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<title>溟濛散歩</title>
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<description>どうにもたちゆかない日々にめぐらす心情のトロ、兼カウントダウン。</description>
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<title>ブログ66</title>
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<![CDATA[ やたらと口をついて出るのは「死ぬしかない」という自罰的な言葉で、その度に「なんで私が死ななければならないんだよ」と思わないでもない。死ぬべきだと思う一方で、私なんかよりよっぽど生きる価値が無いと思われる連中を思う時に、本当に自分を情けなく思う。やっぱり私なんか死ぬべきだ。
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<pubDate>Sat, 15 Jun 2013 02:46:57 +0900</pubDate>
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<title>ブログ65</title>
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<![CDATA[ 自分でも正当性が無いと分かっている怒りや不愉快さは、どこにぶつけられるかというと、全部自分に帰ってくるのですね。そうなると、もう動けなくなるほど精神的に辛くて、とてもじゃないけど社会生活をおくれない。<br>そうなるのをどう回避すればいいか考える。案としては、<br><br>１怒りそのものを感じなくなるべく、鈍感になる。<br>２怒りを無理矢理他人にぶつけてすっきりする。<br>３納得できる自分になるよう精進する。<br><br>１や２はもう論外。そういうつまらない人間は死ねばいいのにって思う。かといって３をどうどうと宣言する人間も気持ち悪い。<br>でも結局３だよな、と考える。そしてすぐに無理だよなって諦める。<br>
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<pubDate>Mon, 27 May 2013 03:21:08 +0900</pubDate>
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<title>ブログ64</title>
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<![CDATA[ 「覚めている」というのがどういう状態なのか、ここ五年くらいはっきりとはわからなくなっていて、その事がずっと悩みだった。今もそれでイライラしている。<br>とにかく日中はいつも眠いのに夜になると眠れなくなるから困る。<br>不眠と過眠は紙一重だ。動かなければ眠れない、眠らなければ動けないという不文律が、生きる上で面倒で仕方が無い。　<br>だから、眠れないイライラはいつも、深夜のインターネットにぶつけている。パソコンのディスプレーは強い光を放つから、睡眠を妨害するなどと言われているが、眠れないのだからと割り切っているから、もう関係ない。一晩中、興味のある有名人のブログをずっとさかのぼって読んだり、ラジオをダウンロードして聞いたりしている。深夜のヒマつぶしをこう箇条書きしてみるとなんとも気楽に思えるが、その実とても苦しい。眠れないから苦しいのではなく、このままでは明日も一日中眠いのだろうと考えるから苦しい。でも状況と裏腹にダウンロードしたラジオが面白くて笑ってしまう。<br>そんな事をしているとあっというまに何時間も過ぎていて、気づけば時計は午前四時を指しているから死にたくなる。いい加減眠らなければと焦るが、今更眠ったところで、大した時間眠れるわけもないから、あきらめてしらけてしまう。しかし一方では焦っている自分もいて、そいつはあせってない冷めた客観的な自分が恐ろしくて「あああっ！私はダメ人間だぁ！」などと叫びだしてしまう。そうやってわざと錯乱したように頭を振れば、途端に脳の回路のどこかが切れたように全てがどうでもよくなって、ようやく布団に倒れ込む。しかしもうそれでは遅すぎるのだ。<br>次の日の朝はもちろん起きられない。それに全てがどうでもよくなっているから、学校はサボってしまう。午後に目が覚めるというのは、人間としてどうなのだろう。学生としては失格だが、一個の生物としては大した事ではない。単に夜行性なのだ、という烙印を押されるだけだ。もしも虫だったら新しい虫として図鑑に載るかもしれない。ただ人間だからダメなのだ。どうして人間に生まれてしまったのだろう。こんな根本的な悩みを打ち明けるならば、即座に中二病だと笑われてしまうから困る。十四歳症候群だと嗤われてしまうから困る。「嗤う」なんて漢字を使ったら、またその攻撃が助長されるから困る。どうればいいのだろう。<br>もう袋小路である。先に進もうとも行き止まりだから、無理に焦ってはいけないのだろう。いったん引き返して、戦略を練り直す必要がある。それなら一体どこまで戻ればいいのだろう。そして戻るのに必要な体力はどれくらい眠れば回復するのだろう<br>眠ることは、「世界」を閉じる事とイコールである。眠る事で束の間、浮き世を忘れさせてくれる。しかし眠りによる安息は「私」を閉じてはくれない。私が、いまのままの「私」である限りいくら「世界」を閉じたとて苦しみは続くのだ。いっその事、「死」によって「私」をも無理矢理閉じてしまうか、今の「私」を受け入れるしか、苦しみから抜け出す方法はないのだろう。いずれにせよ体力のいる作業で簡単じゃない。
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<pubDate>Thu, 02 May 2013 00:14:31 +0900</pubDate>
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<title>ブログ63</title>
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<![CDATA[ 他人も自分と同じような人間なのだろうと漠然と思っていたが、どうもそうではないらしいことが最近になってようやく分かってきた。<br>あるラジオ番組でパーソナリティーが精神的にとても落ち込んでいて、その時現場に現れたリスナー数人に「落ち込んだ時どうやって持ち直すか？」というような質問をしていたのだが、全員が「僕は基本悩まないですね」とか言っていて、本当に驚いた。超人じゃねえかと。<br>私は基本毎日「死にたい」と思っているが、そう言う事は口に出さない。周囲も、そういう暗黙のルールで生活してるんだとなんとなく思って居たが、どうも、本当に「死にたい」って滅多に思わない人もかなりいるらしいのである。むしろその方が当たり前なのか？<br>もちろん全員が悩まないはずはないと思うし、悩んでないように見える人はそう言う事を乗り越えたすごい人だと尊敬するのだが、そもそも論として「悩まない人」というのは最強だなって思う。<br>昨日は街に行ったんだけど、文房具屋目当てにファッションビルに入ったあたりで急に緊張しはじめて、気づけば普段汗をそんなにかかない私が脇汗をびっしょりかいていた。買い物しただけなのに。<br>周囲の視線が急に怖くなってトイレに逃げ込んで息をととのえた。なんでこんなに外出がストレスなんだろう。<br>あと最近驚いた事として「女性向けの洋服屋が何故ガラス張りなのか」の理由が「おしゃれな場所で買っている私をアピールできるから」らしいということ、、、絶句だわ。考え方が対局過ぎて笑った。<br>もうねそりゃ奥まった目立たない雑貨屋兼古着屋とかで適当なもん買いますよ、私は。それでも一時間くらい店で悩むのだが。
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<pubDate>Tue, 30 Apr 2013 15:07:53 +0900</pubDate>
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<title>ブログ62</title>
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<![CDATA[ 街灯が凍てついたように寒々と光ると、あたりは眠くなるような静けさがたちこめた。折しも川面すれすれに飛び去ったボーイングは失速する707だった気がする。太陽はとっくに薄明を地上に投げたのに、その度に真髄を高調しているから不思議だ。刻一刻風が強さを増す中、心中を覚悟すれば、やがて土間が濡れ、ねっとりと汗がにじんだ。長椅子に倒れ込むのは、とうてい手に負える女ではない。斜面を滑落する砂につま先を食い込ませ、祈る。何故なら、自殺率が先進国の中で突出しているのは突拍子も無い連想と甲高い声以外に原因が思い当たらないからだ。私は折りに触れ口にする。そして想像して、問い直す。しかし言葉はなだれおちる。当世風の素人っぽい娘が、無様なほど悪酔いして、尻餅をつき、途方も無く地を這いずっている。あれはきっと私のことだと思う。
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<pubDate>Sat, 06 Apr 2013 00:19:54 +0900</pubDate>
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<title>ブログ61</title>
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<![CDATA[ 自らの感性で素直に感じた事を理性で散々にこねくり回したあげく、結論をうやむやにする作業を繰り返したとて、延々に空転続けるしかできない私の姿は、途方も無くみっともなくて、かっこいいが、それは滅んでいくものの美であり、到達点は死である。<br>「もっと楽天的に生きていきたい」と口に出す際に、心のどこかで楽天的に生きている人に対して優越感を抱いている自分がとても気持ち悪い。<br>刻一刻と迫ってくるのは実存的な危機で、どこかでまだかっこいい自分にしがみついていたいというみっともない、それは本当にみっともない姿を、すこしでも回転するために晒さなければならない日だ。明日は。<br><br>要約すると、明日から学校だけど、死ぬほど行きたくないぜ。
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<link>https://ameblo.jp/l-clipper/entry-11504739099.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Apr 2013 16:10:20 +0900</pubDate>
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<title>ブログ60</title>
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<![CDATA[ エイプリルフールに嘘をつくことのつまらなさをとうとうと語る姿は確かにカウンターが効いてるけど、誰もがシニカルな視点を標準装備しているこのご時世に、それをわざわざ語る事のつまらなさというのもある。少しばかり皮肉の利いた目線で浮ついたイベントごとを斬ったところで、ボン百で月並みな印象しかわかない。じゃあどうすればいいのさ。<br>語らないことに尽きる、と私は思ってしまう。それは町中で変わった格好をした人が歩いてる時に私がとる行動と同じで、目立つ存在は周囲が注目するから目立つのだし、わざわざそれを望んでいることもあるのだから、注目した事でかえって相手を気持ちよくさせる事もありえるので、そういったあらゆる可能性の芽を摘んでやるのだ。私だけはそうして世俗とかけはなれていたい。まあこのブログではそういう事を語ってるわけだ。この矛盾。<br><br>自分がきもちわるい。<br>
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<link>https://ameblo.jp/l-clipper/entry-11503050323.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Apr 2013 02:21:39 +0900</pubDate>
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<title>ブログ59</title>
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<![CDATA[ 私の高校生活が五年目に突入する。<br>ときどきやたらポエミーになったりするのは、他者からの解釈を遠ざけるためで、そういった行為は肩を揺らして歩く事で生物的な強さを主張するヤクザと、なんら変わりない、正常な人間の判断に乗っ取った行為だ。<br>むろん人はいつまでもポエミーでいる事は出来ない。それこそ本当に詩人になったり絵本作家にでもならない限り、あるいは女優でもアイドルでもいいのか、とにかくそういった戯言を好んで聞いてくれる人がいるという前提が無いと、続けていくたびに冷めていく自分に気づくからだ。<br>まれに冷めない人もいるが、それは天才と狂人は紙一重というたとえでいうなら、狂人のほうに分類されるから。<br>いつまでも狂人の振りをして、それで天才に思われるチャンスをうかがっている老人を見ると切なくなって、隣で「要はただの狂人だろ」と言っている父は、むしろ優しく思えて、私は口を閉ざしたり、目を伏せる事で、そういったあらゆる選択肢を放棄した。なにも思わないこと、それが私の主張でありノーコメントという重みのあるコメントを残してゴミ屋敷をあとにした。
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<link>https://ameblo.jp/l-clipper/entry-11502339227.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Apr 2013 05:25:11 +0900</pubDate>
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<title>ブログ58</title>
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<![CDATA[ 時間が多すぎて、退屈な午後四時に、死ぬためだけに歩き続けようと思った。<br>「狂ってしまった時間の中で、死ぬためだけに歩き続ける」とは悪魔巣取金愚という曲の歌詞で、何てシュールで素敵なフレーズなんだろうと、思いながら家を出た。<br>理由なんてあってないような物だ。<br>口に出した時点で、誰かに説明しようとした時点で、その人の解釈の中でしか成立し得ない理由なんてきっと誰も誤解しかできないのだから。<br>自分探しをバカにする風潮が世に広まりすぎた事の弊害は、自己を超克しようともがく姿をさらす事をよしとしない。<br>だから、私は云いだせなくなる。<br>川が大きくて、越えるための橋を探していて、偶然見つけた野球場は、有名な映画のロケ地だった。<br>夜景モードにしたデジカメは、電池が無くなり、iPhoneも電池が切れそうだった。<br>最期に撮影したのは、その映画のラストシーンに出てくる一人分の小さな公衆便所で、中を見ようとしたが、匂いがつんとして、結局開ける事は無かった。<br>私はデジカメの電池にご冥福をお祈りした。<br>iPhoneの地図を頼りにしてるのだから、これが使えなくなったら、私も動けなくなるな。<br>そう思うとやけに大事に思えて、普段からうっとおしいと思っているものが手放せなくなる。<br>ポケットの中でずっと握りしめていた。<br>夜の川は飛び込みたくなる、、、わけなく、ぽっかり口を開けて私が飛び込むのを待ってるみたいで、「その口車には乗らないぞ」と思いながらも、川面から目が離せなかった。<br>県境を跨いだのは、いつの間にかだった。<br>地理に疎い私でもはっきり分かる、神奈川の地名をそこに見つけたのだった。<br>途中夜道を照らすように点在する自動販売機は、妙に喉が渇いている私の購買意欲をそそり、つぎにburnを見つけたら絶対に買うぞと決めながらも、burnはその先ずっと売っていなかった。<br>人間は本能的に死を予感した時に、「死にたくない」とか「生きたい」とか勝手な事を思う生き物で、それまでどんなに「死にたい」とほざいてもその瞬間にそれまでの言葉がいかに嘘であるか痛感する。<br>私もそうだった。<br>ぽっかりこちらを見つめる真っ黒な川面といい、歩道橋から見下ろすアスファルトも、深夜の高速道路の騒音も、どれも飛び込みたくなるたびにゾッとした。そして各地の深夜の生き物、ホームレスだとかヤンキーだとか、すれ違うたびに受信ボックスに母親から連絡が入ってないか、見てしまう。<br>鎌倉に着いたら大仏を見ようと思った。<br>人生に一度見るもの、なのにもう四度目か五度目だと思う。<br>それでも徒歩でたどり着いたなら、それこそ昔の人のように、奥行きを、他者には見えない何かが見えるんじゃないかって、冗談っぽく理由を繕った。<br>過酷な修行のつもりか。<br>たどり着いたのは翌日の早朝だった。<br>マックの店員は美人だった。目が合うと微笑んでくれたので好きになった。<br>iPhoneの電池を充電してる間に私も眠った。つっぷして一時間ぐらい。<br>目が覚めたら、体のあちこちが緩んできて、涙とか鼻水とかが一気に出て止まらなくなった。<br>花粉の薬を飲んでないからだ。「あのさあ、君が泣くわけは花粉症のせいだよ」って歌詞の歌が頭の中に流れてきた。<br>鎌倉は文豪の街としても有名なので文学館にも行く事にした。行ってみたら、行った事があった場所だった。それでもある作家のざっくりした住所が分かったので帰りに寄ろうと思った。<br>休日の観光地は車も人も多くて超うんざりだった。<br>こんな街にはもう文豪は住めないなと思った。<br>人ごみに完全に精神力を持ってかれたので、当初の目的の大仏は少しだけみて、あとは北鎌倉にある、某作家の家を探した。<br>お寺のある山の周りにある、という情報だけなので外周をずっと回ってみた。<br>北鎌倉は思ったより人が少なく住むにはいい街だと思った。<br>黄昏時にすれ違った女子高生集団が恐ろしすぎて、顔を伏せると、何故か爆笑が起って、ますます怖くなって顔が上げられなくなった。<br>結局家は見つけられず、最期の最期で体力も精神力も尽きて、帰ることにした。<br>行きはあんなに時間をかけたのに、帰りは一時間ほどで驚いた。<br>もっとも電車内でも寝てたので、実際にはもっとかかったのかもしれない。<br>
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<pubDate>Tue, 26 Mar 2013 00:33:39 +0900</pubDate>
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<title>ブログ57</title>
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<![CDATA[ まずいことになるという絶対的な予感が続いていて、今もそれでそわそわしている。<br>腫れ物は腫れ物らしく家から出ず、わざわざ触られるような場所にちかづくな、ってことを思ったのはこないだの夜だ。親戚が集まる恐怖の会食があるというのはわかっていたのでそれまでに家を出てしまおうと、この場所から消えてしまおうと思っていたのに、いつも鈍感なのにこういう計画は容易く見透かす母に釘を刺され、やむを得ず参加する事になってしまったのだけど、親戚が私に対してする質問が他愛の無い物ばかりであったことがもやもやと思い出される。就職とか、卒業とか、興味あるんだろどうせ、と私はやきもきしてたのだが、ついに終わるまでそんな野暮な質問はされなかった。ありがたい、と思わずにいられないことが、すでに神経を使うのでめんどくさい。根掘り葉掘り聞かれても聞かれなくても、不可抗力とはいえ参加自体するべきゃなかった。<br>気を使われること自体が好きじゃない。逆説的だが、かえって気を使ってしまうからだ。本題に入るために外堀を埋めて行く作業がうっとおしい。永遠にたどり着けないほど深い溝が、親戚と私の間にはあるイメージが、もうすでに途方も無くめんどくさい。<br>ところで話しは変わるけど、春の陽気に誘われたのか、ご近所のあまり見ない人たちが、今日はいっぱい見れてうれしかった。<br>狂った気候に、眠気も吹っ飛ぶよね。<br>奥行きのある表現、つまり相手に解釈を委ねること、誤解を恐れずにそれを、できたなら楽に生きれるよ、私はきっと。
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<link>https://ameblo.jp/l-clipper/entry-11494082893.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Mar 2013 01:04:34 +0900</pubDate>
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