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<title>kyonta369のブログ</title>
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<title>わたしの世界観２　幼少期</title>
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<![CDATA[ <h2>育った環境について</h2><p>今日は、私が育った家庭環境について少しご紹介したいと思います。</p><h3>家族のこと</h3><p>父は運送業の仕事をしていて、寡黙だけれど家族思いの人でした。</p><p>&nbsp;母はパートで清掃の仕事をしており、感情的な一面もありましたが、根はまじめでおとなしい性格です。</p><p>&nbsp;兄は母に似ていて、のちに公務員になりました。</p><p>派手さのない、地味で静かな家庭。 父も母もまじめで、穏やかな空気の中で私は育ちました。</p><h3>長屋の社宅での暮らし</h3><p>当時はまだご近所付き合いが盛んで、町内会や子供会の活動も活発でした。 知らない人でもすれ違えば挨拶をする――そんなことが当たり前の時代です。</p><p>長屋の社宅には、生活の音や人の気配がいつもどこかにあって、子どもながらに安心できる環境でした。</p><h3>幼少期の思い出</h3><p>父が仕事から帰ってくると、晩酌をしながら私のままごとの相手をしてくれました。 父のあぐらの中にちょこんと座り、一緒にご飯を食べた記憶もあります。 言葉は少ないけれど、行動で愛情を示す父でした。</p><p>家には二段ベッドがあったはずなのに、なぜか私は母の隣に布団を敷いて寝ていました。 理由は思い出せないけれど、母のそばにいたかったのか、母がそうしてくれたのか――今となってはわかりません。</p><p>母はよく、 「お兄ちゃんはわんぱくで手を焼いたけど、あんたはおとなしくて育てやすかった。女の子ってこんなに違うんだね」 と繰り返し話していました。</p><p>その言葉を聞くたびに、私は“手のかからない子”として家族の中で静かに過ごしていたのだと思います。</p><h3>最後に</h3><p>最近、自分の過去を振り返る作業を続けています。 ブログに書くような華やかなエピソードはあまり思い出せず、自己肯定感の低かった子ども時代の記憶ばかりが浮かんできます。</p><p>話が飛び飛びになってしまうかもしれませんが、少しずつ書き進めていこうと思います。 読みにくいところがあったらごめんなさい。</p><p>&nbsp;</p><p>次回は、幼少期の続きについて書きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kyonta369/entry-12976978625.html</link>
<pubDate>Fri, 28 Aug 2026 08:00:00 +0900</pubDate>
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<title>【わたしの世界観１】出生　父の死</title>
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<![CDATA[ <p>初めまして。</p><p>シングルで２２歳の娘が一人おります。</p><p>アラフィフです。</p><p>&nbsp;</p><p>現在は介護の仕事をしています。</p><p>&nbsp;</p><p>メニエールを患い、重症化し、なんとかもがいて娘と二人で乗り越えてきた私の半世紀。</p><p>勉強も家事も生活力もないそんなグダグダな私が、全力で乗り越えてきた。</p><p>でも、これからは、自分が何に喜び、何に幸せを感じるのか。</p><p>自分探しをし、自分を大切に生きると決めた。</p><p>（結局、また、頼まれて誰かのために頑張っていますが。。）</p><p>&nbsp;</p><p>そんな今までをつづっていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>✧ <strong>苫小牧で始まった私の人生</strong></p><p>&nbsp;</p><p>北海道、苫小牧市生まれ。約17万都市。福祉のまちづくりに力を入れている街でもあります。</p><p>王子製紙工場があり、外部市町村から移り住む方が多かったと聞いています。</p><p>&nbsp;</p><p>✧ <strong>生まれる前に訪れた突然の別れ</strong></p><p>&nbsp;</p><p>昭和５０年初期</p><p>出生時の住まいは苫小牧市日の出町か、有明町。</p><p>血縁の母が食事の支度をしている最中、当時１歳台だった血縁の兄の子守を血縁の父がしていた。</p><p>兄が泣き出し、あやしもしない父に母が振り返った時には、倒れていて意識がない状態。</p><p>私がまだ母のお腹にいて、臨月だった母は、慌てて、ご近所の電話のある家へ救急車を呼びに走る。</p><p>兄を抱えて走ったのか、詳細は分からず。。</p><p>搬送されたのち、帰らぬ人に。</p><p>&nbsp;</p><p>母は臨月であったため、近いうちに祖母が手伝いに来てくれる予定だったそう。</p><p>&nbsp;</p><p>出産予定日からだいぶ遅れて私を出産。</p><p>&nbsp;</p><p>✧ <strong>「育てられない」──家族の判断と養子へ</strong></p><p>&nbsp;</p><p>母は９人兄弟の末っ子。</p><p><b style="font-weight:bold;">「〇子（母）には育てられない。」</b>と</p><p>家族から判断され、私は養子に出される。長男も一緒に。。という希望はあったものの、</p><p>&nbsp;</p><p>のちの育ての両親にも先に生まれた男の子（のちの兄）がおり、</p><p>その子と喧嘩すると困るからと私だけ引き取られることに。</p><p>その後、母は兄を連れて実家へ。</p><p>&nbsp;</p><p>✧ <strong>兄の幼少期──過酷な日々</strong></p><p>&nbsp;</p><p>母の実家は、苫小牧市から３００㎞以上離れたところにある市町村。</p><p>祖父はすでに他界されていたよう。祖母と一緒に暮らし始めた矢先、祖母も交通事故で急死。</p><p>&nbsp;</p><p>祖母の葬儀を終え、お仏壇に座る母が、りんを「チーン。チーン。。。チンチンチン！！！」</p><p>まだ２歳を迎えたばかりぐらいの兄の記憶。。よほど印象的であったんだと思う。</p><p>そこから、母はおかしくなり、入院退院の繰り返しが始まる。</p><p>&nbsp;</p><p>その間、兄は親戚中を泊まり歩く日々へ。</p><p>&nbsp;</p><p>兄は</p><p><b>「不幸自慢ならだれにも負けない！！」</b></p><p>そう断言するくらいに暮らしは相当苦しかった。</p><p>&nbsp;</p><p>これが分かったのは、私が４８歳の時。とにかく苫小牧に住んでいた住所は古いし、家がないし、実家は３００㎞離れていて簡単に探しに行けるところではなかった。</p><p>SNSが普及し、戸籍から親を探すことができることを知り、市役所で相談して郵送で取り寄せ。（改製原戸籍だったか。。）結局、母はすでに亡くなっていて。会うことはできなかったけれども、娘が進学し家を出たのを機に、最後に住んでいた自宅近所から親戚の家を探しに行き、聞きまわって、あっという間に兄に再会できた！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回は、育ての家族の話。。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kyonta369/entry-12976901616.html</link>
<pubDate>Thu, 27 Aug 2026 08:00:00 +0900</pubDate>
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