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<title>教育に関しての非常に勝手な考察</title>
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<description>僭越ながら「教育」や「勉強」というものについて、日々浮かんでは消えていく考えがあり、自分が忘れない為に、あわよくばどなたかのお役に立てばと思い、発表していこうと思います。</description>
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<title>無期中断のご挨拶</title>
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<![CDATA[ 今まで１年半ほど、週に一回のペースで投稿し続けてきましたが、会社の閉業に伴い、今回で無期中断とさせて頂きます。<br>読んでくださる方がいらっしゃるということを励みに、ここまで継続することができました。大変感謝しております。<br><br>わかりやすく説明しようと考えることで、自分の考えが整理できたり、<br>書くために無理にネタを探し、それに思わず深く考察を加えることができたり、筆者自身の考えを深めることができました。<br>どんなに素晴らしい考えも、何らかの形で外に出ることで初めて効果がある、という意味でも、非常に有意義であったと思います。<br><br>過去の記事も暫くの間は読める状態にありますので、引き続きご意見など頂ければ幸いでございます。<br><br>　犬伏伸之　inubushi@k2.dion.ne.jp
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10226739705.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Mar 2009 04:19:27 +0900</pubDate>
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<title>先生の存在は飴か、鞭か</title>
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<![CDATA[ 教師、あるいは上司や先輩、もちろん両親や保護者にもいろいろいるが、生徒や部下、後輩、子どもにどう思われるのがよいのか。<br><br>怖がられる、尊敬される、仲良くなる、嫌われる、無関心、いろいろな思われ方がある。これに関して、老子17章に下のような文があり、共感している。<br>　「太上は下これあるを知る。その次は親しみてこれを誉む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る。」<br>これによると、いい順に<br>　１　ただ存在を認識されている<br>　２　敬愛されている<br>　３　畏怖されている<br>　４　侮蔑されている<br>と、なっている。<br><br>つまり生徒等が、上がいなくても自分たちで何かをやっていけるようにする教師が一番すばらしく、それが教師の役割そのものであると思う。<br>逆に言えば、敬愛されたり、畏怖されたりしなければ、生徒に何かをさせることができない教師は、教師の役割を果たしきれていない。生徒は自分で何かをできるようになった訳ではないので、教師が離れることができなくなるということである。<br><br>飴である教師よりも、鞭である教師よりも、<br>内側に飴も鞭も持った生徒を育てられる教師こそが最高の教師である。
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10222455974.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Mar 2009 20:33:48 +0900</pubDate>
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<title>頭のよくなるゲーム　「風桶ゲーム」</title>
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<![CDATA[ 論理的で、しかも自由な発想を鍛えるために、よくやっているゲームがあるので、紹介させて頂きます。よければ周りの方とお試しください。私は「風桶ゲーム」と呼んでいます。<br><br><br>「風が吹けば、桶屋が儲かる」という言葉がある。これは、<br>　　風が吹く　→　砂が舞う　→　目を悪くする人が増える<br>　→三味線職人が増える（昔は目の悪い人の職業だったらしい）<br>　→三味線の材料となる猫が乱獲される　→　ネズミが増える<br>　→ネズミが桶をかじる　→　桶屋が儲かる<br>と、一見繋がりのないことも、論理的な関係から実は繋がっているという例えである。<br><br><br>この最初「風が吹く」の部分と最後「桶屋が儲かる」の部分を適当に入れて、間を埋めるというゲームである。<br>先に関係をつけておいて、最初と最後を決めるのではなく、<br>最初と最後を決めてから、間を埋めるのである。<br>筋が通っていて、しかも突飛であればあるほど、おもしろい。<br><br>例えば、最初「年金が減る」（今日の朝刊の一面）と最後「カレーがうまくなる」（昨日の夕飯）とランダムに設定し、間を考える。<br><br>答えＡ　あまりおもしろくない例<br>　　年金が減る　→　将来が不安になる　→　節約志向が高まる<br>　→コストパフォーマンスの高いカレーがうまくなる<br><br>答えＢ　少し真面目な例<br>　　年金が減る　→　よりよい運用先（投資先）に投資が向かう<br>　→新興国であるインドへの投資が増える　→　インドが潤う<br>　→スパイス農家も潤う　→　スパイスの品種改良が進む<br>　→カレーがうまくなる<br><br>答えＣ　かなり突飛な例<br>　　年金が減る　→　将来の稼ぎ手を増やすため少子化対策が進む<br>　→男女の出会いの場が増やされる　→　その一つとしてキャンプが増える<br>　→アウトドアでカレーを食べる　→　カレーがうまくなる<br><br>・・・と答えを考え、あーでもない、こーでもないと話し合うと楽しく会話が弾む。<br><br><br>　　風桶ゲームが流行る　→　論理的で自由な発想を持った人が増える<br>　→新たな発見や発明、仕事の効率化が進む　→　豊かになる<br>となれば、幸いである。
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10218179852.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Mar 2009 10:21:18 +0900</pubDate>
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<title>頭がいい　と　ノートがきれい　の関係</title>
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<![CDATA[ 最近、きれいなノートを取ることと頭のよさの関連が話題になっているが、それについて考察をしてみる。<br><br><br>まず、ノートを何のために取るのか考えると、ノートを取るということ自体が目的ではない。<br>　①理解しやすくするための整理<br>　②忘れない、あるいは思い出すための備忘録<br>　③字をきれいに書いたり、計算を速く正確にするための練習<br>　④自分以外の人に何かを説明するための資料<br>等のためにノートを取っている。したがって、他のよりよい手段で目的が達成できるならノートを取る必要はなく、ましてきれいにする必要はない。<br><br><br>　①理解しやすくするための整理<br>自分で書くことで、頭の中が整理され、理解できるということはある。しかし、必ずしもきれいに書く必要はない。<br>また、見やすく整理されているという意味では、教科書や参考書、ホームページ等の方がきれいだし、自分で整理するにしてもパソコン打ちの方がきれいになる。<br>したがって、理解を助ける整理のために、きれいにノートを書く必要はない。<br><br>　②忘れない、あるいは思い出すための備忘録<br>自分で書くことで、記憶できるということはある。しかし、必ずしもきれいに書く必要はない。むしろ、書かずに覚えられる部分は書かないし、一度で覚えられない部分は二度以上書くことになるはずで、整理されずに汚くなるはずである。<br><br>　③字をきれいに書いたり、計算を速く正確にするための練習<br>これも、必要な部分だけを書くため、整理されずに汚くなるはずである。<br><br>　④自分以外の人に何かを説明するための資料<br>これは、相手にわかりやすくするため、きれいに書く必要がある。しかし、相手に何かを説明することが、自分が何かを理解したり記憶したりに直接役立つ訳ではない。（役立つこともあるが。）<br><br><br>つまり、頭がよくなる（勉強をする）ために必ずしもノートをきれいにとる必要はないと思う。逆に不必要なことに時間を割いている可能性もある。<br><br><br>しかし一方で、ノートをきれいに書けるということは、それだけ頭の中で知識が整理され、わかりやすく理解できているということである。（誰かの書いたものをきれいに丸写しできるという場合は、この限りでない。）<br><br><br>したがって、頭がいい　なら　ノートがきれい　かどうかはわからないが、<br>ノートがきれい　なら　頭がいい　ということは言えるかもしれない。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10214288776.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Feb 2009 09:45:55 +0900</pubDate>
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<title>大麻問題に思う</title>
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<![CDATA[ 最近、大麻の吸引、特に大学生によるものが多く、社会問題となっている。これに絡めて、禁止すべきことへのアプローチを考察してみる。<br><br>大学の教育責任という形で、大学の謝罪が報道されているが、当事者が大学生ともなると、もはや大学の責任とは思えない。「大麻を吸ってはいけません。」という教育で、吸う予定だった学生の何人が吸わなくなるのか効果は非常に疑わしい。<br><br><br>では、どうすればいいのか。<br><br>まず、なぜ禁止されているかをきっちり説明すべきである。<br>大麻の場合、合法の国があったり、タバコ等と比べても有害ではないと言われていたり、なぜ禁止されているのかがきっちり説明されていないように思う。<br>もし説明できないなら禁止そのものを考え直すべきである。<br><br>とは言ってもルールはルールである。また、禁止すべきことに必ずしも万人を納得させられるだけの説明を与えられるとは限らない。<br>一つのアプローチとして厳罰が考えられる。大麻の場合、よほどの場合でない限り、基本的に過失はない。ほとんどが故意であるため、厳罰が適していると考えられる。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/95/f9/10142881173.gif"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/95/f9/10142881173_s.gif" alt="教育に関しての非常に勝手な考察-飲酒運転統計"></a><br>図に飲酒運転厳罰と死亡事故件数の関係を示す（警察庁の統計より）。厳罰化により死亡事故が減っているのがわかる。<br>但し、禁止すべき内容により、情状の余地や他の法律との秩序も考慮が必要である。（例えば、ひき逃げに対して飲酒運転の罰が厳し過ぎると、ひき逃げが増えると考えられ、より問題である。）<br><br>同様のアプローチとして報奨がある。大麻を吸わないことにより、何かが得られるというのも吸わないことのモチベーションとなる。<br><br>現状、非常に満足度の高い生活を送っていれば、大麻によりその生活を壊したくない。あるいは、大麻を吸わなければ、明るい未来が待っていると考えれば、大麻を吸う可能性は低くなるはずである。<br>そういった自浄作用が働くよう、通常の生活の質を高めることも重要なアプローチである。逆に言えば、大麻の蔓延は、通常の生活の質が落ちているからと言えるかもしれない。<br><br><br>一般的に禁止したい（させたい）ことに対して、どのようにアプローチすべきか、示唆に富んでいる。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10210833115.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Feb 2009 23:02:34 +0900</pubDate>
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<title>授業中の質問</title>
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<![CDATA[ よく、授業中に「アメリカの学生は、もっと積極的に質問をする。君たちももっと積極的に参加しなさい」というようなことを言う先生がいる。しかし、私はこれが必ずしも生徒に問題があるとは考えない。<br><br>質問をしないということは、<br>　①疑問を持つかどうか、<br>　②その疑問を直接聞くかどうか、<br>という２つの問題に分けられる。<br><br><br>　①疑問を持つかどうか<br>もし疑問を持たれていないのであれば、<br>　Ａ疑問が浮かばない完全な説明を行っているのか、<br>　Ｂそもそも興味すら持たれていないつまらない授業か、<br>どちらかである。<br>Ａであれば、先生にも生徒にも問題はない（疑問を持たせる意図で授業しているなら先生の問題である）し、Ｂであれば先生に問題があるのである。<br><br>　②疑問を直接聞くかどうか<br>思った疑問を直接他人に聞くことが必ずしも最善であるとは思わない。他人に聞くのか、自分で調べるか、自分で解決するまで考え続けるのか、場合に依る。<br><br><br>だからといって、積極的に質問することが問題であるとも考えていない。疑問を解決しようという姿勢は重要であるし、その場で解決を求めて納得できるのであれば、それに越したことはない。<br>ただ、他人の意見を聞くことも重要であるが、それを自分で考えずに暗記だけするということは問題であると思う。<br><br><br>参考<br>得た情報の分類　　http://ameblo.jp/kyoiku/entry-10149071926.html<br>得た情報の裏取り　http://ameblo.jp/kyoiku/entry-10151963225.html
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10207358709.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Feb 2009 22:01:05 +0900</pubDate>
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<title>勉強における技能の鍛え方</title>
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<![CDATA[ 前回、勉強において理解と記憶（知識）以外に技能という要因があることを書いたが、今回は技能の鍛え方を考察する。<br><br><br>技能は、理解や記憶と比較して、運動のように身体的な能力に負う部分が大きい。<br>そのため技能を鍛えるには、「繰り返し」がより重要であると考えられる。<br>百マス計算というのは、技能を鍛える最たるものである。<br><br>「繰り返し」が重要ではあるが、コツやテクニックのようなものはある。算盤を使う人は暗算も速いし、文を速く読むには速読術というものなどもある。この点も運動と同じである。<br><br>理解を深めたり、工夫をすることで技能を補うこともできる。知識を増やすことで補うこともできる。インド式算数を知っていれば（使えれば）、元来技能である計算を速くすることができる。<br><br><br>理解や記憶と違う特徴を理解し、技能をうまく鍛えることが、全体の能力をより効率的に向上させることに繋がる。
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10202777066.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Feb 2009 09:48:07 +0900</pubDate>
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<title>勉強における技能とは</title>
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<![CDATA[ 本稿では、いわゆる（学校の）勉強の構成要素として、理解と記憶を挙げてきた。<br>http://ameblo.jp/kyoiku/entry-10047986382.html<br>http://ameblo.jp/kyoiku/entry-10062340551.html<br><br>しかし、実際には理解でも記憶でもない要因があり、それは「技能」であると考えている。<br><br><br>例えば、九九は知識であり、それを文章題や日常生活で使うには理解・応用が必要であるが、それを素早く正確に計算できるかは技能である。また、暗算や珠算などは技能そのものである。<br>計算の速さや正確さについては、ある程度までは理解や知識を深めると向上するが、いずれ限界に至る。技能を鍛えることで、その限界を超えることができる。<br><br>英語では、単語や文法は知識。それを組み合わせて文章を作るのは応用力。それを正確に素早く組み立てたり、聞いたり口に出したりするのは技能である。<br>受験勉強の英語ができても、実際の会話に使えないことが多いのは、受験勉強が理解と記憶に重点を置かれているのに対し、実際の会話では技能が必要だからである。<br><br>どれだけ多くを知っているかという意味の記憶力（知識量）ではなく、どれだけ素早く正確に覚えられるかという記憶力も、ある種の技能である。<br><br><br>理解と記憶だけでなく、技能という要素があること、<br>そして理解を深めるには理解を深めるための勉強、知識を増やすには知識を増やすための勉強があるように、<br>技能を鍛えるには技能を鍛えるための勉強があることを留意するべきである。
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10199463498.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Jan 2009 22:52:22 +0900</pubDate>
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<title>目標を立てる③</title>
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<![CDATA[ 前々回・前回と、目標を立て・振り返ることが重要であり、そのために期限を切った成果を測れるＳＭＡＲＴ（simple measurable achievable result-based time-oriented）な目標であることが望ましいと書いた。<br><br>この時、本末転倒とならないよう注意を要する。あくまで、本来の目標をわかりやすい形で表したものが、ＳＭＡＲＴな目標であり、本来の目標を見失ってはならない。<br><br>本来：頭をよくする→ＳＭＡＲＴ：学年末テストで８０点以上とる<br>という目標に対して、テストで８０点に捉われてカンニングをしては意味がないし、<br>本来：将来を豊かにする→ＳＭＡＲＴ：毎月１０万円貯金する<br>という目標に対して、毎日の食事（栄養）を削って体調を崩してまでお金を貯めるのは問題がある。<br><br>確かに、何が何でも結果にこだわるという姿勢は重要であるが、ルールを守ることと、結果未達であっても次に活かして行動するということの方が重要である。
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10195966544.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Jan 2009 21:56:28 +0900</pubDate>
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<title>目標を立てる②</title>
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<![CDATA[ 前回、目標を立て・振り返ることが重要であると書いた。<br>振り返りやすい目標を立てるためのフレームワーク（型）にＳＭＡＲＴというものがある。<br><br>Ｓ simple　わかりやすい<br>Ｍ measurable　数字で表せる<br>Ａ achievable　頑張れば達成できる<br>Ｒ result-based　成果が見える<br>Ｔ time-oriented　期限を切る<br><br>要は逃げ道を無くすということである。「貯金をする」という目標であれば色々言い訳できるが、「今年いっぱいで貯金の額を１００万円にする」という目標であれば、なかなか言い訳できない。<br><br>ＳＭＡＲＴな目標を立てておくと、達成できてたとしてもできなかったとしても、その要因がわかりやすい。だから次の行動に結びつくのである。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/kyoiku/entry-10193068245.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2009 22:34:16 +0900</pubDate>
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