>そして理解レベルが違うものを、同じ評価として一括りにするのは適当でない。しかし、今の世の中ではそうした評価を一括りにするのは日常茶飯事だ。理解レベルが高い人間が多数派であれば良い。しかし理解レベルが低い人間が多数派の世界でそれを行うのは、表現者にとっては地獄でしか無い。<br><br>飽きてきた。<br><br>結論を言おう。表現者の作品を完全に理解できるのは表現者自身でしか無い。究極的に、芸術を生む人間は一人ぼっちだ。孤高ではない。孤独だ。<br>天才を理解できるのは天才だけだ、という言葉がある。天才というのは辛い。天才に評価を下せるのは、同じくらい天才である人間だけだ。しかし、大衆は言う。彼は天才だと。<br>大衆は何を以て彼を天才だと判断するのだろうか。言うべきにも非ず。<br>豚には、真珠であるか石ころであるかなどの区別などつかない。寧ろ、この世界に豚しか居なければ、真珠であるか石ころであるかなど、些細な問題だ。<br>僕らがやっている芸術というのは、豚の群れの中で、これは真珠です！と言い張ることなのだ。なんと滑稽で、馬鹿らしいことだろう。<br><br>芸術が多数の人間に理解され評価される、これは本来ありえないことだ。<br><br>本日の結論。<br>好評価を下す多くの愚民より、良き理解者を得ること。<br><br>終わり。<br><br><br><br><br><br><br>それはそうと活動休止、あれはなんだったのか<br>
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<link>https://ameblo.jp/kuguma/entry-10869181021.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Apr 2011 17:27:24 +0900</pubDate>
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<title>新曲だよー。</title>
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<![CDATA[ はらへった。<br><br><br>なんかTwitterでお知り合いになった方に歌ってもらうために曲作ってました。<br><br><br><br><br>いやー。<br><br>女性ボーカル欲しくて試行錯誤してたあの頃がなつかしいわ。いい時代になったものです。<br><br>ボーカルはaYaさんに、イラストは平沢悠さんにやっていただきました。ごちそうさまでした。<br><br>「In the dreamin' night」<br><script type="text/javascript" src="https://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm14066477?w=320&amp;h=240"></script><br><br><br><br>一応ミクバージョンも。<br><script type="text/javascript" src="https://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm14058047?w=320&amp;h=240"></script><br><br><br><br>ミクのほうが伸びてるというのはちょっと悲しいですね。。<br>NNIは伸びんね、やっぱ。今回は作っててとても楽しかったので別にいいんですけど！<br><br><br><br><br><br>そういえば歌ってもらっていただいた方が中二の女の子だと思ってたら実は同い年だった<br><br>動揺を隠せない<br><br><br><br>あ、そんで受験で1年ほど活動休止するけど忘れないでね！<br><br><br><br>おわり<br>
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<link>https://ameblo.jp/kuguma/entry-10851848343.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Apr 2011 04:07:59 +0900</pubDate>
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