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<title>クラブのブログ</title>
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<description>なんか適当に。気の向くままにｗ</description>
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<title>哲学的考察……９</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">前回→『哀しみ』</font></p><p><font size="3">今回→『言葉』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">さて、『言葉』。不思議ですね。</font></p><p><font size="3">ん～、例えば、『犬』と聞けばほとんどの人は『ワンワン吠えて、尻尾があって、毛がはえてて……、ネコ目（ネコ目なんですね……）-イヌ科-イヌ属に分類される哺乳類』を思い浮かべると思います。</font></p><p><font size="3">でも、この時点で何か不思議に思わないでしょうか。『犬』は『いぬ』と読むただの文字でしかないし、『いぬ』もどこまで行っても、『いぬ』と読むただの文字でしかないはずです。今回は『言葉』なので、これを文字ではなく、『言葉（発話）』にしましょう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">言葉には実体がないですね。『言葉が見える-見えるようにできる』と言った様なアラレちゃんや、ドラえもんのような例がない（或いは極めて少ない、立証できない）ので、今は仮に蓋然的に（統計的に）『実体がない』としましょう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">実体のない言葉　を聞いて、何故『実体を思い浮かべる』のでしょう。それは『犬』が『ワンワン吠えて、尻尾があって、毛がはえてて……、ネコ目-イヌ科-イヌ属に分類される哺乳類』であることを、無意識に（或いは意識的に）知っているからです。子供のころに周りの人たちが『ワンワン吠えて、尻尾があって、毛がはえてて……、ネコ目-イヌ科-イヌ属に分類される哺乳類』を見て、　指さしてアレが『いぬ』であることを明確にし、学校で『いぬ』は『犬』と書く（-同じものである）ことを習うからに他なりません。</font></p><p><font size="3">ここで、初めて『犬』という『実体のないもの』と『ワンワン吠えて、尻尾があって、毛がはえてて……、ネコ目-イヌ科-イヌ属に分類される哺乳類』という現実で見ることのできる『実体のあるもの』が繋がります。ではでは、それらが『繋がる前-完全に同値でない時』の『言葉』と『現実』の『繋がり』はどのようなものなのでしょうか。</font></p><p><font size="3">もしかして、『繋がりはない』？だとすると、『言葉』と『現実』の繋がりは『経験に裏打ちされた、経験則』であって、『明らかにそれと同じであることはない』ということになります。つまりそれは人によって『犬』という言葉と現実の繋がりが違うということなのですが、実際は、ほとんどの人が『犬』と聞けば『ワンワン吠えて、尻尾があって、毛がはえてて……、ネコ目-イヌ科-イヌ属に分類される哺乳類』を思い浮かべます。</font></p><p><font size="3">さてさて、『経験的に同じ』ものであるということは、『皆同じ経験をした』をいうことですね。つまり、それは『周りの人たちも皆同じ経験をした』ということで……ネズミ算式に増えていきます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">何故『実体のないもの-言葉』と『実体のあるもの-現実』が繋がるのか。これを考えるために、次回は『実体のないもの』と『実体のないもの』について考えます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<pubDate>Tue, 30 Jul 2013 11:11:55 +0900</pubDate>
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<title>色々考察……１</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">色々考察。哲学的かどうかは置いておこう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">さて、この前までブログのコメントでディベート（というよりかは、論理学のお勉強）をしていたわけですが、その後に『論理学に逃げている』なんて言われちゃいました。</font></p><p><font size="3">論理学に『逃げる』とはどういうことだろう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">数学だったり科学だったりのいわゆる自然科学は、今現在に於いてこの世界に生きる大多数の人々の間の共通認識であって、『正しい』ということが保障されているものだ。それが宇宙全体としての真理かどうかは置いておくとしても、『この世界に生きる大多数の人々の間での』唯一絶対の指標とも言えるものである。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">例えば、水とは何か、と聞かれれば流体であり、水素と酸素の化合物で云々とか。直角三角形の直角を挟んだ2辺の長さが3cmと4cmだった時の斜辺の長さは、と聞かれれば5cmだとか。</font></p><p><font size="3">それは『自明的で当然な絶対的な答え』として返ってくるけれど、それが『当然な絶対的な答え』に成り得る為にはそれの証明を行う必要がある。つまり、『証明』は命題が当然で絶対的であるかどうかを知る上での基準だと言える。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">だが、その証明の正しさは何に保障されているのだろう。証明自体が法則性のないただの文字の羅列であれば、その正しさは保証されないはずだ。</font></p><p><font size="3">証明のただの文字の羅列に法則性を持たせ、それが『当然な絶対的な答え』であることを保障しているのは他でもない、論理学である。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">上にあげた水の例にしても、それは『水』という物体・事象を何度も観察したうえで、蓋然的に導き出された（これも論理学、蓋然的推論）一つの答えであるし、三平方の定理にしても、その定理が正しいことを『論理学を用いた証明法』で</font></p><p><font size="3">保障している。</font></p><p><font size="3">とすれば、自然科学の正しさはすべて論理学に依存していることになる。これは、自然科学だけではなく、統計学であったり心理学であったり、と、証明や論理性を必要とする全ての学問に共通である。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">さて、これを踏まえて『論理学に逃げている』を考えよう。</font></p><p><font size="3">これは私が論理的に話すよう進める過程で言われた言葉だが、そもそも、上記のことを踏まえれば、『論理的でないものは基本的にない』と言えるはずなのだ。これは即ち、計算をしている人が数学を適用せざるを得ないことと同義である。</font></p><p><font size="3">簡潔に例えるならば、</font></p><p><font size="3">A『１+1＝3でしょ』</font></p><p><font size="3">B『いや、違うよ。それが違うことは数学によって保障されてるよ』</font></p><p><font size="3">A『数学に逃げるなよ』</font></p><p><font size="3">ということだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">これは果たして、『逃げる』と言えるのだろうか。</font></p><p><font size="3">答えは『自明的で当然な絶対的な答え』として出てくるように感じられるのは、私だけだろうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<pubDate>Sat, 27 Jul 2013 15:27:19 +0900</pubDate>
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<title>山月記……⑤</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">さて、間があきましたが、書いていこうと思います。</font></p><p><font size="3">これで山月記シリーズは終わりです。多分。</font></p><p><font size="3">今回は、山月記全体を通しての考察です。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑫</font></p><p><font size="3">まず、何故李徴は『虎』になったのか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">虎になった本質は『尊大な羞恥心』にあることは本文にも書かれています。この『尊大な羞恥心』は、誰もが心の中に飼っている『猛獣』です。だれもが虎に成るわけではないということです。</font></p><p><font size="3">その中で、李徴が虎になったのは、袁さんが『どこか非常に微妙な点に於いてかけるものがある』と称した、その<font color="#ff0000">人間性</font>に有ります。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">動物には、その動物の<font color="#ff0000">『イメージ』</font>というものが存在します。</font></p><p><font size="3">例えば、あの有名な“ごんぎつね”は何故狐なのか。それは、狐は人を騙して『悪さをするというイメージ』があるからです。作者が人間嫌いだったらしいので、それに関係していると考えるのですが、話がそれるので、詳しくは説明しません。</font></p><p><font size="3">さて、今回の<font color="#ff0000">『虎のイメージ』</font>はどうでしょうか。<font color="#ff0000">神聖で、プライドが高そうだけれど、一方でどこか野性的で孤独なイメージ</font>がありますね。李徴の性格がそのまま反映されていると言っても過言ではありません。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">尤も、これは“人虎伝”のアレンジであるし、中国が舞台だから虎なんだ。というのも勿論あるでしょうが、それだけだと何か面白くないですね＾＾；</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑬</font></p><p><font size="3">山月記を通して、作者は何を伝えたいのか。読めばわかるように、この話は、人間がだれでも持っている野性的・感情的な部分（臆病な自尊心・尊大な羞恥心）を抑えきれなくなった一人の人間の末路を描いています。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">作者の奥さんは彼の友達に『李徴は作者（中島）で、袁さんは貴方（氷上）だ』と言ったらしいです。</font></p><p><font size="3">作者は結局、李徴を通して（或いは自己投影して）自分の中の生き様・人生観を書きつづっているのです。作者が李徴を完全に否定しているわけでないように見えるのもそのためかもしれません。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">また、自分を知るということは、<font color="#ff0000">自分の才能を（良い意味でも悪い意味でも）認める</font>ということです。人と交わりを断った李徴が虎となったのは、人と交わることで自分の才能を見つめ、認めることが出来なかったからです。</font></p><p><font size="3"><font color="#ff0000">自分を知ることが一番大切</font>なんだよってことなのかもしれません。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">蛇足ですが、哲学には『汝、我を知れ』という言葉がありますし、論語には『是を知るを是を知るとし、是を知らずを知らずとせよ。是知るなり』という言葉があります。</font></p><p><font size="3">昔から人は、<font color="#ff0000"><font color="#ff0000">『</font>自分を知ることの大切さ』</font>を知っていたのかもしれません。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">さて、これに関連して、もう一つの疑問も解決しておきます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">何故、李徴が人間であった時に作った数十篇の詩は本文中に書かれていなくて、虎になった李徴が即席で作った一つの詩が書かれているのでしょう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ここで、前回出てきた<font color="#ff0000">『李徴が自分自身を理解している』</font>ということが大切になります。</font></p><p><font size="3">上述のように、『自分を知る』ということが何より大切であって、自分を知らなかった李徴が貧しくなってまでも頑張って書いたいくつもの詩よりも、自分を知ってから書いた即席の詩の方が、優れている（伝録に値する）ということを表しているのではないでしょうか。</font></p>
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<pubDate>Tue, 23 Jul 2013 08:59:14 +0900</pubDate>
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<title>山月記……④</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">前回同様、本文をそのまま引用しますので、分からなくなったら訳（山月記……①、②）も見ながら読むと分かりやすいと思います。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑥</font></p><p><font size="3">李徴は、袁さんに詩の伝録を頼みます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">本文：『自分は元来詩人として名を成す積りでいた。～略～<ruby><rb /></ruby><ruby><rp>（</rp></ruby>ところで、その中、今も<ruby><rb /></ruby><ruby><rp>（</rp>尚キショウ<rp>）</rp></ruby>せるものが数十ある。これを我が為<rb />に伝録して戴きたいのだ<ruby><rb /></ruby>。～略～作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が<ruby><rb /><rp>（</rp>生涯</ruby>それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">李徴はもともと、詩人として名前を残すつもりだったのですが、今は詩がうまいとか、下手とか関係なく、自分がそこに<font color="#ff0000">『存在したという証拠』</font>として詩を後代に残すことを望みます。</font></p><p><font size="3">李徴は<font color="#ff0000">『李徴という一人の人間が、確かにそこに存在し、社会の一人としてではなく、一人の人間』</font>として、後の世まで名前を残したかったのではないかと思います。</font></p><p><font size="3">有名でない人は何年間この世界に名前を残せるのでしょうか？この世界の残酷さ（？）が伝わってきます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑦</font></p><p><font size="3">本文：『しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか（非常に微妙な点において）欠けるところがあるのではないか、と』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">李徴にかけているもの。言わずもがなですね。人間性です。</font></p><p><font size="3">ところで、この⑦番は後で出番を持って出てきます（笑）</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑧</font></p><p><font size="3">本文（漢文）：『偶因狂疾成殊類　～略～　不成長嘯但成嘷』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">５、６の部分から、</font></p><p><font size="3">どんな人間も（いくら今までの歩みが同じであろうと）少しの違いによって、最終的に大きな（取り返しのつかない）違いが出る。</font></p><p><font size="3">誰もが虎になる可能性を持ち合わせている。</font></p><p><font size="3">ここも⑧同様、後で出番を持ちます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑨</font></p><p><font size="3">とても大切な役割を持っていそうな、『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">『尊大な羞恥心』は、つまりは、李徴の虎でもあり、誰もが心に飼っている猛獣でもあります。</font></p><p><font size="3">その猛獣を皆は操っているのですが、李徴は飼い太らせ、手に負えなくなって……ということですね。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">『臆病な自尊心』とは、自分の才能の底を知られたくないがゆえに、人と交わらなかった、その『臆病なプライド（意味は同じですが）』ということですね。</font></p><p><font size="3">人と交わらなかったので、李徴は「自分の持っていたわずかばかりの才能を空費してしまった」わけです。</font></p><p><font size="3">ここの自己分析のシーンで李徴が<font color="#ff0000">、『自分自身のことを理解している』</font>ことがとても重要だと思います。</font><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑩</font></p><p><font size="3">本文：『だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは、わが妻子のことだ。　～略～　おれは既に死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。決して今日のことだけは明かさないでほしい』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">本文：『そうして、付け加えて言うことに、袁さんが嶺南からの帰途には決してこの道を通らないでほしい、　～略～　勇に誇ろうとしてではない。わが醜悪な姿を示して、もって、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを君に起こさせないためであると』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">自分のことは死んだことにしてくれ。</font></p><p><font size="3">袁さんは、自分に、もう二度と会わないでくれ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">李徴は人間のころから孤独だなんだと言っていたが、実はその周りには袁さんや妻子がいたのです。</font></p><p><font size="3">その彼らを自分から遠ざけることで、自分が<font color="#ff0000">『本当に孤独になる』</font>ことを哀しむ李徴。また、『慟哭』という言葉からも李徴の深い哀しみが読み取れますね。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑪</font></p><p><font size="3">本文：『虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの叢に躍り入って、再びその姿を見なかった』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ここは、もう、本当に色々な読み取り方があると思います。</font></p><p><font size="3">例えば、哀しみの咆哮なのか。</font></p><p><font size="3">例えば、獣になった<font color="#ff0000">『自分本来の姿』</font>をさらけ出しているのか。</font></p><p><font size="3">何なんでしょうね。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">山月記全てを通しての考察は次回です。</font></p><p><font size="3">ピアノ行ってきます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<pubDate>Thu, 11 Jul 2013 16:33:06 +0900</pubDate>
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<title>山月記……③</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#000000" size="3">遅くなりました。</font></p><p><font color="#000000" size="3">メモしていたノートを提出してしまって書けなかったです……。</font></p><p><font color="#000000" size="3">今回からは山月記の読み取りをしていきたいと思います。長くなるので、今回だけでは終わらないかもしれません。</font></p><p><font size="3">また、本文中心に書いていくので、分からなくなったら訳（山月記……①、②）も見ながら読むと分かりやすいと思います。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">①まず最初に目につくのは『宿の役人』の言葉です。</font></p><p><font size="3">本文：『これから先の道に人食い虎が出るゆえ、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、いま少し待たれたがよろしいでしょう』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">この人食い虎とは言うまでもなく『李徴』であり、それはつまり<font color="#ff0000">、『李徴がもう既に人を食べている』</font><font color="#000000">ということを意味しています。</font></font></p><p><font size="3">また、これは、李徴が袁さんを襲おうとする場面からも予測できます。もし相手が袁さんでなければどうなっていたのでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">②</font></p><p><font size="3">本文：『虎はあわや袁さんに躍りかかると見えたが、たちまち身を翻して、もとの叢に隠れた</font><font size="3">』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">この時李徴は『虎としての本能』で相手に襲い掛かっていますが、相手が袁さんであると分かった途端に襲うのをやめました。これは<font color="#ff0000">『虎としての本能に人間としての理性がうち勝った』</font><font color="#000000">ことを表しています。</font></font></p><p><font size="3"><font color="#000000">このことから、李徴が袁さんに対して他の人とは違った、何か特別な感情（友情）を抱いていることが分かり、李徴と袁さんの親しさや大切さが伺えます。</font></font></p><br><p><font size="3">また、この数行後には、こう続きます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">本文：『自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人（とも）の前にあさましい姿をさらせようか』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ここで気になるのは『故人』の読み方。何故『こじん』と書いて『とも』なのでしょうか。</font></p><p><font size="3">故人には『懐かしい友達』、『昔の友達』と言った意味があります。李徴はただ単に『懐かしい友達』として『故人』を使ったのでしょうか。ここを読み解くために袁さんの言葉も載せましょう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">本文：『その声は、わが友、李徴子ではないか？』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">この通り、袁さんは李徴のことを『友』と呼んでいるのです。李徴→袁さんが懐かしい友であるならば、袁さん→李徴も懐かしい友であるはずです。それをわざわざ言い分けているということに、ここでの李徴の心情が表れているのではないでしょうか。</font></p><p><font size="3">また、彼はこうも言っています。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">本文：『～前略～かつて君の友李徴であったこの自分～後略～』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">これらのことから、</font></p><p><font color="#ff0000" size="3">『自分（李徴）から、君（袁さん）を友と呼ぶにははばかれる・君（袁さん）は昔の、あくまで李徴としての友達であって、今の自分（虎になった李徴）としては、友とは呼べない』<font color="#000000">といった、絶望や悲哀が表現されていると考えられます。</font></font></p><p><font size="3">また、これは一方で、<font color="#ff0000">『自分を既に受け入れている』</font><font color="#000000">という</font><font color="#000000">ことも読み取れます。</font></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">③</font></p><p><font size="3">本文：『～前略～ふと目を覚ますと、戸外で誰かがわが名を呼んでいる』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">これは、自分の中にある何か、大きく抑えがたい『感情』であると思います。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">④</font></p><p><font size="3">本文を読んでいて、李徴は『自分』と『俺』を使い分けていたことに気がついたでしょうか？もっとも、私の訳文では滅茶苦茶な一人称になっていたかもしれませんが。ごめんなさい。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">本文（例）：『～略～自分の中の人間はたちまち姿を消した』</font></p><p><font size="3">本文（例）：『～略～おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">これはなんとなくわかると思いますので、③と同じく流しますが、結局、</font><font color="#ff0000" size="3">『自分と言っているときは、客観的・冷静な人間としての李徴』<font color="#000000">であり、</font><font color="#ff0000">『おれと言っているときは、主観的・感情的な虎としての李徴』</font><font color="#000000">だということです。</font></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑤</font></p><p><font size="3">本文：『おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">これはつまり<font color="#ff0000">、『獣となった方がしあわせ』</font><font color="#000000">であるということであり、獣となれば</font><font color="#ff0000"><font color="#000000">『今までの憤りや恐ろしさといった、</font><font color="#ff0000">『</font>感情から解放』</font><font color="#000000">され、楽になれるだろう。ということです。</font></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">また、人間にとって最も恐ろしいことである<font color="#ff0000">、『感情が無くなる』</font><font color="#000000">ということが、今の自分にとってはしあわせである（自分がもう<font color="#ff0000">人間ではない何か別のもの＝虎</font>であるということ）。という自嘲的な意味合いも含まれていると思います。</font></font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">おなかが減ったので、次回に続きます。</font></p><p><font color="#ff0000" size="3"><br></font></p><p><font color="#ff0000" size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<pubDate>Mon, 08 Jul 2013 17:52:51 +0900</pubDate>
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<title>山月記……②</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">昨日の続きです。今回でとりあえず、全てを訳すつもりです。</font></p><p><font size="3">ブログタイトル『山月記……③』　からは山月記の考察を書いていく予定です。正直、話を知っている人、本文を読んで意味がわかる人にとっては、①・②はいらないのかもしれません。</font></p><p><font size="3">本文→http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑤</font></p><p><font size="3">さて、時はというと、沈みかけた月の光が冷やかで、白露が地面にたくさん降り、木の間を吹きわたる冷風は、もう朝が近づいていることを教えていた。</font></p><p><font size="3">人々はもう、起きていることの不思議さを忘れて、静かに、かしこまって、この詩人の不幸を嘆いた。李徴の声は再び続ける。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">何故こんな運命になったのか分からないと、さっきは言ったが、しかし、考え方ようによっては、思い当たることが全然ないわけではない。</font></p><br><p><font size="3">人間だった時、俺はできるだけ人との交わりを避けた。人々は俺をおごりたかぶって、いばり、人を見下していると言った。実は、それがほとんど、自分を恥じいる気持ちに近いものであることを、人々は知らなかった。</font></p><p><font size="3">勿論、かつて、郷里一帯でも並はずれた才能の持ち主だと言われた自分に、高いプライドが無かったとは言わない。しかし、それは臆病なプライドだと言う方がふさわしいものだった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">俺は詩によって後世に</font><font size="3">名前を残そうと思いながらも、師匠についたり、進んで詩友と交わって自分の才能に磨きをかけたりすることをしなかった。しかし、かといって、俺はつまらない人間と交わり生きていくことも嫌だった。どちらも、私の臆病なプライドと、いばった恥ずかしさのせいである。</font></p><p><font size="3">自分に才能がないことに気づくのを怖れるあまり、あえて、苦労して才能を磨こうともせず、また、自分に才能があることを半分、信じていたために、つまらない人間と交わり、平凡に生きることもできなかった。</font></p><p><font size="3">俺はしだいに世の中から離れ、人と遠ざかり、怒りや悩み、恥によってますます自分の中にある臆病なプライドを飼いふとらせる結果になった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">人間は誰もが猛獣使いで、その猛獣に当たるのが、その人々の生まれつきの性格やこころだという。俺の場合、このいばった恥ずかしさが猛獣だった。虎だったのだ。これが俺自身を失くし、妻や子供を苦しめ、友達を傷つけ、果ては、俺の体をこのように、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">今思えば、全く、俺は、俺の持っていた少しだけの才能を、無駄にしてしまったわけだ。人生は何もしないにはあまりに長いが、何かをするにはあまりに短いなどと、口先ばかりの忠告をもてあそびながら、事実は、才能が無いことが明るみになるかもしれないという、卑怯なおそれと、励み努力することを嫌がるナマケ癖が俺のすべてだったのだ。</font></p><p><font size="3">俺よりもはるかに十分でない才能でありながら、それのみを磨いたために、堂々とした詩家になったものがたくさんいるのだ。虎となり果てた今、俺はやっとそれに気づいた。それを思うと、おれは今も胸をやかれるような後悔を感じる。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">俺にはもう、人間としての生活はできない。例え、今、俺が頭の中で、どれだけ優れた詩を作ったとしても、どういった手段で発表できるだろうか。それに、俺の頭は日が経つにつれて虎に近づいていく。どうすればいいのだ。俺の無駄になった過去は？俺はたまらなくなる。</font></p><p><font size="3">そういうとき、俺は、向こうの山の頂上の大きな岩に上り、静かで寂しい谷に向かって吠える。この胸をやく苦しみを誰かに訴えたいのだ。</font></p><p><font size="3">俺は昨日の夕べも、あそこで、月に向かって吠えた。誰かにこの苦しみが分かってもらえないかと。しかし、獣たちは俺の声を聞いて、ただ、おそれ、ひれ伏すばかり。山も木も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、興奮しているとしか考えない。天に躍り地面に伏して嘆いても、誰一人として俺の気持ちを分かってくれるものはいない。ちょうど、人間だったころ、俺の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。</font></p><p><font size="3">俺の毛皮が濡れたのは、夜露の所為だけではない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">⑥</font></p><p><font size="3">やっとあたりの暗さが弱まってきた。木の間を通って、どこからか、夜明けを告げる角笛が響き始めた。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">もう、別れを告げなければならない。虎に還らなければならない時が、近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れをする前にもう一つ頼みがある。それは私の妻や子供のことだ。彼らはまだカク略にいる。当然だが、俺の運命について知っているはずが無い。君が南から帰ったら、俺はもう死んだと彼らに伝えてもらえないだろうか。絶対に今日のことだけは教えないでほしい。図々しいお願いだが、彼らが孤独であることを可哀想に思って、これからも道で飢えたり凍えたりすることがないようにしてくれるなら、私にとっては、とてもうれしいことだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">言い終わると、草むらの中から嘆き悲しむ声が聞こえた。袁もまた涙を浮かべ、喜んで李徴の希望通りにしたいと答えた。李徴の声は、しかし一瞬のうちにまたさっきの、自らを嘲る調子にもどり、言った。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">本当は、まず、このことを先にお願いするべきだったのだ。俺が人間だったなら。飢え凍えようとする妻や子供のことよりも、自身のつまらない詩業のほうを気にしてしまっているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">それから、こう付けくわえた。</font></p><p><font size="3">袁さんが嶺南からの帰り道には絶対にこの道を通らないでほしい。その時には自分が酔っていて故人と認めずに襲いかかるかもしれないから。</font></p><p><font size="3">それと、今別れてから、百歩進んだ先の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振り返って見てほしい。自分の今の姿を、もう一度見せてあげよう。</font></p><p><font size="3">勇み、誇るためではない。私の醜い姿を見せて、それで、また、ここを通って自分に会おうという気持ちを君におこさせないためである。と。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">袁さんは草むらに向かって、丁寧に別れの言葉を述べ、馬に乗った。</font></p><p><font size="3">草むらの中からは、また、耐えきれない様子の悲しみの声が漏れた。</font></p><p><font size="3">袁さんも何度か草むらを振り返り、涙を流しながら出発した。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">一行が丘の上に着いたとき、彼らは、言われたとおりに振り返って、さっきまでいた林の中の草地を眺めた。</font></p><p><font size="3">いきなり、一匹の虎が草の茂みから道に飛び出したのを彼らは見た。虎は、もう既に白く光を失った月を見上げて、二声三声吠えたかと思うと、また、もとの草むらに飛び込んで、二度と姿を見せることはなかった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/kulub/entry-11561105188.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Jun 2013 16:11:09 +0900</pubDate>
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<title>山月記……①</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#000000" size="3">中島敦さんの『山月記』です。</font></p><p><font color="#000000" size="3">今回の　①　は、本文を分かりやすく書き直していきたいと思います。簡単にしているので、抜けているところもあると思いますし、ニュアンスの違いやちょっとした意味の違いも出てくるかと思います。</font></p><p><font color="#000000" size="3">今回と次回に分けるので、今回は途中までです。</font></p><p><font color="#000000" size="3">本文→http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">①</font></p><p><font color="#000000"><font size="3">隴西(ろうせい)出身の李徴(りちょう)は、とても頭がよく、天宝の最後の年に官吏登用試験の科挙に合格し、その掲示板に名前を連ね、</font><font size="3">また、江南（こうなん）地方の兵事や獄をつかさどる地方官吏に任命された。</font></font></p><p><font color="#000000" size="3">しかし、李徴は頑固でプライドが高く、地方官吏という下っ端では満足しなかった。</font></p><p><font color="#000000"><font size="3">少しして仕事を辞めた後、ふるさとであるカク略に帰り、人との交わりを断って詩作に没頭した。</font><font size="3">下っ端となって誰かの命令を聞くよりは、詩家として名前を死後数百年残したいと思ったのだ。</font></font></p><p><font color="#000000" size="3">けれど、簡単には名前は売れず、日が経つにつれて生活は苦しくなってきた。</font></p><p><font color="#000000" size="3">李徴はようやく焦ってきた。</font></p><p><font color="#000000" size="3">このころから、顔は険しく、肉が落ち、目だけが鋭くなり、昔、試験に合格したころの美少年の面影は全くなくなった。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">数年たち、貧しい生活にこらえられなくなった李徴は、妻や子供の衣食のために、ついに詩家の道を諦め、再度東に行って地方官吏の職に就くことになった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">これは詩家としての自分に、絶望したためでもあった。</font></p><p><font color="#000000"><font size="3">かつての同期は高い地位にいて、李徴が昔、馬鹿だと思って気にも留めなかった彼らの命令を聞かなければいけないことが、頭の良い李徴のプライドをどれだけ傷つけたのかは、簡単に想像できるだろう。</font><font size="3">彼はそれが不満で、ついに、わがままな性格を抑えきることが出来なくなった。</font></font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">一年後、仕事で旅に出て、宿に泊まった時、とうとう発狂した。</font></p><p><font color="#000000" size="3">ある夜中、急に顔色を変えて布団から飛び起きると、何かわけのわからないことを叫びながら、そのまま下に飛び降りて、闇の中へと走っていった。</font></p><p><font color="#000000"><font size="3">彼が戻ってくることはなかった。</font><font size="3">近くの山等を探しても、全く見つけることはできなかった。</font></font></p><p><font color="#000000" size="3">その後、李徴がどうなったかを知る人はいなかった。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">②</font></p><p><font color="#000000" size="3">次の年、監察御史（かんさつぎょし）をしている、陳郡（ちんぐん）出身の袁さんという人が、命令を受けて嶺南（れいなん）に行く途中、商於（しょうお）の宿に泊まった。</font></p><p><font color="#000000"><font size="3">次の日の朝、まだ暗いうちに出発しようとしたところ、宿の役人が「これから先の道には人食い虎がでるので、旅人は昼間じゃないと通れません。なので、ちょっとだけ待ってからの方がいいでしょう」と言った。</font><font size="3">しかし袁さんは、周りに護衛の味方が大勢いるから大丈夫だろう、と、役人の言葉を無視して出発した。</font></font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">残月の光を頼りにして林の中の草地を歩いていると、いきなり一匹の猛虎が草むらの中から飛び出してきた。虎は袁さんに襲いかかろうとしたが、すぐに身を翻し、もとの草むらの中にかくれた。草むらの中からは、人間の声で「危ないところだった」と繰り返しつぶやく声が聞こえた。</font></p><p><font color="#000000" size="3">袁さんはその声に聞きおぼえがあった。驚いてはいたが、咄嗟に思い当たった人物の名を叫んだ。「その声は、私の友達、李徴氏ではないか？」袁さんは李徴と一緒な時期に進士となり、友達の少ない李徴にとっては親友の一人だった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">おとなしい袁さんの性格が、きつい性格の李徴とぶつからなかったからだろう。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">草むらの中からはしばらく返事が無かった。忍び泣きのような微かな声がたまに聞こえるくらいだ。</font></p><p><font color="#000000" size="3">少しして、低い声が答えた。「たしかに、自分は隴西の李徴だ」と。</font></p><p><font color="#000000" size="3">袁さんは恐怖を忘れて馬から降りて草むらに近づくと、懐かしげに挨拶した。それから、何故草むらから出てこないのか、と、質問した。</font></p><p><font color="#000000" size="3">李徴の声が答える。</font></p><p><font color="#000000" size="3">自分は今、けだものの身となっている。どうして恥ずかしげもなく、故人（とも）の前に、見苦しく卑しい姿をさらすことができようか。それに、自分が姿を見せれば、君に必ず嫌な気持ちをを起こさせるに決まっている。しかし、今、思いもかけず故人にあうことができて、恥を忘れるほどに懐かしい。どうか、ほんのしばらくでもいいから、私の醜い見た目を気にせずに、かつて君の友達、李徴だったこの自分と話してくれないだろうか。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">後から考えれば不思議だが、その時、袁さんはこの不思議な出来事をとても素直に受け入れ、少しも怪しむことはしなかった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">彼は部下に行列の進行を止めるように命令し、自分は草むらの傍に立って、見えない声と話し合った。</font></p><p><font color="#000000" size="3">都の噂、昔の友達の行方、袁さんの現在の地位と、それに対する李徴の祝いの言葉。</font></p><p><font color="#000000" size="3">青年時代に仲の良かった者同士の、あの気さくな調子でそれらが語られた後、袁さんは、李徴が何故今の身になったのか、と聞いた。草むらの中の声は次のように言った。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">③</font></p><p><font color="#000000" size="3">今から一年くらい前、自分が旅に出て、汝水（じょすい）の近くに泊まった夜、一度寝てから、ふと目を覚ますと、外で誰かが自分の名前を呼んでいる。声に答えて外に出ると、声は暗闇の中からずっと自分の名前を呼んでいる。思わず、自分は声のする方へ走った。</font></p><p><font color="#000000" size="3">無我夢中で走っているうちに、いつの間にか道は山林にはいって、しかも、知らないうちに両手で地をつかんで走っていた。なにか、体中に力が満ち溢れたような感じで、軽々と岩をとびこえていった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">気がつくと、手の先や肘のあたりに毛が生えているようだ。少し明るくなってから、河に姿を映してみると、既に虎になっていた。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">自分は初め、自分の目を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だとしっている夢を今までに見てきたことがあるからだ。</font></p><p><font color="#000000" size="3">これは夢ではないのだと、信じなければならなかったとき、自分はあっけにとられ、何も考えられなくなった。それから深くおそれた。まったく、どんなことでも起こることがあるのだと思って、深くおそれた。</font></p><p><font color="#000000" size="3">しかし、何故こんなことになったのだろう。分からない。全く何事も私たちには分からない。理由も分からずに押し付けられたものをおとなしく受け取り、理由も分からずに生きていくのが、私たち生き物の運命だ。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">自分はすぐに死のうと思った。しかしその時、目の前を一匹のウサギが通りすぎるのを見たとたん、自分の中の人間は一瞬のうちに姿を消した。</font></p><p><font color="#000000" size="3">再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口はウサギの血にまみれ、周囲にはウサギの毛が散らばっていた。</font></p><p><font color="#000000" size="3">これが虎としての最初の経験だった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">それ以来、今までのどのような行為を行ってきたのか。それはとても語れるものではない。</font></p><p><font color="#000000" size="3">ただ、一日のうちに数時間は必ず、人間の心が戻ってくる。そういうときには、昔と同じように、人の言葉も話せるし、複雑な思考をすることもできるし、書物の文章を暗唱することもできる。その人間の心で、自分の残虐な行いの後を見て、自分の運命を振り返ると気が、もっとも情けなく、恐ろしく、腹立たしい。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">しかし、その人間に還る数時間も、日が経つにつれて短くなっていく。今まではどうして虎になったのか、と考えていたのに、この間、俺はどうして昔人間だったのだろう、と考えていた。これは恐ろしいことだ。</font></p><p><font color="#000000"><font size="3">もう少し経てば、俺の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の土台が徐々に土に埋もれるていくように。</font><font size="3">そうすれば、しまいに俺は自分の過去を忘れ去り、一匹の虎として狂い周り、今日のように道で君と出会っても、故人と認めることはなく、君を裂き食らっても少しの悔いも感じないだろう。</font></font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">一体、獣でも人間でも、もとは他の何かだったのだろう。初めはそれを覚えているが、しだいに忘れ、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。俺の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほうが、俺は幸せになれるだろう。</font></p><p><font color="#000000" size="3">なのに、俺の中の人間はそのことを、とても恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、哀しく、せつなく思っているだろう。俺が人間だったころの記憶がなくなることを。</font></p><p><font color="#000000" size="3">この気持ちはだれにもわからない。誰にもわからない。俺と同じ身になったものでなければ。</font></p><p><font color="#000000" size="3">ところで、そうだ。俺がすっかり人間で無くなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">袁さんをはじめ一行は、息をのんで、草むらの中の声が話す不思議を聞き入っていた。声はつづけて言う。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">頼みというのはほかでもない。自分は元々詩人として名前を残すつもりでいた。しかし、そうなる前に、こういう運命になってしまった。昔作った詩数百編、当然、まだ世に出回ってはいない。原稿の行方も、もう分からなくなっているだろう。その中で、今でもまだ暗唱できるものが数十編ある。これを私のために記録し、伝えてもらいたいのだ。</font></p><p><font color="#000000" size="3">なにも、これによって一人前の詩人面をしたいわけではない。作の上手い下手は関係なく、とにかく、財産をなくし、心を狂わせてまでも自分が生涯それに執着したものを、少しでも後の世代に伝えないのでは、死んでも死にきれないのだ。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">④</font></p><p><font color="#000000" size="3">袁さんは部下に命令し、筆をとって、草むらの中の声に従ってそれを書き取らせた。李徴の声は草むらの中から美しく響いた。</font></p><p><font color="#000000" size="3">長いものから短いものまで約三十編。気品があり、内容が際立って優れている。少し聞いただけで作者の才能が優れていると思わせるものばかりだった。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">しかし、袁さんは、感心しながらもなんとなく、次のように感じていた。</font></p><p><font color="#000000" size="3">なるほど、作者の素質が第一流であることに間違いはない。しかし、このままでは、第一流の作品となるにはどこか、非常に微妙な点で、欠けることがあるのではないか、と。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">昔作った詩を暗唱し終えた李徴の声は、突然声の調子を変え、自身を嘲るようにいった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">恥ずかしいことだが、今でも、こんな醜い姿になった今でも、俺は、俺の詩集が、長安（ちょうあん）の詩や文章を愛する人々の机の上に置かれている様子を、夢に見ることがあるのだ。洞窟の中で横たわって見る夢に、だ。笑ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">袁さんは昔の青年李徴の、自らを嘲り馬鹿にする癖を思い出しながら、哀しく聞いていた。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">そうだ。お笑い草ついでに、今の思いを即席の詩に述べてみようか。この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きている証拠に。</font></p><p><font color="#000000" size="3">袁さんはまた部下に命令し、これを書き取らせた。</font></p><p><font color="#000000" size="3"><br></font></p><p><font color="#000000" size="3">いきなり気が狂い、獣の身となった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">災いや病が重なって、逃げることはできない。</font></p><p><font color="#000000" size="3">今、牙や爪が生えている私を、誰があえて敵（相手）にするだろうか（いや、誰もしない）</font></p><p><font color="#000000" size="3">当時（昔）はどちらも、名跡や実績が高かった。</font></p><p><font color="#000000" size="3">（しかし、）私は獣となって雑草の下にいて</font></p><p><font color="#000000" size="3">君はエウ（車）にのって権勢もすばらしい。</font></p><p><font color="#000000" size="3">この夕べ、谷や山、月に対して</font></p><p><font color="#000000" size="3">（私は）詩を吟じることもできず、ただ吠えたてるばかりだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/kulub/entry-11560537641.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Jun 2013 19:50:39 +0900</pubDate>
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<title>哲学的考察……８</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">前回→『人を殺すこと』</font></p><p><font size="3">今回→『悲しみ』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">（一回目を除いて）このシリーズを通して、『小学生でもわかる説明』を心がけてきたつもりですが、今日、小学三年生に難しいと言われたので、もうちょっと簡単に書いてみることにします。。。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">悲しみについて。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">例えば買っていたペットが死んだとしよう。</font></p><p><font size="3">（それほど悲しまない人もいるかもしれないけれど）悲しむ人は、確かにいる。その人は涙も流すだろう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">（仮定として）ペットと同じぐらい好きだったマンガのキャラクターが死んだらどうだろう。悲しいかもしれないし、涙も出るかもしれない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">じゃあ、</font></p><p><font size="3">①『ペットの時とキャラクターの時』、『悲しみも涙の量も同じ』だろうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ペットが死んだら、穴を掘って埋めるかもしれない。火葬する人もいるかもしれない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">さて、</font></p><p><font size="3">②貴方は死んだキャラクターの載っているマンガを埋めたり、燃やしたりするだろうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">①も②も、そんなことないだろ……。って思った人は、何でそう思ったのかな。そのキャラクターもペットも同じぐらい好きだったのに。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">『マンガのキャラクター』は、例え、話の中で死んだとしても、昔の話を読めば確かにそこにいるのに対し、ペットはもういないから、だろうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">考えてみてほしい。マンガのキャラクターは、昔の話の中で、『二次元の存在として見ることが出来る』から悲しくない。というのならば、ペットもまた、昔の写真を見れば『二次元の存在として見ることが出来る』はずだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">それはつまり、三次元のものを（例として）なくした時の方が、二次元のものをなくした時よりも、悲しみを感じるということだろうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">それとも、三次元のものが二次元に成り下がるのが悲しいのか。</font></p><p><font size="3">三次元のものが、二次元になり下がるのが悲しいのだとすれば、それはなぜだろうか。三次元にある（実際に触れる）といった状況がなくなるのが、一番悲しいのか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ただ、最初の前提を思い出してほしい。三次元のもの（ペット）も二次元のもの（キャラクター）も、『同じだけ好きだった』はずだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">好きな程度は同じだけれど、それをなくした時の悲しみが違うというのは、何か不思議じゃないだろうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">『好きなだけ好きになる』ことは出来るけれど、『好きなだけ悲しむ』ことは出来ない、と言うことなのか。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/kulub/entry-11554433854.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Jun 2013 17:29:31 +0900</pubDate>
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<title>哲学的考察……７</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">前回→『正義と悪』</font></p><p><font size="3">今回→『人を殺すこと』</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">前回までで、悪と言うのは人や、その時の状況によって変わるので、『本質的な悪』と言うものは分からない。ということが分かりました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">では、『人を殺すこと』は悪なのでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">法律に違反しているから悪だ、と言う人がいたとしましょう。それなら、『法に違反しなければ』『悪ではない』のでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">悲しむ人がいるからだ。それなら、『悲しむ人がいない人』を殺せば『悪ではない』のでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">殺された人自身が可哀想だから、と言う人がいたとしましょう。でも、可哀想だと思っているのは自分であって、相手が本当に悲しんでいる（可哀想）かどうかは、分からないはずじゃないでしょうか。</font></p><p><font size="3">人を殺せばこの世の中から『今までいたその人』はいなくなるけれど、『その人の本質』がどこに行ったかは分からないでしょう。と言うのは、『自分とは何か（哲学的考察……２）』・『死とは何か（哲学的考察……３）』で触れました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">やっぱり、『人を殺すことが悪だ』と言うのはその人の価値観や、或いは固定観念から来るものであって、実際に悪なのかどうかというのは分からないはずです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">『命が尊いから』ならば、死刑囚の命も尊いはずですし、はく製にされたトラや、ワシの命も尊いはずです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/kulub/entry-11552680263.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Jun 2013 10:20:17 +0900</pubDate>
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<title>哲学的考察……６</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">遅くなりました。</font></p><p><font size="3">前回に引き続き『正義と悪』です。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">さて、前回の例を改めて考えてみると、（少なくとも、前回の例に於いては）『被害者の意思』に依って加害者が裁かれることになります。</font></p><p><font size="3">それはつまり、正義や悪は『個人の価値観念・思想形態』に於いて区分化されるものであるということです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">例における『おふざけ』は『傷害罪』になり得るけれど、『おふざけ』として見れば違法性が限りなく低いです。</font></p><p><font size="3">やっている行為は同じだけれど、被害者の意思決定によって悪になったりならなかったりするということです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ところでこの時、『違法性のないおふざけ』は『正義になり得る』のでしょうか。（悪の逆が正義になり得るのか）</font></p><p><font size="3">例えば『おふざけ』によって周りの笑いを誘い、場の雰囲気が和やかになったとすれば、それは『良いこと』であると言えます。</font></p><p><font size="3">では、『良いことは正しいことと等しく、或いは正しいことに含まれる』のでしょうか。もし含むとすれば、どのような条件下で正しいことは良いことを含み得るのでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">良い行いをする人に対して、ドラマ等ではしばしば『偽善者』というフレーズが使われます。『良いは善』である（と考えられる）ということです。</font></p><p><font size="3">なので、『良い行いをした』というのは、換言すれば、『善い行いをした』であって、『道徳的に正しい（規範的）行いをした』と言うことになります。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">さて、前回の正義についての説明を思い出してください。</font></p><p><font size="3"><strong>１</strong> 人の道にかなっていて正しいこと。</font></p><p><font size="3">とあります。これは『道徳的に正しいことは正義を含む』ということです。</font></p><p><font size="3">上にあるように『善い行いは道徳的に正しい行い』であって、それは即ち、『正義である』と言うことを示します。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">１『良い行い』は『善い行い』である。</font></p><p><font size="3">２『善い行い』は『道徳的に正しい行い』である。</font></p><p><font size="3">３『道徳的に正しい行い』は『正義』である。</font></p><p><font size="3">４故に『良い行い』は『正義』である。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">三段論法です。</font></p><p><font size="3">これが成り立つとすれば、『良い行い』は『正義』になりますが、これは果てして成り立つのでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">そもそも、何度も問題にしているように、これに排中律が有るのでしょうか。</font></p><p><font size="3">簡単にいえば、上の</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">４『良い行い』は『正義』である</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">は、</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">良い行いは正義であるか、或いはそうでないかのどちらかである</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">だと言えるのか、と言うこと。</font></p><p><font size="3">これに於いての中間はないのかな。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ありますね。</font></p><p><font size="3">つまり、排中律がないということです。</font></p><p><font size="3">エネルギー保存の法則がない、みたいなものですね。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">エネルギー保存の法則は、中学校で習ったように、エネルギーは運動（反応）の前後で一定であるということですが、これが（孤立系で）成り立たないことはないです。</font></p><p><font size="3">それと同じで、論理的に排中律が成り立たないことはないので、上の三段論法は誤りであるということです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">なら何故書いたのか。書きながら考えてるからですｗｗｗ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">『正義と悪』という二元論的な考えでは証明できないのでしょうか。。。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/kulub/entry-11542420445.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Jun 2013 12:17:36 +0900</pubDate>
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