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<title>世界経済での製造業の位置づけ</title>
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<description>金融経済がグローバル社会の中心となりつつある現代、製造業の経済効果とは。</description>
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<title>共産党支配の正統性が失われる危険</title>
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<![CDATA[ <p>いかに、国営企業の処分を上手に行なうことが出来るかに、内外の視線が集まっている。国際的な受注競争が激化して、それに伴って汚職がより悪化することである。さきで言及したＰＭＵ１８事件に見られたように、ＯＤＡ等の海外からの資金を流用したり横領したり、経費を水増ししたり、さまざまなテクニックを使って、膨大な資金が不正に使用され私的な蓄財に向けられる危険である。○八年時点でも、汚職体質は深化していて、手の付けられないほど蔓延しているという報告もある。これ以上汚職の度合いが過度になりすぎると、外国政府や外国企業はヴェトナム投資を手控える可能性がある。国内においても政権党たる共産党に対する信頼感は地に落ち、共産党支配の正統性が失われる危険がある。</p><br><p>ＷＴＯ加盟で自由化が進み、いくら優秀な人材を育成しても、それらの人材の多くが海外に流出する危険である。現体制の自由のなさ、汚職体質、給与の安いこと等が理由で、現体制に嫌気が差した優秀な若者が米国、欧州、日本、シンガポール等の先進国に流出する可能性が否定できない。それゆえに、政治体制の「共和国」化・民主化が急がれるのである。日本にとっては、ヴェトナムの工業化と日本再生のプログラムを連動させられるかに将来の展望がかかっていると思う。ヴェトナムから日本に出来るだけ優秀な各分野の若者を招致して、技術指導や知識の伝達を行なう。</p><br><p>そして、日本からも大企業だけでなくて中小企業も進出して、技術の伝授と共に日越の地方都市間の友好関係を増大させる。日本が、内向きから外向きになり、人々の交流も活発化する契機とするには、ヴェトナムが最良のパートナーの一人であろう。逆に言えば、全体としてヴェトナム人は親日的であり、歴史的な負の歴史が、日本と朝鮮半島や中国との関係に比較すれば、相対的には少ない。そのヴェトナムとの間で、相互理解と相互依存関係が構築できなければ、他のアジア諸国との友好親善を深める試みも失敗に終わる危険は大きい。その意味で、これからの日越関係は将来の日本の針路の試金石となるであろう。</p>
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<pubDate>Fri, 08 Apr 2016 16:19:50 +0900</pubDate>
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<title>「懲罰的賠償制度」の厳格化</title>
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<![CDATA[ <p>また多くの場合、最終的な結論はやはり、「結局いくら」というお金の問題に帰着します。これは、わが国の自由主義経済体制、資本主義体制を前提とするかぎり当然のことでもあり、それをはっきりと認識した上で、司法制度がどうあるべきかを考えるべきでしょう。</p><br><p>その点、不正義に対しては経済的な打撃を与える「懲罰的賠償制度」なども存在するアメリ力は、そのあたりの考え方や態度がはっきりしていると言えます。それを日本のように、「正義とお金はなじまない」とか言って司法だけを経済社会から切り離して考えると、一部の人には都合がよいのですが、全体としてはおかしなことにもなります。</p><br><p>ここで賠償金の話が出たついでに述べますと、日本の裁判実務では、紛争解決における相場みたいなものかおり、それが大きな意味を持っています。相場かおること自体は、ケースごとにばらつきがないように平等に紛争を解決するためには良いように思われます。</p><br><p>ただ、そういう相場が正当かどうかはよく分からないもので、とりあえず裁判官が決めてきました。その結果、前回でもふれたように、総じて、生命・身体など目に見えないものに対する評価は低く見積もられ、原告の精神的苦痛、時間と労力、あるいはその裏にある証拠隠しなどは、無視されるといったことが問題です。</p><br><p>特に、生命などの目に見えないものの被害の救済にとても冷たいという点は、結局のところ「人間ないし社会の紛争を知性や理性のみで割り切ることなく、感情や愛情を持った人間全体の問題として総合的にとらえ」（先の自民党報告書の文言）ということとは矛盾しています。</p><br><p>被害の救済を厚くするためには、裁判による救済をもっと強力にした方がいいはずで、今までのように裁判の力を小さなものにとどめておくのでは、「人間全体の問題として総合的にとらえる」という筋が通らないと思います。</p><br><p>端的に言えば、「平和的な解決」とは、被害の救済の薄い解決ということでもあり、既得権益を維持しつつ加害者としての責任をとらない者にとって安泰な解決であるに過ぎないことがはっきりします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12137006622.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Mar 2016 16:34:42 +0900</pubDate>
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<title>ヒモつき援助が多い</title>
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<![CDATA[ 援助の実験の効果が上からないことは、他の国々でも問題になっていた。人権を重視する援助政策をとっているノルウェーは、独自の調査を行い「バングラデシュへの援助は独裁政権を支持することになり人権の見地から許されないので打ち切った」とＮＯＲＡＤフルウェー国際開発庁）の担当官はいった。人権については国民も非常に厳しい目を向けるので、かつてアミン大統領のときはウガンダから、ボートピープル流出のときはベトナムから援助を引き上げたという。それほど理念に忠実な援助行政をしているのは、ＮＧＯの援助監視活動にさらされていることもある。<br><br>スウェーデン政府も。バングラデシュへの援助を一年間中止して様子を見ることにした。両国ともマルコス政権下のフィリピンなどには援助せず、政権に抵抗している女性運動を支援していた。実際、ＯＤＡ監視活動は、西欧のＮＧＯの大きな柱になっている。イギリスのＯＸＦＡＭは第三世界でのプロジェクトと国内での開発教育を表裏一体としているが、開発教育の中でＯＤＡ問題は中心テーマの一つだ。まず八二年に『本当の援助』というブックレッ卜が七人の学者や活動家によって書かれ、イギリスのＯＤＡの実態を明るみに出した。サッチャー政権になって援助額が力ットされたが、それでも国民一人当り二十ポンドになる。それだけの税金が本来の目的である最貧層のために使われていない。<br><br>それはヒモつき援助が多くイギリス製品購入が優先されること、相手国政府の要請に応えるので貧困解決より工業化が重視されること、途上国、特にアフリカは人材不足で援助を貧困者の収入向上に生かせないこと、などによるとしている。このため結論として、最貧困層の生活を改善するという基本目的に合う援助にせよ、援助国を百三十力国から六十力国にしぼれ、など十五項目を要求している。このブックレットを、全国の開発教育センターの学習会やセミナーで市民が学べるよう、ＯＸＦＡＭが「イギリスの援助はどのぐらいよいか」という学習用キットにし、広く使われている。その最後に「あなたは何かできるか」と問い、議員に手紙を書いてＯＤＡの問題点を知らせ、議会で討議させる、地元の新聞に投書したり、自分でセミナーを開いたりする、地域の学校でＯＤＡの問題を生徒たちにわかるようにとりあげさせる、などの行動を提案している。
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12126359566.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Feb 2016 09:43:53 +0900</pubDate>
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<title>錯視のいろいろ</title>
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<![CDATA[ <p>人間の眼が写真機のように受動的に働かないために、かえって誤った判断を下すこともあることについて述べよう。それは錯視といわれる現象である。</p><br><p>錯視にもいろいろの種類があるが、ここでは、特に錯誤の性質の強いものについて見てみよう。そのうちには直線に関するものが多くある。つまり「直線が曲がって見えるもの」、「平行線が平行に見えなくなるもの」、「直線上にあるべきものがそうでなくなるもの」などである。</p><br><p>たいていの場合、直線は補助線との間の角度を直角にする方向へ曲がって見える。ではこの「直角化傾向」ともいうべきものはどこからきているのだろうか。私たちが日常接する事物は直角に交わる二線を合んだものがたくさんあり、窓、マッチ箱、道路等々、いくらでもあげることができる。</p><br><p>しかし、三次元の世界に住む私たちにとって、これらのものが真に直交する角を真正面から私たちに見せることは稀なことである。むしろ私たちはこうしたものを、ななめから見なれている。すると眼に与えられるものは、直角ではなくて、種々の大きさの鋭角であり、鈍角ということになるだろう。</p><br><p>私たちはたいていの場合、これらの鋭角、鈍角から直角を類推するわけであり、こうしたことが何回も続けられると、しまいには直接眼に与えられたすべての鋭角、鈍角を自動的に直角化するようになる。しかしそれは普通の場合には、つまり、近くに影響を及ぼされる線がない限りは、はっきり意識されないのである。</p><br><p>そういう線があった時、つまりそれが鈷祝図になるわけだが、その時に、はじめてそれがはっきり意識化されるわけである。このほか錯板図には大きさに関するものもたくさんあるが、すでにのべたように、物の大きさは網膜にうつったその物の像の大きさにはほとんど無関係である。</p><br><p>むしろ、そのまわりのものの大きさとか、そのものが一部分を成している物体全体の大きさ等が大いに関係する訳であり、大きさの錯板もそのようにして生じてくる。</p><br><p>たとえば、周囲にある図形の大きさいかんによって同じ大きさのものが大きく見えたり小さく見えたりするし（エビングハウス）、またそばにある図形の、たまたま近接した部分が短いというだけで、その図形はより大きく見える（ジャズドロー）。また同じ長さの線でも、それが一部を成している図形の大きさいかんによって、長くも見えるし、短くも見える。</p><br><p>このように錯板は、私たちの視覚が日常生活の間に知らないうちに行なっている調節作用、適応作用をいわば明るみに出してくれる一つの手だてとなるのであって、決して単純な錯誤とのみいいきれるものではないのである。むしろ、もっと多くの鈷板現象を研究することによって、私たちは人間の眼の本当の働き方をもっともっと深く知ることができるようになるのではないだろうか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12116184798.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Jan 2016 11:32:35 +0900</pubDate>
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<title>アメリカ独自の経営管理の強みとは</title>
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<![CDATA[ <p>コンピュータのこのようなダウンサイジングは、経営組織を大きく変えた。トップが抱える情報を第一線の社員が持つのであるから、販売や生産の重要案件を決めるマニュアルが出来ていれば、平の社員が大きな取り引きも契約も出来ることになる。そうなると中間管理職の重みはどんどん減ってしまう。企業の人件費が大幅に低下するだけでなく、市場や業界や経済界の変動に応じての企業の行動が、敏速さを増す。つまりリストラがどっと進行しはじめたのである。それが、アメリカの大企業の経営力を高めた。</p><br><p>このような経営力の向上は、アメリカ独自の経営管理の強みをさらに発展させたもので、日本的経営としては、馴染みにくい。日本的経営の良さをアメリカなりに吸収した上に、本来得意とする所を更に伸ばしたのであるから、とりわけコンピュータ関係では、日本の企業の経営力は、アメリカの企業に大きく引き離されることになった。</p><br><p>追い討ちをかけるように、ダウンサイジングのさなかに、1993年5月、インテルは同社の従来のマイクロプロセッサの2倍近い性能を持つペンティアムを発売した。1989年の同社の製品と比べるならば、1秒間に命令を発する回数は2,000万から1億に、内蔵されるトランジスタの数は10万から310万に上昇した。その性能を利用した新しいコンピュータ群を結合し作動させる基本ソフト・オペレーティング・システムが、マイクロソフトのウインドウズとして、ほぼ同時期に発売された。MPUにおけるインテルとOSでのマイクロソフトの圧倒的優位は、この時期に動かぬものとなった。パソコンを情報源や端末としての、コンピュータのネットワークが世界を覆う動きが決定的に加速された。</p><br><p>それと同時に、長くメインフレームの王者であったIBMは、ダウンサイジングの潮流に乗り遅れて、1994年に創業以来の赤字を計上せざるを得なくなった。IBMは世界に展開していた全企業のリストラを断行して、経営戦略を根本的に見直し、短期間で経営を立て直した。赤字決算が発表された当時は、ダウンサイジングの強烈なインパクトに、私なども驚いたものだが、IBMのいちはやい復活ぶりには、さすがIBMと感嘆した。</p><br><p><a href="http://www.aqua-kaitori.com/">アクア買取 車買取査定</a> </p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12104044760.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Dec 2015 14:43:28 +0900</pubDate>
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<title>小さな施設や組織を活用する</title>
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<![CDATA[ <p>こういったことを支える町役場の福祉は充実している。町役場は一〇課一室に分かれ、二〇〇人以上の職員がいるが、福祉課には全職員の半分以上の百十数人が配置されている。それでいて、企業誘致にも熱心で、すでに十指に余る企業を五色町に誘致している。福祉だけをやっているのではない。</p><p>役場内では「ほろ酔い討論会」というのがときどき開かれる。各課から二〇人ぐらいの職員が出席して、ビールを飲みながら、いいたいことをいう会議である。</p><br><p>また町内の一八歳から四五歳を対象に一般から三〇人を公募して「女性フォ土フム（俗称井戸端会議）」も開いて、たえず、住民の意向を反映するように努力している。五色町で感心することは、ひとつとして大型施設はないが、診療所や福祉課を中心に、小さな施設や組織をうまく組み合わせて、保健・医療・福祉のシステムづくりに成功し、それがうまく動いていることである。「要は自治体の長にやる気があるかないかで決まるのでぱないかと思う。</p><br><p>たったひとつ五色町が恵まれていたのは、地区医師会の全面的なバックアップがあったことです」。斎藤氏は、こういって話を結んだ。厚生省の諮問を受けた「地域保健基本問題調査会」（上村一座長）は一九九三年七月、報告書をまとめたが、そのなかで、今後の地域住民の健康を守るために、一定の地域のなかで、保健・医療・福祉の三つが、総合化され、住民がいつでもそのシステムを利用できるような仕組みをつくることを提案している。</p><br><p>厚生省のゴールドプランが一九九〇年にスタートしてからというもの、各地でいろいろな保健・医療・福祉のシステムがつくられたが、住民一人一人にとっては、それがどこにあって、どのように利用したらよいのかがよくわからないというのが現状である。どの市町村にも、総合ガイドーセンターのようなものを設置して、コーディネーターを常設しないと、住民の要望に応えることはむずかしい。</p>
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<pubDate>Mon, 09 Nov 2015 15:50:32 +0900</pubDate>
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<title>ウォール街文化の社会的基盤</title>
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<![CDATA[ <p>金融スキャンダルといえば、我が国のバブルとその崩壊後の、腐臭にみちた官僚や金融のエリートたちの行動が思い浮かぶ。不祥事の主役たちの立場や事件の性格を、日米間で比較することは、文化的な意味でもそれなりに興味深いが、ここで注目したいのは、九〇年代末のウォール街において、このスキャンダルにまみれた八〇年代を、金融革新が企業家精神と結合し、今の米国の繁栄をもたらした偉大な十年だという再評価が行われるようになってきたことである。</p><br><p>九三年にロスアンゼルス刑務所を仮出所し、三年間の社会奉仕を済ましたミルケンは、国や大企業が独占していた資本市場での調達を無名の会社にも可能ならしめた英雄として、メディア王マードック、ＣＮＮのターナー、オラクルのエリソン、ウォルドーディズニーのアイスナーなど、著名な企業家たちに支えられながら静かに復活しつつあるという。</p><br><p>才能に恵まれた若者を集め、巨額な成功報酬システムと攻撃的な経営戦略で、投資銀行に代表されるウォール街は世界の金融市場で覇権を確立しようとしている。そこには、利益を生み出すために、莫大な報酬という誘因で、個人のもっ創造力や革新性を極端にまで引き出すメカニズムが働いていることは、否定できない事実である。</p><br><p>米国のビジネススクールで経営学修士（ＭＢＡ）を取得した若者たちの人気就職先ランキング一位はゴールドマンーサックスで、六位モルガンースタンレー、九位ＪＰモルガン、十位メリルリンチと十位中四社までがウォール街の名門投資銀行である（日本経済新聞九九年二月八日）。ちなみに残りはコンサルタントやコンピューター・ソフトなど情報関連企業である。</p><br><p>今やモノよりもカネと情報が力を発揮する時代である。情報化社会では、創造と破壊が絶え間なく繰り返される。卓越した才能や創造力、そして起業家精神の持ち主が生み出した収穫逓増の商品や技術が一気に市場を席巻してしまう。そして金融産業もまた、情報通信技術を駆使した産業である以上、米国型システムを化体した金融機関が優位性を発揮するのは当然ともいえる。ウォール街文化は米国型システムの極端な発現形態であるともいえるだろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12081921912.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Oct 2015 15:32:39 +0900</pubDate>
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<title>経済再生への基本戦略</title>
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<![CDATA[ <p>先で述べた循環的変化と構造変化の区別は、経済政策を考えるにあたっても、重要だ。減税や公共事業の増加、あるいは金融緩和などのマクロ経済政策（総需要政策）が有効なのは、変化が循環的な場合に限られる。こうした政策は、有効需要が一時的に平均的な水準から落ち込んだときに、復帰を容易にするためのものだからである。現状において総需要政策が必要であると主張している人は、日本経済の問題が循環的な要因によってもたらされたと考えていることになる。</p><br><p>ところが、変化が構造的なものであれば、需要追加策をいくら行なっても無益である。経済の構造そのものを改革することが必要なのである。経済構造が変わらなければ、所得税減税のような需要追加策も、効果をもたらさない。消費の落ち込みは、長期的な雇用不安や年金不安によるものだからである。このため、一時的に可処分所得を増やしても、貯蓄を増やすことにしかならないのである。問題は、可処分所得の長期的な期待を変化させることであり、そのためには、経済の長期的な成長見通しを確固たるものにする必要がある。</p><br><p>では、現在の経済政策は、適切な手段が尽きたという意味での手詰まりに陥っているのだろうか？「地域振興券」というような末期症状的政策が現実に採用されたのをみると、そう考えたくもなる。しかし危機的な状況は、構造を変えるチャンスでもある。平時には不可能なことでも、多くの人が危機意識をもつようになれば、実現できることがある。たとえば、大規模な都市改造プロジェクトなどが考えられる。地価が下落していることも、こうした巨大プロジェクトの推進には追い風になる。危機を逆手にとって都市住民の生活環境を飛躍的に向上させることが可能なのであり、それが同時に経済の活性化をもたらすことにもなるのである。</p><br><p>経済政策は手詰まりに陥っているのではない。問題は、地域振興券程度のアイディアしか生み出しえない「発想の貧困」なのである。金融問題にも、短期的・危機管理的な側面と、長期的・構造改革的な側面がある。前者は、現存する金融機関が抱える不良債権を処理し、金融機関の破綻にともなう混乱を極小化するという問題だ。具体的には、預金者保護、決済システムの維持、健全な借り手への資金供給などが課題となる。これに対して後者は、将来の日本をになう産業を育成するための金融システムの構築である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12070859860.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Sep 2015 17:19:51 +0900</pubDate>
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<title>地域間交流を積極的にすすめる</title>
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<![CDATA[ <p>「私たちの仕事のやり方では利益が低い。日本の農家が狭い農地をどう有効に使っているのか興味がある」「我々も農産物の加工をやろうとしている。ぜひ、大分の経験を学びたい」と意欲的だった。モスクワの科学アカデミー極東研究所で行なった一村一品運動の講演でも質問が相次ぎ、予定の時間をはるかにオーバーした。ちなみに私の講演要旨は同研究所から出版され、ソ連全土に配られるという。</p><br><p>ゴルバチョフ大統領の経済ブレーンといわれるアバルキン・ソ連邦副首相との会見では、「（大分県が求めるツ連内の特定地域の）交流が実現するよう共和国に指示をしたい」と同副首相は語り、ロシア共和国閣僚会議のクリク農工委員会議長からは、「クラスノダル州の首都ソチとの間で農家や農業・民芸品の専門家を相互に派遣してはどうか」との提案があった。大分県のことをよく勉強しており、地域間交流に積極的であることが強く感じられた。</p><br><p>「イズペスチア」「プラウダ」に次ぐソ連の有力紙「ソビーツカヤーロシア」（ソ連共産党・ロシア共和国最高会議機関紙）は、「平松知事の指導の下、大分県は中央からの後ろ盾や国家の補助なしに九年余りの間に農工業の後進地域から先進地域へと変化した」との内容で「日本の県知事の訪問」を伝えていた（六月五日付）。「ソ連の新聞は政治論文などがいっぱいで、普通はこの種の記事は載らない」と日本大使館員が驚いたほどで、それだけソ連では地域開発に躍起になっていることの証明であろう。</p><br><p>また、ディクソル全ソ脊髄・小児マヒーリハビリセンターを訪ねた際、大分県で行なわれている国際車いすマラソン大会に、初めてソ連からの選手が参加することも決まった。平成元年に大分県を訪れ、バレエの指導をしていただいたバルーキソ国立劇場芸術大学教授とも再会し、同大学の学生による大分公演など、幅広い芸術交流を申し込まれ、福祉・芸術面でも日ソ間のきずな、が深まった。</p><br><p>大分県訪ソ団の成果は、六月七日、大分県とロシア共和国との間で調印した「友好と協力に関する共同声明」に結実した。これまで日本の各県との交流のケースはあるが、調印の段階までいったのは初めてとのことで、ソ連側も大分県との交流の積極的な意義を認めていることをヒシヒシと感じた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12060165684.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Aug 2015 10:32:18 +0900</pubDate>
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<title>医療費の無駄</title>
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<![CDATA[ <p>私たちは、年金を考える場合、とかく金額だけで考える。とくに外国との比較のさい、各国の年金額だけで比較する。そういう比較をすると、日本の年金額はかなり高い。しかし、日本の社会は老人が安い年金で暮らせるようにはできていない。老人にたいする社会資本の投下も少ないし、物価、とくに基本的な食料品などが高い。日本の年金は平均二〇万円以上だが、デンマークでは夫婦ひと組当たり月一〇万円だ。しかし、デンマークの一〇万円のほうが、日本の二〇万円より生活をしやすいという人が、北欧に住んだ経験を持つ人のなかには多い。これは非常に重要な点ではないだろうか。</p><br><p>日本には高齢者に向けた公共投資が少ないうえ、他に利用できる福祉の施策にも限界がある。また、日本の都市は老人には住みにくい都市になっている。それは段差が多いといった問題だけではない。日本の高齢化対策は、年金を出して医療を提供するというだけで終わっており、少なくとも老人が生活しやすい都市づくり、町づくりといった発想は少ない。日本の行政は総合的に考えるということが少ない。たとえば、少子化の社会というと、女性にこどもを産んでもらうという発想しかない。そこで児童手当をふやせばいいのでぱないかという考え方がでてくる。</p><br><p>しかし、先進国で問題となっている少子というのは、児童手当を上げれば、こどもを産む女性がふえるといった単純なことではない。女性のほうからみると、こどもを産んで育てるというのは、とても厄介なことであり、自分の仕事にも差し支えるし、決して楽しいだけのものではないという考え方が主流になりつつある。だから、女性がこどもを産んでもいいと思うような社会環境をつくる以外にうまい方法はない。そういう環境はそうかんたんにできるものでもない。</p><br><p>東京には東大系の病院と慶応系の病院がある。つまり、医学部の学閥が強くて、それぞれの病院が、東大系か慶応系の医師によって固められている場合が多い。もともとは存在しているものという意味で、学閥を意味するようになった。これは何も東大と慶応だけの問題ではなく、全国いたるところにこの学閥は存在している。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kuxw/entry-12048105527.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jul 2015 18:11:44 +0900</pubDate>
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