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<title>通覚寺副住職 釈和光日記</title>
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<description>真宗大谷派 至心山 通覚寺の副住職の日記です。</description>
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<title>彼岸</title>
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<![CDATA[ <p>昨日は春彼岸会法要が勤まった。今年の法要も昨年に引き続き先輩僧侶に来ていただき、お話をいただいた。</p><br><p>親鸞聖人の「信じる」は、「いただく」と同義語です。</p><p>私たちが信じようといこととは違う、受動詞です。</p><p>「いただきます」というのは、いただくものが何もないのに言うことはない。</p><p>すでに用意されているものがあって「いただく」のです。</p><p>食事と同じで一度いただいたから終りにはならない、日々いただき続けていくのです。</p><br><p>という一節が心に残った。</p><p>そして、質疑応答では質問しづらかったのだろう、法話と質疑応答が終わって解散となった後に、聞いていた方が先生に直接質問をされた。</p><br><p>『レジュメの中に「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」（歎異抄）という一文があるが、「ただ念仏のみぞまこと」というのがどうも納得できない。』</p><br><p>という質問だった。</p><p>それに対して先輩は、ふくみ笑いをうかべて「その質問は副住職（私）に聞いて下さい」と答えられた。（ほんとですか・・・汗）という流れから、今度の法話会でそのことについて話すことになってしまった。</p><br><p>この歎異抄の一節はとても難しい、けれども核心をついている言葉のようにも感じる。この言葉としばらく格闘して、自分なりに学んでみたい。</p><br><p>法要の初めにある総代さんの挨拶では、「聞法会へ足を運んでほしい、副住職に育ってほしいんだ」という気持ちを熱がこもった言葉で語られた。</p><p>そういったこともあり、法要全体としては、自分が何かを提供したのではなく、むしろお育てをいただいた気がしている。</p><br><p>終わって、やりきった感じはある。しかしモヤモヤとしている。</p><p>それで結局お前はどうなりたいんだ？！とのメッセージをいただいた。</p><br><p>どうなりたいか、ハッキリと言いきれる答えは出てこない。悩みながら、迷いながら、自分がいただいた歩む他はないのだろう。この悩み、迷いこそが、私を立ち上がらせ歩ませようとする阿弥陀のはたらきではないだろうか。</p><br><p>とりあえず彼岸が終わったらウマい酒を飲みたい。</p><br>
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<pubDate>Sat, 22 Mar 2014 16:34:39 +0900</pubDate>
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<title>最近</title>
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<![CDATA[ <p>明日からお彼岸。お参りの日々となる。</p><p>昨日は、お彼岸でお寺に来られた方へ配る、お菓子に付ける「法語カード」の言葉を選んでいた。</p><br><p>ここ最近の法話や本で出合った言葉を思い出して、ノートを見直して、ピックアップする。</p><p>いろんな話を思い出して、反芻する、この時間が好きだ。</p><br><p>法語カードは自分にとっての学びでもあり、お寺に足を運んで下さる人へのジャブだ。</p><p>繰り返し何度も、タイミングを見計らいながら繰り出していくことが大事だと思う。</p><p>そしてタイミングが来たならアッパーやストレートに繋げていきたい。</p><br><p>しかし、やはり言葉は、言葉だけでは難しいと感じた。</p><p>その言葉には、その言葉が発せられた背景がある。文脈がある。</p><p>同じ言葉でも内容がまったく違う場合がある。</p><br><p>言葉だけでは、どういう意味で発せられているかはわからない。</p><p>しかしカードに託した一言で勝負しなければならない。</p><br><p>やはり誤解もあると思う。聞きなれない言葉に拒否反応が出ることもあると思う。</p><p>やさしい聞こえやすい言葉でいいのか、難しい言葉がいいか、あるいは驚かせるような言葉がいいのか悩んだ。</p><p>でも、そもそも仏法は言葉で表せないものだ。だからこそ言葉を尽くしていきたい。</p><br><p>そして、『ともしび』でも少しお伝えしましたが、４月に通覚寺で子ども会を開催します。</p><p>一応ここにも少し詳細を書きます。</p><br><p>【日時】４月２６日（土）１４～１６：３０</p><p>【場所】通覚寺</p><p>【対象】０歳～中学３年生まで　※小学２年生以下は保護者同伴</p><p>【参加費】一人３００円　※大人は無料</p><p>【内容】おつとめ・おはなし・紙芝居・念珠づくり・おやつ（クレープ）</p><p>申し込みは通覚寺まで！</p><br><p>子ども会についてあれこれ考えていて、一番悩んだのは会の名前。やはり名づけは大事ですよね。</p><p>せっかくなので、子ども会開催の願いを込めつつ、インパクトのあるキャッチ―な名前にしたいと思いました。</p><br><p>それで決定したのが…「通覚寺キッズにんじんの会」！！！</p><br><p>妻と二人で思案中、ここにたどり着くまで長いプロセスがあったのですが、</p><p>妻「通覚寺キッズにんじんの会、でどう？」</p><p>私「え、にんじん？！なにそれ？！ウサギ好きだからってそれは…」</p><p>妻「にんじん受け難し、だよ」</p><p>私「え？！ふむふむ」</p><br><p>それでいこう！とヒザを打ちました。</p><p>三帰依文の最初の一節は「にんじん（人身）受け難し、今すでに受く」</p><p>子どもたちと一緒に「あなたが今生きていることは当たり前じゃないんだ」というメッセージを大切にしていく、そんな会にしたいと思っています。</p><br><p>阿弥陀さんの前で、一緒に遊びましょう！</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11798256712.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Mar 2014 15:11:56 +0900</pubDate>
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<title>需要と供給</title>
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<![CDATA[ <p>またしても久々の更新になりました。ここ一カ月を振り返ってみます。</p><p>２月の写教会では、写経を始めようとした時、参加者から質問がありました。</p><br><p>「ところで南無阿弥陀仏って何？」</p><br><p>こういう突拍子もない質問、率直な質問は面白いですね。</p><p>ひとつの質問から、それに答えて話しをしたら、また質問が出て・・・。</p><p>とやりとりが始まり、語り合い、法話会のようになりました。</p><p>准坊守からは「聞法会の時よりいい話をしていたよ」と言われてしまいました(笑)</p><br><p>ひとつの会はみんなで作られていくものなのだなと実感しつつ、「場」というものは生き物だと思わされました。</p><br><p>そして一昨日には、私が参加している若手僧侶の会「新風会」が主催した、若手僧侶と、一般の若手の方が語り合う会「寺タイム」が通覚寺で開催されました。</p><p>総勢２５名（スタッフ７名含む）の参加者で、「私って何ですか？」というテーマで語り合いました。</p><br><p>このテーマは若手僧侶の仲間と話し合っていて、思い付きでパっと出たテーマですが、とても深く、いいテーマだと思います。</p><br><p>「私って何か」これは誰もが抱えているテーマで、仏教のテーマでもあります。</p><p>私たちは実はこういうことを知りたいし、聞きたいし、求めているんではないでしょうか。</p><br><p>そして昨日は亀有のお寺で寺族研修会があり、「寺」ということを改めて考えさせられました。</p><p>講師は武田定光さん、テーマは「疑城胎宮の寺をあそぶ」です。</p><p>ここでは話しきれませんが、とても面白い会でした。</p><br><p>その中で気になったことは、お話しにもあった「需要と供給」ということです。</p><p>寺に求められていることは何か？と。</p><br><p>お寺に対しては、お墓参りや法事、葬儀といった需要があります。</p><p>それを供給することが僧侶の仕事でしょう。</p><p>ちゃんと供給しろという声も聞こえてきます。</p><br><p>しかし、それだけがほんとうの需要（求めるもの）でしょうか。</p><p>いわば表層の需要と、深層の需要があるのではないでしょうか。</p><br><p>法事や葬儀といった表層の需要がありながら、死ということや悲しみをきっかけとして「私とは何か」「いのちとは何か」「生きるとは何か」「死とは何か」といった深層の需要へと深まっていくことが大切なことだと思います。</p><br><p>表層と深層は別にあるのではありません。</p><p>表層の需要を、深層の需要へと深めさせる、目覚めさせるものこそ「真宗」ではないかと思います。</p><br><p>そこで疑問に思ったのは、表層の需要を供給することが、かえって深層への深化を妨げていることがありはしないか？ということです。</p><br><p>表面上は表層の求めであっても、誰においても必ず深層の求めがあるのでしょうか。</p><p>深層へと深められていくのもご縁次第なのでしょうか。</p><br><p>「葬儀を縁として」とか「悲しみを縁として」と言われますが、そのとおりなんですが、お茶を濁している感もあります。</p><p>いずれにせよ、これは私の姿勢の問題なのでしょう。</p><br><p>「私」ということも「寺」ということも、わかったつもりになっていたことが知らされたら大収穫です。</p><p>表層の供給を求める私たちを、ほんとうの需要に目覚めさせる、阿弥陀さんからの供給です。</p><br><p>これは寺の問題ではありませんね。</p><br><p>私たちのほんとうの需要と供給とはなんでしょうか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11790868620.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Mar 2014 13:42:44 +0900</pubDate>
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<title>ひとりから</title>
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<![CDATA[ <p>今日は久しぶりに東京に雪が積もっている。</p><br><p>昨日は本山青少幼年センタースタッフ全大会のため本山へ。</p><p>朝７時の新幹線で京都へ行き、２１時の新幹線で東京へ帰る。</p><p>正直日帰りは少々きつい、けど今日が土曜日で予定もあり、一泊していく余裕はない。</p><br><p>本山の研修会義では「ひとり」ということが印象に残った。</p><p>これは子ども会、青少年活動の上での課題だ。</p><br><p>正確に言えば、子ども会活動から教わった、自分の課題だ。</p><br><p>ひとつは「ひとり」から始める子ども会、ということ。</p><p>他の誰でもなく、まずあなたが立ち上がってほしいという呼びかけと受け取った。</p><br><p>「自己が抜け落ちたら仏教者の問いではない」ということを聞いたことがある。</p><p>「お寺における青少年活動はやるべきか」ではなく「私がやるかどうか、やるとしたらそれはなぜか」が問題ということか。</p><br><p>もうひとつは「ひとり」の子どもと、私も「ひとり」の人として出あう、ということ。</p><p>子どもをたくさんあつめることが目標ではなく、一人ひとりと出会う。</p><br><p>そして自分は教える立場の人、ということを前提とするのではなく、一人の人間として関係していくということが課題なのだと思う。</p><br><p>平等に、対等に関係するということは当たり前のことだろうと思われるかもしれないが、そうできない自分を教えられ、課題をいよいよ課題として浮き彫りにされていく、深められていくことが大切なことだろう。</p><br><p>４月に通覚寺で子ども会をやる予定です。</p><p>これまで関わって来た青少年活動（児童教化活動）で教わって来たことを、自分の現場で形にしたいと思う。</p><p>います。詳細はこれから決めていきます。ご興味ある方はお声かけ下さい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11767565558.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 13:01:11 +0900</pubDate>
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<title>テレビ</title>
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<![CDATA[ <p>更新が滞っていた分、今日は二回更新します。</p><br><p>昨日は二つのテレビ番組で、それぞれ考えさせられたことがありました。</p><br><br><p>ひとつはNHKの「仕事の流儀」という番組で、横溝さんという６０代のパティシエの方が取り上げられていました。その人がケーキ作りについてほんとうに楽しそうに話す姿が印象的で、この人は「ほんもの」に出会ったんだなということが伝わってきました。</p><br><p>そしてそれは、横溝さんがパティシエになって、２０代の時にヨーロッパの一流菓子店へ修行へ行ったら、レベルの違いにそれまで自分がやってきたケーキ作りに絶望したことからだったそうです。</p><br><br><p>「ほんもの」に出会うとほんとうの喜びを知るということ。そこには絶望があるということ。</p><br><p>やはり絶望するくらいのものに出会わないと、生き方が変わることもないのでしょう。</p><br><p>これはパティシエであっても僧侶であっても、いつでもどこでも誰でも同じことなのかと考えさせられました。</p><br><br><p>もうひとつは「私の何がいけないの？」という番組で、親子関係が取り上げられていました。</p><br><p>番組内で、マザコン息子と子離れできない母親にバッシングが浴びせられる中、「親離れ子離れができない親子にアドバイスを」と振られた林家三平が言っていたことです。</p><br><p>三平さんが言っていたことは次のようなものでした。</p><p>「今、息子さんは『お母さん』と呼んでいますが『お』を取って『母さん』に変えてみて下さい。それに慣れたら、さらに『おふくろ』と変えて下さい。大人の親子関係に変わると思います」</p><br><br><p>呼び方を変えると関係が変わる、と。</p><br><br><p>「仏様」と「阿弥陀様」は違いますし、「檀家さん」と「門徒さん」は違います。</p><p>その言葉が発せられた背景もありますし、どちらがいい悪いではありません。</p><p>ただ、これらは同じ意味のつもりで使っていたりするんですけどね、違ってくるのでしょう。</p><br><br><p>以前、武田さんにコトバの機能には２つの側面があると教えてもらいました。</p><p>（これはフランス語学者で哲学者の丸山圭三郎さんが言っていることだそうです）</p><br><br><p>ひとつは「レッテル」という機能。これは私たちが普段使っている使い方で、そのモノを呼ぶために、モノにコトバ（レッテル）を張り付けるというもの。</p><br><br><p>もうひとつは「存在喚起機能」という機能。コトバによって存在が喚起されるというもの。</p><br><p>フランス語は「犬」と「タヌキ」は同じ「chien」というコトバだそうで、その違いは無いかのように認識されているらしい。そのように私たちはコトバによって初めてその存在を認識し、意味づけることができるのだそうです。</p><br><p>日本語も英語には無い情緒豊かなコトバがたくさんありますが、それによって日本には、英語圏には存在しない独特の文化が生まれるのでしょう。</p><br><br><p>前置きが長くなりましたが、仏教には様々なコトバがあります。</p><br><p>「南無阿弥陀仏」</p><br><p>「本願」　「浄土」　「信心」　</p><br><p>現代の日本を生きる私に分かるよう翻訳されたものもいろいろありますが、私の中に存在しなかったコトバによって、新たな関係が、新たな意味が開けるのではないかと考えさせられました。</p><br><p>コトバは生き物です。生きている「ほんとうのコトバ」に出会いたいものです。</p><br><br><p>たまには酒を飲まずにテレビを見ているのもいいものですね（笑）</p>
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<pubDate>Tue, 04 Feb 2014 13:41:39 +0900</pubDate>
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<title>自己</title>
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<![CDATA[ <p>お久しぶりです。本年もよろしくお願いします。</p><p>いろいろとありまして、久々の更新となってしまいました。</p><br><p>ここは日記のつもりで書いてはいるのですが、やはり申し訳ない気持ちもあります。</p><p>それは、「前住職を偲ぶ会」で会った門徒さん数名から、「ブログ見ているよ、いいね」と声をかけてもらい嬉しかったからです。</p><br><p>１月１２日にはお寺の新年会を「前住職を偲ぶ会」として開催しました。</p><p>大勢の人が集まって下さって、録音してあった前住職の声の『御文』を聞いたり、</p><p>前住職の法話の朗読などなど、前住職を思いながらひとときを過ごしました。</p><br><p>最後は酒を飲んでカラオケになったのも、前住職らしかったのではないでしょうか。</p><p>前住職が言おうとしていたことはいったい何だったのか、私に残してくれたものは何だったのか、これからたずねていきたいと思っています。</p><br><p>さて、一月にあった通覚寺「写教の会」では面白い試みをしました。</p><p>それは、「今年の漢字」をもじった「私の漢字」というもの。</p><br><p>「今年の漢字」というのは毎年１２月１２日（漢字の日）に発表される、その年の世相を表す漢字一字です。毎年ニュースになりますが、見ていると「なるほど」と思うものや、「やっぱりこれか」と思う字もありますが、「え～、この字？？」というものもけっこうありますよね。</p><br><p>昨年、２０１３年は「輪」でしたが、しっくりきた人も、そうでない人もいるのではないかと思います。</p><p>ならば「私」の昨年一年を表す一字、今年一年を表す一字を考えてみようということを写教会でやりました。</p><br><p>会の初めのお勤めが終わった後、おはなしの時間に参加者へ趣旨説明をして、写教している間に考えて、最後にそれぞれ発表をしました。</p><br><p>昨年一年は自分にとってどんな年だったか。どんなことがあってどんなふうに感じてきたか、どんなふうに生きてきたか、振り返って考えます。</p><p>また、今年はどんな年にしたいか、どんな年になりそうか、どんなふうに生きたいのかを考えます。こういう時間は日常の中では中々ないかもしれませんね。</p><br><p>「一字に絞り込む」というのが、なかなか難しいところであり、面白いところですね。候補がたくさん挙がっている人もいましたが、最後には一つだけです。</p><br><p>自分で考えた「字」なんですが、どうやって発表しようか考えていると、「あ、こんな意味もあったな」という発見があったり、「字」から考えさせられるんですね。</p><br><p>それから、同じ「私の２０１３年」を表す一字であっても、今月考えたものと年末に考えたもので、また違うのではないかと思います。</p><br><p>そして、今年一年「あれをしたい、こうなりたい」と具体的事項を考えることはあっても、「それでつまり自分はどう生きたいのか」って以外と考えたことないかもしれないと感じました。</p><br><p>私は、自分のことはよくわかっているつもりで生きていますが、ほんとうはよくわかっていないんですね。</p><p>そんなことを教えられつつ、いろんな「私」が発見できる「私の漢字」になったのではないかと思います。</p><br><p>「仏道を習うというは自己を習うなり」　道元　『正法眼蔵』</p><br><p>「自己とは何ぞや。これ人世の根本的問題なり。」　清沢満之</p><br><p>ちなみに私の昨年の一字は「国」。</p><p>特定秘密保護法、憲法九条、原発、沖縄…日本という国について考えさせられた年であり、同時に、仏国土（浄土）というコトバがあるように、自分はどういう国土（意味世界）を軸に生きているのか、ということを考えさせられた年だからです。</p><br><p>そして今年の一字は「親」。「親」鸞聖人の仏道を道しるべに、子を育て、子に育てられる「親」になっていきたいと思っています。</p><br><p>さて「あなたの一字」は何でしょうか？</p>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11764614627.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Feb 2014 10:53:02 +0900</pubDate>
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<title>１２月８日</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">前住職の通夜葬儀が終わり、その後の様々な対応に追われていて、更新ができませんでした。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">ほんとうは前住職のことについて書きたいのですが、それは余裕がないのでまた今度に。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">おとといはドクロ会という座談（ディベート）の会が、そして今日は児連の子ども会があった。</font></p><p><font size="2">私はおはなしを担当した。子どもたちへ、何を話そうか考えた末に、次のようなものになった。</font></p><p><font size="2">原稿をそのまま掲載します。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><span style="FONT-SIZE: 11pt; FONT-FAMILY: 07やさしさゴシック"><span lang="EN-US"><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　こんにちは。今日は児連子ども会に参加してくれてありがとうございます。今年も残りあとわずかになってきましたね。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　このあいだ、今年の流行語大賞が発表されました。今年は４つのコトバが大賞に選ばれたんですが、みんな知っていますか？そう、「お・も・て・な・し」「じぇじぇじぇ」「倍返しだ！」「今でしょ！」の四つですね。みんなはこの四つのコトバからどんなことを考えますか？<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　それで今日、１２月８日は、何の日だか知っていますか？今日は、がっきーは３つの１２月８日についてお話ししたいと思います。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">まずひとつめの１２月８日はお釈迦様の「成道会（じょうどうえ）」という日です。これはお釈迦様が覚りを開かれた日、目覚めた日だというふうに言われるんですけど、ちょっと難しいですね。覚りを開いた日ってどういうことかなというと、「生きるってなんだろう」と悩んで悩んで、考えて考えて、ほんとうに大切なことに「そうか！」と気がついた日なんじゃないかと思います。ですからお釈迦様ってどういう人かというと、悩んで、考えた人ではないかと思うんですね。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">お釈迦様は今のインドにある国の王子様として生まれて、なに不自由ない生活をしていたにもかかわらず、病気になった人、おじいさんおばあさんになった人、そして死んでしまった人を見て、「生きるってなんだろう」と考えてお城を出ていくんです。成道会はそのお釈迦様が考えて気づいたことを大切にするためにみんなが集まる日なんです。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　それから、１２月８日は成道会だけではないんですね。１９４１年の１２月８日は太平洋戦争が始まった日です。戦争って知っているかな。国と国とが争って、人と人がたくさんの人を殺しあう、そういうことが始まった日ですね。今からたった７２年前のことなんだけど、あんまりみんなは知らないかもしれない。知っているはずの大人の人たちも、忘れてしまって、考えることをやめてしまっているのかもしれないね。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　そしてもうひとつ、１９８０年の１２月８日はビートルズという音楽グループのジョン・レノンという人が殺された日です。ジョン・レノンはイギリスの人で、平和を歌った人なんですね。『イマジン』という有名な歌がありますが、世界中のみんなに「平和について、みんなで一緒に生きるということについて考えてごらん」と呼びかけた人ではないかと思います。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　「児連」は仏さまの教えを大切にしながらみんなと楽しく遊ぶ場所ですが、今、おおくの人たちには、仏さまの教え、仏教や宗教というものは、「考えることをやめることだ」というふうに間違って広まっています。自分で考えるチカラのない人が、考えるのをやめて生きていくためのものだというふうに誤解されているんです。でもこれは全然反対じゃないかなと思うんですね。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">テレビで言っていることも、大人が言っていることも、お釈迦様がそうだったように、ちゃんと聞きながら、「なんでだろう」とどこまでも考えてほしいというのが仏さまの教え、お釈迦様が気づいたことじゃないかと思うんですね。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　今、みんなが生きている日本という国は、戦争のできる国に、原子力発電所をもっていられる国にしようという方向に動いています。そのために、みんながなるべく「なんで？」と考えないようにするためにさまざまなことが起こっています。それの代表で、流行語大賞にはならなかったけど流行語にノミネートされた「特定秘密保護法」なんていうコトバもあります。その他にも「戦争をしません」と約束した憲法九条をいつの間にか変えようとしていることも、なるべくみんなが考えないうちに変えてしまおうということのようです。ちょっと難しいコトだけど、これは７２年前の太平洋戦争の時ととても似ているんだ。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　流行語大賞にもなった「お・も・て・な・し」というコトバはとてもきれいなコトバだけど、実はその裏側には大きな問題がひそんでいる。日本でオリンピックをして、外国から来た人たちを「おもてなし」できるのも原子力発電所が必要なんだ。オリンピックのためには電気をいっぱい使うからね。だから一部の人たちの都合で、たくさんの人を犠牲にしている原子力発電所を動かそうとしていることを包み隠して、考えないようにさせるコトバでもあるんじゃないかと思う。流行っているコトバひとつをとってみても、僕らはもともと考えないようにできているのかもしれないね。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">テレビゲームに熱中したり、お酒を飲んだりすることも、悪いことではないけど、大切なことを考えないようにしているのかもしれないよ。だから、がっきーはすぐにお酒を飲んで「まあいいや」と言ってしまうんだけれども、がっきーも、みんなも、「生きるってなんだろう」「僕たちはどこへ向かっているんだろう」「戦争ってなんだろう」「どうしてそういうことになるんだろう」ということを考え続けてほしいと願われているんです。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　みんなは戦争はしないかもしれないけど、友達とケンカして争ったりすることもあるんじゃないかな。それも「なんでだろう、どうしてだろう」と考え続けてほしい、そして考えたことをケンカしたお友達と話し合ってほしいなと思います。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　ネルソン・マンデラさんという人が、つい最近亡くなりました。この人は南アフリカという国のむかしのリーダーですが、黒人がずっと差別されてきた国で、「平等ってなんだろう」「平和ってなんだろう」って考え続け、話しあい続けた人なんじゃないかなと思います。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;; mso-ascii-theme-font: minor-fareast; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-theme-font: minor-fareast"><font size="2">　ですから今日、１２月８日はお釈迦様の成道会の日であり、太平洋戦争の開戦の日であり、ジョン・レノンが亡くなった日ですけれども、そういうことをきっかけにみんなが「なんでだろう」と思ったことをじっくりと考える人に、そして考えたことを話し合い、聞くことができる人になってほしいなということをお伝えして、がっきーのお話しは終わります。</font></span></p><p></p></span></span>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11724602981.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Dec 2013 00:07:07 +0900</pubDate>
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<title>還浄</title>
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<![CDATA[ <p>昨日、午後２時２３分、私の祖父であり通覚寺前住職・稲垣俊夫がお浄土へ帰りました。</p><br><p>いつかは……と、わかっていたことではあったけど、やっぱり悲しさがこみ上げてきます。</p><br><p>たくさんの思い出が駆け巡ります。</p><br><p>８８年間は、じいちゃんにとってどんな一生だったのでしょうか。</p><br><p>通夜葬儀は１９日２０日になりました。</p><br><p>この寂しさを、悲しみを、味わい尽くしたいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11692798857.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 00:26:19 +0900</pubDate>
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<title>福島</title>
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<![CDATA[ <p>携帯を無くしてしまったので、ここ一週間ほどおとなしくテープ起こしと読書をしていた。</p><br><p>お話しを聞くだけでなくテープ起こしをすると、その世界にどっぷりと浸かることができて、</p><p>いろんなことを考えさせられる。こういう時間を大切にしたいと思った。</p><br><p>昨日は児連（仏教子ども会活動）の研修会だった。</p><p>ドキュメンタリー映画『内部被ばくを生き抜く』を見て、</p><p>福島県二本松の佐々木道範さんのお話を聞いた。</p><br><p>前住職が、前回の東京オリンピックの時に経済成長へ盲進する社会を見て、</p><p>「人間が人間でなくなる」と言った。今も同じではないか。</p><br><p>絶望して諦めかけた時に、悲しみの底に、いのちの願いがあった。</p><p>すでに出遇っていたコトバが輝きだした。</p><br><p>子どもを通して、原発問題を通して、いのちから問われている。</p><p>ほんとうに生きるとは。</p><br><p>わからないから、会う、聞くのだ。</p><br><p>といった言葉が印象に残った。</p><br><p>私は、今回佐々木さんは「福島の」話をするのだと思っていた。</p><p>もちろん福島についての話をされたけど、それは私に問いかけられている「私の」話しであった。</p><p>これがとてつもなく大きな勘違いだった。</p><br><p>そして気がつかされたのは、原発の問題を「忘れていた」ということ。</p><p>忘れていたことに気が付かされなければ、忘れていたことすらわからないでいた。</p><br><p>人間は、私は、どんなに大切だと思ったことでも、忘れて、慣れていく。</p><br><p>だからこそ、私を揺さぶり立ち上がらせるものに、</p><p>繰り返し繰り返し、会い、聞き続けていく必要がある。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11686495720.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Nov 2013 11:53:51 +0900</pubDate>
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<title>ジェットコースター</title>
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<![CDATA[ <p>昨日、今日とジェットコースターのような日々。</p><p>上がっていたと思ったらいきなりの急降下で気持ちは滅入っています。</p><br><p>昨日は通覚寺写教の会があり、参加者４名＋准坊守と正信偈をおつとめして写経をしました。</p><p>今回も一時間半程度の写経はあっという間。写経の空気は独特で気持ちがよい。</p><p>終わった後に参加者から感想を聞いて、みんなで雑談したことが面白かった。</p><br><p>普段、字を書く機会が少ないので書き順がわからなくなったり、手や肩がとても疲れる。</p><br><p>テキストに原文（漢文）以外にも語注、書き下し文、現代語訳があることで、</p><p>意味がわかるのがとても面白い。</p><br><p>一人ではこういうこと（写経）は中々できない。人と一緒だとできる。</p><br><p>自分で書いた字には愛着がわく。</p><br><p>といった話がされた。</p><p>みんなさまざまに写経をしている。同じことをしているように見えるがその中身は一人ひとり違う。</p><p>他の人の話をきくと、また違った見方があったことがわかる。</p><br><p>自分で書いた正信偈をあらためて眺め、現代語訳を読み、自分はどう受け止めるかと考える。</p><p>ふと正信偈にはものすごいことが書いてあるのでないかと感じられた。</p><br><p>参加者に七高僧は歴史的にどのようにつながっているのか聞かれたので勉強したい。</p><br><p>終了後は飲み会に突入。空腹でいきなりワインをあおったら悪酔いした。</p><p>やはり飲み方は考えて飲まないといけませんね。わかっちゃいるけどやめられない私です。</p><br><br><p>そして今日は亀有の蓮光寺さんの報恩講に初めて出仕させていただきました。</p><p>久しぶりに本多先生にもお会いできました。</p><p>新たな出遇いもあり、さまざまな面で勉強になったのではないかと思います。</p><br><p>その後、阿波踊りの出演でホテルオークラへ。</p><p>私は久しぶりの本番でとちりました。でもいい雰囲気で躍らせてもらえました。</p><br><p>さらに今日は、門徒さんに依頼していた、通覚寺報恩講に参加しての感想文をいただきました。</p><p>ご法話をよくよく聞いていて下さったことが伝わってきて、</p><p>「繰り返し法を聴くことの大切さを感じたところです」との言葉に頷かされました。</p><p>ほんとうに繰り返し繰り返し、ですね。有難うございました。</p><p>この感想文は通覚寺報『ともしび』に掲載予定です。</p><br><br><p>しかし……なんと……急降下する出来事が……</p><br><p>携帯をなくしてしまいました。</p><br><p>自分のどうしようもなさに、ただただ落ち込むばかりです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/kzhr0331/entry-11667563745.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Nov 2013 01:53:09 +0900</pubDate>
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