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<title>スタジオトリバード</title>
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<description>トリバードとは、「鳥」の英訳であり、かつ「Bird」の和訳である。</description>
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<title>2014年という年</title>
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<![CDATA[ 今年も終わりに近づいた。<br><br>人生を10年で区切ると、僕は今年で新しい10年に踏み込んだことになる。（30~31歳）<br><br>ドラマ新撰組！で、佐久間象山が<br>「人は生まれてからの最初10年は己のことだけ考えればいい。次の10年は家族のことを考える。二十歳になってからの10年は生まれたくにのことを考える。そして、三十になったら日本のことを考え四十になったら世界のことを考える」<br>みたいなことを言っていたのを思い出す。<br>（↑このセリフに加えて、「だからその時が来た時にそなえて勉強せよ」というような意味だった気がする）<br><br>10代は、勉強のときだったと思う。<br>20代は、実践と失敗。<br>30代は、どうなるやら。<br><br>佐久間象山のセリフが、三谷幸喜の創作なのか、実際にあるセリフなのかはわからない。また、佐久間象山という人物が言っていたとしても、10年という年をどう区切って考えていたのかはわからない。<br><br>ただ、人間というのは、どこかで区切りをつけながら、都度過去を振り返る（検証する）ことが必要なんだとも思う。<br><br>未来を想定して人生を見定める考え方としては卓見である。<br>----------<br><br>過去の解釈は、その都度違う。<br>僕の場合は、特に学生時代の評価がだいぶ変動する。<br><br>時間を「過去から未来へ」流れているとする考え方によれば、学生を卒業した当時あたりは、むしろ「黄金時代だったんじゃね」くらい美化していたものである。<br>でも年を経るごとに「あのときこうしていれば」なんて思うこともある<br>もちろん、タラレバで過去を嘆いても仕方ないけど。<br>今の僕は、当時と違う業界や環境に身を投じているためか、学生時代を後悔するきらいがある。<br><br>僕は都度、最善の形で卒業してきた。前職にしろ、大学にしろ、高校にしてもだ。<br>結果、今の自分がある。大したことないつまらない人間だ。<br><br>…という考え方もある。<br><br><br>違う考え方もある。<br><br>「将来、僕は弁護士になることが確定している。そのために必要な未来を、現在の自分が選択しているだけである」と。こういう考え方もある。<br>時間を「未来から過去へ」流れるという見方だ。<br><br><br>他人と比較しながら人生を検証していると、いつまでたっても「過去から未来」型の思考しかできない。平たく言うとネガティブな思考。<br><br>ポジティブにすると、「今は確かに大したことない人間かもしれない。でも将来ビッグになることは確定している。今はそのためのステップを踏んでいるにすぎない」とも言える。<br><br>-----<br>他人と比較しながら生きると、どうしてもネガティブにならざるをえない。<br>だから、自分の人生は自分が「初期設定」すべきである。<br><br>職場でもどこでも、人間関係が大事だとみんな言う。<br>僕はもうそう思わない。<br>比較したい、馴れ合いたい、現実を見たくない、責任とりたくない、そういう群体の思考があるから。<br><br>大事な人間関係と、そうでない人間関係が存在する。<br><br>僕は、「そうでない人間関係」に悩まされ続けてきた。<br>営業マンならではの人脈とか。<br>知性の共有といいつつ、ただの寂しさ分け合うだけの酒飲みとか。<br><br>おかげで身体的な不健康状態になったものの、そこから抜け出したところでだいぶ健康になることができた。<br><br>いまはそれでいい。<br><br><br>-----<br><br>試験、また落ちたなぁ。<br>独学はやめにして、今年からはちゃんとした学校に通うことになった。<br>１ヶ月経ってないけど、勉強がかなり捗る。<br>最初からこうしれいればよかったわい。<br><br>１年前の自分がいたら、言ってやりたい。<br>「うだうだ言わないで、学校通いなさい。」と。<br><br>独学だった理由は、それこそくだらない見栄とプライドである。<br>「あの試験、簡単だったよ」と、前職の先輩が言っていたから、独学という思考が張り付いてしまったのである。<br>なぜ素直に「先輩はすごいなぁ、僕は頭悪いから学校通いますよ」と思考することができなかったのか。<br><br>プライド<br><br>こればっかりは、いつになっても超えられてないなぁ。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11968006607.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Dec 2014 14:39:40 +0900</pubDate>
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<title>腹に落ちる体験</title>
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<![CDATA[ 新発見でもなんでもないことを。<br><br>行政書士試験の勉強をし始めて1年は経っている。けれど、習慣化したのは実は最近。ちょうど半年前あたりからのことだ。<br>ついでに、合気道を始めたのが1月あたり。<br><br>この二つ、今までの人生でやったことのない新ジャンルなのである。<br>武道と法律。<br><br>僕は社会人になって今までいろんなことに真剣に悩んで思考したりしてなんとか切り抜けて来たけど、じつはこの武道と法律さえあればスンナリ解決してたかもしれないことが多くある。<br><br>なぜなら、自信がつくから。自信さえあれば堂々とする。そのスタンスで望めば越えれた壁もあった。と思う。<br><br>武道は型を習う。稽古の積み重ねが重要なんだけど、その「型」こそ、僕が切望してやまなかったものかもしれない。<br>なんでもよかった。「これさえやってりゃ、人生なんとかなるもんだぜ」と不安を支えてくれる何か。それが武道の型だったようで。武器を持たなくても自分の身くらい自分で守れる。<br><br>法律も同じことが言える。<br><br>例えば会社で、「それ、違法じゃないの？」と思えるような、無責任な言動が多くある。コンプライアンスを守らないことの意味もよくわからず上司への恐怖から成績を得ようと必死だったこともある。<br>会社員時代は、法律を理解してれば安心してたかもしれない。法律は必ずしも弱者を守らないけど、出来事の判断について重要なジャッジを担保してくれる。<br><br>日本人は特に、契約とか交渉とかに無頓着らしく、法律や決め事よりも、相手との慣習や、波風立てない関係を望む。社外でも社内でも。<br><br>これからは国際社会だからと英語を社内の公用語にしてる会社とかあるけど、もっと根幹にある「西洋から輸入した契約、憲法、民主主義、資本主義」を学ぶべきではないだろうか？<br><br>(…とものの本には書いてたけど。)<br><br>今の環境が手に入って、ずっとメンタルが改善しまくり。もっと早く気づきたかったな。ま、いいけど。<br><br><br>世の中には、僕の今の悩みなんて最初からない場所で生きてる人は多いだろうね。まぁ、そういうスタートラインの違いを嫉妬したところで何も始まらないことはよくわかってる。<br><br>むしろ、今の自分の思考が、今までの僕の環境を経て作り上げられてると思うと、「俺って、よくここまで来れたな」とさえ思う。親とか友達とか学校とか。知的なインフラは整ってたかといわれれば、あんま十分ではなかった気もする。これは愚痴ではなくて、自己満足のための肴みたいなものだ。<br><br><br>こういうことを考える度、自分の子供にはインフラだけでも十分に整えてあげたいと思うんだな。<br>ま、そのせいで性格のねじ曲がった人間になることもあるかもしれんけど、それも含めて、少なくとも与える人間であることを自覚しなければならないな、と。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11854021475.html</link>
<pubDate>Sun, 18 May 2014 17:13:58 +0900</pubDate>
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<title>今僕が見える世界</title>
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<![CDATA[ ・知っている人が見る世界<br>・知らない人が見る世界<br>こういうことって、実は残酷なほどに差がある。<br>僕は昔、「無知は罪」だと考えていた。（まぁ、「罪」って言うのはなんか可哀想だからもうすこし柔らかい表現でもいいけど。）例えば、海外旅行に言ったことが無い人が、偉そうに海外について語るような。そういう「知ったか」がなんとなく嫌いだった。自分に対してはそういうことがないように謙虚に努めようと戒めたものだが。<br>でも、これはこれで罪深いもので。「無知」な人を裁く権利は誰にもないわけで。無知であることは別に迷惑ではないんだな。<br>ただ、「今の自分が知っている世界がすべて」と考えることはもったいないと思う。<br><br>そのせいか、僕は20代からずっと知識と経験を得ようと必死だったような気がする。<br>学生時代はけっこう偉そうにしていたもんだけど、20代になってから得たサラリーマンとしての経験や、転職で知ったことや、結婚や子育てで知ったこと。そういう知識経験があって、今の自分の世界感を作っている。<br><br>------------------<br>僕は○○展という美術展が嫌いだった。惰性のサークルみたいなイメージがあったからだ。惰性と利権と煩悩と色欲のイメージだ（もう完全に友人の入れ知恵だけど）。<br>学生時代はそうだったけど、それから色々理解してみたら、最近は意外と悪いものでもないと考えるようになる。<br>20代の最後は、現代アートの最先端で仕事をした。その職場で知ったことや理解したこと。それらを踏まえると、「やっぱり世界の論理はこういうものなんだな」とわかった。<br>正しいか正しくないか？そんなことはどうでもよい。そういうものとして成立しているのが世界の論理であり、そのルールを正しく認識できる人は最前線にいれるし、逆にローカルで留まることもできる。<br>でも、それは「知ってるからできる施策」なわけで。無知な人間に施策もなにもない。だから僕は世界のルールを知りたがったんだと思う。ま、サラリーマンになったのはそういう理由とかじゃなく成行きだったけど。<br><br>日本人は実は資本主義も民主主義も厳密な意味では理解できていないそうだ。キリスト教それもカルヴァンの予定説を理解できる歴史的必然性が存在しない。だから契約行為も曖昧でOKだし、司法に民主主義を持ち込んじゃったりする。今はもう日本人は憲法すら満足に理解できずに適当に改憲論がひょいひょい出てくる。ま、ここらへんは憲法学者にお任せしたい。<br><br>そんな日本人が世界のアートルールで一矢報いることができるとすれば、西洋の文脈を理解した上で、猿回しをするしかない。それでも或る程度の地位が手に入るのは、それが資本の論理だからだな。金になれば何でも良い。逆に言えば、金にならないアートはいらない。この心得を徹底できるかどうか。<br>こんな冷酷な西洋世界に挑む日本人。<br>残念ながら、僕はそういうルールで選手として名乗り出ることはしないことにした。ただ、頑張ろうと夢を追う選手をサポートすることはできるだろう。そういう仕事が僕の仕事になる。<br>アーティストにとって今後キーワードになることは「契約」だと考えている。たぶん。あと英語。<br><br>○○展という作品展は、こういうアートシーンとは全く無関係に存在している。資本の論理とは無関係に続いている。僕はむしろ、こういう無意味で無価値なものの方が文化として定着してゆくんじゃないかと微笑ましく思う。（とはいえ、○○展を疑いもせず有り難がる教育者は大問題だけど）<br><br>「描きたいから描く」そういうハードルのアートも存在する。そしてこのハードルを尊重することは悪いことではない。ただしかし「世界の論理」とは別の存在として。日本のいわゆる「アート」にはそういう節操が無い。<br><br>塩田剛三という合気道家がいた。生前弟子に対して「人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。そういう人間は自分が最後でいい。これからは和合の道として、世の中の役に立てばよい」と語り、護身術としての武道の意義を説いていた。とのこと。<br><br>役目を終えた「術」は、消えることはないが、時代に寄り添って意味を見いだされれば良い。アーティスト全員が世界の最前線を目指さなくても良い。そういう意味では、今習ってる合気道はとても心地が良い。合理的だし、よく研究されている。一般的に武道といえば「強くなるため」「最強を目指す」などと思われがちだけど、僕が見た限りでは、合気道は強さが目標にはない。むしろ「勝つ」ことよりも「無敵」を目指している。無敵とは「敵がいない」こと。戦って勝つことは目的ではなく、「仲良くなってしまえば敵もいない。すなわち無敵」というわけだな。<br><br>みんな、勝ちにこだわる。強くなりたがる。それは実は煩悩である。<br>人間の本来の姿は「負けない」ことに本質がある。「勝ちたい」煩悩には際限がないが、「負けない」という本能にはそれがない。負けなければ良いのである。<br><br>合気道も美術も、欲を捨て去ると、とても心地よく見ることができるものである。<br>僕が好きな美術は、実は「無意味」で「無価値」なものだから。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11841272028.html</link>
<pubDate>Sun, 04 May 2014 16:37:57 +0900</pubDate>
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<title>函館の記憶</title>
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<![CDATA[ この時期になると、大学の恩師を思い出す。<br>命日である。<br>亡くなったのが何日だったか具体的には覚えていないんだけど、たしかゴールデンウィーク前くらいだったと記憶してる。<br><br>あれから何年だろう。５年は経ったけど、１０年は経ってないだろう。<br><br>亡くなられた当時、僕はまだ社会人としても未熟だったし、将来のことも見えているようで全く見えていなかった。当時はそれなりに色々考えていたけど、今見えてる世界はあの頃よりは広くなっていると思う。<br><br>----------<br>・世の中の価値は、たいていは貨幣価値だということ。<br><br>・人間は、自分にとって都合の良いことしか認識することが出来ないようにできていること。<br><br>・無意味で無価値だけれども、存在し続けてしまうもののほうがこの世には多いということ。<br><br>・正義は金で買えるということ。<br><br>・法律は真実を追求するためにあるのではないということ。<br><br>・ほとんどの日本人は「消費者」であり「被害者」だ。だから平気でモラルの無いことを口にできるし実行できる。ということ。<br>----------<br><br>函館は、美術のために住んでいた街だ。純朴な考えをして学生生活を送っていた僕にとって社会の現実はそれなりにしんどかったように思う。だからこそ、そういう「理想と現実のギャップ」がものすごく突き刺さっていたのではないか。<br>そのせいで僕は卒業して以来、大学で学んだことを否定し続けた。否定すればするほど、メッキが剥がれまくる。メッキを剥がすのが簡単すぎて面白い時期もあるけど、もうほとんど剥がしちゃった。<br>そう考えるととても哀しい。<br><br>…この時期になると、また大学のころを思い出すのである。<br>あのころは、やっぱり未熟だったし純粋だったかもしれない。ブルーハーツが好きだったのは、たぶんそういうことなんだろう。今聞くと、別の感傷がある。<br><br><br>そういえば、大学卒業して数年は「いずれはみんな集まって作品展やりたい」って意気込んでいたのを思い出した。<br>結婚して、子供もできて、良いオッサンオバサンになったであろう４０代手前あたりに、函館でそういうイベントをやったら面白いだろうな。<br>（思い出補正がかかっているだろうから、そんなに面白いものでもないかもしれないけど。）<br>僕はもともと奥手な人間だから、恩師に久しぶりに会うための口実がほしくなるのかもしれない。<br><br>こうして、未来のことをぼんやり考えてみる。少し楽しい気分になれた。<br>でもだからこそ、目の前にある地味だけど重要な一つ一つをしっかり歩んでいこうと思ったのでした。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11828272032.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Apr 2014 19:34:56 +0900</pubDate>
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<title>生きる道とか</title>
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<![CDATA[ やっぱり積み重ねだな、とふと思う。<br>60になって退職して、暇してるオッさん多いようだが。普通なら、そこまでの年齢を重ねてるなら人に教育できるスキルがあるはずで。でも、言われたことをするだけのリーマンやってただけだから、これからは自分の欲望を満たすためだけに時間を消費するのである。自分の欲望すらわからないだろうに。<br><br>人の役に立てるために、己のスキルを磨く。それが自分の若いうちにすべきこと。<br>そうして培ったスキルだからこそ、人に教える価値がある。<br><br>グローバルが素晴らしいと誰もが言うけど、やっぱりそれは新自由主義を信望する一部のアメリカ企業が美しすぎるだけであってさ、そうした例外に価値を見てはならない。<br><br>人生にレバレッジなどない。<br><br>身の丈にあった生き様こそ美しい、ということに気付けるか？<br>有名になりたいとか、名を残したいとか、そういう邪念に囚われるのはもうおしまいである。<br><br>と、最近よく思う。<br>なんかまだ誤解したままの人がいるけど、それはまぁ、別に人生それぞれだからいいのかなと思う。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11819213144.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Apr 2014 22:17:11 +0900</pubDate>
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<title>担保は何か</title>
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<![CDATA[ 最近まで、知的財産の勉強をしており、試験は先週終わった。自己採点ではギリギリか、アウト…かな？配点によっては合格。というなんともヒヤヒヤする結果だった。発表は5月。<br>それからまた行政書士の試験勉強開始。今回はもう失敗は許されないから、今から「来月試験だ」くらいの勢いで勉強である。<br>----------<br>こんな生活からの発見もある。<br><br>「毎日勉強をがんばったから、合格できる」<br><br>ということだ。<br>一見、当たり前だ。<br>でも、よく考えると、昔の僕はそう考えてなかった。<br><br>例えば美術。<br>「革新的なアイデアでドカンとやらかせば、知名度が上がって作品が売れるようになる！」…と、本気で思っていた。<br>んなわけないんだよな。<br>毎日絵を描いていて、それでも報われないのがこの業界。<br>「毎日頑張る」って、こんなの、当たり前なわけだ。朝から晩まで一心不乱に絵を描き続けて、それでもなかなか思うようにならない、そんな現実。<br><br>美術のめんどくさいのが、「え？これがアート？」っていうゴミのような作品もあるから、努力の意味が薄れるし、やる気も削がれる。<br><br>作品なんて、運だよなぁ。…とスネたりもした。<br><br>でも、そういうゴミのような作品は、なぜ評価されたかといえば、ネゴシエーションにものすごい労力を使っているわけだな。<br>絵を描く時間を、別の努力に置き換えているわけだ。<br><br>少なくとも、僕のように同僚と酒飲んで愚痴って偉そうな哲学を語っていたら、何も得るものはない。具体的に積み重ねるものが必要なんだな。<br><br>僕は最近そういうのを「担保」と読んでいる。<br>例えば、<br>「毎日絵を描いてるあんただから、この仕事を依頼したい」<br>と、こんな風に、仕事はやってくる。<br>その成果物が評判良ければリピーターができて、口コミが広がる。<br>なんなら、展覧会で有名な賞を取るでもいいけど。<br><br>担保がないと、仕事が来ない。<br>だから、ひたすら描き続ける。または、営業し続ける。<br>どっちも、限られた人生時間を有意義に使っているんだ。<br><br>僕の今の担保は、試験勉強だ。<br>その結果は、「合格」という形で報われる。わかりやすい。<br><br>他人のパクリで有名になってるアーティストが批判されるのは、時間の使い方が「作品への努力」ではなくて「営業の努力」なんだよな。どっちも重要だし、大変なこと。その対価として有名になるわけで。<br><br>話は逸れたが。<br><br>努力は報われる。ただし、「正しい方向で正しくなされた努力」に限る。みたいなことを林修先生も言ってたな。<br><br>毎日絵を描いて報われるものといえば「画力」だな。<br>毎日営業してて報われるものといえば「集客」だな。<br><br>どちらもやってないのに愚痴るのはよそう。<br>試験勉強してて思ったことでした。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11796805569.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Mar 2014 16:46:30 +0900</pubDate>
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<title>確定申告のこと</title>
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<![CDATA[ Macで確定申告<br>…コレが、なかなかの難易度だとの話。そういわれるとやってみたくなる性分なので、やってみた。<br><br>1.カードリーダーはNTTの接触式のやつ<br>一度、間違ってSONYの非接触のを買ってしまった。今思うと、なんでこんなモン買ったのか謎である。どう逆立ちしても使えないので、渋々ヨドバシにて接触式のカードリーダーを購入。<br><br>2.OSは最新<br>これ。はじめ、どーすんだろと思いました。なぜなら、推奨環境がマウンテンライオン。ざけんな。ほとんどのマカーはMavericksだろ…。でも仕方ない。どうなるかわからなかったが、これで進めることにした。<br><br>3.ブラウザもSafari最新<br>Safariのいいところは、ユーザーエージェントという機能を使えば、IEのフリをしてくれることだ。<br>確かにブラウザは最新のSafariだったが、古臭いIEのフリをしてもらった。<br><br>4.札幌市の住民基本台帳カード<br>札幌市のは接触式に対応できてるものでした。顔写真と免許証と健康保険証を持って行ったら、10分程度で作成できた。手数料が500円×2。<br><br>-----<br>以上。他にもJavaやらAdobeリーダーやらを入れた。<br>証明書が地味にめんどくさかったけど、結局これも、マニュアル通りでなんとかなるレベル。<br><br>エラーなどもなく、スムーズだったんだけど、一番の問題は、<br>「本当にできてるんだろうか？」<br>というとこだな。<br><br>…<br><br>ま、わからんけど、大丈夫だろう。<br><br><br>Macはけっこう流行ってるし、eTaxやる人も増えてきているだろうね。<br><br>今回は相変わらず最新では未対応だったけど、行政が最新の対応ができてきたら、評価も変わるんだろうね。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11781632757.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Feb 2014 21:16:22 +0900</pubDate>
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<title>顧客吸引力</title>
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<![CDATA[ 久しぶりに、アートのことを。<br>-----<br>真のアートとは、<br>同時代性への反逆である。<br>みたいなことを昔思ってた。<br>そのあと、<br>資本主義的な市場論理も大きい要素だとも気付いた。<br>ここまでは、「アーティストが名前を売るべきなのは、大衆へではなくて、資本家だ」と考えた。<br>まぁ、合ってると思う。<br>これに、最近もう一つ付け足す。<br>顧客吸引力だ。<br>どんなに緻密で繊細で豪華で完璧なアートであっても、評価があまりないものもある。勿体無いね。<br>その反面、対したことない落書きなんだけど高価に取引されてるものもある。<br>何が違うのか？<br>顧客吸引力だ。<br>そう、アーティストは顧客吸引力なんだ。<br>顧客を吸引できないアートはダメなんだ。<br>作品の存在が営業してくれなきゃダメなんだ。<br>ピカソという名前だけで集客できるように。現代アートのただの布に1億円の価値が付くように。<br><br>「そんな絵に、誰が金払う？」<br>確かに、絵そのものには価値はない。けれども、その絵の持つ顧客吸引力はものすごい価値があるはず。<br>それが歴史に名を残すアーティストならなおさら。死んでもなお顧客を吸引しつづけるのがアートの凄いところだ。<br><br>僕は長らく営業マンやってたけど。<br>どうやらアートの価値は、意外と「営業」なのかもしれないな。<br><br><br>そんなつまらんことを思ったのでした。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11777451275.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Feb 2014 21:43:02 +0900</pubDate>
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<title>マルチと営業と</title>
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<![CDATA[ 久しぶりにマルチやってる人間を見た。昔片足を突っ込んで引き返したこともあったので、少しは知ってるんだけど、当時は性にあわなかったから縁遠くなってた。<br>ただ、マルチから学ぶことも多かった。当時はバリバリの営業マンだったし、人間の購買心理とかトークテクニックの参考にはなったかもしれない。そのことについて少し書いてみる。<br><br><br>---<br>商品を作り、欲しい人に売る。<br>こういう行為をより多く回転させるために営業マンがいる。彼らはいかに多くの商品を捌けるかについて研究する。最近の営業マンは、傾聴し、顧客の不安へのソリューションの結果として自社の強みを語るのが流行ってる。<br>これは、車や住宅、保険だけじゃなく、いろんな営業でも応用されている。らしい。営業系の本にはだいたいそう書いてる。<br>マルチは、まさに営業マンの究極形態。いかに相手のメリットになるかを語るのは同じだが、僕はハマらなかった。なぜか。<br><br>「気持ち悪い」からである。<br><br>人をたらしこみ、胡散臭いのに金持ちになれるウソのような話を、言葉巧みに騙すみたいである。<br>じゃあ、前述の営業マンと何が違うのか？<br>基本的には、何も違わない。<br>ただ、「公表してない」ということが、この上なく気持ち悪いのだ。<br><br>この国では、営業マンといえば、ほとんどスーツ姿で、社章をつけて、いかにも営業マンだ。<br>マルチの営業スタイルは、一見しても見分けなどつかない。普通に話すと「いいヤツ」である。<br><br>おそらく、この「公表してない」という点が、僕らにはものすごく気持ち悪いのではないか？<br><br>マルチの彼らは、友達を増やしてお金を蓄え、気軽にハワイへ旅行して、サーフィンしながら時間に縛られない自由な人生を望んでいる。<br>まるで、人間の欲望の全てが共通であるかのように。<br><br>このような「いわゆる自由」は、実は僕らには馴染みがない。<br>服装や時間の縛りなく、ある種の無責任さで生きていても許されるのがマルチである。<br>そういう世界には、何が違和感を感じる。<br>日本人の島国根性と言われればそれまでだし、馬車馬のように働かされるのが楽しいか、と言われればそんなことはない。ただ、自由の代償として責任を負うものだと僕らは知っている。<br><br>では、マルチは、自由の代償として何かリスクを負っているか？<br>それは「人間関係の貨幣価値への等価交換」だ。<br><br>マルチでは、友達を無くすとよく言われる。その通りだ。なぜなら、見返りのある友人関係なんて、続かないからだ。そこには交換関係はあっても、信頼はない。<br><br>それでも、マルチによって失うものは大したことないよ。と言い切れる人間だから成功するんだろうね。<br><br>法律家は、その知性こそが信頼の担保である。医者も教師も大工もメーカーもプログラマーも。自分の能力を担保に、信頼を勝ち得ているのである。<br><br>では、マルチの担保とは？<br>それはご想像にお任せする。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11756291235.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jan 2014 19:11:09 +0900</pubDate>
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<title>姿勢について</title>
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<![CDATA[ 僕は猫背である。<br><br>林修先生が、勉強できる子供とできない子供の違いについて、大事なのは姿勢だと言っていた。「姿勢の良い不良っていないでしょ」全くごもっとも。<br>じゃあ、自分の子供を良い姿勢に育って欲しいならどうするか？それは「自分が良い姿勢になる」しかなさそうだ。<br><br>というわけで、合気道を始めた。<br>もともと興味はあったし、調べたら割と有名なとこの道場が近所で激安だったので通うことにした。<br><br>自分の学力に良い効果をもたらすと思うし。<br>姿勢のせいかわからないけど僕は呼吸が浅いときが多い。<br>呼吸が浅いことに気づいたのは、小池龍之介というお坊さんの本を読んだからだ。なんか似たようなことを学生時代に聞いたことあるような感じだったが。<br><br>ついでに、なぜか最近歯石が取れたので、歯医者に行くことに。<br>歯を大切にするはお釈迦様も言ってたらしいし。<br><br>僕はなにかと習い事が好きなようである。以前はワインスクール、バイオリンときて、合気道だ。試験勉強もあるが、むしろこうしてプライベートが忙しい方が捗るみたいである。<br><br><br>暇があると、ネガティブな思考が入ってくる。そこをいかに無心でいれるかだ。営業マン時代には、体が悪い状況でも無理やり押し通してきたツケを、今年から精算してしまおう。<br><br>まずは健康から。姿勢、歯並びを整えて、勉強をし続ける集中力を身につける。<br><br><br>なかなか面白そうな30代が始まる。
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<link>https://ameblo.jp/le-phenomene/entry-11748406287.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Jan 2014 13:49:33 +0900</pubDate>
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