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<title>パリ in ラブラ日記</title>
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<description>パリや東京で暮らすラブラのブログ</description>
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<title>パリとグルメ　5</title>
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<![CDATA[ 国王が先頭にたっていろいろと新しい料理の創造に手を染め、出来あがったものを3人の娘たちに試食させて意見を求めたりしているのだから、臣下がこれを真似ないはずがない。<br><br><br>貴族も貴婦人も新しい料理を作り出すのに熱中したが、おかげで今日のフランス料理のメニューの中には、この当時創作された料理が少なズない。<br><br>たとえばルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は、『ベルヴュ風若鶏のフィレ』、『ポンパドウール風ヒラメのフィレ』などを創り、ネスル侯爵夫人は鳥肉やトリュッフ入りのパイ『ヴォル・オ・ヴァン』を、ヴィルロワ公爵夫人は『若鶏のヴィルロワ風』を、ミルプワ元帥夫人は『ウズラのミルプワ風』を各々創り出している。<br><br>男性も女性に負けず頑張り、ロアン公は仔牛のカツレツで、スビーズ元帥は玉ネギのピュレ『ピュレ・スビーズ』で名を後世に残した。<br><br><br>もっとも、多くの場合、これらの料理はおかかえの料理長が考案したものと推測されるんだけどね。
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<link>https://ameblo.jp/labra-paris/entry-10711917053.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Nov 2010 18:36:12 +0900</pubDate>
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<title>パリとグルメ　4</title>
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<![CDATA[ 他の新機軸は、食事のための部屋-つまり食堂-がはじめて設けられたことである。<br><br>しかし、これは内輪のごく親密な食事のためのもので、大宴会のような公的な儀式ともなると、女王の控えの間で催されるのだった。<br><br><br>1日で最も重要な食事は夜食であり、二種類のポタージュ、二種類の肉-仔牛と羊-、三種類の焼鳥-鶏、キジ、山ウズラまたは鳩など-、野菜は少量で、アントルメは稀にしか供されなかった。<br><br>デザートは果物のコンポート、オレンジや梨といった果物である。<br><br><br>ルイ14世の食事と比較すると、量的にはかなり簡素化されていることが分る。<br><br>しかし、すべでの食通の例にもれず、ルイ15世も自分で料理することを好んだ。<br><br><br>オムレツや卵のフライを作るのが上手だったと伝えられているが、特にコーヒーをいれる腕前は自慢の種で、愛妾たちによくいれてやったと記録が残っている。
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<pubDate>Fri, 26 Nov 2010 18:34:59 +0900</pubDate>
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<title>パリとグルメ　3</title>
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<![CDATA[ プレイボーイとして有名な摂政が愛妾の腕の中で死んでしまったため、ルイ14世の曾孫であるルイ15世の親政が13歳の時にスタートした。<br><br>ルイ15世は美男子として有名だが、胃袋の頑健さではとても太陽王におよばなかった。<br><br>つまり大食漢ではなくて、美食家であった。<br><br><br>ルイ15世の食生活はというと、朝食は朝の8時頃で、一杯のコーヒーかココアという簡単なもの。<br><br>正餐は午後の1時30分頃に始まるが、これは王の日常生活の場である「小部屋(プチ・アパルトマン)」の食事の間に調理場から運ばれてくる。<br><br>新機軸としては、はるばる運ばれてきた料理を温め直したり、ものによっては「小部屋」のキッチンで最終的に仕上げられるようになったことがあげられる。<br>
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<link>https://ameblo.jp/labra-paris/entry-10711913326.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2010 18:32:08 +0900</pubDate>
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<title>パリとグルメ　2</title>
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<![CDATA[ この小夜食は夜の九時、十時頃に催され、摂政自身も銀製の厨房器具を使って料理を作ったが、食事に続いていけないパーティーが始まることもしばしばなので、召使に邪魔されないようにするため、地下の調理場で作られた料理をのせたテーブルが、エレベーター式に食堂の床から忽然と出現するといった仕掛けまで設けられていたと伝えられているとか。<br><br>美食の権威であるブリア・サヴァランによると、オルレアン公とその取り巻きの道楽者たちは、魚の赤ワイン蒸しとかトリュフを詰めた七面鳥といった美味な料理を作って賞味していたらしい。<br>
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<link>https://ameblo.jp/labra-paris/entry-10711910552.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Nov 2010 18:30:22 +0900</pubDate>
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<title>パリとグルメ　1</title>
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<![CDATA[ 食事の儀式は、ルイ15世、ルイ16世と守られ続けられたわけで、次第に儀礼は形式化し、太陽王の後継者たちはもっと気楽な食事を好むようになっていった。<br><br><br>親しい友人たちを小人数集めて気楽な雰囲気の中で食事を楽しむという新しい風潮に先鞭をつけたのは、ルイ14世の死後8年間摂政をつとめたオルレアン公フィリップ。<br><br>この摂政は有能な政治家であり、芸術の愛好者であったが、女と美食が大好きな快楽主義者でもあったらしい。<br><br>堅苦しいヴェルサイユ宮殿を見すてて、パリのルーヴル宮殿のすぐそばにあるパレ・ロワイヤルの館で国政にあたったが、彼が最も好んだ気晴らしは、機知縦横な友人と美女を何名か集めて「小夜食(プチ・スペ)」と呼ばれる夜食の宴をはることだった。
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<link>https://ameblo.jp/labra-paris/entry-10711909405.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Nov 2010 18:29:00 +0900</pubDate>
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<title>パリにいたラブラ</title>
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<![CDATA[ <p>かつて<strong>パリ</strong>にいたラブラです。</p><br><br>今は日本の片隅にいます。<br><br><br><p><strong>パリ</strong>にいていろいろ学びました。</p><br><br><br><p>忘れないようにメモもかねてブログを始めました。</p><br><br><br><p>きっといろいろかくことでしょう。</p><br><br><br><br><p>たまに見てくれると嬉しいです。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/labra-paris/entry-10710905463.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Nov 2010 17:51:19 +0900</pubDate>
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